19 / 47
18.別邸
しおりを挟むヴォルクに返答をしてから二日後。慌ただしく侯爵邸の使用人部屋に引っ越したケイは、敷地内にある別邸での勤務初日を迎えていた。
なんとか歩けるようになった侍女頭のレダに、仕事内容とその対象者について教えてもらう。
ヴォルクの伯母はフィアルカといい、父方の姉だそうだ。嫁いで侯爵家を出ていたが、10年以上前に夫に先立たれ、その後自身も病に倒れたため実家へと戻ってきた形になる。
一人娘を産んだが幼くしてその子を亡くし、その後は子に恵まれなかったためヴォルクの他に身寄りはない。ヴォルク自身もすでに実の両親は亡く、広大な敷地内の本邸と別邸でそれぞれ生活を営んでいた。
「旦那様のご両親――先代の侯爵ご夫妻は多忙な方で、フィアルカ様がよく旦那様の面倒を見てくださっていたのです。お嬢様を亡くされたフィアルカ様にとって、旦那様はたいそう可愛かったようで……旦那様もよく懐かれておりました。ご成長されてからは、甥御様の負担になってはならないと一定の距離を置かれていましたが」
「そうなんですね……」
幼い娘を亡くしたと聞き、ケイは痛ましい気持ちになった。この世界ではよくあることなのかもしれないが、その後のヴォルクとの触れ合いがどれほど心の癒しとなったかはなんとなく想像できる。
……これは、のめり込みすぎないよういつも以上に自制しなければいけないかもしれない。そんなことを考えていると、ドアが開きヴォルクが姿を現した。
「ヴォルクさ――侯爵様。おはようございます」
「あらまあ旦那様。そろそろお出かけになる時間では?」
「いや、今日が初日だったと思ってな。ケイ、ラスタ、世話になる。無理せずよろしく頼む」
ケイが呼び名を言い直すと、ヴォルクは少し眉を寄せた後いつもの表情に戻って告げた。城へ出かける前に時間を作って来てくれたようで、ケイとラスタはさっそくフィアルカに対面することになった。
ヴォルクについて1階を進むと、奥まった部屋の扉の前に立つ。以前ドレスに着替えたときは2階に上がったからここまでは来なかった。ノックをするとヴォルクが扉を押し開けた。
「伯母上、おはようございます。今日から身の回りの世話をしてもらう新しい使用人二人です」
「…………」
ヴォルクの体格からは想像できないほど、小柄な老女――フィアルカはベッドの上にいた。布団に背中を支えられて上半身を起こしている。
真っ白な髪は他の使用人が梳いたのか一つに結われ、食事も済んだのか顔が綺麗に拭われていた。だがその開いた瞳には、生気がない。
「はじめまして、ラスタです」
「同じくケイです。よろしくお願いします」
「…………」
緊張しながら近付いて挨拶をするも、こちらを見てはくれるが返答がない。ヴォルクが困ったように肩をすくめ、ケイはラスタと目配せし合った。
(なるほど、こういう感じか……。これはこれでとっかかりが難しいな)
もっと分かりやすく、認知症で落ち着かないとか話が通じないとか、逆にまったくコミュニケーションが取れないのであればある程度はノウハウがある。
フィアルカのように、意識はあるが意思疎通が難しいケースは相手の意思をくみ取るのが難しく、信頼関係を築くのに時間を要するかもしれない。
ケイとラスタはフィアルカに視線を合わせるように腰を落とすと、体が不自由な彼女からよく見えるよう顔を近づけた。
「ラスタ、とケイです。聞こえます?」
「……ラ、ラ……スター、ケー。……おおいう」
「そうそう! ありがとうございます」
ラスタがゆっくりもう一度自己紹介すると、無表情のままではあるが今度は返答が返ってきた。かすれている上に歪んで聞き取りづらくはあるが、名前を呼んで『よろしく』と言ってくれた。ケイはラスタと顔を見合わせると小さくうなずき合った。
「伯母上、すみませんが私はこれで失礼します。何かありましたら二人かレダを呼んでください」
「……オーヴ。…っえら……さい。……いお、うええ」
「……?」
