無頼少年記 ~最強の戦闘民族の末裔、父親に植えつけられた神話のドラゴンをなんとかしたいので、冒険者ギルドに就職する~

ANGELUS

文字の大きさ
上 下
104 / 106
乱世下威区編 下

禁忌たる契約

しおりを挟む
 これで、良かったのか。つくづく俺は、割り切りが下手くそだ。

 澄連すみれんを呼ぶと決めたとき、二兎追うどころか全てを搔っ攫ってやるって気概だったのに、今になって馬鹿みたく迷ってやがる。胸にできたしこりを頻りに気にする自分が、言うことを聞いてくれない。

「……いや。これで良かったんだ」

 尚も文句を垂れる自分をグーで黙らせる。

 別にキシシ野郎とはタイマン張っていたわけじゃない。確かに約束こそ交わしたが、破ったのは向こうが先だ。俺が一対一で堂々と戦う義理なんざありはしない。

 澄連すみれんの助けがなければ、とっくの昔に戦死していた。それは覆しようがない事実であり、実質的に負けていたようなものだ。俺は流川るせんの当主で、守らなきゃならない仲間がいる。背負わなきゃならない大事なものがある。今回の戦いの結果は、それらを守り通した結果じゃないか。

 ただの敵なら気にならないし、裏切ったのは向こうが先だっていうのに、どうして苦いものでも食ったような気分が消えねぇんだ。

「……男さん。澄男すみおさん!」

「おおう!?」

「なにボーっとしてんすか……」

 カエルのド汚くて細長い手が、海を遊泳していた俺を強制的に陸地へ引きずり出す。

御玲みれいさんの所へ行きやしょう。御玲みれいさんが負けそうになったら、割り込んで相手をボコりにいかないと」

「んああ……そう、だな」

 迷っている暇はない。無駄に考え事をしている今も、刻一刻と御玲みれいに死が迫っているのだ。過程はどうあれ、こっちの戦いは終わった。なら、次にやるべきをやるだけだ。

「なんだ……?」

 カエルが訝しげな声をあげる。何だ、と疑問を投げる前に、俺はその気配を察知した。

 澄連すみれんが囮になってくれたおかげで、入念に練ることができた煉旺焔星れんおうえんせい。圧縮度も質量も普段の倍以上、人間はおろかそこらの人外だろうと跡形もなく消滅させるほどの威力があってもおかしくない。

 実際、それでキシシ野郎はなすすべなく火球に飲まれたのだ。星に例えられるほどに熱い業火を浴びて、生きていられるはずがない。そう確信できる。

 確信できる、はずなのだが。

「キシシ野郎の気配が、消えてねぇ……?」

 キシシ野郎を確実に消し飛ばす特製の煉旺焔星れんおうえんせいは、俺の手から離れた後、キシシ野郎を飲み込んで爆発。擬巖ぎがんの部屋を一瞬で真っ赤に染めあげたが、俺は火属性霊力を吸収できるのでノーダメ、澄連すみれんは流石というべきか吹き飛んだ程度でダメージを受けた様子がほとんどなく、実質キシシ野郎だけが消し炭になるという状況だったはずだ。

「うっ!?」

 突然、噴煙が吹き飛ぶ。内側から不可解に巻き起こった突風は、部屋に充満していた煙や臭いを全て吹き飛ばし、一瞬とはいえ目が開けられなくなる。その風が止んだとき、俺の目に映ったのは全く予想だにしないものだった。

「……はさみ……?」

 そう、はさみである。

 上の刃と下の刃で長さが違う、下手すりゃ人の背丈はあるだろう歪なデカいはさみ。キシシ野郎は人だ、人がはさみに化けるわけもなし、一体どこから湧いてでやがったのか。

「馬鹿な、何故アレがここに!?」

「やばい、やばいよカエル! ボクのち◯こが萎えた!」

「おいおい……こりゃ下痢便っつーか、血便じゃねぇか……」

 突然、澄連すみれんが騒ぎだす。ぎゃあぎゃあと騒いでいる様はいつもと変わらないように思えるが、馬鹿騒ぎを毎日見ているだけに、珍しく緊迫感に支配されていると理解できた。

「おい、どうした。なんだあのはさみは?」

 澄連すみれんから醸し出される緊迫感が、直感を刺激する。ふとカエルに振り向くと、いつもギトギトしている身体が、いつも以上にギトギトしていて床に滴るほどに、体液が流れ出していた。

「……逃げてくだせえ」

 カエルは答えない。俺の質問をガン無視し、俺へ視線をなげることなく、ただそれだけをぽつりと呟く。

「……そんなにかよ」

「早く!! アレは澄男すみおさんでも死にやす!!」

 思わず吹き飛ばされそうになるほどの、圧力。

 いつもはシャルやナージらとバカやってバカ丸出しの薄汚い二足歩行の蛙だってのに、だからこそなのか偶に見せるシリアスなところが尚引き立つ。

「おいお前ら!! 持ちうる力全部使ってアレを止めろ!!」

「やるしかねぇか……全力のバナナウンコでも心許ねぇぞ……」

「ボクのち◯こでも無理かも……」

「本来の俺たちならともかく、今の俺たちじゃ、射線を逸らせられるかどうか……」

 ぶつぶつ言いながらも澄連すみれんが攻撃を始める。ナージはケツから捻り出したバナナ型の茶色い塊を剣のように扱い、シャルは光属性霊力で形作った霊力弾で牽制しつつ股間から出した大槍で狙いを定め、ミキティウスは自らを雷と化し、はさみへと突撃をしている。

 俺でも耐えられるか分からない、澄連すみれんの一斉攻撃。一切ふざけた様子なく、慈悲も躊躇いも全く感じられないところは戦慄を覚えたが、それ以上に目を疑うのは不自然に宙に浮いているはさみだ。

 澄連すみれんの容赦も躊躇も全くない一斉攻撃をその身で受け止めて尚、ビクともしないし傷ひとつつきやがらない。カエルが言っていたように、ただのはさみじゃないんだと思い知らされる。

澄男すみおさん、早く!!」

 カエルの怒号で、思考の海から引き摺り出される。

 確かに頭を捻っている暇はない。澄連すみれんの攻撃をまったく受け付けないとかただのはさみじゃないのは明らかで、きっと煉旺焔星れんおうえんせいも通じないだろう。

 そして根拠なんぞないが、あのはさみに触れたら終わる気がするのだ。カエルが言っていたように、この俺でも死ぬ気が。キシシ野郎の武器で動きを止められたときとは比じゃない、本当の意味で。

「くっ……」

 悔しい。直感が叫んでいるからとはいえ、はさみから逃げなきゃならない状況に。

 でも正直、真正面から戦ったところで、あのはさみをどうにかできる気がしないし、なにより俺は御玲みれいの援護に行かなきゃならない。

 だめだ、今何を言っても言い訳がましく聞こえて更に腹が立ってくる。なんでだ、なんで今になって胸がクソざわつくんだ。

澄男すみおさん!!」

 鼓膜をブチ破るような大声で、思わず振り向く。いや、この場合は振り向いてしまった、が正しい。

 振り向かなかったら逃げられたか。そんなことを一瞬考えてしまうほどに、目と鼻の先にはさっきまで澄連すみれんにタコ殴りにされていたはさみの切先が迫っていた。

 切先の狙いは、頭蓋。俺の背丈と同じぐらいあるだろうはさみにブチ抜かれたら、ぐちゃぐちゃになるだろう。本来ならそうなっても死にはしないが、カエルの言葉が脳裏をよぎるたび、はさみに触れたら即死だと本能が訴えかけてきている。

 回避、間に合わない。防御、無理。逸らす、もう遅い。

 反応すらできていないのに、どうしろというのだろうか。嗤いが込み上げてくる。思わず目を閉じてしまった。頭が柘榴のように砕け散るまでの刹那の時の中で、クソ間抜けにも。

 御玲みれいが死なないように、御玲みれいの所に行かなきゃならないってのに、ここで死ぬっていうのか。

「ぐっ……!!」

 ずしゃ。何かが血肉を引き裂く、生々しい音が鼓膜をブチ抜く。

 頭が刺し貫かれた感覚はまだない。もうブチ抜かれててもおかしくないはずだが、いつまでも死の宣告が下らないってのもおかしな話だ。

 はさみの射線が逸れた。いや、そんな都合の良いことが起きるはずが―――。

「カエル!?」

 思わず目を開けた。俺と目の鼻の先にまで迫ったはさみの姿はなく、跡形もなく消えたように思えた。でも実際は違う。

「カエル……お前……!!」

 すぐさま駆け寄り、本人を掬い上げる。

 カエルは長い手足をだらりと垂れ下げ、いつも飛び出そうな目は珍しく瞼の奥に引っ込んでいた。

 それもそのはず。カエルの腹には、俺の頭を刺し貫く予定だっただろうあの大はさみが、深々とブッ刺さっていたのだから。

澄男すみおさん……行ってくだせえ……オレは……大丈夫なんで……」

 カエルは俺を押し返そうとするが、その腕に力はない。背筋が急激に寒くなる。脂汗が噴き出て、呼吸が苦しい。

 澄連すみれんは今まで一度も怪我なんてしたことがなかった。この俺でも調子が狂う攻撃を喰らっても、次の瞬間にはケロっとしている連中である。俺は心のどこかで、コイツらは怪我なんてしないもんだと勝手に思い込むようになっていた。

 だがよくよく考えれば、そんな都合が良いはずがない。

 今まで偶々コイツらが怪我をするような事態が起こらなかったというだけで、コイツらだって傷の一つや二つ負うのは当たり前の事なのだ。

 メルヘンな存在だからとタカを括っていた。馬鹿だ。なんでこんな至極当然な摂理を悟れなかったのか。

「オレは……ホント、大丈夫なんで……早く……御玲みれいさんの所に……」

 デカいがま口から血が噴き出す。

 夥しい出血。カエルの倒れ込んだ床は血で染まり、俺の腕にも生暖かい液体が滴る。人間なら失血死は免れない。コイツらは人外だから、血が足りない程度で死にはしない。そう心から思いたい。たとえそれが、ただの希望的観測でしかないにしても。

 カエルだって仲間だ。見捨てるわけにいかない。でも俺にはどうしようもない。

 今も本能がバチバチ警告音を発している。このはさみに触れようとすると``死``の文字が浮かび、伸びようとした手はすぐに止まってしまう。

 仲間は死んでも守り切る。それが俺の絶対ルールだったんじゃなかったのか。なんで迷う。俺が生きていたって、仲間が一人でも死んだら俺が生きている意味も価値も―――。

澄男すみおさん……俺はマジで大丈夫なんで……早く御玲みれいさんの所に行ってくだせえ……!」

「馬鹿言え、どう考えてもその傷……」

「アンタじゃどうにもできねぇ、それは分かってんだろ……だったら、どうにかできる方に行くべきじゃ……ねぇんですかねぇ……」

 正論だ。紛れもなく、どうしようもないくらいに、正論だ。出ようとした言葉は喉元でつっかえ、胃袋へ逆流する。

 カエルの土手っ腹にブッ刺さっているはさみはどうにでもできない。というか触ることすらできない。本能が今でも触れることを全力で拒んでいるからだ。

 仲間のためなら死すら恐れないはずの俺が、死を恐れている。馬鹿げた話だ。結局俺は、不死に頼り切っていたのだから。

「オレは……まあどうとでもなりやすが……御玲みれいさんは……失ったらもう……」

 話す度、がま口を開ける度、血が流れる。もはや血の池ができつつあり、人間なら血を失いすぎて死んでいてもおかしくない。

 だがカエルは人じゃない。すでに失血死しているはずの出血をしていても、朦朧としているがまだその意識を保っていた。

「取り戻せないんすよ……!」

 目を見開く。背中を、強く押された気がした。カエルをゆっくりと地面に寝かせる。

 御玲みれいは人で、不死でもなければ人外並みに強いわけでもない。弥平みつひらもそうだが、仲間の中で最も死にやすい存在だと言える。

 そして実際、今は格上の相手と戦っている。カエルのことも放ってはおけない。なんとかしたいし、どうにかしたかった。でも今俺がどうにかできる可能性が高いのは、御玲みれいの方だ。

「ミキティウス……あとは任せるぞ」

 家長とあろう者が、血溜まりの中心で横たわる仲間に何もしてやれず、他の仲間にどうにかしておいてと頼む以外に何もできない自分が情けないし不甲斐ない。

 仲間を救うために他の仲間を捨ておかなきゃならないとか、これが俺が守ろうとした絶対ルールだったのか。

「……クソがッ!!」

 踵を返し、御玲みれいの元へ全力疾走。ただ走るだけじゃ時間が惜しい、足から霊力をロケット噴射して時間を短縮する。

 今の俺にできることが、この程度しかないのが本当に腹立たしい。カエルも御玲みれいも傷つけてしまった自分の無能さが、その腹立たしさを殺意へ変える。

 あれもこれも、みんな俺が弱いからだ。俺が弱いから、仲間が傷ついた。久しぶりの戦争で気が抜けていたのか、任務請負人になってぬるま湯に浸かり身も心もが鈍ったのか。

 いや、全部言い訳と責任転嫁でしかない。本当に本当に俺って奴は、つくづくどうしようもない。

「頼む、間に合ってくれ……!!」

 あのとき迷っていなければ、御玲みれいは死にかけずに済んだのか。後悔も反省も後回し、できたことは他にもあった気はするが、そんなことよりも今は御玲みれいだ。御玲みれいを助けなきゃならない。

 相手は御玲みれいよりも強い。アイツのことだから痩せ我慢して戦いに身を投げたに決まっている。それを悪いとは言わないし、俺だって逆の立場なら格上だろうが御玲みれいを逃すように仕向けた。アイツの心意気を貶すような真似をするつもりはない。

 要は俺が助ければいい。ただそれだけの、単純なことなのだ。

 俺の背後、霊力が炸裂する感覚と爆発音がした気がするが、すぐに御玲みれいの面影が頭に浮かび、跡形もなく塗り潰される。

 そんなことよりも戦った場所までひとっ飛びだ。場所は覚えている。なんたって一直線に真っ直ぐに、壁をブチ破ってきたわけで、行き当たりばったりな俺でも迷う要素はこれっぽっちもありはしない。

御玲みれい!!」

 着いた。確か、不自然にひらけた客間みたいな場所。そこで灰色フード野郎が現れて、二対一で戦って、御玲みれいが先に行けって言って、それで。

……れい……?」

 眼前に広がる光景は、異様だった。本来なら、その二文字での表現は生温いと思う。だが俺の本能が、感情が、それ以上の表現を絶対に許さない。

 は血まみれ、床は血溜まり。戦う前の閑散とした広間は、もはや見る影もない。鎌鼬が通りすがり、部屋の中にいた奴ら全員をズタズタに引き裂いていったような絵面。

 俺は別にこの程度どうとも感じない。血溜まり、血だらけ、そんなものは戦いなんだから当たり前で、俺なんて毎度毎度初見殺しで肉片になっているのだから、今更スプラッター如きでヒヨるほどゴミメンタルでもない。

 でも、目の前に広がっている肉だるまたちは。

「み、御玲みれいえええええええぇぇあああああああ!!」 

 嫌だ、嫌だ嫌だいやだイヤダ。

 嘘だ、そんなはずない。違う。ありえない。ありえちゃならない。これは夢だ。現実なもんか。これが、現実なら。俺は。

「あ、あああ、ああああああ……!!」

 俺は御玲みれいだったモノに駆け寄る。

 もう一人いた気がしたがそんなものはどうでもいい。擬巖ぎがん那由多なゆたも、その全てがもはやどうでもいい。今は御玲みれいだ。御玲みれいをどうにかする方法を。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 御玲みれいが、上半身だけ。抱き起こそうとすると断面から内臓がずるりと飛び出てきやがる。下半身は。下半身はどこだ。

「あった!!」

 倒れてぴくりとも動かない下半身。上半身に気を取られて気が付かなかったが目と鼻の先にあった。

 拾い上げる。前のめりに倒れたんだろうか。ケツが上側になっている。ということはひっくり返せばいいのか。俺自身が早くも返り血でドロドロだが、まだ暖かい。そんなに時間が経っていないのか。下半身からダラダラと何かが垂れ下がってやがる。なんだこれ、太い管だ。大腸か。

「な、なんだっていい。そうだ、はは、ハハハハハハ!! くっつければ、くっつければいいんダ!!」

 そう、千切れてるならくっつければいい。

 昔、小さい頃にテーブルの足をへし折ったとき、木工用ボンドでくっつけて直せたんだ。人の体だって同じだ。

「えっと……どれが、どれだ?」

 クソが。人の体の中身がどうなっているか、勉強しておけばよかった。管の細いやつと太いやつがあるが、どれがどれだか分からない。上半身からはどんどん中身が飛び出てきてやがるし、元に戻せるか怪しくなってきた。

「いや、戻せる戻せねぇじゃねぇ。戻すんだよ!!」

 上半身からずり落ちてくる中身を、とりあえず押し戻す。赤みの帯びた袋みたいなものが無駄にデカくて戻しづらかったが、なんとか六割ぐらいは中に戻せた。

「いや、そうか……そうだよ、金髪野郎の止血したとき、確か……」

 勝手に飛び出す、記憶の戸棚。いつもは開けようにもなかなか開かない戸棚のくせに、今回は流石に素直だった。

 女アンドロイド―――今はテスって名前で久三男くみおの仲間になったソイツが、まだ敵だったとき。金髪野郎が片腕へしゃげたから止血してくれと頼まれて、断面を焼いたようなことをした気がする。

 焼けばくっつけられるんじゃなかろうか。そういえば久三男くみおもハンダコテとかいう道具でヨーセツだかなんだかをしていたところを見たことがあるし、人間の体だってヨーセツすればくっつけられるはずだ。 

「は、はは……」

 右手に霊力を込める。右手が一瞬で燃え盛り、御玲みれいの血が一瞬で蒸発する。

 鉄の匂いが鼻腔を撫で、ほんの少し不快感。だがこれで御玲みれいを元通りにできるという喜びが、不快感など一瞬で消し去ってしまった。

すみ…………さ、ま」

 十分霊力を練られた、どうなるかは分からないがやれるだけのことはやろう。そう思い、右手で臓物に触れようとしたときだった。

「もう……いい、で……す」

 か細くて、小さくて、今にも消えてしまいそうなほどに儚いが、確かに聞き覚えのある女の声。

 声の主に振り向く。瞼は半開き、瞳孔は開き切り、口の端からとめどなく血を吐く少女。それは、まさしく。

「安心しろ御玲みれい。かなり痛むだろうが、今からお前の下半身と上半身をヨーセツして一つに……」

 すっから、と言おうとした台詞は、御玲みれいに右手を掴まれたことで喉奥に引っ込んでしまう。

 御玲みれいは無言で、僅かに首を左右に振る。声を出す気力も、もはやないのだろう。むしろ身体を横から真っ二つにされてまだ息があるだけでも大したもんなのだ。意思疎通ができるのなら、まだ希望がある。

