花園に転がって、もがく!

夏輝

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十章

夏輝、人間が作った女神に魅せられる

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 十章

 迎えに来た福岡の祖父母に連れられて、夏輝は2日ぶりに麻布警察署を出た。今回の事件は捜査に支障をきたすとして、警察からは若い女性が拳銃で自殺した、としか発表されていない。しかし、一部の週刊誌が嗅ぎつけて、取材を進めていた。
 “日本有数の名門の若き当主と外交官令嬢の悲恋”と銘打てば、世間の注目を集めるはずだった。警察で笹川からすべてを聞いた大吾は早速、手を打ち、誹謗中傷の記事を出すならば、豊波家の全財産を使っても裁判を行い、会社を叩き潰してやる、と出版社側に脅しをかけた。大吾の怒りに恐れをなした出版社は取材を中止した。
 高輪の家に着いた夏輝は、親戚たちに迎えられた。慎吾・多喜子夫妻、晃・淳子夫妻、進の妹の玲子。それに、神戸から美奈子まで来てくれている。
 豊波家だけではない。木更津の長谷川家も家族全員で迎えてくれた。もちろん、風花もいる。
 夏輝は皆の前に正座し、深々と頭を下げた。
「この度は、俺のことでご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
 美奈子は目に涙を浮かべていた。
「謝ることはないのよ。あなたは事件に巻き込まれただけ。なにも悪いことはしていない」
 淳子も涙ぐみ、手で口を押えている。
「無事でよかった。本当によかった‥‥」
 そんな二人を風花はフワフワとした気分で見ていた。
 あの時、風花は仕事が終わり、会社近くのバス停でバスを待っていた。もう夕暮れ時で、自分の影が道路に長く伸びていたのを憶えている。
 夕方なのに突然、目を開けていられないほど強い光が顔に降り注いだ。一瞬、目の前が真っ暗になった。そして、視界が戻ると、五人の女たちとともに、夏輝と真理江の間に立っていた。
 訳がわからなかった。でも、夏輝が生命の危機にさらされているのはわかった。風花は絶対に夏輝を死なせないつもりだった。拳銃を構えている美しい女性に「銃を寄こしなさい」と言いたかった。しかし、声が出ない。それでも、態度で意志を示した。
 銃を持った女性は自分たち六人の強い視線にあきらめ、銃口を自分のこめかみに当てて引き金を引いた。そこで、再び視界が真っ暗になり、気がつくと元のバス停に立っていた。
 上京した大吾から夏輝のことを聞いて、長谷川家は全員、高輪の家に駆け付けた。そこで、あの不思議な出来事の中にいた、美奈子と淳子に会った。さらに、「こんな時こそなにか食べないと」と言って、おにぎりと味噌汁を持って来てくれた、2軒隣の和美とも出会った。
 四人は深夜、和美の家に集まり、あの体験を共有した。話し合った結論は、六人は夏輝がこれまで本気で愛して、夏輝を本気で愛した女たちで、彼の危機を察知して、魂が助けに飛んで来たのだろう、ということになった。
 夏輝が帰って来た日の深夜、四人は再び集まった。大吾の話によると、真理江を操っていた田宮という男はまだ捕まっておらず、今でも夏輝や豊波家の財産を狙っている可能性があるという。
 思い詰めた顔で風花が言った。
「あたし、心配なんです。豊波のおじいちゃんの話では、夏輝、また襲われるかもしれないって思って」
 淳子もうなずいて、同意の気持ちを表す。
「それは、わたしも考えていた。だから提案なんだけど、みんなで『夏輝を守る会』を作ってはどうかな?」
「夏輝を守る会?」
 そう言った和美に淳子は答える。
「別になにをするという訳じゃないんです。わたしたち、彼が危ないときは、それを感じて心が飛んでいく力がある。これからも、彼になにかが起きたときは、そうしようって約束するグループです」
 美奈子が顔を輝かせた。
「それはいいですね。恵理子さんにも声をかけましょう。恵理子さん、もう豊波家の人ではなくなったから、ここに来ることはできないけど、すごく彼のこと心配してると思うんです」
 話の流れに、風花は少し困った顔になった。
「でも、恵理子さんって方は淳子さんが連絡先知ってるけど、もう一人、ここにいる四人が知らない人がいた。その人はどうしよう?」
 風花の疑問に和美が答えた。
「それは、夏輝君の5番目の彼女です。上川佐智さんという名前で、相模原の家電工場に勤めていたそうです」
 それを聞いて、淳子が自信ありげな顔をする。
「じゃあ、わたしが探してみる。以前、夏輝からその人のことを聞いたことがあるの。わたし、結構、顔が広いから、なんとかなると思う」
 頼もしい仲間ができて、風花はうれしそうだった。
「『夏輝を守る会』の結成ですね。あたし、将来、絶対にあいつと結婚したいんです」
 そして、美奈子を見た。
「美奈子さん、どんな修行をしたら豊波家の嫁になれるか、教えてください」
「じゃあ、まず第一歩。彼のことを“あいつ”なんて呼んじゃダメ。“夏輝さん”や“あなた”って言わなくちゃ」
 困惑している風花に、淳子はいきなり両手を合わせて拝んだ。
「お願い。今の彼女のあなたに言うのは心苦しいんだけど、たまにでいいから、彼との関係を続けさせてほしいの。彼はわたしのパワーの源なの。お願いします」
 そして、顔を赤くした。
「彼ね、わたしのこと“淳子ちゃん”って呼んでくれるの。48歳のおばさんをよ。わたし、そう呼ばれると、うれしくて」
 風花はひっくり返りそうになった。だが、淳子の気持ちはわかる。夏輝に愛されていることを感じると、自分も本当にうれしくなる。淳子を睨んだ。
「たまーにですよ、たまーに。それも、絶対にあたしにバレないように」
「ありがとう‥‥」
 はにかむ淳子を見ていると、風花は夏輝という男は、一人の女が独占できない存在のような気がしてきた。美奈子は遠くを見るような目をしていた。
「あの真理江さんも、本当に夏輝君のことが好きだったと思う。だって、結局、彼を撃つことができなかったもの」
 四人の女たちは、不幸な形で夏輝と出会った真理江のことを心から悼んだ。

 釈放された翌日。夏輝は真理江の通夜に行った。通夜は寂しいものだった。警察から真相の発表はないものの、拳銃を使った自殺ということで、役人が多い有村家の人々は真理江を犯罪者と見なしていた。
 飾られた花の数は、ほんのわすかで、弔問に訪れた親戚も香典を渡すと、焼香もせず逃げるように帰って行く。最後までいたのは、本当に親しい付き合いをしていた数人だけだった。
 大学ではいつも女子学生たちを引き連れて歩いていたというのに、参列している学生は一人もいない。
 訪れた夏輝に対して、真理江の父、幸三は深々と頭を下げた。以前会ったときより、かなりやつれて見える。
「いつぞやは大変、失礼なことをしました。お詫び申し上げます」
 そして、目を潤ませた。
「君を大変なことに巻き込んだのに、来てくれて本当にありがとうございます。娘は君のことが大好きだった。これは信じてください。良ければ、顔を見てやってもらえませんか?」
 夏輝は棺の前に行き、顔の位置にある扉を開いた。両側のこめかみに弾痕があるはずだが、髪の毛できれいに隠れていた。胸には夏輝が贈ったローズクォーツのネックレスが掛けてあった。
 真理江は眠っているようだった。キスをすれば、目を覚ましそうな気がする。
「君からの贈り物です。娘はあのネックレスを片時も離さず、いつも身に着けていた。火葬が済んだら、骨壺の中に入れてやるつもりです」
 斎場の奥から母の真由美がフラフラと危ない足取りでやって来た。以前の面影はなく、げっそりと痩せている。流れる涙も拭かずに、夫に支えられて夏輝の前に立った。
「全部、わたしたちの責任なんです。わたしたち、あの子の力が怖くて、世話を母に押し付けてしまいました。もっと、わたしたちが愛情を注いでいたら、違う生き方ができたのかもしれない。あの子を殺したのは、わたしたちなんです」
 真由美の言葉に、夏輝の胸は締め付けられた。

 夏輝は翌日の葬儀にも参列した。やはり、通夜同様、弔問客は少ない。葬儀の後、幸三から時間があれば、火葬場まで同行してほしいと言われた。真理江の体が存在する、最後の瞬間まで一緒にいてほしいと言われる。
 火葬場に着き、炉の前に棺が運ばれると、母の真由美が泣き崩れた。幸三は涙を堪え、真理江の首からネックレスを外した。そして、夏輝を呼んだ。
「これが最後です。最後のキスをしてやってもらえないでしょうか」
 夏輝は棺の前に立った。本当にこれが最後なのだ。もう二度と、真理江の顔を見ることはできない。柔らかい唇に触れることはできない。夏輝の目に涙が滲んできた。真理江の最後の言葉を思い出した。
 —いつまでも愛してるよ—
「俺もだよ。ずっと一緒にいたかった」
 震える唇が冷たい唇に触れた。夏輝の涙が真理江の目尻に落ちた。まるで、真理江はプロポーズにうれし涙を流しているようだった。それを見た幸三の目から大粒の涙が溢れ出た。


 真理江の死後、夏輝は幸三から形見として、父、俊介の作品を贈られた。広尾のマンションに飾ってあった、母の由美子を描いた絵だ。真理江は本当にこの絵を愛していたという。
 そして正月を迎え、夏輝は一族に事件のことを謝罪して、当主として、毎年恒例の“お年玉”の行事を今年から廃止すると伝えた。本家と分家の一方的な関係をやめたのだ。夏輝は豊波一族が新しい時代に入ったことを宣言した。
 大吾からは豊波家の結束を乱し、財産を狙う怪しい組織が存在するため、各家とも用心するようにと通達があった。
 季節は巡り春が来て、夏輝は大学4年生になった。来年からはボストンの医療ビジネス専門のカレッジに行くことが決まっているが、それは勉強漬けの毎日になるだろう。学生生活を楽しむのは、実質、今年度までだ。
 去年の真理江の死から、ずっと考えていたことがあった。真理江の洗脳から2度も救ってくれた、あの腕を掴んだ”手”は何だろう。自分を守ってくれる両親の手か、息子同然にかわいがってくれた圭介の手か、自分を愛してくれる女たちの手か、それとも、いつか夢の中で会った筑前屋伝衛門の手か。
 いずれにせよ、あの手が腕を掴んでくれなかったら、真理江の洗脳に落ちていただろう。考えても答えは出ないが、それでも、夏輝は考えずにはいられなかった。

 サークル活動も今年で最後となる。『ファイトマガジン』の今年のテーマは“格闘技進化論”だ。夏輝が提案した企画だった。格闘技は他のスポーツ同様、進化を続けている。
 例えばボクシングでは、昔は強打を持つ者は打ち合いで相手を倒す、持たない者はスピードとパンチの数でポイント勝ちを狙う、とされていた。
 しかし、現在は一発のパンチ力はなくともパンチの数を集めて、コンビネーションブローでKOを狙うという戦術が確立している。このように、どの競技でも常に進化を続けている。それを、体系的に紹介しようという企画だ。
 4年生となり、すでに、かなりの単位を取っている夏輝は、サークル活動に割く時間があった。自分の提案ということもあり、気合が入っている。
 4月の半ば、夏輝は木原、岩木とともに、サークルとして以前から親交のあった、新宿の山崎ボクシングジムに取材に行った。会長の山崎の説明を聞きながら、練習生が行っているコンビネーションブローや、L字ガードなどのディフェンステクニックを取材する。
 夏輝は文字原稿と写真を組み合わせるページデザインを担当しているため、普段、取材に来ることはない。取材はライターやカメラマンの仕事だ。だが、今回は現場を見てみたかった。格闘技の本気の練習を生で見たい。
 一通り取材が終わり、山崎と談笑している時だった。ジムの隅でサンドバッグを叩いている女性の姿が、岩木の目に留まった。岩木は女性をじっと見ながら次第に興奮していった。
「会長! あの人、すごいじゃないですか!」
 岩木の興奮とは裏腹に、山﨑は少し困ったような顔で笑った。
「ああ、あいつね。あいつは1年以上前、ダイエットのために、ボクササイズコースで入ったんだが、すっかりハマっちゃって。今では練習生たちに交じって、熱心に練習しているよ」
「パンチはあるし、体のキレも良くて、しかも、めちゃくちゃ美人だ! プロを勧めないんですか? リングに上がれば、絶対、人気出ますよ!」
「いや、あいつはダメなんだ」
「どうしてですか? 磨けばダイヤモンドになるかもしれない」
「まあ、ねぇ‥‥」
 そして、山崎は困り顔でポツリとつぶやいた。
「あいつ、女じゃないんだ」
 岩木は「訳がわからない」という顔になる。山崎は小声で言った。
「ニューハーフって奴だよ。男とやるにはパワーがない。女とはできない。だから、あいつは、いつも一人で練習している」
 山﨑の言葉に、夏輝は悲しくなってきた。
 —いつも一人か‥‥—
 急に思いついたことを言ってみた。
「会長、ミット打ち、やらせてもらえませんか?」
「今から?」
「はい。是非」
 壁に掛けてある時計を見て、山崎は少し考えた。
「いいだろう。まだ時間があるから。ちょっと待っててくれ。プロテクター付けるから」
 だが、夏輝は遠慮がちな顔になる。
「あの‥‥受けるのは俺で、打つのはあの人で‥‥」
「なに⁉」
 驚くのも無理はない。ミット打ちとは、トレーナーがミットとプロテクターを付けて、選手にパンチを打たせる練習だ。選手は動きながら本気で打つので、素人が出来るものではない。
「冗談言っちゃ困るよ。本当に危ないんだよ?」
「すみません。あの、俺、動きませんから。打つのは動かないミットとプロテクターだけで。本気で練習してきた人のパンチを受けてみたいんです。お願いします」
 山﨑は腕組みをして考えていた。夏輝がなぜ、急にこんなことを言い出したのか、わかる気がするからだ。自分の言った言葉で、先ほどのニューハーフの練習生が気の毒になったのだろう。
「絶対動くなよ。それと、危ないと思ったら、君を突き飛ばしてでも止めるからな」
「ありがとうございます!」

 夏輝は両手にミット、腹にはボディガード、それに、頭にチンガード付きのヘッドギアを被った。普通、ミット打ちでヘッドギアまではしないが、山崎なりの安全対策だった。
 北沢マーサと名乗った練習生は、男とは思えないほど美しかった。大きな目と長いまつ毛、通った鼻筋、若干、大きめの口が、小さな顔に収まっている。長い髪はポニーテールに結い、動くたびにサラサラと揺れた。
 しなやかな腕には柔軟性がありそうな筋肉が、しっかりついている。黒いタンクトップと紺色のトランクスだけなのに、なんだかオシャレに見えた。
「いいか、マーサ。豊波君は動かない。打っていいのはミットとボディガードだけ。顔面はなし。アッパーは絶対打つな。下から来るパンチは素人には見えない。いいな」
「はい!」
 マーサは楽しそうだった。夏輝は動かないから人間サンドバッグのようなものだが、それでも、山崎が時間のある時、たまにしかミット打ちをやらせてくれないので、久々の生身の人間相手がうれしかった。
「それじゃ、始め」
 山﨑の声と同時にマーサは打ち始める。
「ワンツー! ワンツー! ワンワンツー! ワンツースリー!」
 指示に合わせて、マーサは夏輝のミットやボディガードを力いっぱい打った。夏輝はミットを通しても感じる、ビリビリくる圧力に感激していた。
 —やっぱり、すげえ。本気のパンチだ—
 パンチを放つたびにマーサはどんどん過熱していく。打つことに夢中になっていた。体がキレてる。いける。楽しい。
「ワンツースリー」
 反射的に山崎の指示を攻撃的に捉えてしまった。今日の“スリー”は左のボディフックを打たねばならないのに、斜め下から上がってくる左アッパーを打ってしまった。夏輝はあの粉の力でチンピラ程度なら叩きのめすことができる。
 しかし、ミットが死角を作ってしまい。マーサのアッパーが見えなかった。パンチは夏輝のあごに当たった。ヘッドギアにチンガードがなければ、まともにあごに食らっていただろう。
 両手のミットをブラリと下げて、夏輝は両膝をついた。慌てて山崎が抱きかかえる。
「バカ野郎! アッパーは打つなと言っただろ!」
「ごめんなさい!」
 夏輝は山崎の腕の中で上半身を起こした。
「‥‥大丈夫です。ちょっとクラッときただけです」
 岩木と木原に抱きかかえられて、プロテクターを外した夏輝は、ジムの隅にある長椅子に寝かされた。
「心配ないとは思うけど、しばらく横になってな。マーサ、お前はお詫びしとけ」
 マーサは大きな目に涙を浮かべていた。

 長椅子に横になったまま、取材を終えた木原と岩木を見送った。夏輝はもう少し横になって、山崎がOKを出してくれたら帰る。傍らにはマーサがいた。
「本当にごめんなさい。なにか、お詫びしなくちゃ」
 マーサの声は少し低かったが、十分に女性の声だった。
「お詫びなんていいですよ」
「でも、それじゃ、あたしの気が済まない」
 先ほどから夏輝はマーサの手を見ていた。
「じゃあ、手を良く見せてください」
 怪訝な顔で、マーサは夏輝の顔の前に手の平をかざす。夏輝はしげしげと見ていた。
「バンテージを巻いた手って、カッコいいですよね。戦う手だ」
 急いでグローブを脱いだままなので、マーサはまだ、バンテージを巻いていた。バンテージとは、拳を守るプロテクターのことだ。プロテクターと言っても、ただの包帯で、包帯を何重にも巻いて、ナックルパートと言われる、拳が相手に当たる面を守る。巻き方は、人それぞれだ。
 マーサの顔がほころんだ。
「ホント、昌慶大の格闘技報道研究部って、マニアックなのね。でも、気持はわかる。あたしも会長に初めて巻いてもらったとき、カッコいいって思った」
 それからしばらく、二人は取り留めのない話をした。マーサは現在27歳で、新宿二丁目のショーパブで働いていた。店は夜遅い時間から始まるので、時間の空いた昼間にジムに通っていた。マーサは本当にボクシングが好きなようだ。いろんな知識を持っている。
「豊波君って不思議。あたし、本当は人見知りなの。店でもお客さんの横でニコニコしてるだけ。でも、あなたとは楽しくおしゃべりできる」
「夏輝でいいです。マーサさんって人見知りなんですか? そうは見えないけど」
 マーサはため息をついた。
「テレビに出てくるニューハーフって、みんな、おしゃべり上手でその場を盛り上げるでしょ? でも、みんながそういう訳じゃないの」
 生きていくためには、いろいろ大変なんだろうな。夏輝はそう思った。
「そうだ。今度、ウチに来ません? サークルの先輩から、いろいろ試合の映像をコピーさせてもらっているんです。過去の名勝負なんか、いっぱいありますよ」
 返事の代わりにマーサはニヤリと笑う。
「それって、デートのお誘い?」
 夏輝の顔が少し赤くなった。
「‥‥そんなんじゃありません。純粋に格闘技が好きな者同士、感動を分かち合いたいんです。いい選手の試合を見れば、練習の参考にもなると思うし」
「そーなんだ」
 そう言って、マーサは夏輝の頬を指でつついた。

 マーサの反応は早かった。2日後には高輪の家にやって来た。夏輝はもう、かなりの単位を取っているので、大学へは行かなくていい日もある。それで、そんな日に昼間時間があるマーサと会うことになった。
 高円寺に住んでいるマーサとは、高円寺駅近くで待ち合わせした。人通りは多かったが、マーサはすぐにわかった。春らしく、白地に水色の水玉が描かれたブラウスに、黄色のミニスカートを履いている。足元は素足に白いサンダルで、サンダルのヒールはかなり高い。
 目の前に黒いアウディが停まり、中から夏輝が顔を見せると、マーサは目を丸くした。
「夏輝君って、お金持ちだったの?」
「俺が金持ちという訳じゃなくて、実家が金持ちなんです。この車も名義は実家です。俺自身は普通の大学生ですよ」
「カッコよくてお金持ちって、あなた、最高じゃない」
 マーサはウィンクして、助手席で脚を組んだ。ミニスカートからきれいな太ももが露わになった。

 高円寺から高輪までの間に、夏輝は途中にあったコンビニで二人分の昼食を買っていた。高輪に着くと、マーサをリビングに案内する。
「あなたがガツガツしてないのがわかった。育ちが良いのよねぇ。あたし、あなたが品の良い人だと思ったから遊びに来たの。下品な人なら絶対来ない」
「品ね、まあ、悪くはないと思いますけど」
 そう言いながら、テレビをつけてデッキにDVDを入れた。マーサに見せようと選んだのは、1年生の時、先輩に見せてもらった感動の試合だった。古い試合だがボクシングが好きなマーサなら気に入ってくれると思う。
「なにを見せてくれるの?」
「1999年の2月、ラスベガスで行われた、WBC世界ウェルター級タイトルマッチです」
 この試合は当時、女性にも人気があったチャンピオン、オスカー・デラホーヤに、強打者と恐れられた、アイク・クォーティが挑戦するというものだった。
 デラホーヤはオリンピックの金メダリストから、プロに転向したボクシングエリートで、打ち合い、アウトボクシング、いろんなスタイルに対応できる。ニックネームは“ゴールデンボーイ”だ。
 一方、アイク・クォーティはガーナ出身の超ハードパンチャーだ。あらゆる敵を打ち倒してきた右ストレートは“バズーカ”と呼ばれている。
 二人は買ってきたサンドイッチを食べながら、ビデオを見始める。
 試合はお互いに相手の実力を認め合い、相手の間合いに入ったらやられるという、痺れるような神経戦で始まった。
 中盤に両者1回ずつダウンを食らい、そのまま最終ラウンドになった。クォーティの一瞬の隙を突いて、デラホーヤの左フックが飛んだ。クォーティは痛いダウンを喫した。試合はクォーティの反撃をかわしたデラホーヤが、僅差で判定勝ちを収めた。
 サンドイッチを頬張りながら、マーサは食い入るように映像を見ていた。
「すごい。最初から最後まで、緊張感が半端ない」
「最後の左フックだよな。あれがなければ引き分けだ」
 いつの間にか夏輝は敬語を使うのをやめていた。
「でも、6ラウンドの両者ダウンは、クォーティの方がダメージが深かった。最終ラウンドの左フックがなくても、デラホーヤの勝ちだったと思う」
「でも、最後はデラホーヤ、逃げてたよ」
「そんなことない」。そう言うと、マーサは座っていたソファーから立ち上がり、身振りで試合を再現し始めた。
「デラホーヤはこんなパンチを出したんだよ。逃げる奴のパンチじゃない」
 夏輝も立ち上がった。空に向けてパンチを出す。
「こんな打ち方だよ。これじゃ、見せるだけの手打ちじゃないの?」
 そうじゃない、ああじゃない、と二人は向き合って自分なりの戦術を披露する。お互いにだんだん熱くなってきた。
「デラホーヤが、こんなパンチを打ってきたらどうする?」
「そのときは、ステップインしてクリンチ!」
 そう言って夏輝はマーサに抱きついた。「あっ、すみません」体を離そうとするが、マーサの方から抱きしめる。マーサはじっと夏輝の瞳を見つめた。
「こんなに気が合う人、初めて。あたし、あなたを好きになっちゃった」
 夏輝は頬が赤くなった。
「‥‥俺、彼女がいます」
「構わない。あたしの恋は、いつも失恋で終わるから。失恋が一つ増えても構わない」
 その言葉に、夏輝は「この人を傷つけてはいけない」と思った。女性を尊敬している夏輝には、ニューハーフであれ、マーサと適当に遊ぶことなどできない。黙っているとマーサが耳元でささやいた。
「ねえ、キスして」
「できません」
「敬語はいや」
「キスはできない」
 次第にマーサの目に涙が滲んできた。本当に悲しそうだった。
「‥‥キスできないのは、彼女がいるから? それとも、あたしがニューハーフだから?」
 悲しそうな顔のマーサに胸が苦しくなった。マーサの髪を抱き寄せる。
「彼女がいるから。ニューハーフは関係ない」
 マーサは夏輝の肩に頭を預け、夏輝を抱きしめた。涙で肩が濡れた。
「‥‥あたし、いつもこうなの。すぐに好きな人ができて、すぐにフラれちゃう。その繰り返し。バカみたい‥‥」
「君はバカじゃない。素直なだけだよ」
 二人は抱き合ったまま、いろんな話をした。まだ会うのは2回目なのに、夏輝とマーサは友達以上、恋人未満の微妙な友人となった。

 2週間後のゴールデンウィークに入る少し前のことだった。その日もマーサは高輪に来て、夏輝と一緒にボクシングのビデオを見ていた。
 玄関のチャイムが鳴り、夏輝がインターホンで応えた。訪れたのは風花だった。
 —どうしたんだろう? まだ仕事中のはずなのに—
 玄関のドアを開ける。すると、風花が覗き込む。玄関には赤いハイヒールがあった。風花は夏輝を睨み、靴を脱いでリビングに入って行った。そして、リビングにいたマーサを睨みつける。
「どうしたの? 仕事中じゃなかったの?」
 声をかける夏輝に風花は振り向きざま、いきなり平手打ちを食らわせた。
「和美さんが、この家にきれいな女の人が出入りしてるって教えてくれた。まさかと思ったけど、ホントだったんだね。もういい。この家には来ない。木更津にも来るな」
 出て行こうとする風花の腕を夏輝は掴んだ。風花は振りほどいて振り向いた。目には涙が滲んでいた。
「待って。誤解なの。夏輝とあたしは、ただの友達よ」
 マーサの言葉に風花は逆上した。
「そんなこと信じられるか! このバカ女!」
「本当なの。あたし、本名は政宗って言うの。政宗だからマーサ。ニューハーフなの」
「はあっ⁉」
 風花は夏輝とマーサの顔を交互に見た。夏輝もうなずいている。
「はあっ⁉ はあっ⁉」
 体から力が抜けた風花は、その場に座り込んだ。


