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第五話【落ちてきた天使】
しおりを挟む(一)
炎を上げ、星空を滑るように落ちてきたたくさんの愛くるしいキャラクターがプリントされたジェット機達は、私達の頭の上を通り過ぎ、そのまま町はずれの田園地帯に落ちていくのを私はただただ立ち尽くし、茫然と眺める事しか出来なかった。次の瞬間、小金沢さんが私の名を叫んで抱きついて来たので、思わず悲鳴を上げてしまったけれど、その行動の理由はすぐに全身で理解ができた。爆発音が聞こえるよりも先に、私の体が小金沢さんごとドンと吹き飛ばされそうになったんだ。後ろから、地震でも割れずに残っていたお店の窓や入り口のガラスが砕けて四散する甲高い音がしたけれど、私は事故現場から目が離せずにいた。燃えていた。たわわに実った秋の田畑が燃え上がっていた。背の高い神社の森の木々が、炎に照らされて黒く揺れている姿が、まるで焚火を前に踊り狂う人のようだと、私は言葉も出ないままただ眺めていたんだ。
「途中に障害物が無いから近くに見えるけど、爆発音の到達時間から考えると少なくとも2キロ以上は離れているはずだ」
不意にそんな声が聞こえて我に返ると、私を抱きしめたまま振り返り、同じように墜落現場を睨んでいた小金沢さんがそう呟いていた。そして、抱きしめていた腕から力が抜けたかと思うと、そのまま私の両肩に手を置いて体を引き離した。
「さっき橘君が言っていた銃声というのが気になる。僕はラボに戻る」
そう告げる言葉にはもう、いつものたどたどしさは無かった。あの喫茶店の時と同じだ、本気のスイッチが入ったんだ。それだけの事が、私達の目の前で起きてしまったんだ。私は遠くで燃える炎に照らされながら、そんな小金沢さんを見つめて漠然とそう思っていた。でも、一拍遅れて今しがた聞こえた言葉の意味が理解できると、私も同じでじっとなんてしていられなかった。
「一緒に行きます! 私も学校が、皆が心配なんです!」
気が付くと、無意識にそんな言葉が私の口から溢れて出ていた。
「な、何をいっておる小町!」
「そうだ、それは出来ない! ラボで何が起きてるか分からないんだぞ! 民間人の君を連れて行く事なんて出来るはずがない!」
お爺ちゃんが、小金沢さんが物凄い形相で私を見ていた。でも、確かに今の言葉は無意識に零れたものだったけれど後悔なんてしていなかった。ううん、むしろ、その言葉で自分自身に本心を気付かされたような気分だった。そう、何を言われても、どんなに怖い形相で睨まれても私の気持ちは揺るがなかった。そして、私は小金沢さんの瞳をまっすぐ見て、もう一度「行きたいんです」と口にした。
「…お、お婆さんも何とか言ってやってください!」
思わずたじろいだ様子の小金沢さんはお婆ちゃんの方を向いて助け舟を求めたけれど、返って来た答えはたぶん、彼の期待しているものでは無かったと思う。
「…小町ちゃん、好きな人に会いに行くのね?」
私は無言のまま頷いた。
「…どうしても会わなきゃいけないのね?」
そして、もう一度、今度はお婆ちゃんの目を見て頷いた。
「じゃあ、お行きなさい。セーラー服は洗濯して私の部屋に掛けてありますから、せめて着替えて行きなさい。あなた、Tシャツもズボンも味噌だらけですよ。それにここ、ちょっとだけど血が出てますよ」
お婆ちゃんはそう言って私の所まで歩いてくると、割烹着のポケットの中から絆創膏を一枚取り出して私の掌の上に置いた。
「…お、おい清音!?」
「…お、お婆さん!?」
「覚悟を決めた女が、惚れた男に会いに行くと言うのです。誰に邪魔ができるものですか!」
その一言に、私も含めた全員が言葉を失った。
耳元で、大きなため息が聞こえた。それは小金沢さんが漏らしたものだった。
「…分かった、仕方ない。ただし、学校の近くまでた。僕がラボの様子を見て、危険な場合はそれ以上先には行かせない。それでいいかい!?」
「はいッ!」
私は大きく返事をすると、そのままクルリと踵を返した。
「5分だ、今から車を取りに行くから、僕が戻るまでに準備を終わらせるんだ! 間に合わなければそのまま置いて行くからな!」
「小町! 停電でも水は出る、せめて頭に乗った鯖だけは落としていけ!」
走り出した後ろからそんな声が聞こえた。そして最後に
「あと、僕の事はタクロウでいい。親しいヤツは皆そう呼ぶ!」
という声が聞こえたから、私は走りながら振り返ってタクロウさんに向かって親指を立てた。そして、そのままの勢いでお店の中へと飛び込むと、微かに差し込む月明かりを頼りに荒れた店内を一気に駆け抜けて、エプロンを脱ぎ捨てながら裏手にあるお爺ちゃんとお婆ちゃんの家に飛び込んだ。玄関で靴を脱ぐのと同時に鯖味噌で汚れたTシャツをたくし上げ、脱ぎ捨てながら廊下を走る。そして、ケンケンでジーンズから足を抜きながら角を曲がった。
真っ暗な浴室に飛び込んでシャワーの蛇口を捻ると、お爺ちゃんが言った通り停電でも水が出た。グッと息を止めて覚悟を決めると、私はそのまま冷たいシャワーを頭からかぶった。瞬間、こめかみに痛みが走って、本当にそこが切れている事を思い知ったけど、そんなのおかまいなしで、冷たい水を全身に浴びた。
―橘君に会いに行く。
―橘君に会いに行く。
―私は、橘君に想いを伝えに行くんだ。
どんなに頭を冷やしても、その想いは変わらなかった。
両手を壁についたままゆっくりと顔を上げて瞳を開くと、目の前の鏡には薄らと月明かりに照らされた私の姿が映っていた。真っすぐに鏡の中にいる自分の瞳を見つめる。もう、前みたいに躊躇いは無かった。自分の姿を見るのに恥ずかしさも、情け無さも、引け目すら感じなかった。ただそこには、覚悟を決めた一人の女が立っていた。
「迷いなんてないよね、小桜!?」
『そんなの、あるはずがないじゃない、小桜!』
私の問いに、鏡の中の私が真っすぐ答えた。そして向かい合ったまま私達は大きく頷くと、そのまま浴室を出た。
脱衣場のバスタオルを頭に乗せると、こんな時ばかりは髪が短い事に感謝した。そして、洗面台に置かれたペンダントとポケに手を伸ばすと、不思議な事にさっきまで淡く輝いていたペンダントの明かりが消えていたから壊してしまったのかと思って心配したけれど、手に取った途端にまた薄緑色に輝き出したのでホっとした。でも、よくよく見るとすでに乾き始めていた私の血で汚れてたから、そのままこっそりバスタオルで拭くと、ポケと一緒に握りしめた。
脱ぎ捨てた下着を拾いながら廊下を進む。さすがに、こればかりは新しのを取りに行ってる間がないのであきらめた。そして、お婆ちゃんの部屋の窓辺で揺れている洗ったばかりのセーラー服を見つけて手を伸ばした。まあ、贅沢を言えばこれもそうだ。大好きな人に告白の返事をしに行くのなら、折角だからもっとお洒落な格好をしたかったけれど、これまた家に取りに行く時間は無かったし、よくよく考えたらあの奇抜な赤いドレス意外、そもそも私はそんな服、持ってなんかいなかった。
下着の上から直接セーラー服に袖を通して、最後に赤いスカーフを結んだ。不意に可笑しくなって笑えてしまった。
「ああそうだ。その通りだ。これでいいじゃない」
そう、いつの時代だってこれが私達女子高生の勝負服で、そして戦闘服なんだから。
私は、窓から見える大きな秋の名月を睨んで呟いた。
移動砲台KOZAKURA
第五話【落ちてきた天使】
(二)
「こっちだ! 早く乗って!」
