無頼少年記 黒

ANGELUS

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魔軍上陸編

元英雄の苦悩 2

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 ほんの一週間前まで、澪華れいかという一輪の花が輝く日々が彩っていた。


 それは戦いや修行、家族と一緒にいるだけでは決して得られない幸せが、確かにあったからだ。


 その幸せを祝う意味を込めての、最も大事な彼女の誕生日。


 まるで異世界にでも転移したか、人生トップクラスの悪夢にでも足元をすくわれたように、周囲に広がる日常全てが崩壊した。


 一挙に、一気呵成に、一瞬とも言える刹那の勢いで。


 あの悪夢の日から一週間が経った今でも、目の前に横たわる現実が現実だとは思ってない。


 本当はただの夢で、何らかの事故に巻き込まれ、それ以降ずっと昏睡しているだけなんじゃないか。


 正直そう思いたかった。


 思いたかったが、御玲みれいに八つ当たりする形で罵詈雑言を吐き、投げ飛ばした時の感覚は確かなものだった。


 夢なら投げ飛ばす辺りで醒めてもいいはずだし、記憶だっておぼろげになっていなければならないはずだが、今でもその記憶は明確に焼きついている。


 一週間前。三月十六日に起きたあの出来事とともに。


「糞が……!」


 煮詰まった腑でも吐き出すように、腹を立てた時の常套句を吐露する。


 今まで好きだったものが、全て嫌いになっていくおぞましい感覚。


 昼寝、食事、間食、修行、テレビゲーム。嫌いなものは更に疎ましく感じるようになり、好きなものは純粋に好きだと言えなくなった。


 昼寝をしたら悪夢にうなされる。


 食事をしようにも食事を作っている間の何もしていない時間、何度も何度も胸糞悪い考え事で、頭が破裂しそうになる。


 修行に誰よりも関わってくれていた母親は、どこの馬の骨かも分からん正体不明に殺された。


 テレビゲームの相手をしてくれていた弟は壮絶な喧嘩をして以来、ほぼ絶縁状態。


 全てから活気が無くなった。何をしても、何をやろうにも途方もない怒りと憎悪。


 愛する者への焦がれ。


 手から毀れ落ち、最早拾う事叶わぬ現実への虚しさ。


 どうせなら澪華れいかと死にたかった。戦死覚悟で滅びるべきだった。今の俺じゃ十寺じてらを倒せなかっただろうが、道連れにはできたはずだ。


 でも生き残ってしまった。敗北したのにも関わらず、生きてしまった。


 クソババアが言ってた。負ける奴は死に、勝った奴は生き残る。


 この世界を好き勝手に生きたいのなら、お前の好きな生き様で生きたいなら、どんな事があっても勝ち残れって。


 今の俺はどうだ。


 普通に負けた。負けておめおめと強い存在に護送されながら自宅に帰り、一週間心ここにあらずの生活を送ってた。


 負けたのに、なんで生きてんのか。母親の理屈なら、俺は死んで然るべきじゃないのか。


 こんな虚しくて惨めな思いをするくらいなら、敗者として人生を敗退したかった。


 負けた奴は死に、勝った奴が生き残るのなら、その言葉通り死にたかった。


 愛する者も守れず、今まで好きだったものも疎ましく思わなければならず、テレビを見ながら煙草を蒸し、住み着いてきたメイドに罵詈雑言を吐かなきゃならないのなら―――。


「なぁ……なんでなんだよ……教えてくれよ……母さん……」


 その声音に覇気は無い。相手をこけ脅す怒気も無い。


 気に入らない者、自分に敵意を示した者、自分の生き様や思想に泥を塗った者全てを暴力で撃退してきた俺らしからぬ声音。


 本来、英雄の血筋を持つ存在がやるべき所業じゃない。やろうとしている行為は、まさしく``破壊``だ。


 誰かが言ってたように、気に入らない存在を``破壊``する。


 大事なもの失い、誰よりも平穏を欲する俺の邪魔をする奴を``破壊``する。


 そして大事なものをまんまと破壊していっておきながら、姿を眩ましている奴らへの下らない八つ当たり。


 ただの無差別破壊。百人に聞けば、その全てが英雄失格と口を揃えて罵るだろう。


 だが構わねえ。俺は大事なものを守れなかった。英雄としての責務を果たせぬまま、のうのうと生き残ってしまった。


 言われなくとも、罵られなくとも、既に英雄として失格している。連戦無敗の血族``流川るせん``の肩書きなど、もはや無いも同然なんだ。



「アイツか……」


 視界が霞むほどの猛吹雪の中、雪原であろう大地に青白く発光する何かが視界に入る。


 この辺りは霊力波が軒並み強い。特にあの青白く発光している何かを中心に、物凄く強力な霊力が放たれている。


 おそらくアレが今回の騒動の発端。平穏を瓦解した真犯人。


 この中威区なかのいくらしくない冬景色もコイツの仕業だとするなら、中威区なかのいくの戦闘民では到底敵わないワケだ。


 建物をリズミカルによじ登り、腰に携えた刀身の紅い片手剣―――焔剣ディセクタムを鞘から解き放つ。


 氷雪と曇天の狭間に立つ青白いそれを煌々と光る眼光で見据えながら、建物の屋上を勢いよく飛び降りた。


 相手の出方を見る、そんな面倒くさいことをする気は無い。こっちには一週間前誰かに貰った力とやらがある。アレがあるなら負ける気がしない。


 あのとき、怒りと憎しみに駆られほぼ暴走状態に近かったが、記憶はおぼろげにある。


 あの十寺じてらを押していた。ヤツもしぶとく生き残っていやがったが、アレが言ってた力とやらは本物だ。


 ―――破壊の力か。


 雪原を悠然と闊歩する鎧武者の前に横柄にも立ち塞がる。


 結構背が高い。全身鎧でも着ているように武骨だし、殴る蹴るのタイプのヤツか。だとすりゃクソババアと同じ。


 だが待て。この気候の変化は霊力によるもの。それもクソみたいな力で捻じ曲げたものだ。


 コイツ殴る蹴るタイプと見せかけて魔法ポンポン使うタイプか。


 表情が歪に歪む。


 俺と同じタイプじゃないか。気に入らない。ただでさえ気分が悪いのに、被ってるとか凄く腹立つ。


 ただの殴る蹴るタイプだったら魔法でじわじわと追い詰め、トラウマの一つや二つ植えつけてやろうと思ってたのに。手加減できないじゃないか。


 しかしコイツ、青白すぎないか。


 人間じゃないのは分かるが、これ全部氷でできてるのか。いや使ってる魔法は恐らく氷属性系。氷でできてても、なんら不思議じゃない。


 だが好都合。氷をとかすは火。幸いにも、火属性系に長けた魔法や剣技をいくつか持ってる。それで攻めるか。


「何だ。貴様は」


 鎧を着ているように武骨で、青白い身体と青白い髪と瞳を持つ巨魁のデカブツは、眉を潜め、上から俺を見下してくる。


 言葉が話せるのか、魔生物じゃないな。何モンだコイツ。でもまあいい。話せる方が殺り甲斐があるってモンだ。


「テメェをぶっ飛ばしに来たモンだ」


「我が半身エントロピーを攫ったのは貴様か」


「知らねぇよ誰だソイツ」


「ならどけ小僧。邪魔だ」


「やだっつったら」


「我を足止めすると? 小僧、やはり貴様が」


「だーから知らねぇっつってんだろうが。俺はただテメェが目障りで邪魔で鬱陶しいからぶっ飛ばし来た。それだけだ」


「……理解できん。だが半身を求む我を阻むなら、誰であろうと我の敵」


 巨木の如き脚が、間合いを玉砕した。


 氷雪に罅が入ったと同時、焔剣ディセクタムの刀身が光度を増す。純白の大地が溶け出し、デカブツの瞳がぎょろりと動く。


 デカブツを中心に放たれる冷風が身体を舐め、俺から放たれる恒星の熱放射のような熱気が、デカブツの身体を蝕んだ。


「敵ならば玉砕あるのみ。押し通る」


「あっそ。カッコつけてるトコ悪いけどサ。テメェのソレ……クソダセェんだよ!!」


 俺の右手に真っ赤な炎が宿る。


 眼光が一気に光度を増し、殺意の炎に包まれた右手は、デカブツの腹を溶かし貫いた―――と、思われた。


 紅の炎は彼の腹を溶かすやいなや、徐々にその力を弱めていき、遂には絶命。


 炎の消えた右手は、デカブツの腹に呑み込まれるようにして、青白い氷が容赦なく喰らいつく。


「無駄だ。その程度の炎で、我は融かせぬ」


「あっそ。わざわざ解説どうも!!」


 右手を腹から無造作に引き剥がし、後ろによろけるようにして、ほんの僅かに態勢をずらす。


 右足を軸にして左手に握っていたディセクタムを振るった。じゅ、とデカブツの横腹から、湯気が立つ。


 焔剣ディセクタム。幼少の頃、久久ひさひさのオッサンから譲り受けた特製の片手剣。


 かつて流川るせんに仇為した火竜や、火の魔生物の血肉から造った刀身と、火竜の鱗で作った柄で作られた、世界で一つしかない刃だ。


 この武器を使い始めてもはや十年以上、武器の特性はもう身体が把握し尽くしているが、この剣自体、はっきり言って無能と言ってもいい。


 剣としての性能そのものは、そこらの適当な武器屋の百円均一で売られてる陳腐なロングソードと大差ない。


 火竜と魔生物の肉が基になってるから刀身の強度は頗る丈夫で刃毀れしないが、切れ味は霊力を通さなきゃ文字通りロングソード並みだ。


 そう。霊力を通さなきゃ、な。


 この剣の有能なところは、ただのロングソードには無い、唯一無二の特殊能力にある。


 それは装備者の霊力を吸収し、刀身に宿して熱に変える力。


 つまり刀身に込める霊力が多ければ多いほど、``剣``では斬れない何物をも融かし、両断できるようになる剣固有の能力だ。


 実際、鉄筋やコンクリでできた建物だって、まるでスライスするみたいに斬ることもできる。霊力さえあれば、最強の矛になる寸法だ。


 寸法なんだが。我が相棒ディセクタムは、なんでか苦渋の表情を浮かべてやがる。


 氷をとかすは火、即ち熱。


 氷属性系を操るヤツ相手に遅れを取るなんざないはず。実際今まで遅れを取ったことはない。


 ということは相手の霊力が強すぎるか、物理防御力が桁外れに高いかのどちらか。


 分かりやすく言い直すと霊力を身体ン中にクソみたく宿してるってことだが、その場合、霊力を込めて切れ味を上昇させても、中々斬れない。


 かつて幾度となく模擬戦でやりあってきたババアだけは、この剣で傷一つ付けられた試しがなかったし。


「つまらん攻撃だ。``凍結ジェリダ``」


 俺なりに相手の特性を即興で分析していたのも束の間。


 雪原を包み込む大きさの青白い魔法陣が視界を塗り、足元から突き刺すような冷覚が走る。


 剣を引き抜き、バックステップで回避。俺はふっと白い息を吐く。


 危なかった。あの冷気は多分、身体を表面から内部に至るまで、全てを瞬間冷凍する強力な奴だ。


 仮に凍らされても、霊力と持ち前の魔法防御力で融かせる自信がある。


 でもまるで足の裏から骨の髄、はたまた筋肉繊維を経由して臓腑にさえ競り上がってきた冷気は、一瞬とはいえ身震いした。


 でもそれとは別に、なんか無視できない違和感がある。


 剣相手に素手、それも前衛無し。魔法攻撃のみで対処しようとするのは何故だ。


 あんなに武骨で接敵を許しまくってるんなら、物理攻撃の一つや二つ―――。


 いや待て。デカブツの顔色に変化が無い。魔法タイプの奴が剣相手に取る手段で最も常套なのは相手と距離をとり、武器の射程から外れること。


 俺は舌を打った。バックステップが読まれてた。やらかした、誘導されたんだ。


「``噴雪ニクス・イニエクチオ``、``凍域ジェリダンテンプス``」


 俺を取り囲むようにして、地面から彼の背丈の二倍以上はある氷の柱が現れる。


 柱の側面から貫かんと無数の氷柱つららが、横向きに高速射出。


 反射的に全身を炎で覆い、身を捩りながら片脚を軸にして回転回避。そのまま雪原に倒れこむようにして氷柱つららの猛攻をやり過ごす。


 身体から湧き出た炎は、一気に氷の柱を水蒸気にしようと目論むが、思わず身震いしてしまう寒気に奥歯を噛み締める。


 自分を中心に周囲を取り囲む吹雪。


 視界が悪い。聴覚も吹雪のせいで殆ど機能せず、敵の位置が掴めない。


 俺が回避行動しているほんの僅かな隙に吹雪を発生させやがった。相手は俺のみ。接近させないように霊力の障壁で囲っているといったところか。


 手足の先から針に刺されたような痛み。


 手の先や足の先から感覚がなくなってきた。体温が低くなっていくのを感じる。


 ずっと身体から湧き出させていた炎は消えた、周りの気温が低すぎるのだ。


 火を保ち続けるにはずっと気を張っていなきゃならないが、少しでも気を抜くと血流が悪くなり、感覚すら無くなっていく。


 おそらく氷点下十度未満。俺の周囲一帯は、巨大な冷凍庫と化してやがる。


『ふん、他愛ない。所詮は人の子か』


 脳裏に威厳溢れる声音が反芻し、デカブツは鼻で嗤った。


