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愚弟怨讐編 上
愚弟の決戦前日譚
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僕は今、常闇の中にいる。
先の見えない暗黒の中を、ただひたすらとぼとぼと歩いている。
地面には下水道にしかいないような害虫が這い回り、空気も酷く湿気を含んでいて重い。と、世界を錯覚して感じざるえないくらいの暗黒の中を。
「……」
僕、流川久三男はベッドからむくりと起き上がる。
いつから寝てたっけ。よく覚えてない。ここ数ヶ月の間、``アレ``の開発に追われていて、時間も何もかも忘れて没頭していたせいだろう。
「点灯、豆球」
睡魔に苛まれながら短文を口にすると、部屋の豆球がひとりでに点いた。ほんのりと橙色の弱い灯りが、部屋全体を淡く照らす。
僕の視界を覆い尽くしたのは、部屋に隙間なく敷き詰められた時計だった。
寸分違わないタイミングで時間を刻む、無数の時計達。まるで歯車で連動し合っているかのように、精巧なリズムを保っている。
やっぱり時計の秒針の音は良い。寸分違わないリズムで、一秒を刻み続けているところが最高だ。世界に自分一人しかいないって感じを強調してくれている。
この世界が、僕以外全て一定で、僕の許可なく決して在り様が変わらないという不変性。彼らがそれを確固に証明してくれているんだと思うと、なお僕は嬉しくて、居心地良くて、堪らない。
不変、定常。
僕にとって、これ以上の至福は無い。僕の意志の介在しないところで、僕の許可もなく、勝手に在り様を変える``外の世界``と違って―――。
『君、久三男くんって言うの? 私、木萩澪華。よろしくね』
『小説読んでるの? すごいね、こんなに沢山。私にも読ませてよ。どれがおすすめ?』
『この小説、すっっごく面白い! ねぇねぇ、続き! 続き持ってる?』
『ゲームもするんだ。っていうかすごく上手い。やりこんでるね~、いわゆるガチ勢ってやつ?』
『え、教室の隅っこで本ばかり読んでて、暇なときはゲームしかしてない僕みたいなのを変だと思わないのかって? 別に……? 人の趣味って、人それぞれだもん。むしろそれだけ没頭できるってすごい事だと思う。私にはできないなー』
――――――――。
まただ。また脳裏に彼女の言葉が耳をかすめた。
木萩澪華。ずかずかと人のパーソナルスペースに入ってくるから最初は鬱陶しく思ってたけど、話していくうちに、いつもなら絶対話さないようなことも僕から話すようになって、気がついたら僕は彼女に心を許していた。
生まれてこのかた、十五年。リアル女に恋などしないと悟り、虚構の世界に住まう女の子に想いを馳せていた僕にとって、彼女は僕の中で例外的存在に昇華していた。
もし彼女ピックアップの最高レアガチャというものが存在したなら、想像絶する大金を叩こうとも、彼女を手に入れようとしただろう。
そう考えたとき、僕は彼女の``虜``になっていることを自覚したのだ。
本当はもっと色々話したかった。一緒にゲームもしたかった。あわよくばアニメの話とか、ネットの話とか、機械の話とか、趣味の話全部したかった。
彼女の好奇心は旺盛だったから、きっと聞いてくれただろう。僕の話なんて誰も聞こうともしないし、まず興味すら持たれた試しもなかったけど、彼女は、彼女だけは、違ったんだ。
―――違ったのに。
「その彼女は、もういない。……嗚呼、そう考えると虚しい。酷く虚しい」
僕は俯き、掛け布団をぼうっと見つめた。抗いようのない眠気と、ベッドから出ることすら気怠く感じるほどの無気力がのしかかる。
そう、木萩澪華はいなくなった。三月十六日、彼女はその日を境にどこかへと消えてしまった。
そして僕は怒りのあまり、兄さんを殺そうとした。
僕の顔面や腹を一切加減せず殴ってきたあのときの痛みは今でも忘れられない。
僕もすかさず肉を噛みちぎる勢いで噛みついたけど、兄さんと僕じゃ力の差がありすぎた。
結局永久歯の数本を失っただけで、僕だけが損をした、なんの意味もない喧嘩だった。
「だから戦いなんて嫌いなんだ。どうせ僕みたいな弱い奴が一方的に損をする」
僕はかつての修行の日々を反芻する。
武術に長けていた兄さんとは真逆に、僕はてんで武術、というか身体を動かすこと全般に恵まれなかった。
厳密には運動や格闘のセンスが壊滅的だったのだ。なおかつ堪え性も無くて、基礎体力作りすら精神的に辛くて続いた試しがなかったのも拍車をかけた。
基礎体力作りにも耐えられない僕では、当然兄さんと同じレベルの修行メニューはこなせない。
ちなみに、武器もロクに扱えた試しもない。
唯一身体を動かすことが少なそうな弓なら、と思ったけど、基礎体力の無さに加え、絶望的なセンスの無さが、僕の期待を容赦なく裏切った。
そして気がつけば武器すら持たなくなり、道場にも通わなくなって、二次元という名の虚構に逃避する日々を送るようになった。
暇があればスマホゲームやネットゲームに時間と金を浪費し、一日ぼうっとネットの世界と真っ暗な部屋に引きこもる日々。
多分、数年以上は太陽の光を浴びてなかったと思う。母さんに学校に行けと言われ、外に放り出されて虚しく空を見上げたときに見た、雲一つない青い空に輝く太陽。妙に印象的だった。
僕はベッドに座り込んだまま、顔を上げ、豆球をぼうっと見つめる。
でもそんな僕にも、誰にも負けない自信のある特技はあった。
兄さんも母さんも全然評価してくれなかったけど、僕には何の因果か、工作や開発に関する才能があったのだ。
昔、まだこの家に母さんの弟だった流川久々おじさんが住んでいた頃。僕はよく久々おじさんと一緒に研究のお手伝いとか、技術開発の体験をさせてくれた。
正直、ゲームや二次元なんかよりも、研究とか技術開発とか、そういう工学、理論系の方が、僕には面白くて面白くて堪らなかった。
久々おじさんがこの家を離れるとき、おじさんは長年使っていた研究施設を丸ごと僕にくれた。
『教えることは教えた。お前には力がある。僕はこの施設を使うことはもう無いけれど、代わりにお前が、この施設を自由に使いなさい。お前なら、僕が使ってたときよりも立派なものに、きっとできるから』
別れ際におじさんがくれた言葉を、僕は片時も忘れたことはない。
おじさんが本家邸を離れた後、僕は二次元の趣味やネットの世界での``役割``を果たしながら、研究に没頭した。研究施設の強化にも勤しんだ。
設備には今でも多々不満が残ってるけど、僕なりに良くしていっているつもりだ。
そして今、僕は``アレ``の開発の最終段階に入っている。
「……そういえば、兄さんの出立日って今日だったな」
僕はふと、監視カメラの映像を見ていた四日前の出来事を思い出す。
本家邸には、僕がこっそり仕掛けた監視装置と盗聴器が至る所にある。
どれも``隠匿``という魔法で、絶対に悟られないように細工してあるが、僕は基本、この本家邸に起こる全ての出来事を、無数の盗聴器と監視装置で把握している。ここ数ヶ月間、兄さん達の身に何があったかも。
兄さん達は、ヴァルヴァリオンという国を探しに今日の朝方でかけていったはず。
僕は基本的に、午前中は寝ているから実際に見たわけじゃないんだけど、四日前の話の内容が正しければ、もう家にいないはず。
ただ、気がかりなことが一つある。
「そろそろ隠し通すのが難しくなってきた。流石にコソコソしすぎたかな」
弥平と御玲は、何故か僕を疑っていることだ。
このラボターミナルという施設には、僕がこの時計だらけの部屋に入ると自動的に``自閉モード``という状態に入るプログラムが組み込まれている。
簡単に言うと、僕以外の何者の干渉も拒む状態になる、ということだ。当然あらゆる霊子通信も、全てシャットアウトしてしまう。
つまり、二人は二ヶ月以上僕が何をしていたかを知ることができていない状態にあったわけだ。コソコソしているのを流石に怪しみ始めているのだろう。
まあ二ヶ月も姿を見せないのだから、遅かれ早かれ疑いの目で見られるのは予想していた。というか一緒に住んでいるのに二ヶ月も姿を見せない人間がいるのだから、当然のアクションではある。
だから、兄さんがヴァルヴァリオンとかいうのを探しに外に出るこの日を目処に、``アレ``の完成を急いだんだ。
そう考えれば、全ては僕の予定通りに事は進んでいる。これ以上ここに引きこもってたら、あの二人に邪魔されかねない。
だったら邪魔される前に、僕が先手を打つ。