再びお店の外に出ると、タクロウさんは既に車のエンジンを掛けて私を待っていた。まがりなりにもマチュピチュの科学者さんなのだから、どんな凄い車に乗っているのかと思ったら、うちのお爺ちゃんと同じボロボロの軽トラックだったので思わず笑ってしまった。だって、それが凄く似合ってたのだから。
「失礼な! 機材を運んだりするのには、これが一番便利なんだ!」
運転席の窓から顔を出してるタクロウさんは、どうやら私が笑った理由を察したみたいで、不意に不機嫌な顔をしたと思ったらそう言って頬を膨らませた。
それは、そんな時だった。突然、遠くから近づいてくるヘリコプターの音が聞こえてきたんだ。
「墜落現場に向かうのかな!?」
燃え盛る遠くの田園を眺めた後に、やっと来た救援に胸をなで下ろした私が夜空を仰いでそう言うと、同じように上を眺めていたタクロウさんが眉をひそめた。
「いや、ちょっと待ってくれ、何だか音がおかしい!」
「おかしいって、何がですか? ほら、見えてきましたよ、青と白の迷彩。やっぱりオールソックス(株)、民間軍事会社じゃないですか!」
私は、月明かりに照らされながらどんどん近づいてくる二つのヘリコプターを指さすと、ついつい男の子の雑談で聞きかじった豆知識を自慢げに披露した。だけど、次の瞬間タクロウさんは叫んだ。
「チクショウ、嫌な予感が当りやがった! 何がオールソックス(株)だ! 下手な偽装しやがって! 日本の民間軍事会社があんなヘリ持ってる訳ないだろ!」
「い、いったいどうしちゃったの、タクロウさん!」
「いいか、民間が使ってるのは自衛隊時代の払い下げのチヌーク、プロペラが前後に二つ付いてるヤツなんだ! でも、この音はどう聞いてもシングルタービン、一枚羽だ!」
次の瞬間、私達の頭上を青と白に塗られた二つの巨大なヘリコプターが物凄いスピードで通り過ぎて行った。そしてその時、私も確かに見た。そう、どちらともタクロウさんの言葉通りプロペラが一つしか付いていなかったんだ。そして、その中の一つが見た事もない異様な形をしてたから、私は思わず息を飲んだ。それはまるで、壮絶なダイエットをしてやせ細ったトンボのような形をしていたんだ。そう、ヘリコプターって、もっとポッコリしていると思ったのに、運転手さんが乗ってる場所のすぐ後ろから、ごっそりお肉が削げ落ちていて、その姿はまさにトンボそのままだった。そして、私が驚いたのはそれだけじゃなかった。
「タクロウさん! あのヘリコプター墜落現場に向かってないよ! マチュピチュに向かってる!」
「…ああ、そうだろうともよ! 大きい方のヘリはヘイロー。痩せた方はご丁寧にタルヘ型に改造までしてある!」
軽トラックを降りたタクロウさんが、私の隣で空を見上げてそう言った。
「…ヘイロー…タルヘ?」
「どちらも旧ソ連のヘリコプターだ! そんなの日本軍の払い下げの筈がないだろ! 完全にレッドチームの亡霊だよ! それにしてもなんだアイツら、日本のロボットアニメの見過ぎにも程があるだろ!」
「ど、どういう事!?」
「そんなの、タルヘ型を持って来てる時点で魂胆は見え見えだ! あの極限まで軽量化した大型ヘリに新型タービン乗せてたら二〇トンくらいはペイロード出来るだろう! て、言うか出来なかったらそもそも持って来るはずもない! ヤツら、どさくさに紛れてお土産吊るして帰る気満々なんだよ! とんだ火事場泥棒、ロボットアニメ定番の新型試作機強奪イベントってヤツだ! しかしいいたいどういう事だ! いくら震災時だからっていって、あんな怪しいヘリが大手を振って日本の空を飛べるはずがない!」
「…え?」
「日本の空を飛ぶには緊急時とは言え、フライトの申告がいるんだよ! 申請のないデタラメな機体認識番号のヘリなんて、近づく前に撃ち落とされてヨシだ! あんな無茶苦茶、管制官でも買収してなきゃ出来るハズがない!」
「…管…制官?」
…二〇トン、管制官。タクロウさんの言葉の中に、いくつか聞き覚えのある言葉があった。そしてそれらを連想した瞬間、何かが一つに繋がってしまって背筋が凍った。
「チクショウ! あの長沼ってヤツに一杯食わされた!!」
力任せに軽トラックのドアを殴る音がした。
「…ごめん、小町ちゃん。君を学校に連れては行けなくなった。それどころか、僕が行ったところでどうにもならない…。
ラボは…、学校は…
……おそらく戦場になる」
その言葉が耳に響いた途端、ポケを握りしめたまま私の視界が真っ暗になった。そして、膝に力が入らなくなってしまった。
でも、タクロウさんはそれを許してはくれなかった。
「覚悟を決めたんだろ? だったらまだ君は倒れちゃいけない」
力なく崩れそうになる私を抱き寄せてそう呟くと、握りしめていた私の手からポケを奪い取った。
「橘君!! 応答するんだ、橘君!!!」
『あ、はい、どうしたんですか!?』
「そっちの状況を教えてくれ! 大至急だ!!」
『はい、とりあえず停電はしたままですけど、なんとかランタンと充電式の投光機があったんで明かりは確保できました』
「そんな事じゃない! 外の様子だ!!」
『あ、はい。あ! ヘリが二機、戻ってきたみたいです。日本軍のチヌークでしょうか? 皆、さっきの銃声で怖がってましたから安心したみたいです。クラスメイトが呑気に窓から手を振ってますよ』
「馬鹿野郎! 明かりを消せぇぇぇえええええええええ!!!!」
次の瞬間、叫ぶタクロウさんの声に重なるように、ポケの向こうからいくつもの窓ガラスが割れる音と、皆の悲鳴が聞こえてきた。
(三)
「橘君! 橘君! 橘君!」
呼んだ、何度も呼んだ、気が付くと私は声が枯れる程その名前を呼び続けていた。そして、ポケのスピーカーから『…さ、佐倉さん?』という声が聞こえた時、私は涙が止まらなくなっていた。
「逃げろ! 今すぐそこから逃げるんだ!!」
タクロウさんの叫ぶ声が聞こえた。
『…逃げるって、ど、何処へ!?』
「旧校舎だ! 旧校舎の三階! 今すぐ皆で女子トイレの一番奥の個室に逃げ込め!」
『でも、あそこは扉が開かな…』
「つべこべ言わず走れ!! あそこのドアは引くんじゃない! シャッターのように上に持ち上げるんだ! その先にもう一つドアがあるから、全員が逃げ込んだら扉を閉める前に連絡するんだ、いいな!」
「タクロウさん!?」
「青空高校旧校舎、マチュビチュ側の開かずの教室は、一階から四階まで僕達三課のラボになってるんだ。あのトイレは学校側の非常口だよ。とりあえずあそこは外に音も光も漏れない上に、ちょっとやそっとじゃ壊れやしない。逃げ込めさえできれば時間は稼げる。頼む、間に合ってくれよ皆…」
その言葉を聞いて私も祈った。祈るしか出来なかった。どうか、皆がたどり着けますように、誰も怪我をしていませんように。と、必死に祈り続けた。それから、長い、とてつもなく長く感じる時間が過ぎた。そして、私のポケから着信音が聞こえたんだ。
『全員中に入りました! 怪我して動けない子も何人かいたけど、皆で担ぎ込みました!』
「でかしたぞ、橘君! その扉を閉めたら恐らくポケでの通信が出来なくなる。いいかい、時間が無いから一度しか言わない、良く聞くんだ。扉を閉めたらロックしろ。次に、中の明りをつけるんだ。スイッチの場所は教室と同じ場所にある。そしたら全員、2階に移動するんだ。行き方は明りがつけばすぐ分かるはずだ。後はパソコンの前で僕の指示を待つんだ! 分かったかい!」
『はい!』
そしてその後すぐに通信が切れた。私は思わず橘君の名前を呼びそうになったけど、そんな時間なんて無かった。そしてその途端、突然私を抱きかかえていたタクロウさんの腕から力が抜けて、そのまま彼は力なく軽トラックのボンネットの上に崩れ落ちるようにもたれると、空を見上げて大きな息を漏らした。
「タクロウさん! 皆は大丈夫なの!? これでもう心配ないんだよね!?」
だけど、私の問いかけにタクロウさんは答えなかった。そのかわり「チクショウ、こんな時、せめてハイディでもいてくれたなら…」と小さな声で呟くと、もたれ掛っていた軽トラックのボンネットに手を付けて体を起き上がらせた。そして短く
「ごめん、小町ちゃん。僕は行かなくちゃいけないトコが出来たから」
と、だけ告げて、そのまま軽トラックに乗り込んだ。
…私は
―私は迷わなかった。
タクロウさんに続いて助手席に飛び乗る。もちろんそんな私を運転席から物凄く驚いた顔して見てたけど、そんなのお構いなしだった。
「時間が無いんでしょ! 早く車を出して!」
「クソ! どうなっても知らないからな!」
そして、そのまま私達を乗せた軽トラックは真っ暗な農道を走り始めた。
(四)
「いいかい、途中までだ。途中までだからな!」
「分かってる! そんな事いいから、さっきの質問に答えて! 橘君は、みんなはこれで安心なんだよね! 大丈夫なんだよね!!」
私の言葉にハンドルを握るタクロウさんは小さく舌打ちをすると、小さなため息を漏らした。
「とりあえずの安全は確保した。でも、それは一時的な物に過ぎない!」
「それってどういう事なのよ!」
「状況が断片的な上に、判断材料が少なすぎて断言はしきれないが、今のところ分かっているのは、ラボを襲ったテロリストに君のクラスメイトが見つかった上に攻撃されたって事だ!」
「そんなの私だって分かってる! 聞きたいのはそこから先! 皆はどうなるの!」
「ここから先はいくつかパターンが想定できるけど、君のクラスメイトにとって一番都合の良い状況は、テロリストがとっとと盗る物を盗ってお家にご帰宅してくれる事だ。そもそもがどさくさに紛れての火事場泥棒、電撃作戦だ、奴らに時間の余裕なんてあるはずが無い。その場合、彼らはそのままラボで籠城していればいい。目撃者を捜してて強奪が間に合いませんでした。ってのでは本末転倒だからな。ただし、これはかなり楽観的な希望的想像だ」
「…じゃ、じゃあ、楽観的じゃない場合はどうなるの!?」
「…楽観的じゃ無い場合は、ヤツらが時間内にミッションを達成できなかったパターン…だろうな。その時は、十中八九、君のクラスメイトは人質になる。奴らも必死に確保に向かうだろう。とりあえず、三課のラボの扉はそう簡単に破れないだろうから、すぐに捕まる事はない。ただし、絶対とは言い切れない。だから、僕は今ある所に向かっている」
「…ある、ところ?」
そしてタクロウさんは大きくため息を漏らして額に手を当てて項垂れた。
「どうにも僕は、スイッチが入ってしまうと隠し事が出来ないようだ。分かっていても自制が出来なくて我ながら困ってしまうよ」
そして、そう言った後、フロントガラスから見える農道を睨んだ。
「…今から向かうのは僕の秘密基地、三課専用の格納庫だ。とにもかくにも、まずは連絡手段の確保だからね。あそこからならマチュピチュの自家発電の恩恵が受けられるし、有線で三課のラボと直通の回線もある。なんせ、地震のおかげで僕達の携帯はこの有様だからね。」
そう言ってタクロウさんは、アンテナの立っていないスマホの画面を私に向けた。
「そして、君が行けるのはそこまでた。ホント、こんな時せめてハイディくらいいてくれたら助かるんだがな…」
そう言ってタクロウさんは、軽トラックのアクセルをさらに踏み込んだ。
フロントガラスの向こうに広がる闇を睨む私の胸が痛かった。痛くて、重くて、苦しかった。耳の奥では、さっきのタクロウさんの声が、悔しそうに軽トラックのドアを叩く音が、響いていた。
『チクショウ! あの長沼ってヤツに一杯食わされた!!』
と、何度も、何度も鳴り響いて止まらなかった。そして、その言葉が意味する事を想像してしまった瞬間に全身が悪寒で震えた。タクロウさんは優しいから、あれからは一度もその名前は口にはしなかったけれど、要は、今回の事件の裏に長沼さんが居る。と、言ったんだ。『アイドル』という言葉に『君は不細工なんかじゃないよ』という優しさに浮かれて、私がタクロウさんを紹介してしまった。その結果がこの状況を生んだのだ。そう思った瞬間、怖くて、恐ろしくて止まらなくなった。思わず自分で自分を抱きしめて、グッと爪を立てる。大きく首を左右に振って前を見る。そうだ、そうなんだ。これもまたタクロウさんの言った通りだ。一度覚悟を決めたのだから、頑張っている皆より先に私が折れたらダメなんだ。これが私が招いた地獄ならば、最後まで膝をつけないのは私に課せらた罰なのだから。そして私は目の前に現れた眩しいくらいに大きな月を睨みつけた。
その時だった。大きな満月を何か小さな影のような物が横切った。
「…鳥!?」
思わず私がそう呟いた次の瞬間、一度は暗闇に消えた黒い影が再び満月を背負って大きな姿を現した。
…それは、翼の生えた巨人だった。運転席からニシシと笑うタクロウさんの声が聞こえた。
「恐らく、橘君が言ったラボを飛び立った小型の飛行機ってのは、あいつの事だ。…小町ちゃん、あれは鳥なんかじゃない。
…あれは、翼の生えた女神様だ!
田んぼに不時着する気だ! このまま並走するぞ!!」
私達の軽トラックと並んで走るように空から滑り下りて来たそれは、見れば見る程に大きな、人の背丈のゆうに三倍以上あるくらい大きな、背中に翼の生えたロボットだった。体のそこら中に空いた小さな穴から煙を吐き、逆噴射をかけながらユラユラとバランスを取って飛んでいた。
「あれはKZ‐02 tipe-F! 僕が作ったフライングタイプのパワードスーツだ! そして、こいつを飛ばせるヤツなんて、世界広しと言えど一人しかいない!! ちなみに、KZってのは小金沢のKZだ!」
タクロウさんが軽トラックの窓から腕を出し、高くガッツボーズを取った次の瞬間、前方に突き出されていたパワードスーツのカカトがたわわに実った稲穂に触れた。そしてそのまま、まるで水上スキーのように田んぼの中を滑り始めたかと思ったら、目の前にやって来たアゼ道に躓いてカクリと膝が折れた。そして今度は天を仰いだ姿勢でしばらく進んで完全に止まったんだ。それはまるで、サッカーでゴールを決めて、両ひざでスライディングするする選手みたいだと私は密かに思ってしまった。
私達は軽トラックを止めて飛び降りると、満月を背負って天を仰ぐ形で静止した巨人が田んぼの中に鎮座していた。そして胸の部分からドンドンと鉄板を叩く音が聞こえたかと思うと、そこがバカっと開いて、中から女の人が生まれて来た。月の明りが逆光で、私に見えたのはシルエットだけだったけれど、それは異様に頭の大きな女の人だった。神秘的なその光景は、まるで蛹から羽化する揚羽蝶のようだと私は思った。でも、次の瞬間、その女の人は自分の大きな頭をもぎ取って、月に向かって吠えはじめた。
「うがぁぁぁぁああああああ!!!!
ああ、飛ぶさ! 飛ぶともさ! なんだ、このパワードスーツの紙装甲! AKの豆鉄砲で蜂の巣じゃねえか! あたしゃ、鳥人間コンテストやってんじゃねぇぞぉぉぉおお!!」
生まれたばかりの女神様はそう言った。月明かりに照らされて、まるで燃えるように輝く赤く長い髪が秋の夜風になびいていた。
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