 くそが、舐めやがって。人外だかなんだかしらねえが、こんな性能に頼るだけの低能に後れをとるなんざ許せねえ。


『待てや。誰が往っていいつったよ……!』


 猛々しい吹雪が糾弾してくる中で身体からありったけの霊力を捻り出し、身体中を炎で包み込む。


 雪原は湯気を立てて融け始め、吹雪の痛烈な悲鳴が、水蒸気として如実に現わされる。


 俺はこれでもかってほどの殺気を、霊子通信に思念として大量に送り込んだ。


『ざけんじゃねぇよ……他人の平穏ぶっ壊しといて、はいそうですかで済ませられるとでも思ってんのか』


『先に我らの平穏を壊したのは他ならぬ貴様等、人間であろう』


『へぇ……半身が聞いたら泣くぜ』


『何だと……?』


『だってそうだろ。壊しただのなんだの以前に、その半身の側にいてやらなかったのはテメェの無能がやらかした事じゃねぇか』


 霊子通信の仮想精神空間内で、デカブツの口ごもる姿が脳裏に浮かぶ。


 なんとなく。なんとなくだが、その半身はコイツにとって自分以上に大事な何か。


 当然その半身がどんな奴で、どんな気質をしているのかなんざ興味無い。そしてどういう経緯でいなくなったのかもどうでもいい。


 どんな理由にせよ、守れなかった事実に変わりないのだ。


 デカブツをよそに放り投げ、かつての友人、木萩澪華きはぎれいかの姿が靄となって現れ、重なった。


 一週間前の俺ならば同情しただろうか。やはり厳しく突き放しただろうか。


 もう今の俺じゃ、かつての俺がどうだったかすら分からなくなってしまった。


 澪華れいかを失った今、もう嘗ての俺に戻ることなんてないのかもしれないが、だからこそ目の前の相手には引き下がれない。


 これはただの八つ当たりだ。昔の俺なら大義だの正義だの、挙句の果てには流川るせんの出だの言葉面だけは綺麗なものばかり並べていた。


 でも今の俺に正義も無ければ、大義も無い。


 ただむしゃくしゃする感情を胸に、目の前の無能を叩き潰したいだけだ。俺も同じ無能であるが故に。


『……人間の、それも高々数十年程度しか生きていない貴様に、何が分かる』


『分からんね。そも興味ねぇし。ただ気に入らねぇんだよ。守れなかった癖に目立つことしてるテメェがな』


『ふん。我は迎えに来ただけだ。守れなかったから迎えに来た。何の不条理がある』


『だからァ……守れてねぇ時点で話にならねぇっつってんだよ!!』


 刹那、周囲を取り囲んでいたブリザードの障壁は、俺の怒号とともに噴き出した炎の渦で消滅した。


 四方を取り囲んだ氷の柱も融け去り、大地を覆う雪原も見事に抉り取られ、舗装された道路が顔を出す。


 魔法で作り出した吹雪を掻き消した俺に、自分勝手で自惚れた妄想かもしれないが、相手は驚いている、そんな気がした。


 なんか知らんが体の奥底から力が湧いてくる。無限って言ってもいいくらいの力が、心臓の拍動と同じペースで湧き出てくる。


 霊力なのか、俗に言うアドレナリンとかいうヤツなのか。


 そんなのは知ったこっちゃないが、まるで沸騰した水から出てくる水蒸気みたく、熱い何かが、身体に馴染んでいく感覚に襲われる。


「``凍域ジェリダンテンプス``を相殺するとは……それにその風貌……貴様、ただの人間の小僧ではないな」


「みてぇだな。自分でもはっきり言ってよくわかんねぇけど」


「……少し封じれば終わると思ったが……少し時間がかかりそうだエントロピー……!」


「やっと本気になったか。そうこなくちゃ興醒めするところだったぜ」


 蒼然のブリザードに対するは、紅蓮のプロミネンス。


 氷と炎、相反する二つの概念の衝突。雪原を融かせば、その融かした雪原の水が速やかに凍結する。


 俺を中心に融けた氷水が蒸発して湯気が立ちこめ、デカブツを中心に蒸気が一瞬で凍りつく。ダイアモンドダストとなり、俺等の間に降り積もった。


 ぶつかり合う猛威。


 火花の如く散る敵意。


 炸裂する激情。


 俺らを隔てるダイアモンドダストは美しく帳を描く中で、その絵面は恐ろしく苛烈だった。


 蒼と紅。感情が色彩となって現れ、地を蹴る轟音とともに禍々しい熾烈な感情を覆っていた幕は、俺とデカブツの欲望によって、容赦なく焼き尽くされるのだった。
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