18 / 49
17.男の約束
しおりを挟む翌朝ユンカースは目覚めると、喉の渇きを覚えて階下へ降りていった。久々に量を飲んだせいだ。
まだ明け方で誰も起きていないだろう。住人用の洗面所に入ろうとすると、中で誰かが動く気配がしてユンカースははっと手を止めた。ドアノブに手を掛けたまま、耳を澄ませる。
(ミネルヴァさんならもっと大きい音を立てる。レーゲンさんがこの時間に起きることはない。……泥棒か?)
そういえば、近隣の街で盗みが頻発していると警備兵がアステール王に報告していた。ユンカースは辺りを見回して廊下にあったほうきを手に取ると、勢いよく扉を開ける。
「――誰だ!」
「わぁっ!! ……あ、ユンユン……?」
「カイト……!?」
洗面所には、下半身裸で泣きべそをかいたカイトが立ち尽くしていた。
「な、何してるんですか……。まさか何かありました!?」
「…………」
カイトは手にした大きな白い布を握りしめるばかりで何も言わない。その体に怪我などがないのを見て取り、ユンカースは小さく息を吐いた。少なくとも事件性はなさそうだ。
赤い顔で泣きべそ顔のカイト、脱ぎ捨てられた下衣、握りしめた白い布――というかシーツ。それらから導き出される答えにユンカースはため息をついた。
「寝小便ですか……」
「っ! ……か、かーちゃんには言わないで!」
「怒られるんですか?」
「おこんないけど……でも……。……はずかしい……」
「…………」
まあ有那はこういうことでは怒らないと思っていたが、海渡の言葉にユンカースは内心で同意した。同じ男として、失敗を恥ずかしく思うその気持ちは分からなくもない。
「で、一人で洗おうとしたんですか……」
「うん。でもお水が出なくて……」
海渡の後ろにある手押しポンプを見てユンカースはその経緯を悟った。幼児の力で水を汲み上げるのは無理だろう。それに、下着だけならともかくシーツを一人で洗うのはどう考えても不可能だ。
「アリナさんが起きてくる前に証拠を隠滅しようと思ったんですか?」
「しょうこ……? いんめつってなに?」
「なかったことにする、という意味です」
「う……。だって、かーちゃん忙しいのに……。ね、ねえ! かーちゃんには言わないで!」
「言いませんけど……普通にバレると思いますよ。ベッドから急にシーツがなくなってたら変でしょう」
「う……。ううーっ」
海渡の目にまた涙が滲んだ。こんな小さな子供にも優しい言葉をかけてやれない自分の不甲斐なさに辟易しながら、ユンカースは海渡の足の間でプルプル震える小さなブツを指し示す。
「……とりあえずそれ、しまいませんか。風邪引きますよ」
近くにあった洗いざらしの布巾を掴むと、海渡の腰に巻き付けてやった。ミネルヴァに叱られそうだが、あとで洗うから許してほしい。
ユンカースは腕まくりするとたらいを引っ張り出し、そこに水を汲んでいく。
「ユンユン……?」
「洗いますよ。アリナさんの手を煩わせたくないんでしょう?」
「う……うん。ありがとう……」
まずは小物の衣類から片付けようと、たらいに濡れた服をつっこみ、水洗いする。それから水換えするとユンカースはその場にあった洗剤を適当にブチ込んだ。
「せんざい……使いすぎじゃない?」
「適量が分からないんですよ。まあ、しっかりすすげば大丈夫でしょう。……はいできた。次はシーツを下さい」
「うん。……オレも手伝う!」
「いえ、別に――。……じゃあ、お願いします」
一度断りかけて、思い直した。ユンカースがすべてやってしまったら、海渡の中にはまた「人の手を煩わせてしまった」という悔いが残るだろうから。
あまり戦力にはならないが、並んで座ると大きな地図を描いているシミのあたりを小さな手で洗わせる。まだ涙が残るその横顔を見てユンカースは口を開いた。
「こんなことで男が泣くものじゃないですよ。強くいなければ」
「……? かーちゃんは男の子が泣いてもいいって言ってたよ? 男の子が泣いても、女の子が強くてもいいんだって。それをおかしいっていう奴がいたら、かーちゃんが叱ってやるって」
「……っ」
諭したつもりが逆に言い返され、ユンカースは目を見開いた。海渡の言葉が頭に染み渡り、遠い記憶を呼び覚ます。
『ユンカース! 男の子なのにメソメソ泣かないの! ああもう、こっちまでイライラする!』
「…………」
泣くことすら許されなかった苦い記憶を脳裏から追い出す。……まったく、本当に嫌な思い出しか残してくれない親だった。
ユンカースは苦笑を浮かべると海渡の顔を見下ろした。
「君のお母さんは……素敵な人ですね」
「! ……うん! かーちゃんは世界一可愛くて、宇宙一優しい!」
「そうですか」
有那とよく似たキラキラした目で言われ、その子供らしい表情にユンカースは知らず微笑を浮かべていた。シーツを洗い終えて手を拭くと、海渡の短い髪をくしゃりと撫でる。
初めてこの少年を、有那の息子だからではなく、よく顔を合わせる隣人としてでもなく――ただの子供として、可愛いと思った。
「ユンユン?」
「僕の考えですが……こういうことが起こったときは、下手に隠すのではなく正直に言ったほうがいいと思いますよ。とうせバレるんですから」
「う……うん。分かった、オレ、かーちゃんにちゃんと言う。あの、でも……」
「……?」
「オレが泣いてたことは、言わないで……。かーちゃん、心配するから……」
ボソボソと恥ずかしそうに告げられた言葉にユンカースは目を瞬くと、もう一度海渡の頭を撫でた。
「言いませんよ。僕に何もいいことないですしね」
「じゃっ、じゃあ……!」
ん、と海渡が拳を突き出してきてユンカースは首を傾げた。ねえ、と拳を揺らして促され、そろそろと自分の拳を海渡の小さなそれに合わせる。
「男のやくそくね……!」
「はあ……。分かりました」
淡々と告げると、満足したように海渡が手を離す。ユンカースは濡れたシーツを持ち上げると海渡を振り返った。
「あとは僕が干しておきますから。君は部屋に帰って――」
「あーっ! カイト、いたー!!」
バタバタと階段を駆け下りる音のあとに、勢いよく扉が開かれた。飛び込んできた有那が、タックルするように海渡を抱きしめる。
「うえっ。かーちゃん、くるし……っ」
「起きたらいきなりいないから、びっくりしたじゃん! んもー、心配させないでよ~!」
「ご、ごめん。かーちゃん、あの……」
「ん? ……あ、おねしょした? なんだぁ~。それで洗いに来たの?」
「うん。……ごめんなさい」
「やだ、そんなん全然いいし! かーちゃんなんて小学生でもしたことあんだから!」
ケラケラと笑った有那が立ち上がり、今気付いたようにユンカースを見た。ユンカースは少しドキッとして頭を下げる。
「おはようございます」
「おはよー。ユンユンが洗ってくれたの?」
「いえ、僕はなりゆきで手伝っただけで……」
「そっかー。ごめんね、ありがとう」
起き抜けの有那は髪も乱れ、当然ながらすっぴんだった。いつもより少し薄く感じるその顔は出会った当初にも見たことがあるが、今改めて見るとなんというか――可愛らしいと思った。
(……ん? なんだ今の)
己の中に初めて湧いた感情にユンカースが首を傾げる間に、有那はさっさと洗い物をまとめて立ち上がる。
「……あ、僕が干――」
「いーよいーよ、あとはやるって! カイト先いってなー。てかフルチンじゃん! ウケる。早くパンツ履きな」
「うん」
肩を押された海渡が振り返り、小さく拳を突き出した。ユンカースも軽く拳を掲げると海渡は小さく笑って出ていく。
洗面所に残った有那がユンカースを振り返った。
「ありがと、ユンユン。……ユンユンがほとんど洗ってくれたんだよね。カイトだけじゃ無理だもんね」
「それは……。……まあ」
言い訳が思い付かず正直にうなずくと、有那は肩をすくめてにこりと笑った。
「カイトがやったことにしてくれたんだね。……やっぱ優しいね、ユンユン。そういうとこ、すごく素敵だと思うよ」
「……っ」
なんのてらいもなく告げられた言葉にユンカースの頬が赤くなる。それに気付かず、有那は「じゃーね」と軽く告げて洗面所を出ていった。
一人残ったユンカースは口を押さえ、胸にだんだんと降り積もる不可解な感情を持て余した。
16
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜
楠ノ木雫
恋愛
病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。
病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。
元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!
でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
偏屈な辺境伯爵のメイドに転生しましたが、前世が秋葉原ナンバーワンメイドなので問題ありません
八星 こはく
恋愛
【愛されスキルで溺愛されてみせる!伯爵×ぽんこつメイドの身分差ラブ!】
「私の可愛さで、絶対ご主人様に溺愛させてみせるんだから!」
メイドカフェ激戦区・秋葉原で人気ナンバー1を誇っていた天才メイド・長谷川 咲
しかし、ある日目が覚めると、異世界で別人になっていた!
しかも、貧乏な平民の少女・アリスに生まれ変わった咲は、『使用人も怯えて逃げ出す』と噂の伯爵・ランスロットへの奉公が決まっていたのだ。
使用人としてのスキルなんて咲にはない。
でも、メイドカフェで鍛え上げた『愛され力』ならある。
そう決意し、ランスロットへ仕え始めるのだった。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた
愛丸 リナ
恋愛
少女は綺麗過ぎた。
整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。
最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?
でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。
クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……
たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた
それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない
______________________________
ATTENTION
自己満小説満載
一話ずつ、出来上がり次第投稿
急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする
文章が変な時があります
恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定
以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる