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乱世下威区編 上
宣戦布告
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朝。
暢気に欠伸を垂れ流しながら大広間に向かい、眠気の余韻に浸りながら御玲の朝飯をみんなで食い、もう飽きを通り越して呆れまで感じてきている任務消化作業を想像しながら出かけ支度のために体を鞭打ち、北支部へ転移する。
それがここ一ヶ月のモーニングルーティンだったのだが、弥平、御玲、久三男、そして澄連全員が険しい顔でテーブルに向き合っているのを見るや否や、眠気の余韻が一瞬にして消え失せる。
本当なら飯の一つでも食いたいくらいには腹が減っていたが、重役起床してきた身、阿呆なことを言える雰囲気じゃない。
「俺が寝てる間にそんなことがあったのか……」
久三男や弥平から改めて詳しい説明をしてもらった。
本来は今日、任務請負機関本部に俺たちの正体がバレていることについて、弥平を交えて話し合うつもりだったのだが、そうも言っていられない事態が、俺がグースカと眠りこけているときに起こったらしい。
時は遡ること、深夜二時頃。上威区方面から突然マッハ百で飛行する戦闘機が飛来し、その搭乗員と戦闘になった。
戦闘機は霊子力爆砕ユニット搭載型中・高高度地対空ミサイルとかいう戦略魔導兵器で撃墜したが、搭乗員は何故か生き残り、上空一万フィールから落下。二百六十機ものストリンパトロールとかいう警備ドローンのマナリオンレーザーの雨をも掻い潜り、その上位機種にあたるストリンアーミーのマナリオンレーザーすらも、どういうわけか回避して、流川本家領に侵入したという。
「ソイツは始末したのか?」
「最初はそのつもりだったんだけど、テスが嫌がってさ……捕獲して情報を引き出した方が良いかなって思ったし、地下牢に監禁しておいたよ」
事後になっちゃったけど弥平にも許可とった、と最後に一言を添える。弥平は首を縦に振った。
本来なら領地に侵入した奴なんぞ、機密保持の観点から問答無用で殺すべきなんだが、テスといえば久三男を管理者と認め、俺たちの仲間になった女アンドロイドだ。何故殺したがらないのかは分からないが、仲間が殺したくないと言っているなら、相手に害意がない限り監禁ぐらいがちょうど良いだろう。
なにより弥平が監禁することに合意している。つまり仲間云々とかいう感情を差し引いて、流川家としての対応も間違っていないってことになる。
「戦後処理は粗方終了したのですが、撃墜した戦闘機の出所を解析しましたところ、どうやら件の戦闘機は擬巖領より飛来したものだということが判明いたしました」
「……おい。それってつまり」
御玲の表情も険しくなる。俺だってそうだ。空気が一瞬で重くなる。久三男から目の光が消えたとき、全員の黒い視線が弥平に集まった。
暗黒の視線をその身に受けてなお、弥平は息一つ乱さない。変わらぬ表情と毅然とした態度で、この場にいる全員に言い放った。
「流川分家派当主として宣言させていただきます。これは擬巖家からの明確な宣戦布告である。と」
空気が凍りつく。今度は俺へと視線が集まる。
「決まってんだろ。売られた喧嘩は買う。それもクソ大量のチップ付きでな」
家が揺れた。思わず感情が昂ってちとばかし霊圧が漏れ出てしまった。
流川の家訓は戦争上等だ。相手が殺る気満々ってんなら、望み通りその気概に応えるまで。むしろ相手の気概以上の報復を受けてもらうことになる。とりあえず擬巖領を世界地図から跡形もなく消し去るのは決定事項といったところか。
意識を切り替えて今置かれている状況を振り返る。
まず俺たちは今、何故だか知らんが擬巖家から喧嘩を売られている状態だ。正直、擬巖家なんて関わったこともないし当主の顔すら記憶にないぐらいなんだが、戦闘機を送ってきたということは、俺らに対してなにかしらの敵意があると見て相違ない。
「覚えのねぇ奴から見当もつかねぇ喧嘩ふっかけられるとか、意味分かんねぇなぁ……」
「澄男様。我々の立場を鑑みれば、あり得ない話ではございません」
弥平が珍しく鋭い声音で反論してくる。
現状、諸勢力から見た流川家の評価は、当主が母さんから変わった今ほとんどが中立であり、一方的に信奉している勢力は数えるほどしかいないらしい。当然、敵対的な勢力もいくつかあり、当主が変わったことで流川家の打倒を目論む奴らも普通にいるという。
「へえ。ンじゃあ擬巖家も、俺らをぶっ潰してぇと思ってる勢力の一つってか」
弥平が厳かに首を縦に振る。
関わりもないし俺がソイツらの仲間を殺したわけでもなし、一方的に恨んで喧嘩ふっかけるなんざ御苦労なことだ。相手にどんな事情があるのか知らんが、降りかかる火の粉は払うまでのこと。戦争するってんなら容赦しない。潰すまでだ。
「しかしよ、擬巖の総力はどのぐれぇなんだ? 大陸八暴閥の一角だったよな確か……俺らとタメ張れるぐれぇ強ぇのか?」
俺はいつだって単刀直入。戦争をする上で彼我戦力の把握はなによりも重要である。
擬巖は大陸八暴閥の一角、家格で言えば御玲と同等の暴閥だったはずだ。
正直、花筏と裏鏡以外はロクに知らないというか単純に興味がなかったので、大陸八暴閥の一角だとか言われても正直強さのイメージがまるで湧いてこない。
強いなら強いで対策立てなきゃならんし、雑魚なら雑魚で久三男配下の直属魔生物を相応の戦力集めてブチこんで終わらせるだけの作業になる。
相手の強さでこっちが割く労力が天と地の差になるわけで、徒労な思いをしないためにも、雑魚に足元をすくわれないためにも、彼我戦力の事前把握はきっちりとこなしておきたい。
「擬巖の勢力は、ほとんどが中位暴閥を占めています。特に中威区東部にある暴閥自治区を支配する暴閥は、九割以上が擬巖の傘下ですね。総数は……まあ数千程度、一人当たりの全能度は当主クラスで三百後半から高くて四百ぐらいですか」
「えっと……つまり雑魚ってこと?」
「あくまで我々との戦力比に限るなら、烏合の衆かと」
弥平は久三男が魔改造したリビングの机からホログラムを起動し、色んな資料を見せてくれた。
結論を言うと、擬巖の勢力は俺ら流川から見て雑魚である。
滅ぼすだけなら俺らが出張るまでもなく、久三男配下の直属魔生物を転移強襲させるだけで、擬巖もろとも掃討可能らしい。擬巖の当主―――擬巖正宗の腹心は突出して強いようだが、それでも久三男配下の魔生物で物量戦をしかければ、数の暴力でミンチにできるのだそうだ。
リビングにいる全員が静まり返る。それは敵が雑魚で拍子抜けした、ってわけじゃなく、言い知れない違和感を皆が共有しているからだった。
「……なんか、不気味だな」
「慎重に立ち回る方が賢明かと」
弥平が真剣な面差しで、きっぱりと言い切ってくれる。
圧倒的戦力差があることを知りながら、どうして宣戦布告したのか。当主が余程馬鹿じゃなけりゃ彼我戦力の差は明白だし、今のままじゃ俺らの軍門に下りたいと叫びながら、盛大にスライディング土下座をブチかましているようなものでしかない。
それでも布告してきたってことは、今の状態でも俺らとタメ張れると考えての行動だろう。その考えがただの自信過剰による蛮勇からきたものなのか、それとも明確な戦力があってのことなのか。判断を誤れば足元をすくわれかねないところだ。
「擬巖の腹心が思いのほか強いとか?」
「三舟雅禍ですね? 確かに強いですが……我ら流川と単騎で渡り合えるほどの手札かと問われると、答えは否。でしょうか」
ホログラムから複数枚の資料を取り出し、三舟雅禍について懇切丁寧に説明してくれる。
三舟雅禍。擬巖家当主``裁辣``―――擬巖正宗の腹心。身長は御玲と同じくらいの女で、年齢も同じくらい。擬巖傘下の勢力を束ねる傑物であり、唯一擬巖の隣に立つことを許された、ただ一人の側近である。
弥平曰く、彼女が表立って戦闘行為を行った公式的な記録は存在しない。
ただし擬巖傘下の中位暴閥の当主、その全てが彼女に絶対服従を誓っており、今までで彼女に叛逆した当主は誰一人としていない。その事実が意味するところはすなわち、彼女が中位暴閥の当主全員を相手取ったとしても、その全てを滅ぼせるほどの猛者である―――ということだ。
「従来ならば、敵軍の動向や立ち位置、役職等から全能度を推定するのですが……久三男様の計らいにより、その必要がなくなっております」
「そうなの?」
「えっへん! ここからは僕の出番だね!」
腰に手を当て、鼻の下を伸ばしやがるクソ駄眼鏡野郎。いつもならその顔面にグーパンを叩きこみ、間抜けに伸びた鼻をバキバキにへし折ってやるところだが、最近のコイツは自分の能力を活かしまくっていてガチ有能なので、少しムカつく程度の態度は大目に見てやることにする。
「驚くなかれ、霊子コンピュータで完璧な全能度測定が可能になりました!! これで個人を特定さえできれば、相手の肉体能力や固有能力、各種耐性を丸裸にできるよ!!」
「つまりパソで相手のステが見れるようになったってわけか。でもそれ、任務請負証でできるくね?」
「失礼なッ。確かに全能度を測るだけなら任務請負証でできるけど、僕のは固有能力から各種耐性、属性適性まで全部詳細に見れるんだから任務請負証よりずっと精度は高いよ! 偽装や妨害のリスクも低いし!」
「そうなの?」
「霊子コンピュータの演算能力は物理法則を超越しているので、如何なる魔導師でも霊子コンピュータが詠唱する探知魔法を破れません。ヒトから外れた者でもない限り、妨害や偽装といった魔法的工作を施される可能性は皆無です」
弥平からの発言で、認識を改める。
物理法則を超えた演算能力。それはつまり、物理法則を嘲笑えるぐらいの人外のバケモンが相手でもない限りは、霊子コンピュータが有能すぎて妨害や偽装をやってこようとその全てを看破できるってことだ。
久三男が言ったからイマイチ現実味が感じられなくて胡散臭く聞こえてしまうのだが、弥平が太鼓判を押すなら印象は百八十度捻じ曲がる。
やっぱ俺の弟はやべえ。引きこもらせると勝手にヤバいものやヤバい技術をポンポン開発してきやがる。多分、まだ俺らに言ってないだけの何かが沢山あるんだろうが、確実に話が逸れるのであまりよいしょしないでおく。
「んで、その霊子コンピュータとやらで測定した結果は?」
久三男語りが始まる前に、そのフラグをへし折る。久三男は伸ばした鼻を元に戻し、あせあせしながらも複数のホログラムを立ち上げた。
「全能度は七百二十五。敏捷と回避以外の全項目は種族限界到達、敏捷と回避は限界突破してる」
「フィジカルはおよそ御玲並みか……強いな」
「敏捷と回避に重点をおいているあたりが、猛者ですね」
久三男が公開した肉体能力の数値に、御玲は苦虫を噛みしめる。
強いつってもそうでもないだろとタカを括っていたが、思いのほか強い。肉体能力だけで判断するなら単騎で国を堕とせる戦略級の手駒だ。御玲の言う通り、素早さと回避能力を伸ばしているあたりが、よりガチさを色濃くさせている。
流石は大陸八暴閥の当主の副官といったところ、御玲とタメ張れる奴なんざ、中々のツワモノをかこっていやがる。
「属性適性は闇。属性耐性は貧弱だけど……闇属性系だけは無効みたい」
「ふーん……ならあんまり関係ねぇな。俺は火だし、御玲は氷だし」
「ははは。私は闇ですよ? 一応」
「アンタは属性耐性とか関係ないだろどうせ……」
作り笑いを浮かべながら、戯言を抜かしやがるあくのだいまおう。寝言は寝て言ってくれと付け加えたくなる衝動を、喉奥に無理矢理押し戻す。
確かにあくのだいまおうは前衛ってタイプじゃないし、全身をどこからどう見ても闇属性適性持ちってイメージしかないけど、彼の場合、属性耐性とか鼻歌謳いながら無視する絵面しか思い浮かばない。
本人がどう思っているのか知らないけど、聞いたら「属性耐性? 無視する方法なんていくらでもありますよははは」とか言って得意げに語ってきそうである。
聞いてもどうせ理解できないし、つつくまえから蛇が出てくるのが分かっている藪に近づく必要はない。
「後は……高い暗視能力と長期間の水中活動能力、寒冷地環境で生存可能な耐寒性能と低湿環境下での脱水耐性、それと高い化学毒耐性……だね」
「要するに暗い所を認識できて、水ン中ずっと潜ってられて、クソ寒い場所とか喉が渇きやすい場所とか平気で、毒盛られてもケロッとしてるってわけか……ホントに人間かコイツ?」
「地形効果の影響をなるべく受けずに戦い続けられるのは、強者の域に達している証といえましょう」
素朴な疑問に駆られる俺をよそに、弥平はいつだって冷静だ。
強者の域っていうか、普通にバケモンじゃないかと思うのは俺だけだろうか。俺としては水の中にずっと潜っていられて、クソ寒い所で長時間動けるってだけでもバケモノ地味ていると思ってしまうが、単に寒い所が無理でなおかつ泳げないからだろうか。
「何言ってんの? 兄さんなんて体が砕かれても再生する不死性、夜だろうと何だろうと関係なく昼同然に見える暗視能力、あらゆる爆発を無効化する耐爆性、そこそこの脱水耐性、霊子乱流を無効化できる高い霊力環境耐性、霊力炉心による高い霊力吸収能力、極高温環境に耐えられるトチ狂った耐熱性。そしてよほどのことがない限り効かない化学毒、魔法毒、呪詛耐性……」
「へー……俺ってそんなに耐性あったんだ……全然知らなかった」
「そういうところを含めて、兄さんはバケモノなんだよなあ……」
実の弟にクソデカため息吐き散らかされながら、バケモノ呼ばわりされるのは心に刺さる。
自分の耐性とか、久三男みたいな変態野郎でもない限り知る機会がないので、知らないのは無理もないと思う。ぶっちゃけ、言葉で列挙されても不死性と熱さの耐性以外実感がないし。
「とにかく。確かにこの程度では、私たち全員を相手取って勝てる駒か? と問われると、無理ですね……」
御玲さんは話が逸れそうになると軸を戻してくれるから頼もしい。
御玲の言う通り、コイツは強い。肉体能力は御玲とほぼ互角、各種耐性もそれなりに高く、人間かどうか疑わしい程度には頑丈な肉体を持っていやがる。対人戦だったなら、技量次第で脅威度は未知数に跳ね上がっていたことだろう。油断できない敵なのは確かだ。
が。突出して強いわけじゃない。
肉体能力は御玲と同等といっても、要は人間の種族限界に達しているってだけの話で、結局久三男配下の直属魔生物の方が全然強いし、属性耐性や各種耐性だって魔生物が余裕で上回っているだろう。
何故なら魔生物は、冗談抜きのガチ人外だからである。
種族的に人間じゃないのだから、人間の種族限界に達しているかどうかなんて全くの無意味だ。もはや有って無いような強みと言っていい。
とどのつまり、人外の暴力でブチのめせば一瞬で溶けてなくせる。その程度の存在というわけだ。
「となると、数を揃えた……とかか? 自分の傘下だけじゃなくて、他の勢力を囲ったとか」
ない知恵をこねくり回し、捻り出す。
圧倒的な個人が手札にないなら、残された選択肢は単純に頭数を揃えることぐらいだ。それもそこらの中位暴閥やギャングスターといった雑魚の掃き溜めじゃなく、それなりに戦力になりうる勢力をなんらかの手段で味方につけて、自分の傘下と込みで連合軍を結成したとかである。
数を揃えたところで俺らに勝てるだけの連合をそう簡単に組めるとは思えないが、俺は武市全体の諸勢力なんて任務請負機関ぐらいしか把握していないので、もしかしたらそれなりの勢力もいるかもしれない。擬巖は大陸八暴閥の一角だし、報酬とか取引、利害の一致とかで肩を組む絵面が頭に浮かんでくる。
「おそらくですが、それは行おうとして頓挫しているかと」
「なんでそんなこと分かるんだ?」
「澄男様方は対応されたはずです。東支部と西支部の防衛に」
「……え? いやまあ確かに駆り出されはしたけど……アレが!?」
驚く俺をよそに、弥平の冷静沈着な語りが驚愕で蓄積した熱を逃がす。
弥平曰く。擬巖はおそらく、当初の予定では俺ら流川をブチのめせるだけの戦力を整えて、兵站や備蓄を万全な状態にして、士気を高めてから正々堂々と宣戦布告するつもりだった。
俺たちは強大だ。なんたって並の戦力じゃ戦いが成立しない。総力戦なら俺が本家領から出張るまでもなく、敵中枢に久三男配下の魔生物を転移強襲させるだけで大半の勢力は再帰不可能なまでに壊滅に追い込めてしまう。
肉体能力の暴力だけで国を落とせる魔生物を空間転移魔法で強襲される。敵からしたら絶望だろう。たった一体でも破滅的被害をもたらす災害のような化け物が、どこからともなく自陣の中枢から湧いて出てくるのだから、立て直しもロクにできたもんじゃあない。
そうでなくとも、久三男が開発した破壊兵器たちもある。アイツならミサイルの一つや二つ、爆撃機や戦車ぐらい大量に持っているだろうし、それら全てを久三男パワーで遠隔操作すればそれだけで事足りる。
つまり、総力戦だと俺らが使える手札が多すぎて、単純に頭数を揃えただけじゃロクな抵抗もできず壊滅するのが目に見えているのである。
そこで擬巖は、自分の傘下とする勢力の他に、武市全域から有用な勢力を味方につけようとした。
当然手段は問わない。報酬、取引、交渉、制圧。あらゆる手段で使って味方を増やし、団結して俺らをぶっ倒そうと画策する。
それで目をつけたのが、任務請負機関。俺たちが今お忍びで活動している、武市の一大勢力だった。
任務請負機関は大陸八暴閥には及ばないものの、武市の秩序を司るほどの大勢力を誇っており、もしも任務請負機関を味方につけることができたなら、大幅な戦力向上が見込める。社会的に格上の擬巖にとっては、なんとしても味方につけたい勢力の代表ってわけだ。
しかし、そうは問屋が卸さない。なんとしても味方につけたいなんてのは、あくまで擬巖の都合である。
任務請負機関からしたら、擬巖の味方になるメリットがまるでない。恨みも何もないのに、俺らと敵対する理由がないからだ。
そうなると擬巖にとって任務請負機関は、もはや邪魔な存在でしかない。
秩序を掲げる勢力である以上、無視したとしても派手に勢力の乱獲行為を行えば妨害してくる可能性もある。そうなるくらいなら、自分の手札を使って任務請負機関を武力制圧し、強制的に従わせた方がいいって考えになる。
いくらメリットがなかろうと戦いに負けたなら、負けた奴は勝った奴の言いなりだ。任務請負機関からの降伏を受け入れる条件として、連合軍の一翼を担い流川と戦えみたいな無理難題を吹っかけるつもりだったのだろう。
その計画の片鱗が、東と西―――二つの支部の侵略だった。
「東支部侵略を目論んだ凪上家、並びに徴兵に参加した中位暴閥は全て擬巖の傘下勢力であったこと。その翌日に執り行われた西支部防衛戦の際、御玲とレク・ホーランが二人がかりでも倒せなかった強者の出現。これらが以上の推理の状況及び物的証拠でしょうか」
長々と話してくれた影響か、茶碗を片手に運び、少し茶を口に含む。
東支部の戦いでクソ間抜けを晒していた当主が擬巖の傘下ってんなら、あのとき猫耳パーカーと一緒にブチのめした刺客は、擬巖家直属の配下だったってことになる。
正直、あのとき叩きのめした奴らは明らかに中位暴閥なんかよりも強かった。おそらく俺や猫耳パーカーじゃなきゃ勝てた試しがなかったと思う。例の間抜け当主は俺と猫耳パーカーに倒された手駒を使い、自分の戦果を確実なものにするつもりだったのだろう。
「そんで、西支部防衛戦のときに出張ってきた強者ってのは……」
「三舟雅禍本人だよ」
さっきまで黙っていた久三男が、突然断言してきて思考が散る。なんで分かるんだと疑問をブチ投げるよりも速く、久三男は御玲を指差した。
「兄さんが寝てた間、僕と弥平は御玲から粗方事情を説明してもらったんだけど、そのときに西支部防衛戦で出てきたっていう強者の話もあったんだ。だから霊子コンピュータで人物を特定してみたの」
「いや……うん。えっと……それは確かなんだろうな?」
もう今更、「そんな真似できるのか?」って聞くのは野暮だ。久三男ができるって言っているのなら、できるのだろう。ただ当主として兄として、それが確かなものなのかだけはきちんとしておく必要がある。なにせ、俺には全く理解できない分野の話だし。
「もちろん。御玲の記憶を取り込みして、世界情報解析をかけたから。精度は保証するよ」
「……セカイ……ジョーホー……カイセキ……?」
「あ。ああ、あー……えっとね……」
弥平が翻訳をいれようとしたところを、久三男が遮る。流石に任せっきりは悪いと思ってきたのか、その努力は認めてやろう。
世界情報解析。霊子コンピュータで初めて可能になる、世界情報全書とかいう情報集積体と照らし合わせることで対象を調べ上げる世界系の独自解析魔法だ。
そもそも世界情報全書とは何なのか。世界情報全書とは、その世界に関する全ての事柄が記された、いわば情報の塊。その世界を世界たらしめるために存在する巨大なデータの集合体のようなものらしい。
世界情報全書は書と読むが、本として存在しているわけじゃない。そもそも物質ですらないので、大半の連中は察知することすら不可能である。世界に関する情報そのものだから、察知しようと思うとそのための魔法が必要になる。
だが、世界情報全書が抱える情報は莫大だ。そりゃあその世界が何たるか、って情報の塊なんだから、人間の寿命がいくらあっても足りない、えげつない物量を誇っていることくらいアホな俺でも想像がつく。
そこでやはり登場するのが、人智を超えた処理能力と処理速度を誇る霊子コンピュータだ。
「御玲の海馬と霊子コンピュータを霊子通信回路で繋ぎ、記憶を取り込んで御玲が見て感じた人物と合致する生命体がいないかを、世界情報全書に検索をかけてみたんだ」
「うん……色々言いたい事はあるがほとんどスルーとして、検索した結果、三舟雅禍がヒットしたってわけだな?」
そうそう、と意気揚々と頷く。
御玲の頭と霊子コンピュータを繋いで、記憶を取り込んでってところがものすごく気になるけど、世界情報全書とかいう俺の想像力じゃクソデカくてクソ分厚い本ぐらいしか思えないソレから、三舟雅禍って生き物だけを探し当てられる霊子コンピュータなら、人の記憶を読み取るぐらいガキの遊び程度のことなんだろうなと勝手に納得してしまえる自分がいて、もはや聞く気も失せてしまう。
「世界情報解析によって導き出された事柄は、相手が世界系魔法を使って個人情報を偽装していない限り、その精度は如何なる手法の魔法探査精度を上回ります。御玲さんたちを襲った人物は、三舟雅禍で間違いはないでしょう」
弥平が補足するかと思いきや、意外や意外。あくのだいまおうが背を押してくれる。パオングも無言で頷いているあたり、久三男が調べてくれた結果をこれ以上疑うことに意味はなさそうだ。
「しかし……あの者が三舟雅禍だとするなら、不自然な点がいくらか散見されますね……」
久三男の解析結果に異論を唱えているわけじゃない。だが怪訝な表情を顔に描く弥平に、俺と御玲、そして久三男の興味関心が集中する。
「第一に、三舟雅禍と御玲たちが交戦するきっかけとなったのが、西支部の地下シェルターから西支部請負人が逃げてきたから、でしたよね?」
「はい。その者がシェルター内で請負人たちを襲っていると叫び、私たちはシェルターの中へ向かったのです」
「三舟雅禍が西支部の地下シェルターに姿を現したのは澄男様の懐から盗んだ転移用の技能球によるものだとして、何故彼女は西支部請負人を一人取り逃がすような真似をしたのでしょうね」
「そりゃあ……単純に人数が多すぎて捌けなかったってだけじゃね……?」
「御玲とレク・ホーラン、ハイゼンベルク。これだけの戦力を同時に相手取れるほどの者が、ですか?」
そう言われ、俺たちの間に言い知れない違和感が一気に漂い始める。
