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教会決戦編
前哨戦
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数が多い。流石の物量に嫌気がさしてきた。
体力的には何の問題もない。しかし精神的な疲弊は否めない。実力は私たちの方が圧倒的に勝っているとはいえ、それでも相手は二万を超えるの兵である。槍を振り回しその衝撃波で、毎秒百人単位で処理していっているが、数の暴力はその処理速度を上回る力で精神を強く殴りつけてくる。
霊力を使えばもっと広範囲に、数千、数万規模で処理できなくもない。しかし私や弥平の霊力量には限りがある。霊力切れを起こすと凄まじい倦怠感とともに、戦意が大きく削られてしまう。
一応、弥平から何本か霊力回復薬は持たされているものの、澄男に加勢することを考えれば、そう簡単に使い果たしてしまうことは躊躇われる。
侵撃本隊である私こと御玲、弥平、パオングは残りの兵掃討を防衛拠点攻略を終えたカエル総隊長たちに任せ、中央拠点内部に駒を進めていた。
「凄い数の死体……」
通路内には夥しい数の死体が壁や床にゴミのように打ち捨てられている。おそらく澄男が縦横無尽に駆け回った成れの果てだろう。
澄男は空を飛んでいたし、そのまま拠点に突っ込んで兵のど真ん中をクラッシュしていった絵が簡単に想像できた。
「人の気配がありませんね。拠点内の雑兵は掃討されたのでしょうか」
「パオング。探知系魔法を使用したが、生命反応はないようだ。魔法で隠れている者も見受けられぬ」
「となると、やはり澄男さまが蹂躙されたわけですね」
戦局は想像どおりだったことに納得する。
私たちの目的は、あくまで佳霖。他の雑兵を真剣に相手にする必要はない。澄男のことだ、佳霖はどうせ最上階にいるだろうと何の根拠もなく思い至り、天井をブチ抜いて上のフロアへ一人突っ走っていったんだろう。
澄男が先にいくのは手筈どおりだったのでなんとも思わないが、佳霖が地下にいる場合を全く考えていない可能性がある。
「ふむ。この天井の大穴」
「間違いなく、澄男殿であるな」
弥平とパオングは、何か大きなもので打ち砕かれたかのようにぽっかりと口を開けた天井を、冷静に分析する。
その様を見て、私は肩を竦めた。予想どおりにも程がある。
「念のため、地下の探索もしましょうか」
「足での探索は非効率である。いささか範囲が広大だが、我の魔法で中央拠点全体を一挙に探索せしめよう」
「私も支援を」
「及ばぬ。我の方が体内霊力量は膨大である上、時間経過による倍速での霊力随時回復と魔法一種ごとに消費する霊力量を三割削減する固有能力も有するゆえ」
な、なるほど、と半ば気圧され気味に一礼する。
時間経過で霊力を倍速で自然回復し、なおかつ魔法一種類ごとに消費する霊力量を三割カットできるなど、化物か。
外見はただの象のぬいぐるみだが中身は魑魅魍魎の化物なのだなと再認識する。どうやったらそんな便利な能力を身につけられるのか。不思議でならない。
「``範囲検知:``拡大化最大:``立体対応:魔法探知``、``探査````````」
パオングの頭上に四枚、私たちを含む床全体に一枚の魔法陣が姿をあらわす。
魔法陣には依然として解読不明な文字列が、毎秒間隔で魔法陣の中を回転しながら目まぐるしく変化し、じっと見ていると思わず目が回ってしまう。
床全体に描かれた魔法陣は、まるで空気の入れられている風船のように膨らみ続け、一定まで広がったと思いきや、床へ吸収されるように光を失い、そして消えた。同時に、パオングの頭上に描かれた四枚の魔法陣も輝きを失い消滅する。
この間、僅か数秒。私と弥平には何が起こったのか、彼が何をしているのか、皆目分からなかった。魔法に博識な弥平でさえ表情に変化こそないものの、顔に汗を忍ばせているほどだ。
弥平にも理解できない魔法を使っているのなら、魔法にほんの僅かな素養しか持たない私には、到底踏み入れられない領域である。
「ふむ……」
パオングは目を開き、私と弥平へ視線を投げた。
「この施設に地下は無い。あるにはあるが、ただの物置部屋のようだ」
「となると澄男様は」
「我らの予想どおり最上階のようだな。澄男殿ともう一人、強大な霊力を放射している者も見受けられた」
「全能度は」
「そなたら独自の尺度であったな? ふむ……かなり高等な装備を全身に纏っているようだ。装備の性能も総合すると1700相当になろうか」
「せ、1700!?」
私たちはその数字に思わず肝を引っこ抜かれる。
全能度1700。ヒューマノリア大陸を壊滅せしめる全能度2000に次ぐ、常軌を逸した数値だ。
化物すぎる。普通じゃない。私は単純に、至極単純に、心の中でその言葉を吐露した。
まともにやりあって勝てる相手じゃない。そんなのと出くわせば迷わず、脱兎のごとく撤退の一択しか道はないくらいの存在だ。背筋がひんやりと冷たい何かが走る。
「しかし澄男殿も凄まじいな。この霊力の放出……全能度1300は優に超えている」
「肉体能力では拮抗している感じでしょうか……」
「お互い装備無しの素であればな。佳霖と目される輩は、かなり有力な装備をしている。装備の差で勝敗が決する可能性が高い」
「澄男さまの装備は!?」
「……いつもどおりの短パンとTシャツ一枚、そして愛剣のディセクタム一本のみですね……」
「もう! なんでこんなときまでそんな無装備に等しい状態なんですか……!!」
「答えるべくも」
「ないのである」
思いっきり肩を落とし、大きなため息をつきながらうな垂れた。
専属メイドがこれを言ったらおしまいかもしれないが、言わないと気が済まないので言わせてもらうと、我が主人は見事なまでに救いようがないバカなんじゃないだろうか。
今回の戦いは一切の負けが許されないというのに、どうして入念な装備をせずほぼ丸裸に等しい状態で初陣しようなどと思えるのだろう。
流石に今回ばかりは装備も気にかけるだろう、いつもみたいな適当極まりない格好で戦場に立たないだろうとタカを括っていたが甘かった。
一気に勝つ気があるのかとツッコミたくなってくる。今すぐにでも渾身の右ストレートをお見舞いしてやりたい。
「てっきり拠点に侵入したら物陰などに隠れて装備を整えるつもりなのかと思っておりましたわ……まさか作戦開始前のお姿のまま、佳霖と面と向かってしまわれるなんて……!」
「ま、まあ澄男様の場合、肉体能力的にも身体を決戦装備で固めてしまわれるより、あえてラフな格好の方がピークパフォーマンスを活かせやすいでしょうし」
「特殊装備の類なら、触れただけで弱体化もありえるのですよ? 今までの佳霖の行動理念を考えれば、一般防具で澄男さまと戦うとは到底思えません!」
「ふむ。明らかに佳霖が装備しているものは、防具から武器まで特殊装備であるな」
「……となると澄男様の固有能力、超能力次第……」
一同、静寂。
あまりの博打的状況に、私の溜息が破壊し尽くされたフロア内をむなしく反響する。
「可及的速やかに合流する必要がありますね。本来であれば、他の人員と合流してから行きたかったのですが」
「パオング。その意志に賛同したいところだが、そうもいかぬようだぞ」
なぜ、と弥平が問いかけようとしたとき、パオングは目を細め、澄男が開けた天井の大穴を見つめた。
だがただ見つめているのではない。その目は獲物を空中から見定める鷹のごとく、鋭く突き刺すような熱視線。
何の気配もしないはずの天井を眺める様は、まるで霊感がある人間が、ただ一人霊を感じて見つめ合っているかのように思えた。
「そこな少年、我を誰と心得る? 我欲の神である我を騙眩かすこと能わず。さあ、姿を現わすがいい!」
パオングの突然の宣誓。誰もいないはずの天井へ、目に見えぬ何者かへと送るその言葉には、明確な敵意が含まれている。
私と弥平は即座に臨戦態勢へ入る。
自分たちの気配察知能力は常人の比ではない。先代当主という名の父母たちを師とする彼らから、戦闘向けの肉体へと洗練されている察知能力は、戦闘能力を持つあらゆる敵意を見逃さない。
しかしそれでも感じとれない敵意とは、すなわち相手は同格か格上のどちらかということ。
探知系魔法を駆使しなければ存在を察知できない生物。もしもパオングがいなければ、臨戦態勢に入る間もなく刈り取られていた可能性がある。
気配が感じとれないとは、どれだけ強くとも人間という種族の限界を超えられていない私たちにとって、最大の脅威に他ならない。
「んゃー、やっぱバレてたかー……なにそのぬいぐるみ。ズルでしょ」
天井から爽やかに降りてきた少年。全身白色のコートを着こなす黒髪の彼が現れたとき、弥平の作り笑いが一瞬崩れ、敵意と警戒が膨れ上がったのを肌で感じる。
私の背からも冷や汗が流れた。どんなときでも冷静な弥平が、一瞬とはいえ、感情の起伏が思わず外に漏れ出してしまう相手。
彼の実力はヴァルヴァリオン大遠征のときに悟っているつもりだった。渾身の槍術を容易く対処した実力。いとも簡単に自分の技が不発に終わるのは屈辱と感じるほどに、彼の対処には無駄が無かった。
しかしながら今回、弥平ですらも冷静さを一瞬崩した。ただの格上というわけではなく、下手をすれば弥平と同じくらいの実力を持つということか。
「御玲ちゃんおひさー、そんでえっと……澄男ちゃんの高校襲ったときにいたバトラー……かな? おひさー、数ヶ月ぶりだね?」
「お久しぶりですね。あのときは名前を存じあげませんでしたけれど」
「十寺興輝だよ?」
「初対面時は名乗りませんでしたのに、潔く名乗るのですね」
「もう隠す必要ないし。君も名乗りなよ」
「ご存知なのでは?」
「ノリ悪いなぁ、まあそうなんだけど。弥平ちゃんおはつー?」
「特殊装備で完全防備している佳霖と装備が完全でない澄男様では装備の差で勝敗が決まる。ならやるべきことは、澄男様と私達を分断し、援護を遮断すること」
十寺の会話を無視し、弥平は自分の見解を淡々と述べる。取り合う気がないと悟った十寺は、苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。
「熟考せず独断専行する澄男様の性格を利用し、佳霖にとって有利な舞台を作り上げてくれましたね。貴方はそのための番人というわけですか」
「流石、頭回るねー。君の主人やそこのせっかちメイドと違って」
唐突に罵られ、顔を歪ませる。一歩前へ踏み出すが、弥平に手でそれ以上進むなと制される。
「まあ僕が舞台作りしたわけじゃないけど。佳霖様がそこらへんやってくれてたし、僕は指示どおりに動いただけだけど、実を言うと僕の意志も含まれてるんだよねこれが」
十寺は懐から短剣を出す。器用に手で高速回転させながら、空中に投げてキャッチする。そこまでの動作に一切の無駄はなく、むしろ華があったが、綺麗、華麗という意味合いでの華とは程遠い。
その華はどこか赤みを帯びていて、血が飛び散ったように見えた。
「正直僕からしたら、佳霖様の野望とかどうだっていいんだよね」
唐突に手下らしからぬ発言を投げつけた。意図が図れず眉をひそめる。それでも彼の胡散臭さ漂う語りは続く。
「僕はただ、あの人についていったら汚さとは無縁の純粋無垢な女とパコれるかなと思ってあの人に協力してただけなんだよ」
それは純白のコートが全く似合わない、外道の発言だった。不快感が一気に胸を焼く。
「ホントはただ性欲の赴くまま快楽に浸れればそれでいいやと思ってたけど、たった一人の女にガチ恋しちゃってさ」
十寺が恋慕した女性。おそらくその女性は、澄男のガールフレンドであった木萩澪華のことだろう。彼女を連れ去ったのはただ佳霖の計画の一端として指示どおりに動いただけだと判断していたが、そこに個人的な感情が入っていたことに気づけるはずもない。
「迷いなんてなかったね。ずっと彼女を中心に、彼女と僕だけの世界に溺れようと決めたよ。他の女とかどうでもいい。使い捨ての便器にしか見えなくなるくらいに、僕は彼女に心酔したんだ」
唇を歪め、恍惚に笑った。
私たちの背中によりかかる莫大な不快感。それは、もはや倫理も道徳も破綻した異常者の言霊が、脳味噌を直接無造作に舐め回してくるような感覚。
耳を塞ぎたい欲望が駆り立てられる。しかしながら、敵の前で弱腰を見せるわけにはいかない。平常心を理性で保ち、沸き立つ不快感に抵抗する。
「僕にとって彼女は全てだ。彼女の身体、言葉、息、肉、血、骨、臓物、感情、性格、特性、全てが愛おしい。僕が生徒会長として潜入したのは、当初佳霖様に指示されただけだったけど、彼女と接点を持つようになってから佳霖様が霞んで見えたよ。正直裏切ろうかなとか思ったくらいさ、でも裏切ったら流石に殺されるし、殺されたら澪華を独占できないし、それは嫌だ。僕はもう奪われるのは嫌なんだよ。だから澪華だけは、世界に蔓延るどんな有象無象よりも愛おしい彼女だけは、自分だけのものにしたかった。したかったのに……!」
ぎり、と歯が大きく軋む音が響いた。十寺の体が突然ふらつく。まるで身体に酒気を帯び、平衡感覚が狂うほど酩酊した人間のようにぐらんと項垂れる彼だったが、さっきと打って変わってしわくちゃに丸めた紙屑のような表情を、私たちに向けた。
「どぉうしておめぇらみてぇな有象無象はさぁ!! 僕の世界を侵そうとするんだよぉ!! ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんじゃねぇよ、死ねよ死んで詫びろよ、死んで藻屑になれよ、跡形もなく粉微塵になっちまえよ、おめぇらみてぇなゴミなんざ要らねぇんだよ、お呼びじゃねぇんだよ、僕はただ彼女と二人だけの世界に死ぬまで浸って溺れて愛して愛し合って死にたいだけなんだよなんで邪魔すんの邪魔なんだよ消えろよ死ねよ死ね死ね死ね死ね死ね糞が糞未満がでしゃばんなよひっこんでろよ視界に入んなよああ目障り耳障りお願いだから死んでくれよぉ……きえてくれよぉ……なんで僕の世界にさぁ、一々干渉してくんだよ消えてなくなれゴミカスどもがぁ!!」
十寺興輝。叫び散らすその少年の顔は、様々な感情が入り混じり、もはや原型を留めないほどに崩れていた。元々美形の顔立ちをしていたはずのその顔は、悲しみ、憎しみ、怒り、嫉妬、独占欲その他諸々に塗り潰され、見るに堪えない愚物に変貌している。
思わず顔を背けたくなった。それと同時に吐き気がこみ上げる。
十寺興輝が気持ち悪いのではない。不快なのは確かだ。だがこの場において、私の抱く不快感は他二人の比ではない。今の彼はまるで、かつての自分を見ているようだったからだ。
自分が今までの人生で味わってきた数多の苦痛を行き場のない憎悪として、守るべき主人にその矛先を向けた醜い自分。
この世で最も嫌悪している父親と、全く同一の存在になった瞬間に覚えた不愉快が、頭の中にフラッシュバックとして降り注いでいるのだ。
十寺興輝は、いわば鏡。自分自身を見ているようで、共感すればするほど目を背けたい欲望が降り積もる。
「どうしたせっかちメイド? 顔が歪んでるぞ、気持ち悪いのか?」
同族嫌悪に耐え忍ぶ最中、十寺は傷口を無造作に抉るが如く、追い討ちをかけてくる。
そんな十寺の顔はどこか笑っていた。否、笑っているのではない。明確な嫌悪を示す人間を嗤っているのだ。
「だろうな、そうだろうな。別にいいよ、僕がキモいのは今更だ。今更お前らみたいな人間にキモがられたところで痛くも痒くもねぇ。他人に評価なんてどうだっていいんだ。僕は彼女さえ愛せればそれでいい、彼女と溺れて死ねればそれでいい。それ以外なぁんもいらねぇし求めてねぇ。だからさぁ……」
十寺の殺意が一気に膨れ上がった。二人は手に持つ武器を構え、反射的に身構える。
殺意に狂った眼差し。問答無用で抹殺するという禍々しい意志が、視線、表情、身体から無意識に湧き出る霊力の波からひしひしと伝わってくる。深い深い憎悪に塗り潰された目玉が、今にも私たちを八つ裂きにしてやらんと動く。
さながらその姿は殺人鬼。殺人衝動の赴くまま、己の視界に入ったもののほとんどを理不尽に敵と見做して排斥する狂人。
木萩澪華という存在が、彼にどう見えていたかは定かではない。何故そこまで彼女に固執するのかも到底理解に及ばないが、ただ一つわかることは、彼が見ている世界は自分と澪華だけであり、それ以外は異物でしかないということのみだ。
ならば、と私と弥平の意志も決まっていた。
「お前ら全員殺す!! 殺して裂いて砕いてぐちゃぐちゃにして擦りつけて、その薄汚ぇ血肉と臓物を僕の部屋の壁に飾ってやる!!」
狂人の怒号が壊れかけのフロア内に禍々しく響いた。床が抉れるほどの力で蹴り、足をバネのようにして前進。金切り声をあげながら二人に迫る。
殺人衝動に支配された十寺に人の言葉を発する能は、もはやない。あるのは目の前の異物を力の限り挽肉にするただそれだけの衝動のみ。
理性をかなぐり捨て、殺人にのみ特化した思考と反射。人間という種の限界を極めた狂人の敏捷は、私たちの動体視力をもってしてギリギリ捉えられるかどうかというほどの速さに達している。
「弥平さま!」
自分の存在全てを己の有り余る殺人衝動に売り渡し、人ならざる速度で接敵する十寺を、彼と同等の反応速度をもって槍で食い止める。
反撃に入られる前にすばやく槍で突き飛ばし、よろけた隙に一撃を叩き込もうとするが、十寺とて伊達に殺人に長けていないわけではない。態勢を崩されても隠し持っていたナイフで槍を弾き、追撃から逃れた。
ふー、ふー、と荒々しい獣のような呼吸で睨みつけてくる十寺は、殺人衝動にかられてもなお、野生の勘は働いているのか、それとも先ほどの一撃で学習したのか。私の間合いを伺っているように思えた。
「彼は私一人で相手をします。弥平さまたちは澄男さまの下へ。もしも、まだ合流できていない組と鉢合わせしましたら直接最上階へ行くよう、お伝え下さい」
「貴女一人では、持て余す可能性がありますよ。二人がかりで確実に叩いた方が」
「今は澄男さまが優先です。特にパオングさまは、この場において最も高い戦力。私には、もったいなさすぎます」
「し、しかし」
「パァオング。合理的な判断である。あの少年の戦闘能力は確かに高いが、澄男殿が相対しておられる最上階の者とは、比較するに値しない。我がここにとどまるよりも、逸早く澄男殿と合流する方が得策である」
「しかしそれでは御玲が!」
「どうやら御玲殿には、合理的判断とは別に、個人的な理由があるようだ。あの少年に対し、御玲殿単騎による戦闘は合理性に欠けるものではあるが、死に急ぐつもりはないのだろう?」
「全く……ぬいぐるみの癖に憎らしいまでの洞察ですね」
ぺらぺらと的を射た推測を述べるパオングに肩を竦める。弥平は未だ不満げに表情を歪めていたが、私の意志が理屈では揺るがないと悟ったのか、溜息混じりに分かりましたと告げ、ナイフをしまう。
「いがぜるがああああああァァァアアァァァ!!」
弥平が戦闘意欲を潜めたのと同時、金切り声混じりの奇声を発し、弥平とパオングの二人を斬り刻まんと差し迫る。
弥平は武器をしまってしまったため、人外に迫る速度で接敵できる十寺を迎撃することはできない。ナイフをもう一度装備して迎撃、も十寺の敏捷能力を考えれば不可能だろう。
考える猶予はない、ここは反射で―――。
「``接敵阻止``」
動こうとした、次の瞬間だった。淡々とした、しかしコクの効いた中年男性の声音が鼓膜を揺らす。
あと二秒もあればナイフの切っ先が触れていたであろう弥平の前から十寺が消えたと思いきや、私に突き飛ばされた位置まで戻されていた。
十寺の殺意がさらに膨れ上がる。弥平の足元に現れた白色の魔法陣。どんな魔法を使われたのか、理解したのだろう。もう一度接敵しようと試みるが、獲物を見定めた鷹のような眼で睥睨する象の魔導師は、十寺のそんな殺意を見逃さない。
「``暴風``、``超遅化``、``部分無効:薬物効果、無系強化``」
パオングの周りに緑色の魔法陣が出現したのと同時、どこからともなく突風が十寺を殴りつけ、なすすべもなく後方へ吹き飛ぶ。役目を終えたとばかりに緑色の魔法陣が消えるやいなや、謎の突風によって壁に叩きつけられた十寺の所に白い魔法陣が二つ、一瞬だけ光り輝く。
クソガアアアアァァァアアアァアアア、と奇声を張り上げ、怒り狂う十寺。なんの魔法を使ったのかは分からないが、大雑把になにをしたのかは見当がつく。
どこからともなく吹いた、出所不明の突風は風属性の魔法。
そしてさっきの白い魔法陣二つは、なにかしらの効果を持った無系魔法であるということに。
「パァオング。これで戦いやすくなったであろう。それでも不利ではあるが、精進して生き延びるがよい」
「上から目線の励まし、至り入ります」
パオングに軽く一礼。そんな私を一瞥し、パオングは弥平ととも上のフロアへと去っていった。
最後まで心配していた弥平だったが、純粋に心配されている反面、少し心が痛んだ。
「ああーもーいーすべてがどうでもめんどくせー、めんどくせーよ、ころす。ころすころすコロスころすコロスコロス!! ハァハハハハヒハヒヒハァ!! とりあえずしね!!」
支離滅裂の言霊をはきちらす十寺。
罵詈雑言に論理性も、信念も皆無。殺害する、殺人する。その行為、その概念のみに全てを費やし磨耗し削り落としてしまっている。だが私もまた、心地よさを感じていた。
合理性を排して、戦いに挑むのは今回が初。
今までは全て殺す必要があったから、戦う必要があったから。ただそれだけの理由しか持っていなかった。個人的な理由も、私情もない。全ては合理性と必要性に基づいて、必要十分な戦闘をやってきた。
だが今回、自分は個人的な理由、思惑、思想で彼と向き合うことを決めた。何故ならこの戦い、十寺興輝という狂人と向き合うことがすなわち―――。
「狂人だった、過去の自分との決別。私は今度こそ、本当の``自分``を手に入れる!」
怒り、狂い、叫ぶ狂人、十寺興輝の咆哮とともに、全ての意志を一本の槍に移し変え床を強く蹴った。
人外に迫る二人の脚力は、霊力で固められたら頑強な特殊鋼鉄の床を容易く砕く。もはや常人の動体視力では捉えきれない速度。元食人鬼の私と殺人狂は、各々の衝動と思想を抱いて、遂に交わる―――。
