百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【肆】百合ノ宴

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 楽屋となっていた離れは、すっかり片付いていた。
「今日の舞台の支度に使うだけで、明日は使いませんので、どうぞこちらをお使いになってください」
 そこは、六畳と四畳半の続きの間だった。手前の六畳が控えの間で、四畳半が茶室として使えるようだ。
「祖父が道楽に建てたんですが、今は誰も茶の趣味がありませんので、お祭りの衣装部屋になってます」
 松子が顔を向けた、六畳の片隅に、長持がふた棹積んである。
 松子は、百合園を一望できるように配置された縁側の雨戸を閉めて、並んで座る零と桜子の前に畏まった。
「あの、何があったのでしょう?」
 足を崩して座り込んでいた零は、気まずそうに頭を搔いた。
「近頃、村に不審者が出るというのはご存知ですか?」
「はい、初江さんから聞いた事があります」
「そいつと思わしき男を見つけたんですが、逃げられました」
「あら……」
 松子は口を押さえた。
「そんな大捕物が」
「皆さんはご無事でしたか?」
「はい。銃声がしたので、来賓の警護の方が、皆様にお屋敷に入るようにと」
「……竹子さんと梅子さんは?」
「洋間に入るところを確認してから、お二人をご案内に行きました」
「夢子さんは?」
「大叔母も一緒に洋間にいました。幹事長様と警護の方もご一緒でしたから、下手に動けないと思います」
 すると、モジモジと桜子が口を挟んた。
「あの変質者、何者なの? まさか、夢子さんが雇った刺客とか?」
「いや、それはないでしょう。立ち振る舞いが素人すぎます」
「まぁ、そうね……。じゃあ、何者なの?」
「証拠はありませんが……」
 零は胡座をかいて腕を組んだ。
「まず、彼は正体がバレないよう、変装をしていました。帽子や眼鏡、付け髭などは、顔を隠す定番です。それから、興信所と名乗る割に、聞き込みが下手です。子供相手に、来住野家の悪評を探っていると明かしてしまっています。とても同業者とは思えません」
「うんうん」
「あとは、今日の様子。彼は、来賓席に近付こうとしていました。それから、拳銃を持っていた。そして、死んでも捕まってはならない立場だった。
 それらから察するに……」
 零は顎を撫でた。
「十四郎さんが帝国議会選挙に出馬する事で不利益を被る、対立候補の秘書、といったところではありませんか?」
「なるほどね。何とか政敵の弱みを握って優位に立ちたかった、と」
「左様。しかし、こんなスパイ紛いの行為がバレたら、有権者に対して悪印象この上ない」
「……だとしたら、野党の現職の、権藤議員という事になりますわ」
 松子が呟く。
「しかし、調べても無駄でしょう。絶対に白状しませんよ。それにこちらも、追求するだけの証拠はありません」
 その時、入口を叩く音がした。桜子が引戸を開くと、警官だった。
「石垣から飛び降りた不審者ですが、騒動の直後に、崖下から走り去った不審な車があったとの報告がありました」
「……とすると、やっぱり……」
「はい。逃亡を助ける協力者がいたという事ですね」
「今晩、引き続き警備をします。どうかご安心ください」
 松子は頭を下げた。
「ありがとうございます。……ですが、警備をして頂くのなら、正面の長屋門だけで大丈夫かと。裏門に向かうには、あの前を通らなければなりませんから。それに……」
 松子は戸から顔を出し、空を見上げた。雨雲の中で、稲妻が光っている。遅れて低く雷鳴が轟く。
「ひと雨きそうですわ。長屋門の見張り口を開いておきましょう。そうすれば、雨が降っても安心ですから」
「助かります」
 警官が去った後で、松子も立ち上がった。
「あまり席を外していると、父に怪しまれますわ。私はこれで失礼します。……後で亀乃に、お食事を持って来させます」

 ゴロゴロと響く遠雷を聞きながら、桜子は山側の小窓を覗いた。そこは坪庭になっており、庭石と何本かの木、そしてかわやへ向かう飛び石が配置されている。その向こうは、密集した薮だ。
「ねえ、今何時?」
「懐中時計などという洒落たものは持ち合わせておりません」
「役に立たないわね……」
 桜子は畳に脚を投げ出した。
「……とりあえず、今晩は無事に終わったわね」
「はい、何とか。しかし、油断はできません」
「確かにそうね。……でも、ここからじゃ、何もできないわね」
「確かに……」
 離れは、南向きに床の間と押し入れが配置され、東側の百合園が、ふたつの部屋を繋ぐ縁側越しに見られる造りになっている。出入り口は、六畳の北側に出っ張った形であり、その横と、薮に面した西側に小窓がある。
 つまり、雨戸を閉めてしまえば、屋敷の方角が全く見えない。
「舞台の楽屋を兼ねて、観客から中が見えないように、という造りなんでしょうけど、これは弱りましたね……」