西支部監督官のチャラ男の周りをちょろちょろしていた自称精霊は知らんが、御玲や金髪野郎は単騎でも決して弱くない。むしろ肉体能力だけなら種族限界到達しているほどの強者、相手が人間ならまず後れを取ることはないと言っていい戦力だ。
しかし結果は戦線をギリギリのところで維持するのがやっと。誰かがほんの少しでもミスれば、一気に戦線が崩壊して全滅していたかもしれないほどに、御玲陣営はかなり追い詰められていた。
実際、奴を一蹴したのは百代だった。百代が間に合わなかったとしたら御玲たちはどうなっていたか。想像したくない。
御玲と金髪野郎。人間からしたらたった一人でも国を堕とせるフィジカルオバケな奴らを二人同時に相手して善戦してのけた奴が、雑魚一人取り逃がす凡ミスを犯すだろうか。
「御玲、もしもあのときその西支部請負人が命からがら逃げ延びてこなかったら、お前らは三舟雅禍の存在を悟れたのか?」
同じく違和感に苛まれていたであろう御玲に、疑問と一緒に視線も投げる。それに気づいた御玲は、考えるそぶりを見せることもなく即座に首を左右に振った。
「地下シェルターは堅牢な魔導複合装甲扉で閉ざされており、中からの音や気配は完全に遮断されておりました。逃げ延びた者がいなければ、西支部請負人は確実に全滅していたかと」
漂っていた違和感は濃度を増し、粘り気を含んで夏場の湿気の如く体にまとわりついてくる。
フード野郎がやった真似は、俺たちの十八番である転移強襲だ。
転移強襲の強みは侵攻という行為をすっ飛ばして、敵軍中枢を直接叩けること。簡単に言い直すと兵士と戦って戦場を突き進むという段階をすっ飛ばして、将軍とか王とか当主といった敵軍の頭を直接ぶっ殺せることにある。
いくら駒が強かろうと頭を取られたら、取られた方の負けだ。立て直しもクソもなく、頭を取られた勢力に残された選択肢は、無条件降伏以外に道はない。
ここで違和感がどうしても拭えないのが、いわばいつでも頭を討ち取れる状況を創り出しておきながら、頭の近くにいた駒を逃がし、強い駒が応援に駆けつける隙を作ってしまっている点である。
そんな真似を許してしまったら敵に立て直しの機会を与えてしまっているようなもので、転移強襲の優位性はたちまち失われる。俺から技能球を盗んだのは何だったのかってなってしまうわけだ。
御玲と金髪野郎相手に善戦できて、百代じゃなきゃ一蹴できなかったぐらいに強い奴なら、ただ力だけが強い木偶ってわけじゃないだろう。転移強襲の優位性ぐらい理解しているはずだ。
「これだとまるで``殺してくれ``って言ってるようなもんだよな……」
「戦った感じ、殺意しかありませんでしたけど……?」
俺の推測に、御玲は思わず苦笑い。俺はまあ、きちんとタイマン張ったわけじゃないからそこらへんは共感しづらいが、複数対一でボコって圧し負けた御玲たちからしたら、俺の推測の方が納得しづらいのも頷ける。
「となると……存外脅威ではないかもしれませんね」
弥平が独り言のように呟くと、全員が反応する。視線と気配に気づいて一回咳ばらいを挟むと、詳しく説明し直してくれた。
俺は言った。これだとまるで``殺してくれ``って言ってるようなもんだと。それはあながち間違いでもないらしい。
三舟雅禍は強者だ。流川そのものを覆せるほどではないが、御玲や金髪野郎といった戦術級に匹敵する強者を二人同時に相手取って善戦できる実力を持っている。
そんな強い奴が雑魚一人取り逃がす凡ミスを犯した理由。推測としては、三舟雅禍が擬巖を裏切ろうとしている、である。
「でも殺意マシマシって、さっき御玲が言ってたぞ?」
「曲がりなりにも主ですからね。当主の副官にまで上り詰めた傑物ならば、なんらかの理由で裏切りたくても中々決断はできないでしょう」
そういうもんだろうか。俺は誰かの下についたことなんざないから、そこらへんはよく分からない感覚だ。
「久三男様が調べて下さった三舟雅禍の個人情報では、出身地が下威区だったようですし、擬巖で積んだキャリアは自身の存在価値だったのかもしれません」
ホログラムに映った武市の世界地図で、下威区と書かれた場所をぼうっと眺める。
下威区、弥平や久三男が言っていた。実力・成果主義の武市、力の強さで社会的地位が決まるこの国で、何の成果も実力も培えなかった者が最後に辿り着く、武市の果ての地。俺たちからすれば、一生関わることのないはずだった場所。
だからこそ、興味がなかった。知ったところで関りがないのなら、知るだけ無駄だからだ。
でも下威区で生まれた奴らにとって、天上の存在である暴閥に才能を見出されるってのは、どれほど意義があることだろうか。果ての地から抜け出し、雇われの身とはいえ人として生きられるのなら、これ以上の喜びはないのだろうか。
たとえその道が、外道だったとしても。
「所詮は副官。裏切れば始末されるだけ、か」
従っても闇、裏切れば死。そうなると、迷った末に戦ったって感じなのか。葛藤しながらでも御玲と金髪野郎を同時に相手取れるのは大した実力だが、確かに迷いがあるのなら、付け入る隙はありそうだ。
「迷いとは、自ずと刃を鈍らせる。相手が達人であるほど効果は期待できませんが、それでも隙を晒しやすくなるのは確かです。仮に倒せなかったとしても、擬巖を良く思っていないのなら、擬巖正宗を倒してしまえば戦意も喪失するでしょう」
つまり、どっちにしろ擬巖をぶっ殺した方が速いってことになるのか。
よくよく考えてみれば副官如きに俺が戦う意味がないし、誰かに時間稼ぎしてもらって俺がサクッとぶっ飛ばしてしまえば済む話である。
「どっちにしろ三舟雅禍はあんまり脅威じゃねぇ。そんで俺や金髪野郎たちが各支部の防衛任務を成功させたことで、擬巖の目論見も計らずだが潰してる……結局擬巖が俺らに勝てると思ってるのはなんでなんだ?」
俺の疑問に、全員が沈黙する。
東と西の防衛は成功したことで、相手の目論見は潰している。東と西を潰せば東部都市と西部都市にある勢力を一気に味方につけることができ、一人一人の質はともかく数だけなら途方もない物量になっていただろう。
まあ物量ごときで俺らを陥落させるなんぞ舐められたものだが、物量戦を仕掛けられていた場合、俺らもそれなりの戦力を投入する必要があり、中威区が悲惨なことになっていたと思う。そうせずに済んだあたり、東と西の計略を図らずとも潰せたのは僥倖だった。
「味方を増やす目論見は潰えたが、三舟雅禍は我々を脅かせるほどの手札ではない。その中での宣戦布告……目論見が潰えた以上、数を揃えるのはそう簡単ではないはず。ならば残された可能性は一つに絞られる」
「東と西の駒を補えるだけの切り札、ねぇ……」
筋肉だらけの脳味噌を掻き回してみるが、所詮は筋肉だ。コンピュータとは縁遠い。
自惚れだとか傲慢だとか思われそうだが、正直俺たちを脅かせるほどの奴が、そう簡単に手に入るとは思えない。
仮に、一億歩譲って百代や裏鏡みたいな規格外が他にいたとして、そんな奴が味方につくだろうか。
百代や裏鏡は確実に格上の存在だ。俺たちが束になっても勝てないような奴らが、格下の奴らに従うとは思えない。なにかしらの約束があって協力している可能性もなくはないから完全に捨てきれない話ではあるが、そもそも俺らじゃどうしようもないような奴が、普通にのさばってられるのかという疑問もある。
なんにせよ、それほどの切り札を持っているなら結構な脅威だが、逆に言えば切り札で一発逆転しようとしているってことが分かるのだから、どさくさ紛れに切られるよりかは、かなりマシである。やはり、東と西の侵略を食い止められたのがかなり大きく打撃を与えられているようだ。
「これ以上考えても仕方ねぇな。弥平、擬巖家の領地は分かるな?」
「……え? ええ、上威区東部です。空間座標も控えています」
「ならまず転移強襲でカタをつけよう。久三男、転移強襲用の魔生物隊を編成しろ」
「数は最低限、だね?」
「量より質だ。たくさんいても邪魔だからな」
本来なら速攻で俺らが直々にカチコミ仕掛けたいところだが、相手はそこらの暴閥とは規模が違う。流石に舐めプするわけにはいかない。
敵戦力は久三男と弥平が把握しているだろうから、まずは向こうの数を減らす。俺たちが相手するのは、あくまで擬巖家の親玉だけ。他は邪魔だから久三男配下の魔生物たちに対処させる。
「……澄男様、捕虜の尋問に参加してくださいませんか」
方針をそれぞれに言い渡す間、どこか思考の海を遠泳していた弥平が、俺へ真剣な面差しを向けてくる。
脈絡がなくて正直間抜け声で問い返しそうになったが、弥平がまた真剣な顔をしているので、俺も気を引き締める。
「捕えられたとはいえ、あの者は本家領の警備網を生き延びております。擬巖領からやってきたあたり、並々ならぬ事情も抱えておりましょう。擬巖を討つ駒として大いに価値があるかと」
「……それは俺が直で出張るだけの価値があるってことかよ」
弥平は静かに頷く。
本来、本家の当主たる俺が捕虜相手に出張る真似はしない。第一にその必要がないのと、捕虜だからと油断して首を狙われかねないからである。
相手は堂々と俺の領地に侵入してきているのだから、敵対意志を持っている場合がほとんど。それが自明な相手に無策で出張れば予想外の損害を被る可能性は大いにある。そのため今回のように捕虜が出たときは弥平か変声機を使った久三男が相手するのだが、弥平が真剣な顔と声音で言ってくるってことは、本来の前提を覆してでもあまりある価値があるってことだろう。
真剣な弥平から得られるのは為になることしかないので乗らない手はない。
「しかし……危険では。牢に繋ぎとめ、記憶を消して放逐した方が無難だと思いますが」
御玲は相変わらず保守的な姿勢を崩さない。俺をイラつかせないように声音とかに気を遣っている。
昔の俺なら鬱陶しがっていただろうが、仲間という大事なものを抱える今の俺にとっては、保守的な考え方だって捨てがたい。実際、御玲の意見が最も真っ当で最適ではあるし。
「通常であれば、そうするべきでしょう。しかし、久三男様が設定した本家領の警備網の中を生き延びるというのは並大抵の実力ではありません。擬巖家と関わりがある以上、記憶を消したとしても放逐するのは危険です」
弥平の態度は尚も毅然としている。
「僕からも一つ。それだけの実力者の記憶を操作すると、記憶操作がバレた場合、話し合いの余地なく敵対される。僕としても無駄な敵対分子を野に放つべきじゃないと思う」
黙って聞いていた久三男が、専門分野の話になったと思ったのか、弥平側に立って援護射撃し始めた。
久三男曰く記憶操作は武力統一大戦時代より主に久三男含めラボターミナルに従事する歴代の専属技工士が行ってきたもはや流川の伝統技能らしいのだが、記憶操作のリスクとして記憶操作がバレた場合は確実に相手の恨みを買うことが挙げられる。
記憶を操作するのだから、記憶を弄られた本人はそもそも気づきようなくねと思いがちだが、記憶操作は実際のところかなり慎重にならないといけない処置らしい。
「記憶操作って、ただ記憶を消せばいいわけじゃないんだ。本来覚えているはずのことを思い出せなくするわけだから、周囲の環境との矛盾が生じて綻びが出てくるんだよね」
「ですので記憶操作の際は相手側が抱く認識齟齬の要素を可能な限り排するため、巧妙に偽りの記憶を与える必要があるのです。何者かに記憶を操作されたと自覚したとき、その者が抱く感情など想像に難くありませんから」
弥平からの補足もあり、お頭の出来の悪い俺でもふわっとだが理解できてきた。
そりゃあ覚えているはずのことをまるっきり忘れていたら、ソイツは忘れたことを思い出すため~とかいって記憶探しの旅とかに出そうだ。ソイツの周囲に馴染みのある仲間がいたら尚更だろう。
俺だって仲間が記憶喪失になったらその記憶を全力で探しだすだろうし、記憶弄った奴はのうのうと生きていることを後悔させる。考えることは皆同じだということだ。
