元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

文字の大きさ
上 下
12 / 61
Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(11)初恋

しおりを挟む
 タマヨは、朝もやの路地を歩く書生姿の男を、壁や並木に隠れつつ追っていた。

 彼女自身、これほど尾行に向かない体格はないと思っている。だからヒカルコに、
「他の方にお願いしては……」
 と進言したのだが、彼女は両手で顔を覆ってジタバタと首を横に振った。

「言えない……初対面の人を好きになったなんて、絶対に言えない……ッ!」

 そして、頬を紅潮させてタマヨにすがり付いたのだ。
「こんな事を頼めるのはタマヨしかいないの。お願い、捕まえられなくてもいいから、お住まいだけでも調べてきてくれない?」

 ◇

 タマヨとヒカルコの仲は、主従の関係を超えたものだ。幼い頃から遊び相手として、まるで姉妹のように過ごしてきた。
 だから、年上で『姉』の立場である彼女にだけは、ヒカルコは本音を言うのだ。
 それは侍女として最高の矜持きょうじであり、重責でもあった。

 ――幼い頃に母を亡くし、複雑な心境を抱えてきたヒカルコを支える。
 そのためにタマヨは、一生を彼女に捧げると誓った。

 ヒカルコが七歳の頃。
 彼女の母サヨコは自害した――彼女の目の前で。

 潜在魔力の高すぎる母の、精神的に不安定な部分を見てきたヒカルコは、魔法を恐れていた。そのため、魔法の習得に積極的になれずにいた。
 そんな時の出来事だった。

「私が魔法を使えなかったから、お母様は死んでしまった」
 ヒカルコは常に、そんな思いに囚われている。

 もし、彼女がその時、魔法を使えていれれば、母を助けられたのかもしれない。
 その後悔が、彼女から子供らしい天真爛漫さを根こそぎ奪った。

 笑顔を失ったヒカルコの身を案じた、父・ノノミヤ公爵は、家庭教師を付けたり格闘技を習わせたりした。何かに熱中させ、彼女の心の傷を紛らわせようとしたのだが、根本的な解決にはならない。

 ヒカルコもまた、母譲りの高すぎる潜在魔力を持っていると分かってからは尚更だった。
 魔法学校に通い、通常の魔法教育を受ける事ができない。

 通常は、魔法の修練を積み潜在魔力を高める事で、威力や精度を上げていく。ところが、ヒカルコのように潜在魔力が異常に高いと、少し魔法を学んだだけで上限基準値を超えてしまう。そうなると、精神に異常を来たす可能性があるのだ……彼女の母のように。

 『魔人マヒト』というアイデンティティを奪われた彼女は、孤独だった。
 学友もおらず、この世界で当たり前の事ができない劣等感から、すっかり心を閉ざしてしまった。

 それでも、公爵令嬢という立場上、何も魔法が使えないというのも良くない。
 唯一、潜在魔力に影響のない魔法――蘇生魔法を習得したのだが、使いどころがなく、彼女は不満に思っていた。

「蘇生魔法なんて、いつ使うのよ」

 ヒカルコはよくタマヨにそう言う。
 公爵令嬢たるヒカルコが、人が死ぬ場面に出くわす事などまずない。その上、蘇生魔法には制約が多く、誰でも彼でも生き返らせられる訳ではない。
 ……彼女の母の死を目撃したあの時以外に、苦労して習得した魔法が役に立つ場面など、ないように思えるのは無理もないのだ。

 そんなヒカルコの英国留学を決めたのは、見識を広げるためというよりも、少しでも魔法から遠ざけてやりたいと考えた、ノノミヤ公爵の愛情だろう。
 タマヨと、もう三人の侍女を従えてロンドンに旅立ったヒカルコは、新鮮な刺激を受けたようだ。
 機械で動く乗り物や時計、室内照明に蓄音機……。
 それらが全て、魔力の有無を問わず平等に使えるのだ。

 そして……。
 『法律』で物事が決まる国の制度に興味を引かれたようで、ヒカルコは法治国家というものを学んだ。

「法律で禁止された事をした人は、警察に捕まって裁判を受けるの。そして、法律によって刑罰が決まって、法律によって人権が保証された牢獄で罰を受ける。悪い事をした人でもやり直しが許される世界って、素晴らしいと思わない?」
 ヒカルコはタマヨにそう語った。
「法律はね、全ての人に平等なのよ。貴族だからって人を殺してはいけないし、身分が低いからと酷い目に遭っていい訳じゃない。これこそ、理想の世界じゃないかしら」
 
 彼女自身、大魔法都市トーキョーで生きていくには大きく欠けた部分があるから、そんな自分でも世界が、この上なく魅力的に見えたのだ。

 ヒカルコの輝くばかりの笑顔を見たのは、何年振りだろうか。
 タマヨはその笑顔を、何があっても守りたいと思った。

 だから……
「私ね、ヒノモトを変えたい――変えてみせる」
 ヒカルコの決意の、最初の賛同者になれた事が、タマヨの何よりの喜びだった。

 ◇

 ――ところが。
 癖毛頭のあの男の話をする時のヒカルコの様子といったら、タマヨが見た事のないものだった。

「どこのどなたなのかしら。せめてお名前だけでも知りたいわ。不思議な雰囲気の方よね、何というか、ちょっと影がある感じ? どんな人生を送ってこられたのかしらね、もう少しお話したかったのに……いえ、お住まいが分かれば押し掛ければいいもの。そのために、鬼ゴッコの提案に乗ったのよ。どうしましょう、どんな格好でお会いすればいいの? 英国王陛下に謁見した時のドレスは大袈裟かしら? イヤだ、お会いしたら言葉が出てこなくなりそう――!」

 早口にまくし立ててから、ヒカルコはタマヨの腕を掴む。
「心からのお願いッ! 彼の正体を調べて!」

 ――初恋なのだ。
 閉ざした心を、ヒカルコはようやく開いたのだ。

 ……正直、悔しい。
 タマヨが人生を懸けても開けなかったヒカルコの心の扉の鍵を、あっさりと開けていったあの男。
 嫉妬だという自覚はある。
 しかし、タマヨに彼を排除する気はなかった。

 あの男の存在がヒカルコ様を幸せにするのなら、首に縄を付けてでも連れて帰る。そう決意していた。
 ヒカルコ様のあの笑顔を見るためならば、たとえ火の中水の中! ……と、タマヨは大きな体を小さくして、路地を行くモジャモジャ頭を尾行する。

 アカサカを抜けロッポンギに入った頃。
 男が曲がった角を覗き込んで、タマヨは愕然とした。

「あ……あれ……?」

 ついさっきまで見えていた男の姿が、忽然こつぜんと消えたのだ。

 そこは、大きな邸宅の隙間にある路地だった。
 左右を高い塀に挟まれて、隠れる場所などない。
 彼がこの路地に入ってわずか五秒ほど。いくら足が速くても、真っ直ぐに長いこの路地を通り抜けられるはずがない。

「……どういう事?」

 ヒカルコの話では、キトウ伯爵の次男坊相手に随分な大言壮語を吐いていたらしいが、まさか本当に、魔法体系にはない魔法を使えるとでも言うのだろうか――?

 とはいえ、このままポカンと突っ立っている訳にはいかない。
 タマヨは声を上げる。

「――親衛隊、集合!」

 すると、みっつの人影が現れた――タマヨと共にヒカルコに仕える侍女たちである。
 ヒカルコへの敬愛が大きすぎて、勝手に『親衛隊』と名乗っている。
 タマヨと同じく街の景色に馴染む服装をしているが、三人とも、目付きが尋常ではない。

 全員、全国大会で優勝経験を持つ武道の達人なのだ。

 最年長のタマヨが、リーダーとして指揮を執る。
「逃げられました。何としてもあのお方を探し出して、ヒカルコ様のところへ連れ戻すのです!」
「はい、おねえ様!」
 四人の侍女は俊敏な動きで四方へ散った。

 ……彼女らが消えた路地。
 レンガ造りの塀が揺れたのに、気付く者はいなかった。
しおりを挟む

処理中です...