 その時だった。
「ごめんくださいまし。お夕食をお持ちしました」
 少女の声がした。――下女の亀乃だ。
 桜子が戸を開くと、亀乃は二組重ねたお膳を持って、部屋に入ってきた。
「粗末なもので申し訳ございません。お口に合うと良いのですが」
 ふたつを向かい合わせに並べ、亀乃は頭を下げた。
「どうもありがとう。……あの、もし良かったら、少し話していかない?」
「も、申し訳ございません。旦那様に叱られます。それに、まだ仕事が残っていますので」
「そう、それはごめんなさいね」
「では、ひとつだけ頼まれてください。お膳を下げられる時で結構ですので、時間をお教え願えますか?」
「承知いたしました」
 亀乃は退がった。

 粗末とはいえ、握り飯に御御御付おみおつけ、煮物に香の物、どれも多摩荘の板前に負けないほど美味しかった。
「このぬか漬け食べた? こんな味を出せるぬか床は、なかなか作れないわよ」
「はい。この煮物も、味が染みていて絶品です」
「……でも、あんな待遇をされてまで、なんでこの屋敷で働いてるのかしら」
「彼女なりの事情がありそうですね」
「それに、これだけのお屋敷なのに、亀乃ちゃんと、最初に来た時案内してくれた、貞吉さんだっけ? その二人しか、使用人らしい人は見なかったし、話にも出ないのよね」
「あとは、初江さんと、出入りをしていると考えれば、ハイヤー運転手の柴田さんですか」
「さっきの初江さんの話だと、使用人用の別棟があったくらい、昔は使用人がいた訳でしょ? どんどん屋敷に出入りする人を減らしてる、とも思えるわね」
 桜子が御御御付けを啜ると、零がポカンと桜子を見つめた。
「桜子さん、鋭いですね」
「そ、そうかしら……」
 桜子は照れた様子でお椀を空けた。
「確かに、竹子さん梅子さんを外に出さないのと、使用人を最低限しか置かないのには、関係があるとも考えられますね」
「どんな関係?」
 零と桜子は顔を見合わせた。言葉にせずとも、二人には分かった。
 ――この屋敷には、隠さねばならない秘密がある――。

 しばらくすると、再び亀乃がやって来た。髪が少し濡れている。雨が降り出したのかもしれない。
 お膳を下げながら、彼女は言った。
「今のお時間は、九時五十分です」
「ありがとうございます。……皆様は、お帰りになられましたか?」
「はい。幹事長様は、お祭りが終わってすぐ。滝二郎様と咲哉様も、それから間もなく。信一郎様と夢子様は、しばらくご歓談されていましたけど、先程お帰りになられました」
 言いながら、亀乃は急須を載せたお盆を畳に置いた。
「お茶をお召し上がりください。その間に、お布団のご用意をしますので」
「あら、いいのよ。布団くらい自分でやるわ。そこの押し入れかしら?」
「はい、申し訳ごさいません」
 亀乃は急須から湯呑に茶を注ぎ、二人の前に置いた。
「……おや、ほうじ茶ですか」
「はい。旦那様が、寝る前にはほうじ茶が良いと仰いますので」
「旦那様は、寝る前にほうじ茶を飲まれるのですか?」
「はい。毎晩九時半に、ご家族で洋間に集まり、お茶を飲まれるのが日課です。旦那様、鶴代様、竹子様はほうじ茶を、梅子様は紅茶をお召しになります」
 依頼に来た時、竹子は言っていた。「紅茶は飲まない」と。それは、梅子の嗜好に対する当て付けかもしれない。零は思った。
「せっかくだし、亀乃ちゃんもいかが?」
「とんでもございません。使用人はお茶を飲む事を禁じられておりますので」
「随分と厳しいのね……」
 零と桜子は湯呑を空け、お盆に戻した。すると、大きな雷鳴が轟き、雨音が屋根を叩き出す。
「あら、ごめんなさい。引き止めちゃったから、雨が……」
「そんな事ございません。どうかごゆっくりお休みくださいませ」
 亀乃は深々と頭を下げた後、お膳を抱え、思い切ったように桜子を見た。
「――昨日は、助けていただき、ありがとうございました」
 そして戸を閉め、走り去った。

 ……結局、桜子が四畳半を、零が六畳を使う事になった。
 布団を敷いた後、縁側と小窓の雨戸を閉めた。そして、布団に入ったのだが、雨が屋根を叩く音が激しく、眠れそうにない。
「……襖は閉めないんですか?」
 零は隣室に目を向けた。四畳半と六畳の間の襖が、開け放たれたままなのだ。
「……雷が、嫌いなの」
 その時、近くの山にでも落ちたのだろう、小窓越しに激しい閃光と、地を揺らす轟音が響いた。桜子は反射的に布団を被った。
「……それにしても、前夜祭が終わるのを待ってたかのような雨ね。あの舞台、屋根がないから、もし雨が降ったらどうするのかしらと、気が気じゃなかったわ」
「私も気になって、先程、初江さんに聞いたんですけどね」

 ――天狗様のご加護があるから、お祭りには雨が降らないの。

「どんなに雨が降っていても、祭りの時だけは止み、祭りが終わると、待っていたかのように降ると。私からすれば、たまたまとしか思えませんが、そんな神秘的なところも、天狗信仰を支える理由かもしれませんね」
 ……桜子の返事はなかった。あんな風に言っておいて、眠りに落ちたようだ。確かに、今日は色々あった。疲れていても不思議はない。
 そんな桜子の姿に目を向けてから、零も瞼を閉じた。
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