「ば、馬鹿野郎、諦めんな。下半身と上半身がパックリいったからなんだってんだ、俺なんて何度肉片になったことか……」

 自分が放つ乾いた苦笑いが、跳ね返ってきて突き刺さる。

 俺は不死だ。ゼヴルエーレとかいう本物の化け物を植え付けられたことで、人外と呼べる再生能力を手に入れた。たとえ肉体が消し飛び跡形もなくなろうと、何度でも復活する。

 俺にとって、肉体の消滅は死になり得ない。ただだからといって無敵かと言われると、今回戦ったキシシ野郎みたいな奴もいるからそうでもないのだが、それはあくまで俺の場合だったならの話。

 そう、理屈では分かっている。普通は人並外れた再生能力なんぞ人間が持ち合わせているわけもなく。身体を両断されて生き続けられる生き物なんてほとんどいやしないだろう。少なくとも人間にとっては明らかな致命傷だ。それは御玲みれいだって例外じゃあない。

「だから……だから……」

 認められるもんか。致命傷、だからなんだ。

 致命傷だろうとまだ生きているなら治せば済む話。無茶苦茶なのは自分が一番分かっている。だがその無茶苦茶をやらなきゃ、御玲みれいは死ぬ。両断された傷口から、生命を垂れ流して、流し切って。

「っ!?」

 御玲みれいが突然、俺の頬を撫でてくる。その手は血で汚れ、俺の頬をべったりと赤く染めるが、俺にはその血がとても暖かく、不思議と心地いい。

 御玲みれいは笑った。朗らかに、でも儚く。今にも息を吹けばかき消えちまいそうなほどに弱々しいが、目尻に浮かべる米粒大の涙も相まって、不謹慎にも愚かにも、俺はそんな御玲みれいを。

 美しい。そう、思ってしまった。

「み、れ……」

 刹那、撫でていた手が、ぼとりと床に落ちる。

 背筋が凍り、凍てつくような寒さが縦貫する。御玲みれいの顔から生気が感じられない。瞳からも光が消えていた。

「み、御玲みれい……? 御玲みれい!!」

 身体を揺らし、頬を優しく叩く。しかし微動だにしない。まるで、肉体だけ残して中身だけどこかへ抜けてしまったような。

「えっと……あぁ、そうだ!」

 確か心臓が止まった人にやる延命方法に、心臓マッサージだかなんだかがあったはずだ。まだ俺が母さんに高校生やらされていたとき、偶々受けていた保健の授業で聞いたことがある。

 本来なら心臓に直接、ってわけにはいかないので外から胸を押すのだが、幸いなことに御玲みれいは今上半身だけだ。つまり、中に手を突っ込んで直接心臓を揉めば、蘇生できるんじゃあるまいか。

「そうだ!! そうすればいい!! ただそれだけの、簡単なことだ……」

 下半身と繋げようとして中身を押し込んでしまったが、今のままだと心臓がどれだかわからない。とりあえずある程度出してみる。

 人の中身なんぞ詳しくないのでどれが何の臓物か分からんが、心臓ならなんとなくイメージが湧く。

 細い管の束みたいなやつ、これは小腸か。なら違う。

 赤黒い三角形みたいなやつがでてきたが、多分違う。

 白いブツブツしたやつ、違う。

 さっきから掻き分けても異様な存在感を放つ萎んでる割には無駄にでかいブヨブヨした赤い袋、これは何なんだ。分からん。

 赤みを帯びた白っぽい空気袋みたいなのが二つ。違う。これは多分、肺だ。肺があるなら、その中心あたりに心臓が。

「あった、これだ!」

 複数の管に繋がれた、握り拳大のボールみたいな赤い肉塊。確か心臓って本人の握り拳と同じぐらいだって聞いたことがある。

 御玲みれいの握り拳と比べてみる。同じくらいだ。間違いない。

「えっと……揉めば、いいん……だよな」

 心臓の脈動をイメージしつつ、可能な限り揉んで再現してみる。

 まさか人生で心臓の鼓動を手で再現することになるとは思わなかったが、これで御玲みれいが延命できるならそれでいい。あとは澄連すみれんと合流してカエルに回復魔法をかけてもらえばなんとかなる。なんとかしてみせる。

「あれ……なん、で……?」

  いや。分かっていた。理屈では。

「嫌だ……嫌だぁ」

 心臓を揉んで延命。下半身が分たれ、御玲みれいの周りは血の池地獄と化している今、生きる上で必要な血が足りないことくらい、馬鹿な俺でも分かる。

「あああ、ああああああ……」

 そもそも、下半身と上半身が分たれているのに、生き延びられるわけがない。少し考えれば、分かることだ。

 いや、分かっていた。分かっていたが。

「受け入れられるわけ、ねぇだろうがァァァァァァァァ!!」

 叫ぶ。喉がブチ壊れるぐらい。掻きむしる。禿げてしまうほどに。

 毛根を潰そうが、喉を壊そうが、俺なら何事もなく元に戻るのに、どうして、どうして御玲みれいは戻らない。

 どうして俺だけが、再生する。どうして俺の周りは、不死じゃない。

 また。また俺は、大切なものを失うのか。

「ぐぞがあああああああ!!」

 擬巖ぎがんが戦争を仕掛けてこなきゃ。キシシ野郎が裏切りさえしなけりゃ。フード野郎が御玲みれいより弱けりゃ。

 全部、全部たらればだ。言ったところでどうしようもない。考えたところで仕方ない。

 でも、だからどうしたってんだ。どれか一つでもハズレてくれさえすりゃあ、御玲みれいは死なずに済んだのに。どうして、その全てが満たされる。どうして、ハズレを引いてくれない。どうして。

「みっ……とめられるがぁ……!!」

 その気なんてないのに勝手に霊力が漏れだす。俺の霊圧に反応し、建物が軋み始めた。

 死んでも大切なものを守り切る。それが俺の絶対的なルール。曲げるつもりはない。反故にするつもりもない。たとえ如何なる状況、状態だろうと、守られなければならない。

 たとえ世界の理、その全てを捻じ曲げてでも。

「世界の……理……?」

 天災の竜王が脳裏をよぎる。

 あのゲテモノが使う外道の法、焉世えんせい魔法ゼヴルード。やろうと思えば、自分以外の全てを捻じ曲げることができる反則的な暴力。

 俺は俺の絶対的ルールを破ってしまった。絶対に反故にしない、何が何でも、自分が死のうと守り切ると、澪華れいかを失って、親父をぶっ殺して、胸に魂に、その全てに誓ったのに。

