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十一の月
2、【飛路】豊穣祭
しおりを挟む「飛路、一緒に行かないか」
「え。オレ…!?」
航悠とはこれまで一緒に行動してきたのだし、今さらわざわざ祭りに行くこともないだろう。雪華が声をかけると、飛路は大仰に驚いた。
「あらら、フラれちまった」
「どうせお前は他にもアテがあるだろ。……どうだ? 飛路」
「い…、いいけど……」
うなずくも、飛路はどこか赤い顔で戸惑い気味だ。その反応に雪華はあっさりと誘いを取り下げる。
「いや別に無理にとは言わないが。嫌だったら一人で行くし」
「誰も嫌だなんて言ってないだろ。もちろん行くよ、オレで良かったら」
少しムキになったように飛路が早口で告げる。最後は笑顔で了解が得られ、雪華は満足げに頷いた。
「よし。じゃあな、航悠」
「おう。せいぜい貢いでもらえ」
「部下にせびるような真似はしないよ……」
そうして雪華は、年下の青年と祭りに繰り出すことにしたのだった。
「さすがに盛況だな……」
飛路と連れ立って屋台が多く出ている通りまで歩いてくると、赤い提灯が吊るされた市街地は普段と様子が一変していた。
夜が深まるにつれて、活気も増してきているようだ。通りは人でごった返し、流れに沿って歩くしかない。
雪華たちが普段生活している花街も不夜の街だが、やはり祭りで飾り付けた市街地とはだいぶ雰囲気が異なる。行きかう人の顔には今年も実りを得られたという安堵と満足感が、笑みとなって浮かんでいた。
「お前は前にも来たことがあるんだろう?」
「豊穣祭? ……うん、まあ。だいぶガキの頃だけど」
(……今だってガキだろ)
そう声に出しかけて、慌てて口をつぐんだ。一緒に来てくれた相手に対し、それはあまりに失礼というものだろう。
懐かしむようにつぶやいた飛路に、いつかの話を思い出す。子供の頃というと、飛路の父親がまだ存命だった時分のことだろうか。
「お父上と来られたのか」
「……うん、母親も一緒に。やっぱり今日みたいに混み合ってたから、オレは親父の肩に乗っかってた。……親父、背が高かったから視線がぐんと上がってさ、人の頭ばっかり見えて興奮したよ。遠くの城の方までよく見えたな」
「そうか……」
目を細めて頭上を見上げる飛路につられ、雪華も上を見上げる。酒楼の露台で談笑する人々の姿が目に入り、笑顔で飛路を振り返った。
「とりあえず、何か食べるか」
「あれと、それと……ああ、あれも美味そうだ」
「え。ちょっと、雪華さん……? まだ買うのかよ」
「あっちも買っていくか。飛路、ちょっと待ってろ」
「ええっ!? あんた、そんなに買って食えんのかよ」
数軒の屋台を行ったり来たりしながら、二人は食料を買い込んだ。木の下に設けられた椅子にかけ、包みを開く。様々な方法で調理された料理が並び、かぐわしい匂いが辺りにただよった。
「あんた、こんな食いきれんのかよ……。しかも甘味はほとんど買ってないし」
「これは、私の分じゃない。お前の分だよ」
「え?」
「せっかく色々な料理があるんだ。食べてみればいい。それにお前、甘味は苦手だろ? 付き合わせるのも悪いしな」
「そんな……オレ、おごってもらうつもりなんて……」
「気にするな。上役が部下におごるのは当たり前だろ。……いいから食べろ。育ち盛りだろ」
「オレ、さすがにそろそろ育ち盛りは終わるけど……」
飛路はうなずいたが、手に持った箸が迷うように揺れている。……律儀な青年だ。これぐらいで遠慮することなどないのに。
雪華は皿から落ちそうな芋をひょいとつまむと、無造作に口に放り込む。
「ま、お前に全部やるとは言ってないけどな。……ほら、箸をつけろ。さもなくば私が全部食べるぞ」
「さもなくばって……こういう時に使うっけ?」
「じゃあ『料理が惜しくば』だ。ほらその回鍋肉、美味いぞ。お前、手をつけないで私を太らせたいのか?」
「……ぷ。それは……もったいないな。あんたには、いつまでも綺麗でいてほしいよ」
「ふん」
ようやく笑った飛路が箸を握り直し、今度は遠慮なく料理に手をつける。十代らしい勢いで料理を平らげはじめた姿に雪華も小さく笑った。
やがて、大半は飛路が消費したがそれでもかなりの量の料理が胃に収まり、別腹の甘味をつまみながらまた歩きはじめる。隣に並んだ飛路がぽつりとつぶやいた。
「……部下、か」
「ん? ……部下だろ」
「そうだな、ただの部下だ。……今はね」
独り言のようなつぶやきに答えると、飛路が小さく苦笑する。彼は笑みを消すと、静かに続けた。
「あんたは、家族は」
「……もう、誰もいない」
唐突な質問のように感じたが、これは先ほどの話題を自分に返されただけだ。正直に答えると、飛路は気まずく眉を下げる。
「あ……。ごめん」
「何を謝る。別に今さら気にしていない」
「家族を知らない……わけじゃないよな? 兄弟とか、いたのか」
「……兄が一人いた。あとは両親と。どうということはない、普通の家だ」
「じゃあなんであんただけ、十歳で頭領のところに来て――」
「…………」
飛路の問いかけに雪華は冷えた視線で答える。祭りでいくぶんか浮き足立った気持ちが、すっと冷めていく気がした。
「それをお前に話す必要があるのか?」
「……っ。……ごめん」
「いや……いい。家族のことは、あまり話したくないんだ。悪いな」
冷ややかな口調で返すと飛路がはっとしたように口をつぐむ。雪華は首を振ると、固くなった空気を和らげるように苦笑した。だが飛路は、なおもしゅんと項垂れる。
「いや、オレこそ。調子に乗った。あんたのこと聞いてみたくて……」
「私の過去を知っても何にもならないよ。たいした出来事があるわけでもないし、同情されるのもまっぴらだ。大事なのは、今何をしてるかだろ? ……お前は、今の私だけ見てればいい」
「……っ」
「……? どうした」
飛路が雪華を凝視し、ぱっと耳まで赤くなった。……酒が回るにしては急すぎやしないか。雪華が首を傾げると、彼は口を押さえて顔を背ける。
「……絶対、気付いてないだろ。今あんた、すごい殺し文句言ったんだけど」
「は……?」
何を言っているのかわけが分からない。雪華から顔を逸らし続けていた飛路は、通りに目をやると「あ」と声を上げて目を見開く。
「……雪華さん。ちょっと待っててくれる? これ食ってていいから」
「は? ……ああ……」
「ごめん、ちょっと見たい店があって。すぐ戻るから!」
持っていた焼菓子の包みを雪華に押しつけると、飛路は突如として雑踏の中へ消えていった。……何か見つけたのだろうか。
満杯な腹にそれ以上何か入れる気分にはさすがにならず、雪華は手持ち無沙汰に飛路を待った。そして数分後、息を切らして飛路が戻ってくる。
「お待たせ」
「遅い」
「あ……ごめん。結構待たせちゃったな」
「……冗談だ。そうすぐに謝るな」
「あんたな……」
別に混んでいる中を慌てて来ることもないのに、つくづく律儀な青年だ。雪華がからかうと、飛路はじとっと渋い視線を向ける。
「これ。……あんたに」
「……? なんだ」
息を整えた飛路が、小さな紙包みを差し出した。手のひらに収まるそれはわずかに硬い感触がする。
逆さにすると、手のひらに何か輪のようなものが転がり落ちた。……青い石の腕輪だ。
「……瑠璃…か?」
「うん、そう言ってた。……ごめんな。あまり高い物じゃないけど、あんたに似合うかと思って」
「いや……」
つやのある青い石の中に、金と白の小さな石が星を散りばめたように輝いている。それは真冬の夜空のようで、目が自然と惹きつけられた。
飛路は高いものではないと言うが――おそらく、安いものでもないはずだ。無言で腕輪を見つめる雪華に飛路が不安そうな目を向ける。
「……気に入らなかったか?」
「え。……いや、そんなことはない。すごく綺麗だ。でも……いいのか?」
「うん。色々おごってもらったし」
おごったと言っても、たかだか屋台の料理だ。この腕輪に比べれば大した金額ではない。
『本当にいいのか』と再度尋ねようとしたが思いとどまり、雪華はそれを腕にはめる。冷たく滑らかな感触が手首にちょうど良くおさまった。
「ぴったりだ。……ありがとうな」
「どういたしまして」
ホッとはにかむように飛路が笑う。……瑠璃は美しく、綺麗だ。けれどそれ以上に彼の表情の方が、雪華にはまぶしいもののように思えた。
「私もお前に何か――」
「あ――」
「……? 誰かいたのか?」
「…………。えっ……、あ……ああ」
――何か、礼をしたい。雪華がそう言いかけると、飛路が遠くを見たまま固まった。声をかけるとはっとしたようにぎこちなく頷く。
「ごめん雪華さん。オレ、友達見つけたからちょっと外してもいいかな? 宿まで送れなくて悪いけど」
「大丈夫だ。私のことは気にしないでいい」
もう十分に楽しませてもらった。快く頷くと、飛路は申し訳なさそうに雪華から離れる。
「ほんとごめんな。じゃあ」
手を上げて、飛路が雑踏へと慌ただしく消えていく。買い込んだ珍しい甘味と青い石の腕輪を胸に、雪華は祭りの中を浮かれた気分で宿まで帰った。
その夜――陽連郊外の貴族宅にて、第二の爆発事件が発生した。
今回もまた威嚇目的だったようで、死者こそ出なかったものの、怪我人が何人も出たとあとから伝え聞いた。
やはり下手人は分からず、ただその被害者の貴族が皇帝擁護派だったことが、前回の事件との共通点だった。
これ以降、陽連では「皇帝と親しい貴族が狙われる」という噂がまことしやかに流れ、貴族は表立って皇帝をかばうことを避けるようになる。
そんな未来を予測することができるはずもなく、その夜雪華は深夜まで続く街の喧騒をものともせずに、深い眠りについていた。
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