元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(24)アサクサ狂想曲

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 ――そして、きっちり三十分後。
 ノックの音に、ヒカルコは慌てて扉に向かう。
 すると、執事の格好をしたトウヤが袋を差し出した。
「これに着替えて」

 ……手早く着替えて扉を開けたヒカルコは、羞恥心を誤魔化すために口を尖らせた。
「じ、侍女の格好など初めてしたわ」
「そう? 似合ってるよ」
 そう言って、トウヤはヒカルコの手を引く。
「見付かる前に、早く行こうぜ」

 そして、屋敷の中を縫うように進んでいく。
 聞けば、掃除係が立ち入り禁止にするの場所を選んでいるそう。
「すぐに立ち入り禁止になると分かってて、わざわざ来るヤツはいないだろ? けれど、掃除が始まってしまったら逆に目立つ。今この時、この屋敷で一番人目につかない場所なんだよ」
「な、なんでそんな事を考え付くの?」
「細かい事は気にすんなって」

 そして、厨房を抜けて勝手口から堂々と外に出る。
 途中、下ごしらえをする調理人に見られたが、普段調理場から出る事のない彼らは、ヒカルコの顔を見ても誰だか分かっていないようだった。

 その先の通用門。
 正門や裏口と違って、厨房関係者のみが出入りする場所で、直接庭と繋がっていない。
 ……そして、御用聞きが勝手に入ってきたりもする。

「こんちゃー」
 ちょうど八百屋の前掛けをした小僧が、野菜を積んだ自転車を押してやって来た。
「中に人がいるから、聞いてくれる?」
「了解っス。毎度ありー」

 ……こうして、いとも易々と屋敷を抜け出したヒカルコは、少し行った路地で胸を押さえた。
「心臓が……ドキドキして……飛び出そうだったわ……」
「まだそれは早いよ」
 トウヤはそう言って振り返る。
「これからワクワクしなきゃならないんだから、しまっておかないと」
 と、先に立って歩きだす。通りを見渡し、何かを探しているようだ。
「何を探しているの?」
「ここから先に行くのに必要なもの……あ、やっぱりあった」
 
 トウヤに連れられて行ったのは、辻でリヤカーを引く古物ふるもの屋だ。
 ヒカルコは知らなかったが、昼間の高級住宅街には必ずといっていいほどいて、屋敷を巡りながら古道具や古着を買い取り、低階層が住む街に売りに行くらしい。
 この日もリヤカーには、古い道具やカバン、古着などが積み重なっていた。

「ちょっと見せてくれないか?」
 トウヤが呼び止めると、主人は愛想良く揉み手をした。使用人が普段着を買いに来る事も珍しくないのだ。

「そうだね……これなんか似合うんじゃないかな?」
 と、彼はヒカルコにブラウスを広げて見せる。
「な、何でもいいわ」
 生地から選んで仕立てる服しか知らないヒカルコは、どう選んでいいか分からないから、任せるしかない。トウヤは古着をいくつか見繕って購入し、
「じゃ、次のミッションだ」
 と、再び歩きだす。

 彼が向かったのは、街の外れの寂れた神社。
 その拝殿の戸を開けて、
「着替えてきて」
 と言うものだから、ヒカルコは思わず声を上げた。
「ば、バチ当たりだわ。それに……誰か来たらどうするのよ……」
「俺が見てるから大丈夫だって。それとも、俺が信用できない?」
「そ、そんな事はないけど」

 ……仕方なく、祭壇に手を合わせてから手早く着替える。
 そして戸を開けると、トウヤは既に着替えていた。

「執事と侍女じゃ、少し街を出れば浮いてしまうからな」
 と言って何食わぬ顔で歩きだしたトウヤは、ニットベストに柄物のズボンに鳥打とりうち帽。労働者階級が好みそうな格好だ。

 一方ヒカルコは、神社の境内から出られない。
 大きなリボンの付いたブラウスは許せるとして、体の形に沿ったシルエットのフリフリしたスカートが、気恥しくてたまらないのだ。
「どうしたの?」
 ついて来ないヒカルコをカイトが振り返る。
「こ、このお洋服……少し品がないのではなくて?」
「そうかなぁ。可愛いよ」
「か、か、可愛い――!?」
 ヒカルコの顔に血が上る。
「かか可愛いなんて言葉は、子供に向けるものでしょう?」
「誰に向けてもいいんだよ――守りたいって意味だから」

 そこからヒカルコは、どうやって停車場へたどり着いたのか覚えていない。頭が真っ白になって、どんな顔をすればいいのかすら分からなくなった。

 気付けば、都鉄のステップから
「足元に気を付けて」
 と手を差し出されていて、彼女はそれに手を置いた。
 引っ張り上げられた車内は、労働者階級の者たちで埋まっていた。
「あーちょっとごめんねー」
 トウヤはそう言いつつ、ヒカルコを奥へ引っ張っていく。そして見付けた座席の隙間に彼女を引き込んだ。
 前に立つ彼に、ヒカルコは尋ねる。
「ねぇ、どこへ行くの?」
「ソーダ水と活動写真があるところ」

 ――そして、降りたところはアサクサだった。
 数々の劇場が立ち並び、鮮やかなのぼりと看板と行き交う人で眩暈めまいがしそうだ。

 埃っぽい通りを並んで歩く。
「ロンドンにはこんな場所があるのかい?」
「知らないわ。馬車で行けるところしか行った事がないもの」

 ……それにしても、人が多い。トーキョーにこんなに人がいるなんて知らなかった。
 ヒカルコは少し行くと、人混みに酔ってしまい足を止めた。
「少し休憩しようか?」

 と、トウヤに連れられて行った先は、パーラー。
 丸テーブルの並んだ一角に腰を落ち着けると、派手な着物にエプロンをした女給がやって来た。
「ソーダ水で」
 カイトが注文するのを聞きながら、ヒカルコはテーブルに置かれたおしぼりで額を冷やす。
「こ、こんなごちゃごちゃしたところだなんて聞いていないわ」
「トーキョーじゃ、これが普通だぜ?」

 間もなく、グラスが運ばれてくる。
 足つきグラスに氷と緑色の透明な液体、その上にアイスクリンとサクランボが乗っている。
「こ、これはどうやって頂くの?」
「ストローで吸うのさ……こうやって」
 トウヤがやって見せる。それを真似てみた途端、喉の奥に思い切り冷えた液体が飛び込んできて、ヒカルコはむせ返った。
「……酷い! こんな難しいものを注文しないで」
「何も難しくなんかない。もう一度、ゆっくり……」

 言われて仕方なく試してみる。すると今度は、ほんのりアイスクリンのまろやかさの混じった甘さが口を冷たく潤した。

「お味はどう?」
 サクランボを口に放り込んで、トウヤがテーブルに肘をつく。
「味わった事がない感覚だから表現が難しいのだけれど、舌がパチパチして、甘いのに爽やかで、なぜだかとても気分が楽しくなるの」
「そういうのはね、『美味しい』と言うんだ」

 その後、二人は一軒の劇場へ入る。
 肩が擦り合う距離で席に並べば、活弁士の口上も、銀幕でチラチラ光る映像も、何も頭に入ってこない。

 ……鼓動の高鳴りが、彼に聞こえてしまわないかしら。
 そう思うと、顔を彼に向ける事すらできない。

 ヒカルコは、苦しい呼吸に耐えながら、時間が過ぎるのをただただ待った。
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