さよなら青薔薇さん

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勉強会

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「おはよう蒼」
 蒼が玄関の扉を開けると、門の外では拓実と勇作が待っていた。
「こんなに早く迎えに来なくていいといつも言っているだろう」
 苦言を呈しつつ、蒼が忘れずに扉の鍵をかけ、二人の元へと急ぐ。
「いや、朝ずっと家にいてもつまんねーしさ」
「そうそう。それに、どうせ勇作が早く来てるからな。話し相手に困んないし」
「他人の家の前で井戸端会議をするな。主婦かお前らは」
 などと呆れ顔で話しつつも、蒼は二人が仲良く話していることが嬉しかった。
 優華の一件以来、二人は友人としての関係を取り戻せたようだ。
——以前の気まずい空気じゃ考えられなかったな
 これも優華のおかげなのかもと思ったところで、蒼はこちらに走ってくる影に気がついた。
「蒼っ! おはよう!」
 蒼は、勢いそのままに抱きついてくる優華を仕方なく受け止める。優華も実は蒼のか弱さを分かっているので、よろけたりすることはなかった。
 抱きしめられると、もこもことした上着の感触が心地よかった。
「おはよう優華。今日はずいぶんと冬仕様だな」
「もう十一月だからね~。それにこのアウター可愛いでしょ? これ買ったら早く着たくなっちゃって」
 そう言って、優華は蒼から離れてくるくると服を見せびらかす。
 蒼に服のことは分からないが、その仕草はとても可愛らしいと感じた。
「ああ。可愛いと思う。それじゃあ行こうか」
 置いてけぼりをくらっている男性陣が目に映ったので、出発を促しつつ、蒼は話題を変えることにした。
 友人がいなかった頃はこんな気遣いをすることもなかったなと、蒼は思った。
「そういえば、今日からテスト期間に入るから部活は禁止になるな」
 言うと、優華があからさまにその表情を一転させた。
「テスト……考えたくもない」
「優華は勉強とか全然できねぇもんな」
「うるさいわね」
 勇作の冷やかしに噛みつくも、そこにいつもの優華の勢いはなかった。
「ふむ」
 それを聞いた蒼は顎に手を当てて少し考える。
「なあ助手」
 話しかけられた拓実は、蒼の言わんとすることにすぐ思い当たった。
「あー、なるほどな。俺は構わないよ」
「ありがとう」
 二人の会話にはてなを浮かべている勇作と優華に、蒼は向き直る。
「その、今日は拓実の家で勉強を教えることになっていてな。よければ二人も来ないか?」
 その言葉に、優華はパッと笑顔になり、再び蒼に抱きついた。
「蒼ありがとう! 命の恩人!」
「それは言い過ぎだろう」
 すっかり打ち解けている女子二人を後目に、勇作は拓実に訊ねる。
「ほんとによかったのか? 俺たち三人もお邪魔して迷惑じゃねぇかな」
「いや、大丈夫だよ。うちの母さん、友達連れてくと喜ぶの知ってるだろ?」
 拓実がそう言うと、勇作はすぐに納得した。
「あ~、たしかにそうだったか。それじゃ、今日は拓実ん家で勉強会だな! 楽しみにしてるぜ」
「おう」
 そう言って二人は笑い合う。
「水を差すようで申し訳ないが……助手。君もこのままのペースじゃ間に合わないから、遊んでいる暇はないぞ?」
 優華に覆いかぶさられた状態の蒼が忠告すると、拓実は苦笑いを浮かべた。
「わかってるよ」
「間に合わないってなにに?」
 優華の問いに蒼が答える。
「なにって受験だよ。聞いていないのか? 助手は私と同じ大学を目指してるんだ」
 優華と勇作がぽかんと口を開け、固まる。その数瞬後、驚きの声が朝の住宅街にこだました。


「にしても意外だなぁ。拓実がそんないい大学目指そうとしてるってのは」
 昼の食堂。パンを頬張りながら、勇作がいかにも感慨深そうにそんなことを呟く。
「そうか? まあその、科学に興味が出てきたってだけだよ」
「それだけでそこまでしようとするかねぇ」
「まあ、やるからには上を目指すというのはいいことなんじゃないか? ただ、滑り止めというのもしっかり考えておけよ」
 蒼が口を挟むと、拓実は「ああ。わかってる」と少しだけ残念そうな顔をした。
「決めた」
 そう言って、今まで黙って俯いていた優華が急に顔を上げた。全員の視線が優華に集まる。
「私も二人と同じとこ目指す! 今から死ぬ気でやればいけるでしょ!」
 高らかにそう宣言する優華に、勇作は冷めた目を向けた。
「いやお前……もう十一月も下旬だぞ? しかもお前、俺とか拓実より頭悪いじゃん」
 「ぐうっ」という呻きが優華の口からもれる。ぐうの音も出ないことはないのかもしれない。
「まあ目標を決めてやるのは悪いことじゃないと思うが……受験はただで受けられるものでもない。時間と金がかかるんだ。ある程度現実的なところも見ておけよ」
 蒼の正論に、優華は今度こそぐうの音も出なくなってしまった。
「それと助手。これは君にも言えることだからな。朝も言ったが、このままだと厳しいぞ」
 拓実はどこかバツが悪そうに「わかってる」と返事をして、唐揚げを口に運ぶ。
「私ちょっとトイレ行ってくる」
 すっかり覇気のなくなった声で優華がそう告げ、席を立つ。
 すると、勇作もそれに続いて立ち上がった。
「俺も行ってくるわ」
「ちょっとついてこないでよ変態」
「いやいや……女子トイレについてくわけねぇじゃん」
 いつもより静かな言い合いをしながら二人がその場を離れる。
 騒がしさのなくなったテーブルには、辺りのざわめきと食器の音だけが残った。
 蒼が、俯きがちに食事を摂る拓実を軽く伺う。目に見えて落ち込んでいるような、考えこんでいるような、そんな表情だ。
——少し言いすぎただろうか
「別にお前の努力が足りていないとかそういうことを言いたいわけではないからな。それほどに困難な目標というだけであってだな」
 落ち込む拓実を気遣ってだろうか。唐突ではあったが、そうフォローする蒼の様子に、拓実は少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
「ありがとう。でも大丈夫。このままじゃ間に合わないのは俺もわかってる」
 そう言うと、拓実は軽く微笑みを浮かべて「頑張らないとな」と呟いた。

「わからん!」
 叫んで、優華がばたりと床に倒れ込む。
 放課後、約束通り拓実の家に集まった四人は試験勉強をしていた。
「どこがわからないんだ。諦める前に見せてみろ」
 そう言って蒼が優華のノートを手に取る。すると優華も渋々と起き上がり、ちゃんと蒼に向き合う体勢になった。
「なるほど。この段階か……三角関数はある程度きまりと公式を覚えてしまった方が早い。ひとまずそれを叩き込むぞ。今から私が書き出すことをノートに書きまくって覚えろ」
 蒼が自分のノートにさらさらと公式などを書き始めると、優華も慌ててそれを書き写しはじめた。
「でもそういうのって、やっぱ仕組みを理解しないと意味ないんじゃないか?」
 勇作が横から口を挟むと、蒼は手を止めずにそれに答えた。
「たしかにそれが一番いい勉強方法だが、大学に受かりたいだけなら暗記でも問題ない。そもそも時間が足りないし……仕組みは後から理解すれば諸々のきまりについても合点がいくだろうしな」
 「一理ある」と、勇作は納得の言った顔で頷いた。
「それじゃあ俺は英単語覚えよっかな~」
 勇作の宣言に、拓実が反応する。
「あ、それなら俺が英単語言うから日本語訳を言ってみてくれよ」
「お、いいね。よろしく」
 そして、拓実と勇作も勉強を始め、四人はそれぞれ勉強に集中し始めた。

「こんなものかな」
 呟いて、蒼はペンを置く。
「お、多くない?」
 優華は未だ疲れきった顔で蒼の書いたものを書き写し続けていた。
「本当ならもっと少なくても計算で導き出せるんだが……多分優華は暗記の方が得意だから、このやり方の方が早いと思う」
 優華は軽く眉をひそめて小さな唸りを上げるも、諦めたように再び書き写し始めた。
「蒼が言うなら……頑張る」
「ああ。だけど無理しすぎないようにな。それじゃあ助手。少しお手洗いを借りるぞ」
 呼ばれた拓実は英単語の詠唱をやめ、蒼に答えた。
「ああ。一階の廊下にトイレはあるから」
「了解した。ありがとう」
 そして蒼は部屋を出る。
「それじゃあ俺達も少し休憩するか~」
 そんな勇作の声がドアの向こうから漏れてきた。
 いつの間にか、蒼は少し微笑ましいような、嬉しいような、そんな気持ちになっていた。
 階段を下りたところで、蒼は拓実の母にばったり遭遇した。
「あ、えっと、お手洗い借ります」
 なんと言っていいかわからずに蒼がそんなことを言うと、拓実の母は可愛らしい笑顔を蒼に見せた。
「ええ。どうぞ~」
 そんな感じで、軽く会釈をして蒼は通り過ぎようとしたのだが、背後から声がかかった。
「あの」
 蒼は振り向く。拓実の母は蒼を真っ直ぐに見ていた。
「どうしましたか」
 訊ねると、彼女は少し躊躇うような仕草を見せた後、おずおずと口を開いた。
「おトイレ終わったら、少しだけリビングに来てもらえないかしら……その、少しお話したいことがあって」
 何の話だろうと、蒼は頭上にはてなを浮かべたが、ひとまず頷いておいた。

「それで、なんのお話でしょうか」
 トイレを済ませ、リビングに来た蒼がそう問うた。
「まあ、とりあえず座って。あ、お菓子もあるから、後でみんなのところに持っていってもらってもいいかしら?」
「それはもちろん構いませんが」
 言われた通り、蒼が一番近くにあった椅子に座る。
 拓実の母も、蒼のテーブルを挟んだ対面に腰を下ろした。
「わざわざ呼び出しちゃってごめんね。その……あの子のことなのだけどね」
 あの子というのは拓実のことだろう、と蒼は解釈し、頷くことによって話の続きを促した。
「夏の大会前に怪我したことは知っているかしら。少し、大きな怪我だったの」
 ゆっくりと、落ち着いた声で、拓実の母が訊ねる。「知ってます」と蒼が答えると、彼女はまた話を続けた。
「それからは、勇作くんや優華ちゃんの話もしなくなっちゃって……少し心配だったのよ。だけどね」
 拓実の母は改めて蒼と目を合わせる。
「最近は、蒼ちゃん。あなたの話をするようになってね。しばらく沈んでた表情も、どこか明るくなったような気がして。親の勘なんだけどね。あなたに出会えて、あの子は立ち直り始めたんじゃないかって思うの……だから、ありがとう」
 そう言って彼女が微笑む。蒼は、恥ずかしいやら嬉しいやらで、上手く言葉が出てこなかった。
「いえその、こちらこそじょ……拓実くんにはお世話になっております」
「そんな謙遜しなくてもいいのよ? ほんと。怪我は治ったのに、サッカーもやらなくなっちゃったから心配だったのよ」
——え?
 聞き間違いだろうか。蒼の耳には確かに今、怪我が治ったと。
「小さい頃からずっとサッカー選手になることだけを考えて生きてきたような子だから……でも、新しい目標を見つけられたなら安心ね。本当にありがとう」
「あの」
 少し食い気味に、蒼が声を上げる。
「どうしたの?」
 不思議そうに、拓実の母が聞くと、蒼はゆっくり言葉を紡いだ。
「拓実くんの怪我は、完全に治ったんでしょうか」
「ええ。お医者さんが言うには、そこまで無茶しなければ再発しないんじゃないかって」
「そうですか」
「それがどうかしたの?」
 蒼は席を立ち、拓実の母が出してくれたお菓子を手に取った。
「いえ。少し心配になっただけです。それではこれ、みんなでいただきますね。ありがとうございます」
「いえいえ。いいのよ~。よければまたいつでも遊びに来てね」
 蒼がお辞儀をしてリビングを出る。ドアを閉める時、「あの子をよろしくね」という声が小さく聞こえた気がした。

「あの子達の人生なんだから、きっとこれでよかったのよね」
 背もたれに深くもたれかかって、拓実の母が呟いた。
「あ、そろそろ天気予報の時間かしら」
 彼女が手近にあったリモコンでテレビをつける。すると、明日の天気や最高気温などを天気予報士が告げた後に、今夜の月が新月であると続けた。
「最近はこんな予報もあるのね~」
 テレビを消して立ち上がると、彼女はキッチンへと移動する。
「月が出ない夜は、少し寂しいわね……よし。今夜は月見うどんよ!」
 そう言って、彼女は鼻歌まじりに夕飯の支度を始めた。
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