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35.宴の夜
しおりを挟むアステール3世の40歳の節目となる生誕祭は、それから約半月後に行われた。
ケイは前回と同様、侯爵邸の別邸に招かれてラスタと共に支度を整えていた。
「なんか、少し前まで働いてたとこでドレス着るなんて変な感じ……。……う、ぐっ……」
「そうね。――ほらもっと背中伸ばして! 胸強調しなさい、胸! 姿勢が悪い!」
「無理無理! もうちょっと緩めて……!」
悲鳴混じりになるのは、コルセットで腰を締められているからだ。前回よりスパルタになった仕打ちに抗議するも、ラスタはケイが耐えられるギリギリのところを狙ってくる。
先にヘアセットと化粧をしておいてもらって良かった。相変わらず別人のような厚化粧で、ケイはぜいぜいと息をつく。
「それにしても、なんでこんなに上手なの? 化粧と髪専門でやっていけるんじゃない?」
「昔、他のお屋敷でそういう仕事してたからね。……はい、ドレス着るわよ。手ぇ通してー」
乳児の着替えのように「ん」と手を上げるとラスタがてきぱきと着付けしていく。
本当に頭が上がらない。ラスタの子供になったら幸せだろうな……などと思っているうちに、着付けは完了していた。
今日のケイのドレスは、二週間前にヴォルクが指定した店でラスタと共に仕立ててきたものだ。高級店に一人で行くのをためらったケイに、面白そうだからとラスタがついてきてくれたのだ。
生地の種類の指定はあったがデザインや色は未定だったため、二人はデザイン帳とにらめっこした。が、店主とラスタがケイを置いて盛り上がってしまったため、ケイは最終的にサイズを測られるだけのマネキンになり果てた。
そして今、深紅のドレスに身を包んだケイは鏡を見てその出来栄えに感嘆していた。
地模様の入ったジャガードのドレスは袖が二重になっていて、表側の飾り袖が長く下に伸びマントのように体の横で揺れている。その胸元は前回と違ってかなり深めのVネックで仕立てられており、寄せて上げた谷間がくっきりと覗いていた。
「あのさ……素敵なんだけど、ちょっと胸が目立ちすぎじゃない……?」
「なに言ってんの。ふつーよ普通。首飾り着ければ、そっちに視線が行って目立たないわよ。てか見せなさいよ、もったいない」
「嫌だよ、慣れてないし……」
ジャラジャラと小さな宝石のついたチョーカーを着けると、確かにしっくりまとまった。ついでに耳にもイヤリングをぶら下げられ、ここ数か月で伸びてようやくアップにできるようになったヘアセットと合わせ、誰が見てもおかしくない淑女が出来上がった。
「それにしても、すごい宝石ねえ……。この装飾品とドレスだけで、あたしの家が買えるわよ」
「えっ、そうなの!? ……怖っ。借りものだから落とさないようにしないと」
「はい、そういう間抜けな顔しない。……にしても、泊まりとはね。慣例で帰れないんだっけ?」
「うん。夜12時まで宴が続くんだって……。ヴォルクさん、城の警備も管理してるから仕方ないけど、ココまで面倒見てもらっちゃってごめんね」
「三人が四人になったところで大して変わりゃしないわよ。侯爵邸に一人で置いてくよりは寂しくないでしょ」
警備の件もあってかヴォルクも多忙で、結局あれから一度も直接会って話すことはなかったが、今回の生誕祭は半日がかりどころか一晩を越す計画だった。節目の歳だからか招待客も多く、今日が終わるその瞬間まで宴を催すのだそうだ。
さすがにずっと広間に出ている必要はないが、パーティーはもちろんのこと飲み会からすら遠ざかっていたケイにとってはなかなかしんどい時間となりそうだった。
そんなわけで今夜中には帰宅できないため、ココの預け先としてラスタが名乗り出てくれたのだった。ラスタの家なら子供もいて寂しさも紛れるだろうし、本当に彼女には感謝してもしたりない。
すでにココはラスタの旦那さんに預けてきたため、今頃は子供同士で走り回っているはずだった。
「夕方からとはいえ、まさか泊まりとはね~。……これ、可能性あるんじゃない?」
何が、と返しかけたケイは、ラスタの含み笑いを見てその意味を察した。渋い顔になると耳飾りが落ちないように小さく首を振る。
「いや、ないでしょ……。だって城だよ? 向こうは仕事あるだろうし」
「いやいや、分からないわよ? ――あ、お迎え来たみたいね。出ましょ」
車輪の音がして別邸から出ると、ちょうど入り口に馬車が止まったところだった。中から降りてきたヴォルクの姿にケイは目を見開いた。
(かっ……、かっこいい~!)
今日のヴォルクはいつものダークグリーンの軍服ではなく、黒い礼装を着ていた。
デザインはあまり変わらないが、動きやすさ重視の軍服とは異なりちらほらと金の装飾がついていて、普段は黒のストールが今日はケイのドレスと揃いの深紅に変わっていた。
どこからどう見ても高位貴族と分かるいでたちに、何度見ても見とれてしまう精悍な顔が乗っていてケイは思わずため息をつく。
対するヴォルクも、ケイを見てまた瞠目した。だが前回と違い、こちらは目を細めるとふっと微笑む。
「……美しいな」
「えっ。……あ、ありがとうございます。ラスタ先生のおかげです……」
「いや誰が先生よ。……はー、あっつい。やってられないんでさっさと行ってもらえます? あ、侯爵様。お手当ては弾んでいただきますからね」
「あ、ああ……。今回も世話になった。ココをよろしく頼む」
「はいはい」
大貴族が相手とは思えない態度で、ひらひらと手を振ってラスタが帰っていく。ヴォルクは咳払いをすると、白い手袋をはめた手をケイに差し出した。
「行こう」
「はい」
王宮での宴は、主に大広間で行われていた。ヴォルクに手を引かれて扉をくぐった瞬間、ケイにいくつもの視線が向けられたがヴォルクのエスコートに阻まれてケイがその矢に気付くことはなかった。
好奇、興味、羨望、嫉妬、欲望――向けられる感情からケイを守るように、ヴォルクが鋭い視線でさりげなく周囲を見回す。
「すごいですねえ……。――あ、オルニス」
広間の端に見知った人を見つけ、小さく手を振ると振り返してくれた。宴に招かれた人の多さに圧倒されたが、一番はじめにアステール王に謁見したときと比べればケイは落ち着いていた。
もう何度か会った相手だし、一対一で話すわけでもない。ヴォルクの邪魔にならないように、悪目立ちしないようにを心掛け、なんとか夜までやり過ごそうと考えていた。
「序列順に、陛下への挨拶の時間がある。……もう呼ばれるな。来てくれ」
「あ、はい」
乾杯のあとすぐに、ヴォルクに手を引かれて広間の正面へと連れてこられた。
ヴォルクが肘を曲げ、掴まるように示す。おずおずとケイが手を添えると、二人は玉座の前へと歩み寄った。
「陛下、ご生誕の宴に際し、言祝ぎを申し上げます」
「あ……あの、お誕生日おめでとうございます。先日は急に失礼しました。わがままを聞いていただき、本当にありがとうございました」
「ケイよ、よく来てくれた。今日はまた一段と愛いな。前回にも増して美しい。まあ余は先日の地味な姿も好きだがな!」
「はぁ……。ありがとうございます」
ヴォルクにならってお祝いを述べると、いつもよりさらにゴージャスに品良く着飾ったアステールがにこりと笑う。
ケイは王の横に並ぶ美貌の王妃と、その後ろに居並ぶ側妃たちの視線を痛いほどに感じながら冷や汗で笑った。……怖い怖い、滅多なことは言わないでほしい。
「それにしてもヴォルクよ。余は『着飾らせろ』とは言ったが、揃いの服で来いとまでは言っておらぬぞ? 見せつけるにも程がある」
「……陛下のご助言に従ったまでです」
「……?」
アステールは矛先をヴォルクに変えると、呆れまじりの声でつぶやいた。その意味が分からずケイが首を傾げると、王は苦笑しながらヴォルクを見やる。
「ケイよ、気付いていないようだから教えてやる。そなたの着ているドレスとヴォルクの着ている礼装は、色は違うが同じ生地なのだ。揃いの服を着られるのは、夫婦かそれを予定している者たちだけだと決まっておる。しかも黒と赤など余より目立ちおって。……こやつ、涼しい顔してとんだ独占欲だぞ」
「えっ」
アステールの言葉に驚いてケイが振り向くと、ヴォルクはふいと視線を逸らした。
まじまじと見つめると、うっすら耳の先が染まっているような気がしなくもない。ケイもつられて赤くなった。
「まあ良い。……ケイ、こちらへ」
「はい」
呼ばれて進み出ると、アステールが立ち上がる。目の前に立たれて手を取られ、ずいと顔を近付けられるとアステールはケイの顔をまじまじと見下ろした。
(いや、だから近い近い……! 王妃様たちの目が怖いって! やめてー!)
