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斎国歴六八四年 八の月

2、望まぬ再会 ◆

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 それから二日後。奇妙な匂いの漂う『依頼』を実行するために、雪華たちは街中の酒楼の露台ろだいを貸し切り、使節団の訪れを待っていた。風に吹かれながら、二階にせり出した露台から通りを見下ろす。

「あー、いい店だなぁ。美しい女性と楽しく過ごしたいのに、なんで仕事かねえ」

「大丈夫だ。お前はこんな上等な酒楼でなくとも、いつでもどこでもお楽しみしてるだろう」

「まーな。雪華、さすが俺のこと分かってるじゃねーの。これはもう愛だな」

「馬鹿か……。お前ほど分かりやすい奴はいないよ。一時間ぐらい見てれば、誰にだって分かる」

「あんたら、ほんと緊張感ないのな……」

 露台に置かれた椅子にだらしなくもたれかかる航悠。そして同じく腕と脚を組んだ雪華。陽光が温かく、思わず眠りを誘われる。
 そんなやる気のない幹部二人に、通りを見張っていた飛路が呆れた視線を向けた。

「もうすぐ来るんじゃないの? そんなんでいいのかよ」

「来たらちゃんと見張るって。……雪華、お前下行けよ。下の方がよく見えんだろ」

「お前、それ絶対自分が面倒臭いから言ってるだろ……。いいよ、お前はこっちで見ててくれ。馬車が来たら私が下りる」

 あからさまにやる気のない航悠に溜息を吐き、飛路に視線を向けると一緒に来いとの無言の指示に頷きが返される。飛路は雪華と航悠を眺め、口を開いた。

「あんたらさ……なんか、面白いよな。雪華さんも頭領も、何も言わなくても分かり合ってるって感じ。……やらしー」

「どこがだ……」

 飛路の含み笑いに雪華は額を押さえた。
 この二日で、飛路もずいぶんと暁の鷹に馴染んだようだ。上下関係にうるさい梅林あたりが「あいつ生意気っすよ! 姐御を名前で呼ぶなんて!」とかわめいていたが、早く慣れるに越したことはない。飛路はこれが初任務となるが、気負ったところもないように見えた。

 思えば、不思議な青年だ。蓮っ葉な言葉遣いですれているようにも見えるが、その所作には自然な品のようなものがあった。
 過去を聞くのは組織でも禁じているし、あえて問いただそうとも思わないが、もしかしたら貴族とか上等な商家の出自なのかもしれない。通りを見下ろす飛路を見て、ぼんやりとそんなことを思った。


「あ、来たみたいですよ」

 それから数分後。少しひそめられた飛路の声に、雪華と航悠は何気ない素振りで通りの向こうに目をやった。
 城に続く街道の方から、一台の馬車がゆっくりと近付いてくる。貴族たちが使う馬車に似せてあるが、分かるものにはそれが城の所蔵であることが分かる。よく見ると、貴族には使うことのできない意匠がその車体に彫り込まれているのだ。

「……間違いないな。飛路、下りるぞ」

「ああ」

 飛路を伴って階下の通りに出ると、二人は珍しい馬車の訪れに群がる民衆の中にそっと加わった。
 おそらく馬車は、この酒楼の向かいにある金貨の鋳造所に停まるはずだ。異国からきた客はたいてい、斎の進んだ鋳造技術を見学にここへやってくる。

 あくまで目立たず、けれど中の人物を確認できる位置に陣取り、馬車の到着を待つ。
 それから少しして馬車は雪華たちのいる数軒先に停車した。

「向こうの大臣でも乗ってるのかな」

「さすがに街中は連れ回さないんじゃないか。せいぜい副官とか下っ端役人あたりだろ」

 小声で交わし合い、じっと扉に目を向ける。
 御者台から御者が降り、周囲の状況を隙のない目で確認した。御者は鋭い視線を保ったまま、馬車の後ろについた扉を開く。

「あ、出てきた。……シルキア人だ」

「……若いな」

 音も立てずに開かれた扉の内側に、何か煌めくものがあった。
 その光の持ち主は御者の置いた台に足を乗せ、ゆっくりと馬車から降りてくる。……若い男だ。

 目に映ったのは、斎では見かけない形の黒い長衣。しなやかな体躯を包むそれは、穏やかな光を反射して複雑な紋様を浮かび上がらせている。
 その衣の上に黒い蜜を垂らしたような滑らかな肌が続き、見事としか言いようのない銀の髪が顔を縁取っている。斎国人が持ちえないその色彩に、地味ともいえる黒衣がおそろしく調和している。

 下を向いていた男が顔を上げる。ちらりと垣間見えたその容貌に、雪華と飛路はそろって息を呑んだ。

「すっげ……美形……。人形みてー」

 ……まさに、同感だった。シルキア人の年齢はよく分からないが、二十代半ばに見えるその男は天に授けられたとしか思えぬ美貌を有していた。まるで作り物のようで、畏怖すら覚える。
 高い鼻梁、彫りの深い目鼻立ち、薄い唇――神の手による彫刻のごとき顔の男に、周囲の民衆も水を打ったように静まり返る。

