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十二の月
1、飛路の手柄 ◆
しおりを挟む城での任務を続け、気付けば月が変わっていた。
ここのところ日中も冷え込むようになってきた。白い息を吐き出し、雪華は絹の着物の裾を直す。
「陽佳さん、片付け終わったなら一緒に戻らない?」
「ありがとう。でももう少し、やっていくわ。先に行ってて」
「あらそう? 分かった、じゃああとでね」
任務も終わり近くなり、女官の真似事もいい加減板についてきた。
同僚が手を振って官舎へと帰っていく。それを見送り、雪華は懐に忍ばせた文をそっと開いた。
――高官と上級女官の中に、シルキアに情報を流している者がいる疑いあり。三日後、密会の予定―――
それは、三日前に飛路から送られてきた文だった。
これまでも細々と、シルキア官吏と比較的親しい斎国官吏の洗い出しを進めてきたが、はっきりとした証拠を掴むことはできなかった。今宵、もしその高官と女官が特定できれば……その情報は大きな収穫となる。
怪しい女官の目星はついている。官舎に戻り、いつも通りに食事を済ませて床に入ると月が天高く昇る深夜を待った。
そして深夜、官舎を抜け出した雪華は城内の闇に紛れた。
先ほど、件の女官が官舎から出ていくのを確認した。周囲を気にしながら歩いていくその後ろ姿を、足音を殺して尾行する。
そうして何度となく角を曲がり、外朝の外れにある東屋までやって来ると女官はほっとしたように駆け出した。
東屋に誰かいる。――官吏だ。
(顔は分からなくても、せめて官位が分かれば……)
大胆にも、男は官服を着込んだままだった。位が分かれば、飛路や航悠の方で人物の割り出しができるかもしれない。
壁に体をぴたりとつけ、様子を窺う。だが少し先の物陰に見覚えのある背中を見つけて雪華は目を見開いた。
(飛路…! あいつも尾けて来たのか……?)
飛路もまた壁に寄り添い、女官と官吏の様子を窺っているようだ。だが近付きすぎている。
気付かれるかもしれない――そう思い、足音を殺して近付く。
『――おい』
『…ッ!』
小声で呼びかけると、赤毛の背中がビクリと揺れた。声を出されるよりも早くその口を塞ぐと、茶色の目が背後を睨みつける。だが声の主が雪華であることに気付くと、飛路は大きく目を見開いた。
――雪華さん。押さえつけた手の下で、唇が動く。
飛路が瞬きをし、まじまじと雪華を見下ろす。彼が声を上げないことを確認してから、雪華は口に宛がった手をそっと離した。
手振りで少し後ろに下がるよう指示すると、飛路はようやく己の立ち位置の危うさに気付いたようだった。雪華が元いた場所まで戻り、二人揃って息をつく。
『……危ないぞ。近付きすぎだ』
『ごめん、夢中になって』
吐息が触れるほどに顔を近づけ、耳元でささやくと飛路が気まずく顔を逸らす。それには頓着せず、雪華は問いかけた。
『官吏の方、誰か判別できたか?』
『……ああ。オレの隣の職場の奴だった』
『そうか。……なら行くぞ、長居は危ない』
『えっ……。内容、聞かなくていいのかよ』
『少しは聞いただろ。もう十分だ』
驚いたように目を見開く飛路を引きずり、東屋から離れる。あの二人はこちらに気付いた様子はなかったが、長居すると万一ということもある。
東屋から十分距離を稼ぐと、雪華たちは壁際に寄って今見たものを伝え合った。
「シルキアの大臣の名前を言ってた、か……。間違いないな」
「ああ。それに、何か地図みたいなものを女官が渡してた。はっきりは見えなかったけど」
「……地図? 一体何が――」
飛路の言葉に雪華が疑問の声を上げるのと、背後で葉擦れの音が聞こえたのがほぼ同時。雪華はしっと指を立てると振り返らずに耳をそばだてた。
『……誰か来る』
『えっ。……どうする、逃げるか?』
雪華の声に反応し、飛路が耳を澄ませる。次の行動をはかる青年に雪華は首を振って答えた。
……衛士だろうか、足音が結構早い。ここで逃げては逆に怪しまれるかもしれない。
『ここでやり過ごす。……飛路、私を抱け』
『……は? あんた、なに言って――』
『いいから、早く!』
状況が理解できていない飛路の腰を強引に引き寄せ、自分が壁に押し付けられているような姿勢をとる。
細身のようで意外としっかりとしている背に手を回し、それをかき抱いた。
『雪華さん…!?』
『覆いかぶさってろ。それなら見られても、たぶん誤解してくれる』
『……あ……』
城内で、深夜に恋人たちが密会するのは特におかしなことではない。そう言外に告げると、ようやく意味を解したのか飛路がそろそろと雪華の腰に手をかけた。
腰と肩に腕が回された、次の瞬間――
「……っ」
きつく――抱きしめられた。上半身を押しつぶされ、雪華の肺から息が漏れる。
『あっ……ごめん、苦しかったか?』
『大丈夫だ。……こら、離れるな』
『うわ、引っ張るなよ。当たってるって……!』
――何が、とはあえて突っ込まない方がいいだろう。
しきりに体を離そうとする飛路を引き止め、その背を抱き続ける。そのうち飛路も諦めたのか、雪華の頭に顎を乗せると大きく息を吐き出した。
衛士らしき足音は、まだ遠ざかっていない。早く行ってくれと願いながら、二人微動だにせず抱き合い続ける。
そうして呼吸が重なってきた頃――
「……なんだなんだ。見せつけてくれるなぁ、お前ら」
先ほどから聞こえていた足音が、のんびりとした声音と共に雪華たちの前で止まった。
「…………。航悠?」
「ああ。……もしかして誤解させちまったか。お前らどこかにいるかなって探してたんだが」
「頭領――。……ッ!!」
雪華の声に顔を上げた飛路が、現れた武官姿の男――航悠を見つめる。雪華と抱き合ったままぽかんとその顔を眺めた飛路は、慌てたように腕を離すと勢いよく雪華の前から飛びのいた。
「と、頭領……! あの、これは……っ」
「飛路、やるなー。お前もちゃんと男だったな、よし。それなりに恋人っぽく見えたぜ?」
「え……! ちが、雪華さんが――」
「んー? 雪華が襲ったのか?」
「ああ、そうだ」
「いや、違うだろ…! やったのはオレだし。ていうかあんたも肯定するなよ……!」
飛路がしどろもどろになりながら、弁明を試みる。意地の悪い笑みを浮かべていた航悠は、やがてこらえきれなくなったように噴き出した。
「ぶっ……! いいよ、分かった分かった。からかって悪かったな」
「えっ……。あ、はぁ……」
「で、お二人さん。俺は遅れちまったが、首尾はどうだった?」
「本当にな。お前は遅れすぎだ。飛路が頑張ってくれて上手くいったよ」
「へえ、そうなのか」
航悠がゆったりとした笑みを浮かべ、飛路を見る。今夜の成果をかいつまんで説明すると、航悠は飛路の頭をくしゃりと乱した。
「よくやったな、飛路。そもそもどこから情報を掴んだ?」
「えっ……。ええと、まずは自分の職場の人たちから職務時間外の行動を調べていって……だんだん範囲を広めていったら、怪しい動きをする奴が見えて。とりあえず何日か注意して観察してたら、どうもそいつじゃなくてもっと上の方に情報が流れてるような感じだったんで……当たりを付けました」
「そうか。俺も武官の線で調べてたんだが、これといった大物には当たらなくてな。これで相手さんも納得するだろう」
「え……、そうですか?」
意外そうな顔で目を瞬いた飛路に向かい、航悠がうなずく。雪華も同意すると飛路へ微笑を送った。
「ああ、地道に洗い出した結果が出たな。お前の手柄だ。いい部下に恵まれて、楽させてもらったよ。なあ航悠?」
「ああ、そうだな」
「あ……、ありがとうございます……!」
航悠と雪華がもう一度うなずくと、飛路は感激したように頭を下げた。存外大きく響いた声に雪華は目を見開く。
「そんなに喜ぶようなことか?」
「だって……嬉しいよ、認めてもらえんのは。頭領はともかく、あんたが人を褒めるのって珍しいし」
「……そうか?」
「あーそうかもな。こいつ、思っててもあまり口にはしないから。おまけに愛想がないから、相手には逆の意味で取られることが多いし」
「……そんなことはない」
否定しつつも、図星を差されたような気がしてなんとなくぶすっとしてしまう。そんな雪華に向かって航悠が呆れたように苦笑した。
「あるって。ほらまた無表情。もう少し朗らかにしてろよ。……こんな風に」
「……いひゃいぞ」
雪華の両頬をつまみ、航悠が引っ張る。その様を見て飛路が噴き出した。
「ぷっ……! 雪華さん、すげー顔。美人台無し! やめて下さい頭領。オレ、夢に見そう」
「航悠……」
無礼な手を叩き落とし、頬を押さえる。遠慮なく笑っている航悠と飛路をねめつけると、雪華は踵を返した。
「怪しまれないうちに、そろそろ戻るよ。じゃ、次は蒼月楼だな」
「たぶんな。……ま、残り三日だ。あとはのんびり探ってりゃいいから、適当に働いとけ」
「ああ」
ひらひらと手を振った航悠と飛路に見送られ、官舎へと足を向ける。
――あと三日。外朝での任務は、終わりに差しかかっていた。
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