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飛路編

8、彼女の特別

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 年が明け、陽連へと向かう街道にも都へ戻る人の姿が見られるようになった。
 郷里で年末年始を過ごした人たちは、あるものは晴れやかな顔で、またあるものは後ろ髪引かれるような顔で道を行く。そんな中を、飛路は足取りも軽く歩いていた。

(結構早く着いたな。みんな、もう任務についてるのかな…?)

 ひとり母親の住む東匠とうしょうの実家へと里帰りをし、昨夜郷里を発ってきた。人の少ない街道は馬も走らせやすく、予定より少し早く陽連へと入れた。

 陽連から離れたのはほんの数日だったが、不思議と懐かしい感じがする。いつも何かと絡んでくる梅林や仲間がそばにいないと、少し物足りなさを感じたぐらいだ。
 けれど離れていて、一番顔を思い出したのは――

「……はぁ。だから駄目だって……」

 怜悧れいりな横顔を思い出し、飛路は首を振る。
 頭から消えてくれない彼女のことが、憎らしくさえ思える。行き場のない想いをどこへやればいいのか、年若い飛路にはまだ分からなかった。

 反乱軍のことがバレた時は焦ったが、その後も変わらぬ態度で接してくれて、素直にありがたいと思った。

(それに『大切な相手』って言ってくれたし。……仲間としてだけど)

 協力が得られなかったのは残念だが、警戒するのはまあ当然のことだろう。今は避けられなかっただけでも、良しとしなければ。

(とか言いながら、ちゃっかりお土産も買ってるし。……どうだろ。喜ぶかな、あの人……)

 病的に甘味が好きなのはもう十分わかったが、それ以外の物も喜んでくれるだろうか。その反応を想像しながら、飛路は蒼月楼の扉を開いた。


「……あ、頭領。ただいま戻りまし――。……っ」

 一階の酒楼の、一番奥。大変珍しく昼間から依頼書を確認していたらしい航悠が、顔を上げた。
 だが飛路の視線は、その隣で卓に突っ伏して眠る妙齢の女性の姿に釘付けになった。

 航悠が小さく肩をすくめ、指を口の前に立てる。おそるおそるその卓まで近付くと、無防備にさらされた寝顔を飛路は唖然と見下ろした。

「な……んで、寝てんすか、この人……」

「さあ。一緒に依頼書確認してたら、いつの間にか落ちてた。……それより早かったな。もっとゆっくりしてきても良かったのに」

「いえ…実家にいても、特にすることもないですし……」

 小声で会話を交わしても、女性――雪華はまったく目を覚ます気配がない。本当に熟睡しているようだ。その様を、驚きをもって見つめる。

 閉じられたまぶた、長いまつげ。切れ長の瞳が隠れると、少し幼い印象になる。長い髪が卓の上に流れ、綺麗な線を描いていた。

(この人……こんな寝顔してるんだ……。こんな、安らいだ――)

「警戒心の欠片もないよな。ここ、あったかいから仕方ねぇか」

「……っ」

 苦笑混じりの航悠の声に、はっと我に返る。呆れたように雪華を眺める航悠の目は、同性の飛路が見てもどきりとするほど柔らかかった。
 その瞬間、胸に暗い火花が散った。

(――違う。それは、あんただからだ)

 警戒心をまるで抱いてないのは、彼女が完全に気を許しているからだ。そばにいたのが自分だったら、こうはいかないかもしれない。
 雪華は仲間に気を許しているが、それでも航悠は特別だとこういう時に痛感させられる。

 飛路には見せない表情を、航悠には許している。それは無意識のうちでのことだろうが、飛路にはそれがたまらなく悔しい。もっと言ってしまえば、苛立つ。

「じゃあ……オレ、部屋に上がります。あとで土産、渡しますね」

「お、いいねぇ。美味いやつ買ってきてくれたか?」

「結構奮発しました。経費で落として下さいね」

 これ以上二人を見ていると、封じ込めた何かが溢れてしまいそうだ。飛路は顔を背けると二階へと上がった。


「だから……駄目だって……。何度もそう言ってんじゃん、オレ……!」

 寝台に身を投げ出すと、穏やかな寝顔の残像をかき消すように青年は強くかぶりを振った。


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