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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ
(30)侍女ノ矜恃
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……公爵も人が悪い。
馬車の座席に身を預け、トウヤはため息を吐いた……まさか密偵に尾行されていたとは。
ヒカルコとのデートに夢中で油断があったのは否定できないが、こちらも怪盗、身に付いた索敵能力は常に発揮している。その彼にして、一切気配を感じ取れなかった。彼らの腕前がここまでとは……いや、だんだん腕を上げてきていないか?
だが彼らの動きのカラクリは、ヒカルコの告白によって明らかになった。
「あなたに謝らなきゃいけないの」
と、彼女は上目遣いでトウヤを見る。
「実は出かける前、タマヨに言っちゃったの。ついて来ないでねって」
……つまり、お忍びのアサクサ見物は、家人みんなに筒抜けだったのだ。
「初めてだったから、こうして出かけるの。嬉しくて、つい……。さっきの拳銃もね、いざという時のお守りに持って行った方がいいって、タマヨが」
トウヤは引きつった笑いを浮かべるしかない……タマヨが言った「いざという時」の対象は、彼の事に違いないのだから。
「それじゃ、やはりアレは俺が持っているべきだな。これからは、君を守るのは俺なんだから、ハハハ……」
タマヨの思惑以上に、弾を使い切ったのがバレてしまうから、返す訳にはいかない。
不自然な笑顔でそう言うと、ヒカルコは、
「そ、そうよね。あなたが私を守ってくれるんだものね……」
と、慌てた様子で窓に顔を向けた。
それにしても……と、トウヤは御者台のタチバナに目を移す。この密偵部隊の指揮官、今は素知らぬ顔をしてはいるが、トウヤの動きをどこまで捕捉していたのだろうか。油断禁物だ。
馬車は夜のトーキョーを走り、アカサカのノノミヤ公爵邸の門を入る。
車から降りたヒカルコを待っていたのは、親衛隊の面々である。
四人の侍女は玄関前に整列すると、
「お帰りなさいませ、お嬢様」
と深く頭を下げた。
「ただいま。よく待っていてくれたわね、ありがとう」
……なるほど、彼女たちに黙っていた方が大変な事になる恐れがあった訳だ。
トウヤは冷や汗を拭った。
それから、ヒカルコと二人、公爵へ謝罪に向かったのだが……。
書斎で待っていた彼は、
「侍女がいなければ何もできないヒカルコが、こんな冒険をするとは。いやはや、娘の成長に驚いているよ」
と笑った。
「お父様、酷いわ。私だって……」
「なら、無闇に彼を困らせない事だ。足を見せなさい」
すでに彼女の歩き方から見抜いていたようだ。公爵は娘の傷をあっという間に治した。
「アサクサはどうだった?」
「とても楽しかったわ。特に、ソーダ水とダンスホールが……」
と言ってから、ヒカルコは表情を改める。
「少し、騒ぎに巻き込まれてしまって。お父様のご迷惑になる事があるかもしれないわ」
「私の力不足です。申し訳ございません」
トウヤが頭を下げると、公爵は軽く手を挙げる。
「その件は、既に憲兵と話がついている。『怪盗ジュークにしてやられた』と陛下に報告するか、事故という事にするか、どちらを選択するかと」
何と頼もしい味方だろうか。
この公爵を絶対に敵に回してはならないと、トウヤは思った。
「おまえが楽しめたのなら良かった。しかし、次にダンスホールに行く時は、貸し切りにする事だ」
そう朗らかに言う公爵のこめかみがピクリと引きつったのを見て、トウヤは
「本ッ当に、申し訳ございませんでしたッ!!」
と、深々と頭を下げた。
◇
ヒカルコと別れ、使用人区画の自室。
疲れ果てた体をベッドに横たえたところに、リュウがやって来た。
そして、彼の目の前に弾丸と薬莢を吐き出す。
「数えるでアリマス」
弾丸や薬莢から、発砲された拳銃が特定されるのを防ぐ目的だ。二十二世紀では当たり前の作業だったから、その癖でリュウが仕事をしてきたのだ。
しかし、ここは武器の禁止された世界。拳銃を持っているところがバレた時点でアウトだから、あまり意味はないだろう。
「明日な……今日は疲れたよ」
トウヤはそう答えて目を閉じる。
しかしリュウが動く気配がない。
薄く目を開けると、彼は意味深な目でじっとトウヤを見ていた。
「なんだよ?」
すると、リュウは言った。
「なぜチューをしなかったでアリマスか?」
ゴフッ……と、トウヤは意味もなく咳き込む。
「ずっとトウヤの帽子に隠れて見ていたでアリマス。ニンゲンは、ああいう時にはチューをするものでアリマス」
……まさか、そんな距離で見られていたのか――!
軽く発狂しそうになり、トウヤは枕に顔を伏せた。
「言うな、リュウ、それ以上言うと俺は……」
「好き同士なら、チューすればいいでアリマス」
「このクソヤモリ!」
トウヤはリュウの首根っこをつまんで吊るし上げる。
「いいか、俺は怪盗だ。ヒカルコさんを騙すためにここにいるんだ」
「けれど、それではトウヤの心が痛いでアリマス」
ジタバタと短い手足を動かすリュウに、トウヤは何も言えない。
しばらく白い腹を眺めていたが、やがて力なくシーツに置いた。
「怖いんだよ」
「何がでアリマスか?」
じっと彼を見上げるリュウの頭を、トウヤは指先でポンポンと撫でる。
「彼女の純真さが、怖いんだ……俺はこのまま、ここから消えるべきかもしれない」
◇
――その翌日。
恒例の朝食ミーティングでトウヤは大あくびをした……昨夜遅かった上に、使用人として早起きしなければならない。毎日これだとなかなかキツい。
だが、同じくヒカルコを迎えたはずのタマヨは平然としていた。
「お嬢様はお疲れのため、午前中のトレーニングはお休みになられます。午後からは、エンドー様とのミーティングをご希望されておりますが、いかがでしょう?」
と確認を振られ、トウヤは答える。
「お、俺は構いません。ヒマしてますし」
「なら、そうお伝えいたします」
ミーティング? 何をする気なのか?
トウヤは思った。
――その後の事。
タマヨに呼び止められ、トウヤは振り返った。
「何か?」
「午前中、お付き合いいただきたいところがございます」
……と、例の袴姿に着替えたタマヨと都鉄で向かったのは、とある教会。
鎖国をしているとはいえ、国交のあるわずかな国の商人などは、ごく少数ながら住んでいる。
そんな彼らのための教会だ。
ゴシック調の聖堂の横の径を裏手に進む。
するとそこは墓地になっていた。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園に並ぶ、十字架の間を抜けた先。
奥の院に並んだ墓のひとつで、タマヨは足を止めた。
「ここは……?」
訝しむトウヤに、彼女は答えた。
「公爵様のご夫人……ヒカルコ様のお母上様のお墓です」
馬車の座席に身を預け、トウヤはため息を吐いた……まさか密偵に尾行されていたとは。
ヒカルコとのデートに夢中で油断があったのは否定できないが、こちらも怪盗、身に付いた索敵能力は常に発揮している。その彼にして、一切気配を感じ取れなかった。彼らの腕前がここまでとは……いや、だんだん腕を上げてきていないか?
だが彼らの動きのカラクリは、ヒカルコの告白によって明らかになった。
「あなたに謝らなきゃいけないの」
と、彼女は上目遣いでトウヤを見る。
「実は出かける前、タマヨに言っちゃったの。ついて来ないでねって」
……つまり、お忍びのアサクサ見物は、家人みんなに筒抜けだったのだ。
「初めてだったから、こうして出かけるの。嬉しくて、つい……。さっきの拳銃もね、いざという時のお守りに持って行った方がいいって、タマヨが」
トウヤは引きつった笑いを浮かべるしかない……タマヨが言った「いざという時」の対象は、彼の事に違いないのだから。
「それじゃ、やはりアレは俺が持っているべきだな。これからは、君を守るのは俺なんだから、ハハハ……」
タマヨの思惑以上に、弾を使い切ったのがバレてしまうから、返す訳にはいかない。
不自然な笑顔でそう言うと、ヒカルコは、
「そ、そうよね。あなたが私を守ってくれるんだものね……」
と、慌てた様子で窓に顔を向けた。
それにしても……と、トウヤは御者台のタチバナに目を移す。この密偵部隊の指揮官、今は素知らぬ顔をしてはいるが、トウヤの動きをどこまで捕捉していたのだろうか。油断禁物だ。
馬車は夜のトーキョーを走り、アカサカのノノミヤ公爵邸の門を入る。
車から降りたヒカルコを待っていたのは、親衛隊の面々である。
四人の侍女は玄関前に整列すると、
「お帰りなさいませ、お嬢様」
と深く頭を下げた。
「ただいま。よく待っていてくれたわね、ありがとう」
……なるほど、彼女たちに黙っていた方が大変な事になる恐れがあった訳だ。
トウヤは冷や汗を拭った。
それから、ヒカルコと二人、公爵へ謝罪に向かったのだが……。
書斎で待っていた彼は、
「侍女がいなければ何もできないヒカルコが、こんな冒険をするとは。いやはや、娘の成長に驚いているよ」
