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28.好きになる理由
しおりを挟む「でー、レーゲンが服買ってくれてー。今度着るから楽しみにしてて!」
「はい。……いい休日でしたね」
その日の夜、海渡を寝かしつけると有那は中庭でユンカースと落ち合った。
どちらから約束したわけではないが、天気がいい夜はここで寝る前のおしゃべりをするのがなんとなく習慣のようになっていた。
今日の出来事を語ると、ユンカースが相槌を打ちながら静かに聞き入る。いつも話をするのはほとんど有那の方だったが、有那にとってはユンカースと二人きりになれる貴重で大切な時間だった。
「あ、そうそう。これ見て! ネイル! これもレーゲンに教えてもらったの!」
「ねいる……? ……爪が赤いですね。爪紅ですか?」
「そう! 花の汁を加工すると染まるんだって~。こっちにもネイルがあるなんて嬉しい。あたし自分でやるの好きだったんだー。へへっ、めっちゃ可愛い」
有那がウキウキと爪を見せると、ユンカースが手を添えてじっと覗き込む。そのまま無言で手をにぎにぎと握られて、有那はふいの接触に少し戸惑った。
「ユンユン……?」
「あ……。すみません。綺麗な色ですね」
「う、うん」
ユンカースがぱっと手を離して詫びる。有那は手を引き寄せながら、もう少し触ってほしかったな……と思った。
代わりに体を横にずらすと、ユンカースの隣にぴとっと張り付く。縮まった距離にユンカースが少し体を固くした。
「あのさー。今日レーゲンと話してて思ったんだけどさー」
「はい」
「あたしたちのことって、レーゲンやミネルヴァさんに……言う? レーゲンにはカレシできた、とは言っちゃったんだけど」
「…………」
有那の言葉にユンカースは少し沈黙した。小さく息を吐き出すと、ぽつりとつぶやく。
「レーゲンさんには……たぶんバレていると思います。僕が前にうっかり話したことがあるので……」
「え。なにそれなにそれ! ユンユン、レーゲンに相談とかしてたの!? 恋バナじゃん! めっちゃ気になる!」
「それはいいですから! ……まあ、そのときにたまたま相手があなただと言ってしまって……あなたも彼と話したのなら、おそらく繋がったのではないかと――」
「あ……ああ~。だからあの笑顔か……」
昼間のレーゲンの意味深な笑みを思い出して有那は納得した。最初から知っていたというわけか。
「恥っず……。知ってたなら教えてくれればいいのに~!」
「まあ、そういう人ですから……。それでミネルヴァさんの方ですが、あの人も鋭いので言わなくてもすぐバレる気がしますが、僕としては……言っておきたいです、ちゃんと。昔からお世話になっているので」
「ユンユン……」
「機会を見て、僕の方から伝えます。心配しないでください」
きっぱりと宣言したユンカースを有那はポーッと見上げた。彼がこの関係を真面目に考えてくれていることが嬉しかった。
(なにこれすごい、うちのカレシがハイスペすぎる)
ハートを飛ばす有那に対し、ユンカースはしばし無言でうつむいた。膝の上で手を組むと、有那を見上げる。
「……あの、質問したいことがあるんですが」
「ん? なに」
「その……自分があなたに惹かれたきっかけはなんとなく分かるんですが、あなたが僕を想ってくれた理由が分からなくて……。僕のどこに、好きになってもらう要素がありましたか?」
「……は?」
真剣な顔で告げられた疑問に、有那はぽかんと口を開けた。ユンカースは「まるで分かりません」という顔で有那を見上げる。
「いや……ちょちょちょ、待って。好きになってもらう要素って――。ユンユン、だって今までにもコクられた経験とかあるでしょ?」
「こくる――告白ですか。好意を伝える」
「そう。一回もないってことはないでしょ……!」
好意を向けられたことがないなんて、絶対ないはずだ。この顔だし、城勤めだし、職場に女性がいるのかどうかは分からないが女が放っておくはずがない。
ユンカースは宙に目を向けると指を折って数えようとしてやめた。
「10回では済まないですね……」
「やっぱりか……!」
「でも全員、お断りしてきました。興味がないので、と」
「塩対応! でもそこが好き……!」
ユンカースの恋愛への興味の薄さのおかげで今この関係があるわけだからありがたいが、彼にすげなく振られた女子の気持ちを想って有那は心で泣いた。
一通りツッコミを終えると、ユンカースを見上げる。
「じゃあさ……その人たちは、なんでユンユンを好きになったんだと思う?」
「…………。顔と仕事、でしょうか……。市井の方たちに比べたら給金は貰っている方だと思いますし」
「あ、顔がいい自覚はあるんだ……」
「よく言われますから。それに陛下は一定以上の容姿の者をそばに置くことを好みます。人心掌握に効果的だからと」
「悪の親玉かよ……。まあ分からんでもないけど」
有那は小さくため息を吐いた。
……顔と仕事。たしかにユンカースの魅力を構成する重要な要素ではあるけれど、全員が全員、そこに惹かれたわけではないだろう。ちょっとした態度に透けて見える真摯さとか不器用な優しさに惹かれた人もいるはずだ。
(自分の魅力を知らないんだ。……もったいない)
膝の上で組まれたユンカースの手に自分の手をそっと乗せると、有那はそこを撫でた。
「ユンユンはさ、たしかに顔はめっちゃカッコいいし、しごできだし給料もいいんだろうけど……それだけじゃないんだよ、全然。あたしにとっては住む場所をくれた恩人だし、色々教えてくれる先生だし、仕事を手伝ってくれる仲間だし、息子を可愛がって――てゆーか仲良くしてくれる友達だし、たまにポンコツな弟だし、色々な顔があるんだよ」
「……僕は弟じゃないですよ」
「分かってるよ。あたしをドキドキさせて、甘ったれにして、キュンとさせる恋人……でしょ?」
「……っ」
ユンカースの拳がきゅっと締まった。有那はその片手に指を絡めると、コテンと広い肩に寄りかかる。
「理由とか要素とか、どうでも良くない? そう思っちゃったんだから。好きになるのに、理由なんていらないよ」
「……そうですね」
ふっとユンカースが笑い、片手が背中に回された。肩を抱かれると体の片側が密着する。
つないだ手を離し、ユンカースの手のひらが有那の頬に添えられる。そのまま引き寄せられ、自然に唇が重なった。
「ユンユン――」
一度目のキスよりも、それは丁寧で想いがこもっている気がした。長く触れたあと、少し顔を離してお互い見つめ合うとチュッチュッと軽く重なり合う。
眼鏡のフレームが頬に当たり、有那は吐息で訴えた。
「眼鏡、外して……」
「あ……はい」
ユンカースが眼鏡を外してベンチに置くと、有那は初めて見る彼の素顔に見とれた。切れ長の金の目が月明かりに照らされ、その瞳に女の顔をした自分が映っていた。
「あは……、やっぱカッコいいなあ……。ユンユンしか勝たん。……他の女に見せるのやだな」
有那が小さく苦笑すると、再び顔が近付く。唇が重なると有那はユンカースの背に手を回した。
「……好きです」
「うん。あたしも――、……っ、ん……っ」
「あなたが好きです……っ」
再び長いキスを交わしたあと、不意にぺろ、と唇の表面を舐められて有那はぴくりと身じろいだ。その後も数度舌が触れ、有那はそろそろと唇を開く。
じっと待ってみても、ユンカースの舌が踏み込んでくることはなかった。それがもどかしくて、口付けの角度を変えると有那は自分から舌を差し出した。
「……ッ!」
ユンカースの肩が強張り、顔をわずかに引こうとする。それを追いかけるように有那は唇を押し付けると舌でユンカースのそれに触れる。
「ユンユン……」
鼻にかかったその声は、かすれてひどく甘かった。吐息交じりの声に引きずられたようにユンカースは眉を歪めると、少し乱暴に有那の肩を掴む。
「アリナさん……っ!」
「! ……んっ、ふ――」
触れた舌を押し返すように、有那の口の中にユンカースが入ってきた。それは激しく、有那のことを知ろうと言うように深くねじ込まれる。
粘膜同士が触れ、ユンカースの息づかいと熱がダイレクトに伝わる。いつもすました顔の彼の中に眠っていた、性急な雄の片鱗を垣間見て有那はぞくぞくと背中が震えた。
「ユンユ――、ふぁっ……!」
「……!」
(ヤバッ……! 変な声出ちゃった!)
執拗な口付けのあと、歯列の裏側をなぞられて耐えきれず甘ったるい声が鼻から抜けた。ユンカースがびくっと震えて有那から顔を離す。有那もまた自分の口を押さえると二人は至近距離で見つめ合った。
「す、すみません。こんなところで――!」
「いや、あの、あたしこそゴメン!」
心臓がバクバクと鳴っている。今、完全に――そういう気分と雰囲気になっていた。ユンカースの反応を見る限り、彼もきっと――
このまま、続きがしたい。けれどそれを言うのはさすがにはばかられて、有那は赤い顔でうつむく。眼鏡をかけ直したユンカースが有那の手を取って立ち上がらせた。
「そろそろ休みましょうか。明日も早いですから」
「う、うん……」
ランプを持ってユンカースが先導し、二人は足音をひそめて階段を上がった。3階まで来ると、部屋の前で沈黙する。
「じゃあ、また明日――、……っ」
有那が小さく手を上げると、ふいにユンカースに引き寄せられた。ぎゅう、と一度だけ強く抱きしめられると耳元で声が響く。
「……おやすみなさい。明日も気を付けて」
ふっと手を離し、小さく微笑むとユンカースが自室のドアへと消えていく。
有那もまた自室に入ると、扉の前で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
(……も、無理ぃいいいい……! 好き!! 生殺しすぎる……! ……ムラムラするー!)
「やば……完全に欲求不満じゃん……」
赤い顔でひとしきり悶えると、有那は動悸を鎮めるために窓を開いて深呼吸した。
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