上 下
2 / 15

1.ギャル母、異世界転移する

しおりを挟む

「――というわけで、あなた方はこちらの世界に転移してきてしまったようなのです。分かりますか? 恵みの者よ」

「マ? ……ヤバい、異世界転移とかマジウケる」


 オケアノス王国王宮付きの一等書記官であるユンカースは、銀ぶち眼鏡の上の眉を軽くひそめた。
 彼の前では大理石の床にぼけっと突っ立った明るい栗色の髪の女が、この国の大神官である中年女性にヘラヘラと笑いかけている。幼い男児の手を引いて。

 国でも屈指の高貴な存在であり、そのような態度を取られたこともないであろう大神官――アデリカルナアドルカの頬に引きつった皺が刻まれたことを、ユンカースは心の帳面に書き留めた。





 光浦有那みつうら ありなは、その日ご機嫌だった。
 久しぶりの晴れた休日で、気力もみなぎっている。朝からボリュームたっぷりのサンドウィッチを作って平らげると、食後の歯磨きをしている息子の海渡かいとに声をかける。

「自分から歯磨きするなんてエラいじゃーん。さっすがあたしの子。ねーカイト、公園にサッカーしに行く?」

「……いく」

 シャカシャカとテレビのお手本みたいにじっくり歯磨きをしている息子は、一拍間を置いた後にぼそっとつぶやいた。洗面台に向かう、その少し伸びぎみの襟足を見て有那はニコニコと微笑む。
 先日5歳になった息子の海渡は、口数少なく表情もあまり豊かではないが、決して感情が乏しいわけではない。今も有那が声をかけたら歯磨きのスピードが速まった。これは、嬉しくて早く行きたいという気持ちの表れだ。

(ちょーっとシャイなだけだよね。うんうん、悪くないよー。おしゃべりならいいってモンでもないし)

「かーちゃん。こないだのボール、使っていい?」

「もっちろん。そのために誕生日にあげたんだし。上手くなって選手になるんでしょ?」

「うん。そしたらかーちゃんに、デカい家プレゼントするから」

「……っ!!」

 ぼそっと照れ臭そうにつぶやかれた言葉に有那は口を覆った。まだまだ小さくて細いその体を抱きしめると、ぐりぐりと頭に頬ずりをする。

「イケメン……! 性格がイケメン! 尊い!」

「ちょっ……! いたい、かーちゃん! 耳のやつあたる……!」

「あ、メンゴメンゴ。ピアスつけっぱだったわー」

 軟骨のフープピアスが食い込んでしまったらしい。海渡の肩を離すと、息子は迷惑そうな顔をしながらもまんざらでもなさそうだった。
 狭いアパートの一角に設けたお着替えスペースで靴下を履くと、海渡は帽子をかぶって玄関に急ぐ。

「かーちゃん、いこ」

「ういーっす。……あ、ちょい待って。そのまま出かけたいから荷物持ってく。カイトの着替えも入れなきゃ」


 有那は25歳のシングルマザーだ。わけあって結婚歴もないが、海渡が生まれてから5年、それなりに苦労はしてきたが今はわりと幸せに暮らしている。

 ストレートの長い髪をなびかせ、有那は階段を駆け下りる。
 明るい栗色の地毛に前髪には金のハイライトが光り、メイクはバチバチ。短めのトップスにワイドのダメージデニムをまとった姿はどこから見てもギャルだ。若干トウは立っているが。
 しかしそんな有那が向かうのは繁華街でもクラブでもなく、近所の公園だった。

(公園サイコー。タダだし、体力発散して夜すぐ寝てくれるし、何より世界一のイケメンと一緒だし!)

 貯水池の角を曲がればすぐそこが公園だ。すると少し先を歩いていた海渡が声を上げた。

「あっ! ボール……!」

「ん? あっ、待って!」

 海渡が手に持ったサッカーボールが転げ落ち、貯水池に向かっていった。それを海渡が追いかけ、有那は慌てて叫ぶ。

「カイト! 入っちゃだめ!」

「でもかーちゃん! ボールが……!」

「んなモンどーだっていいよ!」

 ちょうどフェンスが切れているところにボールが吸い込まれ、海渡がそれを追う。有那の静止も聞かず、海渡は貯水池に足を踏み入れてしまった。

「バカバカ! 上がれって!!」

「わっ……!」

 間一髪、水際で海渡の手を掴むと有那はコンクリートブロックに引っ張り上げようとした。だが足元のコケに足を取られ、バランスを崩してしまう。

「やばっ……! カイト!」

「かーちゃん!!」

 海渡を腕に抱え込むと、二人はもろともに貯水池に倒れ込んだ。冷たい水に頭まで浸かり、有那は海渡を片腕に水中でもがく。

(くっそ……! だから貯水池には近付くなってニュースで言ってたじゃん……! なんでここだけフェンスないんだよー! 税金ケチんな!)