体力的には何の問題もない。しかし精神的な疲弊は否めない。実力は私たちの方が圧倒的に勝っているとはいえ、それでも相手は二万を超えるの兵である。槍を振り回しその衝撃波で、毎秒百人単位で処理していっているが、数の暴力はその処理速度を上回る力で精神を強く殴りつけてくる。
霊力を使えばもっと広範囲に、数千、数万規模で処理できなくもない。しかし私や弥平の霊力量には限りがある。霊力切れを起こすと凄まじい倦怠感とともに、戦意が大きく削られてしまう。
一応、弥平から何本か霊力回復薬は持たされているものの、澄男に加勢することを考えれば、そう簡単に使い果たしてしまうことは躊躇われる。
侵撃本隊である私こと御玲、弥平、パオングは残りの兵掃討を防衛拠点攻略を終えたカエル総隊長たちに任せ、中央拠点内部に駒を進めていた。
「凄い数の死体……」
通路内には夥しい数の死体が壁や床にゴミのように打ち捨てられている。おそらく澄男が縦横無尽に駆け回った成れの果てだろう。
澄男は空を飛んでいたし、そのまま拠点に突っ込んで兵のど真ん中をクラッシュしていった絵が簡単に想像できた。
「人の気配がありませんね。拠点内の雑兵は掃討されたのでしょうか」
「パオング。探知系魔法を使用したが、生命反応はないようだ。魔法で隠れている者も見受けられぬ」
「となると、やはり澄男さまが蹂躙されたわけですね」
戦局は想像どおりだったことに納得する。
私たちの目的は、あくまで佳霖。他の雑兵を真剣に相手にする必要はない。澄男のことだ、佳霖はどうせ最上階にいるだろうと何の根拠もなく思い至り、天井をブチ抜いて上のフロアへ一人突っ走っていったんだろう。
澄男が先にいくのは手筈どおりだったのでなんとも思わないが、佳霖が地下にいる場合を全く考えていない可能性がある。
「ふむ。この天井の大穴」
「間違いなく、澄男殿であるな」
弥平とパオングは、何か大きなもので打ち砕かれたかのようにぽっかりと口を開けた天井を、冷静に分析する。
その様を見て、私は肩を竦めた。予想どおりにも程がある。
「念のため、地下の探索もしましょうか」
「足での探索は非効率である。いささか範囲が広大だが、我の魔法で中央拠点全体を一挙に探索せしめよう」
「私も支援を」
「及ばぬ。我の方が体内霊力量は膨大である上、時間経過による倍速での霊力随時回復と魔法一種ごとに消費する霊力量を三割削減する固有能力も有するゆえ」
な、なるほど、と半ば気圧され気味に一礼する。
時間経過で霊力を倍速で自然回復し、なおかつ魔法一種類ごとに消費する霊力量を三割カットできるなど、化物か。
外見はただの象のぬいぐるみだが中身は魑魅魍魎の化物なのだなと再認識する。どうやったらそんな便利な能力を身につけられるのか。不思議でならない。
「``範囲検知:``拡大化最大:``立体対応:魔法探知``、``探査````````」
パオングの頭上に四枚、私たちを含む床全体に一枚の魔法陣が姿をあらわす。
魔法陣には依然として解読不明な文字列が、毎秒間隔で魔法陣の中を回転しながら目まぐるしく変化し、じっと見ていると思わず目が回ってしまう。
床全体に描かれた魔法陣は、まるで空気の入れられている風船のように膨らみ続け、一定まで広がったと思いきや、床へ吸収されるように光を失い、そして消えた。同時に、パオングの頭上に描かれた四枚の魔法陣も輝きを失い消滅する。
この間、僅か数秒。私と弥平には何が起こったのか、彼が何をしているのか、皆目分からなかった。魔法に博識な弥平でさえ表情に変化こそないものの、顔に汗を忍ばせているほどだ。
弥平にも理解できない魔法を使っているのなら、魔法にほんの僅かな素養しか持たない私には、到底踏み入れられない領域である。
「ふむ……」
パオングは目を開き、私と弥平へ視線を投げた。
「この施設に地下は無い。あるにはあるが、ただの物置部屋のようだ」
「となると澄男様は」
「我らの予想どおり最上階のようだな。澄男殿ともう一人、強大な霊力を放射している者も見受けられた」
「全能度は」
「そなたら独自の尺度であったな? ふむ……かなり高等な装備を全身に纏っているようだ。装備の性能も総合すると1700相当になろうか」
「せ、1700!?」
私たちはその数字に思わず肝を引っこ抜かれる。
全能度1700。ヒューマノリア大陸を壊滅せしめる全能度2000に次ぐ、常軌を逸した数値だ。
化物すぎる。普通じゃない。私は単純に、至極単純に、心の中でその言葉を吐露した。
まともにやりあって勝てる相手じゃない。そんなのと出くわせば迷わず、脱兎のごとく撤退の一択しか道はないくらいの存在だ。背筋がひんやりと冷たい何かが走る。
「しかし澄男殿も凄まじいな。この霊力の放出……全能度1300は優に超えている」
「肉体能力では拮抗している感じでしょうか……」
「お互い装備無しの素であればな。佳霖と目される輩は、かなり有力な装備をしている。装備の差で勝敗が決する可能性が高い」
「澄男さまの装備は!?」
「……いつもどおりの短パンとTシャツ一枚、そして愛剣のディセクタム一本のみですね……」
「もう! なんでこんなときまでそんな無装備に等しい状態なんですか……!!」
「答えるべくも」
「ないのである」
思いっきり肩を落とし、大きなため息をつきながらうな垂れた。
専属メイドがこれを言ったらおしまいかもしれないが、言わないと気が済まないので言わせてもらうと、我が主人は見事なまでに救いようがないバカなんじゃないだろうか。
今回の戦いは一切の負けが許されないというのに、どうして入念な装備をせずほぼ丸裸に等しい状態で初陣しようなどと思えるのだろう。
流石に今回ばかりは装備も気にかけるだろう、いつもみたいな適当極まりない格好で戦場に立たないだろうとタカを括っていたが甘かった。
一気に勝つ気があるのかとツッコミたくなってくる。今すぐにでも渾身の右ストレートをお見舞いしてやりたい。
「てっきり拠点に侵入したら物陰などに隠れて装備を整えるつもりなのかと思っておりましたわ……まさか作戦開始前のお姿のまま、佳霖と面と向かってしまわれるなんて……!」
「ま、まあ澄男様の場合、肉体能力的にも身体を決戦装備で固めてしまわれるより、あえてラフな格好の方がピークパフォーマンスを活かせやすいでしょうし」
「特殊装備の類なら、触れただけで弱体化もありえるのですよ? 今までの佳霖の行動理念を考えれば、一般防具で澄男さまと戦うとは到底思えません!」
「ふむ。明らかに佳霖が装備しているものは、防具から武器まで特殊装備であるな」
「……となると澄男様の固有能力、超能力次第……」
一同、静寂。
あまりの博打的状況に、私の溜息が破壊し尽くされたフロア内をむなしく反響する。
「可及的速やかに合流する必要がありますね。本来であれば、他の人員と合流してから行きたかったのですが」
「パオング。その意志に賛同したいところだが、そうもいかぬようだぞ」
なぜ、と弥平が問いかけようとしたとき、パオングは目を細め、澄男が開けた天井の大穴を見つめた。
だがただ見つめているのではない。その目は獲物を空中から見定める鷹のごとく、鋭く突き刺すような熱視線。
何の気配もしないはずの天井を眺める様は、まるで霊感がある人間が、ただ一人霊を感じて見つめ合っているかのように思えた。
「そこな少年、我を誰と心得る? 我欲の神である我を騙眩かすこと能わず。さあ、姿を現わすがいい!」
パオングの突然の宣誓。誰もいないはずの天井へ、目に見えぬ何者かへと送るその言葉には、明確な敵意が含まれている。
私と弥平は即座に臨戦態勢へ入る。
自分たちの気配察知能力は常人の比ではない。先代当主という名の父母たちを師とする彼らから、戦闘向けの肉体へと洗練されている察知能力は、戦闘能力を持つあらゆる敵意を見逃さない。
しかしそれでも感じとれない敵意とは、すなわち相手は同格か格上のどちらかということ。
探知系魔法を駆使しなければ存在を察知できない生物。もしもパオングがいなければ、臨戦態勢に入る間もなく刈り取られていた可能性がある。
気配が感じとれないとは、どれだけ強くとも人間という種族の限界を超えられていない私たちにとって、最大の脅威に他ならない。
「んゃー、やっぱバレてたかー……なにそのぬいぐるみ。ズルでしょ」
天井から爽やかに降りてきた少年。全身白色のコートを着こなす黒髪の彼が現れたとき、弥平の作り笑いが一瞬崩れ、敵意と警戒が膨れ上がったのを肌で感じる。
私の背からも冷や汗が流れた。どんなときでも冷静な弥平が、一瞬とはいえ、感情の起伏が思わず外に漏れ出してしまう相手。
彼の実力はヴァルヴァリオン大遠征のときに悟っているつもりだった。渾身の槍術を容易く対処した実力。いとも簡単に自分の技が不発に終わるのは屈辱と感じるほどに、彼の対処には無駄が無かった。
しかしながら今回、弥平ですらも冷静さを一瞬崩した。ただの格上というわけではなく、下手をすれば弥平と同じくらいの実力を持つということか。
「御玲ちゃんおひさー、そんでえっと……澄男ちゃんの高校襲ったときにいたバトラー……かな? おひさー、数ヶ月ぶりだね?」
「お久しぶりですね。あのときは名前を存じあげませんでしたけれど」
「十寺興輝だよ?」
「初対面時は名乗りませんでしたのに、潔く名乗るのですね」
「もう隠す必要ないし。君も名乗りなよ」
「ご存知なのでは?」
「ノリ悪いなぁ、まあそうなんだけど。弥平ちゃんおはつー?」
「特殊装備で完全防備している佳霖と装備が完全でない澄男様では装備の差で勝敗が決まる。ならやるべきことは、澄男様と私達を分断し、援護を遮断すること」
十寺の会話を無視し、弥平は自分の見解を淡々と述べる。取り合う気がないと悟った十寺は、苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。
「熟考せず独断専行する澄男様の性格を利用し、佳霖にとって有利な舞台を作り上げてくれましたね。貴方はそのための番人というわけですか」
「流石、頭回るねー。君の主人やそこのせっかちメイドと違って」
唐突に罵られ、顔を歪ませる。一歩前へ踏み出すが、弥平に手でそれ以上進むなと制される。
「まあ僕が舞台作りしたわけじゃないけど。佳霖様がそこらへんやってくれてたし、僕は指示どおりに動いただけだけど、実を言うと僕の意志も含まれてるんだよねこれが」
十寺は懐から短剣を出す。器用に手で高速回転させながら、空中に投げてキャッチする。そこまでの動作に一切の無駄はなく、むしろ華があったが、綺麗、華麗という意味合いでの華とは程遠い。
その華はどこか赤みを帯びていて、血が飛び散ったように見えた。
「正直僕からしたら、佳霖様の野望とかどうだっていいんだよね」
唐突に手下らしからぬ発言を投げつけた。意図が図れず眉をひそめる。それでも彼の胡散臭さ漂う語りは続く。
「僕はただ、あの人についていったら汚さとは無縁の純粋無垢な女とパコれるかなと思ってあの人に協力してただけなんだよ」
それは純白のコートが全く似合わない、外道の発言だった。不快感が一気に胸を焼く。
「ホントはただ性欲の赴くまま快楽に浸れればそれでいいやと思ってたけど、たった一人の女にガチ恋しちゃってさ」
十寺が恋慕した女性。おそらくその女性は、澄男のガールフレンドであった木萩澪華のことだろう。彼女を連れ去ったのはただ佳霖の計画の一端として指示どおりに動いただけだと判断していたが、そこに個人的な感情が入っていたことに気づけるはずもない。
「迷いなんてなかったね。ずっと彼女を中心に、彼女と僕だけの世界に溺れようと決めたよ。他の女とかどうでもいい。使い捨ての便器にしか見えなくなるくらいに、僕は彼女に心酔したんだ」
唇を歪め、恍惚に笑った。
私たちの背中によりかかる莫大な不快感。それは、もはや倫理も道徳も破綻した異常者の言霊が、脳味噌を直接無造作に舐め回してくるような感覚。
耳を塞ぎたい欲望が駆り立てられる。しかしながら、敵の前で弱腰を見せるわけにはいかない。平常心を理性で保ち、沸き立つ不快感に抵抗する。
「僕にとって彼女は全てだ。彼女の身体、言葉、息、肉、血、骨、臓物、感情、性格、特性、全てが愛おしい。僕が生徒会長として潜入したのは、当初佳霖様に指示されただけだったけど、彼女と接点を持つようになってから佳霖様が霞んで見えたよ。正直裏切ろうかなとか思ったくらいさ、でも裏切ったら流石に殺されるし、殺されたら澪華を独占できないし、それは嫌だ。僕はもう奪われるのは嫌なんだよ。だから澪華だけは、世界に蔓延るどんな有象無象よりも愛おしい彼女だけは、自分だけのものにしたかった。したかったのに……!」
ぎり、と歯が大きく軋む音が響いた。十寺の体が突然ふらつく。まるで身体に酒気を帯び、平衡感覚が狂うほど酩酊した人間のようにぐらんと項垂れる彼だったが、さっきと打って変わってしわくちゃに丸めた紙屑のような表情を、私たちに向けた。
「どぉうしておめぇらみてぇな有象無象はさぁ!! 僕の世界を侵そうとするんだよぉ!! ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんじゃねぇよ、死ねよ死んで詫びろよ、死んで藻屑になれよ、跡形もなく粉微塵になっちまえよ、おめぇらみてぇなゴミなんざ要らねぇんだよ、お呼びじゃねぇんだよ、僕はただ彼女と二人だけの世界に死ぬまで浸って溺れて愛して愛し合って死にたいだけなんだよなんで邪魔すんの邪魔なんだよ消えろよ死ねよ死ね死ね死ね死ね死ね糞が糞未満がでしゃばんなよひっこんでろよ視界に入んなよああ目障り耳障りお願いだから死んでくれよぉ……きえてくれよぉ……なんで僕の世界にさぁ、一々干渉してくんだよ消えてなくなれゴミカスどもがぁ!!」
十寺興輝。叫び散らすその少年の顔は、様々な感情が入り混じり、もはや原型を留めないほどに崩れていた。元々美形の顔立ちをしていたはずのその顔は、悲しみ、憎しみ、怒り、嫉妬、独占欲その他諸々に塗り潰され、見るに堪えない愚物に変貌している。
思わず顔を背けたくなった。それと同時に吐き気がこみ上げる。
十寺興輝が気持ち悪いのではない。不快なのは確かだ。だがこの場において、私の抱く不快感は他二人の比ではない。今の彼はまるで、かつての自分を見ているようだったからだ。
自分が今までの人生で味わってきた数多の苦痛を行き場のない憎悪として、守るべき主人にその矛先を向けた醜い自分。
この世で最も嫌悪している父親と、全く同一の存在になった瞬間に覚えた不愉快が、頭の中にフラッシュバックとして降り注いでいるのだ。
十寺興輝は、いわば鏡。自分自身を見ているようで、共感すればするほど目を背けたい欲望が降り積もる。
「どうしたせっかちメイド? 顔が歪んでるぞ、気持ち悪いのか?」
同族嫌悪に耐え忍ぶ最中、十寺は傷口を無造作に抉るが如く、追い討ちをかけてくる。
そんな十寺の顔はどこか笑っていた。否、笑っているのではない。明確な嫌悪を示す人間を嗤っているのだ。
「だろうな、そうだろうな。別にいいよ、僕がキモいのは今更だ。今更お前らみたいな人間にキモがられたところで痛くも痒くもねぇ。他人に評価なんてどうだっていいんだ。僕は彼女さえ愛せればそれでいい、彼女と溺れて死ねればそれでいい。それ以外なぁんもいらねぇし求めてねぇ。だからさぁ……」
十寺の殺意が一気に膨れ上がった。二人は手に持つ武器を構え、反射的に身構える。
殺意に狂った眼差し。問答無用で抹殺するという禍々しい意志が、視線、表情、身体から無意識に湧き出る霊力の波からひしひしと伝わってくる。深い深い憎悪に塗り潰された目玉が、今にも私たちを八つ裂きにしてやらんと動く。
さながらその姿は殺人鬼。殺人衝動の赴くまま、己の視界に入ったもののほとんどを理不尽に敵と見做して排斥する狂人。
木萩澪華という存在が、彼にどう見えていたかは定かではない。何故そこまで彼女に固執するのかも到底理解に及ばないが、ただ一つわかることは、彼が見ている世界は自分と澪華だけであり、それ以外は異物でしかないということのみだ。
ならば、と私と弥平の意志も決まっていた。
「お前ら全員殺す!! 殺して裂いて砕いてぐちゃぐちゃにして擦りつけて、その薄汚ぇ血肉と臓物を僕の部屋の壁に飾ってやる!!」
狂人の怒号が壊れかけのフロア内に禍々しく響いた。床が抉れるほどの力で蹴り、足をバネのようにして前進。金切り声をあげながら二人に迫る。
殺人衝動に支配された十寺に人の言葉を発する能は、もはやない。あるのは目の前の異物を力の限り挽肉にするただそれだけの衝動のみ。
理性をかなぐり捨て、殺人にのみ特化した思考と反射。人間という種の限界を極めた狂人の敏捷は、私たちの動体視力をもってしてギリギリ捉えられるかどうかというほどの速さに達している。
「弥平さま!」
自分の存在全てを己の有り余る殺人衝動に売り渡し、人ならざる速度で接敵する十寺を、彼と同等の反応速度をもって槍で食い止める。
反撃に入られる前にすばやく槍で突き飛ばし、よろけた隙に一撃を叩き込もうとするが、十寺とて伊達に殺人に長けていないわけではない。態勢を崩されても隠し持っていたナイフで槍を弾き、追撃から逃れた。
ふー、ふー、と荒々しい獣のような呼吸で睨みつけてくる十寺は、殺人衝動にかられてもなお、野生の勘は働いているのか、それとも先ほどの一撃で学習したのか。私の間合いを伺っているように思えた。
「彼は私一人で相手をします。弥平さまたちは澄男さまの下へ。もしも、まだ合流できていない組と鉢合わせしましたら直接最上階へ行くよう、お伝え下さい」
「貴女一人では、持て余す可能性がありますよ。二人がかりで確実に叩いた方が」
「今は澄男さまが優先です。特にパオングさまは、この場において最も高い戦力。私には、もったいなさすぎます」
「し、しかし」
「パァオング。合理的な判断である。あの少年の戦闘能力は確かに高いが、澄男殿が相対しておられる最上階の者とは、比較するに値しない。我がここにとどまるよりも、逸早く澄男殿と合流する方が得策である」
「しかしそれでは御玲が!」
「どうやら御玲殿には、合理的判断とは別に、個人的な理由があるようだ。あの少年に対し、御玲殿単騎による戦闘は合理性に欠けるものではあるが、死に急ぐつもりはないのだろう?」
「全く……ぬいぐるみの癖に憎らしいまでの洞察ですね」
ぺらぺらと的を射た推測を述べるパオングに肩を竦める。弥平は未だ不満げに表情を歪めていたが、私の意志が理屈では揺るがないと悟ったのか、溜息混じりに分かりましたと告げ、ナイフをしまう。
「いがぜるがああああああァァァアアァァァ!!」
弥平が戦闘意欲を潜めたのと同時、金切り声混じりの奇声を発し、弥平とパオングの二人を斬り刻まんと差し迫る。
弥平は武器をしまってしまったため、人外に迫る速度で接敵できる十寺を迎撃することはできない。ナイフをもう一度装備して迎撃、も十寺の敏捷能力を考えれば不可能だろう。
考える猶予はない、ここは反射で―――。
「``接敵阻止``」
動こうとした、次の瞬間だった。淡々とした、しかしコクの効いた中年男性の声音が鼓膜を揺らす。
あと二秒もあればナイフの切っ先が触れていたであろう弥平の前から十寺が消えたと思いきや、私に突き飛ばされた位置まで戻されていた。
十寺の殺意がさらに膨れ上がる。弥平の足元に現れた白色の魔法陣。どんな魔法を使われたのか、理解したのだろう。もう一度接敵しようと試みるが、獲物を見定めた鷹のような眼で睥睨する象の魔導師は、十寺のそんな殺意を見逃さない。
「``暴風``、``超遅化``、``部分無効:薬物効果、無系強化``」
パオングの周りに緑色の魔法陣が出現したのと同時、どこからともなく突風が十寺を殴りつけ、なすすべもなく後方へ吹き飛ぶ。役目を終えたとばかりに緑色の魔法陣が消えるやいなや、謎の突風によって壁に叩きつけられた十寺の所に白い魔法陣が二つ、一瞬だけ光り輝く。
クソガアアアアァァァアアアァアアア、と奇声を張り上げ、怒り狂う十寺。なんの魔法を使ったのかは分からないが、大雑把になにをしたのかは見当がつく。
どこからともなく吹いた、出所不明の突風は風属性の魔法。
そしてさっきの白い魔法陣二つは、なにかしらの効果を持った無系魔法であるということに。
「パァオング。これで戦いやすくなったであろう。それでも不利ではあるが、精進して生き延びるがよい」
「上から目線の励まし、至り入ります」
パオングに軽く一礼。そんな私を一瞥し、パオングは弥平ととも上のフロアへと去っていった。
最後まで心配していた弥平だったが、純粋に心配されている反面、少し心が痛んだ。
「ああーもーいーすべてがどうでもめんどくせー、めんどくせーよ、ころす。ころすころすコロスころすコロスコロス!! ハァハハハハヒハヒヒハァ!! とりあえずしね!!」
支離滅裂の言霊をはきちらす十寺。
罵詈雑言に論理性も、信念も皆無。殺害する、殺人する。その行為、その概念のみに全てを費やし磨耗し削り落としてしまっている。だが私もまた、心地よさを感じていた。
合理性を排して、戦いに挑むのは今回が初。
今までは全て殺す必要があったから、戦う必要があったから。ただそれだけの理由しか持っていなかった。個人的な理由も、私情もない。全ては合理性と必要性に基づいて、必要十分な戦闘をやってきた。
だが今回、自分は個人的な理由、思惑、思想で彼と向き合うことを決めた。何故ならこの戦い、十寺興輝という狂人と向き合うことがすなわち―――。
「狂人だった、過去の自分との決別。私は今度こそ、本当の``自分``を手に入れる!」
怒り、狂い、叫ぶ狂人、十寺興輝の咆哮とともに、全ての意志を一本の槍に移し変え床を強く蹴った。
人外に迫る二人の脚力は、霊力で固められたら頑強な特殊鋼鉄の床を容易く砕く。もはや常人の動体視力では捉えきれない速度。元食人鬼の私と殺人狂は、各々の衝動と思想を抱いて、遂に交わる―――。
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