祇王と仏午前

多谷昇太

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わたしの主人

不機嫌な主人

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 ある日のこと、例の舌マッサージの折りに主人の身体から受ける感覚がとても弱かったことがあったんです。私の舌がおかしいのではなく、主人の身体が出す波動が、ほとんど感じられないほどに弱かったの。人間のむずかしい言葉で云えば意気消沈と云うんですか?その日はドアを開けて帰って来た時から様子がおかしくって、わたしがいつものように尻尾を立ててすり寄っても撫でてもくれず、うるさそうに足で追い払われてしまったんです。そのまま畳の上にゴロンとなって、あとは大きなため息ばかり。食事をつくることもわたしに餌をくれることも忘れているようです。どうしたの?となぐさめるつもりで、まだお風呂前でしたがいつもの舌舐めマッサージをわたし始めました。そしたら突然「祇王」と云ってはわたしを胸に抱きしめ、そのまま頬をすり寄せては「ごめん、ごめん」と何度も詫び始めたんです。わたしはじっと目を閉じて主人にされるがままになっていました。きっと職場でなにかあったのに違いない、どうしたのだろう、なぐさめてあげたいと思うことしきりです。でもその時にドアをノックする音が聞こえましたの。わたしを放り出して主人がドアを開けますとそこには隣室の男の人が立っていました。その人は日本人ではなくって、色の浅黒い、どこか東南アジアの国の人なんだそうです。主人が前にそう云ってました。名前はソ、ソムスイだったかな?とにかくその人が立っていて、主人になにかすまなそうにボソボソと話をしていました。ところで実はわたし、こうして人間の言葉を使っていますけれど本当は猫語しかわからず、人間の言葉も主人がわたしに向かって話すものしか理解できないんです。だから二人が何を話していたのか、わたしにはわかりませんでした。
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