 水際ならそれほど水深も深くないはずだが、なぜかいくらもがいても足が底につかない。まだ泳げない海渡の顔を必死に水面へ押し上げながら、有那は嫌な予感にぞっと震えた。

(え、これ上がれなかったら死――? ……イヤだイヤだイヤだ! せめてカイトだけで、も……っ)

 海と違って波もないから上陸できなくとも浮いてはいられるはずなのに、体がどんどん水底に引きずり込まれる。有那にしがみ付く海渡と共に、二人は深い水の底へと沈んでいった。





「――で、ブハーッてやっと浮上して息できたと思ったらいきなり景色変わっててー。ここどこ? あたし誰? みたいな。とりまカイト抱えて水から上がったら、そっちからお迎え来ててマジビビったよね。出待ちかよって」

「……はぁ」


 ――そして今、大理石でできたどこぞの館の大広間である。
 
 陸に上がった有那たちを待ち受けていたのは、ファンタジー漫画みたいな変な服を着た複数の男たちと、見たこともない中世のような景色だった。

 「また恵みの者だ……!」と口々に叫んだ彼らは丁重に有那と海渡を介抱すると、馬で街中の屋敷へと連れ帰った。
 不安そうな海渡を抱え、馬上で有那は(あたし公園じゃなくて夢の国に来ちゃったんだっけ……)と現実味のない光景を眺めていた。

 そして服も乾いた頃にこの広間へと連れ出されると、満を持してといった感じでローブをまとった中年の女性が現れた。ショーの海外キャストかと思うほど、現実離れした美貌と迫力を持つ彼女を有那は心の中で美魔女と呼んだ。

 開口一番、ここに来た経緯を話せと言われたので有那が覚えている限りのことを矢継ぎ早に話すと、美魔女は呆れたように眉をひそめた。
 年齢不詳だが、たぶんアラフィフはいってる。ふくよかなわがままボディーではあるが目鼻立ちは恐ろしく整っていて、若い頃はものすごい美人だったのだろうと推測された。

(てかメイクバチバチに盛ってんな。……あ、このアイシャドーの色いいな。どこのだろ)

 有那がじっと見つめると美魔女が無表情に見つめ返す。その紫の瞳にニッと笑いかけ、有那は快活に口を開いた。
 なにはともあれ、まずは笑顔だ。タダで物事がスムーズに進むなら、出しておいて損はない。

