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飛路編

18、宗家の誇り

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 それから数日後。状況が少し落ち着き、暁の鷹は延ばしに延ばしていた陽帝宮からの依頼への返答をようやく返した。

 書いたのは、だく。組織の仲間たちも依頼を受けることに賛同してくれた。危険な仕事だが、やはり対価は魅力的だ。
 すると数日後に、詳しい打ち合わせをしたいので陽帝宮で行われる会合に出席してほしいとの返答が来た。


 そして会合当日、雪華は同行を頼んだ飛路と一階の酒楼で待ち合わせた。飛路は少し落ち着かない様子で今日の段取りを確認する。

「……それにしても、本当にオレが行っていいの? こういうのって、普通頭領が行くべきとこなんじゃないの」

「仕方ない、どうしても外せない用事があるんだと。どうせ女のところだろうが」

「今日の会合って、禁軍とか高官が一堂に会するやつでしょ。そんなところに呼んでくれるなんて、皇帝も結構大胆だね」

 『皇帝』と呼ぶその声に別の感情が滲んでいるように感じられたのは自惚れか。雪華はちらりと笑みを浮かべると流し目を恋人に送る。

「……なんだ、ヤキモチか?」

「……っ! 違うし。……あんた、性格悪い」

 図星だったのか、飛路がさっと赤くなり恨みがましい声で言う。雪華は小さくふき出すとその肩を軽く叩いた。

「打ち合わせぐらいしておかないと、どこを探るのかも誰に情報を届けるのかも分からないだろ。仕事内容がかぶっても無駄だし。……一人で行くのは、さすがにつらいものがある。頼りにしてるぞ、飛路」

「……ん。りょーかい」



  異国の踊り子として、そして女官として潜入したときには目立たぬようにくぐった城門を、今度は堂々と通っていく。どこか緊張した面持ちの武官に広間へ案内されると、すでに会合は始まっていた。

 武官でもない雪華たちの登場に、周囲がかすかにざわめく。すると玉座に腰かけた龍昇が、片手をすっとかざした。

「静粛に。――ちょうど良かった。彼らは、今回の開戦に当たり情報面で協力をしてもらう組織の人間だ。知っている者も多いかもしれないが、彼らの組織は諜報活動にかけて禁軍に負けず劣らずの働きを見せている。そこで諸官と相談の上、協力を要請した」

 通りの良い声が響き、武官たちに沈黙が落ちる。彼らは困惑した顔で雪華や飛路に視線を向けていたが、ある一人が立ち上がった。

「おそれながら、主上。その者たちは本当に信用できるのでしょうか? 突然軍に協力すると言われましても――」

「拙者も同感です。そのような子供や、まして女人を戦場に向かわせるなど――」

 最初の声を皮切りに、あちこちで反対の声が上がった。
 ……まあ、そうだろうとは思う。子供と呼ばれた飛路は明らかにムッとした顔をしていたが、それでも反論はしなかった。

 やがてひとしきり抗議の声が静まったところで、雪華は一人、静かに立ち上がった。
 自分に注目が集まっていることを確認し、ゆっくりと口を開く。

「女人か。たしかに私は女だが……ただの女ではない。そなたたちにとって、有益な駒となりうる女ぞ」

「…っ!? 女、主上の御前で無礼であるぞ! 口をつつしめ……!」

「……っ。そちらこそ、口を慎め…! この方をどなたと心得る……!」

「…!? なんだ、貴様は……!」

 礼を逸した雪華の態度と、たまりかねたように叫んだ飛路の声に、武官たちから非難の声が強く上がった。
 雪華は飛路を目で制すと、玉座に座る皇帝を――目を丸くしてこちらを見つめる龍昇を見ながら、朗々とした声で告げた。

「申し遅れました。わたくしの名は李雪華。かつての名は、朱香紗と申します。おそれながら、斎国朱朝第十四代皇帝・朱康成しゅ こうせいが第一皇女の座にございました」

「……っ」

 雪華の発言に水を打ったように静まり返った広間が、次の瞬間、天井が落ちたような騒ぎに包まれた。隣の飛路が心配そうな視線を向けてくる。

「雪華さん……」

「大丈夫だ、飛路。まぁ見てろ」

「な、な……なんと言うことを……!! おい、誰かその女をつまみ出せ……!」

「皇女の名をかたるとは、なんという不敬か! 主上、御前にて斬り捨て御免――」

「――やめよ!」

 混乱極まる大音声を、鋭い一喝が引き裂いた。
 玉座から立ち上がった龍昇が、目を丸くしたままの苦しげな顔で雪華を見下ろす。

「……香紗姫……っ」

 その、苦悶にも似たつぶやきが、武官たちの耳を打った。


 龍昇と皇女が幼馴染だったことは、この陽連では誰もが知っていることだ。皇帝の一言に、雪華を見る目が敵視から驚愕と畏怖いふへ変わっていく。
 雪華は嫣然えんぜんと笑むと古式ゆかしい完璧な作法で龍昇に立礼を執った。

「お久しゅうございます、龍昇様。……いえ、皇帝陛下。朱香紗にございます」

「……っ」

「とはいえ、そう名乗っても私は既にこの陽帝宮を追放された身。私の身分を証明するものは、何もありません。信じるか信じないかはあなた方次第だ」

 雪華は顔を上げると、視線を龍昇から武官たちへと移した。彼らを見渡すと、演説でもするかのように告げる。

「今の私は、李雪華というただの平民にすぎません。また、先に宣言しておきますが今さら復讐を仕掛ける気も皇位を乗っ取るつもりもありません。……けれどあなた方が今驚愕したように、かつての名にはまだ影響力が残っている。それを、利用すべきとは思いませんか」

 ここで一息ついて、ゆっくりと視線を龍昇に戻した。彼は食い入るように雪華を見つめ、隣の飛路はひどく真剣な顔で足元を見つめていた。


 飛路には、昨日のうちにこの件を伝えてあった。また、飛路だけではなく暁の鷹の仲間達にも雪華は自分の正体を明かした。
 なぜ雪華宛てに依頼が来たのかを詳しくたどっていけば、いつかはバレることかもしれないし、朱香紗として引き受けた方が利点が多そうだったからだ。

 皇女扱いはせず、今まで通りに接してほしいと仲間達には頼んだ。
 ずっと正体を隠してきたことに、さすがに反発や非難が飛んでくるかと思ったが――彼らは目を丸くしながらも、雪華のことを受け入れてくれた。

 それから飛路が取るべき振る舞いも決めてあった。静まり返った武官たちを視界に収めると、雪華は再び龍昇を見上げる。

「私の部下の情報によると、国内各地には胡朝への反意を持った集団や、まだ胡朝につきかねている地域もちらほらあるようですね。そういった者たちに、私の名をちらつかせれば……足を止めるか、あわよくばこちら側に引き入れることもできるのではないでしょうか」

 そこまで言って武官たちを見回すと、激しい困惑が伝わってきた。一人の武官が立ち上がり、深く頭を下げる。

「おそれながら申し上げます…! 仮にその女人の言う過去が真実だったとしても、あとで主上を裏切らないという保障がどこにありましょうか!? 我々はこの斎の民を守るために、戦に赴きます。しかしその方の存在がいずれ内乱の種となっては、そのとき再びシルキアに対抗することなどできましょうか……!」

「……っ、この……!」

「……飛路。やめろ」

 年若い武官だった。雪華と龍昇は揃ってその職務に忠実な武官を見つめ、再び視線を合わせる。

「良い臣下をお持ちだ。……たしかに彼の言うとおり、私の存在が新たな火種となってはいけない。先ほども申し上げた通り、私にも仲間達にも反乱の意思などございません。そもそもが私の正体を彼らは知りませんでしたから。それでもお疑いになるなら――今ここで、誓います」

 雪華はゆっくりと、玉座に向かって足を進めた。警護の兵が、慌てたように雪華の前で剣を交差させる。
 そのやいばの前で止まると、雪華はためらいなくその場に膝をついた。そして遠く玉座に座る龍昇を見据える。

「私、朱香紗は……胡朝第二代皇帝・胡龍昇陛下に臣従することを誓います。決して御身おんみを裏切らず、あなた様のために力を尽くすことを約束します」

「……!」

「……私たちの、愛しい祖国の安寧のために」


 深く頭を下げると、広間は再び水を打ったように静まり返った。
 そのまま何秒の時が過ぎただろうか。後ろから足音が近付いてきて、雪華の横に飛路が膝をついた。

「陛下。オレ……いや、私からもお願い申しあげます。朱香紗様は、本気でこの国を憂いておられます。どうか、誓いをお受け取り下さい」

 膝をついた飛路が、雪華と同様に頭を下げる。並んだ二人を見下ろした龍昇が、飛路に声をかけた。

「そなたは――」

「私は……先代の禁軍大将軍・宗飛天が嫡子、宗飛路と申します。朱香紗様のお志に賛同し、現在、行動を共にさせて頂いております」

「……っ。飛路――」

 これには雪華も驚いた。自分が正体を明かすことは決めていたが、飛路までそうするとは思わなかったのだ。
 案の定、広間は大きくざわついた。

「な――宗将軍の……? まさか、しかし……」

「いや、たしかにあの歳ぐらいのお子がいらしたはず。しかも、あの髪色――」

 周囲のざわめきの中、飛路が顔を上げて龍昇を見つめた。携えてきた布包みをくるくると開くと、中から見事な直刀ちょくとうが現れる。

(あの剣――。そうか、型稽古のときの……!)

 どこかで見た気がすると思ったら、案の定だったのだ。宗将軍が携えていたのを、かつて雪華は間近で見ていた。

「私の素性をお疑いになるなら、どうかこれをご覧下さい。わが宗家に代々伝わる、家宝の剣にございます」

 飛路が両手で剣をかかげると、武官が進み出て龍昇に引き渡した。それを返す返す見てから現在の大将軍に手渡すと、大将軍は重々しく頷いた。

「たしかに、宗将軍のお持ちだった剣と見受けます。……飛路殿、そなたでしたか。幼少のみぎりにお目にかかったが……大きくなられた」

 髭をたくわえた大将軍が、わずかに口元をほころばせた。だがすぐに口を締めると、鋭い眼光で問いかける。

「しかし飛路殿。ここまで成長されたなら、なぜ禁軍に入らなかった? そなたなら良い武官になるだろうに、お父上の跡を継ごうとは思わなかったのか。こんな時期に突然現れるなど、皇女殿下と結託して反旗をひるがえそうとしている、と思われても仕方ありませんぞ」

 大将軍のもっともな指摘に、飛路はぐっと唇を噛んだ。だが龍昇と大将軍を見据え、堂々と口を開く。

「わが宗家は代々、朱朝に仕えてまいりました。父の死後もその姿勢は変わりません。けれど私はともかく、皇女殿下の意思まで疑われるは心外。……国を思う殿下の心に打たれ、私も同行を決めました。そこに反乱の意志などございません。これで便宜をはかってもらい、軍に入ったりするつもりもございません」

 顔を上げ、よどみなく告げる飛路は雪華の知るうぶな年下の部下ではなかった。その横顔に在りし日の宗将軍の面影が重なり、胸が熱くなる。

「今の私は宗将軍の息子ではなく、ただの宗飛路です。その微力でよろしければ陛下のお力添えになりたいと思い、この場に参りました」

 そう言って飛路は深く頭を下げる。雪華も再度それに並ぶと、高い場所からゆっくりと足音が近付いてきて二人の前で止まった。

「……顔を上げて下さい。香紗姫……いや、朱香紗殿。それと、宗飛路殿」

 立位の皇帝と、その足元で叩頭する前皇朝の皇女と大将軍の息子。その図をその場にいた全員の目に焼き付けさせて、雪華は顔を上げる。
 二人を見下ろした龍昇が、重々しく告げた。

「私は……そなたらを臣下に迎え入れることを、承諾する。……今の誓いを決してたがえぬよう。こたびの戦には、そなたらの力が必要だ。様々な遺恨いこんはあると思うが……どうか、頼む」

「かしこまりました。……ありがたきお言葉、ゆめゆめ忘れませぬ」


 再び雪華が頭を下げると、龍昇は無言で玉座へと戻った。雪華と飛路が元の位置に下がると、冷静に口を開く。

「それで、そなた達は対価に何を望む。できればここで承認を取りたいのだが、いくらほど――」

「金銭は、相場の値段で構いません。それより――」

 飛路がちらりと視線を向ける。雪華は一つうなずき、龍昇をまっすぐに見上げた。

「戸籍と住む土地を、所望したく存じます」

「……戸籍?」

「はい」

 雪華の言葉に龍昇は小さく目を見開いた。雪華は彼の目を見つめながら続ける。

「私たちの組織には、やむにやまれぬ事情で名を変えたり、生まれついた土地から出ざるを得なかった者たちが大勢おります。彼らは土地を持って定住することができず、いつまでもさすらうことを余儀なくされている。……その者たちに、安寧を与えてほしいのです。良い土地が欲しいとか、無理を申すつもりはありません。ただ少しばかり、超法規的に……陛下のお力をお借りしとうございます」

「なっ……! それは主上に、犯罪の片棒を担げと言うことか!?」

 ある武官から、非難の声が上がった。雪華は微笑むとさもおかしそうに首を傾げる。

「犯罪などと……。私の仲間たちが疑わしいのならば、猶予期間を設けても構いません。彼らはただ善良に、ごく当たり前の生活を送りたいだけのこと。そもそも我らの力がなくば、そちらで考えておられる戦略は遂行できないと思われますが……?」

 極上の笑みを武官に向けてやると、彼は喉に物が詰まったような顔で押し黙った。

(……悪いな。あんたの言っていることは正論だが、こちらも引くわけにはいかないんだ)

「……戸籍を悪用することがないと、誓えるか」

「誓えます。ご恩情を頂いた暁には、必ずや我々の力、この斎と陛下のために捧げると約束しましょう」

 龍昇の確認にしっかりと頷くと、彼は一つ溜息をついて宰相に目配せをした。

「……分かった。早急にその者たちの名簿を提出するように。身元確認のため本名も記してくれ。他言はさせないと誓う」

「かしこまりました。……ありがたきお言葉に、感謝いたします」


 それからは、実際の戦略についての詳しい議論が始まった。
 自分たちに関係ある箇所だけしっかりと聞いて、あとは耳から流す。それでも座っているのが苦痛になってきた頃、ようやく会合はお開きとなった。



「――雪華!」

 帰り支度を済ませ、外朝の回廊を歩いていると背後から声がかけられた。
 振り返ると、護衛も付けずに龍昇が駆け寄ってくる。

「あんた、いいのか。忙しいんじゃないのか」

「いや……一言、礼を言いたくて。あなたが来ただけでも驚いたのに、まさかああいう事態になるとは」

「悪い。先に相談しようと思ったんだが、時間がなくてな。勝手にバラしてしまったが、大丈夫か?」

「ああ。あとで諸官に詰め寄られたが、なんとか乗り切れそうだ。衆目の前であそこまで言ってもらったし、あなたに疑いが向くことは極力避けるよ」

「そうか。……ま、探られても今さら痛い腹はないのだがな」

 自分が元皇女だと明かすのは一種の賭けではあったが、今のところ悪い方には転がらなかったようだ。
 雪華が鼻を鳴らすと、龍昇は真顔でじっと彼女を見下ろす。

「正直……助かる。利用する気はなかったが、実働力に加えてあなたの名があれば、どの程度かは分からないが戦局が優位になるのは確かだから。それから飛路殿にも感謝する。そなたのおかげで、武官たちに良い緊張感が得られそうだ」

 飛路に視線を移した龍昇は小さくうなずくと、その瞳に郷愁の色を浮かべた。飛路の赤毛を感慨深げに見つめ、少し興奮したような口調で続ける。

「宗将軍には、昔よく世話になった。そなたとは直接面識はなかったが、本当に感謝している。香紗姫も、よい臣下をお持ちだ」

「……別に、オレの実力ではありませんから。父への感謝のお言葉、ありがとうございます。墓の下で喜んでいることでしょう。それより――」

 嬉しそうな龍昇とは真逆の硬い声に驚き、雪華は隣を見上げた。飛路は近付いてきた龍昇を牽制するように、片手を上げて雪華と龍昇の間をさえぎる。

「この方に、これ以上近付かれませんよう。……ちなみにオレは、香紗姫の臣下ではありません。心情としては下僕の気持ちでいますが」

「な――。飛路、お前なに言ってる。下僕だなんて、そんなこと私は思っていないぞ」

「知ってる。……そういうわけで陛下。香紗姫はもう、あなたの姫ではありません。……オレの、恋人です」

「!?」

 飛路の発言に、雪華は目を剥いた。龍昇も同様に目を見開いたが、飛路だけが対抗心満々で低く続ける。

「香紗姫にはすでに反乱の意思はありませんが、オレは個人的には陛下に恨みを抱いておりました。今はもうその気持ちはありませんが」

「こ……こら、馬鹿! なんてこと言うんだお前は!」

「いてっ! 何すんだよ雪華さん!!」

「それはこっちの台詞だ! いいから黙れ!」

 不敬もいいところだ。他に誰か人がいたら、この場で捕らえられてもおかしくない。
 思わず赤毛の後頭部を叩くと、飛路は不服そうに身を乗り出した。

「…………」

 焦る雪華を尻目に、飛路が龍昇を睨む。龍昇もまた飛路を見ろしていたが、やがてプッと噴き出した。

「……ッ。熱烈だな……。どうやら俺は、嫌われているらしい」

「いや、違うんだ。悪いな。こいつほら、若いから! ちょっと口が滑っただけというか――」

「いや、いい。……あなたの恋人は、情熱的だな。さすがはあの宗将軍の息子だ」

 くっくっと笑っていた龍昇が顔を上げる。再会して以来、初めて見るようなすっきりと穏やかな顔で彼は微笑んだ。

「飛路殿。俺に言われたくはないだろうが……幼馴染として頼む。香紗姫を……いや、雪華を、幸せにしてやってくれ」

「陛下に言われなくても、そのつもりでおります。……今のお言葉で、もろもろの遺恨が消えました。ご無礼、失礼いたしました」

 きっちりと飛路が頭を下げ、龍昇が鷹揚おうようにうなずく。
 うまいこと静まったらしい男たちの攻防の横で、雪華だけが取り残されたように赤い顔をしていた。


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