異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~【完結】

多摩ゆら

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40.宝物※

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 海渡をベッドに寝かせて洗面所で軽く体を洗うと、有那はリビングのドアを開けた。扉の向こうはまた扉になっていて、いつかの約束通り、ユンカース宅側の鍵が開けてある。
 玄関ではなく繋がった扉を利用してユンカースの書斎に入ると、そこは静まり返っていた。

(寝室かな……?)

 廊下をそろそろと歩いて寝室の扉をノックすると「どうぞ」と返される。有那が寝室に入ると、ユンカースは椅子に腰かけて持ち帰った辞書を眺めていた。


「……肩の傷、手当てしに来たんだけど」

「ああ、ありがとうございます。といっても先ほど拭いてしまいましたし、もうほとんど問題なさそうですが――」

 ユンカースもまた、穴が開いてしまった制服を脱いで簡素な私服になっていた。テーブルに歩み寄ると、有那はアステールに下賜された大活躍だった辞書を見下ろした。
 人攫いに向かって思いきり投げつけられたそれは、表紙の角がつぶれ、見事な箔押しもところどころ削れてしまっていた。

「ごめん……。ボロボロになっちゃったね」

「いえ、中身は無事でしたから……。装丁は、専門の職人に頼めば直してもらえますし」

「そうなの? でも、宝物なのに――。まさか武器にするとは思わなかったけど。ここに来て物理攻撃かよって」

 ユンカースの意外なコントロール力で投げられた辞書は、間違いなく鈍器だった。それを指摘するとユンカースは口ごもる。

「あれは……別に武器にしようと持っていったわけではなくて。……この辞書、価値の分かる相手に売れば2000万ギールと同等か、それ以上の価値があるものなんです」

「えっ。マジで?」

「はい。ですから犯人がさらなる身代金を要求するようなら、これを追加して増額した上で交渉しようかな、と。あとは事態が長引くようなら、売って路銀や傭兵を雇う足しにしようと考えていて。……結局、相手が短慮だったので交渉する間もなく投げつけてしまいましたが」

「…………」

 さらりと告げられた使い道に、有那は目を見開いた。辞書を見下ろすと、またじわっと瞳が潤む。

「なんで――。宝物じゃん。そんな簡単に、手放したら駄目だよ……」

「簡単じゃありませんよ。……まあ内容は覚えていますし、陛下には悪いですが辞書は手放してもまたいつか手に入るかもしれません。それよりも……あなたを失うことの方が、僕には何倍も恐ろしかったです」

「……っ」

「あなたはこれを僕の宝物だと言いました。僕もそう思っていました。でも……僕にはもっと、大切なものができたんです。金では買えない、失えない――。それは、あなたとカイトです」

 ユンカースの真摯な言葉に、有那は再びポロポロと涙をこぼした。
 彼が、大切なものを手放しても守りたいと思ってくれたもの。それが自分たちだと言われ、我慢できなかった。

「ありがとう……。助けてくれて、ありがとう……っ。大好き……!」

「こちらこそ。無事でいてくれて……ありがとうございます。……ああ、また泣いて。本当に涙もろいんだから」

「いや泣く場面でしょ、ここは! ――そっ、そうだ。手当てしなきゃ。肩の傷、見せて……」

「はい」

 有那が目をゴシゴシと拭くうちに、ユンカースが着ていた上着を脱いだ。
 ユンカースの怪我などお見通しだったミネルヴァから渡された化膿止めの軟膏を用意すると、有那は初めて見るユンカースの上半身に唖然となった。

「――え。……えっ?」

「……?」

「えっ。なっ、なんでそんなに体仕上がってんの!? えっ文官でしょ!? ヒョロガリじゃないの?」

 すらりとして、決して筋肉質ではないと思っていたユンカースは、脱ぐと意外にすごかった。もちろんムキムキではないが、肩回りや腹にはほどよく筋肉がついていて、細マッチョと呼んでも差し支えないレベルだ。
 驚愕に叫んだ有那にユンカースは「ああ」と自らの体を見下ろす。

「よく誤解されるんですが、書記官って結構重労働なんですよ。書物は重いので……。上層階にある書庫と何度も行ったり来たりするので足も鍛えられますし。あと、要人のそばに侍ることが多いので、ちょっとした訓練は課されます。襲われたとき、盾になって時間を稼ぐ程度ですが……」

「そ、そーなんだぁ……」

 ユンカースが説明してくれるが、有那は上の空だった。ユンカースの肉体美を横目でチラチラ見ては心拍数が上がる。

(えっ、ちょっ……! 急にオスみ出してこないで!? なんか緊張する……!)

 ドキドキしながら座ったユンカースの背後に立つと、気を引き締めてその肩を観察する。右肩の後ろに5センチほどの浅い切り傷があり、すでに出血は止まっていた。

「化膿止め、塗るね……。痛くない?」

「はい。なんともないです」

「良かった……。大事な腕に影響がなくて。字が書けなくなったら、ユンユンの夢が叶わなくなっちゃう」

 短い手当てを終えると、傷に触れないよう有那はユンカースの肩に額を押し当てた。そのまま裸の背中を背後から抱きしめる。

「――!」


 ユンカースがびくっと固まり、振り返った。その唇に、有那はキスを仕掛ける。
 数時間前、救出直後にぶつけられたユンカースの激情が、身の内にまだくすぶっていた。深く唇を重ねて舌を差し出すと、ユンカースもまたそれに応じる。二人はもつれるように互いを固く抱きしめ合った。

「――ユンユン。あたし……っ」

 やがて唇を離した有那が、湿った吐息と共に口を開くとその唇をユンカースの指で制された。ユンカースは首を振ると、目を細めて告げる。その瞳には、隠しようのない欲が滲んでいた。

「僕に言わせてください。……あなたを抱きたいです。……いいですよね?」

「うん……。今日は、あるの……?」

「はい。準備しておきました」

 ユンカースが立ち上がり、水差しから何かの種のようなものが入った瓶に水を注いだ。有那がベッドに腰かけると、それをサイドテーブルに置く。

「……何これ? ゴム?」

「ごむ? ……いえ、これはフィケレ草の種で――乾燥しているものを水で戻すと、避妊効果のある薬になるんです」

「へー! おもしろっ。いつも思うけど、こーゆーの誰が一番最初に使ったんだろうね。絶対変人だよね」

「さあ。昔から使われてきたものなので……」

 種が水でふやかされていく様子を興味津々で眺めていると、ユンカースがなんとも言えない顔で返す。有那は軽い気持ちで問いかけた。
 
「これどこに売ってんの? それとも採ってきたの?」

「普通に薬草屋で売ってました。ある方に場所を聞いて――」

「ある方?」

「あ、いえ……。それはどうでもいいんですが」

 余計なことを言ったとばかりに、隣に腰かけたユンカースが一つ咳払いをする。有那が横を向くと、ユンカースは神妙な顔で口を開いた。

「あの、一つお伝えしておきたいことがあるんですが。……僕は、女性経験がありません」

「ん? ……んっ!? ……あ、そーなんだ……」

 突然の告白に有那は目を見開いた。普段の様子や先日の「ほぼほぼセックス」のときに経験が多くはなさそうだと思っていたが、さすがに童貞とは思わなかった。
 有那が瞬きするとユンカースは難しい顔で続ける。

「前回お伝えすれば良かったんですが、勢いがまさってしまって結局言いそびれ……」

「いや、それは別にいいけど……。てかごめん、いきなりフェラとかしちゃって! そうと知ってれば段階踏んだのに。ビビったよね!?」

「ふぇ……?」

「いや、口で……」

「あ、ああ……」

 あのもどかしくも淫靡だった夜を思い出し、二人の頬がカーッと染まる。ユンカースは眼鏡を直すと気を取り直すように小さく息を吐いた。

「いえ、あれはあれで――。……ではなく。僕はもともと、こういった性的なことに興味もなかったですし、いつかもし何らかの事情で結婚せざるをえない状況になったら、そのとき考えればいいと思って。そのことについて、自分でもなんとも思っていませんでしたが……今この状況になって、経験しておけば良かったと思いました」

「……? なんで? 別に23で童貞とか普通じゃん? 早けりゃいいってモンでもないし。ヤリチンよりよっぽど良くない?」

「あなたを……満足させられないかと思って……」

 絞り出すように告げたユンカースに、有那は目を見開き、そして噴き出した。

「あはっ! そんなの気にしなくていいのに! あたし、ユンユンとできるだけで嬉しい。それにあたしが初めてなんて、どーしよ……すごい嬉しい。やだー他の女知らないなんてチョー嬉しー」

 口を押さえて笑いながら揺れる有那に、ユンカースが拍子抜けしたような顔になる。彼はうつむいて小さく笑うと眼鏡を静かに外した。

「あなたの明るい能天気さには、救われます」

「いやここでディスるんかーい。もうちょっとムード――」

「……初めてなので、上手にはできないと思います。でも、大切にします。……あなたのことをもっと知りたい」

 ツッコミを入れた手を握られ、真正面から熱っぽく告げられると有那の心拍数が一気に上がった。赤い顔でうなずくと、ランプの灯りを背負って優しいキスが降ってきた。


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