一葉恋慕・明治編

多谷昇太

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胡蝶の夢

胡蝶の夢

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「その昔私こと荘周が夢の中で胡蝶になったことがある。栩々然として舞い、まさしく胡蝶であった。ひたすら周遊を喩しみ我が身の荘周たるを覚えることはなかった。然るに俄然として目覚めれば、私は蝶ではなく、確かに人間の荘周である。ではあるが、夢の啓示に返るなら、はて私がいつか生まれ変わって胡蝶になるのか、胡蝶だった私がいま荘周となっているのか、いたって定かではない。胡蝶と荘周は形の上では確かに別物だが、中身の主体は一つだからである。これを称して、また観じて云えば、ただ物の形が変化したというのに過ぎない」        
―荘子「胡蝶の夢」

補足:「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賎などの相対は、人間の‘知’が生み出した結果であり、それらはただの見せかけに過ぎない」と荘子は云う。そして「その人間の知には限りがあり、他方悠々然たる摂理に限りはない。すれば知で摂理を図ることなどできようか。それを悟るなら、差異や区別を超えた世界が見えてくる」とも。そしてこれこそが、荘子の云う「逍遥遊」の世界なのである。
(前文ともにWIKIPEDIA百科事典より引く)

               【胡蝶の夢】
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