特に弥平。アイツは兄さんと違って、かなり頭が回るから多分、僕が何かしでかそうとしている事に気づいている。
「でも残念。僕が本家邸の地下にいる限り、僕の裏をかく事はできないさ」
弥平は多分天才の類だけれど、この家に来てまだ二ヶ月。この家の全てを知り尽くせているわけじゃない。
母さんがいない今、本家邸の全管理権と全ての情報は、この僕が握っている。情報戦なら僕の方が得意だ。ヒューマノリア大陸中に散らばって存在する人工霊子衛星が、分家派だけに味方していると思わないでほしい。
元来、分家派の情報探査技術や魔法工学は、全て僕と久々おじさんの研究によってもたらされたもの。
況してや武市や巫市、延いては人類文明全ての情報を保存するビックデータベースと、それを管理するコンピュータとネットワークシステムを創ったのは、この僕なんだ。
その恩恵に縋ってる分家派に、生みの親である僕が負ける要素なんてない。
「ネヴァー・ハウス」
【はい。こちらラボターミナルホストコンピュータ、ネヴァー・ハウスです。ご用件をどうぞ】
ベッドに座り、下半身をかけ布団に埋めたままの僕が一声かけると、液晶画面も何もないところに小さい光の粒が集まり、それらは一つの画面を描き出す。
僕がいる部屋は、流川本家邸新館専属軍事研究施設ラボターミナルの最下層。
そしてネヴァー・ハウスとは、僕が創ったラボターミナルのホストコンピュータである。
僕が一声かければ、僕がどこにいようとホログラムモニタを表示し、スタンバイ状態に入ってくれる。
まだまだ試作品の段階で、完成には程遠いコンピュータだが、今の時点で、人類科学技術の中心地とも言われている巫市に匹敵すると僕は個人的に見立てている。
「兄さん達の位置情報」
【検索中です】
ホログラムに検索中という意味を表す言葉が描かれる。
さっき言った通り、北の魔境を除くヒューマノリア大陸全域には、無数の人工霊子衛星と、その人工霊子衛星が得た情報を中継する宇宙ステーションが遙か上空に存在する。
宇宙ステーションというよりは、遥か上空に存在する航宙軍事基地だが、これも元々は久々おじさんが使っていたお下がりで、僕に託されたものである。今は僕が管理している。
まだ人工霊子衛星の中継能力しか有していない試作段階の航宙軍事基地は、ヒューマノリア大陸中の情報をリアルタイムで吸収し、ホストコンピュータのネヴァー・ハウスに随時送信している。
霊子ネットと言われる霊子通信技術を、一般社会生活にも活用できるように変化させたネット通信が普及する現代。各々の個人が霊子ネット上に様々な情報を魔法陣という形で置くようになり、現代の霊子ネットは情報で溢れている。
取るに足らない事から、国の最高機密まで、まさに情報の海。便利な世の中になったものだ。
「まあ、その世の中を便利にした``霊子ネット``って、僕が完成させたものなんだけどね」
誰も知らないけど、と僕はぼそりと呟く。
霊子通信技術というのは元来、三十年前に終息した``武力統一大戦``で、久々おじさんが
『どこにいても、味方と連絡を取り合える通話技術があれば、自軍内での情報伝達は迅速かつ効率的になる』
と提案し、おじさんが創った技術。つまり元々は軍事目的で使用されていたものだった。
大戦が終わって僕が生まれ、僕が久々おじさんと研究のお手伝いをしていたとき、幼少の頃の僕が
『情報の記載能力を有する魔法陣の性質を用いた、霊子通信技術の応用による霊子クラウドコンピューティングの確立』
という論文を書いたことで、それが久々おじさんを経由し、分家派で採用されて世間に周知となった。
あの論文は、僕が久々おじさんの真似事をして書いたお遊び程度のものだったけれど、まさかそれが久々おじさんを驚かせるだけでは飽き足らず、分家派にも採用され、更には武市で一般採用されるだなんて思ってもみなかった。
その後は、巫市が武市の技術革新に追いつくため、僕の創った霊子ネットの技術を吸収して、今や情報化社会の中心地などと言われるまでに成り上がっているが、元を質せば生みの親は僕であるし、実際に霊子ネットの情報全てを管理しているのは、未だに僕である。
巫市の連中は、ただ単に一般市民に有用なネット領域と、そうでない深層Web領域を分別しているだけにすぎない。