 出会いは最悪だったが、風花とマーサはすぐに仲良くなった。マーサは夏輝の恋人ということで気を許していたし、風花はマーサのオシャレテクニックを教えてほしかった。
 マーサは本当にファッションセンスが良かった。スカーフ一枚で、普段着を格段にレベルアップさせることができる。それに、風花より女性らしいところがあり、大いに見習うべき点があった。
 7月に入り、夏輝は22歳になった。誕生日は風花と二人で過ごすつもりだったのに、木原が風花の友達も呼んで、みんなで祝おうと言い出し、結局、木原、岩木、木更津から希美と茜もやって来て、ただの宴会になってしまった。
 前期試験が近づいてきたある日のこと。その日もマーサは高輪の家に遊びに来ていた。夏輝が集めたボクシング雑誌のバックナンバーを黙々と読んでいる。
 夏輝はマーサが買って来てくれたアイスティーを飲みながら、そんなマーサを見ていた。
「ねえ、マーサちゃん」
 マーサは雑誌から目を離さないままだ。
「ん? なに?」
「今の仕事楽しい?」
「楽しいこともあれば、楽しくないこともある。楽しくないことの方が多いかな」
 これまでマーサを見ながら考えてきたことを言ってみた。
「マーサちゃん、トレーナーの勉強したらどうかな?」
 ボクシングで言うトレーナーとは、コーチのことだ。夏輝はボクシング指導者への道を勧めているのだ。マーサは雑誌から顔を上げた。驚愕の表情をしていた。
「そんなの無理に決まってる。あたしなんて素人だし、プロ経験もないし、人になにかを教えたこともないし、それに‥‥」
 そして、口ごもった。
「‥‥男でも女でもないし‥‥」
 だが、夏輝は笑顔だった。
「マーサちゃんはボクシングの知識がすごくあるし、人と真面目に向き合うことができる。それに、男子選手のパワーにもついて行けるし、女子選手の気持ちもわかる。正しい勉強をすれば良いトレーナーになると思うよ」
「そんなこと言っても‥‥」
 弱気なマーサに夏輝は力強く言った。
「俺は、君ならいつか、日本か世界か東洋太平洋かわからないけど、チャンピオンを育てることだって出来ると思うんだ」
「‥‥あたしがチャンピオンを‥‥?」
 現実のこととは思えなかった。マーサはこれまで自分の生き方に、ずっとコンプレックスを抱えてきた。子供の頃から男の子なのに、女の子の服が着たいという違和感を持っていた。
 成長するにつれてそんな思いはますます大きくなり、自分を否定する気持ちと肯定する気持ちに葛藤しながら、地元の商業高校を卒業後、東京の小さな会社で事務員として働き始めた。
 東京に来て心が揺れながらもマーサが向かったのは、ゲイの街として全国的に知名度が高い、新宿二丁目だった。そこで、今まで自分が我慢していたことを存分に楽しんでいる、ニューハーフたちと出会った。
 1年ほど悩んだ後、マーサは勘当を覚悟で地元の両親に、ニューハーフになりたいと告げた。思った通り、父親は激怒、兄弟たちは自分を化け物扱いし、母親は泣くばかりだった。それ以来、家族とは断絶状態だ。
 しかし、そんな思いをしてニューハーフになったものの、ショーパブの仲間たちのように話術が上手い訳でもなく、歌やダンスなどショーができる訳でもない。何の取り柄もない。だから、せめて見た目だけでも良くしよう。自分の考えなど、その程度だった。
 そんな自分がチャンピオンを育てるなど、途方もない夢だった。
「俺、絶対向いてると思う。とにかく、一度、山崎会長に相談してみたら?」
 夏輝の言葉に、マーサは初めて女装をした時のような高揚感を覚えた。


 前期試験が終わり、夏休みになると夏輝は帰省した。いつものように、両親の墓参りをして、盆の行事を行う。8月終わりの圭介の命日まで福岡で過ごしたら、今年は早めに帰京するつもりだ。
 大学生活最後の『ファイとマガジン』の制作に参加しなくてはならない。今回の夏輝は、デザイン部門の責任者でもある。
 夏輝が東京に戻る数日前、風花は仕事帰りにマーサから連絡をもらった。マーサは木更津に来ていた。駅近くにあるホテルのラウンジで待ち合わせをする。
 マーサは風花より先に来て待っていた。思い詰めた表情をしていた。ウェイターが注文した飲み物を置いて去っていくと、マーサは目を伏せた。
「あのね、あたし、もうすぐ大阪に行くの」
 マーサは悩んだ末、夏輝の勧めに従って、ボクシング指導者になることを決意した。会長の山崎に相談したところ、山崎は賛成してくれた。しかし、山崎ジムではマーサを勉強させながら雇う余裕がない。
 そこで、知り合いたちにマーサを引き受けてくれるジムがないか、当たってみてくれた。
 その結果、世界チャンピオンを何人も生み出した実績がある、大阪の名門ジムが雑用係をしながら、トレーナーの修行をさせても良いと返事をくれたのだ。
「今までなんの取り柄もない、つまらない人生を送ってきたあたしに、とんでもない大きな夢を与えてくれたのは、夏輝なの。あたし、あの人のおかげで変わることができると信じてる」
 そして、うつむいて遠慮がちに、しかし、真剣な眼差しで言った。
「風花ちゃんには本当に悪いと思ってる。でも、あたし、夏輝ことが大好き。お願いします。大阪に行く前に1日だけ、あの人を貸してください。その思い出だけで、あたし、元気にやっていける」
 風花にも夏輝に対するマーサの気持ちはわかっていた。それを懸命に表に出さないようにしていたのもわかっていた。やはり、夏輝は自分が独占できる男ではないのだろう。そう思った。
「絶対よ。絶対に1日だけだからね」
 マーサは涙ぐみながら、何度も頭を下げた。