時間が迫っているのだろう。ヴォルクが退出を告げるとフィアルカが不自由な口で告げた。ヴォルクがわずかに戸惑ったのを察し、ケイは助け船を出す。
「あの、たぶん……『いってらっしゃい、気を付けて』と」
「……っ。あ、ありがとうございます。行ってまいります」
見送りの言葉を掛けられたとは思わなかったのだろう。ヴォルクがはっとしたようにフィアルカを見つめ、うなずく。
扉の所までケイが送ると、ヴォルクは小声でケイにつぶやいた。
「……ありがとう。よろしく頼む。また夜に、詳細を教えてくれ」
それからレダや他の侍女より申し送りを受けつつ午前中の仕事を終わらせ、ケイとラスタは昼休みに入った。これからは交互に取ることになるだろうが、今日は特別だ。
使用人用の食堂がある本邸まで歩きながら、ラスタが伸びをする。
「これからしばらくは、侯爵邸のご飯が食べられるわねえ。さてどんなものが出てくることやら」
「私は朝も夜も食べてるけど、結構普通だよ。あ、パンはすごく美味しかったな。まあ味はともかく、作ってもらえるだけで助かるよ」
「そーね。養老院で働いてる時より走り回ることは少なさそうだから、太らないようにしないとだけど」
ケイはラスタやレダと相談して、勤務体制を振り分けた。
二人分の介助が必要なときは揃って仕事に入るが、そうでないときは余った一人は別邸内とその周りの雑用に当たることになった。休日は交代で取り、ケイもラスタも夜勤はできないためその時間は他の使用人に代わってもらう。
通勤時間がないのでいわゆる早番、遅番に入ることにはなったが、 介護といっても常時対象者に張り付いている必要はないため、体の負担は養老院勤務時と比べるとだいぶ減りそうだ。
あとは空いた時間にレダとラスタにこの世界の文字を教えてもらえることになり、これもケイにとっては喜ばしいことだった。
「しかしフィアルカ様、どうしようかしらね。あれだけぼんやりされてると、いきなりからおけとか『あくてぃびてぃ』って感じでもないし、片手でやれることと言ったら限られるし……」
「うん……。そもそもベッドから動けないから、選択肢が少なくて。せっかく二人いるんだし、何か楽しめるようなことをしてあげられたらとは思うけど」
介護の対象者が一人なのにこちらは二人もいるとなると、頼まれはしなくともやはり何か活気づけられるようなことをやりたくなってしまう。レダからフィアルカが元気だったころの様子や趣味を教えてもらったが、そのどれもが現状では実施が難しかった。
考え込んだケイの横で、ラスタが手を叩く。
「そうだ! ねえ、こないだあんたが言ってた『あれ』作ってみない? 侯爵様ならお金もあるし、きっと材料揃えてくれるわよ。材料さえあればうちの旦那に作らせるし」
「えっ。うーん、うまくできるかな……。もうちょっと詳細思い出さないと怪我させちゃうし」
「大丈夫大丈夫、作りながら考えればいいって! 侯爵様もきっと喜ぶわよ」
ケイが話した『あるもの』について、ラスタが熱っぽく推してくる。院での勤務に比べると多少時間に余裕はあるし、検討してみる余地はあるかもしれないが――ヴォルクに頼ることへケイが迷いの姿勢を見せると、ラスタはばんばんとケイの背を叩く。
「あんたが頼めば絶対なんとかしてくれるわよ。こう、ちょっと襟を下げて色仕掛けとかしてみてさ」
「しないよ!? ちょっと、人のことなんだと思ってるの! そもそもそんなのに興味持つわけないじゃないヴォルクさんが!」
「侯爵様、ね。……そうかしらねえ。侯爵様だって男なんだし、ちょっとクラッときたりぐらいは――」
「やめてやめて、変なこと言わないで。そんなんじゃないから……!」
ラスタが妙なことを言うせいで顔が熱くなった。もうお互いにいい歳をした母親同士なのに、少女のように盛り上がる二人を本邸の使用人たちが怪訝な目で振り返った。
86
お気に入りに追加
220
あなたにおすすめの小説
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる