百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【陸】百々目登場

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 唖然とする桜子の前に、赤松が駆け込んできた。
 彼は百々目の姿を見ると、素っ頓狂な声を上げた。
「な、なぜ警部殿がここへ?」
「警視総監を通じて、こちらへ行くように言われたのですよ。実は、他の事件を三件ほど抱えていたのですが、与党幹事長殿から直々のご依頼があったそうでしてね」
「し、しかし、この事件は青梅署の管轄……」
「ですので、部下は連れて来ておりません。あくまで私は、一介のお手伝いです」
「しかしですな、突然来られても……」
「私が呼んだのだ!」
 声と共に入ってきたのは、来住野十四郎である。
「警視庁で最も優秀な捜査員を寄越してくれと頼んだのだ。警備の不備やら誤認逮捕やら、任せておけんのでな!」
 赤松は顔を真っ赤にするが、何も言い返せないでいる。
「赤松警部補、大体の事は把握してきました。私には、捜査本部の場所だけ、お教え願えませんか? ……それと」
と、百々目は桜子に目を向けた。
「こちらのお嬢さんは足を怪我しておられる。お医者様を呼んで頂けませんか?」
 慌てたのは桜子の方だ。慌てて足首の濡れ布巾を剥がすと、
「あ、良くなったみたいです。ハハハ……、ありがとうございます……」
と、広間を後にした。
 ――顔だけじゃない。とんでもないのが来た。桜子はゾクッとした。



 ――百々目潔宣どどめ ゆきのぶ
 若干二十九歳にして、警視庁の警部の位を与えられた逸材。英国・スコットランドヤードへの留学経験あり。まさに、警視庁の未来を背負う人物である。
 しかし、恵まれた才能には妬みが付きまとうものである。なにがしの宮様のご落胤らくいんであるとか、穿った噂は絶えない。だが、否定もせずに放置しているところをみると、まんざら嘘ではないのかもしれない。
 彼は言う。
「――血筋と年功序列で出世できるのは、警部補までなんですよ――」

 ……赤松と百々目は、一緒に仕事をした事はない。しかし、事ある毎に彼の名を聞くため、その存在はよく知っていた。……それに、一度聞いたら忘れられない名前なのもある。
 しかし、息子程度の年齢の人物に命令される立場になるとは。正直、百々目に対する赤松の第一印象は、良くはなかった。

 そんな赤松の心境には構わず、廊下を歩きながら百々目は言った。
「十四郎氏の希望で、帝東大学の法医学研究の権威に、被害者の司法解剖をお願いする事になりました。村の診療所では十分な設備が整っていないため、青梅の病院で、明日の朝九時の執刀となります。村の診療所にお越し頂いている、青梅の監察医先生にもお立ち会い願います。ご遺体を運ぶ手筈は整えてあります。午後四時……あと三十分ほどですね、水川村を出発となります。申し訳ございませんが、赤松警部補、付き添いをお願いできませんか?」
「は、はい」
「あと、身柄を拘束されている不知火清弥容疑者ですが、七月十九日、銀座のバーで午後六時まで飲んでいた件は、部下に裏を取らせました。その際に、気になる情報を耳にしましてね。――清弥氏は、複数の女性と不倫関係にあるようです」
「なんと! あんな美しい奥様がありながら! 許せませんな」
「竹子氏殺害の動機ですが、竹子氏もまた不倫相手の一人と考えれば、動機は見えてきます」  
「なるほど! 痴情のもつれという奴ですか」
「端的に言えば、そんなものです。……私は、被害者の妊娠を疑っています。その結果次第で、事件の様相がはっきり見えてくるかと」
「さすが警部殿!」
「そのための司法解剖です。胎児の血液型で、父親が誰なのか分かるでしょう。――逮捕状は、出ますよ」
 サラサラと立て板に水の如く、捜査内容の説明をする百々目を見て、赤松は彼の見方を変えることにした。――必要な情報を見極め調査する速さという能力。彼の出世は、必然的なものだと。

 捜査本部となっている洋間に入ると早速、百々目は奥のソファーで項垂れでいる不知火清弥の前に座った。
「あなたは証拠がないからと、犯行を認められていないようですが、間もなく、証拠は出るでしょう。正直に白状なさった方が、心象が良くなりますよ」
「私はやっていないと言っているだろ!」
 不知火清弥が叫んだところで、観音開きの扉がバタンと開き、入ってきたのは犬神零だった。そして、見慣れない人物を目にして首を傾げた。
「おや、刑事さんが新しく来られたのですか」
「はい、遅ればせながら――犬神零君。……神田一丁目の故・楢崎いわお伯爵の邸宅で居候をしている自称・探偵。楢崎家に現われるまでの経歴は一切不明。逮捕歴三回。……今回で四回目ですかね。全て不起訴に終わっている。……間違いはありますか?」
 さすがの犬神零としても、これには仰天した。並の刑事ではない。しばらくポカンと彼の顔を眺めていたが、
「そんな君が何の用かね? ここは警察関係者以外の立ち入りを禁止していると聞いているが?」
と言われて、ようやく用件を思い出し、頭をモシャモシャと搔いた。
「証拠を見つけたんですよ」
「証拠? 何の」
「不知火清弥さんが犯人ではない、という証拠です」



 零に先導されて長屋門を出ていく一同は、さすがに不機嫌だった。
「敷地の外に出るなと命じていたはずだ」
「たまたま裏門に警備の方がおられませんでしたので、少しならいいか、と」
「……なるほど、そういう事ですか。――椎葉桜子。福島県会津郡出身。豪農で、父君は村長を務めるほどの名家。そのような令嬢に、あんな三文芝居をさせたのですか」
「……はい」
 百々目の早口に零は閉口した。調査力と記憶力と理解力の早さと、それを端的に表現する知性は感服ものではあるが、少々うるさい。
 一行は長屋門から右手の方、裏門への通りを向かう。
 通りの右手は、びっしりとした生垣。瓦葺の立派な屋根が聳えているのが奥に見える。
 左手には、道が少し広くなった場所がある。今は何もないが、車の転回やら、ハイヤーの待ち合わせに使われている。昨夜の前夜祭で、丸井新造が交通整理をしていた場所だ。その向こうは、鬱蒼とした薮に覆われた急斜面である。
 そして零は、竹垣の角の反対側、道が右手に折れる場所で立ち止まった。
「……これです」
 零の指す場所は、地面を這う笹がこんもりと草むらになっているところだった。奥に伸びる背の高い竹が屋根になっているため、「それ」は雨に流されずに残っていた。
 覗き込むように目をやった一同は、汚物を見る目で顔をしかめた。
「誰だ、こんなところで吐いたのは」
「……不知火清弥さん、あなたですよね?」
 零の言葉に、一同は水を打ったように静まり返った。
「ここは、長屋門からも裏門からも死角になります。……清弥さん、あなたは昨晩、十時十七分に長屋門のところでハイヤーを降り、こちらに歩いて来られた。そしてここで気分が悪くなり、倒れてしまった。……ほら、この辺りの笹が折れています。恐らく、ここに横になられたのでは?」
「な、なら、なぜそれを言わなかったんだ!」
 赤松が詰め寄ると、不知火清弥は不機嫌に首を竦めた。
「酔って記憶がなかったんだよ」
 彼は逮捕された訳ではないので、手錠はされていない。しかし、屈強な警官二人に両手を抱えられている。顔色は相変わらず青白い。
「記憶がない? なら、証拠にならんではないか」
「この吐瀉物の内容と、銀座のバーで供された食事の内容を調べればいい。……できるだけ集めて、科学捜査に回してください」
 百々目の指示に、赤松はピンと腰を伸ばした。
「は、はい!」
 赤松の指示で、手袋をした警官たちが、ピンセットで摘んで袋に入れていく。
 幾分ホッとした様子で、清弥は首を竦めた。
「ハイヤーを降りたところまでは覚えてるんだ。ずっと気分が悪くてフラフラだった。……気が付いたらベッドで寝ていた。どうやって部屋に戻ったのか、全く覚えてないんだ」
「そんな前後不覚な人が、天狗堂まで行って人ひとりを梁に吊るすなんて行為を、できると思われますか?」
 赤松は渋い顔をした。

 赤松はその足で村の診療所に向かった。竹子の遺体を司法解剖すべく、青梅の病院に付き添うためだ。……竹薮の吐瀉物と、ほうじ茶の茶筒も携えて。
 零は百々目と洋間に戻り、大理石のテーブル越しに向き合った。
「君のおかげで、誤認逮捕をせずに済みました。ありがとう」
「こちらこそ、どこの馬の骨とも知らぬ者の言う事を聞いて頂き、感謝します」
 犬神零は警察が嫌いである。特に、東京の警察には悪い印象しかない。先程百々目が挙げた彼の三件の逮捕歴も、「見た目が怪しい」という理由だけで捕らえられた濡れ衣なのだ。そのため、百々目のようなエリート幹部を見ると、つい皮肉を言いたくなる。
 しかし、百々目は澄まして答えた。
「血筋や家柄などというのものは飾りにすぎません。飾りは、取ってしまえば無意味なものです。しかし、利用価値は高い。ただ、使い方によっては、身の破滅を招く諸刃の剣――。……ところで、私の情報網を持ってしても、あなたの背景は、全く探れませんでした。一体何者なのですか?」
 零は百々目の鋭い目を見返したまま、口元をニッと歪めた。
「それは知らない方が賢明です」
「……私と同じ、とでも解釈しておきましょう。――ところで、夕食後にご家族に集まっていただき、捜査状況のご報告をするのですが、君もにも参加して貰いたいのですよ」
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