 夏輝は帰京する前に、風花から電話でマーサのことを聞いていた。羽田に到着した日の夕方、マーサは買い物袋を下げて高輪の家にやって来た。
 いつもオシャレなマーサだが、今日は飛び切りセクシーな格好をしていた。ピンクのミニスカートなど、ショーツが見えそうなほど短い。この家に着くまでに、何人もの男が目を留めたことだろう。
 今日の夕食はマーサが作ってくれる。持って来たエプロンを着けながら、申し訳なさそうな顔になった。
「もっと、まともなものを作ってあげたいんだけど、あたし、今までいい加減な生活してきたから、こんなものしか作れないの」
 夕食はカレーライスだ。料理の苦手なマーサが、何とか人前に出せるメニューだった。
「君が作るものなら、なんだって美味しいに決まってる」
 そう言って、夏輝はジャガイモを洗っているマーサを後ろから抱きしめた。首筋にキスすると、マーサは「うふっ」とうれしそうな声を出す。
 今日から明日、マーサが帰るまでは二人は恋人同士だ。風花とマーサの取り決めで、そうなっている。マーサはこの状況を心から楽しんでいた。夏輝も美しくて話の合うマーサと一緒にいるのは楽しい。
 しかし、不安もあった。今日は最後までいくつもりだ。だが、夏輝はこれまで、ニューハーフとセックスをしたことがない。どうすれば気持ち良くなってくれるのかがわからない。
 —マーサちゃんも俺が愛した女だ。今までと同じようにやろう—
 そう思うしかなかった。

 マーサが作ったカレーは美味かった。幼い頃、母が作ってくれた料理のような、どこか懐かしい味がした。夕食の後片付けを一緒にしているとき、楽しそうに食器を洗っているマーサを見て、本当にかわいいと思った。
「ねえ、後で一緒にお風呂入らない?」
 思いもしない言葉に、急にマーサは暗い表情になった。夏輝に抱かれたいとは思っている。だが、部屋を薄暗くしてからでないとできない。
 これまでマーサが付き合ってきたのは皆、ニューハーフが好きな男たちだった。だが、夏輝は違う。彼に自分の体をグロテスクだと思われたら、生きていけないほどショックを受ける。
 マーサはニューハーフとして生きていくことを決めたとき、手術で睾丸を切除していた。明るい風呂場で夏輝がそれを見て、どう思うのか、不安でたまらない。
「‥‥あたしの体、普通じゃないの」
「俺は、どんなマーサちゃんでも好きだよ。俺が信じられない?」
 大好きな男の優しい笑顔を見て、マーサは迷いながらも心を決めた。

 風呂には先に夏輝が入って待っていた。風花の時の失敗があるから、ここで必要以上の欲情はしないと決めている。
 遠慮するようにバスルームの扉がすっと開き、髪にバスタオルを巻いたマーサが入ってきた。胸と股間を手で隠している。夏輝はバスタブから立ち上がった。
「これが俺の体。なにも隠してない。俺は本当に君が好きだ」
 マーサは恐る恐る両手を下げた。細身の体はボクシングで鍛えているため、要所に筋肉が付いている。決してか弱い体ではない。女性ホルモンを射っているため、胸は思春期の少女のように、少し膨らんでいた。だが、女性のものほど乳首は大きくない。
 陰毛はすべて剃っていた。股間に小さなペニスがあり、その裏にあるはずの睾丸はない。男でも女でもない。その境目にある、もう一つの美しさがあると、夏輝は素直に思った。
 神様は男の体には男の心、女の体には女の心を与える。しかし、時に組み合わせを間違ってしてしまう。そんな時、人間は本当の自分になるために努力をするのだ。その努力の結果、人間は自分で美しさを創り出す。マーサの体でそう感じた。
「きれいだよ」
 夏輝の言葉にマーサは恐る恐る答えた。
「本当?」
「ああ。とってもきれいだ。こんなきれいな体を独り占めできるなんて、最高にうれしい」
 マーサの手を取り、夏輝はバスタブに導いた。先に座って両脚を伸ばし、太ももの上にマーサを座らせる。脚の上に乗っている分、マーサは夏輝を見下ろす形になった。
「好きだよ」
 マーサは両手で夏輝の顔を挟み込み、自分からキスをした。夏輝もマーサを抱きしめて、気持ちに応える。唇の隙間から舌を差し入れ、マーサの舌に絡めて吸った。
 二人の舌は激しく絡み合った。唾液を飲み合った。ようやく唇が離れたとき、お互いに勃起していた。夏輝は逞しく、マーサはかわいらしく。
「マーサちゃんは精液は出るの?」
「出るよ。正しくは精液っていう成分じゃないけど」
 試しに湯船の中でマーサの小さなペニスをしごいてみた。
「あんっ」
 マーサは甘い声を出す。しごきながら小さな乳首を舐めてみた。
「あああ‥‥」
 そこで夏輝は自分を戒めた。
 —ダメだ。これ以上やったら、いつか坂崎さん夫妻に聞かれたように、この場で始めてしまいそうだ—
「あとは、上がってからのお楽しみ」と言って、マーサを湯船から上げて、しなやかな体を洗ってやった。

 風呂から上がったマーサは、常に夏輝に体を密着させてきた。手をつないだり、肩を寄せ合ったり。そして、頻繁にキスを求めてくる。個性なのか男女の違いなのかわからないが、マーサの舌は今までの女たちよりも分厚く肉感的で、舌を絡めると本当に気持ち良かった。
 メイクをすべて落としているのに、それでも美しい。きっと、以前は美少年だったのだろう。
「あたし、あなたにもらった大きな夢がある。その夢は絶対に叶えたい。でも、今は明日にならなければいいと思ってる」
 夏輝はマーサの肩を抱いた。
「今日だけでなく、明日も明後日も、1年先も10年先も20年先も、俺はずっと君が好きだ」
 感極まったマーサは夏輝を強く抱きしめた。瞳は潤んでいた。
「うれしい。早く抱いて。あなたのものにして」
 細いが逞しいマーサの手を引いて、夏輝は二階の寝室に導いた。

 寝室のエアコンは、事前にちょうど良い温度に調整していた。ベッドに横たわるマーサを夏輝はしばらく見つめていた。
「どうしたの? やっぱり、あたしじゃダメ?」
 不安気な顔のマーサに向かって微笑む。
「ダメなんかじゃないよ。きれいだなぁって思って見ていた」
「おチンチン付いてるのに?」
「本当にきれいだよ」
 マーサは、はにかんだ笑みを見せた。夏輝はこれまでの女性たちと同様、マーサの性感帯の探索を始めた。指と舌を使って全身を撫で回す。マーサは脇の下を舐めると甘い声を出し、小さな乳首を強めに吸うと、夏輝を抱きしめた。
 全身の探索が終わり、いよいよ股間になる。ここが男と女の決定的な違いだ。どうしていいかわからず、夏輝はマーサの股間に顔をうずめて、小さなペニスを口に含んだ。今まで女性器を舐めてきたのだから、やはり、男性器でも舐めるべきだろうと思った。
 フェラチオなどするのは初めてだが、とにかくペニスに舌を絡め、顔を上下に動かす。
「あああ‥‥」
 女性より少し低いあえぎ声を出した。夏輝は一度ペニスから口を離し、舌をゆっくり下に降ろしていった。もとは睾丸があったところを舐め、更に小さくてきれいな肛門を舐める。
「あああ‥‥」
 十分に肛門をほぐしたところで、再び夏輝はペニスを咥えた。そして、人差し指を肛門に差し入れた。
「はぁ‥‥」
 マーサは切ない声を出した。人差し指を前後に動かしながら、ペニスを口でしごいていく。すると、マーサのペニスはだんだん膨らんできた。
 —これは、もしかしたら、絶頂の前触れなのか?—
「あんっあんっ」
 指の動きに合わせて、マーサはあえいだ。普段のマーサは低めの女性のような声を出すが、次第に高くなっていく。
「いくっ! いくっ!」
 叫びながら夏輝の口の中にマーサは放出した。さらさらで、少ししょっぱい液体だった。肛門から指を出し、口の中に溜まったマーサの精液を飲み込んだ。それを見ていたマーサは口に手を当て、本当に驚いたという表情をしている。
「飲んでくれたの?」
 口元を手の甲で拭いながら、人間が作った女神を見た。
「飲んだよ。君が全部ほしい」
 マーサは上半身を起こし、夏輝を抱きしめた。歓喜の表情だった。
「好き、好き、好き、好き!」
 そして、夏輝を押し倒し、完全に勃起している夏輝のペニスを咥えた。
「ちょっと休憩がいるんじゃない?」
 男の体は立て続けに何度もできない。それを知っているので気を使ったのだが、マーサは夢中で顔を上下させている。そして、ペニスを口から離し、枕元に置いてあったコンドームを付けた。
 マーサは完全に燃え上がっていた。夏輝はすべてを任せた。
 コンドームを付け終わり、持って来ていたローションを夏輝のペニスと自分の肛門に塗った。そして、夏輝の上に跨りペニスを自分の肛門に当て、ゆっくり腰を下ろした。
「あんっ!」
 根元まで入ると、自ら腰を振り始めた。
「あんっあんっあんっ」
 マーサは強く締め付けてくる。アナルセックスは佐智と何度か経験があった。しかし、女性とは筋力が違うせいか、中はグイグイ締まってくる。
「はんっはんっはんっ!」
 夏輝の興奮も高まってくる。下を見ると、マーサは再び勃起していた。それを指でしごいてやった。
「好きっ好きっ! 大好きっ!」
 夏輝も下から突き上げた。マーサは首を激しく横に振り、腰の動きを速めた。二人とも絶頂を迎えつつあった。
「君は俺のものだ!」
「あなたは最高よ!」
 マーサのペニスも再び膨らんできた。そして、夏輝の胸に爪を立てた。
「いくっ! いくっ!」
 夏輝はマーサの中に放出した。それと同時に、マーサも夏輝の腹の上に白っぽい、さらさらの液体を発射した。


 2日後、東京駅の新幹線ホーム。博多行き新幹線の前で、マーサは山崎会長、ニューハーフ仲間、そして、夏輝の見送りを受けていた。
 山﨑は力強く言った。
「向こうに着いたら修行が待ってる。ただでさえ厳しいのに、お前の場合は周囲の偏見も付きまとう。でも、負けるな。ダウンせず、最後までやり遂げてこい」
「今まで本当にありがとうございました」
 山﨑とマーサはがっちり握手した。
「頑張って」「体に気を付けて」と、ニューハーフ仲間からも別れの言葉をもらいながら握手をした。最後にマーサは夏輝の前に来た。握手の手を差し出そうとするが、感極まって目に涙が滲んだ。夏輝の目にも涙が光る。
 見つめ合っている二人に山崎は「そろそろ乗らないと発車するぞ」と声をかけた。マーサは涙を拭った。
「自分で選んだ道を歩いていたはずなのに、いつの間にか迷っていた。そんなあたしに、あなたは本当に進むべき道を教えてくれた。あたしにとって、あなたは最高の男」
 発車のベルが鳴った。マーサは大きなカバンを抱えて、乗降口に飛び乗った。そして叫んだ。
「夏輝! 大好きだよ!」
 新幹線のドアが閉まる直前に見たマーサの顔は、泣き笑いだった。
 列車は徐々にスピードを上げていく。もう、窓際に座る乗客の顔は見えない。
 —少しは“本当に良い男”に近づけたかな?—
 夏輝は大きく手を振った。新幹線が見えなくなるまで手を振った。
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