「しかし、味方に引き入れるというのは……」
弥平と久三男に理詰めされ勢いが削がれるも、食い下がる姿勢を崩さない。
御玲の警戒はもっともだ。俺としても敵に回したくないが、仲間にするつもりはない。擬巖をぶっ倒す最中に敵対されると面倒なので、そのリスクを少しでも減らしたいだけだ。相手が何故俺の領地に侵入してきたかは本当のところなど知る由もないが、そこらの事情は本人から聞き出せば確実な情報が手に入るだろう。ここで邪推しまくってても進む話じゃない。
「んじゃ弥平、捕虜の所に案内してくれ。久三男は強襲部隊の編成、御玲は出撃準備を頼む」
「あの、オレらは?」
「お前らは別命があるまで待機だ」
終始沈黙していた澄連トリオとミキティウスだったが、流石に何もなしはむず痒いとでも思ったのだろう。
コイツらは戦闘が始まったらテキトーに敵地で暴れてもらう予定だ。コイツらの運用方法はそのわけのわからなさで敵陣を撹乱するのに向いているし、適任だろう。
「あくのだいまおうとパオングも待機だ。アンタらは一応、切り札だし」
「ほう。私がですか。いやはや、私は何でも知っているだけなのですがね」
「パァオング! 我も魔法が使えるだけの神ぞ?」
「それ、皮肉しか聞こねぇぞ……」
俺含め、居間にいた全員が苦笑いを浮かべるが、二人はどこ吹く風。暗澹とした雰囲気そのままに、独特なペースで周囲を掌握していく。
彼らはたった一人で全てをひっくり返せるだけの力を持っている。出張らせれば俺たちに負けはないだろうが、あくのだいまおうを動かすには、その働きに見合うだけの対価を支払う必要がある。
あくのだいまおうに任せれば擬巖家を跡形もなく消すことも簡単だろうが、それだけのことを成すのに俺たちはどれだけのものを彼に支払えばいいのか想像もつかない。正直、あくのだいまおうやパオングが出張るような事態に陥らないように立ち回るのが前提になる。
「んじゃ行ってくる。弥平、頼むわ」
はい、と弥平の返事を合図に全員が動き出す。俺は弥平の背をついていき、居間にあるエレベータに乗る。
いつもはあくのだいまおうとパオング、そして久三男の部屋がある地下へのエレベータであり、俺は滅多なことじゃ使わない。最近だと久三男が百代の反撃を受けて気絶させられたとき以来になる。
「澄男様、捕虜は地下二階に幽閉しております。抵抗される可能性がありましたので四肢を拘束していますが、現状会話は可能な状態に回復しているようです」
エレベータ内で簡単に捕虜の状態をまとめてくれる弥平に、無言で頷く。
今回捕らえた相手は曲がりなりにも久三男の警備網を生き延びた存在。並大抵の実力者なら瞬殺されるような防犯機構とそれなりに渡り合える奴なのだから、扱いは捕虜時代の澄連とは雲泥の差だ。
まあアイツらは元々敵意とかもなく、むしろ友好的だったってのもあるのだが。
「……なあ、弥平」
俺に声をかけられ、ほんの少し身を震わせる。まるで集中してのめり込んでいるところを、急に背後から肩を叩かれたのような、そんな震え。
地下奥深くへ潜るエレベータの駆動音が、ほんの一瞬鳴りを潜める。
「何かあるなら、話してみろよ」
直感だ。特にこれといった根拠はない。
俺が各々に役割を振り分ける辺りから、弥平は何か考え事に囚われているように思えていた。まあ弥平のことだから考え事をしながらでも話の内容をきちんと記憶しているのだろうが、それでもあの弥平が上の空になるほどのことは、仲間とかそういうのを差し引いても、本家の当主として気にしないわけにはいかないのである。
「……確証のない、大変妥当性の低い推測でしたので、混乱を招かぬよう伏せておいたのですが……お聞きになりますか」
「……聞こうじゃねぇか」
弥平ですら言い淀む、妥当性の低い推測とやら。聞くのが少し怖いが、弥平が考えることは、当主として家長として、仲間を守る者として、たとえどれだけ怖くても耳に入れておく必要がある。
弥平は徐に、その重たそうな口を開く。その内容は―――。
【地下二階です】
そういえば、地下二階に来るのは何気に初めてだ。
そもそも地下フロアに来ること自体滅多にないし、行くとしても久三男の部屋に用事で行くくらいだったから、少し緊張する。自分の家なのに初めて行くって、改めて考えると少しマズイ気がしてきたが、広い家を持っている奴なら知らない、行ったことない部屋の一つや二つあるだろう、うん。きっとそうだ。そうと信じよう。
「澄男様、こちらが捕虜です」
「ん? ああ、おう」
などとクソ暢気なことを考えていたら目的地に着いてしまった。
捕虜とかを幽閉しておくためだけに存在する地下二階なだけあって、部屋という部屋は全て牢屋だ。というか牢屋しか存在しない。フロア全体も久三男の部屋とかがある地下一階よりも更に薄暗く、電気がついているのにあまり明るく感じない。ついこの前、澄連の部屋を割り当てるために家全体を大掃除したのでカビとか埃とかはあんまりないが、それでも薄暗さのせいか、汚い印象を受けてしまう。
地下牢のフロアに来ることなどないので、地下牢だらけの場所ってのは少し新鮮だ。牢にぶち込まれたいかと問われれば断じて否だが。
「キッシ。流川にも看守なんているんだな。ご苦労なことだ」
初めて来た場所だったのでしばらく周りを眺めていたら、青年臭い声音に鼓膜を撫でられる。そこでようやく俺は牢にぶち込まれたその捕虜の全貌を視界に入れた。
「……ん? でもさっき様付けしてたよな? つーことは結構上の立場だったりするのか? おいおい、処刑とか勘弁してくれ。俺はまだ生きていたいんだ」
弥平からは四肢を拘束してあると聞いていたが、実際見ると全身を簀巻きにされていた。
首元から踵の部分まで灰色のテープみたいなもので縛られており、四肢はおろか胴体を動かすこともままならない。側から見ればクソデカいミノムシだ。
専用の器具で直立に固定されており、物理的に横にもなれないあたり、俺が想定していた以上の拘束具合で息とともに唾も飲み込みそうになるが、流川の当主として舐められるわけにはいかない。圧殺して粉砕する。
「勝手に喋るな。まだ話す許可は出していない」
いつもの弥平と声音と口調が違いすぎて、流石に目が飛び出そうになった。
今思えば敬語かつ穏やかな声音で話しているところしか見たことがなかったから、タメ口かつ威圧的な声音で話す弥平はイメージと違いすぎてギャップが凄まじい。
まあ常日頃から密偵とかの任務に就いているし、いつもの穏やかな声音の方が素とは思えないから、いつか腹を割って話す機会を設けるべきかもしれない。有能すぎてあまり気にかけてなかったが、御玲ばかり気にするのも良くないだろうし。
「お前がやるべきことは一つ。この方の質問に答える。ただそれだけだ。不必要な言動が目立つ場合、しかるべき処置を講じる。心せよ」
ようやくここで俺にスポットライトが当たる。
初めて地下牢のフロアに来て居心地悪そうだけど新鮮だなぁとか、いつもの弥平と雰囲気も口調も声音違いすぎて仲間のギャップにクソ驚きそうになったとか、そんなことを悟られると流石に舐められるので、とりあえずクソ真面目な顔をしておく。
捕虜の相手とか何気に初めてだが、舐められないように立ち回るのは常日頃からやってきたこと。問題ない、多分。
「んじゃ一つ目。お前、何が目的で俺の領土に侵入したんだ?」
「俺の領土? もしかしてアンタが流川本家の当主なのか?」
「そうだ」
「キシシ。意外と若いんだな」
「ンなことどうでもいい。なんで俺の領土に侵入した? 時と場合によってはお前をここで始末しなきゃならんくなるんだが?」
ふざけているのか、捕らえられて逆に開き直っているのか。コイツの意図は分からないが、少なからず真面目に取り合う気がない印象だけは感じられる。
本来なら八つ裂きにしてやるところだが、ここでカチキレても相手のペースにのまれるだけだ。堪忍袋の耐久力に自信は皆無だが、弥平がせっかく作った機会、やれるだけのことはやらなければ。
「……分かんねーな」
とぐろを巻いた黒い瞳が俺を射抜く。冷たいような熱いような、身体の神経がおかしくなる不快感に少し目尻にしわが寄ってしまう。
相手はそれを見逃さなかったのか。それとも、だからこそ見透かしたのか。口角を吊り上げ、不気味に白い歯を剝きだした。
「キシシ……どうにも腑に落ちねーんだよ。アンタらが流川だってんなら、力づくで聞き出せば済む話じゃねーか」
「じゃあ今ここで八つ裂きにしたら洗いざらい話すってのか?」
「キッシ、勘弁してくれ。流石の俺でも生き延びられる自信がないね」
「ンじゃあとっとと吐けよ。言っとくが、だんまりしてる限りこの地下牢が家になるぞ」
相手の顔が少し真面目になった。俺や弥平は、その変化を見逃さない。
「……アンタらは、俺が擬巖からの間者だとは思わねーのか?」
「それはねぇだろうよ」
さっきまでのふざけた態度から一変、少し弱々しい声音になった相手を、ばっさりと一刀両断する。相手は顔を上げた。
「まず間者だったとしたら、お前は生きちゃいねぇだろ。いや、生きる必要がない……が正しいか」
地下牢の霊灯も相まって、相手から放たれる双眸が際立つ。
前髪に隠れがちではあるが、その瞳は闇に塗り潰されていて、おどろおどろしくとぐろを巻く様は、不思議と俺の注意を引きつける。
「要は宣戦布告さえできたらいいわけで、擬巖からしたらお前みたいなのは捨て駒以上の価値はない。俺らの領地に踏み込んでおいて無事に帰ってくるなんざ期待してるわけねぇし、擬巖の下っ端だったなら包囲網を掻い潜って意地汚く足掻いたりしねぇだろうよ」
「……どうだろうな? どんな生き物も、生きようとする本能ってのがあるはずだぜ?」
「そういう舐めた口叩ける時点で暴閥の下っ端じゃあねぇんだよなぁ……それも俺の領地に下手なオモチャ持って土足で踏み込んどいてさ」
ちょくちょく煽ってくるような、皮肉っているような雰囲気が、ますます下っ端という印象から乖離させてくれる。
暴閥の捨て駒が、これだけ意地汚くて図太いわけがない。俺の領地に宣戦布告紛いの侵入をしておきながら平然としていられる度胸があるのなら、その暴閥の若頭ぐらいは務めていたっていいはずだ。
その若頭って感じもしないから、それも相まってかなり不気味なのだが。
「まあそういうことだ。それで、お前は何の目的で、擬巖と火花散らしてんだ?」
腹芸なんぞできもしないので、俺の質問は常に直球だ。迂遠なやりとりはまどろっこしくて好きじゃない。
おそらくだがコイツは無所属、もしくは何らかの理由で擬巖に敵対する勢力に属する誰か、だろう。いざとなったら久三男にコイツの頭ン中を調べてもらえばいいだけだが、できるならコイツの口から聞き出したい。
「……キシ。話してやってもいいが、条件がある」
取引か、正直無駄なんだがと思いながらも首を縦に振ってその条件を話すよう促す。
「俺は生きたい。生きてぇんだ。こんな豚箱で余生を全うする気は更々ねぇ。話す代わりに自由を確約してくれるってんなら、協力を惜しむ気はねぇよ」
その声音は、ふざけた感じの軽いものじゃなく、凛とした真剣そのもののだった。そのせいだろう、一連の台詞に凄まじい重みを感じ、俺と弥平は思わず固唾を飲まされる。
生きたい。どんな理由があって、如何なる経緯があってその言葉に重きを置いているのかは分からない。でも俺の想像力じゃ理解も共感もできないくらい執着しているのは伝わってくる。
乗っていた戦闘機を撃ち落とされて尚、俺ン家の超絶防衛網を振り解いて逃げようとしていただけはある。並の強者ならなすすべなく肉片にできる容赦のなさは俺も久三男も自慢のセキュリティだと自負しているだけに生き残ったと聞いたときは驚きを隠せなかったが、生きることへの執念というか信念というか、そういう強ぇ思いがあるってんなら、納得のいく話だ。
仲間は死んでも守り切る。そのルールを絶対のものとして掲げて生きている、俺のように。
「……いいぜ。その条件、飲んでやろう」
その言葉を聞いて、相手の強張りが少し解けたように見えた。
暢気に欠伸を垂れ流しながら大広間に向かい、眠気の余韻に浸りながら御玲の朝飯をみんなで食い、もう飽きを通り越して呆れまで感じてきている任務消化作業を想像しながら出かけ支度のために体を鞭打ち、北支部へ転移する。
それがここ一ヶ月のモーニングルーティンだったのだが、弥平、御玲、久三男、そして澄連全員が険しい顔でテーブルに向き合っているのを見るや否や、眠気の余韻が一瞬にして消え失せる。
本当なら飯の一つでも食いたいくらいには腹が減っていたが、重役起床してきた身、阿呆なことを言える雰囲気じゃない。
「俺が寝てる間にそんなことがあったのか……」
久三男や弥平から改めて詳しい説明をしてもらった。
本来は今日、任務請負機関本部に俺たちの正体がバレていることについて、弥平を交えて話し合うつもりだったのだが、そうも言っていられない事態が、俺がグースカと眠りこけているときに起こったらしい。
時は遡ること、深夜二時頃。上威区方面から突然マッハ百で飛行する戦闘機が飛来し、その搭乗員と戦闘になった。
戦闘機は霊子力爆砕ユニット搭載型中・高高度地対空ミサイルとかいう戦略魔導兵器で撃墜したが、搭乗員は何故か生き残り、上空一万フィールから落下。二百六十機ものストリンパトロールとかいう警備ドローンのマナリオンレーザーの雨をも掻い潜り、その上位機種にあたるストリンアーミーのマナリオンレーザーすらも、どういうわけか回避して、流川本家領に侵入したという。
「ソイツは始末したのか?」
「最初はそのつもりだったんだけど、テスが嫌がってさ……捕獲して情報を引き出した方が良いかなって思ったし、地下牢に監禁しておいたよ」
事後になっちゃったけど弥平にも許可とった、と最後に一言を添える。弥平は首を縦に振った。
本来なら領地に侵入した奴なんぞ、機密保持の観点から問答無用で殺すべきなんだが、テスといえば久三男を管理者と認め、俺たちの仲間になった女アンドロイドだ。何故殺したがらないのかは分からないが、仲間が殺したくないと言っているなら、相手に害意がない限り監禁ぐらいがちょうど良いだろう。
なにより弥平が監禁することに合意している。つまり仲間云々とかいう感情を差し引いて、流川家としての対応も間違っていないってことになる。
「戦後処理は粗方終了したのですが、撃墜した戦闘機の出所を解析しましたところ、どうやら件の戦闘機は擬巖領より飛来したものだということが判明いたしました」
「……おい。それってつまり」
御玲の表情も険しくなる。俺だってそうだ。空気が一瞬で重くなる。久三男から目の光が消えたとき、全員の黒い視線が弥平に集まった。
暗黒の視線をその身に受けてなお、弥平は息一つ乱さない。変わらぬ表情と毅然とした態度で、この場にいる全員に言い放った。
「流川分家派当主として宣言させていただきます。これは擬巖家からの明確な宣戦布告である。と」
空気が凍りつく。今度は俺へと視線が集まる。
「決まってんだろ。売られた喧嘩は買う。それもクソ大量のチップ付きでな」
家が揺れた。思わず感情が昂ってちとばかし霊圧が漏れ出てしまった。
流川の家訓は戦争上等だ。相手が殺る気満々ってんなら、望み通りその気概に応えるまで。むしろ相手の気概以上の報復を受けてもらうことになる。とりあえず擬巖領を世界地図から跡形もなく消し去るのは決定事項といったところか。
意識を切り替えて今置かれている状況を振り返る。
まず俺たちは今、何故だか知らんが擬巖家から喧嘩を売られている状態だ。正直、擬巖家なんて関わったこともないし当主の顔すら記憶にないぐらいなんだが、戦闘機を送ってきたということは、俺らに対してなにかしらの敵意があると見て相違ない。
「覚えのねぇ奴から見当もつかねぇ喧嘩ふっかけられるとか、意味分かんねぇなぁ……」
「澄男様。我々の立場を鑑みれば、あり得ない話ではございません」
弥平が珍しく鋭い声音で反論してくる。
現状、諸勢力から見た流川家の評価は、当主が母さんから変わった今ほとんどが中立であり、一方的に信奉している勢力は数えるほどしかいないらしい。当然、敵対的な勢力もいくつかあり、当主が変わったことで流川家の打倒を目論む奴らも普通にいるという。
「へえ。ンじゃあ擬巖家も、俺らをぶっ潰してぇと思ってる勢力の一つってか」
弥平が厳かに首を縦に振る。
関わりもないし俺がソイツらの仲間を殺したわけでもなし、一方的に恨んで喧嘩ふっかけるなんざ御苦労なことだ。相手にどんな事情があるのか知らんが、降りかかる火の粉は払うまでのこと。戦争するってんなら容赦しない。潰すまでだ。
「しかしよ、擬巖の総力はどのぐれぇなんだ? 大陸八暴閥の一角だったよな確か……俺らとタメ張れるぐれぇ強ぇのか?」
俺はいつだって単刀直入。戦争をする上で彼我戦力の把握はなによりも重要である。
擬巖は大陸八暴閥の一角、家格で言えば御玲と同等の暴閥だったはずだ。
正直、花筏と裏鏡以外はロクに知らないというか単純に興味がなかったので、大陸八暴閥の一角だとか言われても正直強さのイメージがまるで湧いてこない。
強いなら強いで対策立てなきゃならんし、雑魚なら雑魚で久三男配下の直属魔生物を相応の戦力集めてブチこんで終わらせるだけの作業になる。
相手の強さでこっちが割く労力が天と地の差になるわけで、徒労な思いをしないためにも、雑魚に足元をすくわれないためにも、彼我戦力の事前把握はきっちりとこなしておきたい。
「擬巖の勢力は、ほとんどが中位暴閥を占めています。特に中威区東部にある暴閥自治区を支配する暴閥は、九割以上が擬巖の傘下ですね。総数は……まあ数千程度、一人当たりの全能度は当主クラスで三百後半から高くて四百ぐらいですか」
「えっと……つまり雑魚ってこと?」
「あくまで我々との戦力比に限るなら、烏合の衆かと」
弥平は久三男が魔改造したリビングの机からホログラムを起動し、色んな資料を見せてくれた。
結論を言うと、擬巖の勢力は俺ら流川から見て雑魚である。
滅ぼすだけなら俺らが出張るまでもなく、久三男配下の直属魔生物を転移強襲させるだけで、擬巖もろとも掃討可能らしい。擬巖の当主―――擬巖正宗の腹心は突出して強いようだが、それでも久三男配下の魔生物で物量戦をしかければ、数の暴力でミンチにできるのだそうだ。
リビングにいる全員が静まり返る。それは敵が雑魚で拍子抜けした、ってわけじゃなく、言い知れない違和感を皆が共有しているからだった。
「……なんか、不気味だな」
「慎重に立ち回る方が賢明かと」
弥平が真剣な面差しで、きっぱりと言い切ってくれる。
圧倒的戦力差があることを知りながら、どうして宣戦布告したのか。当主が余程馬鹿じゃなけりゃ彼我戦力の差は明白だし、今のままじゃ俺らの軍門に下りたいと叫びながら、盛大にスライディング土下座をブチかましているようなものでしかない。
それでも布告してきたってことは、今の状態でも俺らとタメ張れると考えての行動だろう。その考えがただの自信過剰による蛮勇からきたものなのか、それとも明確な戦力があってのことなのか。判断を誤れば足元をすくわれかねないところだ。
「擬巖の腹心が思いのほか強いとか?」
「三舟雅禍ですね? 確かに強いですが……我ら流川と単騎で渡り合えるほどの手札かと問われると、答えは否。でしょうか」
ホログラムから複数枚の資料を取り出し、三舟雅禍について懇切丁寧に説明してくれる。
三舟雅禍。擬巖家当主``裁辣``―――擬巖正宗の腹心。身長は御玲と同じくらいの女で、年齢も同じくらい。擬巖傘下の勢力を束ねる傑物であり、唯一擬巖の隣に立つことを許された、ただ一人の側近である。
弥平曰く、彼女が表立って戦闘行為を行った公式的な記録は存在しない。
ただし擬巖傘下の中位暴閥の当主、その全てが彼女に絶対服従を誓っており、今までで彼女に叛逆した当主は誰一人としていない。その事実が意味するところはすなわち、彼女が中位暴閥の当主全員を相手取ったとしても、その全てを滅ぼせるほどの猛者である―――ということだ。
「従来ならば、敵軍の動向や立ち位置、役職等から全能度を推定するのですが……久三男様の計らいにより、その必要がなくなっております」
「そうなの?」
「えっへん! ここからは僕の出番だね!」
腰に手を当て、鼻の下を伸ばしやがるクソ駄眼鏡野郎。いつもならその顔面にグーパンを叩きこみ、間抜けに伸びた鼻をバキバキにへし折ってやるところだが、最近のコイツは自分の能力を活かしまくっていてガチ有能なので、少しムカつく程度の態度は大目に見てやることにする。
「驚くなかれ、霊子コンピュータで完璧な全能度測定が可能になりました!! これで個人を特定さえできれば、相手の肉体能力や固有能力、各種耐性を丸裸にできるよ!!」
「つまりパソで相手のステが見れるようになったってわけか。でもそれ、任務請負証でできるくね?」
「失礼なッ。確かに全能度を測るだけなら任務請負証でできるけど、僕のは固有能力から各種耐性、属性適性まで全部詳細に見れるんだから任務請負証よりずっと精度は高いよ! 偽装や妨害のリスクも低いし!」
「そうなの?」
「霊子コンピュータの演算能力は物理法則を超越しているので、如何なる魔導師でも霊子コンピュータが詠唱する探知魔法を破れません。ヒトから外れた者でもない限り、妨害や偽装といった魔法的工作を施される可能性は皆無です」
弥平からの発言で、認識を改める。
物理法則を超えた演算能力。それはつまり、物理法則を嘲笑えるぐらいの人外のバケモンが相手でもない限りは、霊子コンピュータが有能すぎて妨害や偽装をやってこようとその全てを看破できるってことだ。
久三男が言ったからイマイチ現実味が感じられなくて胡散臭く聞こえてしまうのだが、弥平が太鼓判を押すなら印象は百八十度捻じ曲がる。
やっぱ俺の弟はやべえ。引きこもらせると勝手にヤバいものやヤバい技術をポンポン開発してきやがる。多分、まだ俺らに言ってないだけの何かが沢山あるんだろうが、確実に話が逸れるのであまりよいしょしないでおく。
「んで、その霊子コンピュータとやらで測定した結果は?」
久三男語りが始まる前に、そのフラグをへし折る。久三男は伸ばした鼻を元に戻し、あせあせしながらも複数のホログラムを立ち上げた。
「全能度は七百二十五。敏捷と回避以外の全項目は種族限界到達、敏捷と回避は限界突破してる」
「フィジカルはおよそ御玲並みか……強いな」
「敏捷と回避に重点をおいているあたりが、猛者ですね」
久三男が公開した肉体能力の数値に、御玲は苦虫を噛みしめる。
強いつってもそうでもないだろとタカを括っていたが、思いのほか強い。肉体能力だけで判断するなら単騎で国を堕とせる戦略級の手駒だ。御玲の言う通り、素早さと回避能力を伸ばしているあたりが、よりガチさを色濃くさせている。
流石は大陸八暴閥の当主の副官といったところ、御玲とタメ張れる奴なんざ、中々のツワモノをかこっていやがる。
「属性適性は闇。属性耐性は貧弱だけど……闇属性系だけは無効みたい」
「ふーん……ならあんまり関係ねぇな。俺は火だし、御玲は氷だし」
「ははは。私は闇ですよ? 一応」
「アンタは属性耐性とか関係ないだろどうせ……」
作り笑いを浮かべながら、戯言を抜かしやがるあくのだいまおう。寝言は寝て言ってくれと付け加えたくなる衝動を、喉奥に無理矢理押し戻す。
確かにあくのだいまおうは前衛ってタイプじゃないし、全身をどこからどう見ても闇属性適性持ちってイメージしかないけど、彼の場合、属性耐性とか鼻歌謳いながら無視する絵面しか思い浮かばない。
本人がどう思っているのか知らないけど、聞いたら「属性耐性? 無視する方法なんていくらでもありますよははは」とか言って得意げに語ってきそうである。
聞いてもどうせ理解できないし、つつくまえから蛇が出てくるのが分かっている藪に近づく必要はない。
「後は……高い暗視能力と長期間の水中活動能力、寒冷地環境で生存可能な耐寒性能と低湿環境下での脱水耐性、それと高い化学毒耐性……だね」
「要するに暗い所を認識できて、水ン中ずっと潜ってられて、クソ寒い場所とか喉が渇きやすい場所とか平気で、毒盛られてもケロッとしてるってわけか……ホントに人間かコイツ?」
「地形効果の影響をなるべく受けずに戦い続けられるのは、強者の域に達している証といえましょう」
素朴な疑問に駆られる俺をよそに、弥平はいつだって冷静だ。
強者の域っていうか、普通にバケモンじゃないかと思うのは俺だけだろうか。俺としては水の中にずっと潜っていられて、クソ寒い所で長時間動けるってだけでもバケモノ地味ていると思ってしまうが、単に寒い所が無理でなおかつ泳げないからだろうか。
「何言ってんの? 兄さんなんて体が砕かれても再生する不死性、夜だろうと何だろうと関係なく昼同然に見える暗視能力、あらゆる爆発を無効化する耐爆性、そこそこの脱水耐性、霊子乱流を無効化できる高い霊力環境耐性、霊力炉心による高い霊力吸収能力、極高温環境に耐えられるトチ狂った耐熱性。そしてよほどのことがない限り効かない化学毒、魔法毒、呪詛耐性……」
「へー……俺ってそんなに耐性あったんだ……全然知らなかった」
「そういうところを含めて、兄さんはバケモノなんだよなあ……」
実の弟にクソデカため息吐き散らかされながら、バケモノ呼ばわりされるのは心に刺さる。
自分の耐性とか、久三男みたいな変態野郎でもない限り知る機会がないので、知らないのは無理もないと思う。ぶっちゃけ、言葉で列挙されても不死性と熱さの耐性以外実感がないし。
「とにかく。確かにこの程度では、私たち全員を相手取って勝てる駒か? と問われると、無理ですね……」
御玲さんは話が逸れそうになると軸を戻してくれるから頼もしい。
御玲の言う通り、コイツは強い。肉体能力は御玲とほぼ互角、各種耐性もそれなりに高く、人間かどうか疑わしい程度には頑丈な肉体を持っていやがる。対人戦だったなら、技量次第で脅威度は未知数に跳ね上がっていたことだろう。油断できない敵なのは確かだ。
が。突出して強いわけじゃない。
肉体能力は御玲と同等といっても、要は人間の種族限界に達しているってだけの話で、結局久三男配下の直属魔生物の方が全然強いし、属性耐性や各種耐性だって魔生物が余裕で上回っているだろう。
何故なら魔生物は、冗談抜きのガチ人外だからである。
種族的に人間じゃないのだから、人間の種族限界に達しているかどうかなんて全くの無意味だ。もはや有って無いような強みと言っていい。
とどのつまり、人外の暴力でブチのめせば一瞬で溶けてなくせる。その程度の存在というわけだ。
「となると、数を揃えた……とかか? 自分の傘下だけじゃなくて、他の勢力を囲ったとか」
ない知恵をこねくり回し、捻り出す。
圧倒的な個人が手札にないなら、残された選択肢は単純に頭数を揃えることぐらいだ。それもそこらの中位暴閥やギャングスターといった雑魚の掃き溜めじゃなく、それなりに戦力になりうる勢力をなんらかの手段で味方につけて、自分の傘下と込みで連合軍を結成したとかである。
数を揃えたところで俺らに勝てるだけの連合をそう簡単に組めるとは思えないが、俺は武市全体の諸勢力なんて任務請負機関ぐらいしか把握していないので、もしかしたらそれなりの勢力もいるかもしれない。擬巖は大陸八暴閥の一角だし、報酬とか取引、利害の一致とかで肩を組む絵面が頭に浮かんでくる。
「おそらくですが、それは行おうとして頓挫しているかと」
「なんでそんなこと分かるんだ?」
「澄男様方は対応されたはずです。東支部と西支部の防衛に」
「……え? いやまあ確かに駆り出されはしたけど……アレが!?」
驚く俺をよそに、弥平の冷静沈着な語りが驚愕で蓄積した熱を逃がす。
弥平曰く。擬巖はおそらく、当初の予定では俺ら流川をブチのめせるだけの戦力を整えて、兵站や備蓄を万全な状態にして、士気を高めてから正々堂々と宣戦布告するつもりだった。
俺たちは強大だ。なんたって並の戦力じゃ戦いが成立しない。総力戦なら俺が本家領から出張るまでもなく、敵中枢に久三男配下の魔生物を転移強襲させるだけで大半の勢力は再帰不可能なまでに壊滅に追い込めてしまう。
肉体能力の暴力だけで国を落とせる魔生物を空間転移魔法で強襲される。敵からしたら絶望だろう。たった一体でも破滅的被害をもたらす災害のような化け物が、どこからともなく自陣の中枢から湧いて出てくるのだから、立て直しもロクにできたもんじゃあない。
そうでなくとも、久三男が開発した破壊兵器たちもある。アイツならミサイルの一つや二つ、爆撃機や戦車ぐらい大量に持っているだろうし、それら全てを久三男パワーで遠隔操作すればそれだけで事足りる。
つまり、総力戦だと俺らが使える手札が多すぎて、単純に頭数を揃えただけじゃロクな抵抗もできず壊滅するのが目に見えているのである。
そこで擬巖は、自分の傘下とする勢力の他に、武市全域から有用な勢力を味方につけようとした。
当然手段は問わない。報酬、取引、交渉、制圧。あらゆる手段で使って味方を増やし、団結して俺らをぶっ倒そうと画策する。
それで目をつけたのが、任務請負機関。俺たちが今お忍びで活動している、武市の一大勢力だった。
任務請負機関は大陸八暴閥には及ばないものの、武市の秩序を司るほどの大勢力を誇っており、もしも任務請負機関を味方につけることができたなら、大幅な戦力向上が見込める。社会的に格上の擬巖にとっては、なんとしても味方につけたい勢力の代表ってわけだ。
しかし、そうは問屋が卸さない。なんとしても味方につけたいなんてのは、あくまで擬巖の都合である。
任務請負機関からしたら、擬巖の味方になるメリットがまるでない。恨みも何もないのに、俺らと敵対する理由がないからだ。
そうなると擬巖にとって任務請負機関は、もはや邪魔な存在でしかない。
秩序を掲げる勢力である以上、無視したとしても派手に勢力の乱獲行為を行えば妨害してくる可能性もある。そうなるくらいなら、自分の手札を使って任務請負機関を武力制圧し、強制的に従わせた方がいいって考えになる。
いくらメリットがなかろうと戦いに負けたなら、負けた奴は勝った奴の言いなりだ。任務請負機関からの降伏を受け入れる条件として、連合軍の一翼を担い流川と戦えみたいな無理難題を吹っかけるつもりだったのだろう。
その計画の片鱗が、東と西―――二つの支部の侵略だった。
「東支部侵略を目論んだ凪上家、並びに徴兵に参加した中位暴閥は全て擬巖の傘下勢力であったこと。その翌日に執り行われた西支部防衛戦の際、御玲とレク・ホーランが二人がかりでも倒せなかった強者の出現。これらが以上の推理の状況及び物的証拠でしょうか」
長々と話してくれた影響か、茶碗を片手に運び、少し茶を口に含む。
東支部の戦いでクソ間抜けを晒していた当主が擬巖の傘下ってんなら、あのとき猫耳パーカーと一緒にブチのめした刺客は、擬巖家直属の配下だったってことになる。
正直、あのとき叩きのめした奴らは明らかに中位暴閥なんかよりも強かった。おそらく俺や猫耳パーカーじゃなきゃ勝てた試しがなかったと思う。例の間抜け当主は俺と猫耳パーカーに倒された手駒を使い、自分の戦果を確実なものにするつもりだったのだろう。
「そんで、西支部防衛戦のときに出張ってきた強者ってのは……」
「三舟雅禍本人だよ」
さっきまで黙っていた久三男が、突然断言してきて思考が散る。なんで分かるんだと疑問をブチ投げるよりも速く、久三男は御玲を指差した。
「兄さんが寝てた間、僕と弥平は御玲から粗方事情を説明してもらったんだけど、そのときに西支部防衛戦で出てきたっていう強者の話もあったんだ。だから霊子コンピュータで人物を特定してみたの」
「いや……うん。えっと……それは確かなんだろうな?」
もう今更、「そんな真似できるのか?」って聞くのは野暮だ。久三男ができるって言っているのなら、できるのだろう。ただ当主として兄として、それが確かなものなのかだけはきちんとしておく必要がある。なにせ、俺には全く理解できない分野の話だし。
「もちろん。御玲の記憶を取り込みして、世界情報解析をかけたから。精度は保証するよ」
「……セカイ……ジョーホー……カイセキ……?」
「あ。ああ、あー……えっとね……」
弥平が翻訳をいれようとしたところを、久三男が遮る。流石に任せっきりは悪いと思ってきたのか、その努力は認めてやろう。
世界情報解析。霊子コンピュータで初めて可能になる、世界情報全書とかいう情報集積体と照らし合わせることで対象を調べ上げる世界系の独自解析魔法だ。
そもそも世界情報全書とは何なのか。世界情報全書とは、その世界に関する全ての事柄が記された、いわば情報の塊。その世界を世界たらしめるために存在する巨大なデータの集合体のようなものらしい。
世界情報全書は書と読むが、本として存在しているわけじゃない。そもそも物質ですらないので、大半の連中は察知することすら不可能である。世界に関する情報そのものだから、察知しようと思うとそのための魔法が必要になる。
だが、世界情報全書が抱える情報は莫大だ。そりゃあその世界が何たるか、って情報の塊なんだから、人間の寿命がいくらあっても足りない、えげつない物量を誇っていることくらいアホな俺でも想像がつく。
そこでやはり登場するのが、人智を超えた処理能力と処理速度を誇る霊子コンピュータだ。
「御玲の海馬と霊子コンピュータを霊子通信回路で繋ぎ、記憶を取り込んで御玲が見て感じた人物と合致する生命体がいないかを、世界情報全書に検索をかけてみたんだ」
「うん……色々言いたい事はあるがほとんどスルーとして、検索した結果、三舟雅禍がヒットしたってわけだな?」
そうそう、と意気揚々と頷く。
御玲の頭と霊子コンピュータを繋いで、記憶を取り込んでってところがものすごく気になるけど、世界情報全書とかいう俺の想像力じゃクソデカくてクソ分厚い本ぐらいしか思えないソレから、三舟雅禍って生き物だけを探し当てられる霊子コンピュータなら、人の記憶を読み取るぐらいガキの遊び程度のことなんだろうなと勝手に納得してしまえる自分がいて、もはや聞く気も失せてしまう。
「世界情報解析によって導き出された事柄は、相手が世界系魔法を使って個人情報を偽装していない限り、その精度は如何なる手法の魔法探査精度を上回ります。御玲さんたちを襲った人物は、三舟雅禍で間違いはないでしょう」
弥平が補足するかと思いきや、意外や意外。あくのだいまおうが背を押してくれる。パオングも無言で頷いているあたり、久三男が調べてくれた結果をこれ以上疑うことに意味はなさそうだ。
「しかし……あの者が三舟雅禍だとするなら、不自然な点がいくらか散見されますね……」
久三男の解析結果に異論を唱えているわけじゃない。だが怪訝な表情を顔に描く弥平に、俺と御玲、そして久三男の興味関心が集中する。
「第一に、三舟雅禍と御玲たちが交戦するきっかけとなったのが、西支部の地下シェルターから西支部請負人が逃げてきたから、でしたよね?」
「はい。その者がシェルター内で請負人たちを襲っていると叫び、私たちはシェルターの中へ向かったのです」
「三舟雅禍が西支部の地下シェルターに姿を現したのは澄男様の懐から盗んだ転移用の技能球によるものだとして、何故彼女は西支部請負人を一人取り逃がすような真似をしたのでしょうね」
「そりゃあ……単純に人数が多すぎて捌けなかったってだけじゃね……?」
「御玲とレク・ホーラン、ハイゼンベルク。これだけの戦力を同時に相手取れるほどの者が、ですか?」
そう言われ、俺たちの間に言い知れない違和感が一気に漂い始める。
西支部監督官のチャラ男の周りをちょろちょろしていた自称精霊は知らんが、御玲や金髪野郎は単騎でも決して弱くない。むしろ肉体能力だけなら種族限界到達しているほどの強者、相手が人間ならまず後れを取ることはないと言っていい戦力だ。
