13 / 47
12.夢
しおりを挟む「ユンユーン、来たよー」
夕食が終わり、有那は隣のユンカースの部屋の扉をノックした。
アパートの3階にある有那たちの部屋とユンカースの部屋は隣り合ってはいるが、玄関は離れているため鉢合わせたことはない。有那が扉の前で待っていると、内側からガチャッとドアが開く。
「おいーっす。……って、おわ。セクスィ」
「……?」
簡素な私服に着替えたユンカースは髪が湿っていて、それをタオルで拭いていた。突然の湯上がり姿に有那が目を瞬くと、ユンカースは怪訝に目を細める。
「すみません、湯を浴びた後で」
「いや、いーよ。そういう時間だし。むしろごめん、あたしが汗臭いかも」
「いえ、別に……。……あの、カイトはどうしたんですか?」
「ん? 置いてきたよ? お絵描きするって言うから」
「そう、ですか……」
一人で来た有那を見てユンカースが歯切れ悪く答える。時刻はすでに夜で、隣人とはいえ女性を一人で部屋に招いて良いのだろうかとユンカースは迷ったが、有那はまったく気にする様子もない。
ユンカースも気持ちを切り替えると有那を室内へと招いた。
「お邪魔しまーす。……おおー、なんかいい匂いする」
「そうですか? 特に食べ物は置いてませんが……」
「いやそういうんじゃなくて。食いしん坊かよ。これハーブ? なんかスッキリした感じの……いい匂い~」
「ああ……。陛下に香袋を頂いたので、それかもしれません」
ユンカースの部屋は、清涼感のある草のような香りがほのかにした。有那がクンと鼻を動かすとユンカースは居心地悪そうに足を進める。
「人の家の匂いをあまり嗅がないでくださいよ……」
「なんで。ちょーオシャンな物くれるじゃん、王様。へー、うちと造りが逆なんだ」
「そうですね。僕はここを書斎として使っています」
「うわっ……本すっごい」
有那宅ではリビングになっている部屋に足を踏み入れると、天井までびっしりと壁を埋め尽くす本棚、そしてそこに詰められた大量の書物の数々に有那は声を失った。
本の森のようなその部屋の真ん中でユンカースが振り返る。
「ここだけでは収まりきらないので、城の書記官控え室にもかなりの量を持ち込んでいます。ミネルヴァさんにもこれ以上増やすなと言われて……」
「マジかー。え、これ床抜けない? 下のミネルヴァさんち大丈夫? てかここって地震ないの?」
「見てもらいましたが、頑丈に造ってあるので大丈夫だそうです。地震……過去の文献を読んでも、この国では大きいものが起こった記録はないです」
「そうなんだ。ちょっと安心」
特に制止はされなかったので、有那はユンカース所蔵の本をいくつか手に取ってみた。
パラパラとめくってみても、もちろん内容は分からない。挿絵がある本も地図だったり動物だったり歴史上の人物っぽい肖像画だったりとジャンルがバラバラで、おそらく様々な分野の専門書なのだろうと推測された。
「すごいね……めっちゃ努力家じゃん」
「さあ……。面白いと思ったものを、手当たり次第に読んできただけなので。ええと――あ、これです」
「ん?」
ユンカースが本棚の一角から数冊の本を手に取り、部屋の片隅にある机の上に置いた。他の重厚な専門書とは異なり、明るい色で薄いそれらは表紙に何やら楽しげな絵まで描かれている。
「んん? 絵本?」
「いえ、幼児向けの語学書です。昔、僕が使っていたもので……なかなか捨てられなくてなんとなく持っていたんですが、あなたとカイトに差し上げます」
「え。そんな大事なもの、いいの!?」
「使ってくれる人のところに行った方が、本も幸せでしょうし。分かりやすくていい本ですから、それを教科書代わりにしましょう」
無表情で子供向けの本をめくるユンカースとその本とを見比べ、有那はぽかんと問いかけた。
「えっと……それって、あたしにも文字教えてくれるって認識で合ってる?」
「……? 当たり前じゃないですか。でなきゃ自宅に呼んだりしませんよ。他に用事もないのに」
「いや分かりづらっ! あと辛辣! 言いたいことは分かるけど、もうちょっと言い方~」
相変わらず言葉の足りない彼にツッコミを入れると、ユンカースは何を言ってるんだとばかりに眉をひそめた。感情が読めないようで意外と分かりやすいその顔に、有那は思わず苦笑する。
「まあいいや。ありがと! よく考えたら字が分からんと仕事上いろいろ困るもんね。教えてもらえるのマジ助かる」
「別に……。あなたの生活が自立しないと、僕が困るんですよ。一応国から預かっている身ですから」
「それなー。ユンユン、面倒事しょいこんじゃって。あのとき無視してバイバイすれば終わりだったのに、声を掛けたばかりに巻き込まれちゃって……。絶対面倒なのにほっとけないなんて、優しーね」
「…………」
有那が笑いかけると、ユンカースは意外そうに小さく目を見開いた。有那の笑顔からふいと目を逸らし、眼鏡をクイとかけ直す。
「僕は優しくなんてないですよ。愛想良くするのも苦手ですし、言葉足らずだとよく陛下やミネルヴァさんにも言われます」
「言葉ちょっと足りんのは否定しないけど、愛想悪くても別にいいじゃん。ユンユン、真面目だし裏表ないから信用されてるんでしょ? ちょっと付き合えばそれぐらい分かるよ。全員に好かれなくても、周りの人に分かってもらえれば十分じゃん? あたしだったら誰にでも愛想いい人よりは、不愛想でも信用できる人の方がいいな」
「…………」
「それにユンユンが優しくないとかマジないわー。他人にタダで何かをしてあげてる時点でめっちゃイイ人じゃん」
有那が断言すると、ユンカースはもう一度眼鏡を直した。不自然なほどそこに手をやる姿に有那は思わず微笑む。……分かった、これは照れ隠しだ。
「……変な人ですね」
「よく言われるー」
今後のスケジュールを聞いたあとも本棚を興味深く眺める有那に、ユンカースはその中身の内容を簡単に説明してくれた。所有する本は様々なジャンルに及んだが、歴史に関わるものが最も多かった。
「ユンユン、歴史好きなの?」
「好きというか……一番興味を引かれます。国の成り立ちや他国との関わりの変遷を紐解いていくと、今ある技術や文化がどこから来たのか分かりますし……。あとは現在の自分の仕事――書記官として記録を残すことが、後世にこういう風に伝わっていくのだと参考になります」
「へー。……お、これめっちゃ立派だね。なんの本?」
有那は本棚に収められた、ひときわきらびやかな一冊の本を手に取った。分厚いそれは他の本とは使われている文字が異なっている。
「それは、外国の辞書です。陛下に頂いたもので……この国に一冊しかない貴重なものです」
「えっ。マジで!?」
「はい。それはこのソムニウム大陸で一番使用人口が多い言語の辞書で……地理的に遠いので今はこの国とは国交のない国ばかりですが、将来的には他国との交易はもっと盛んになると思うんです」
「うん、まあ文明が進めば移動は楽になるよね」
「そうなると、おそらくその言語が大陸の共用語になると思います。だから僕は、この国のことについてその共用語で伝える準備が必要だと思っていて――」
珍しく饒舌になったユンカースが辞書をパラパラとめくる。有那がそれを眺めていると、その視線に気付いたようにユンカースがはっと手を止めた。
「すみません。こんな話、興味ないですよね」
「なんで。そんなことないよ? じゃあユンユンは、その言葉でこの国のことを他の国に伝えたいんだ」
「え――」
「ん? 違うの? あ、歴史かな? ユンユンがいずれやりたいみたいに聞こえたけど」
有那の言葉にユンカースが目を見開く。彼はしばらく有那の顔を見つめると、確かめるようにつぶやいた。
「そう…ですね……。僕は、この国のことを他の言語で伝えたい。いえ、後世に書き残しておきたい。僕たちが今、過去の記録に助けられているように――後の世の人の役に立つように」
「おっ。じゃあそれがユンユンの夢じゃん。いいね!」
親指を立ててにっと笑った有那をユンカースが見つめ返す。彼は辞書に手を置くと静かにつぶやいた。
「夢なんて初めて言われました……。なんとなく思い描いていただけなのに、言語化されてしまうと……やらないわけにはいかなくなったじゃないですか」
「え。もしかして余計なお世話だった!?」
「いえ。やる気が出ました。仕事と並行なので歩みは遅いでしょうが、まずはこの言語をある程度自分のものにして――」
「うんうん。じゃあこの本はユンユンの宝物だね。大事にしないとね!」
「宝物――。……そうですね」
ユンカースが辞書を持ち上げる。その唇がわずかに綻び、初めて見る彼の笑顔に有那は目が釘付けになった。
「笑うんだ……」
「は? 何か言いました?」
「いやなんでも。……あっ、そういえばさー。うちにもあるけどこの扉ってなんなの? 異世界への扉?」
「は……?」
大変珍しいユンカースの微笑に見とれてしまったのがなんとなく気まずくて、有那は強引に話題を転換した。本棚の間に埋もれている扉を指さすとユンカースが怪訝に目を細める。
その扉は有那の部屋にもあり、隣室があるのかと思ったら扉の向こうはまた閉じられた扉だった。謎の構造に首を傾げると、ユンカースはその扉の鍵を開けて手前に引く。
「何をおかしなことを。……繋がってるんですよ、あなたの部屋と」
「え。……あ、あー! そういうこと!」
有那はコネクティングルームというものを知らなかった。廊下に出なくても部屋同士で行き来できるあれだ。
「ユンユンの扉の方、鍵かかってるから全然気付かなかったー。へー、ホテルでもないのになんでこんな造りにしたんだろ?」
「ホテル……宿ですか? さあ、なんででしょうね。家族でも住めるように、という意図があったのかもしれませんが」
「やばっ。ユンユンちの鍵が開いてたら夜這いできちゃうじゃん」
「!?」
けらけらと笑った有那にユンカースが目を剥いた。有那はそんな彼を見るとナイナイと手を振る。
「うそうそ、冗談だって。そんなドン引きせんでも」
「あなた……危ない人ですね。そういう発言、誤解されるからやめた方がいいですよ」
「はーい」
身を引いたユンカースが心底呆れたように言う。有那は肩をすくめると、ユンカースにもらった語学の教科書とお手製の予習セットをひらひらと振った。
「それじゃ、明日からよろしくお願いしまーす。ユンカース先生っ!」
「気が萎えるんでやめて下さい……」
17
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。


【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる