元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(4)廃駅ニテ

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「――トウヤ、起きるでアリマス。朝でアリマス」
「…………ん……」
 寝返りを打っただけで再び目を閉じた彼の顔にリュウが張り付き、ザラザラとした舌で頬を舐め回す。
「起きるでアリマス」

 リュウの両目が眩しく光る。目に搭載された懐中電灯だ。
 瞼越しに懐中電灯に照らされては、さすがに二度寝できない。
「起きるよ……起きるから」
 と、トウヤはリュウの頭を軽く撫でる。すると、気持ち良さそうに細め、リュウの目から光が消えた。

 それと同時に室内灯が点灯する。ピアスからの脳波に反応したのだ。裸電球の明かりはおぼつかないけれど、寝起きの目にはちょうどいい。

 リンゴ箱を並べただけの粗末なベッドを軋ませて身を起こす。
 すぐ横の、味噌ダルに板を置いただけのテーブルには、半分に割ったコッペパン。昨夜の残りだ。
 ベッドの端に腰掛け、コッペパンをかじる。
 すると、寝癖だらけの頭からようやく抜け出したリュウがポトンとテーブルに落ちた。そしてトウヤにもの欲しげな顔を向ける。
 二十二世紀の生物型自律ロボットにありがちな、糖分を燃料にする自家発電装置が内蔵されているのだ。

 トウヤは、テーブルの端に置かれた瓶から金平糖コンペイトウを数粒取り出し、リュウの前に転がしてやる。すると、猫がボールにじゃれつくようにひとしきり遊んでから、リュウはパクリと口に入れた。

 食事中はそっとしておいてやろうと、トウヤは見慣れた部屋を見渡す。
 裸電球が照らす狭い空間。
 薄汚れた灰色の壁と、ひび割れた天井。飾りらしいものは、石積みに張り付いた苔と蜘蛛の巣くらいだ。

 人の住むべき空間ではないこの場所に、辛うじて生活感を醸しているのは、簡素極まるベッドとテーブル、そして壁際のトランクの上に置かれたドローンと、剥き出しのパイプに引っ掛けてある黒いフロックコートだけだ。

 窓はない……いや、あるのだが、窓の外も似たような景色だから、窓がある意味がほとんどない。気休め程度にボロ布を垂らしてあるが、カーテンの役割すら意味がないのだ。

 太陽の光の届かない、カビ臭い地下廃構。
 リュウに内蔵された原子時計だけが、朝を知っている。

 ここは、地下の廃駅の、かつて駅舎だった場所。
 皆が忘れ去った存在である「地下鉄」の遺構である。

 この辺りの歴史も、トウヤが知っているものと食い違っている。
 師匠が持っていた本によると、日本で最初に地下鉄が運行されたのが、昭和二年の銀座線。西暦一九二七年の事だ。
 ――そして、この世界での年号が、元禄二百三十三年。
 もしトウヤが元いた世界と世界線を共通としているのなら、元禄元年を起点に計算すれば、西暦一九二〇年に当たる。

 この時代に、地下鉄があるはずがないのだ。

 しかし地下鉄はかつて存在し、とうの昔に打ち捨てられている。
 どうやら八十年前には既に存在していて、神帝暗殺未遂事件で使われたために厳重に封じられたようだ。

 とはいえ抜け道はあるもので、マンセイ橋の下にある荷揚げ場の奥に、ここへと通じる入口があった……もちろん一般人が見付けられるような場所ではないが。

 八十年も昔の地下遺構。
 魔法の遮断されたこの空間が、トーキョーで唯一安らぎを得られる「我が家」なのだ。

 ここに落ち着くまで、トウヤは労働者たちが集まる安宿を転々としていた。
 魔人マヒトといっても階級はピンからキリで、支配階級となる華族の他にも、生活のために働く者も数多く存在する。そんな彼らが出稼ぎするための簡易宿泊施設が、トーキョーのあちこちにあった。
 そこでは身分証の確認など行っていないから、非魔人ミソギが混じっても気付かれない。

 とはいえ、抜き打ちで行なわれる憲兵のモソギ狩りに出くわしたら、タダでは済まない。
 もし身分がバレれば、奴隷としてどこかに連れ去られるか、殺されるか。
 ミソギは働くだけで命懸けなのだ。

 その上、彼が「怪盗」である証拠を隠すには、安宿ではあまりにも心許ない。

 そのため、トウヤは地下に潜ったのだが、リュウは不満そうだ。
 地下迷宮に住み着く巨大ドブネズミが、彼の天敵だからだ。
 
 とはいえ、ここが「我が家」。
 命の心配がなく眠れるだけマシだ――そう思い込もうとするものの、この場所が持つ陰鬱な空気は、精神までもを蝕んでいく。
 「この街の全ての魔法を盗む」などと大言壮語を吐きながら、それは到底叶えられる夢ではないと、トウヤも心の奥では思っていた。

 異端児として、異世界で生きていく理由付けとしての言い訳なのだろう。
 果たして俺に、生きている価値があるのか――師匠を死なせた、俺に。

 灰色の景色を眺めていると、ついそんな事を考える。
 ――そんな投げやりな気分が、彼に危険な獲物に向かわせる。
 ヒリヒリと身を切るような痛みスリルだけが生きている実感であり、師匠との繋がりだから。