「ケイよ。2枚目の書状は必要ないか? 先日は予想外の使い方をされてしまったが」
「へっ? ……あ、あー。……はい、いらない……ですね」
なんのことを言っているのか分からなかったが、王の時間を自由にして良い許可証のことか。
あんな切り札のようなものをそう何回もほいほい使うわけにはいかない。ケイが首を振って固辞すると、アステールは残念そうに眉を下げる。
「そうか……。では、余の茶飲み友達になるのはどうだ? 余はもっとそなたの話を聞きたいのだが」
「はぁ。それなら喜んで。……あの、でも私と話して楽しいでしょうか?」
「楽しいぞ。……そなたをからかうと、もれなく銀獅子将軍の珍しい顔が見られるからな」
アステールが背をかがめ、ケイの耳元で低くささやく。
いやだから近いって。耳をくすぐった吐息にケイが肩をすくめると、ぐいと腰が引き寄せられた。
「わっ」
「……あとがつかえているようですので、失礼いたします。陛下のこの一年のご多幸をお祈り申し上げます」
「分かった分かった。まったく、余裕のない奴だな」
どこか苛立たしげに早口で告げたヴォルクがアステールからケイを遠ざける。そのまま連れ去られそうになり肩越しに振り向くと、アステールは実に楽しそうな顔で片目をバチンと閉じた。
そこから深夜まで、宴は続いた。
基本的にはヴォルクが隣にいて、彼またはケイに話しかける招待客に対応してくれたのでケイは気楽なものだった。
ヴォルクが職務上どうしても不在になるときはオルニスがどこからともなくやってきて、あれこれと話しかけたり料理を持ってきたりしてくれたので空腹にならずに済んだ。ケイが見知らぬ招待客に絡まれないよう、ヴォルクが気遣ってくれたのだろう。
途中、アステール王の側妃の一人が話しかけてきたときはひやっとしたが、むせ返るような色香漂う夫人はケイの顔をしげしげと眺めると、勝ち誇ったような笑みを浮かべて行ってしまった。
……無害だと判断されたなら良かった。余計な争いには巻き込まれたくない。
そうして12時の鐘が鳴り、宴はようやくお開きになった。
「ヴォルク侯爵、ケイ様、お部屋にご案内いたします」
少しずつ招待客が減っていく中で、ヴォルクとケイは城の侍女に声をかけられた。……やっとこの場から解放される。
ココは無事に眠れただろうか。寂しい想いはしていないだろうか。まあラスタとその子たちが一緒だから大丈夫だとは思うが――。そんなことを考えながら侍女二人に先導されて客間へと続く城の廊下を歩き、ケイははっとひらめいた。
(あれ……待って。さっき王様が夫婦とかそれを予定するとか言ってたけど――まさか部屋は別だよね!?)
先を行くヴォルクの背中を見ても、もちろん答えは返ってこない。まだ結婚もしていないし、そもそもする予定かすら分からないし、まさかね……と冷や汗をかいていると、ある扉の前で侍女が足を止めた。
「こちらが侯爵様のお部屋になります。ケイ様には隣のお部屋をご用意しております」
無事にと言うべきか、部屋は二人分用意されていた。ほっとしたような、少し残念なような複雑な気分でケイは先ほどから無言のヴォルクを見上げる。
「……今日はお疲れ様でした。それじゃ、おやすみなさ――」
「……こっちだ」
「え?」
ケイの手を引き、ヴォルクが自室の扉を開ける。そのまま室内へと連れ込まれると、後ろ手に鍵が閉められた。
廊下に残された侍女たちから、「きゃあ」と黄色い声が上がった。
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