31 / 49
30.堅物書記官の苦悩
しおりを挟む翌朝、ユンカースは目覚めると洗顔と朝食のためにゆっくり1階へと降りていった。
「いて……」
昨日海渡と有那と一緒に「ヤキュー」をしたせいか肩と二の腕の裏側が重く痛い。
発端は自分が、「最初に言われた『ヤキューちーむみたい』ってどういう意味ですか」と聞いたことだった。それで遊びと説明を兼ねて、有那お手製の小さな球で「きゃっちぼーる」なるものをしたのだ。
そこでユンカースは、意外と自分がコントロール力が良いということを初めて知った。
(思ったより楽しかったけど、腕をやられたのは誤算だった……。仕事に支障が出ないようにしないと)
運動不足だろうかと日頃の生活を反省しながら、ユンカースは住人用の食堂の扉を開ける。
「あ――。おはようございます」
「ああ、おはよう。……今日は早いんだね」
「はい、早番なので……」
食堂ではミネルヴァが一人で朝食を取っていた。ユンカースが挨拶すると厨房に引っ込み、パンと目玉焼きとコーヒーを出してくれる。
「ありがとうございます。……いただきます」
ミネルヴァも再び席に戻ると食事を続ける。テーブルの対角線上で、二人はいつも通り黙々と手と口を動かした。
(――あ。今が機会なんじゃないか?)
いつもより起きるのが早かったから、まだ有那もレーゲンも降りてこない。ユンカースは急いで皿を綺麗にすると、食後のコーヒーを飲んでいるミネルヴァに話しかけた。
「あの、ミネルヴァさん。少し話があるのですが」
「なんだい。アリナとのことなら改まった話はいらないよ」
「いえそうではなく――。……えっ!? あっ……、アリナさんからもう話があったんですか!?」
うっかり否定したあと、ミネルヴァの口から告げられた言葉にユンカースは目を剥いた。ミネルヴァは「何を馬鹿なことを」と言わんばかりの冷めた目でため息をつく。
「違うよ。見てりゃあだいたい分かる」
「えっ。……僕、そんなに分かりやすかったですか……」
そんなに浮かれた顔をしていたのだろうか。……恥ずかしい。
ユンカースが口を押さえると、ミネルヴァは呆れた視線を向ける。
「お前さんはともかく、アリナがね。……お前さんがいりゃあ目で追うし、犬みたいに寄ってくし、いなきゃいないで恋する乙女みたいな顔してるし。仕込みしながら『うへへ……ヤバッ。キャー!』なんてダンダン包丁でまな板叩いてる姿を見てごらんよ。誰だって恋してんだなって分かるさ」
「…………」
ご丁寧に有那の声真似をしたミネルヴァがやれやれと手を振る。自分の不在時の有那を想像してユンカースもまた無言で赤くなった。
「それは……失礼しました。あの、ご報告が遅くなってすみません」
「別に報告してくれなくても良かったんだけどね。お互いいい歳なんだ、好きにしな。……ああ、アリナにも言ったがそこいらでサカるのだけはやめとくれよ」
「さっ……! ――しませんよ!」
「どうだかね」
フンと鼻で笑ったミネルヴァが食器を持って立ち上がる。ユンカースに背を向けて小柄な老女は言い放った。
「無責任に孕ませるような同じ轍だけは踏ませるんじゃないよ。相応の覚悟を持って付き合うことだね。別れたらお前さんが出ていくんだよ、ユンカース」
「……手厳しいですね」
「フン。アタシはガキには甘いのさ」
その日の夕方、ユンカースは仕事を終えると城門へと足を向けた。しばらく待っていると、野太い笑い声と共に屈強な男たちが控室から出てくる。
「じゃあな、レーゲン」
「はーい、またねぇ。――きゃっ!?」
「レーゲンさん。……少し付き合ってもらえませんか」
同僚と別れたレーゲンは、待ち伏せをしていた眉目秀麗な若い文官の姿に野太い声で乙女な悲鳴を上げた。
「ちょっとあんたねえ、びっくりしたじゃないのよ! 私はともかく、同僚たちは気が荒いのもいるんだから、お綺麗な文官様なんて急に来たら難癖つけられるわよ!」
「え、うちの城の治安ってそんなに悪かったんですか」
「冗談よ! ……急にどうしたの? あんたから誘うなんて初めてじゃない?」
「…………」
突然レーゲンの前に現れたユンカースは、思いつめたような顔でレーゲンを飲みに誘った。連れてこられたのは前回も来た男だけの怪しい店だが、くねくねと寄ってくる女装美人にも今日のユンカースは反応しない。
言葉少なにエールを飲むユンカースをレーゲンは長いまつげの下の目で見つめた。
「どうしたのよ~? 上手くいったんでしょ? アリナからなんとなく聞いてるわよ」
「それは――。はい、おかげさまで……」
「まあご馳走様。ねえねえ、昨日あの服着てきたんでしょ? 良かったでしょ~」
レーゲンがニヤニヤと笑みを浮かべ、ユンカースはうっと詰まった。彼は必要もないのに眼鏡の位置を直すと、ほんのり染まった顔でぼそっとつぶやく。
「……はい」
「キャー! あんたたち、カワイイ! そういうのが見たかったのよ~」
度数の強いアルコールのグラスを置いたレーゲンが拳を握って身悶える。ユンカースは口ごもりながらぼそぼそと続けた。
「その……思いのほか、似合っていて。最初、誰かと思いました」
「でしょうね~。でもあの子、顔派手だけど整ってるから意外になんでも似合うと思うのよ。またあの系統の服、買ってあげちゃおうかしら。うふっ!」
指を組んだレーゲンがキラキラした目で夢想する。ユンカースは酒を含みながら昨日の有那を思い返していた。
……そう、驚いた。普段とまったく系統の異なる服を着た有那に。そしてそれが意外なほど似合っていたことに。
レーゲンから聞いた有那いわく「彼氏が好きそうなこーで」だそうだが、なるほど恐ろしいほどユンカースの、自分でも知らなかった心の琴線に触れた。不可解な動揺により、しばらく有那を直視できなかったほどだ。
「でも、僕……最初は似合ってると思ったんですが、話しているうちにだんだん『なんだか物足りない』とも思ったんです。……おかしいですよね? 他人ならともかく、恋人の露出なんて少ない方が絶対いいのに」
「……あら」
「ヘソ出して、あんな危なっかしい格好してるのに……僕、そっちの方がアリナさんらしくていいなんて思っ――」
そこまで言って、ユンカースははっと口を覆った。無言で見上げると、レーゲンがうっとりした目で見下ろしている。
「すみません今のは忘れてください!」
「嫌よ! 言質取ったから! ふーん、そぉ。ありのままのアリナの方がいいのね~。……愛ね」
「や、やめて下さい」
顔を近付けて迫ってくるレーゲンをユンカースは軽く押しのけた。……まずい。ほろ酔いで言わなくてもいいことまで言ってしまった。
赤い顔で困惑したユンカースはしばらく沈黙したあと、ちらっとレーゲンを見上げる。
「あの……恥ずかしい思いをしたので、この際一つ質問があるのですが」
「なあに?」
「その……女の人って、あんなに急に見え方が変わるものなんでしょうか。アリナさんが何か変わったわけじゃないのに、なんだか最近、ふとした瞬間にすごくかわ――。…………」
途中まで告げて、やはり恥ずかしくなりユンカースの声が途切れた。視線を逸らして俯くと、レーゲンが穏やかに言葉を続ける。
「……可愛く、思える?」
「……っ。はい……。別にいつもじゃないんですけど……たまにすごくかわ…いくて……」
レーゲンが見つめるとユンカースは口を覆い、目をつぶってしまった。言うんじゃなかったと後悔している顔だ。
レーゲンは激しい胸のときめきに感謝した。こんな身近にこんなにじれったく悶えさせてくれる相手がいるなんて!
ニマニマと震える唇を隠しきれないまま、レーゲンは告げた。
「それはアリナもだけど、あんたが変わったのよ。そういう気持ちを、『愛しい』って言うの。そのまま言ってあげればいいじゃない、可愛いって。きっと喜ぶわよ」
「む…無理ですよ……」
「できるできる。『しごできユンユン』ならできる!」
「ちょっと、あの人の真似するのはやめて下さい……!」
うりうりと顔を近付けてくるレーゲンを手で押しのけ、ユンカースはエールをまた口に含んだ。
暗い店内とアルコールでふわふわと思考がまとまらない。
有那の顔が思い出される。久しぶりの酒を美味そうに飲み干す姿。親離れできるだろうかとベショベショに泣いた顔。ユンカースに気付いて明るい笑顔で寄ってくる姿。口付けたあと、赤面して照れる――意外なほど女らしい顔。
……会いたい。ユンカースは口を覆うと止まらぬ感情の奔流にうなだれる。
「僕……馬鹿になってますよね……。こんなわけの分からない質問して――」
「しょーがないわよ、馬鹿にもなるって! 初めての恋ならなおさらよぉ」
レーゲンがバンバンと肩を叩く。屈強な大男に叩かれる痛みに理性を少し取り戻すと、ユンカースは続けた。
「僕――こうなってから、時々自分が分からなくなるんです。あの人、過去に嫌な思いをして……だから僕は、彼女を大事にしたいんです。怖がらせたくない。……だけど、急に理性が危うくなる時があって――」
有那と二度目に口付けをしたとき、そして昨日もそうだった。
有那の言葉で、もしくは表情で、ふいにガクッと理性が揺らぐことがあるのだ。そして衝動的に彼女に触れてしまう。
男に急に触れられることが苦手な有那を怖がらせたくないのに、はっきりとした男の欲を彼女にぶつけてしまいそうになる。ユンカースはそんな自分が怖かった。
「まあ、男だからねえ……」
「僕……おかしいですか」
「いや普通でしょ。よく我慢してる方よ。私だったら食っちゃうわよ。……それとも、私で練習しとく?」
低いささやきと共にスリ…と頬を撫でられ、ユンカースは後ずさった。ぞわっと鳥肌を立てた若く生真面目な青年にレーゲンは破顔する。
「なーんてうっそー。やーん、カワイイ! 今初めてもったいないと思っちゃった」
「冗談はやめて下さいよ……!」
ほろ酔いが吹っ飛んだらしいユンカースが叫ぶ。レーゲンはグラスを飲み干すと、バンとユンカースの背を叩いた。
「さ、帰りましょ! 今日はまだ会ってないんでしょ? おやすみの接吻でもブチかませ!」
「無理です……!」
16
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜
楠ノ木雫
恋愛
病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。
病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。
元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!
でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
偏屈な辺境伯爵のメイドに転生しましたが、前世が秋葉原ナンバーワンメイドなので問題ありません
八星 こはく
恋愛
【愛されスキルで溺愛されてみせる!伯爵×ぽんこつメイドの身分差ラブ!】
「私の可愛さで、絶対ご主人様に溺愛させてみせるんだから!」
メイドカフェ激戦区・秋葉原で人気ナンバー1を誇っていた天才メイド・長谷川 咲
しかし、ある日目が覚めると、異世界で別人になっていた!
しかも、貧乏な平民の少女・アリスに生まれ変わった咲は、『使用人も怯えて逃げ出す』と噂の伯爵・ランスロットへの奉公が決まっていたのだ。
使用人としてのスキルなんて咲にはない。
でも、メイドカフェで鍛え上げた『愛され力』ならある。
そう決意し、ランスロットへ仕え始めるのだった。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた
愛丸 リナ
恋愛
少女は綺麗過ぎた。
整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。
最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?
でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。
クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……
たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた
それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない
______________________________
ATTENTION
自己満小説満載
一話ずつ、出来上がり次第投稿
急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする
文章が変な時があります
恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定
以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる