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小噺(こばなし)コーナー

小噺➀自転車(空気入れ)泥棒(10)…実際の話

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彼らは事の次第を偽装しそれをそのまま飲めとマスコミや人民に要求致します。そしてマスコミや人民はそれぞれ唯々諾々とこれに従い、あるいは騙されます。それですから皆様、これがつまり先の「(超)格差」のいまの世ということでございますよ。斯様な大事件でもそうなのですから「自転車空気入れ泥棒」やストーカーの事実など、あなた、警察や世間はそもそも相手にもしませんし、仮に三遊亭私ことわたくしが訴え出たとしても、警察はストーカー親分や団地オーナーの云うこと(つまり偽装工作)をこそ「はいはい、ご説ごもっとも」と、粛粛と受け奉るに違いないのです。これはもう当たり前田のクラッカーです。
でありますから、1948年作品「自転車泥棒」当時にはまだしもあったであろう、人々の常識や良識におけるコンセンサスなどまったく顧みられない、ピンは各国大統領や独裁者、あるいは超金融資本家から、キリはこのストーカー親分である不動産の金満家に至るまで、あたかも〝彼らの云うがまま、偽装するがまま〟の現世界である分けです。まさに「(超)格差(弊害)」の世です。
 さてではいま一方の「(超)執拗さ」はどうでしょうか。こちらも「自転車泥棒」の往時とは様変わりした、時間的にも空間的にもはたまたオカルト的な〝霊視の悪さ〟ということにおいても、まことに執拗な、それこそ重箱の隅を箸で突っつくようないやらしさ、悍ましさがあるのでございます。これに付きましては当アルファポリス誌内における、かのエンターテーメント的作家?多谷昇太氏の「一葉恋慕・大森編」をご覧になった方が早いでしょう。下記にその該当ページと「話のタイトル」を置いておきますのでぜひぜひご覧になってください。

※当アルファポリス誌内の「一葉恋慕・大森編」、その14ページ目「プータローの身上」と15ページ目「格差の力。これに諂うチンピラども」をご覧ください。
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