 認められない。我儘で、子供の駄々と言われようと受け入れられるものか。それでも世界が変わらない、現実が無情だというのなら、好きにしやがれ。

「だったら全部ブッ壊す……仲間の一人も守れねぇ胸糞な世界なんざ、なくなっちまえばいい……!!」

 納得いかない。受け入れられない。認められない。ああ、我儘だ。子供の駄々だ。でも、だったらどうした。

 駄々だろうが我儘だろうが、その全てをぶち壊せば終い。文句を言う奴も何もかも、その全てが消えて亡くなる。跡形もなく、一欠片の塵も残さずに。

 俺の頭上に展開される、赤黒い魔法陣。それは怨嗟であり、破壊への意志であり、おどろおどろしい滅びへの序曲。それが奏で終わったが最後、その全ては藻屑と消える。

 俺はいましめを破る。仲間を救えなかったこの世界の理。ルールを守れなかった俺自身。その全て。何もかも全部すべからく、文字通り``破戒はかい``してやる。

「終わりだ……消えろ。消えてなくなれ!!」

 魔法陣の煌めきが激しくなる。もはや瞼も開けられないぐらい眩しく、目が痛くなる。

 だがこの痛みももうじき消える。俺は俺のルールを守る。俺は仲間を、絶対に見捨て―――。

『理不尽な力なんてな、誰も幸せにできねーんだよ!!』

 突然誰かが叫んだ。脳に直接語りかけてくるような、どこかで聞いたことがあるような、懐かしさと焼きつく熱さが印象的な何か。

『みんなから微笑みを奪っていく!! それ以外に芸がねー!! そんな力なんかいらねーんだよ!!』 

 誰かが怒っている。鬼の形相だ。それがどうしたって話だが、何故だか頭から離れない。

『お前らの力は何のためにある!! 弱い奴を虐げるためか!!』

 自分の意思に反し、記憶の戸棚が何者かに開け放たれていく。その勢いは怒涛の津波の如く、俺一人の力じゃあ、とてもじゃないが止められそうにない。

『なんでみんなと一緒に笑い合えるために力を使わねーんだ!!』

 どうして今まで外道の法を使うのを避けてきたんだっけ。確か使うのが嫌だったはずだ。だってこれを使うってことは、俺は。

『そんな力、捨てちまえ!!』 

 顔面をグーで殴られた気がした。頭が揺れるせいか、言葉がエコーのように反響する。

 顔面を殴られることなんざ、母さんとの修行を含めたら数えるのも億劫になるほどやられたが、今のは過去一番に痛かった。顔面を伝って全身に痛みが駆け巡り、震えだすほどだ。

『力が強えってそんなに偉いのか? 力が弱えってそんなに悪いのか? なあ、教えてくれよ』

 笑いが込み上げてくる。一体誰に、どこで言われたのか皆目思い出せないが、記憶の戸棚がなだれ込んでくるそれらは、容赦なく俺をぶん殴ってきやがる。

 だが不思議なのは、殴られているのに怒りを感じないことだ。その理由も、なんとなく察しがつく。

 弱いことは悪なのか。かつての自分なら、どう答えただろう。悪と答えただろうか。甘えと言っただろうか。少なくとも、今は。

「悪くねぇよ……」

 振り上げた手をパタリと落とす。視界は元に戻り、魔法陣から放たれた熱気が鳴りを潜めていく。

「本当に悪いのは、何かを成せるだけの力があっても、それを活用せず何も成そうとしねぇことだ。そうだろ?」

 誰も、その問いには答えない。血溜まりと骸だけとなった中心で、それでも誰にでもなく問いかけてみせる。

 記憶の戸棚を無作為に開け放ち、戸棚の角で俺の顔面を殴ってくれやがった、その誰かに。

「なら今の俺に、何が成せる?」

 御玲みれいが死んだ。それを受け入れるつもりはない。受け入れてしまったら、それは本当の死だからだ。

 なら、どうする。死んだ奴を蘇らせる魔法なんて使えない。使えるやつを呼んでくるか。そんな都合が良い奴なんざどこにいる。確か弥平みつひらの親父が母さんを蘇らせていたはずだ。弥平みつひらの親父以外だとパオングか、それこそ。

「ッ!!」

 何かないかと、特に何も考えもせず衝動的に懐を弄ると、一筋の光すら通さない漆黒の技能球スキルボールが、手の中にあった。一瞬ただの黒い球にしか見えなかったが、技能球スキルボールの深淵を覗いたとき、光を一切通さない暗黒から感じる悍ましさに、思わず体が震えた。

 漆黒に澱む暗黒。今まで技能球スキルボールなんざ何気なく使ってきた代物だが、今持っている技能球スキルボールほど禍々しくておどろおどろしいものは初めてだ。ずっと見ていると吸い込まれそうになるし、見ていて気分のいいもんじゃない。

 技能球スキルボールの作成者が誰なのか。本能で悟れた。いつ、どうやって忍ばせたのかは分からないし、これで俺に何をさせるつもりなのかも分からない。何の説明なく持たされているだけに、その目的を知りたくないってのが本音かもしれない。

 だが。だが何故だ。この技能球スキルボールを今使えと、俺の直感が訴えかけてきやがる。得体の知れない、何の効果があるのかも分からないその技能球スキルボールを。

 それは狂喜か、それとも狂気か。何故か俺は、唇を釣り上げて笑った。今の自分の顔を鏡で見たなら、さぞかし気色悪い顔色をしているだろう。

 彼が俺に託した物ならば、少なくとも悪いものじゃない。いつも妖しげで、暗澹としていて、いつだって闇が似合う彼だが、いつも俺たちには恩恵をもたらしてくれていた。

 今回も、同じだ。きっと、そうに違いない。

「……いや。待て……」

 技能球スキルボールに発動を念じようとした手が、理性の鎖で縛られる。

 確かに彼は幾度となく俺たちの危機に手を貸し、そして勝利に必要な恩恵をもたらしてくれていた。でも、そのときに必ず彼はその恩恵に見合う対価を常に求めていた。

 いつもなら、その恩恵に見合う対価を事前に説明してくれていた。その説明を聞いた上で、恩恵を受けるかどうかを決めるのが今までの流れだ。

 だが、今回は事前説明などない。気がついたら出所のわからない技能球スキルボールが懐に入っていて、まるで今この瞬間に使えと言わんばかりのタイミングで見つけた。対価の説明もない、それが一体何を意味するのか。

「……俺は、何を……」

 失うのか。恐怖。震撼。腰から下が虚無に落ち、跡形もなく消えるような不快感が迫る。

 どうして。どうしてなんだ。どうして今回は事前説明がない。俺はこれを使う上で、何を支払うことになる。なんで今回に限って、それを教えてくれないんだ。

「クソが……! 迷ってる暇なんざねぇってのに……!」

 御玲みれいは息絶えた。このままダラダラと長考していたら、本当の意味で御玲みれいが死ぬ。失ってしまう。これを使えば御玲みれいの死がなかったことになるのだと直感が唸っているのに、手が震えて発動を念じれない。

 手をこまねくことなんざあるはずがない。御玲みれいの死を覆すには、彼が託した助け舟に乗るしかない。そんなことは分かっている。その助け舟の向かう先が、一寸先も見通せぬ暗黒の闇であることを除けば、最良の助け舟であることは。

「いや、違うだろ……」

 思い返せ、そして思い出せ。

 何故俺が御玲みれいたちの死を死に物狂いで避けるのか。それは今や失われてしまった友―――木萩澪華きはぎれいかのような存在を、二度と生み出さないためだ。

 失ったものは、壊れてしまったものは、二度とその手元には戻らない。指と指の間をすり抜けて、絶対に手繰り寄せられない深淵へと落ちていく。

 今でも忘れられない。深淵へ落ちていくそれを、拾い上げようとして何一つ拾い上げることのできなかった絶望。流川るせんの本家の当主という血筋が、あのとき何の役にも立たなかったという無能感。

 だからこそ決めたんじゃないか。仲間は死んでも守り切る。もう二度と、失わせないがために。手元から、ただの一つもこぼさないために。

 仲間を守るためならば、あらゆる破壊と災厄の種を巻いても構わない。なら失わずに済むというのなら、俺は―――。

「もう……失うわけにはいかねぇんだ!」

 俺は、俺のルールを守り切る。

 澪華れいかを失って、親父をぶち殺したあのときから、そのルールだけは絶対に守る。たとえこの世の全ての人間が俺を罵り蔑もうが、それだけは譲らないし変わらない。

 選んだ道のその先が、全てを飲み込み蝕む常闇だったとしても、仲間が死ぬというクソみたいな現実を、血涙を流し奥歯を噛み締めて受け入れるより全然マシなのだ。

 技能球スキルボールが炸裂する。直後、俺の視界は暗黒に包まれる。

「う……がぁぁぁぁ……」

 体の内側から自分という存在が抜け落ちるような不快感とともに、抜け落ちた己自身が御玲みれいの中に入っていくような不思議な感覚を味わう。

 何故御玲みれいの中に自分の一部が、と疑問に思うが、彼が作った技能球スキルボールだ。何が起こってもおかしくない。

 重要なのは、俺が思い描いている無茶苦茶が、本当に達成されるかだ。

 「ぐ……」 

 たとえようのない疲労感。今すぐにでも横になって昼寝ブチかましたいぐらいの眠気と、体に大量の錘をつけまくってそこからクソデカベンチプレスしているかのような重みがのしかかる。あんまりにも不快すぎて猛烈な吐き気と頭痛もダブルパンチで殴打してきやがる。

 エグい、そろそろマジで終わってほしい。そう思う反面、これで失くしたものを取り戻せるのならと、不快感をかき消すぐらいの勢いで、どこからともなく気合が湧いてくれる。

 これなら、耐えられる。

 技能球スキルボールから溢れた暗黒が収束する。世界が景色を取り戻し、視界が効くようになったことで、俺は魔法の終息を感じ取る。

 おもむろに、目を開ける。これで御玲みれいが上半身のままだったらという恐怖と不安が電撃のように体を走り回るが、きっと大丈夫だ。問題ない。きっと。

……れい!」

 奇跡。その言葉、今の状況こそが最も相応しいと思う。異論は認めない。

「元に……戻ってる!」

 御玲みれいの身体は、戦う前の状態にまで戻っていた。

 流石にメイド服はズタズタなままだが、肌に汚れは一切なく、返り血すらもない。怪我の痕も何もなくボロボロになったメイド服の隙間から垣間見える真珠色の肌が、御玲みれいの今の体の状態を物語ってくれていた。

 生気を失い、蒼白気味だった顔は熱を取り戻し、今はただ眠っているようにしか見えない。 

 口元に耳を近づける。微かだが息遣いが聞こえた。本当に、ただ眠っているだけのようだ。

「ん……んん……」

 御玲みれいが身を捩る。そろそろ目覚めるのかと、すぐに耳を口元から離す。

 眉間に皺を寄せながら、ゆっくりと瞼を開ける御玲みれい。細く開けた瞼の隙間から、青い瞳が俺を捉えた。

「……す、澄男すみおさあだっ!?」

「あがっ!」

 うん、これは俺が悪かったと思う。

 普通死んだと思っていた自分が実は寝てただけで、目の前に仲間がいたらそりゃ驚くよねと。そして勢い余って頭突きの一つや二つしちまうよな、と。

 二人揃って額に手を当てながら蹲ること数秒。御玲みれいは肉体能力が種族限界到達しているので加減なしに頭突きされると俺でも小石をぶつけられたときぐらいの痛みを感じるのだが、今はその痛みを感じられるのがなんだか嬉しい。変な意味とかではなく。

「あれ……私、死んだはずじゃ……? おぶっ」

 とりあえず、生存確認だ。起き上がって意識もあるんだから必要なくねとかいう正論は受けつけない。まずは心音を確かめる。

「ちょ、澄男すみおさま……!?」

 きちんと一定間隔でリズムを刻んでいる。魔法を使う前は俺の手の中にあったはずだが、気が付いたらなくなっていたし、もしかしてゾンビにでもなったのかと不安がよぎったけど、どうやらきちんと元の場所に戻ってくれたらしい。

「え!? 澄男すみおさま!!」

 次はお腹の確認だ。ついさっきまで上半身と下半身が分たれていた身、中身から皮まで、きちんと綺麗にくっついているかを確認しなきゃならない。どうせメイド服はボロ雑巾みたいになっているし、問題はないだろう。

「ちょ、ほんと……やめてください!!」

「あごぇ!?」

 脳天に容赦ない肘鉄。ズタボロになったメイド服を捲り上げ、お腹を触ろうとした矢先だった。

「なにすんだバカヤロー!!」

「それはこっちのセリフですよ!! 人のお腹をまさぐらないでください!!」

 何故かドチャクソカチキレてやがる御玲みれいさん。俺はただ、飛び出していた中身がきちんと元の位置に戻っているかとか、中身の臓器が一部足りないとか、純粋に心配していただけなのに、ガチの肘鉄はあんまりじゃなかろうか。

 ついさっきまで下半身と上半身がさよならしていたんだから、恥ずかしがっている場合じゃないと思うんだが。

「大丈夫ですよ……というか、今更中の状態とか分かりませんし」

「いや、何かしら足りない可能性があるかも……」

「ありませんよ……」

「いや! 念のため……」

「あーもう、分かりました! 全部終わった後に久三男くみおさまに頼んでみますから!それで構いませんか?」

 御玲みれいは俺と違って不死じゃない。内臓一個足りないだけで死ぬ可能性も十分にある。

 なんで本人が悠長なのかが疑問も甚だしいが、確かに素人の俺がいくら御玲みれいのお腹を弄り散らかしたところで、ただの変態に成り下がるだけだ。何も分からんし、ここは専門家に任せることにしよう。

「ちゃんと久三男くみおに診てもらうんだぞ? 絶対だかんな?」

 御玲みれいはほっとくと無理しやがるので、本当に久三男くみおの所に行くのか心配だ。後回しにしてそのまま忘れそうだし、全部終わったら久三男くみおにも根回ししておこう。

「分かりましたよ……今は、そんなことよりも」

 さっきまでの緩い雰囲気は鳴りをひそめ、真剣な表情へと即座に切り替える。

 御玲みれいが視線を投げるその先、体を震わせながら起きあがろうとする奴が一人いた。生き返る前の御玲みれいと同じく血溜まりの中を這いずるように蠢くソイツは、御玲みれいをぶち殺してくれた、灰色のフード野郎である。

 俺のズボンの裾を、御玲みれいが急いで掴む。

「やってみたいんです。やらせてください」

 弥平みつひら久三男くみおも、そして俺も、相手の方が格上だと知りながら、御玲みれいを一人で戦わせたのは、御玲みれいが灰色フード野郎を仲間にしたくて、ソイツに命を賭けることにしたからだった。

 流川るせんにおいて、戦士の覚悟を侮辱することは許されない。本気で殺されそうになったら割り込むつもりだったにせよ、勝ち負けが完全に決するまでは手を出すつもりはなかった。

「分かってます……澄男すみおさまにとって、仲間を害する者を生かしてはおけないことは。私だって、かつてならそうしたでしょうし」

 流石は俺の専属メイド。俺のことを的確に理解している。

 仲間は死んでも守り切る。それは俺の絶対ルール。仲間を守るためなら悪魔との契約にも躊躇なんてないし、たとえどれだけ幼いガキだろうと容赦なく殺す。

 本来なら灰色フード野郎は八つ裂きにした上、灰すら残さずこの世界から消えてもらうところだ。煉旺焔星れんおうえんせいをモロに浴び、跡形もなく消えてなくさなきゃならない。なくさなきゃ、俺の気が済まない。

 でも、それをしたら御玲みれいの戦いは。戦士としての覚悟は。望みは。

「それでも、そうならない可能性に賭けたいんです!」

 突然の怒号。基本的に静観することがほとんどの御玲みれいが強く主張するのが珍しいせいか、思わず身構えてしまう。

 御玲みれいはほとんど自己主張することがない。戦いの前の会議でさえ静観するか冷静に粗探しするかのどっちかであり、自分の感情を優先させることは皆無に等しかった。

 久三男くみおもそうだったが、俺以外の奴らで自分から仲間を作ることがない。澄連すみれんはまあ、別枠としても久三男くみおだって女アンドロイドを仲間にしたいとか言いだす前は唯一話せる相手が俺や弥平みつひらぐらいしかいなかったわけで、御玲みれいにも仲間もいなけりゃ配下さえ一人もいやしなかった。

 本人からすりゃあ今まで必要なかったから求めなかっただけなんだろうが、いつもは自己を抑え、静観と指摘のみを行ってきた御玲みれいが、今このとき自分を全力で訴えかけている。これを無視していいものか。

 俺たちが下した決断が正しいのかは分からない。暴閥ぼうばつの当主としてなら、おそらく間違っているだろう。脅威であることを知りながら、それを排除しないなんぞ、どんな状況であれ怠慢でしかない。

 でも暴閥ぼうばつだか当主だかの矜持を優先して仲間の意志を蔑ろにする方が断じて否だろと、そう強く言える。

 他の暴閥ぼうばつの当主がどう反論してこようと、俺はきっと異論なんざ認めやしないだろうから。

「ありがとうございます」

「……分かってると思うが、ソイツがもし御玲みれいをブチ殺そうもんなら今度こそ容赦しない。仲間にしたけりゃ説得とやらを絶対に成功させろ。異論は認めねぇ」

「分かってます。絶対に失敗しないと誓いましょう、水守すもり家当主``凍刹とうせつ``の名にかけて」

 身を翻し、拳を胸に当てる。身長は俺より小さいし、俺から見たら華奢な部類に入る体躯だが、蒼瞳から放たれる決意は、如何なる刃も飲み込む大海の如く澄んでいて、そして広い。当主の強権如き、何の苦もなく跳ね除けてしまうだろう。発動するだけ、野暮ってもんである。

