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【伍】第一ノ事件
④
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来住野梅子はその足で、洋間に連れて来られた。そしてソファーに座らされる。
赤松も戸惑っていた。あまりに被害者と姿が似ている。生き写しと言って過言ではない。その上、純白の巫女装束。ひだの折り方まで、全く同じものである。そんな彼女が澄まして座っているのだ。
濃い髭をゴシゴシと擦ってから、赤松は尋ねた。
「――お名前を、お聞かせください」
「来住野梅子と申します」
「……なぜ、今になって出て来られたのですか?」
「私の部屋には窓がなく、外の様子が分かりませんでした。十時からお祭りが始まると知っておりましたので、十時に下へ下りてきました」
「……では、昨晩から今朝にかけての、あなたの行動をお教えください」
「九時半までは、この洋間にいました。九時半にお茶を頂いて、十時前に部屋に戻りました」
「それを証明できる人は?」
「八時過ぎまでは、幹事長様と、村長父子がいました。九時過ぎまでは、大叔父夫妻がいました。九時四十分頃までは、父、母、長姉の松子、次姉の竹子、それから、空いたカップを下げに下女の亀乃もいました」
「……つまり、あなたには、十時以降のアリバイはない、と」
「そういう事になります」
その返答の仕方は、あまりに淡々としていた。まるで感情のないからくり人形のように。
横で見ていた犬神零は、その様子を奇妙に思った。――彼女が探偵社へ依頼に来た時、彼の顔を見るなり泣き崩れた。それなのに今は、アリバイがない、つまり、犯人と思われてもおかしくない立場でありながら、眉ひとつ動かさず、恐ろしく冷静にしている。
そこで零は、試しに彼女に質問をしてみる事にした。
「その衣装は、おひとりでお着替えされるのですか?」
すると彼女は、からくり人形が首を回すような動きで零に顔を向けると、全く無表情に口を動かした。
「余 計 な 事 を 言 わ な い で」
――その仕草に、零の全身がゾゾーッと総毛立った。肩を竦める余地もない。一気に冷え切った血液は、彼から思考する力を奪った。
赤松も同様だった。だが、彼は歴戦の警部補である。首を二、三回振って呪縛を解き、絞り出すように言った。
「……お話はこれで結構です。また、伺う事もあるかと思いますので、広間で待機をお願いします」
その後、赤松はもう三人の人物を聴取した。
被害者の母、来住野鶴代は、食堂に座り百合園を眺めていた。
「お空が青いと、お花が綺麗ですわ」
無表情でそう繰り返している。娘を失い、正気を逸している、その時はそう思ったのだが。
「――奥様は、ああいうお方です」
食堂と繋がった配膳室の、配膳台の前に座った下女の亀乃は、悲しそうな目で赤松を見た。
第一発見者である彼女は、直後は相当取り乱していたが、幼い心を奮い立て、遅い朝食の支度をしていた。
「とても心が純粋な、幼い子供のような方です。ですから、竹子様がお亡くなりになった事を、ご理解なさっておられないと思います」
「なるほど……」
赤松は鼻の下の髭を摘まんだ。
「では、今朝、君が天狗堂へ行った時の状況を、聞かせてくれるかね?」
「はい。……私は毎朝、五時頃に起きるんですが、昨日用意したお神酒がそのまま置いてあったので、天狗堂へ持って行きました。そしたら……」
「ちょっと待ってくれたまえ。……そのお神酒というのは、いつもは別の誰かが運ぶのかね?」
「はい、貞吉さんです。貞吉さんが朝、お供えしてあるお神酒と盛り塩を、交換するんです。けれど……」
「そのまま置いてあったから、君が運んだと。……それで?」
「すいません。その先はあまり覚えていません。気が動転してしまって」
亀乃は顔を伏せた。
「誰でもあのように惨い状況を見れば、心を乱すものだよ。……それで、君が悲鳴を上げてから、あの犬神という探偵が来るまで、どのくらいの時間があったかね?」
「ほんの二、三分かと」
「それから?」
「しばらく、舞台袖の階段で、どうしていいか分からなくて座っていました。そうしたら、離れの雨戸が開くのが見えたものですから、そちらに向かった後……」
「意識を失った、と」
「はい……」
これは、自称・探偵助手の椎葉桜子と証言が一致する。彼女が亀乃を背負って本宅へ運んだと、小木曽が言っていた。
「しばらく、桜子様が介抱してくださり、お部屋で休んでいました」
「それで、気分は大丈夫かね?」
「はい。……私が働かないと、このお屋敷は回りませんから」
亀乃は気丈に微笑んだ。
「では、昨夜の事を」
――これは、犬神零、そして来住野梅子の証言と同じだった。八時過ぎに一同が洋間へ引き上げてから、十時半過ぎに床につくまで、彼女は皆の接待とその片付けに奔走していたのだ。
「……あの、お食事の支度を始めてよろしいでしょうか?」
「あぁ、ありがとう」
赤松が言った途端、彼女は炊事場に駆け込んだ。赤松の目には、その小さな背中が哀れに映った。
下男の貞吉は、長屋門の東側にある部屋で待機していた。西側は昨晩より、見張りの警官に解放されている。
「……このお屋敷の使用人は、君たち二人だけなのかね?」
「へえ。あと、松子様がお住まいの洋館の方に、通いの家政婦がひとり」
貞吉は、相変わらず着物を尻端折りして股引を履いている。そんな時代錯誤の格好と同じく、長屋門の彼の部屋も、藁の敷布団にむしろの掛布団という、風変わりなものだった。
「布団はこそばゆいもんで。こっちのが落ち着きます」
言いながら、貞吉はボリボリと背中を掻いている。赤松までも、どことなく痒い気がしてきた。
「……ではまず、君の仕事は?」
「百合の世話でさぁ。あと、薪を割って風呂を沸かしやす。お客さんが来りゃあ案内もするし、庭の手入れもするなぁ。あとは、水車小屋で飼ってる鶏の世話と……」
話の筋立てが無茶苦茶だ。知能の程度が分かる。赤松は眉を寄せた。
「天狗堂のお神酒を交換するのは?」
「あぁ、あっしです」
「――今朝は、その仕事をやらなかったそうだね」
すると貞吉は目を泳がせた。動揺を隠せない様子だ。
「それはなぜだね?」
赤松が追い詰める。すると貞吉は、一歩とび下がって土下座した。
「旦那様には黙っててくだせえ。……昨日の晩、こっそり茶を飲んだんです。旦那様に、使用人が茶など飲むなと言われてるんでさ。そしたら、無性に眠くなって……」
「寝坊したのかね」
「へえ……」
「……おかしいと思ったのよね」
洋間のソファーで寛ぎながら、椎葉桜子は大理石のテーブルに置かれた茶碗を手に取った。
「だって、あんなに雷が鳴ってたじゃない? なのに、あんなによく眠れたなんて、普通じゃないわ」
亀乃が用意した遅めの朝食である。午前十一時。ほとんど昼なのだが、亀乃はすでに、昼食の支度に取り掛かっている。
赤松は、聴取の内容を喜田とまとめていたのだが、それを横で眺める犬神零と椎葉桜子が、何かと口を挟んでくる。
「あれ? 警部補さんは召し上がらないのですか?」
手錠をされたまま、零は茶漬けを啜っている。実に器用である。
「事件関係者から供される飲食物は口にしない決まりだ」
赤松の代わりに喜田が答えた。
「なるほど、毒が入ってるといけませんからね」
言いながら、零は茶碗を空にした。
「……桜子君、君の言った『普通じゃない』とは、どういう意味かね?」
赤松が眉を寄せる。桜子はぬか漬けを口に入れ、ポリポリと良い音をさせながら答えた。
「私ね、何が嫌いって、蛇と雷ほど嫌いなものはないのよ。あんな恐ろしいもの、考えただけで鳥肌が立つわ。なのに、昨日の夜は、あんなに雷が凄かったのに、いつの間にか寝入ってたの」
「……それは、つまり……」
零は湯呑を覗き込む。
「睡眠薬を、盛られた気がします」
「何だと!?」
「さすがに昨夜は、横になるだけで眠らないつもりでいました。しかし私も、桜子さんと同じく、ぐっすり」
「…………」
赤松と喜田は顔を見合わせた。
「貞吉さんは、どんなお茶を飲まれたんですか?」
「寝る前の習慣で洋間に出されるほうじ茶の、下げた後の出涸らしを、亀乃君の目を盗んで急須から……」