情報の海の支配者であり、霊子ネットのアーキテクトである僕に、分からない個人の情報なんて存在しないんだ。
兄さん達の情報は分家派のデータベースと、ネヴァー・ハウスの中に存在している。どこにいようと僕の持つ``鷹の目``からは、逃れられない。
【流川澄男、水守御玲は午前十一時半ごろ、水守邸を出立。現在、然水氷園を縦断し、大陸を北上中】
「やっぱりそういうルートで探すんだね。流石の兄さんも北ヘルリオンの魔生物とマトモにやり合おうとは思わないんだ」
【流川弥平は、``顕現``を用い、大陸中を断続的に転移している模様。現在位置、巫市北東部、高度学術区γ区画】
「結構遠いところにいるね。働き者だなぁ」
僕は全員の位置情報を確認すると、地図情報を閉じるよう、指示する。
みんなかなり北の方にいるようだ。結局、二ヶ月くらい前に家に突然やってきたあくのだいまおうとかいう存在の預言地味た話をアテにするしかない結論に至ってるから、北に重点をおくのは道理と言ったところだろう。
この分だと、動くならみんなが本家邸から距離をおいている、今しかない。
「ネヴァー・ハウス。カオティック・ヴァズ計画を始動させる。最終確認に起動実験を組み込んだはずだが、何か問題はあったかい」
【最終実験を五月十日午前零時四十五分に行いましたが、正常に起動し、動作に不具合は確認できませんでした】
「じゃあ輸送ユニットに搬入。エーテガルダに装備させて滑走路で待機」
【輸送ユニット投下地点は、どこになさいますか?】
「決まってる。流川澄男の近くさ。投下地点は知られないように一定距離離れた所へ投下して欲しい。できるよね?」
【私はラボターミナルホストコンピュータ、ネヴァー・ハウス。アーキテクターのお役に立つ事こそが、私の存在意義です】
「期待しているよ。僕の可愛い娘、ネヴァー」
ホログラムは搔き消えた。
アレと兄さんが対面した時。その瞬間こそが、僕の人生最大の正念場となる。
これまで以上の気合を入れなくちゃいけない。兄さんにも兄さんの戦いがあるように、僕には僕の戦いがあるんだから。
本当は今すぐにアレと会わせたいけれど、我慢。兄さんがバケモノレベルに強い秘密が知りたいし、なによりその秘密を``教えてもらう``ための取引を、アイツとしたんだ。
「兄さん、驚くだろうなあ……ヴァルヴァリオンとかいう所に行ったら……ふふふ」
僕は関節という関節を打ち鳴らし、ベッドからようやく出ることを決意した。
この部屋の一段上のフロアには、ネヴァー・ハウスの本体と、大画面モニタがある僕の特大モニタリングルームがある。
そこのチェアに腰掛けたとき、僕の``戦い``は幕を開けるんだ。
ボサボサに寝癖がつきまくった頭髪をたくし上げた。首の関節を鳴らし、背伸びをしながら深呼吸。
そして、ベッドの横に置いてあった小さいテーブルに、睡眠薬の亡骸に埋もれていた眼鏡を、おもむろにかけたのだった。
「さあ、いこうか」
先の見えない暗黒の中を、ただひたすらとぼとぼと歩いている。
地面には下水道にしかいないような害虫が這い回り、空気も酷く湿気を含んでいて重い。と、世界を錯覚して感じざるえないくらいの暗黒の中を。
「……」
僕、流川久三男はベッドからむくりと起き上がる。
いつから寝てたっけ。よく覚えてない。ここ数ヶ月の間、``アレ``の開発に追われていて、時間も何もかも忘れて没頭していたせいだろう。
「点灯、豆球」
睡魔に苛まれながら短文を口にすると、部屋の豆球がひとりでに点いた。ほんのりと橙色の弱い灯りが、部屋全体を淡く照らす。
僕の視界を覆い尽くしたのは、部屋に隙間なく敷き詰められた時計だった。
寸分違わないタイミングで時間を刻む、無数の時計達。まるで歯車で連動し合っているかのように、精巧なリズムを保っている。
やっぱり時計の秒針の音は良い。寸分違わないリズムで、一秒を刻み続けているところが最高だ。世界に自分一人しかいないって感じを強調してくれている。
この世界が、僕以外全て一定で、僕の許可なく決して在り様が変わらないという不変性。彼らがそれを確固に証明してくれているんだと思うと、なお僕は嬉しくて、居心地良くて、堪らない。
不変、定常。
僕にとって、これ以上の至福は無い。僕の意志の介在しないところで、僕の許可もなく、勝手に在り様を変える``外の世界``と違って―――。