「おねーさんめっちゃ美人ですね。あたし、光浦有那っていいます。こっちは息子の海渡。おねーさんは?」

「わたくしはこの国の大神官、アデリカルナアドルカと申します。この星読みの館の主をしております」

「えー……と、巫女さん的な? ……オケ、なんとなく分かりました」

 名前が長すぎて覚えられる気がしない。話を先に進めたくてうなずくと、美魔女はまた眉をひそめる。

「いいえ全然分かっておりません。あなた方は星の導きで異なる世界から転移してきました。そのため、その身をひとまずこの星読みの館で――」

「うん、異世界転移してきちゃったと。そんでここは神殿みたいなとこで、あたしは保護されてる。ここまでオッケー?」

「……分かっているではありませんか。ずいぶん前回と違いますね……。あなたは自分が転移することを知っていたのですか?」

「いや知らんけど。なんか状況考えるとそうかなーって。こーゆーのアプリの漫画でめっちゃ読んだし。ド定番の展開っしょ? まさか自分がそうなるとは予想外すぎだけど」

「……?」

 有那の言葉に美魔女が首を傾げた。メタい発言をしてしまった。有那は周りを見回すと、再び美魔女に向き直る。

「……で、あたしたちはどうすれば帰れるんですかね?」

「帰る方法はありません。道が開くことはあっても、それは星の気まぐれでいつ起こるかもどこで起きるかも分からないもの。ですので、今まで帰った者はおりません」

「マ!? ……うあー、やっぱそうかー。ベタな展開キター」

「……?」

 美魔女の素っ気ない返答に有那は目を見開いたが、額を押さえるとうんうんとうなずいた。その予想外の反応にアデリカルナアドルカは三度みたび眉をひそめる。

「それも分かっていたのですか?」

「いやそれも知らんけど。そーじゃないかなーとは思ってました。……そっかー。生活どうすっかなー」

「チキューからの転移者は『恵みの者』と呼ばれます。この世界、ソムニウムに新しい知識や技術をもたらすとされていますが……」

「いや……そんなのないですよ。ほらどー見てもパンピーだし」

「…………」

(出た出た、スキルがなんちゃらってやつ。なんの力も湧いてこないしステータスも見えないんですけど。装備:いつものリュックとかマジ終わってる)

 期待の込もる周囲の視線をばっさりと切り捨てると、美魔女は重くため息をついた。

「分かりました。それではアリーナ、これからのことを伝えます」

「あ、アリナです。アリーナだと良席になっちゃう」

「何を言っているのかよく分かりませんが……アリナ。あなたには当面の生活資金を渡しますので、自力で住む場所と仕事を探してもらいます。詳しくは別の者が説明しますが――」
 
「えっ、待って。いきなり無理ゲーすぎん!?」

 突然告げられたなかなかハードな先行きに声を上げると、美魔女はやれやれといった顔で有那を見た。無言でまじまじと見つめると、ゆっくりとうなずく。

「あなたは図太そうだから問題ないでしょう。本当に困ったときは国が力になります」

「いやそれは助かるけど……。え、今日寝る場所もないの!?」

「しばらくはこの館に泊まることもできますが、他を当たっても構いません。補助は出します。ちなみに前回滞在した恵みの者には『子連れには向かない環境だった』と不評だったようです。まあもともとそのような用途は想定していませんでしたしね」

「マジかー。うーん、たしかに静かにしなきゃいけない施設っぽいしなー……」

 有那はお上品な母親ではないが、最低限のTPOはわきまえているつもりだ。子連れがあまり歓迎されていなさそう場所で世話になるのは、自分たちにも相手にもストレスになるだろう。

「かーちゃん……」

「……うん、大丈夫」

 不安そうな顔で海渡が見上げる。そのいつもよりもひんやりと汗ばむ小さな手を握ると、有那はぐるりと周囲を見渡した。

 広間の中には大神官アデリカルナアドルカの他にも数人の人間がいた。
 同じようなローブをまとった神官っぽい人たち、有那たちをここに連れてきた侍女たち、剣を腰に差した護衛っぽい男性、官僚みたいな中年の男性、そして机に向かってペンを走らせる若い男性が二人。その人たちに向かって有那は声を張る。

「……あの! 皆さんの中に、あたしたちをしばらく泊めてくれる方、いませんか? 迷惑はかけないんで!」

 そう呼びかけるも、シンと静まり返るばかりで応える者はなかった。冷ややかな反応に小さく肩を落とす。

(やっぱダメかー。しゃーない、ここで世話になるか……)

 ため息をついて海渡の手を握り直すと、小さな話し声が有那の耳をかすめた。

「……おい。お前んちのアパート、空室ありって言ってなかったか?」

「しっ。余計なことを言わないでください……!」

 有那はぱっと顔を上げると椅子に腰かけた若い男性二人組を見た。話しかけられた方の男性の顔を見て目を見開く。

(えっ、顔面がいい……! やばっ、めっちゃ好みだな……ご飯3杯イケそう)

 濃い青を基調とした揃いの制服に身を包み、すらっと細身のその姿は海外のモデルのようだ。その髪は短い赤茶で、こちらを怪訝に見つめる瞳は暗い金。そのすっきりとした眼差しを細ぶちの眼鏡が彩っている。
 警戒心をあらわにするイケメン眼鏡のもとへつかつかと歩み寄ると、有那は明るく問いかけた。

「ねーお兄さん、アパートの部屋空いてるって本当? あたしたち、泊めてもらえないかな?」

「……嫌です。あなた、うるさいですし図々しそうなんで」

 にべもなく即答した眼鏡に、有那は目を瞬くと「たはー」と苦笑した。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

処理中です...