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4.書記官ユンカース
しおりを挟むオケアノス王国、王宮付きの一等書記官であるユンカースは、かつて神童と呼ばれた少年だった。
地方役人の次男として生を受け、生まれながらにして聡明だった彼は地元の領主が設置した幼学校を首席で卒業すると、若干12歳にして親元を離れて王都の高等学院に進学した。その後文官を目指して王立大学で学び始めると、そこを飛び級で卒業し、登用試験を受けて書記官になったのだった。
しかしいくら幼少期に神童と呼ばれようが、宮廷内から身分とコネの影響が排除されることはない。
現国王のアステール3世は家柄を問わず実力重視で役人や軍人を登用することを推し進めているが、所詮は地方役人の次男坊でしかないユンカースは早々に出世を諦め――というか、本人に出世欲も国政に携わるような野心もなく、一文官に甘んじて生きていくことを決めた。
今の書記官という仕事は気に入っている。物事を書き記すのは苦ではないし、それが後世に残ると思えば仕事の意義も感じられる。
下級役人でありながら、王や大臣など国の重鎮に接する機会も多く、それらの人たちの話を横で聞くのはなかなか面白かった。そして残業も少なく派閥争いなどの余計ないざこざに巻き込まれにくいのも気楽だった。
「はー。今日の朝議も大した報告がなかったな。そうは思わんか? ユンカース」
突然話しかけられ、ユンカースはふと顔を上げた。
ここは王宮の最深部、王の執務室だ。その片隅の机で書き取りをしていたユンカースは、話しかけてきた男――現国王アステール3世の顔を見て無表情に首を振る。
「一介の書記官の自分には、なんとも……。朝議が終わりましたので退出いたします」
「まあ待て待て。しばらくヴォルクがいないからつまらんのだ。話し相手になってくれ」
「はあ。僕が侯爵閣下の代わりになれるとは思いませんが……」
部屋に二人きりで、王は手持ち無沙汰なようだ。豪奢な長い赤髪にやや下がり気味の茶色の瞳を持つ王は、つまらなさそうにユンカースを見る。
「ヴォルク」とは、王の幼馴染で右腕でもある侯爵の名前だった。将軍職も兼ねており、有那に話した数年前に現れた「恵みの者」を妻に迎えたのも彼だった。
「ユンカース。そなた、昨日『恵みの者』を保護したそうではないか。今日の朝議には間に合わなんだが、アデリカルナアドルカから報告が届いたぞ」
「は……。すみません、ちゃんとまとめてからご報告しようと思っていました。あの、別に僕が保護したわけではなく……成り行きというか」
「ほう。星読みの館からの報告には女人と男児としか書いてなかったが、どんな女だ? 歳は?」
「…………」
また来た、とユンカースは思った。このアステール王、国の統治者としては賢君なのだがいかんせん女好きなのだ。
後宮には4人の后がいて、子も多数。先日45歳の誕生日を迎えたが、今年も一人子供が生まれる予定で臣下としてはいい加減にしてほしい。
「歳は25と聞きましたが、もう少し若く見えます。性格は……騒々しいというか、図々しいというか……。警戒心がなくて馴れ馴れしいです」
「ほう? どんな容姿だ」
「そうですね……。スラッとして、肉感的という感じではないです。あと髪が長くて……一部、染めているのか色が変わってます。なんというか……色々緩そうな……」
「ははは! そなたにそこまで言わせるとは、また型破りな女だな。やはり恵みの者は面白い」
王の好みのタイプではないとさりげなく伝えたかったのだが、アステールは逆に興味を持ってしまったようだ。目を輝かせる王にユンカースは渋い顔で告げる。
「しかし、子供がいるのに結婚歴はないと言っていました。貞淑な性格ではないようです。何を考えているのか――」
「ユンカース。視野が狭いぞ」
ユンカースのつぶやきをアステールが静かに制した。王は微笑を浮かべると諭すように告げる。
「未婚の母だからといって、ふしだらとは限らんだろう。何か事情があってそうならざるを得なかったのかもしれん。それを聞いてもいないのに型にはめて決めつけるのは早合点に過ぎるぞ」
「は……」
「過去がどうあれ、子はしっかりと育てているのだろう? ならば過去ではなく、今の姿を見よ。たった数時間過ごしただけでその人となりを分かったつもりになるな」
「……申し訳ありません。浅慮でした」
王に指摘され、ユンカースは己の失言を恥じた。アステールはふうと息を吐くとにやりと笑う。
「良い良い。そなたはまだ若いからな。これから知っていけばいいことだ。まあ余は、未婚だろうと離別後だろうと子がいようと気にしないがな! 女はみな等しく素晴らしい。……あ、他人の妻に懸想するのはいかんぞ」
「はあ……」
珍しく心に響くことを言われたのに、そのあとの発言はどうかと思う。ユンカースが生返事をすると、アステールは身を乗り出して続ける。
「どうだユンカース。経験を積んで見聞を広めるために、余と楽しいところに行かんか? 最近付き合ってくれる者がいなくてつまらんのだ」
「楽しいところ、とは――」
「それはもちろん、あれだ。娼か――」
「お断りします。興味ないので」
ニコニコと提案してきた王をユンカースはぴしゃりと遮った。アステールはため息を吐くと腕を組む。
「そなたもか。つまらん。なぜ余の周りには女遊びに興味のない堅物しか集まらんのだ」
「失礼ながら、陛下が飛び抜けてお盛んなだけかと思います。僕は普通です」
「いーや、そなたはまだまだ知らぬことが多すぎる。……それはさておき、その恵みの者、会ってみたいな。城に呼べぬか?」
「は……?」
急に話題が変わり、ユンカースは目を見開いた。アステールの提案を理解すると、顔をしかめる。
「いえ……先ほども言ったように、陛下とお話しできるような感じでは……。こういった場に来るのはおそらく嫌がりそうな気がします」
「そこをなんとか説得するのがそなたの役目だろう。……まあ話だけでもしておいてくれ。来られるようなら歓迎する」
「はあ……分かりました」
立場的にユンカースはそう答えざるを得なかったが、気は進まなかった。この女好きの王に能天気そうとはいえ有那を会わせるのは、何かまずいと本能が警告してくる。
(さて、どうやって断ろう……)
不敬にもそんなことを考えながら、ユンカースは王の執務室を後にした。
一日の仕事を終え、ユンカースは帰路についた。
時刻は夕食時になってしまった。階段を上り、住民用の玄関ではなく大衆食堂の方の扉を開けると、普段よりも活気ある喧騒がユンカースを包み込んだ。
「あれー? おかえり、ユンユン!」
「アリナさん!? 何してるんですか……!?」
木のジョッキと大皿を抱えた有那が、満面の笑みでユンカースを出迎えた。
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