『君、久三男くんって言うの? 私、木萩澪華。よろしくね』
『小説読んでるの? すごいね、こんなに沢山。私にも読ませてよ。どれがおすすめ?』
『この小説、すっっごく面白い! ねぇねぇ、続き! 続き持ってる?』
『ゲームもするんだ。っていうかすごく上手い。やりこんでるね~、いわゆるガチ勢ってやつ?』
『え、教室の隅っこで本ばかり読んでて、暇なときはゲームしかしてない僕みたいなのを変だと思わないのかって? 別に……? 人の趣味って、人それぞれだもん。むしろそれだけ没頭できるってすごい事だと思う。私にはできないなー』
――――――――。
まただ。また脳裏に彼女の言葉が耳をかすめた。
木萩澪華。ずかずかと人のパーソナルスペースに入ってくるから最初は鬱陶しく思ってたけど、話していくうちに、いつもなら絶対話さないようなことも僕から話すようになって、気がついたら僕は彼女に心を許していた。
生まれてこのかた、十五年。リアル女に恋などしないと悟り、虚構の世界に住まう女の子に想いを馳せていた僕にとって、彼女は僕の中で例外的存在に昇華していた。
もし彼女ピックアップの最高レアガチャというものが存在したなら、想像絶する大金を叩こうとも、彼女を手に入れようとしただろう。
そう考えたとき、僕は彼女の``虜``になっていることを自覚したのだ。
本当はもっと色々話したかった。一緒にゲームもしたかった。あわよくばアニメの話とか、ネットの話とか、機械の話とか、趣味の話全部したかった。
彼女の好奇心は旺盛だったから、きっと聞いてくれただろう。僕の話なんて誰も聞こうともしないし、まず興味すら持たれた試しもなかったけど、彼女は、彼女だけは、違ったんだ。
―――違ったのに。
「その彼女は、もういない。……嗚呼、そう考えると虚しい。酷く虚しい」
僕は俯き、掛け布団をぼうっと見つめた。抗いようのない眠気と、ベッドから出ることすら気怠く感じるほどの無気力がのしかかる。
そう、木萩澪華はいなくなった。三月十六日、彼女はその日を境にどこかへと消えてしまった。
そして僕は怒りのあまり、兄さんを殺そうとした。
僕の顔面や腹を一切加減せず殴ってきたあのときの痛みは今でも忘れられない。
僕もすかさず肉を噛みちぎる勢いで噛みついたけど、兄さんと僕じゃ力の差がありすぎた。
結局永久歯の数本を失っただけで、僕だけが損をした、なんの意味もない喧嘩だった。
「だから戦いなんて嫌いなんだ。どうせ僕みたいな弱い奴が一方的に損をする」
僕はかつての修行の日々を反芻する。
武術に長けていた兄さんとは真逆に、僕はてんで武術、というか身体を動かすこと全般に恵まれなかった。
厳密には運動や格闘のセンスが壊滅的だったのだ。なおかつ堪え性も無くて、基礎体力作りすら精神的に辛くて続いた試しがなかったのも拍車をかけた。
基礎体力作りにも耐えられない僕では、当然兄さんと同じレベルの修行メニューはこなせない。
ちなみに、武器もロクに扱えた試しもない。
唯一身体を動かすことが少なそうな弓なら、と思ったけど、基礎体力の無さに加え、絶望的なセンスの無さが、僕の期待を容赦なく裏切った。
そして気がつけば武器すら持たなくなり、道場にも通わなくなって、二次元という名の虚構に逃避する日々を送るようになった。
暇があればスマホゲームやネットゲームに時間と金を浪費し、一日ぼうっとネットの世界と真っ暗な部屋に引きこもる日々。
多分、数年以上は太陽の光を浴びてなかったと思う。母さんに学校に行けと言われ、外に放り出されて虚しく空を見上げたときに見た、雲一つない青い空に輝く太陽。妙に印象的だった。
僕はベッドに座り込んだまま、顔を上げ、豆球をぼうっと見つめる。
でもそんな僕にも、誰にも負けない自信のある特技はあった。
兄さんも母さんも全然評価してくれなかったけど、僕には何の因果か、工作や開発に関する才能があったのだ。
昔、まだこの家に母さんの弟だった流川久々おじさんが住んでいた頃。僕はよく久々おじさんと一緒に研究のお手伝いとか、技術開発の体験をさせてくれた。
正直、ゲームや二次元なんかよりも、研究とか技術開発とか、そういう工学、理論系の方が、僕には面白くて面白くて堪らなかった。
久々おじさんがこの家を離れるとき、おじさんは長年使っていた研究施設を丸ごと僕にくれた。
『教えることは教えた。お前には力がある。僕はこの施設を使うことはもう無いけれど、代わりにお前が、この施設を自由に使いなさい。お前なら、僕が使ってたときよりも立派なものに、きっとできるから』
別れ際におじさんがくれた言葉を、僕は片時も忘れたことはない。
おじさんが本家邸を離れた後、僕は二次元の趣味やネットの世界での``役割``を果たしながら、研究に没頭した。研究施設の強化にも勤しんだ。
設備には今でも多々不満が残ってるけど、僕なりに良くしていっているつもりだ。
そして今、僕は``アレ``の開発の最終段階に入っている。
「……そういえば、兄さんの出立日って今日だったな」
僕はふと、監視カメラの映像を見ていた四日前の出来事を思い出す。
本家邸には、僕がこっそり仕掛けた監視装置と盗聴器が至る所にある。
どれも``隠匿``という魔法で、絶対に悟られないように細工してあるが、僕は基本、この本家邸に起こる全ての出来事を、無数の盗聴器と監視装置で把握している。ここ数ヶ月間、兄さん達の身に何があったかも。
兄さん達は、ヴァルヴァリオンという国を探しに今日の朝方でかけていったはず。
僕は基本的に、午前中は寝ているから実際に見たわけじゃないんだけど、四日前の話の内容が正しければ、もう家にいないはず。
ただ、気がかりなことが一つある。
「そろそろ隠し通すのが難しくなってきた。流石にコソコソしすぎたかな」
弥平と御玲は、何故か僕を疑っていることだ。
このラボターミナルという施設には、僕がこの時計だらけの部屋に入ると自動的に``自閉モード``という状態に入るプログラムが組み込まれている。
簡単に言うと、僕以外の何者の干渉も拒む状態になる、ということだ。当然あらゆる霊子通信も、全てシャットアウトしてしまう。
つまり、二人は二ヶ月以上僕が何をしていたかを知ることができていない状態にあったわけだ。コソコソしているのを流石に怪しみ始めているのだろう。
まあ二ヶ月も姿を見せないのだから、遅かれ早かれ疑いの目で見られるのは予想していた。というか一緒に住んでいるのに二ヶ月も姿を見せない人間がいるのだから、当然のアクションではある。
だから、兄さんがヴァルヴァリオンとかいうのを探しに外に出るこの日を目処に、``アレ``の完成を急いだんだ。
そう考えれば、全ては僕の予定通りに事は進んでいる。これ以上ここに引きこもってたら、あの二人に邪魔されかねない。
だったら邪魔される前に、僕が先手を打つ。
特に弥平。アイツは兄さんと違って、かなり頭が回るから多分、僕が何かしでかそうとしている事に気づいている。
「でも残念。僕が本家邸の地下にいる限り、僕の裏をかく事はできないさ」
弥平は多分天才の類だけれど、この家に来てまだ二ヶ月。この家の全てを知り尽くせているわけじゃない。
母さんがいない今、本家邸の全管理権と全ての情報は、この僕が握っている。情報戦なら僕の方が得意だ。ヒューマノリア大陸中に散らばって存在する人工霊子衛星が、分家派だけに味方していると思わないでほしい。
元来、分家派の情報探査技術や魔法工学は、全て僕と久々おじさんの研究によってもたらされたもの。
況してや武市や巫市、延いては人類文明全ての情報を保存するビックデータベースと、それを管理するコンピュータとネットワークシステムを創ったのは、この僕なんだ。
その恩恵に縋ってる分家派に、生みの親である僕が負ける要素なんてない。
「ネヴァー・ハウス」
【はい。こちらラボターミナルホストコンピュータ、ネヴァー・ハウスです。ご用件をどうぞ】
ベッドに座り、下半身をかけ布団に埋めたままの僕が一声かけると、液晶画面も何もないところに小さい光の粒が集まり、それらは一つの画面を描き出す。
僕がいる部屋は、流川本家邸新館専属軍事研究施設ラボターミナルの最下層。
そしてネヴァー・ハウスとは、僕が創ったラボターミナルのホストコンピュータである。
僕が一声かければ、僕がどこにいようとホログラムモニタを表示し、スタンバイ状態に入ってくれる。
まだまだ試作品の段階で、完成には程遠いコンピュータだが、今の時点で、人類科学技術の中心地とも言われている巫市に匹敵すると僕は個人的に見立てている。
