40 / 47
39.星の言葉
しおりを挟む「ねえねえ、それでどうなったのよ~? 教えてよ、あの夜のハ・ナ・シ」
「いや、だって、ば……っ! 職場でする話じゃない……! ああほら、オリヴェルさんがぽかーんてしてるじゃん」
「サンナー。俺、朝食、食べてないど……」
「サンナは娘さん、私は職員のラスタ! 朝ごはん食べましたよー、オリヴェルさん。もうすぐお昼来るから待っててねー」
城での一夜から数日が過ぎ、仕事に戻ったケイはラスタからの質問攻めに遭っていた。
プライベートな時間でも困る内容なのに、今は仕事中だ。養老院2階の認知症の入居者のケアをしながら投げられた質問に呆れ半分怒り半分で答えると、会話に乱入してきた老爺の訴えをラスタが軽く受け流す。
ケアを終えて部屋を出ると、無人の廊下でラスタが腰をぶつけてきた。
「職場じゃなくたってしてくれないくせに。なによう、あの日ココちゃん預かったのあたしなのに。あんたも侯爵様も、あたしにもっと感謝してもいいと思うけどね」
「それはもちろんしてるよ。ラスタがいなければ、最初から絶対ここまではならなかったし。でもあっちの立場もあるし、軽々しくは話せないよ……。ごめん」
どこに耳があるかも分からないのだ。ケイが小声で詫びると、ラスタは短くため息を吐く。
「はいはい、冗談よ。今度外でたっぷり聞かせてもらうから。……それにしても、あんたがここで働くのもあとちょっとなのね。寂しくなるわー」
「え? なんで?」
「なんでって……結婚するんでしょ?」
「え。いや……言われてないけど」
「――は。……はぁ!?」
立ち止まったラスタが信じられないというように大きく目を見開く。ラスタは小声でまくしたてた。
「えっ、どういうことよ!? やることやっておいて、何もなし? あっ、うっかり言い忘れた……? いやさすがにそれはないか。あんた、それでいいの!?」
「早い早い。……いや、そんな簡単にいかないでしょ。だって侯爵家だよ? こんな得体の知れない女を、しかも子持ちを、おいそれと家には入れられないでしょ……。王様の許可とかもいるだろうし」
「それは――。でも、このままじゃ……」
「私は別にいいよ。不誠実なことをされないなら」
心と体は通じ合ったが、ケイはこれからのヴォルクとの関係を結婚という形に当てはめたいとは思っていなかった。
結婚したって幸せになれるとは限らないことは、ケイもヴォルクも痛いほど分かっている。それに少しは想像もしてみたが、侯爵家の妻などという立場は自分にはどう考えても荷が重そうだった。
形にこだわらなくとも、ヴォルクとの繋がりはこれから工夫して保っていけばいいだけだ。ココがもう少し大きくなって手元に余裕ができたら、寮を出て街に部屋を借りてもいい。そうしたら少しは会いやすくなる。
「欲がないわね……」
「そうかな? 庶民には過ぎた境遇だと思うけどなあ。――あ、院長」
呆れたようにため息をついたラスタに答えると、階段からヘレナ院長が上がってきた。珍しく、真剣な顔をしている。
「ケイ、あなたに星読みの館から手紙が届いています」
「えっ? あ――、アデリカルナアドルカ様……!?」
――時刻は少し、さかのぼる。星読みの館から来訪の命を受けたヴォルクは、困惑と共に館に足を踏み入れた。
同行を申し出たオルニスを控え室に置くと、冷たい大理石に囲まれた通称「星読みの間」に招かれる。ひざまずいて待っていると、足音も立てずに大神官アデリカルナアドルカが現れた。
この館に来るのは、ケイを見舞ったとき以来だ。
あの頃は、彼女とこんな関係になるとは想像もしていなかった。突然飛ばされた異界に惑うか弱い母子に、できる範囲で援助をしてやれたらと――それだけの気持ちだった。
だが今、自分の気持ちは大きく変わり、ヴォルクは緊張感にごくりと唾を飲む。
