異世界シンママ ~未婚のギャル母に堅物眼鏡は翻弄される~【完結】

多摩ゆら

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23.その感情の名は

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「……陛下。執務が終わりましたら、個人的な質問があるのですがよろしいですか?」

「珍しいな。手が空いたから今でも構わんぞ。言うてみよ、ユンカース」


 有那の過去を聞いてから数日後。ユンカースは執務室でアステールが一息ついたのを見計らって声をかけた。
 顔を上げた王は、珍しそうな顔で快諾する。

「では……茶でもお飲みいただきながら――」

「なんだ、改まって。おかしな奴だな。そなたも一緒に飲め、休憩だ」

 侍従に命じてティーセットを持ってこさせると、テーブルを挟んで向き合う。
 たかが下級役人に過ぎないユンカースははからずも主君と同席することになり、香り高い紅茶を王宮御用達のカップで流し込んだ。

「それで、質問とはなんだ?」

「はい。その……陛下は女人のことを考えて、胸がドキドキしたり、ときにざわざわしたりすることはありますか?」

「……うん?」

「僕は最近、そういうことが頻繁で――。その人のことを考えると、力になってやりたいし、その……笑顔でいてほしいとも思います。こういう気持ちって、なんなんでしょうか。陛下は経験がおありですか?」

「…………」

 真顔で紡がれた質問に、アステールは死んだ魚のような目になった。
 年若い書記官は真剣な顔で自分の答えを待っている。アステールは紅茶を飲み干すと長いため息を吐いた。

「ユンカースよ……そなた、本当に分からんのか?」

「はい。ですので陛下に質問しているのですが――」

「そなた本当に書記官か? その感情につける名も思い付かんのか!」

 職務の遂行能力を疑われ、さすがのユンカースも落ち込んだ。肩を落として頭を下げる。

「……至らず、すみません。書記官としてあるまじき姿でお恥ずかしい限りです」

「もうよい。……なぜ余の周りは鈍感な男ばかりなのだ。そのくせいい女が向こうから寄ってくる」

「……?」

 ちっと舌打ちしたアステールは、勅令を下すように重々しく告げた。

「ユンカースよ。余は簡単には答えをやらぬ。成長のため、自分で考えよ」

「は……、はいっ」

「ただ、余にそういった感情の経験があるかという問いの答えなら――数多あまたある。おそらく城の誰よりも経験豊富だ」

「だ、誰よりも……?」

「うむ。それが手かがりだ。……せいげい励め、まだまだ青い若造よ」

「は……。ありがとうございます」



 アステールに聞いても、結局この感情の正体がなんなのか分からないままだった。
 仕事を終えたユンカースは肩透かしをくらったような気持ちで帰路につく。すると城門で大男に呼び止められた。

「あらぁ、ユンカース! 帰り一緒になるのは久々ね」

「レーゲンさん……。今日は日勤だったんですか」

 同じく門番の仕事を終えたレーゲンが同僚たちと別れ、こちらに寄ってきた。
 レーゲンは職場でもこの特徴的な口調を変えていない。いかつい男だらけの集団の中でそれは奇異に映るだろうが、特に避けられてもいないのは本人の人柄ゆえか。
 女性的な美貌を持つ筋骨隆々とした大男は、ユンカースの肩をがしっと掴むと耳元でささやいた。

「なーんかシケたツラしてるわねぇ。ねえ、飲み行かない? 私今日は飲みたい気分なの」

「いえ、僕は――。……じゃあ、少しだけなら……。ミネルヴァさんに夕食頼んでますし」

 王に投げ返された質問の手かがりが、もしかしたら違う人から得られるかもしれない。一度断ろうとしたユンカースが迷いながらうなずくと、レーゲンは拳を握った。

「よっし! じゃあ食前酒ね!」



 レーゲンに連れられて来たのは、ユンカースが足を伸ばしたことのない地区の店だった。薄暗い店内のテーブルで待っていると、やたら露出の多い服を着た背の高い美女が注文を取りに来た。

「あらん、レーゲンさん。今日はずいぶん可愛いコ連れてるのね……。美味しそう」

「絡まないでよ、この子ウブだから」

 レーゲンにしっしと追い払われ、美女が名残惜しそうに去っていく。最後にチュッと口付けを飛ばされ、ユンカースはレーゲンを振り返った。

「ちょっと、レーゲンさん! なんですかこの店。まさかいかがわしい店――」

「じゃないじゃない。……あれ、男よ」

「えっ……」

 彼女以外にも背の高い女性たちが何人か行き来しているが、たしかによく見ると骨格が――太い? ユンカースは眼鏡をかけ直して感嘆の息を吐いた。

「すっかり騙されました……」

「別に騙すつもりで着てんじゃないわよ。ここ、そういう店なんだから。従業員も客もみんな男。だからどんな馬鹿な話でもできる」

 小さなグラスの酒を飲み干したレーゲンが頬杖をつく。彼は上目遣いでユンカースを見つめた。

「……で、私に何か話があるんじゃないの? そうじゃなきゃ断ってたでしょ」

「それは――。その、聞いていただきたいことがあって」

「ええ」

 ユンカースはアステール王に投げた質問を、一言一句たがわずレーゲンに話した。レーゲンは目をぱちくりしてユンカースの話に聞き入る。

「僕が至らないのは承知ですが――ご存じでしたら教えていただきたいんです」

「ご存じも何も、それって恋じゃない」

 話し終わって即座に返された答えに、ユンカースは目を見開いた。
 ――恋。思いもしなかった言葉に口が固まる。

「恋って――特定の相手に強い愛情を感じて想い慕うこと……ですよね?」

「辞書的な回答ありがとう。あんたの今の一言一句、それと何が違うの? というか、言葉の意味は分かるのに自分の気持ちは分からなかったの?」

「…………」

 ユンカースは呆然と口元を押さえた。そう、たしかに――何も違っていない。
 首筋から順に赤くなるユンカースを見てレーゲンは呆れたように笑った。

「もはや恋っていうか愛も入ってるけどね。……やだ、もしかして初恋!?」

「……はい、たぶん」

「キャー! おめでとう、お祝いするわ!」

 レーゲンが肩を組み、ユンカースのグラスに酒を注ぐ。たくましい腕に揺らされながら、ユンカースは「この人もアリナさんに似てるな」と思った。

「これ、恋だったんですか……。僕、自分が恋愛感情を持てるなんて思いませんでした」

「あらなんで。相手さえいれば、恋なんて勝手に落ちるものなのに!」

「そう、ですね……。昔から愛とか信じてなかったんですが、その人が……その人だけが乗り越えて――というか、ブチ破る勢いで近付いてきたから……。いつの間にか、落ちていたみたいです」

「くぅ~っ! いいわあ、若い子の甘酸っぱい気持ち聞くの、大好き!」

 手を合わせたレーゲンが体をクネクネと揺らす。これがそれほど良い感情だとは思えなかったが、それに名前がついたことで頭のモヤは少し晴れた気がした。

 これが恋か。今までの自分ではしないような行動に出て、狼狽して、他の男が気になり――いや、今なら分かる。あれは嫉妬だ。……嫉妬し、彼女の笑みに心が動かされる――こんなことが。

(これが恋か……。知らなかった)

「私は楽しいけど、そろそろ帰る? ご飯冷めちゃうんじゃない?」

「そうですね……。あの、最後に。不躾な質問だとは思うのですが、その――レーゲンさんの恋愛対象は男女どちらですか?」

「本当に不躾ね。……男よ。それが何か?」

「男――」

 性格は合うようだし、有那に興味を持っていたらどうしようと思ってした質問だったが、深刻な顔をしたユンカースをレーゲンは誤解したようだった。

「何よ。心配しなくたって、私にだって好みはあるからあんたに手は出さないわよ。同じアパートの相手で手近に済ませようとかそんな節操なしじゃないから」

「えっ。……僕、節操なしだったのか……」

「は? ってじゃあ、あんたが好きなのって――」

「あ……」

 はからずも、相手が誰なのか白状してしまった。ユンカースがうつむくと、レーゲンは雄々しく両の拳を握った。





 一方その頃。無事に馬免許皆伝となって開業届も提出した有那は、ウーマーイーツのプレオープンが近付き、商品となる弁当の試作や協力してくれる飲食店とのやり取りに多忙だった。
 今日もミネルヴァを手伝いながら、弁当に入れるおかずとその配分を考えている。

「やっぱプラ容器ないと汁気のあるもの入れらんなくて不便よな……。いやエコなんだけどさ」

「なにブツブツ言ってんだい。本当に軌道に乗ったらまた考えればいいじゃないか。常連なら翌日に容器を回収してもいいんだし」

「なるほどー。コストの低い容器の開発も急務だなあ」

 最初はサンドイッチとか汁気の出ない惣菜など簡単なメニューになってしまうが、いずれは店で食べるような料理も届けたい。ミネルヴァやその他の店の料理の美味しさを知ってほしい。
 メニュー表に今後の構想を書き込んだ有那は、夜営業の準備をしながらぼそっとつぶやく。

「あのさーミネルヴァさん。ユンユンってさ……あたしのこと、好きなんかな?」

「――は。……なんでアタシに聞く」

「だってミネルヴァさんが一番ユンユンのこと知ってんじゃん! 王都のお母さん的な」

「言ったはずだよ。アタシにゃあんな目つきの悪い息子はいないって。……知らないよ。そう思うんなら自分で確認すりゃあいいだろう」

「え~」

 なかば予測はしていたが、すげなくあしらわれて有那は唇を尖らせた。呆れた顔をしたミネルヴァが包丁を持ちながらため息をつく。

「仮にもし、そうだったとしたらお前さんはどうするんだ? ここを出ていくかい?」

「えっ。アパート内恋愛厳禁な感じなの!?」

「どーだっていいよ、んなことは。自然になっちまうことなんだから。そこかしこでサカられるのは困るけどね」

 調理に戻ったミネルヴァがリズミカルに野菜を刻んでいく。有那は先ほどの質問の答えを考え、次第に顔が熱くなった。

「う……嬉しいかも。ていうか、あたしも意識しちゃう。てか、もうたぶん意識して…る……」

「…………」

 両手で赤い顔を押さえた有那に、ミネルヴァが渋い視線を向けた。おかしくなった空気を散らすように手を振ると、再びまな板に向かう。

「こんなとこで発情してんじゃないよ! まったく。ほら手を動かしな。もう店開きなんだからね!」

「はーい」


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