元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

文字の大きさ
上 下
31 / 61
Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(29)光ノ聖女

しおりを挟む
 身を屈めて小さくなるトウヤの肩に、リュウが這い上がった。
「助っ人を連れて来たでアリマス」
「なんでアイツなんだよ。他に誰かいただろ」
 と彼は小声で抗議をするが、リュウは平然と答えた。
「これでも苦労したでアリマスよ。ヤモリの誘いに乗ってくるような酔っ払いは、彼しかいなかったでアリマス」

 ……まぁ、怪盗ジュークの名を出せば、あいつならヤモリにだってついて来るだろう。

「そりゃそうだけど……助っ人ってより、アレは敵だろ」
 とボヤきつつ、だがトウヤはふと思った。
 ……リュウの判断は間違っていないかもしれない。この男、こう見えてかなり優秀な魔法使いだ。もしかしたら、上位の治癒魔法も使えるんじゃないか。

 そこで、トウヤはリュウの腹を喉に当てた……簡易変声器だ。
「お兄さん! いいところに来たよ。そこの人に治癒魔法を掛けてくれないか?」

 すると、テラダは「ん?」と、手杖を懐中電灯にして被害者に歩み寄る。そして大袈裟に眉根を寄せた。
「あー、おまえら低位の治癒魔法をやっただろ。深い傷にはこれじゃいけねえんだ。ここは俺に任せとけ。今は無職だが、これでも魔法学校を主席で……」
 まぁ、ヤモリにそそのかされるくらいだ。かなり酔っているらしい。トウヤは急かす。
「そんなのいいから早くして」
「お願いします!」
 被害者の彼女にすがられて、テラダは満更でもない顔を浮かべて手杖を肩にポンポンと当てる。

「いいか、こういう時には傷口を塞ぐよりもっといい方法がある。それは――時を戻す! この男の時間を怪我をする前まで戻してやればいい。怪我をしたのはどのくらい前だ?」
「四十分か、五十分くらい前かと」
「フン、なら念のため一時間としよう。その代わり、その一時間の記憶もなくなるがな。それでもいいか?」
「構いません! 全然構いません!」
「よし、じゃあやるぞ……」

 アサギは大袈裟な動きで杖を伸ばし、妙なポーズで杖の先を被害者に向けた。

「――至劫逆空シゴウギャックウ!」

 その途端、被害者の周囲の空間がひずんだ。周囲の人々が息を呑む。

 闇属性の上位の補助魔法。壊れたものを直す時などにも使うが、コストの割に効果が見合わないため、あまり使われる場面はない。
 しかし……と、トウヤは舌を巻く。雷属性の攻撃魔法だけでなく、こんなレア魔法も使いこなすとは、やはりタダモノではない。

 被害者の姿がブレる。まるで映像を十倍速で早戻ししているような感じだ。
 しばらくしてそれがピタリと止まると、被害者は何事もなかったかのように起き上がった。

「……あ、あれ……? 俺、なんでこんなところで寝てるんだ? それに、みんな、どうした……」
「カッちゃーん! 良かった、本当に良かった――!」
 彼女に抱き付かれた男は、ポカンとして戸惑っている。

「良かったわ」
 いつの間にか隣に来ていたヒカルコが呟いた。
「これで治ってくれなかったら、私、一生後悔するところだった」
 と涙ぐんでいる。彼の蘇生に関わった事で、平常心を取り戻したようだ。トウヤは彼女の肩に手を置き微笑んだ。
「それは、君が責任を感じるところではないと思うよ――さぁ、俺たちのいる理由はなくなった。早く帰ろう」

 ……とにかく早く、テラダから離れたかったのだ。
 トウヤはヒカルコの腕を引いて歩き出す――が。

 すぐに憲兵の壁に止められた。
 彼らの一人が、傷付いた手を押さえながらヒカルコに杖を向ける。
「隊長を蘇生しろ」

 すかさず、トウヤはヒカルコの前に出る。
「それは無理な相談だ」
「勘違いするなよ。貴様らの命運は我々が握っているのだ。隊長を蘇生させれば、ミソギを助けたを見逃してやる。だが、もし断れば……」

 ミソギを助けた罪で、処刑される。

「もちろん、そこにいる者共と、後から来た酔っ払いも同様だ。選択の余地は与えてやった。どちらを選ぶ?」
 姑息こそく極まる隊長のやり方を見ているから、部下もこうなのだ。
 トウヤは何か言い返そうとするが、だが先にヒカルコが答えた。

「誰がその方を蘇生しないと言いまして?」

 ギョッとして振り返るが、ヒカルコは平然としていた。
「全ての人を平等に癒すのは、光属性を習得した者の務めです。今、その方の蘇生に向かおうとしていたところよ。道を開けなさい」

 ちょうどその時。
 ようやく気付いたのか、バンドマンたちが舞台照明を復活させた。
 スポットライトを背景に佇むヒカルコは、まるで聖女のように神々しい。

 威厳すら漂う彼女の姿に、憲兵もたじろいだ。
「よ、よろしくお願いします……」

 そして彼女は隊長の前に立つ。
 ……こめかみを撃ち抜かれた彼の傷は、そこまで大きなものではない。しかも運良く貫通したため、弾を取り出す措置も不要だ。

 そんな隊長に杖を向け、ヒカルコは意識を集中する。そして、杖の先に集めたプラズマの球を隊長の心臓に落とした。
「フガッ!」
 隊長は意識を取り戻した途端、叫び声を上げた。
「頭が! 頭がアアア!!」

 ……まぁ、死ぬほど痛いだろうな。
 トウヤは少しだけ同情した。

 すると憲兵が、今度はテラダを呼び付ける。
「さ、さっきのやつを隊長にやれ!」

 しかし、プライドの高い彼はその言い方が気に入らなかったのだろう。
「悪ィな。あれがやれるのは一日一回までだ」
 と、プイと外を向く。
「おまえさんたち、そんな立派な杖を持ってるじゃねえか。魔法学校を優秀な成績で出てるんだろ、ン?」
 テラダに言われ、憲兵たちは顔を見合わせた。そして……
「む、ムスビ!」
 とバラバラに呪文を唱え始めた。
 人を傷付ける事しか知らない彼らは、人を助ける手段など持ち合わせていないのだ。

「……さて帰るか。飲み直すぞ」
 テラダが扉に向かって歩き出すのを合図に、ホールにいた人々も出口に向かう。
「ヘッ、いいモンを見せてもらった。兄ちゃん、今晩は奢るぜ」
 と、彼と連れ立って行く者もいる。

 そんな彼の後ろ姿を眺めながら、トウヤは胸を撫で下ろした……怪盗ジュークの事を忘れてくれて助かった……。

「私たちも行きましょ」
 ヒカルコに促され、二人は外に出る。

 すると、憲兵の誰かが呼んだのだろう、援軍が駆け付けてきたところだった。狭い通りを軍馬が埋めている。
 だが、野次馬に混じってしまえば、彼らも二人を追えはしない。
 とはいえ、なんとなく逃げ足になって、二人は煌めく通りを走りだした。

 自然と笑いがこぼれる。
「アハハ、あの隊長、どうなったかな」
「応援の人が何とかしてるわよ。それにしても……」
 と、息を弾ませたヒカルコが言った。

「怪盗ジュークを、殺人者にしないで良かった」

 トウヤはドキッとして足を止める。
「もしかして、隊長を蘇生させたのはそれが目的?」
「もちろん、それだけじゃないけど……私、彼には義賊であって欲しいの。私を助けてくれたんだもの」

 トウヤの心に、隊長が生き返った事で激しく安堵した部分は確かにあった。
 しかし同時に、彼女が彼の虚像である「怪盗ジューク」に好意的な態度をすると、何かがモヤモヤする……。

 そんなモヤモヤを振り切るように、彼はヒカルコの手を取った。
「こんな時間に帰ったんじゃ、公爵様に叱られないか?」
「あら、あなたも一緒に謝ってくれるんでしょ?」
「これは参ったね……」

 二人はアサクサを離れ、すっかり人通りの途切れた通りを歩く。
 灰色の路地に、街路灯がふたつ並んだ影を長く落とす。
 路面電車の終わった通りに流れる時間は、驚くほどゆっくりだ。

「アカサカまで歩ける?」
「ちょっと足が痛いけど……」

 見ると、履きなれない靴で歩いたせいで、ヒカルコの足は傷だらけだ。
「これはいけない。治癒魔法は?」
「だから、できないのよ。いつもタマヨがやってくれるもの」
「それじゃあ仕方ないな……さぁ、乗って。おんぶするから」
 トウヤが背中を出すと、彼女は激しく首を横に振った。
「そそそんな、はしたないわ!」
「背に腹はかえられぬ、だろ」
「無理! 絶対に無理ッ!!」
「なら……」

 トウヤは彼女の体をすくい上げる。
 お姫様だっこで抱え上げられたヒカルコは、慌てて彼の首に手を回した。
「ちょ……ちょっと! 余計に無理! 無理だから!」
「何も無理じゃないさ。ほら、この通り」
 街路灯の下でくるんとステップを踏む。するとヒカルコは短く悲鳴を上げて彼にしがみ付く。
「無理なの! 私が無理なの!」
 トウヤの肩に顔を伏せる彼女はしばらく足をバタつかせていたが、そのうち諦めたように囁いた。

「……嬉しい」

 ――その途端、心臓を撃ち抜かれたような動揺が、トウヤ全身を走った。
 彼女の信頼を得る事が目的であったはずなのに、いざ手応えを得ると、どうしてこうも痛いんだ……。

 それを誤魔化すように手に力を込める……そう言えば、肩の怪我はまだ治っていない。きっとその痛みだ。
 果たしてアカサカまで持つだろうか……。

 そんな時、通りの先から馬車の音が近付いてきた。その扉にノノミヤ公爵家の紋章があるのを見て、カイトは青ざめた。
 足を止めた彼の前に、馬車が横付けになる。そして下車して一礼した御者を見て、全てを悟った。

「お嬢様、お迎えに上がりました」
 扉を開けた御者は、密偵のタチバナだった。
しおりを挟む

処理中です...