自らを越えて 第一巻

多谷昇太

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丹沢行(1)

えっ?沢登りかよ

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しかしそんなもん居る分けがない。答えるまでもなく日の上昇とともに霧がサーっと、みるみるうちに退いて行き俺の作り話の嘘を証明してみせたからだ。俺は『へえ、大伴さん、ここの水汲み場まで知っているんだ。それに感心したのはこっちの方だよ。てっきり一般的な表尾根ルートかと思っていた』などと思いつつも『しかしどうしようかな、なんと答えたらいいんだか…』と一瞬二瞬心中で苦悶したあと「は、はい。あの、その…きゅ、急用が出来たとかで結局来なかったんです』と出まかせを云ってしまう。云ったあとで『バカヤロウ、どうやって俺に知らせたんだ?俺に電報でも打ったってか?』すぐにそう気づいたがあとの祭りだ(この小説は1968年の設定です。携帯やスマホなどまだ影も形もありませんでした)。顔を赤くしてどもるように黙り込む俺に「ああ、そうだったんだ。それじゃあ仕方ないわね。ところでそれなら、やっぱり村田君一人にお願いするわ。わたしたちの護衛係。ね?」と俺の嘘など気にする風もなく大伴さんが俺に帯同を〝命じた〟。俺はこれからの大伴さんとの道連れを思えば嬉しくて仕方ないのだが素直じゃないので、顔の紅潮をなお濃くすることで内心の意を示した。マドンナと俺がいっしょに一日を?…事ここに至っても未だに信じられない。「ところで村田君、わたしたちはこのあと葛葉沢を沢登りして二の塔、あとは何とか塔ノ岳まで行って、そこから大倉尾根を下るつもりなの。それで…あなたはどういうルートを行くの?やっぱり二の塔尾根かな?」えっ?とばかり再び俺は驚いた。何と沢登りかよ。大伴さんの方こそ丹沢の通なんじゃないのかなと疑ってしまう。すればあとの二人、カナとミカも意外や登山馴れしてる?とも思って見直さざるを得ない。すでに沢登りを決めていた俺であれば文字通り渡りに船なのだがただ気になることが一つだけあった。俺は今日は沢登りには必需品たる草鞋(わらじ)を持って来ていない。急遽尾根登りを変更したからだがこの今履いているキャラバンシューズであっては沢登りには不向きなのだ。いや不向きどころか危険ですらある。水に濡れて苔むした岩場であっては登山のスペシャルシューズであっても用をなさない。滑ってしまうのだ。
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