阿漕の浦奇談

多谷昇太

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第三章 阿漕の浦奇談

人形の家のノラ?

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 さてではここに於いて幼少以来四十年弱の璋子の内実はいったいどうであったのか、阿漕の浦逢瀬に至る心の経路をさぐってみたい。傍目には乱脈と云うほかはない白河と鳥羽の性欲と業を彼女は終生身と心で受け切ったわけだが、これをして主体性のない女身のかなしさと、人形の家のノラであると、余人は論評にかまびすしかろうが、しかし飽くまでもそれは全員ではない。たとえば子を身ごもり、産むことのできない我々男であれば女性、就中母としての何某かのことはこれはわからないのである。少なくも私はそうだ。権力者であろうが何であろうがすべては自分女がつくりだした子だとどこかで思うなら、主体性の如何ははたしてどちらにあるのかさえわからなくなってしまう。男にみずからを愛させ子を結実させる、自覚せずともそこに喜びと主体性を見ていたのなら人形の家のノラとは云いがたい。まして実家の閑院流一族からは「懐妊?でかした!」ともろ手をあげて喜ばれるなら況やのことである。しかも同腹で七人の皇子皇女の生母ともなると、これはおそらく記録ではあるまいか。畢竟そのぶんだけ璋子の自信と傲りは強まったにちがいない。歴代王朝の后としては‘比類のないほど?’と勘ぐりたくもなる。世界は自分を中心にまわる、とまでは云わないがとにかく傲り、輝いていただろう。ところがこれが得子出来とともに一気に、かつ劇的に崩れ去るのだ。いやでも璋子は自分の生き方を客観的にかえりみることになり、なおかつ皇子皇女たちの未来に不安をいだくことともなる。はなはだ語弊があるが、生んだ皇子たちの数の分だけ‘散らかしてしまった’という心根にさえなるかも知れない。自分ひとりだけの失脚ならともかく、得子に皇子誕生で崇徳はじめ自分の皇子皇女らすべてに、不安の星をいだかせてしまったという、背負いきれないほどの負担を感じはしなかったろうか。そんな折り「そよ、あの者、義清…」と思い至ったのかも知れない。徳大寺実家に帰った折りの歌サロンなどでなら非公式に義清と面つきあわせて「人の世」を語ることもあったのに違いない。おそらく未だ青年らしい哲学的にすぎるきらいはあったろうがその博識と感性、そして出家への気概にはいたく感化されただろう。とっぴだが約八百年後のかの麗歌人、柳原白蓮(伯爵令嬢にして大富豪夫人)と青年宮崎竜介の邂逅とひょっとしてそれは同じだったかも知れない。彼竜介同様に義清の地位ある女性(にょしょう)への思い入れは隠すべくもなかったし、それならひとつと今はなけなしの自尊心を璋子はくすぐられもし、なにより「吾を救いなむや(助けて欲しい)」の思い入れとともに我身との逢瀬を与えたのであろう。
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