百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【参】巡ル探偵

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 ――一方、椎葉桜子である。
 月原川を渡った東集落をうろつきながら、どうしたものかと思案していた。
 青梅街道を逸れ、北の山にある月原産業まで続く道が、通称「水川銀座」と呼ばれる、この村の中心である。
 大まかに青梅街道から順に建物を並べると、駐在所、診療所、まるいやをはじめとする商店、住宅地、村役場、学校、そして水川産業といった感じだ。もちろん、合間には田んぼや畑もある。
 桜子はそう派手な方ではない。どちらかと言えば、地味で目立たないと思っている。ところが、水川村となると、これが目立つのだ。細かい柄のワンピースに、低いヒールのサンダル、麦わらのクロッシェ帽という出で立ちは、村では類を見ない格好なのである。多くの人は、渋い柄のつむぎを着ていて、たまに見かける洋装も、いかにも普段着な緩いデザインのものだ。
 桜子は首を竦めながらも、どう村人と接触を持とうかと、周囲を観察した。……犬神零に大口を叩いた以上、手ぶらでは帰れない。
 店はどこも閉まっている。まだ時間が早いのだ。仕方なく、時間を潰そうと桜子は河原に出た。灰色の空を映した月原川は濁っているが、流れは穏やかで水面は凪いでいる。
 何となく子供の頃を思い出し、桜子は石を拾った。……平たい石の方が、よく飛ぶのよね。
 エイッと横向きに石を投げる。平たい石は、水面を滑るように何度も飛び跳ねた後、チャポンと波紋を残して消えた。
 ……昔はもっと飛んだはず。
 何度かそんな事をしているうちに、すっかり夢中になっていた。だから、
「あんた、何しとるんじゃ?」
と声を掛けられた時には、飛び上がるほど驚いた。そして――。
「アッ!」
 河原の石に足を取られ、桜子は尻餅をついた。河原はじっとりと水分を含んでいて、一張羅のワンピースはベチョベチョになった。
「嫌だ、もう……」
 泣きたい気分だ。それを見ていた声の主は、呆れた顔で桜子を眺めている。
 その横で、一歩下がって見ていた青年が、声の主の肩を小突いた。
「兄ちゃんが脅かすからだよ」
「そんな事言ったって、気になるじゃろ。真昼間から石を投げてる女なんて、普通じゃない」
 ――普通じゃない。その言葉が、桜子の気分にトドメを刺した。
 俯いて膝を抱えた桜子の様子に慌てた二人は、まあまあと慰めながらこう言った。
「おっ母ぁが近くで洋品店をやってるんじゃ。着替えを用意してやるから、泣くなよ」
「泣いてないわよ」
 口を尖らせ、桜子はようやく立ち上がった。
「……連れてって、その洋品店に」

 二人は新造しんぞう勝太かつたと名乗った。二人とも二十歳前後だろう。兄弟で父の畑仕事を手伝っている。村の商店に野菜を卸に行った帰りと、背負った大きな籠を見せた。鯉口シャツに作業ズボン姿が板についており、泥で汚れた長靴が、そのスタイルを完璧に仕上げていた。
「あんた、本当に何やってたんじゃ? 何か辛え事でもあったのか?」
 そう聞く新造の方が兄で、日焼けしてガッチリしている。
「……いや、全然。暇だったから」
「兄ちゃん、村の若い衆頭だから、困った事があれは相談しなよ。力になるよ」
 弟の勝太の方が細身だ。だが力仕事をしている逞しさはある。
「いや、だから暇だったんだって」

 案内された洋品店を見て、桜子は声を上げた。
「あっ、『まるいや』」
「そうじゃ。俺らのおっ母ぁがやってる店じゃ」

「……あらあら、そりゃあ大変だったね。こんなので良ければ、着てくださいな」
 少々小太りの女店主が、丸井家の嫁の丸井セツである。若い頃、洋裁を習った腕を生かし、日常着や小物を作って売っている。もちろん、オーダーメイドも受けるが、お洒落着という訳ではないので、数種類のサイズ展開で店頭販売しているものがほとんどだ。
「農作業の合間にミシンいじりを始めたら、楽しくってね。こうして店を開いたら、こっちが本業になっちまったよ」
 東京のデザイン性と違い、丈夫さと心地良さを追求した洋服は、村の婦人たちに好評なようだ。
 店内に吊るされた洋服は、どちらかというと地味だが、桜子の趣味には合った。中には、紬など着物地で仕立てたものもあり、それがなかなか渋くて斬新だ。
 さらには、長老の宗右衛門が作ったのだろう、竹細工の日用品も置いてあるから、洋品店というより雑貨屋の様相である。
 桜子は、花柄の浴衣地の前開きワンピースに着替え、くるりと回って丸井セツに見せた。
「これいいわ。袖を通した瞬間に、着心地がいいって分かるの」
「洋服は体格がいい仕立て屋に頼め、って格言があるのよ。どうしても、自分の体格を基準に作るからね。あたしみたいに太いのが作ると、ちょっと大きめだから、楽に着れるでしょ」
 なるほど、それも人気の理由かもしれない。
 セツの横で、新造と勝太が居心地悪そうにしていた。
「何ボンヤリしてるんだい。もう、綺麗なお嬢さんに慣れてないモンだから、緊張してるんだろ」
「ち、違うわい!」
 新造はそう言いながらも、顔を赤くしている。セツは構わず続ける。
「この子、根は真面目で優しい子なんだよ。でもね、歳が一回りも離れた妹がいて、ヨシコって言うんだけど、その子にもうデレデレで。いい歳なのに、困ったモンだよ」
 ――あー、若い者同士、あわよくばくっつけようっていうやつだわ。うちの両親がそうだったから、よく分かるわ。桜子は愛想笑いを浮かべつつ、心で思った。
 そして、ふと思い至って手をパチンと叩いた。
「あ! もしかして、多摩荘のサチコちゃんのお友達のヨシコちゃん?」
「そうそう。知ってるのかい?」
「はい、実は私、多摩荘でお世話になってて、昨日の夜、サチコちゃんに聞いたんです。――面倒見がいい、新造兄ちゃんの事も」
「あいつ、余計な事を」
 新造はますます顔を赤くする。
「この頃何かと物騒だからね。――妙な人を、たまに見かけるし」
「妙な人?」
 セツは桜子に、店の中央に置かれたテーブルを勧めた。常連客が居座る用の場所だろう。仕方ないといった様子で、新造と勝太も丸椅子に腰を下ろす。
「いやね、確か先月の終わりだったね。……あんたら、覚えてるかい? 感じの悪い男が尋ねて来たの」
「覚えてるさ。眼鏡に口髭の気取った男だろ」
「おっ母ぁが押し問答してる時に、俺らが店に来たんだよな。ひいひい爺さんの作った竹籠を届けに来たんだっけ」

 ――それは、六月二十九日の出来事だった。
 午前十時にまるいやを開店した丸井セツは、店の奥にある作業場で、ミシンを踏んでいた。その日は雨で、お客は見込めないから、むしろ、ミシンの作業に集中できた。
 ……と、入口の硝子戸にぶら下げた鈴が鳴った。来客の合図だ。
「いらっしゃい」
 作業の手を止め、店に出たセツは、奇妙な男と対面する事になった。
 レインコートに山高帽、眼鏡に口髭。ステッキ代わりにこうもり傘を持っている。村ではまず見ない服装だ。目深に帽子を被っているため、顔はよく見えないが、酷く痩せているのは分かった。水川産業のお客だろうか。
「何をご入用でしょう?」
 しかし、男は商品に見向きもせずこう言った。
「興信所の者だ。来住野家について調べている」
 ――怪しい。セツは直感的にそう思った。
 それに、濡れた傘を店に持ち込むから、床にポタポタと水が垂れているのも気に食わなかった。……その上、ひ弱そうだ。体格で負ける気はしない。
 そこでセツは、少々意地悪をする事にした。
 セツは黙って、男に手を差し出した。すると、男は戸惑った。
「何だ、この手は」
「人にものを聞く時には、渡すものがあるだろ」
 男は舌打ち混じりに財布を出し、一円札を一枚手に置いた。
「……は?」
「足りないのか」
 男はもう一枚置く。そこでセツは、大きく溜息を吐いた。
「あんたね、人にものを聞く時は、自分の身元を明かすのが礼儀だろ。名刺だよ、名刺!」
 男は動揺した。そして、財布の中を覗いて答えた。
「あいにく、名刺を切らしている」
「あんた、財布に名刺を入れるのかい? 名刺入れだろ普通」
 絶対におかしい奴だ。確信したセツは、両手を腰に当て仁王立ちした。
「あんたなんかに話す事はないね。帰っとくれ!」
「しかし……」
「ゴタゴタ言ってると、警官を呼ぶよ!」
 そこに入って来たのが、新造と勝太兄弟である。セツは息子たちに言った。
「とっ捕まえて、駐在所に連れて行きな!」
 そうなってはたまらない。男は兄弟の間をすり抜け、一目散に逃げて行った。

「――あん時の二円、また来たら突き返そうと思ってるけど、来ないねぇ」
 さすが、代々百姓代を任される家系である。お金の事はきっちりしている。
「それにしても……」
 桜子は呆れた。
「多分、興信所と偽って、情報を聞き出そうとしたんだろうけど、下手過ぎるわね」
「素人でもおかしいと思ったからね。その後、別の家にも行ったらしいけどさ、まあ、似たようなモンさ」
「それに、妙な人と言えば、新造兄ちゃんが声を掛けた、あの婆さんも」
「――あの、婆さん……?」
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