しかし結果は戦線をギリギリのところで維持するのがやっと。誰かがほんの少しでもミスれば、一気に戦線が崩壊して全滅していたかもしれないほどに、御玲陣営はかなり追い詰められていた。
実際、奴を一蹴したのは百代だった。百代が間に合わなかったとしたら御玲たちはどうなっていたか。想像したくない。
御玲と金髪野郎。人間からしたらたった一人でも国を堕とせるフィジカルオバケな奴らを二人同時に相手して善戦してのけた奴が、雑魚一人取り逃がす凡ミスを犯すだろうか。
「御玲、もしもあのときその西支部請負人が命からがら逃げ延びてこなかったら、お前らは三舟雅禍の存在を悟れたのか?」
同じく違和感に苛まれていたであろう御玲に、疑問と一緒に視線も投げる。それに気づいた御玲は、考えるそぶりを見せることもなく即座に首を左右に振った。
「地下シェルターは堅牢な魔導複合装甲扉で閉ざされており、中からの音や気配は完全に遮断されておりました。逃げ延びた者がいなければ、西支部請負人は確実に全滅していたかと」
漂っていた違和感は濃度を増し、粘り気を含んで夏場の湿気の如く体にまとわりついてくる。
フード野郎がやった真似は、俺たちの十八番である転移強襲だ。
転移強襲の強みは侵攻という行為をすっ飛ばして、敵軍中枢を直接叩けること。簡単に言い直すと兵士と戦って戦場を突き進むという段階をすっ飛ばして、将軍とか王とか当主といった敵軍の頭を直接ぶっ殺せることにある。
いくら駒が強かろうと頭を取られたら、取られた方の負けだ。立て直しもクソもなく、頭を取られた勢力に残された選択肢は、無条件降伏以外に道はない。
ここで違和感がどうしても拭えないのが、いわばいつでも頭を討ち取れる状況を創り出しておきながら、頭の近くにいた駒を逃がし、強い駒が応援に駆けつける隙を作ってしまっている点である。
そんな真似を許してしまったら敵に立て直しの機会を与えてしまっているようなもので、転移強襲の優位性はたちまち失われる。俺から技能球を盗んだのは何だったのかってなってしまうわけだ。
御玲と金髪野郎相手に善戦できて、百代じゃなきゃ一蹴できなかったぐらいに強い奴なら、ただ力だけが強い木偶ってわけじゃないだろう。転移強襲の優位性ぐらい理解しているはずだ。
「これだとまるで``殺してくれ``って言ってるようなもんだよな……」
「戦った感じ、殺意しかありませんでしたけど……?」
俺の推測に、御玲は思わず苦笑い。俺はまあ、きちんとタイマン張ったわけじゃないからそこらへんは共感しづらいが、複数対一でボコって圧し負けた御玲たちからしたら、俺の推測の方が納得しづらいのも頷ける。
「となると……存外脅威ではないかもしれませんね」
弥平が独り言のように呟くと、全員が反応する。視線と気配に気づいて一回咳ばらいを挟むと、詳しく説明し直してくれた。
俺は言った。これだとまるで``殺してくれ``って言ってるようなもんだと。それはあながち間違いでもないらしい。
三舟雅禍は強者だ。流川そのものを覆せるほどではないが、御玲や金髪野郎といった戦術級に匹敵する強者を二人同時に相手取って善戦できる実力を持っている。
そんな強い奴が雑魚一人取り逃がす凡ミスを犯した理由。推測としては、三舟雅禍が擬巖を裏切ろうとしている、である。
「でも殺意マシマシって、さっき御玲が言ってたぞ?」
「曲がりなりにも主ですからね。当主の副官にまで上り詰めた傑物ならば、なんらかの理由で裏切りたくても中々決断はできないでしょう」
そういうもんだろうか。俺は誰かの下についたことなんざないから、そこらへんはよく分からない感覚だ。
「久三男様が調べて下さった三舟雅禍の個人情報では、出身地が下威区だったようですし、擬巖で積んだキャリアは自身の存在価値だったのかもしれません」
ホログラムに映った武市の世界地図で、下威区と書かれた場所をぼうっと眺める。
下威区、弥平や久三男が言っていた。実力・成果主義の武市、力の強さで社会的地位が決まるこの国で、何の成果も実力も培えなかった者が最後に辿り着く、武市の果ての地。俺たちからすれば、一生関わることのないはずだった場所。
だからこそ、興味がなかった。知ったところで関りがないのなら、知るだけ無駄だからだ。
でも下威区で生まれた奴らにとって、天上の存在である暴閥に才能を見出されるってのは、どれほど意義があることだろうか。果ての地から抜け出し、雇われの身とはいえ人として生きられるのなら、これ以上の喜びはないのだろうか。
たとえその道が、外道だったとしても。
「所詮は副官。裏切れば始末されるだけ、か」
従っても闇、裏切れば死。そうなると、迷った末に戦ったって感じなのか。葛藤しながらでも御玲と金髪野郎を同時に相手取れるのは大した実力だが、確かに迷いがあるのなら、付け入る隙はありそうだ。
「迷いとは、自ずと刃を鈍らせる。相手が達人であるほど効果は期待できませんが、それでも隙を晒しやすくなるのは確かです。仮に倒せなかったとしても、擬巖を良く思っていないのなら、擬巖正宗を倒してしまえば戦意も喪失するでしょう」
つまり、どっちにしろ擬巖をぶっ殺した方が速いってことになるのか。
よくよく考えてみれば副官如きに俺が戦う意味がないし、誰かに時間稼ぎしてもらって俺がサクッとぶっ飛ばしてしまえば済む話である。
「どっちにしろ三舟雅禍はあんまり脅威じゃねぇ。そんで俺や金髪野郎たちが各支部の防衛任務を成功させたことで、擬巖の目論見も計らずだが潰してる……結局擬巖が俺らに勝てると思ってるのはなんでなんだ?」
俺の疑問に、全員が沈黙する。
東と西の防衛は成功したことで、相手の目論見は潰している。東と西を潰せば東部都市と西部都市にある勢力を一気に味方につけることができ、一人一人の質はともかく数だけなら途方もない物量になっていただろう。
まあ物量ごときで俺らを陥落させるなんぞ舐められたものだが、物量戦を仕掛けられていた場合、俺らもそれなりの戦力を投入する必要があり、中威区が悲惨なことになっていたと思う。そうせずに済んだあたり、東と西の計略を図らずとも潰せたのは僥倖だった。
「味方を増やす目論見は潰えたが、三舟雅禍は我々を脅かせるほどの手札ではない。その中での宣戦布告……目論見が潰えた以上、数を揃えるのはそう簡単ではないはず。ならば残された可能性は一つに絞られる」
「東と西の駒を補えるだけの切り札、ねぇ……」
筋肉だらけの脳味噌を掻き回してみるが、所詮は筋肉だ。コンピュータとは縁遠い。
自惚れだとか傲慢だとか思われそうだが、正直俺たちを脅かせるほどの奴が、そう簡単に手に入るとは思えない。
仮に、一億歩譲って百代や裏鏡みたいな規格外が他にいたとして、そんな奴が味方につくだろうか。
百代や裏鏡は確実に格上の存在だ。俺たちが束になっても勝てないような奴らが、格下の奴らに従うとは思えない。なにかしらの約束があって協力している可能性もなくはないから完全に捨てきれない話ではあるが、そもそも俺らじゃどうしようもないような奴が、普通にのさばってられるのかという疑問もある。
なんにせよ、それほどの切り札を持っているなら結構な脅威だが、逆に言えば切り札で一発逆転しようとしているってことが分かるのだから、どさくさ紛れに切られるよりかは、かなりマシである。やはり、東と西の侵略を食い止められたのがかなり大きく打撃を与えられているようだ。
「これ以上考えても仕方ねぇな。弥平、擬巖家の領地は分かるな?」
「……え? ええ、上威区東部です。空間座標も控えています」
「ならまず転移強襲でカタをつけよう。久三男、転移強襲用の魔生物隊を編成しろ」
「数は最低限、だね?」
「量より質だ。たくさんいても邪魔だからな」
本来なら速攻で俺らが直々にカチコミ仕掛けたいところだが、相手はそこらの暴閥とは規模が違う。流石に舐めプするわけにはいかない。
敵戦力は久三男と弥平が把握しているだろうから、まずは向こうの数を減らす。俺たちが相手するのは、あくまで擬巖家の親玉だけ。他は邪魔だから久三男配下の魔生物たちに対処させる。
「……澄男様、捕虜の尋問に参加してくださいませんか」
方針をそれぞれに言い渡す間、どこか思考の海を遠泳していた弥平が、俺へ真剣な面差しを向けてくる。
脈絡がなくて正直間抜け声で問い返しそうになったが、弥平がまた真剣な顔をしているので、俺も気を引き締める。
「捕えられたとはいえ、あの者は本家領の警備網を生き延びております。擬巖領からやってきたあたり、並々ならぬ事情も抱えておりましょう。擬巖を討つ駒として大いに価値があるかと」
「……それは俺が直で出張るだけの価値があるってことかよ」
弥平は静かに頷く。
本来、本家の当主たる俺が捕虜相手に出張る真似はしない。第一にその必要がないのと、捕虜だからと油断して首を狙われかねないからである。
相手は堂々と俺の領地に侵入してきているのだから、敵対意志を持っている場合がほとんど。それが自明な相手に無策で出張れば予想外の損害を被る可能性は大いにある。そのため今回のように捕虜が出たときは弥平か変声機を使った久三男が相手するのだが、弥平が真剣な顔と声音で言ってくるってことは、本来の前提を覆してでもあまりある価値があるってことだろう。
真剣な弥平から得られるのは為になることしかないので乗らない手はない。
「しかし……危険では。牢に繋ぎとめ、記憶を消して放逐した方が無難だと思いますが」
御玲は相変わらず保守的な姿勢を崩さない。俺をイラつかせないように声音とかに気を遣っている。
昔の俺なら鬱陶しがっていただろうが、仲間という大事なものを抱える今の俺にとっては、保守的な考え方だって捨てがたい。実際、御玲の意見が最も真っ当で最適ではあるし。
「通常であれば、そうするべきでしょう。しかし、久三男様が設定した本家領の警備網の中を生き延びるというのは並大抵の実力ではありません。擬巖家と関わりがある以上、記憶を消したとしても放逐するのは危険です」
弥平の態度は尚も毅然としている。
「僕からも一つ。それだけの実力者の記憶を操作すると、記憶操作がバレた場合、話し合いの余地なく敵対される。僕としても無駄な敵対分子を野に放つべきじゃないと思う」
黙って聞いていた久三男が、専門分野の話になったと思ったのか、弥平側に立って援護射撃し始めた。
久三男曰く記憶操作は武力統一大戦時代より主に久三男含めラボターミナルに従事する歴代の専属技工士が行ってきたもはや流川の伝統技能らしいのだが、記憶操作のリスクとして記憶操作がバレた場合は確実に相手の恨みを買うことが挙げられる。
記憶を操作するのだから、記憶を弄られた本人はそもそも気づきようなくねと思いがちだが、記憶操作は実際のところかなり慎重にならないといけない処置らしい。
「記憶操作って、ただ記憶を消せばいいわけじゃないんだ。本来覚えているはずのことを思い出せなくするわけだから、周囲の環境との矛盾が生じて綻びが出てくるんだよね」
「ですので記憶操作の際は相手側が抱く認識齟齬の要素を可能な限り排するため、巧妙に偽りの記憶を与える必要があるのです。何者かに記憶を操作されたと自覚したとき、その者が抱く感情など想像に難くありませんから」
弥平からの補足もあり、お頭の出来の悪い俺でもふわっとだが理解できてきた。
そりゃあ覚えているはずのことをまるっきり忘れていたら、ソイツは忘れたことを思い出すため~とかいって記憶探しの旅とかに出そうだ。ソイツの周囲に馴染みのある仲間がいたら尚更だろう。
俺だって仲間が記憶喪失になったらその記憶を全力で探しだすだろうし、記憶弄った奴はのうのうと生きていることを後悔させる。考えることは皆同じだということだ。
「しかし、味方に引き入れるというのは……」
弥平と久三男に理詰めされ勢いが削がれるも、食い下がる姿勢を崩さない。