 俺は精々後方腕組みしつつ焔剣えんけんディセクタムの柄に手をかけて、御玲みれいの健闘を祈ることとしよう。

「……勝ちましたよ」

 ゆっくりと、雅禍まさかに歩み寄る。

 その歩みを止めるものは、何もない。戦いの余波で散らばったであろう砂利ですら、御玲みれいの存在にひれ伏すようにその道を開ける。

「…………殺せ」

 灰色フード野郎から、恐ろしいほど低い声音。崩れた壁によって日陰となったその影は、灰色フード野郎の顔をより一層、真っ黒に塗り潰す。

 今すぐにでも言う通りにしてやりたい衝動に駆られるが、この戦いを制したのは御玲みれいだ。ここは堪えなきゃ漢が廃る。

「言ったはずです。弱肉強食、戦いの勝者が敗者の全てを総取りできると」

 御玲みれいは、めげない。濁った瞳から放たれる暗黒の拒絶をまともにくらってなお、彼女の背からは諦観の二文字は欠片も見当たらない。

「私は、あなたが欲しい。私が欲するから、あなたを助ける」

 清々しいほどの身勝手な言い分。だが、それが勝者の特権。

「…………きっと後悔するぞ」

「しませんよ」

「…………私は暴閥ぼうばつなど信じない。お前も、お前の主人も」

「構いません」

「…………袂を分つことになったなら、私は今度こそ後ろを振り返らない。それでも……」

「ええ。そのときはまた、雌雄を決しましょう。今度こそ、二人だけで」

 灰色フード野郎は、沈黙。顔を伏せたまま、何も答えなくなった。

 光の照り具合のせいか、それとも地面が砂利だらけのせいなのか。風穴を開けられた腹から滴る血溜まりの赤黒さが増した。

「私や澄男すみおさまのこと、信じられなくてもいい。袂を分つというなら、また殺し合ってもいい。ただあなたに、私のことを信じさせる機会が欲しい」

 御玲みれいは、諦めない。拒絶色濃厚で、身体に風穴を開けられているが故に、生きることを諦めようとしているそぶりを見せていようと。

 お前など信じない。痛烈に容赦なく、唾でも吐き捨てるかのように言い捨てられようと。

 御玲みれいの意志は、変わらない。

「それで信じられないと言うのなら、また剣を交えましょう。暴閥ぼうばつらしく、弱肉強食の名の下に」

 御玲みれいは懐に手を突っ込み、一本の瓶を取り出す。サファイアを彷彿とさせる澄んだ青色。俺が余分に入れておいた回復系薬剤ポーション、それも傷を癒すタイプのやつだ。

 それを見て俺も、そして灰色フード野郎も、同じタイミングで目を見開く。御玲みれいは俺らになんぞ目も暮れず、灰色フード野郎に空いた風穴に、回復系薬剤ポーションを垂らす。

 灰色フード野郎から緊張が解ける。ゆったりと眠るように、眼を閉じた。

 崩れかけの壁から、橙色の光が差し込む。その光を浴びた俺は、今の時間帯がいつぐらいなのかを明確に把握した。

 当然、その橙色の光は俺だけじゃなく御玲みれいたちも優しく照らす。ただの光の加減だと思うが、灰色フード野郎が横たわる地面を覆う血だまりが、ほのかに明るく彩られたような気がした。

三舟みふね雅禍まさか水守すもり家当主``凍刹とうせつ``の名において提案します。この私、水守すもり御玲みれいに仕えてくれますか。もし了承の意を示すなら、この手を取りなさい」

 御玲みれいは、ゆっくりと手を差し伸べる。灰色フード野郎はゆっくりと身を起こし、眼を開いて御玲みれいを見上げた。

 少しばかりの逡巡。だがしかし、その瞳にさっきまでの淀みはない。夕日に照らされているからなのか、淀みそのものがただの見間違いだったのか。それとも―――。

 俺は柄から手を離し、緊張を解いた。灰色フード野郎―――いや三舟みふね雅禍まさかが、御玲みれいの手を取った姿を見届けて。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

底辺エンジニア、転生したら敵国側だった上に隠しボスのご令嬢にロックオンされる。~モブ×悪女のドール戦記~

阿澄飛鳥
SF
俺ことグレン・ハワードは転生者だ。 転生した先は俺がやっていたゲームの世界。 前世では機械エンジニアをやっていたので、こっちでも祝福の【情報解析】を駆使してゴーレムの技師をやっているモブである。 だがある日、工房に忍び込んできた女――セレスティアを問い詰めたところ、そいつはなんとゲームの隠しボスだった……! そんなとき、街が魔獣に襲撃される。 迫りくる魔獣、吹き飛ばされるゴーレム、絶体絶命のとき、俺は何とかセレスティアを助けようとする。 だが、俺はセレスティアに誘われ、少女の形をした魔導兵器、ドール【ペルラネラ】に乗ってしまった。 平民で魔法の才能がない俺が乗ったところでドールは動くはずがない。 だが、予想に反して【ペルラネラ】は起動する。 隠しボスとモブ――縁のないはずの男女二人は精神を一つにして【ペルラネラ】での戦いに挑む。

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

引きこもり転生エルフ、仕方なく旅に出る

Greis
ファンタジー
旧題:引きこもり転生エルフ、強制的に旅に出される ・2021/10/29 第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞 こちらの賞をアルファポリス様から頂く事が出来ました。 実家暮らし、25歳のぽっちゃり会社員の俺は、日ごろの不摂生がたたり、読書中に死亡。転生先は、剣と魔法の世界の一種族、エルフだ。一分一秒も無駄にできない前世に比べると、だいぶのんびりしている今世の生活の方が、自分に合っていた。次第に、兄や姉、友人などが、見分のために外に出ていくのを見送る俺を、心配しだす両親や師匠たち。そしてついに、(強制的に)旅に出ることになりました。 ※のんびり進むので、戦闘に関しては、話数が進んでからになりますので、ご注意ください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!

どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入! 舐めた奴らに、真実が牙を剥く! 何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ? しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない? 訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、 なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト! そして…わかってくる、この異世界の異常性。 出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。 主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。 相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。 ハーレム要素は、不明とします。 復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。 追記  2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。 8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。 2024/02/23 アルファポリスオンリーを解除しました。

俺だけ永久リジェネな件 〜パーティーを追放されたポーション生成師の俺、ポーションがぶ飲みで得た無限回復スキルを何故かみんなに狙われてます!〜

早見羽流
ファンタジー
ポーション生成師のリックは、回復魔法使いのアリシアがパーティーに加入したことで、役たたずだと追放されてしまう。 食い物に困って余ったポーションを飲みまくっていたら、気づくとHPが自動で回復する「リジェネレーション」というユニークスキルを発現した! しかし、そんな便利なスキルが放っておかれるわけもなく、はぐれ者の魔女、孤高の天才幼女、マッドサイエンティスト、魔女狩り集団、最強の仮面騎士、深窓の令嬢、王族、謎の巨乳魔術師、エルフetc、ヤバい奴らに狙われることに……。挙句の果てには人助けのために、危険な組織と対決することになって……? 「俺はただ平和に暮らしたいだけなんだぁぁぁぁぁ!!!」 そんなリックの叫びも虚しく、王国中を巻き込んだ動乱に巻き込まれていく。 無双あり、ざまぁあり、ハーレムあり、戦闘あり、友情も恋愛もありのドタバタファンタジー!

処理中です...