「……っ」

 そのときふと偶然に、シルキア人がこちらを向いた。褐色の顔の中、美しいみどりをした目が周囲に向けられる。
 男は周囲の気まずい沈黙にも動じることなく、ふっと控えめに笑むと視線を御者に戻した。その一連の動作にも気品が漂い、周りの人々が感嘆の吐息を漏らす。

「いやー、なんかすごいのが来たね。……あ、また降りてくる」

 どこか上の空でつぶやいた飛路の声に、雪華も視線を馬車へと戻した。シルキア人が降りたのに続き、車内から今度は見慣れた斎の衣が覗く。

「案内する役人かな」

「そうだな……。……っ!」

「……雪華さん?」



 雪華の目は、ただ一点――馬車から降りてくる男の姿に釘付けになった。
 飛路の声も届かない。瞬きすら忘れたように、地面に降り立ったその男を呆然と見つめる。

 青と薄藍の、重ねの衣。その仕立ては貴族が平素よく使う型のもので、若い貴族が案内をしているのかと思った。
 扉をくぐった青年の髪は黒。シルキア人の色彩とは異なり、なんの変哲もない斎国人にはありふれた色だ。だが、その顔は――

「な……ん、で……」

「どうかした?」

 ――忘れえぬ風貌。歳月を経てそれは少年の柔らかさを削ぎ落とし、大人の男のものになっていたが……見間違うはずもない。

 龍昇りゅうしょう――
 時の皇帝となった、かつての幼馴染の姿が――手の届きそうな距離に、あった。

「……っ!」

「え……、雪華さん…!?」

 考えるよりも先に、足が動いていた。
 すぐにここから立ち去らなければ。その焦燥に踵を返すも、いつの間にか周囲が見物人で固められて抜け出すことができない。苛立たしげに彼らを見やった雪華の耳に、飛路の慌てた声が届く。

「ちょっと、雪華さん!? どこ行くんだよ……!」

 大きく響いた飛路の声に、思わず舌打ちをして振り返る。
 自分はこんな状態だが、任務は任務だ。目立つなど言語道断――そう口を開きかけると、その先にある男の顔を真正面から見てしまい体が固まった。

「……雪華……?」

「…!」

 黒髪の男が、雪華の名を呼んだ。いや、飛路の言葉をそのまま反芻はんすうした。
 振り向いた雪華と男の視線が交わる。男はきょとんとした眼差しをしていたが、やがてその瞳に驚愕が浮かぶのに時間はかからなかった。

「あ……」

(まずい……!)

 一瞬だけ動くことを忘れていた自分に喝を入れ、慌てて顔を背けた。今度こそ群衆をかき分けて、その場からの離脱をはかる。飛路の声が追ってきたが、悪いと思いつつ完全に無視した。

「あっ……、そこの女性……!」

 耳の端に男の声が届いた。けれどそれも無視して雪華は進む。
 聞いてはいけない。振り返ってはならない。……そんな気がした。

「待って下さい! あなたは――!」

 背後から聞こえる懇願にも似た声を振り切るように、雪華は全速力でその場から駆け出した。



「おい、あんた! どこ行くんだよ…!」

「すまない、気分が悪いんだ! お前はそのまま任務を続けてくれ……!」

「そんなこと言ったって――、おい!」

 走ること数分。手を伸ばす飛路を振り切って通りから遠ざかると、そのうち飛路も諦めたのか引き留める声は聞こえなくなった。

「は……はぁ…っ、……はぁ……」

 適当な路地に入り、荒い息もそのままに壁にもたれかかる。瞳を閉じ、たった今見た信じがたい光景を思い出す。

 なんで――

「……あんな所に、いる……!」

 ――龍昇りゅうしょう胡朝こちょう第二代皇帝。
 かつて雪華の父に仕えていた宰相・黒耀こくようの息子にして、雪華の幼馴染。

 それは、生きる道を永遠にわかったはずの男だった。

(皇帝だろ!? 何を呑気に道案内なんかしてるんだ……!)

 激しく脈打つ心臓を抑えるように、きつく目を閉じる。するとまぶたの裏に先ほど見た幼馴染の姿が浮かび、ますます雪華を苛んだ。

 この目で見たのは、実に十三年ぶりだ。最後に会ったのは――あの、城を追われた日。当時奴はたしか十二かそこらだったはずだ。
 当たり前だが、背が伸びた。体つきも成人のそれで、あの日の少年はもうどこにもいない。
 だけど――

『雪華……?』

 自分を見た、まっすぐな黒い目だけはそのままだった。


「落ち着け……。もう会うこともないんだから……」

 そう言い聞かせるも、鼓動はやむことがなく。
 何も変わることはない。何も変わるはずがない。そう思うかたわらで、今日この日から何かが変わるかもしれないと――確信にも似た予感を、雪華は感じずにはいられなかった。
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