「兄さん達の位置情報」
【検索中です】
ホログラムに検索中という意味を表す言葉が描かれる。
さっき言った通り、北の魔境を除くヒューマノリア大陸全域には、無数の人工霊子衛星と、その人工霊子衛星が得た情報を中継する宇宙ステーションが遙か上空に存在する。
宇宙ステーションというよりは、遥か上空に存在する航宙軍事基地だが、これも元々は久々おじさんが使っていたお下がりで、僕に託されたものである。今は僕が管理している。
まだ人工霊子衛星の中継能力しか有していない試作段階の航宙軍事基地は、ヒューマノリア大陸中の情報をリアルタイムで吸収し、ホストコンピュータのネヴァー・ハウスに随時送信している。
霊子ネットと言われる霊子通信技術を、一般社会生活にも活用できるように変化させたネット通信が普及する現代。各々の個人が霊子ネット上に様々な情報を魔法陣という形で置くようになり、現代の霊子ネットは情報で溢れている。
取るに足らない事から、国の最高機密まで、まさに情報の海。便利な世の中になったものだ。
「まあ、その世の中を便利にした``霊子ネット``って、僕が完成させたものなんだけどね」
誰も知らないけど、と僕はぼそりと呟く。
霊子通信技術というのは元来、三十年前に終息した``武力統一大戦``で、久々おじさんが
『どこにいても、味方と連絡を取り合える通話技術があれば、自軍内での情報伝達は迅速かつ効率的になる』
と提案し、おじさんが創った技術。つまり元々は軍事目的で使用されていたものだった。
大戦が終わって僕が生まれ、僕が久々おじさんと研究のお手伝いをしていたとき、幼少の頃の僕が
『情報の記載能力を有する魔法陣の性質を用いた、霊子通信技術の応用による霊子クラウドコンピューティングの確立』
という論文を書いたことで、それが久々おじさんを経由し、分家派で採用されて世間に周知となった。
あの論文は、僕が久々おじさんの真似事をして書いたお遊び程度のものだったけれど、まさかそれが久々おじさんを驚かせるだけでは飽き足らず、分家派にも採用され、更には武市で一般採用されるだなんて思ってもみなかった。
その後は、巫市が武市の技術革新に追いつくため、僕の創った霊子ネットの技術を吸収して、今や情報化社会の中心地などと言われるまでに成り上がっているが、元を質せば生みの親は僕であるし、実際に霊子ネットの情報全てを管理しているのは、未だに僕である。
巫市の連中は、ただ単に一般市民に有用なネット領域と、そうでない深層Web領域を分別しているだけにすぎない。
情報の海の支配者であり、霊子ネットのアーキテクトである僕に、分からない個人の情報なんて存在しないんだ。
兄さん達の情報は分家派のデータベースと、ネヴァー・ハウスの中に存在している。どこにいようと僕の持つ``鷹の目``からは、逃れられない。
【流川澄男、水守御玲は午前十一時半ごろ、水守邸を出立。現在、然水氷園を縦断し、大陸を北上中】
「やっぱりそういうルートで探すんだね。流石の兄さんも北ヘルリオンの魔生物とマトモにやり合おうとは思わないんだ」
【流川弥平は、``顕現``を用い、大陸中を断続的に転移している模様。現在位置、巫市北東部、高度学術区γ区画】
「結構遠いところにいるね。働き者だなぁ」
僕は全員の位置情報を確認すると、地図情報を閉じるよう、指示する。
みんなかなり北の方にいるようだ。結局、二ヶ月くらい前に家に突然やってきたあくのだいまおうとかいう存在の預言地味た話をアテにするしかない結論に至ってるから、北に重点をおくのは道理と言ったところだろう。
この分だと、動くならみんなが本家邸から距離をおいている、今しかない。
「ネヴァー・ハウス。カオティック・ヴァズ計画を始動させる。最終確認に起動実験を組み込んだはずだが、何か問題はあったかい」
【最終実験を五月十日午前零時四十五分に行いましたが、正常に起動し、動作に不具合は確認できませんでした】
「じゃあ輸送ユニットに搬入。エーテガルダに装備させて滑走路で待機」
【輸送ユニット投下地点は、どこになさいますか?】
「決まってる。流川澄男の近くさ。投下地点は知られないように一定距離離れた所へ投下して欲しい。できるよね?」