「……多分、ほうじ茶の茶筒ですね。調べた方がいいですよ」
零は湯呑の緑茶を一気に空けた。
赤松も戸惑っていた。あまりに被害者と姿が似ている。生き写しと言って過言ではない。その上、純白の巫女装束。ひだの折り方まで、全く同じものである。そんな彼女が澄まして座っているのだ。
濃い髭をゴシゴシと擦ってから、赤松は尋ねた。
「――お名前を、お聞かせください」
「来住野梅子と申します」
「……なぜ、今になって出て来られたのですか?」
「私の部屋には窓がなく、外の様子が分かりませんでした。十時からお祭りが始まると知っておりましたので、十時に下へ下りてきました」
「……では、昨晩から今朝にかけての、あなたの行動をお教えください」
「九時半までは、この洋間にいました。九時半にお茶を頂いて、十時前に部屋に戻りました」
「それを証明できる人は?」
「八時過ぎまでは、幹事長様と、村長父子がいました。九時過ぎまでは、大叔父夫妻がいました。九時四十分頃までは、父、母、長姉の松子、次姉の竹子、それから、空いたカップを下げに下女の亀乃もいました」
「……つまり、あなたには、十時以降のアリバイはない、と」
「そういう事になります」
その返答の仕方は、あまりに淡々としていた。まるで感情のないからくり人形のように。
横で見ていた犬神零は、その様子を奇妙に思った。――彼女が探偵社へ依頼に来た時、彼の顔を見るなり泣き崩れた。それなのに今は、アリバイがない、つまり、犯人と思われてもおかしくない立場でありながら、眉ひとつ動かさず、恐ろしく冷静にしている。
そこで零は、試しに彼女に質問をしてみる事にした。
「その衣装は、おひとりでお着替えされるのですか?」
すると彼女は、からくり人形が首を回すような動きで零に顔を向けると、全く無表情に口を動かした。
「余 計 な 事 を 言 わ な い で」
――その仕草に、零の全身がゾゾーッと総毛立った。肩を竦める余地もない。一気に冷え切った血液は、彼から思考する力を奪った。
赤松も同様だった。だが、彼は歴戦の警部補である。首を二、三回振って呪縛を解き、絞り出すように言った。
「……お話はこれで結構です。また、伺う事もあるかと思いますので、広間で待機をお願いします」
その後、赤松はもう三人の人物を聴取した。
被害者の母、来住野鶴代は、食堂に座り百合園を眺めていた。
「お空が青いと、お花が綺麗ですわ」
無表情でそう繰り返している。娘を失い、正気を逸している、その時はそう思ったのだが。
「――奥様は、ああいうお方です」
食堂と繋がった配膳室の、配膳台の前に座った下女の亀乃は、悲しそうな目で赤松を見た。
第一発見者である彼女は、直後は相当取り乱していたが、幼い心を奮い立て、遅い朝食の支度をしていた。
「とても心が純粋な、幼い子供のような方です。ですから、竹子様がお亡くなりになった事を、ご理解なさっておられないと思います」
「なるほど……」
赤松は鼻の下の髭を摘まんだ。
「では、今朝、君が天狗堂へ行った時の状況を、聞かせてくれるかね?」
「はい。……私は毎朝、五時頃に起きるんですが、昨日用意したお神酒がそのまま置いてあったので、天狗堂へ持って行きました。そしたら……」
「ちょっと待ってくれたまえ。……そのお神酒というのは、いつもは別の誰かが運ぶのかね?」
「はい、貞吉さんです。貞吉さんが朝、お供えしてあるお神酒と盛り塩を、交換するんです。けれど……」
「そのまま置いてあったから、君が運んだと。……それで?」
「すいません。その先はあまり覚えていません。気が動転してしまって」
亀乃は顔を伏せた。
「誰でもあのように惨い状況を見れば、心を乱すものだよ。……それで、君が悲鳴を上げてから、あの犬神という探偵が来るまで、どのくらいの時間があったかね?」
「ほんの二、三分かと」
「それから?」
「しばらく、舞台袖の階段で、どうしていいか分からなくて座っていました。そうしたら、離れの雨戸が開くのが見えたものですから、そちらに向かった後……」
「意識を失った、と」
「はい……」
これは、自称・探偵助手の椎葉桜子と証言が一致する。彼女が亀乃を背負って本宅へ運んだと、小木曽が言っていた。
「しばらく、桜子様が介抱してくださり、お部屋で休んでいました」
「それで、気分は大丈夫かね?」
「はい。……私が働かないと、このお屋敷は回りませんから」
亀乃は気丈に微笑んだ。
「では、昨夜の事を」
――これは、犬神零、そして来住野梅子の証言と同じだった。八時過ぎに一同が洋間へ引き上げてから、十時半過ぎに床につくまで、彼女は皆の接待とその片付けに奔走していたのだ。
「……あの、お食事の支度を始めてよろしいでしょうか?」
「あぁ、ありがとう」
赤松が言った途端、彼女は炊事場に駆け込んだ。赤松の目には、その小さな背中が哀れに映った。
下男の貞吉は、長屋門の東側にある部屋で待機していた。西側は昨晩より、見張りの警官に解放されている。
「……このお屋敷の使用人は、君たち二人だけなのかね?」
「へえ。あと、松子様がお住まいの洋館の方に、通いの家政婦がひとり」
貞吉は、相変わらず着物を尻端折りして股引を履いている。そんな時代錯誤の格好と同じく、長屋門の彼の部屋も、藁の敷布団にむしろの掛布団という、風変わりなものだった。
「布団はこそばゆいもんで。こっちのが落ち着きます」
言いながら、貞吉はボリボリと背中を掻いている。赤松までも、どことなく痒い気がしてきた。
「……ではまず、君の仕事は?」
「百合の世話でさぁ。あと、薪を割って風呂を沸かしやす。お客さんが来りゃあ案内もするし、庭の手入れもするなぁ。あとは、水車小屋で飼ってる鶏の世話と……」
話の筋立てが無茶苦茶だ。知能の程度が分かる。赤松は眉を寄せた。
「天狗堂のお神酒を交換するのは?」
「あぁ、あっしです」
「――今朝は、その仕事をやらなかったそうだね」
すると貞吉は目を泳がせた。動揺を隠せない様子だ。
「それはなぜだね?」
赤松が追い詰める。すると貞吉は、一歩とび下がって土下座した。
「旦那様には黙っててくだせえ。……昨日の晩、こっそり茶を飲んだんです。旦那様に、使用人が茶など飲むなと言われてるんでさ。そしたら、無性に眠くなって……」
「寝坊したのかね」
「へえ……」
「……おかしいと思ったのよね」
洋間のソファーで寛ぎながら、椎葉桜子は大理石のテーブルに置かれた茶碗を手に取った。
「だって、あんなに雷が鳴ってたじゃない? なのに、あんなによく眠れたなんて、普通じゃないわ」
亀乃が用意した遅めの朝食である。午前十一時。ほとんど昼なのだが、亀乃はすでに、昼食の支度に取り掛かっている。
赤松は、聴取の内容を喜田とまとめていたのだが、それを横で眺める犬神零と椎葉桜子が、何かと口を挟んでくる。
「あれ? 警部補さんは召し上がらないのですか?」
手錠をされたまま、零は茶漬けを啜っている。実に器用である。
「事件関係者から供される飲食物は口にしない決まりだ」
赤松の代わりに喜田が答えた。
「なるほど、毒が入ってるといけませんからね」
言いながら、零は茶碗を空にした。
「……桜子君、君の言った『普通じゃない』とは、どういう意味かね?」
赤松が眉を寄せる。桜子はぬか漬けを口に入れ、ポリポリと良い音をさせながら答えた。
「私ね、何が嫌いって、蛇と雷ほど嫌いなものはないのよ。あんな恐ろしいもの、考えただけで鳥肌が立つわ。なのに、昨日の夜は、あんなに雷が凄かったのに、いつの間にか寝入ってたの」
「……それは、つまり……」
零は湯呑を覗き込む。
「睡眠薬を、盛られた気がします」
「何だと!?」
「さすがに昨夜は、横になるだけで眠らないつもりでいました。しかし私も、桜子さんと同じく、ぐっすり」
「…………」
赤松と喜田は顔を見合わせた。
「貞吉さんは、どんなお茶を飲まれたんですか?」
「寝る前の習慣で洋間に出されるほうじ茶の、下げた後の出涸らしを、亀乃君の目を盗んで急須から……」
「……多分、ほうじ茶の茶筒ですね。調べた方がいいですよ」
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