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37.元神童の怒り
しおりを挟む人攫いからの書状には、身代金を用意しろとは書いてあったがどこに持ってこいとは書いていなかった。ローレルに借りた馬に飛び乗ったユンカースは、オルニスが率いる小隊と共に東の砦へと向かう。
王都には東西南北四つの砦があるが、北のグラキエスに向かう街道に出るなら東の砦からが一番近いため、犯人がもし通るのならそこだと踏んだのだ。なお、他の隊は別の方角の砦や市街地へと向かわせた。
馬を駆りながらユンカースは思考を全力で巡らせる。
(犯人にはアリナさんが恵みの者だとバレていた。……というか、それを知ったからこそ身代金を要求してきた。馬を最初に盗ろうとしたということは、はじめからアリナさんを狙っていたわけじゃない。じゃあ、アリナさんが自ら恵みの者だと名乗った……?)
なぜわざわざそんな、自らを危険に晒すようなことを言ったのか。……それは、さらなる危険が迫っていてやむを得ずだったのではないか。
『恵みの者』だと明かせば、その存在の希少さゆえ自らの身の安全を交渉の対価にできる。つまりは、有那が身の危険にさらされていた可能性が高いということではないのか――
(くそ……っ! 無事でいてくれ! 誰もあの人を傷つけるな……!)
ぎりっと奥歯を噛みしめると背後から猛速で迫ってくる馬の足音が聞こえた。振り返ると、城の衛兵が書状を振りながら追ってくる。
「伝令ー! オルニス副官、星読みの館から早文です!」
「はっ!? 星読みの館!? なんで大神官様から――、……止まれ!」
オルニスが慌てて馬を止め、書状を受け取る。ユンカースも横に並ぶとそれをのぞき込んだ。
何度か星読みの館でやり取りした署名と同じ筆跡で、短文が記してあった。
「いや、これなんて書いてあんの!? 読めねーんだけど!」
「間違いなくアデリカルナアドルカ様の筆跡です。……貸してください」
アデリカルナアドルカは実は異国の出身で、オケアノス語を綴るとき非常に強いくせがあった。そのくせ字をユンカースは難なく読み解く。
ちなみにアステールもなかなかのくせ字の持ち主だったが、これも訓練の賜物でユンカースは苦も無く解読できる。
「でも、なぜ大神官様から……。ひとまず読みますね。『黒き川のほとり、街道と交わる地に星の瞬きあり』」
「ん? ……どゆこと?」
「オケアノスの中で黒い川と呼ばれるのは東の砦を抜けた先のアーテル川だけです。この時期は黒鳥が北から飛来して川を埋め尽くすため、そう呼ばれるんです」
「へー。よく知ってんなあ」
アデリカルナアドルカの書状を読み解き、知識を披露したユンカースにオルニスが感嘆する。ユンカースは持参した国内の詳細な地図を広げると、アーテル川の流れを指でなぞった。
「アーテル川の流域で、街道と交差するのは一箇所しかありません。有名な道ではないので地図には載っていませんが……このあたりです」
ユンカースが地図の一点を指差すと、オルニスはぎょっとしたように年下の書記官を見やる。
「いや、なんで分かんの!? 地図に載ってないような街道の位置まで覚えてんの?」
「はい。前にもっと細かい地図を見たことがあるので……。一度見たら覚えられます」
「マジか……。いや地味にすげーなユンカース君。きみいなかったら完全に詰んでたわ」
感心したようにオルニスが告げ、ユンカースは東に向かってきた自分たちの判断が正しかったことにほっとした。
「じゃあ、星の瞬きってのは?」
「5年ほど前、侯爵夫人がまだ夫人でなかった頃に、やはりアデリカルナアドルカ様がそう表現されたことがあると記録に残されています。そのときは、異界との門が開くことを意味していたようですが――もしかしたら、『恵みの者』に何かが起こるときに星の変化を察知されるのかもしれません」
「なるほど、あのときのあれか……」
オルニスがその一件に多少なりとも関わっていたとはつゆ知らず、ユンカースは東の方角を睨んだ。先にそびえ立つ東の砦、そしてその先のアーテル川を見通すように目を細めると空を見上げる。
「日が完全に落ちる前に着きたいです。急ぎましょう!」
ユンカースの指示で東の砦を抜け、細い街道を進んだ一行は川のほとりにある小さな小屋を見つけた。
陽が沈み、辺りは黄昏から宵に入りつつある。小屋の裏に馬が繋いであるのを見て取りユンカースは確信した。……あの鞍の形。間違いない、ローレルの店の馬だ。
街道から小屋へと地面に残された足あとを観察し、ユンカースは小声でオルニスに告げる。
「小屋の大きさと馬の数から見て、仲間は一人か二人程度だと思います。中の状況が分からないので、武装してない僕が先に行きます。軍人がいきなり突入すると逆上して何をするか分かりませんから……。あの木立の影なら角度的に小屋からは見えないはずです。危険があったら指笛を鳴らしますから、動いてください」
「いや一人で行くって、ユンカース君、腕に自信あんの?」
「あるわけないです。僕は筋金入りの文官ですから。でも、裁判で書記を務めたことは数知れずあるので、奴らがどう動くかはなんとなく分かります。あとはこの行き当たりばったりな、短絡的で浅慮な犯行――おそらく相手は馬鹿だと思います。いくら僕でもそんな馬鹿にやられる気はしないです」
「……ユンカース君、もしかしてめっちゃ怒ってる?」
「当たり前です。ブッころですよ。あの人風に言うと」
無表情なのにやたら饒舌なのが怖い。静かにブチ切れている眉目秀麗な書記官の姿に、オルニスは背筋をぶるっと震わせた。
ユンカースは足音を消して小屋へと近付くと、その扉を叩いた。
「――城からの使いです。人質解放の交渉に伺いました」
「なんでこんなに早く来るんだよ!? まだ2通目の脅迫状も出してないのに!」
「知らねえよ! ……くそっ! なんでここがバレた!? もしかしてつけられてたか? ちょっと俺は周囲を見てくる!」
「……?」
小部屋に転がされ、体力温存のためウトウトしていた有那は続き部屋から漏れ聞こえた声にはっと目を覚ました。
体を起こすと、ガチャガチャと扉を鳴らす音に身を強張らせる。ほどなくして扉が開き、後ろ手に縛られた手首を乱暴に掴まれた。
「いっ……!」
「くそっ……! 身代金と引き換えに、こんな女さっさと手放してやる! 人攫いなんてするんじゃなかった!」
(えっ。身代金!? あたし誘拐されたことになってんの? じゃあお金払えば返してもらえる――。いや、誰が払うんだ?)
分からないことだらけで頭にハテナが浮かぶが、手首を引っ張る髭男の力は緩まない。ずりずりと続きの間へと引き出され、有那はその痛みに叫んだ。
「――ちょっと! 痛いってば! あたしのこと傷付けたらタダじゃおかないんだから……!」
「相変わらずキャンキャンうるせえ女だな! ……ほら! 無事を確認させてやるよ! それが望みなんだろ!?」
「……?」
どこか上擦った髭男の声に有那は顔を上げると、はっと目を見開いた。
小屋の入り口に、藍色に染まる空を背負って――ユンカースが立っていた。
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