 数口でコッペパンを食べ切り、水を飲もうと水差しに手を伸ばす。しかし瓶の重さで空だと悟った彼は、すぐさまテーブルに戻して伸びをした。
「水を取りに行かなきゃな……」

 辛うじて水道が生きている隣の駅まで、線路を歩いて行かねばならない。

 空瓶を背負い、立て掛けただけの戸を開けてホームに出る。戸を戻せば、目の前は漆黒の闇だ。
 すると、いつの間にか肩に乗っていたリュウが声を掛けた。
「ワガハイが目で照らすでアリマス」
「いや、いいよ。もし誰かがいたら大変だ」
 トウヤはそう言うと目を閉じ、軽く瞼に触れた。

 そして目を開くと、アメジスト色の瞳がぼんやりと光っている――義眼に仕込まれた「暗視モード」だ。

 彼は幼い頃事故に遭い、両親と、視力もを失った。
 人身売買のブローカーにも相手にされず、酷いありさまで捨てられていたところを、師匠に拾われたらしい。
 その頃の記憶はない。
 だから、師匠にもらったこの目で初めて見た彼の笑顔が、一番大切な存在になった。

 何度か瞬きをして光度を調整し、トウヤは顔を上げた。
 正面の狭いホームの下が線路で、その奥に支柱が立っている。
 右手側の線路は行き止まりだ。カンダ川の下にトンネルを通す工事は魔法の力を以てしても難航し、そのまま放棄されたようだ。
 ホームの右手側には、途中で崩れている階段と、マンセイ橋に向かう通用口がある。

 けれど、今の目的地はそっちじゃない。
 トウヤは線路に降りて左手に向かった。

 隣の駅までは歩いて十分ほど。
 『うょちろひゑす』と書かれた看板の脇に、蛇口が壊れて出っぱなしになっている水道がある。

 トウヤは溢れる水に直接口をつけて喉を潤す。それから、風呂敷で背負ってきた一升瓶を水で満たして再び背負った。

 ……水が近くて便利なこの駅に住めば良いようなものだが、トウヤは敢えて隣の駅に住んでいる。
 万一、水漏れに気付いて誰かが工事に来た時、ここにいては危険だからだ。

 つまり、トウヤの――怪盗ジュークの隠れ家がバレるとすれば、この駅からである可能性が高い。

 そのため、行き来するための線路には、踏めば音が鳴る罠を複数仕掛けてある。もちろん、マンセイ橋からの隠し通路にも。
 それだけの警戒をする根拠は、壊れた水道の他にもあった。

 満タンの一升瓶を「よいしょ」と背負って身を起こした瞬間。
 轟音が響いて、突風が彼の癖髪を揺らしたのだ。

 老朽化のために、地上と繋がるどこかに裂け目ができている。時折、落ち葉や古新聞が舞い込んでくるほどの裂け目が。
 そこに誰かが落ちて、この地下迷宮に迷い込んできてもおかしくない。
 
 そしてこの時も、風に向けた彼の顔に、飛ばされてきた新聞紙が張り付いた。
「うわっ!」
 いきなり視界を奪われて平衡感覚を失い、重い荷物を背負ったばかりのトウヤはよろめく。
 すると、肩のリュウが口で器用に新聞を取り外した。

 何とか転ばずに済んで、トウヤはふうと息を吐く。
「助かったよ、リュウ」
 すると、リュウは首を傾げた。その青白い光を帯びた目は、口にくわえた紙面に向けられている。彼の目にもトウヤの義眼と同等の性能があるから、漆黒の闇の中で紙面を読む事が可能なのだ。
「この新聞、今日の日付でアリマス」
「へえ、それは面白いじゃないか。どれどれ、怪盗ジュークの大活躍は一面に出てるかな」

 ところが、怪盗ジュークによる犯行の記事は、三面に小さく書かれていただけだった。被害者であるタジミ公爵の世間体をおもんばかっての事だろうが……
「チッ、つまんねえな」
「いや、もっと面白いものがこちらにあるでアリマス」
 そう言って、リュウが覗き込んだのはその記事の裏――一面だ。

 裏返した紙面。
 そこにあったのは……


『ノノミヤ公爵ノ御息女 怪盗ヲ捕エルベク探偵ヲ募集ス』


 一面のど真ん中に、大きく配された見出し。
 通常の新聞では考えられない、異例の全面広告である。

 ノノミヤ公爵といえば、昨夜トーキョー駅で見掛けた馬車だ。
 そんなお家柄のご令嬢が、一体どういうつもりだ?

 不審に思いつつも、トウヤは紙面から目が離せない。
 これは、彼への挑発であると同時に、チャンスでもある。

 ミソギを邪険に追っ払うような奴らに一泡噴かせてやるのも悪くない。トウヤはそう思った。

「……ふうん、確かに面白いね」
 と彼は目を細め、ニヤリと口角を上げた。
「その挑戦、受けて立とうじゃないか」
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