「久しぶりですね、ヴォルク将軍」
「は……ご無沙汰しております、アデリカルナアドルカ様」
侯爵家の当主になるより前から面識があったため、アデリカルナアドルカはヴォルクを将軍と呼ぶ。
見た目は多少ふくよかになったが、記憶通りに抑揚のない彼女の声にヴォルクは底知れぬ不安を抱いた。――なぜ、いま自分がこの場に呼ばれたのか。
「単刀直入に申します。……星の動きが変わりました。あと数日のうちに、恵みの者――ケイとその子が、元の世界に帰れるかもしれません」
「は……」
前置きもなく淡々と告げられた言葉が、最初は理解できなかった。
無表情にこちらを睥睨するアデリカルナアドルカの視線を受け止め、数秒後、ヴォルクは目を見開いた。
「な――。それは……誠でございますか」
「まったく……あなた方は同じことをわたくしにおっしゃる。わたくしは嘘は申しません。星と月に誓って」
「…………」
茫然とするヴォルクにすっと目をすがめ、アデリカルナアドルカが冷たく言い放つ。彼女は瞬きすると言葉を重ねた。
「二日後の16時、北の砦の井戸のあたりで星の激しい輝きが予測されます。おそらくは、転移――その門が開くのではないかと」
「その時間にそこに行けば、元の世界と繋がると……?」
「おそらくは。わたくしも経験がありませんから、定かではありませんが」
高い天井の下にある星形の窓を眺め、アデリカルナアドルカがつぶやく。ヴォルクはひざまずいたまま、押し殺した声で問いかけた。
「なぜ……私が呼ばれたのですか。ケイではなく」
「あなたはケイの後見人だと聞きましたが……? 王宮づてで手紙を届けるよりも、直接伝えた方が早いと思いましたので」
「なぜ……、なぜ今さら、私に言うのです! 今になって……ここまで来て……!」
「…………」
感情を抑えきれず、ヴォルクが吠えた。それをアデリカルナアドルカは感情が欠落したような目で見下ろす。
年若い頃、彼女に初めて対面した時はその彫刻のような美貌に憧れたこともあった。だが今、その変わることのない氷のような視線にヴォルクは怒りすら覚える。
やっと掴みかけたと思ったものが――行ってしまうかもしれない。それは恐怖で、絶望だった。
アデリカルナアドルカはふぅと息を吐くと、淡々と言い放った。
「何か思い違いをしていませんか、将軍。わたくしは星の言葉をただあなたに伝えただけ。そこにわたくしの思惟はありません」
「分かって……おります。……失礼いたしました」
感情を剥き出しにしてしまったのを恥じ、ヴォルクが詫びるとアデリカルナアドルカがうなずく。ヴォルクは立ち上げると大神官に問いかけた。
「ケイには……私から伝えますか」
言わないまま、隠ぺいしてしまおうか――そんな姑息な考えが、一瞬頭をよぎった。だがアデリカルナアドルカは首を振ると、ヴォルクが聞きたくなかった答えを紡ぐ。
「すでに手紙を出しました。当事者は、彼女ですから」
「……っ。そうですか……」
唇を噛みしめ、ヴォルクは退出の挨拶を告げた。顔を上げると、思いのほか小柄なアデリカルナアドルカが自分の顔を見つめている。
「変わりましたね、将軍。あなたはもっと、冷静で動じない性格かと思っていましたが」
「……みっともないですか。大の男が、将軍などと呼ばれる男が、女人一人の存在に我を忘れるなど……さぞ滑稽で見苦しく映ることでしょう」
自虐を込めて苦く笑うと、アデリカルナアドルカが小さく目を見開く。
やがて彼女は紅を引いた唇を、ごくわずかに笑ませた。
「いいえ。……悪くないと思いますよ」
63
お気に入りに追加
220
あなたにおすすめの小説
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる