元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅱ.クニツクリの涙

(4)雷神ノ牙

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 ――その夜。
 寝静まったノノミヤ公爵邸を、トウヤはそっと抜け出した。
 タマヨとヒカルコの母君に宣言した以上、怪盗稼業も怠ってはならないと、道具を取りに行くためだ。

 天井裏を抜け、換気窓から顔を出す。光学迷彩マントをまとって庭木の隙間を抜けて、塀際の木から通りに飛び下りれば、抜け出すのは簡単だった。
 あとは、尾行の確認……。
 さすがに気付かれていないとは思いつつも、義眼のサーモグラフィーで周囲を確認しつつ、夜の街の屋根を走る。
 そして、マンセー橋の下の、彼だけが知る出入口からそっと入り、暗視モードで廃駅舎に向かった。

 ……全く変わりのない我が家に安心しつつ、裸電球を灯す。
 すると、マントの下からリュウがピョンと飛び出した。
「腹が減ったでアリマス」
「さっき金平糖を食べただろ」
「尾行がいないかずっと見てたでアリマス。サーモグラフィーは消費電力が激しいでアリマス」
「それで、どうだった?」
「いなかったでアリマス」

 と、リュウはテーブルによじ登ってトウヤを見上げる。
 苦笑しながら金平糖の瓶を転がしてやると、リュウは瓶の口に頭を突っ込んだ。

 その間に、トウヤは荷物をまとめる。
 ここにある道具のほとんどは、この世界に来てからトウヤが自分で作ったものだ。怪盗になると意を決してから、コツコツと材料を集め、リュウに知恵を借りながら道具を揃えた。
 とはいえ、用なしになった通信端末から流用したチップなどはこの時代では手に入らないため、一度紛失したら最後。怪盗ジュークにとって、手足に等しい道具ばかりだ。

 折り畳みドローンの動作を確認して風呂敷で包む。フロックコートを羽織り、特別製のポケットに細かい道具を納めていく。ついでに脳波ピアスを修理して工具もポケットに入れ、人のいた痕跡を消すために家具類を分解して、マンセイ橋の下の川に捨てる。

 ――そして、最後に残ったトランクを眺める。

 古物屋で買った、頑丈さだけが売りの傷だらけのトランク。
 この中には、これまでに盗んだ魔法石が入っている。雷神の牙だけではない。この世界に来てから手に入れた魔法石全てを収めてあるのだ……ヒカルコの予想通り。

 そのまま取っ手に手を掛け、だがトウヤは違和感を覚えた。
 その正体を、トウヤは目を細めて観察する――そして気付いた。

 ダイヤル錠がずれている。

 ダイヤルの桁は四桁。
 万一の場合に備え、いつも決まった数字にしておくのだが、今はその末尾の桁が、ほんの数ミリ上にずれているのだ。

「…………」

 慎重にダイヤル鍵を解錠する。
 そして中を見た瞬間、彼の全身から血の気が引いた。

「――ない」
「何がないでアリマスか?」

「雷神の、牙」

 漆黒の布を敷いた上に並べられた、色とりどり多数の魔法石の中央にだけ、拳一個分の隙間があるのだ。

「失くしたでアリマスか?」
「そんな訳ないだろ」
「なら……」

「――盗まれた」

 そう答えたトウヤの声は震えていた。
「ここに、誰かが入ったんだ」

 考えたくないが、そうとしか考えられない。
 しかし、なぜ雷神の牙だけを……?

 ここにある魔法石は、闇市場に出せば、どれも目玉の飛び出るような値が付くものばかり。トランクごと盗まれたのならまだ分かる。怪盗ジュークのアジトとして部屋を荒らされるのも理解できる。

 だが、そんな痕跡を一切残さず、トランクの中の雷神の牙だけを盗んでいったのだ――まるで初めからそれだけを狙っていたかのように。
 あれほど有名な魔法石は、逆に換金などできない。犯人の意図が彼には理解できなかった。

 だが今は、呑気に考えている場合ではない。
 身を伏せ、義眼を操作する。しかし、暗視モードにもサーモグラフィーにも何の反応もなかった。

「……畜生!」
 悔しさのあまり歯ぎしりする。
 誰にも使わせなくないから、盗んで隠しておいたのだ。それが再び世に出るとなると……!

「行くぞ、リュウ」
 すると彼は、口いっぱいに金平糖を頬張ってからトップハットの中に飛び込んだ。
 それを被り、風呂敷とトランクを手に取ると、トウヤは廃駅を飛び出した。

 ◇

 翌朝。
 朝食の席でトウヤは無言だった。
 雷神の牙を盗んだ犯人像を考えていて、一睡もできなかったのだ。

 ……疑いたくはないが、この家の誰かである可能性の検証をしてみた。だが、探偵選考試験から彼は隠れ家へ一度も戻っておらず、その上、試験に参加したのも偶然でしかないから、隠れ家を知っている可能性は限りなく低い。

 なら、テラダか?
 彼は優秀な魔法使いだし、頭も切れる。
 しかし、もし彼が犯人であるとすれば、性格的に、必ず何らかのアプローチをしてくるはずだ。

 となると、雷神の牙を盗まれたタジミ公爵の手の者……だが、ノノミヤ家の人々やテラダ以上に、彼らがトウヤの正体を見抜いたり、あの隠れ家を発見したりする可能性は低く思える。

 隣の駅の、風が吹き込む裂け目にたまたま入り込んだ人物か? いや、それなら雷神の牙だけを盗む理由がない。
 ならば、一体誰が……。

 思考は堂々巡りをして果てがない。
 ぼんやりとパンをかじっていると、タマヨに呼ばれた。
「エンドー様」
「あ、はい」
「どうなさいましたか? 何度もお呼びしましたけど」
「すいません、ちょっと考え事を……」
「お体の具合がお悪いのでなければ結構です。本日、お嬢様がアフタヌーンティーをご一緒にと仰せですので、お忘れなく」

 ◇

 今日のアフタヌーンティーはサンルームだった。
 体幹トレーニングも含め、色々な用途で使われるようだ。

「タマヨに聞いたわ。何かお困りの事がおありなの?」
 ヒカルコは小首を傾げる。
「あ……いや……そんな大した事じゃ」
 紅茶に角砂糖をいくつか落として一気飲みする。すると、溶け残った砂糖がジャリッと口に入り、不快さに眉をひそめた。
 そんなきっかけでも気分転換になるようで、トウヤはややスッキリした頭で考えた……ヒカルコなら、魔法石に詳しいだろう。

「ちょっと聞きたいんだけど、雷神の牙って、そんなに特別なものなの?」
 ……考えた割にどストレートである。やっぱり今日はダメかもしれない。

 しかしヒカルコは疑う様子もなく答えた。
「雷神の牙が、っていうより、各属性の最強の魔法石が、とても特別なものなの」

 彼女はミルクティーにビスケットを浸す。
「『五貴石』と呼ばれる、それぞれの属性の最強魔法石は……」

 火属性が『火産の首カグツチのくび
 水属性が『天竜の涙クニツクリのなみだ
 風属性が『嵐勇の剣スサノオのつるぎ
 雷属性が『雷神の牙タケミのきば
 土属性が『地母の要ナイのかなめ

「これらの魔法石はとても大きくて、特別な戦杖でないと使えないの。でも付けっぱなしだと置き場に困るから、普段は外して専用金庫に入れてるって、お父様が言っていたわ」
「杖ごと飾ってあるパターンもあるけどな」
「……え?」
「あ、いや、何でも……で、その続きは?」
「それらの魔法石の特別なのは、大きさやその魔力だけじゃないの」
「というと?」

「――五貴石の力を合わせると、とんでもない事が起こるのよ」

「どんな?」
「詳しくは知らないけどね、かつて、英国海軍が率いる連合艦隊を撃破したのはそれだったとか」

 トウヤはゾクッとした。
 恐らく、天変地異レベルの効果を発揮するのだろう。

「でも、五貴石だけでは効果がなくて、要となるモノに取り付ける必要があるの。それが……」
 ヒカルコは、ミルクティーでふやけたビスケットを示す。

天照オオヒルメ宝鏡かがみ――光属性の、五貴石の力を合わせるためだけに存在するもの。帝城で最も重要な宝物とされているわ」

 トウヤはゴクリと唾を呑む。
「な、なんか、凄そうなのは伝わった」
「とは言っても、誰も実物を見た人はいないんだけどね」
 と、ヒカルコはパクリとビスケットを口に入れる。
「……だけどね、その力に恐れをなしたのは、連合艦隊だけじゃなかった」

 彼女は次のビスケットを手に取って、半分に割ると片方をミルクティーに浸した。
「ヒノモトの国内でも、イザナヒコ一人にそれだけの力を集中させておくのは危険だという風潮になったのね。そこでまず、僧侶たちが集まって、魔法の力を弱める呪いを掛けた魔法石を作って献上したの」

 ヒカルコは、ビスケットの上にイチゴを乗せる。
「それが、文殊の白毫――天照の宝鏡と合わせて『双宝』とも呼ばれているわ」
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