御玲の警戒はもっともだ。俺としても敵に回したくないが、仲間にするつもりはない。擬巖をぶっ倒す最中に敵対されると面倒なので、そのリスクを少しでも減らしたいだけだ。相手が何故俺の領地に侵入してきたかは本当のところなど知る由もないが、そこらの事情は本人から聞き出せば確実な情報が手に入るだろう。ここで邪推しまくってても進む話じゃない。
「んじゃ弥平、捕虜の所に案内してくれ。久三男は強襲部隊の編成、御玲は出撃準備を頼む」
「あの、オレらは?」
「お前らは別命があるまで待機だ」
終始沈黙していた澄連トリオとミキティウスだったが、流石に何もなしはむず痒いとでも思ったのだろう。
コイツらは戦闘が始まったらテキトーに敵地で暴れてもらう予定だ。コイツらの運用方法はそのわけのわからなさで敵陣を撹乱するのに向いているし、適任だろう。
「あくのだいまおうとパオングも待機だ。アンタらは一応、切り札だし」
「ほう。私がですか。いやはや、私は何でも知っているだけなのですがね」
「パァオング! 我も魔法が使えるだけの神ぞ?」
「それ、皮肉しか聞こねぇぞ……」
俺含め、居間にいた全員が苦笑いを浮かべるが、二人はどこ吹く風。暗澹とした雰囲気そのままに、独特なペースで周囲を掌握していく。
彼らはたった一人で全てをひっくり返せるだけの力を持っている。出張らせれば俺たちに負けはないだろうが、あくのだいまおうを動かすには、その働きに見合うだけの対価を支払う必要がある。
あくのだいまおうに任せれば擬巖家を跡形もなく消すことも簡単だろうが、それだけのことを成すのに俺たちはどれだけのものを彼に支払えばいいのか想像もつかない。正直、あくのだいまおうやパオングが出張るような事態に陥らないように立ち回るのが前提になる。
「んじゃ行ってくる。弥平、頼むわ」
はい、と弥平の返事を合図に全員が動き出す。俺は弥平の背をついていき、居間にあるエレベータに乗る。
いつもはあくのだいまおうとパオング、そして久三男の部屋がある地下へのエレベータであり、俺は滅多なことじゃ使わない。最近だと久三男が百代の反撃を受けて気絶させられたとき以来になる。
「澄男様、捕虜は地下二階に幽閉しております。抵抗される可能性がありましたので四肢を拘束していますが、現状会話は可能な状態に回復しているようです」
エレベータ内で簡単に捕虜の状態をまとめてくれる弥平に、無言で頷く。
今回捕らえた相手は曲がりなりにも久三男の警備網を生き延びた存在。並大抵の実力者なら瞬殺されるような防犯機構とそれなりに渡り合える奴なのだから、扱いは捕虜時代の澄連とは雲泥の差だ。
まあアイツらは元々敵意とかもなく、むしろ友好的だったってのもあるのだが。
「……なあ、弥平」
俺に声をかけられ、ほんの少し身を震わせる。まるで集中してのめり込んでいるところを、急に背後から肩を叩かれたのような、そんな震え。
地下奥深くへ潜るエレベータの駆動音が、ほんの一瞬鳴りを潜める。
「何かあるなら、話してみろよ」
直感だ。特にこれといった根拠はない。
俺が各々に役割を振り分ける辺りから、弥平は何か考え事に囚われているように思えていた。まあ弥平のことだから考え事をしながらでも話の内容をきちんと記憶しているのだろうが、それでもあの弥平が上の空になるほどのことは、仲間とかそういうのを差し引いても、本家の当主として気にしないわけにはいかないのである。
「……確証のない、大変妥当性の低い推測でしたので、混乱を招かぬよう伏せておいたのですが……お聞きになりますか」
「……聞こうじゃねぇか」
弥平ですら言い淀む、妥当性の低い推測とやら。聞くのが少し怖いが、弥平が考えることは、当主として家長として、仲間を守る者として、たとえどれだけ怖くても耳に入れておく必要がある。
弥平は徐に、その重たそうな口を開く。その内容は―――。
【地下二階です】
そういえば、地下二階に来るのは何気に初めてだ。
そもそも地下フロアに来ること自体滅多にないし、行くとしても久三男の部屋に用事で行くくらいだったから、少し緊張する。自分の家なのに初めて行くって、改めて考えると少しマズイ気がしてきたが、広い家を持っている奴なら知らない、行ったことない部屋の一つや二つあるだろう、うん。きっとそうだ。そうと信じよう。
「澄男様、こちらが捕虜です」
「ん? ああ、おう」
などとクソ暢気なことを考えていたら目的地に着いてしまった。
捕虜とかを幽閉しておくためだけに存在する地下二階なだけあって、部屋という部屋は全て牢屋だ。というか牢屋しか存在しない。フロア全体も久三男の部屋とかがある地下一階よりも更に薄暗く、電気がついているのにあまり明るく感じない。ついこの前、澄連の部屋を割り当てるために家全体を大掃除したのでカビとか埃とかはあんまりないが、それでも薄暗さのせいか、汚い印象を受けてしまう。
地下牢のフロアに来ることなどないので、地下牢だらけの場所ってのは少し新鮮だ。牢にぶち込まれたいかと問われれば断じて否だが。
「キッシ。流川にも看守なんているんだな。ご苦労なことだ」
初めて来た場所だったのでしばらく周りを眺めていたら、青年臭い声音に鼓膜を撫でられる。そこでようやく俺は牢にぶち込まれたその捕虜の全貌を視界に入れた。
「……ん? でもさっき様付けしてたよな? つーことは結構上の立場だったりするのか? おいおい、処刑とか勘弁してくれ。俺はまだ生きていたいんだ」
弥平からは四肢を拘束してあると聞いていたが、実際見ると全身を簀巻きにされていた。
首元から踵の部分まで灰色のテープみたいなもので縛られており、四肢はおろか胴体を動かすこともままならない。側から見ればクソデカいミノムシだ。
専用の器具で直立に固定されており、物理的に横にもなれないあたり、俺が想定していた以上の拘束具合で息とともに唾も飲み込みそうになるが、流川の当主として舐められるわけにはいかない。圧殺して粉砕する。
「勝手に喋るな。まだ話す許可は出していない」
いつもの弥平と声音と口調が違いすぎて、流石に目が飛び出そうになった。
今思えば敬語かつ穏やかな声音で話しているところしか見たことがなかったから、タメ口かつ威圧的な声音で話す弥平はイメージと違いすぎてギャップが凄まじい。
まあ常日頃から密偵とかの任務に就いているし、いつもの穏やかな声音の方が素とは思えないから、いつか腹を割って話す機会を設けるべきかもしれない。有能すぎてあまり気にかけてなかったが、御玲ばかり気にするのも良くないだろうし。
「お前がやるべきことは一つ。この方の質問に答える。ただそれだけだ。不必要な言動が目立つ場合、しかるべき処置を講じる。心せよ」
ようやくここで俺にスポットライトが当たる。
初めて地下牢のフロアに来て居心地悪そうだけど新鮮だなぁとか、いつもの弥平と雰囲気も口調も声音違いすぎて仲間のギャップにクソ驚きそうになったとか、そんなことを悟られると流石に舐められるので、とりあえずクソ真面目な顔をしておく。
捕虜の相手とか何気に初めてだが、舐められないように立ち回るのは常日頃からやってきたこと。問題ない、多分。
「んじゃ一つ目。お前、何が目的で俺の領土に侵入したんだ?」
「俺の領土? もしかしてアンタが流川本家の当主なのか?」
「そうだ」
「キシシ。意外と若いんだな」
「ンなことどうでもいい。なんで俺の領土に侵入した? 時と場合によってはお前をここで始末しなきゃならんくなるんだが?」
ふざけているのか、捕らえられて逆に開き直っているのか。コイツの意図は分からないが、少なからず真面目に取り合う気がない印象だけは感じられる。
本来なら八つ裂きにしてやるところだが、ここでカチキレても相手のペースにのまれるだけだ。堪忍袋の耐久力に自信は皆無だが、弥平がせっかく作った機会、やれるだけのことはやらなければ。
「……分かんねーな」
とぐろを巻いた黒い瞳が俺を射抜く。冷たいような熱いような、身体の神経がおかしくなる不快感に少し目尻にしわが寄ってしまう。
相手はそれを見逃さなかったのか。それとも、だからこそ見透かしたのか。口角を吊り上げ、不気味に白い歯を剝きだした。
「キシシ……どうにも腑に落ちねーんだよ。アンタらが流川だってんなら、力づくで聞き出せば済む話じゃねーか」
「じゃあ今ここで八つ裂きにしたら洗いざらい話すってのか?」
「キッシ、勘弁してくれ。流石の俺でも生き延びられる自信がないね」
「ンじゃあとっとと吐けよ。言っとくが、だんまりしてる限りこの地下牢が家になるぞ」
相手の顔が少し真面目になった。俺や弥平は、その変化を見逃さない。
「……アンタらは、俺が擬巖からの間者だとは思わねーのか?」
「それはねぇだろうよ」
さっきまでのふざけた態度から一変、少し弱々しい声音になった相手を、ばっさりと一刀両断する。相手は顔を上げた。
「まず間者だったとしたら、お前は生きちゃいねぇだろ。いや、生きる必要がない……が正しいか」
地下牢の霊灯も相まって、相手から放たれる双眸が際立つ。
前髪に隠れがちではあるが、その瞳は闇に塗り潰されていて、おどろおどろしくとぐろを巻く様は、不思議と俺の注意を引きつける。
「要は宣戦布告さえできたらいいわけで、擬巖からしたらお前みたいなのは捨て駒以上の価値はない。俺らの領地に踏み込んでおいて無事に帰ってくるなんざ期待してるわけねぇし、擬巖の下っ端だったなら包囲網を掻い潜って意地汚く足掻いたりしねぇだろうよ」
「……どうだろうな? どんな生き物も、生きようとする本能ってのがあるはずだぜ?」
「そういう舐めた口叩ける時点で暴閥の下っ端じゃあねぇんだよなぁ……それも俺の領地に下手なオモチャ持って土足で踏み込んどいてさ」
ちょくちょく煽ってくるような、皮肉っているような雰囲気が、ますます下っ端という印象から乖離させてくれる。
暴閥の捨て駒が、これだけ意地汚くて図太いわけがない。俺の領地に宣戦布告紛いの侵入をしておきながら平然としていられる度胸があるのなら、その暴閥の若頭ぐらいは務めていたっていいはずだ。
その若頭って感じもしないから、それも相まってかなり不気味なのだが。
「まあそういうことだ。それで、お前は何の目的で、擬巖と火花散らしてんだ?」
腹芸なんぞできもしないので、俺の質問は常に直球だ。迂遠なやりとりはまどろっこしくて好きじゃない。
おそらくだがコイツは無所属、もしくは何らかの理由で擬巖に敵対する勢力に属する誰か、だろう。いざとなったら久三男にコイツの頭ン中を調べてもらえばいいだけだが、できるならコイツの口から聞き出したい。
「……キシ。話してやってもいいが、条件がある」
取引か、正直無駄なんだがと思いながらも首を縦に振ってその条件を話すよう促す。
「俺は生きたい。生きてぇんだ。こんな豚箱で余生を全うする気は更々ねぇ。話す代わりに自由を確約してくれるってんなら、協力を惜しむ気はねぇよ」
その声音は、ふざけた感じの軽いものじゃなく、凛とした真剣そのもののだった。そのせいだろう、一連の台詞に凄まじい重みを感じ、俺と弥平は思わず固唾を飲まされる。
生きたい。どんな理由があって、如何なる経緯があってその言葉に重きを置いているのかは分からない。でも俺の想像力じゃ理解も共感もできないくらい執着しているのは伝わってくる。
乗っていた戦闘機を撃ち落とされて尚、俺ン家の超絶防衛網を振り解いて逃げようとしていただけはある。並の強者ならなすすべなく肉片にできる容赦のなさは俺も久三男も自慢のセキュリティだと自負しているだけに生き残ったと聞いたときは驚きを隠せなかったが、生きることへの執念というか信念というか、そういう強ぇ思いがあるってんなら、納得のいく話だ。
仲間は死んでも守り切る。そのルールを絶対のものとして掲げて生きている、俺のように。
「……いいぜ。その条件、飲んでやろう」
その言葉を聞いて、相手の強張りが少し解けたように見えた。
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