ゼフィルス、結婚は嫌よ

多谷昇太

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10年後への求婚

ぼくの名は時任(ときとう)義男です

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いまから思えば義男が惑香一人の前に現れた時点で、すでに自分の正体を惑香に明かすことを期していたのだろう。だから惑香の詰問じみた視線はそれへのよい誘い水となった分けだ。彼は自らの氏・素性を明かし、意外や彼が惑香とは遠からぬ関係の人間であることも明かしたのだった。それを聞けば義男が探偵の類などでないことはもちろん知れたが、しかし同時に間違いなく、彼が自分へのストーカーであったことも知れたのだった。しかもそれは、美枝子が義男を評して云っていたあの「とても長いのよ。そして深いの」という言葉を心底から納得させられるレベルのものだった。あの時は「それってわかる?」という美枝子の問いにただ「わかんなーい」と無邪気におどけていたのだったが、いまになってみれば改めて美枝子の直感の鋭さに舌を巻く思いである。ただしかし、いま一つの美枝子の義男評「それと惑香、あの男(つまり眼前のこの義男)はとにかくあんたにピュアだよ」に関しては未だ皆目知れぬことだった。それではそれを、すなわち義男の惑香への愛の所以を、以下縷々と記していこう…。
「惑香さん…云った通りのことです。すいません。いままでしらばっくれていて」
「そうですか…じゃ、あなたはそのことを…あなたのお父様からお聞きになった分けね?」
「そうです。そして父はあなたの破婚の事実をあなたのお母さまから聞いたのです。電話で」
「わたしの母から?!」
「はい。その時はあなたのお母さまがとても残念がっていたと、父がそう申していました」
想像もしなかった意外な話に惑香は息を飲む思いである。義男はどこの誰とも知れぬ赤の他人ではなかったのだ。惑香の名前など端の始めから当然知っていたのだろうし、おそらくその生い立ちすらも同様だったろう。惑香は昔を思い出すように義男が告げた彼の父を偲んで「一郎おじさん…」と思わず口に上せた。
「そうです。ぼくの父です」
「そうするとあなたのお名前は…」
「はい、時任(ときとう)義男です。字はこう書きます」と答えてからナプキンスタンドから一枚を取り出しその上に自分の名前を書いて見せ、それを惑香に手渡す。なぜかナプキンの右端に書いてあるその名を読み上げる惑香。
「ときとうよしお…さん」
「はい、そうです」
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