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終. 歴史の中へ
しおりを挟む氷の書記官ユンカースに熱愛の相手あり、しかも相手は「恵みの者」――その噂は、城内にあっという間に広まった。
ある者はあのユンカースにも感情があったのかと驚き、ある者はまたしても美形の貴族を射止めた「恵みの者」とは何者なのか色めき立ち、そして「誰にもなびかない書記官ユンカース」をひそかに想っていた多くの女官たちは心で泣いた。
それから数か月が経ち、有那は26歳の誕生日を迎えた。
北の隣国グラキエスの政情が絡んだ窃盗騒ぎは、ヴォルク将軍が予定を切り上げて王都に戻り、徹底的に取り締まったおかげですっかりなりをひそめた。今では安心して商売ができるようになっている。
有那はあのあと、ユンカースやミネルヴァと相談してしばらくは裏方に回った。ローレルやその仕事仲間に配達を手伝ってもらい、治安が良くなるのを待っていた。
そして馬の盗難対策を強化し、女一人でも安全に動けるようになると、今度はレーゲンが仕事を手伝ってくれるようになった。
副業として昼時だけ配達を手伝ってもらい、注文数も増やせたし、大男がそばにいることでかなりの犯罪抑止効果があるようだった。
「あたし思ったんだけどさー。この仕事って人手が必要なのは基本的に昼前の配達時間じゃん? そこって働いてない主婦の人が動きやすい時間だからさ、その人たちのパワー使えたらいいんじゃないかと思って」
「……ここに集まって、それから配達に向かってもらうということですか? 馬で」
この日の夜も有那は、誕生日とはまったく関係ない仕事の話をユンカースとしていた。彼にもらった王都の地図を見ながら、ぐるっとそれを指で囲う。
「ううん。馬なんてそんな何頭も借りられないから、徒歩で。王都のあちこちにさ、配送拠点みたいなのを作って、馬でそこにお弁当をまとめて届けて、そこから主婦ズに配ってもらう……みたいなイメージ」
有那が地図を示しながら説明すると、ユンカースが難しい顔で思案する。彼は小さくため息をつくとばっさり切り捨てた。
「計画が大雑把すぎますね。人を増やしても採算が取れるかどうか不透明すぎます」
「たはー。やっぱ駄目かー!」
有那がガクッと項垂れるとユンカースは地図上の一点を指差した。
「……ここなら。近くに行政機関があり赤字になることはないでしょう。国で所有する建物の中に空き部屋があったはずです。まずはここで、試しにやってみたらどうですか? あなたの言う『とらいある』ですよ」
ユンカースの代案に有那はパッと顔を上げた。親指をグッと立てるとウインクする。
「いいね! レーゲンとミネルヴァさんに相談してやってみよーっと」
有那は地図を丸めると、ユンカースの書斎から自室へ引き上げようとした。すると、慌てたユンカースに呼び止められる。
「ちょ、ちょっと待ってください。……誕生日ですよね?」
「え、うん。……あれっ、よく知ってたね? あたし言ったっけ?」
「カイトに聞きましたから。……あの、ちょっと待ってて下さい」
ユンカースがパタパタと寝室に向かい、そして戻ってきた。彼は何かの袋と封筒を有那に差し出す。
「お誕生日おめでとうございます。……すみません、知ったのが先日だったのであまり大したものは用意できなかったのですが」
「えっ。うそ、ありがとう! やだーうれしー」
このところ忙しくて、自分の誕生日なんてすっかり忘れてた。ユンカースからのプレゼントを受け取ろうとして有那ははっと気付く。
「あれっ。じゃあユンユンの誕生日っていつ!? あたし聞いてない!」
「僕は来月です」
「マジかー。良かったー! スルーするとこだった!」
今度こそ贈り物を受け取ると、有那はまず袋の方を開けた。中には革の手袋が入っている。
「乗馬用の手袋です。前、マメができて痛いと言っていたので」
「わぁ。嬉しい、やった! ちょうど欲しかったんだよね~」
薄い革で作られた赤茶のそれはフィット感も良く、明日からの仕事でさっそく役に立ちそうだ。
付き合って初めての誕生日に女性へ贈るには少々色気のないプレゼントだったが、有那の満足そうな顔を見てユンカースはほっとした。
「こっちは手紙だぁ。……あたし、カレシからラブレターとか貰ったの初めて! へへっ、うれしー」
「らぶれたー?」
「恋文だよ。えっ、そうでしょ?」
「……っ。……はい、まあ……」
有那は手袋を外すと今度は水色の封筒を開いた。不自然に眼鏡を直したユンカースは、有那が便箋を開くのを見て慌てて口を挟む。
「えっ。ここで読むんですか!?」
「え? 読むよ? すぐリアクション返さないと失礼じゃん」
「……っ」
ユンカースがさっと赤くなり、言葉に詰まった。そんな彼を不思議そうに眺め、有那は便箋に目を落とす。
「……えっ」
『ありなさん。おたんじょうび、おめでとうございます』
そこには、ひらがなで祝福のメッセージが綴られていた。
「えっ。なんでひらがな――。えっ!?」
「…………」
ユンカースが顔を赤くして視線を逸らす。空色の紙にはひらがなで続きが記されている。
『あなたがうまれたひに、しゅくふくを。あなたとかいとは、ぼくのたからものです』
「……っ」
有那がぐっと口を覆う。その下には、今度は美しいオケアノス語で長文がしたためられていた。
――あなたとカイトが現れ、僕の世界は変わりました。
これまで理解できないと切り捨ててきた感情を、自分には関係ないと思ってきた物事に向き合う向上心を、誰かを大切に想う心の温かさを、あなたは教えてくれました。
あなたは僕の光です。あなたが僕を幸せにしてくれたように、僕もあなたを幸せにしたい。
『あなたをあいしています。ゆんかーす』
最後だけまたひらがなで綴られたその手紙を読み終え、有那はずっと鼻をすすった。目元に手を当てると涙声でつぶやく。
「……めっちゃ語るじゃん。ユンユンって心の中ではこんなにおしゃべりだったんだね」
「まさか目の前で読まれるとは思わなかったですよ……」
「光、とか……言いすぎだよー。マジ書記官の破壊力なめてた。こんな熱烈なラブレター、もう絶対家宝にする」
「えっ。やめて下さい」
有那が涙をぬぐうと、ユンカースが本気で嫌そうな顔をする。有那の涙が渇くのを待って、ユンカースは彼女に向き合った。
「あの……僕はカイトのことも、同じように幸せにしたいと思っています。僕と彼の関係性が今後どうなるかはまだ分かりませんが、僕にとっても彼は大事な人です。僕たち、相棒なので」
「……相棒?」
「はい。あなたを笑顔にしたい、あなたを守りたい、あなたを幸せにしたいという想いを同じだけ持っているので。……僕たちは最強の相棒同士なんですよ。そんな彼を、僕はこれからも見守っていきたいです」
「…………」
ユンカースが真摯な眼差しで有那を見つめる。有那は再び目を潤ませながらうなずいた。
ユンカースはごくりとつばを飲み込み、今日言おうと決めていた言葉を緊張しながら口にする。有那も察したように姿勢を正した。
「アリナさん。……僕と結婚してください」
「いや、それはまだいいかな」
「…………。えっ?」
この雰囲気でまさか断られるとは思っていなかったユンカースは、ぽかんと目を見開いた。
目を拭いながらもあっさりと答えた有那にユンカースは食い下がる。
「えっ。な、なんでですか!? 僕の純情をもてあそんだんですか!」
「いや人聞き悪くない!?」
「だって僕は、最初からこうするつもりでお付き合いしたんですよ!? あなたにとっては遊びだったんですか?」
「違うって。だーかーら、『まだ』いいかなって。しないとは言ってないよ」
「……っ……」
有那の補足にユンカースは納得しかねるといった顔で黙る。意外に面倒くさい恋人に有那はやれやれと肩をすくめた。
「だってあたし、恋人同士でやりたいことまだたくさんあるし。カレシカノジョを満喫してないよ。ユンユンだってそうでしょ?」
「いや、僕は満喫したつもりですが……。結婚しても、変わらなくないですか?」
「えー、違うよー。つってもあたしも結婚したことないけど……。恋人って関係性を楽しめるのは今だけじゃん」
「…………」
ユンカースはまだピンときていなさそうだ。このドキドキ感を有那はもう少し味わっていたいのだ。結婚なんてその後でも全然遅くない。
無言で考え込んだユンカースは明らかに不服そうな顔でぼそっと口を開く。
「じゃあ……またひと月後に言います」
「はやっ! せめて来年にしようよ」
「一年も待てませんよ……! あなた危なっかしくてすぐどこかに行きそうだし!」
「信用ないなー。行かないって」
付き合ってみてびっくり、意外に執着系彼氏だった。こんなイケメンに溺愛されるなんて、あたしって罪な女……などと自惚れながら有那はユンカースを手懐ける。
「……約束ですよ」
「おけまるー。ちゃんとツバつけといてね」
「どういう――、……っ!」
もちろん有那だって気持ちは決まっているけれど、もう少しだけ、彼が自分に夢中になっている姿を見ていたい。それは意地悪だろうか。
チュッと口付けてニコニコと見つめると、ユンカースは根負けししたように顔を覆った。
それから毎月1回、食堂内では賑やかなやりとりが繰り広げられている。
「いい加減諦めて結婚してください!」
「もーちょっともーちょっと」
「かーちゃん、いいかげんけっこんしてあげなよ。ユンユンかわいそうだよ」
「ですよね、カイト」
「あっ手懐けて! しないとは言ってないじゃーん」
「あらあら、朝からお盛んね。若いっていいわねー」
「朝からこっぱずかしいやり取りしてるんじゃないよ! さっさと片付けな! ……アリナ。いい加減うるさいから諦めな」
「ねえ外堀埋められてない!?」
「『将を射んと欲すればまず馬を射よ』ですよ」
「馬射っちゃダメでしょ。大事にしないと。知らん知らん、難しいこと言われても分かんないよ~」
ユンカースが外堀を埋めつくすのが先か、有那が根負けするのが先か。それは誰にも分からない。
毎月恒例の恥ずかしい応酬が、今日も食堂に響き渡った。
――ここで、オケアノスにおける特異事象について記述しておこうと思う。
シルワ朝アステール3世の御代において、我が国には二人の成人した「恵みの者」が現れた。
一人は「恵みの侯爵夫人」として福祉分野の発展に尽力し、また一人は食料配送において王都の各地に拠点を設け、「すぐに食べられるものを届ける」という斬新な手法で食文化の発展に貢献した。
これが地方にも広がり、そして王都にも地方や他国の食文化が持ち込まれ、王都は大陸有数の食の都になったのだった。
光のような笑顔の二人目の「恵みの者」は、長く王都の民たちに愛された。
筆者もまた、そのうちの一人である。
オケアノス王国 第27代書記官長 ユンカース著
「人物からたどるオケアノス史」より
完
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