と笑った。
「お父様、酷いわ。私だって……」
「なら、無闇に彼を困らせない事だ。足を見せなさい」
すでに彼女の歩き方から見抜いていたようだ。公爵は娘の傷をあっという間に治した。
「アサクサはどうだった?」
「とても楽しかったわ。特に、ソーダ水とダンスホールが……」
と言ってから、ヒカルコは表情を改める。
「少し、騒ぎに巻き込まれてしまって。お父様のご迷惑になる事があるかもしれないわ」
「私の力不足です。申し訳ございません」
トウヤが頭を下げると、公爵は軽く手を挙げる。
「その件は、既に憲兵と話がついている。『怪盗ジュークにしてやられた』と陛下に報告するか、事故という事にするか、どちらを選択するかと」
何と頼もしい味方だろうか。
この公爵を絶対に敵に回してはならないと、トウヤは思った。
「おまえが楽しめたのなら良かった。しかし、次にダンスホールに行く時は、貸し切りにする事だ」
そう朗らかに言う公爵のこめかみがピクリと引きつったのを見て、トウヤは
「本ッ当に、申し訳ございませんでしたッ!!」
と、深々と頭を下げた。
◇
ヒカルコと別れ、使用人区画の自室。
疲れ果てた体をベッドに横たえたところに、リュウがやって来た。
そして、彼の目の前に弾丸と薬莢を吐き出す。
「数えるでアリマス」
弾丸や薬莢から、発砲された拳銃が特定されるのを防ぐ目的だ。二十二世紀では当たり前の作業だったから、その癖でリュウが仕事をしてきたのだ。
しかし、ここは武器の禁止された世界。拳銃を持っているところがバレた時点でアウトだから、あまり意味はないだろう。
「明日な……今日は疲れたよ」
トウヤはそう答えて目を閉じる。
しかしリュウが動く気配がない。
薄く目を開けると、彼は意味深な目でじっとトウヤを見ていた。
「なんだよ?」
すると、リュウは言った。
「なぜチューをしなかったでアリマスか?」
ゴフッ……と、トウヤは意味もなく咳き込む。
「ずっとトウヤの帽子に隠れて見ていたでアリマス。ニンゲンは、ああいう時にはチューをするものでアリマス」
……まさか、そんな距離で見られていたのか――!
軽く発狂しそうになり、トウヤは枕に顔を伏せた。
「言うな、リュウ、それ以上言うと俺は……」
「好き同士なら、チューすればいいでアリマス」
「このクソヤモリ!」
トウヤはリュウの首根っこをつまんで吊るし上げる。
「いいか、俺は怪盗だ。ヒカルコさんを騙すためにここにいるんだ」
「けれど、それではトウヤの心が痛いでアリマス」
ジタバタと短い手足を動かすリュウに、トウヤは何も言えない。
しばらく白い腹を眺めていたが、やがて力なくシーツに置いた。
「怖いんだよ」
「何がでアリマスか?」
じっと彼を見上げるリュウの頭を、トウヤは指先でポンポンと撫でる。
「彼女の純真さが、怖いんだ……俺はこのまま、ここから消えるべきかもしれない」
◇
――その翌日。
恒例の朝食ミーティングでトウヤは大あくびをした……昨夜遅かった上に、使用人として早起きしなければならない。毎日これだとなかなかキツい。
だが、同じくヒカルコを迎えたはずのタマヨは平然としていた。
「お嬢様はお疲れのため、午前中のトレーニングはお休みになられます。午後からは、エンドー様とのミーティングをご希望されておりますが、いかがでしょう?」
と確認を振られ、トウヤは答える。
「お、俺は構いません。ヒマしてますし」
「なら、そうお伝えいたします」
ミーティング? 何をする気なのか?
トウヤは思った。
――その後の事。
タマヨに呼び止められ、トウヤは振り返った。
「何か?」
「午前中、お付き合いいただきたいところがございます」
……と、例の袴姿に着替えたタマヨと都鉄で向かったのは、とある教会。
鎖国をしているとはいえ、国交のあるわずかな国の商人などは、ごく少数ながら住んでいる。
そんな彼らのための教会だ。
ゴシック調の聖堂の横の径を裏手に進む。
するとそこは墓地になっていた。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園に並ぶ、十字架の間を抜けた先。
奥の院に並んだ墓のひとつで、タマヨは足を止めた。
「ここは……?」
訝しむトウヤに、彼女は答えた。
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