【私はラボターミナルホストコンピュータ、ネヴァー・ハウス。アーキテクターのお役に立つ事こそが、私の存在意義です】
「期待しているよ。僕の可愛い娘、ネヴァー」
ホログラムは搔き消えた。
アレと兄さんが対面した時。その瞬間こそが、僕の人生最大の正念場となる。
これまで以上の気合を入れなくちゃいけない。兄さんにも兄さんの戦いがあるように、僕には僕の戦いがあるんだから。
本当は今すぐにアレと会わせたいけれど、我慢。兄さんがバケモノレベルに強い秘密が知りたいし、なによりその秘密を``教えてもらう``ための取引を、アイツとしたんだ。
「兄さん、驚くだろうなあ……ヴァルヴァリオンとかいう所に行ったら……ふふふ」
僕は関節という関節を打ち鳴らし、ベッドからようやく出ることを決意した。
この部屋の一段上のフロアには、ネヴァー・ハウスの本体と、大画面モニタがある僕の特大モニタリングルームがある。
そこのチェアに腰掛けたとき、僕の``戦い``は幕を開けるんだ。
ボサボサに寝癖がつきまくった頭髪をたくし上げた。首の関節を鳴らし、背伸びをしながら深呼吸。
そして、ベッドの横に置いてあった小さいテーブルに、睡眠薬の亡骸に埋もれていた眼鏡を、おもむろにかけたのだった。
「さあ、いこうか」
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▼「小説家になろう」と同時掲載です。改稿を終えたものから更新する予定です。
▼人型ロボットが活躍する話です。実在する団体・企業・軍事・政治・世界情勢その他もろもろとはまったく関係ありません、御了承下さい。
Beyond the soul 最強に挑む者たち
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西暦2016年。
アノア研究所が発見した新元素『ソウル』が全世界に発表された。
ソウルとは魂を形成する元素であり、謎に包まれていた第六感にも関わる物質であると公表されている。
アノア研究所は魂と第六感の関連性のデータをとる為、あるゲームを開発した。
『アルカナ・ボンヤード』。
ソウルで構成された魂の仮想世界に、人の魂をソウルメイト(アバター)にリンクさせ、ソウルメイトを通して視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、そして第六感を再現を試みたシミュレーションゲームである。
アルカナ・ボンヤードは現存のVR技術をはるかに超えた代物で、次世代のMMORPG、SRMMORPG(Soul Reality Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)として期待されているだけでなく、軍事、医療等の様々な分野でも注目されていた。
しかし、魂の仮想世界にソウルイン(ログイン)するには膨大なデータを処理できる装置と通信施設が必要となるため、一部の大企業と国家だけがアルカナ・ボンヤードを体験出来た。
アノア研究所は多くのサンプルデータを集めるため、PVP形式のゲーム大会『ソウル杯』を企画した。
その目的はアノア研究所が用意した施設に参加者を集め、アルカナ・ボンヤードを体験してもらい、より多くのデータを収集する事にある。
ゲームのルールは、ゲーム内でプレイヤー同士を戦わせて、最後に生き残った者が勝者となる。優勝賞金は300万ドルという高額から、全世界のゲーマーだけでなく、格闘家、軍隊からも注目される大会となった。
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『この大会で優勝した人物はネトゲ―最強のプレイヤーの称号を得ることができる』
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*お話の都合上、会話が長文になることがあります。
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これは、不幸な2人が出会って幸せになっていく物語。
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