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防衛西支部編
エピローグ:擬巖の脈動
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「チッ……雅禍がしくじっただと? 他の凡愚どもならともかく、奴が撤退したとなると笑えねぇな」
一筋の光すら通さぬ暗黒の一室で、一人の男が無造作に机を叩いた。机はぐしゃぐしゃにへしゃげたのち、見るも無惨に砕け散る。
「ふざけやがって、どういうことだ……? 彼我戦力的に、西支部は確実に落とせる目算のはず……!」
何故か血塗れだった雅禍からの報告によると、当初相手は``閃光``と``竜殺``の付き人幼女、そして誰に仕えているのか不明だが北支部の無名請負人と思われる青髪のメイドの三名。正門を攻め入り、地下シェルターを守っていた彼らと交戦となったという。
「東支部のときに``閃光``と``百足使い``が出張ってきたのは予想外だったからな……手の内を晒すことにはなるのは惜しいが不安要素を確実に取り除くために雅禍を送り込んだんだが……」
目論見通り、戦況は雅禍の味方をしてくれていた。雅禍は見た目こそ華奢だが、戦いに愛された駒だ。北支部と西支部の監督官相手だろうと引けを取らないと踏んで戦地へ送り出したのだ。実際、その目算自体は正しかった。彼女なら確実に奴らの息の根を止めることができたのだ。
「なのに……巫女……? 巫女だと……? まさか北方の巫女どもが嗅ぎつけてきたってのか……!?」
ありえない。そう吐き捨てたい気持ちで溢れそうになるが、雅禍を圧倒した巫女装束の少女となると、否定材料が思いつかず、口を縫い合わせるしかない。
雅禍は肉体能力と技量を併せれば本部の請負官相手なら、たとえ一対多の戦局だろうと虐殺できる実力を持っている。実際、剣技では中威区北部では最高峰と名高い``閃光``を圧倒せしめたのだ。その力に疑いようはない。彼女が敗北するとしたら、それらを遥かに凌ぐ存在―――人外の領域に達したごく一部の強者のみ。
だがそれほどの強者は、強すぎるがゆえに世俗と関わりを持たず、ヘルリオン山脈の奥地でのうのうと山籠り生活をしていて、滅多なことでは人里に降りてこない。それら以外で脅威になりそうなのは、請負機関本部の重鎮たる八大魔導師、その中でも``氷のニヴルヘイア``、``光のメタトロニオス``、``闇のバロール``の三柱だが、彼女たちも余程の有事でない限りは本部から出張ることなどなく、まず雑兵が討伐隊として矢面に立たされるはず。
つまり、現時点ではそれほどの強者と鉢合わせることはないはずなのだ。刺激せず、秘密裏に支部を葬れば、強者が出る前に根を張り巡らせることができる。それだけの手札を持っているはずだった。
「情報封鎖が甘かったのか……? いや、考えられる全ての筋道は潰させたはずだ。たとえ花筏の巫女といえど、俺の企みには気づけねぇ……はず。はずなんだが……なんで巫女は現れた……?」
考えれば考えるほど、思考の海を泳げば泳ぐほど、足が取られ、波に煽られ、光を通さぬ暗黒の深海へと誘われる。
花筏に出張られては、抵抗などできない。今持ちうる全ての手札を使い潰したとしても、巫女たった一人撃退することも叶わないだろう。彼女らは、いわば生ける戦略核。人でありながら、人ならざる者たち。大戦時代の覇者である。
況してや新たに当主の座に就いたと言われている``終夜``だったならば―――。
「奴は放浪癖があると有名な当主……ありえねぇ話じゃねぇ……」
だが確認する方法はない。花筏の巫女は容姿や顔に至るまで、全て同一。同族以外では見分けることができないと言われている。
また数多の姉妹がおり、それらが群体となって独自の戦術を展開する戦闘民族だ。仮に雅禍が相対した巫女が花筏の巫女の一人だったしたら、こちらから接近するのは悪手であるし、なにより接近したところで、その巫女が``終夜``かどうかを見分けることは叶わない。
物見遊山で人里に降りてきただけなのか。だとしてもこちらの動きが漏れた可能性は高い。雅禍曰くフードが破られてしまい、巫女には面が割れているようだし、もはや支部には手を出せなくなったと言っていい。
「駒どもには世俗の情報を逐一報告するよう厳命していた……なのに東支部のときといい、今回といい、二度もしくじってやがる……」
戦力の目算に誤りはない。想定していた敵の排除は、確実にできる戦力を送り込んでいた。真正面からでは東支部の連中を討ちそびれるかもしれない。だから暗殺に長けた駒を三匹走らせておいた。だがそれらも全て捕らえられ、雅禍に後始末を頼む羽目になってしまった。今回はその反省を生かし兵全体の質を上げ、指揮官に切り札の雅禍までつけた。そうすることで、``閃光``等を含めた、多くの不確定要素に備えたのだ。
何かが、正体不明の何かが邪魔をしている。それも走らせている駒どもの目や耳に届かないような、透けていて、矮小で、しかし強大な何かが。
「…………そういえば」
雅禍の報告、その最後を思い出した。
あまりに巫女に関する報告内容が出鱈目すぎて忘却寸前だったが、雅禍は転移魔法で命からがら撤退してきたと言っていた。冷静になって思えば、転移魔法を使える者など、現代人類には存在しない。転移魔法は二千年以上もの昔、当時の文明が滅ぶほどの大戦の業火に焼き尽くされ失伝したとされる伝説の大魔法―――というのが現代の通説だが、例外が存在する。
「流川……」
花筏の巫女と双璧を成す絶対強者―――流川家。武市の父王にして、二千年も続いた武力統一大戦時代の覇者。大戦時代が終わり三十年経った今でも、圧倒的な武力を背景に独自の栄華を極める戦闘民族。
おそるおそる一冊の本を取り出した。それはあまりにぼろぼろで、落丁、乱丁の激しい、もはや寿命が尽きかけている古本。本物の古文書ともいうべきか。その本をおもむろに開く。
頁もぐしゃぐしゃ、文字も掠れ掠れで読める代物ではなく、ほんの少し力を入れただけで破けてしまうのではないかと思うくらい脆くなったそれに描かれているのは、どこからともなく魑魅魍魎が現れ、軍を壊滅に陥れる地獄のような挿絵だった。
二千年以上もの昔に失われた大魔法―――転移魔法``顕現``。今となっては、この魔法を行使できる魔導師など存在しないのが常識だが、今から三十年以上前に終結した武力統一大戦時代、その失われた転移魔法を当たり前のように行使し、あろうことか戦術級魔法として多用していた暴閥がいた。
その事実はあまりにも多くの人々に恐怖と絶望を与えたがために、当時の戦役を知る者たちによって闇に葬られたが、一部の上位暴閥と当時を生き残った大魔導師たちは、古文書としてその恐怖と武威を脈々と己の子に語り継いできた。
誰しもがその暴閥に敵対せぬこと、そして後世に生きる己が子たちが、愚かな企みを決して抱かぬために。
「まさか…………ああ、そう……か……」
また一つ思い出した。脳内で散り散りになりかけていた雅禍の報告内容。その中で最初に聞いた、雅禍が最初に戦ったという三人。``閃光``と``竜殺``の付き人幼女、そして。
「青髪のメイド……」
その存在に心当たりがあった。今から四ヶ月ほど前だったか。流川家が主催する新当主就任の祝杯会に参加したときのこと。
当時は凪上家が催していた競売会が正体不明の何者かによって頓挫し、その何者かを探るために愛着も何もない流川の祝杯会に潜り込んだのだが、そのとき``禍焔``と顔合わせをした際にも、ほぼ同じ風貌のメイドがいたのを覚えている。
``禍焔``に仕える者、それすなわち流川本家派の直系に属する存在。水守家の現当主であり、同じく大陸八暴閥の一柱。
「そうか……そういうことかよ」
全ての憶測が、確信へと変わっていく。
東支部での失敗と、今回の失敗。事前に得た情報から彼我戦力の目算、それをことごとく裏切る現実の裏に存在した、察知しようにも察知できなかった不確定要素。
その全ての要因が、流川とその関係者なら説明がつく。雅禍はあの場から逃げ出すのに転移魔法が刻まれた技能球を盗んで使ったと言っていた。一体どこからそんなものをと思っていたが、青髪のメイドが``凍刹``だったなら、納得のいく話になる。
「流川……大戦が終わって尚、俺の邪魔をするってのかよ。面白ぇ」
ボロボロの古文書を躊躇いなく投げ捨てる。落丁しかけていただけに、頁だったものが床中に散らばるが、そんなことなど砂塵でしか思えないと言わんばかりに、不気味で暗澹とした笑みが呼応する。
「申し上げます!!」
「うるせぇ殺すぞ三下が」
「ど、どうかご容赦を!! 直ちにお伝えしたいことが!!」
扉を勢いよく押し開け、手下と思わしき者が跪く。扉の外は明るいのか、室内灯の灯りが部屋の中に差し込むが、それでも部屋を明るく照らすには足りず、漏れ出た光は部屋の闇に吸い込まれてしまう。
縮こまる手下に、怒りのこもった舌打ちをかまし、前へ来るよう手招きする。
「下威区方面より擬巖邸へ侵入者。敵は一名、剣技を巧みに扱い、我らを圧倒しております」
「……ソイツ、姿が現れたり消えたりしてねぇか?」
「え、あ、はい……何故……?」
疑問符に支配される手下を尻目に、手を頭に持っていて天井を見つめる。
ただの侵入者だったなら、この無知で馬鹿で空気を読む能のない三下を殺してやったところだが、姿が消えたり現れたりする、下威区方面からきた剣技を巧に操る奴となれば、敵はたった一人に絞られる。
「まだ生きてやがったかよ、ツムジのガキ」
「は……?」
「チッ……ソイツを離着陸場へ誘導しろ。あとは何もしなくていい」
「え、それは、どういう……?」
「手前が知る必要はねぇ。とっととやれ」
部屋の空気が霊圧で重厚化する。
常人なら息もできなくなり、下手をすれば心肺が止まるほどの致死的な霊圧を受け、三下は更に身を縮こませる。
死にたくない。その一心で息を殺し、そそくさと部屋を後にした。
「何度来ようが無駄だ那由多。手前の魂胆は分かってんだよ」
扉が閉ざされ再び常闇に支配されたその場所で、足を机の上に乗り上げては両手を頭の下に組む。
「ツムジの奴もそうやって死んだ。俺の義眼が下威区を照らす限り、``武ノ壁``は崩させねぇ」
組んだ右手を頭から離し、右目まで持っていく。そして指を右目に突っ込んだ。
肉と肉が擦り合い、引き千切れるような、生々しい不快音が鳴り響く。指が瞼から引き抜かれ、右目だったであろう部位から何かをとりだすと、それを手の中で転がした。
「嗚呼……義眼が疼くぜ……」
部屋に笑いが呼応する。邪悪で、醜悪な笑みが。
誰もいない暗黒の帳。右腕を空に掲げ、指で眼球を摘む影は狂喜し乱舞し、奥底から無限に湧き出る恍惚な劣情をしゃぶり尽くすように、笑い続けたのだった。
一筋の光すら通さぬ暗黒の一室で、一人の男が無造作に机を叩いた。机はぐしゃぐしゃにへしゃげたのち、見るも無惨に砕け散る。
「ふざけやがって、どういうことだ……? 彼我戦力的に、西支部は確実に落とせる目算のはず……!」
何故か血塗れだった雅禍からの報告によると、当初相手は``閃光``と``竜殺``の付き人幼女、そして誰に仕えているのか不明だが北支部の無名請負人と思われる青髪のメイドの三名。正門を攻め入り、地下シェルターを守っていた彼らと交戦となったという。
「東支部のときに``閃光``と``百足使い``が出張ってきたのは予想外だったからな……手の内を晒すことにはなるのは惜しいが不安要素を確実に取り除くために雅禍を送り込んだんだが……」
目論見通り、戦況は雅禍の味方をしてくれていた。雅禍は見た目こそ華奢だが、戦いに愛された駒だ。北支部と西支部の監督官相手だろうと引けを取らないと踏んで戦地へ送り出したのだ。実際、その目算自体は正しかった。彼女なら確実に奴らの息の根を止めることができたのだ。
「なのに……巫女……? 巫女だと……? まさか北方の巫女どもが嗅ぎつけてきたってのか……!?」
ありえない。そう吐き捨てたい気持ちで溢れそうになるが、雅禍を圧倒した巫女装束の少女となると、否定材料が思いつかず、口を縫い合わせるしかない。
雅禍は肉体能力と技量を併せれば本部の請負官相手なら、たとえ一対多の戦局だろうと虐殺できる実力を持っている。実際、剣技では中威区北部では最高峰と名高い``閃光``を圧倒せしめたのだ。その力に疑いようはない。彼女が敗北するとしたら、それらを遥かに凌ぐ存在―――人外の領域に達したごく一部の強者のみ。
だがそれほどの強者は、強すぎるがゆえに世俗と関わりを持たず、ヘルリオン山脈の奥地でのうのうと山籠り生活をしていて、滅多なことでは人里に降りてこない。それら以外で脅威になりそうなのは、請負機関本部の重鎮たる八大魔導師、その中でも``氷のニヴルヘイア``、``光のメタトロニオス``、``闇のバロール``の三柱だが、彼女たちも余程の有事でない限りは本部から出張ることなどなく、まず雑兵が討伐隊として矢面に立たされるはず。
つまり、現時点ではそれほどの強者と鉢合わせることはないはずなのだ。刺激せず、秘密裏に支部を葬れば、強者が出る前に根を張り巡らせることができる。それだけの手札を持っているはずだった。
「情報封鎖が甘かったのか……? いや、考えられる全ての筋道は潰させたはずだ。たとえ花筏の巫女といえど、俺の企みには気づけねぇ……はず。はずなんだが……なんで巫女は現れた……?」
考えれば考えるほど、思考の海を泳げば泳ぐほど、足が取られ、波に煽られ、光を通さぬ暗黒の深海へと誘われる。
花筏に出張られては、抵抗などできない。今持ちうる全ての手札を使い潰したとしても、巫女たった一人撃退することも叶わないだろう。彼女らは、いわば生ける戦略核。人でありながら、人ならざる者たち。大戦時代の覇者である。
況してや新たに当主の座に就いたと言われている``終夜``だったならば―――。
「奴は放浪癖があると有名な当主……ありえねぇ話じゃねぇ……」
だが確認する方法はない。花筏の巫女は容姿や顔に至るまで、全て同一。同族以外では見分けることができないと言われている。
また数多の姉妹がおり、それらが群体となって独自の戦術を展開する戦闘民族だ。仮に雅禍が相対した巫女が花筏の巫女の一人だったしたら、こちらから接近するのは悪手であるし、なにより接近したところで、その巫女が``終夜``かどうかを見分けることは叶わない。
物見遊山で人里に降りてきただけなのか。だとしてもこちらの動きが漏れた可能性は高い。雅禍曰くフードが破られてしまい、巫女には面が割れているようだし、もはや支部には手を出せなくなったと言っていい。
「駒どもには世俗の情報を逐一報告するよう厳命していた……なのに東支部のときといい、今回といい、二度もしくじってやがる……」
戦力の目算に誤りはない。想定していた敵の排除は、確実にできる戦力を送り込んでいた。真正面からでは東支部の連中を討ちそびれるかもしれない。だから暗殺に長けた駒を三匹走らせておいた。だがそれらも全て捕らえられ、雅禍に後始末を頼む羽目になってしまった。今回はその反省を生かし兵全体の質を上げ、指揮官に切り札の雅禍までつけた。そうすることで、``閃光``等を含めた、多くの不確定要素に備えたのだ。
何かが、正体不明の何かが邪魔をしている。それも走らせている駒どもの目や耳に届かないような、透けていて、矮小で、しかし強大な何かが。
「…………そういえば」
雅禍の報告、その最後を思い出した。
あまりに巫女に関する報告内容が出鱈目すぎて忘却寸前だったが、雅禍は転移魔法で命からがら撤退してきたと言っていた。冷静になって思えば、転移魔法を使える者など、現代人類には存在しない。転移魔法は二千年以上もの昔、当時の文明が滅ぶほどの大戦の業火に焼き尽くされ失伝したとされる伝説の大魔法―――というのが現代の通説だが、例外が存在する。
「流川……」
花筏の巫女と双璧を成す絶対強者―――流川家。武市の父王にして、二千年も続いた武力統一大戦時代の覇者。大戦時代が終わり三十年経った今でも、圧倒的な武力を背景に独自の栄華を極める戦闘民族。
おそるおそる一冊の本を取り出した。それはあまりにぼろぼろで、落丁、乱丁の激しい、もはや寿命が尽きかけている古本。本物の古文書ともいうべきか。その本をおもむろに開く。
頁もぐしゃぐしゃ、文字も掠れ掠れで読める代物ではなく、ほんの少し力を入れただけで破けてしまうのではないかと思うくらい脆くなったそれに描かれているのは、どこからともなく魑魅魍魎が現れ、軍を壊滅に陥れる地獄のような挿絵だった。
二千年以上もの昔に失われた大魔法―――転移魔法``顕現``。今となっては、この魔法を行使できる魔導師など存在しないのが常識だが、今から三十年以上前に終結した武力統一大戦時代、その失われた転移魔法を当たり前のように行使し、あろうことか戦術級魔法として多用していた暴閥がいた。
その事実はあまりにも多くの人々に恐怖と絶望を与えたがために、当時の戦役を知る者たちによって闇に葬られたが、一部の上位暴閥と当時を生き残った大魔導師たちは、古文書としてその恐怖と武威を脈々と己の子に語り継いできた。
誰しもがその暴閥に敵対せぬこと、そして後世に生きる己が子たちが、愚かな企みを決して抱かぬために。
「まさか…………ああ、そう……か……」
また一つ思い出した。脳内で散り散りになりかけていた雅禍の報告内容。その中で最初に聞いた、雅禍が最初に戦ったという三人。``閃光``と``竜殺``の付き人幼女、そして。
「青髪のメイド……」
その存在に心当たりがあった。今から四ヶ月ほど前だったか。流川家が主催する新当主就任の祝杯会に参加したときのこと。
当時は凪上家が催していた競売会が正体不明の何者かによって頓挫し、その何者かを探るために愛着も何もない流川の祝杯会に潜り込んだのだが、そのとき``禍焔``と顔合わせをした際にも、ほぼ同じ風貌のメイドがいたのを覚えている。
``禍焔``に仕える者、それすなわち流川本家派の直系に属する存在。水守家の現当主であり、同じく大陸八暴閥の一柱。
「そうか……そういうことかよ」
全ての憶測が、確信へと変わっていく。
東支部での失敗と、今回の失敗。事前に得た情報から彼我戦力の目算、それをことごとく裏切る現実の裏に存在した、察知しようにも察知できなかった不確定要素。
その全ての要因が、流川とその関係者なら説明がつく。雅禍はあの場から逃げ出すのに転移魔法が刻まれた技能球を盗んで使ったと言っていた。一体どこからそんなものをと思っていたが、青髪のメイドが``凍刹``だったなら、納得のいく話になる。
「流川……大戦が終わって尚、俺の邪魔をするってのかよ。面白ぇ」
ボロボロの古文書を躊躇いなく投げ捨てる。落丁しかけていただけに、頁だったものが床中に散らばるが、そんなことなど砂塵でしか思えないと言わんばかりに、不気味で暗澹とした笑みが呼応する。
「申し上げます!!」
「うるせぇ殺すぞ三下が」
「ど、どうかご容赦を!! 直ちにお伝えしたいことが!!」
扉を勢いよく押し開け、手下と思わしき者が跪く。扉の外は明るいのか、室内灯の灯りが部屋の中に差し込むが、それでも部屋を明るく照らすには足りず、漏れ出た光は部屋の闇に吸い込まれてしまう。
縮こまる手下に、怒りのこもった舌打ちをかまし、前へ来るよう手招きする。
「下威区方面より擬巖邸へ侵入者。敵は一名、剣技を巧みに扱い、我らを圧倒しております」
「……ソイツ、姿が現れたり消えたりしてねぇか?」
「え、あ、はい……何故……?」
疑問符に支配される手下を尻目に、手を頭に持っていて天井を見つめる。
ただの侵入者だったなら、この無知で馬鹿で空気を読む能のない三下を殺してやったところだが、姿が消えたり現れたりする、下威区方面からきた剣技を巧に操る奴となれば、敵はたった一人に絞られる。
「まだ生きてやがったかよ、ツムジのガキ」
「は……?」
「チッ……ソイツを離着陸場へ誘導しろ。あとは何もしなくていい」
「え、それは、どういう……?」
「手前が知る必要はねぇ。とっととやれ」
部屋の空気が霊圧で重厚化する。
常人なら息もできなくなり、下手をすれば心肺が止まるほどの致死的な霊圧を受け、三下は更に身を縮こませる。
死にたくない。その一心で息を殺し、そそくさと部屋を後にした。
「何度来ようが無駄だ那由多。手前の魂胆は分かってんだよ」
扉が閉ざされ再び常闇に支配されたその場所で、足を机の上に乗り上げては両手を頭の下に組む。
「ツムジの奴もそうやって死んだ。俺の義眼が下威区を照らす限り、``武ノ壁``は崩させねぇ」
組んだ右手を頭から離し、右目まで持っていく。そして指を右目に突っ込んだ。
肉と肉が擦り合い、引き千切れるような、生々しい不快音が鳴り響く。指が瞼から引き抜かれ、右目だったであろう部位から何かをとりだすと、それを手の中で転がした。
「嗚呼……義眼が疼くぜ……」
部屋に笑いが呼応する。邪悪で、醜悪な笑みが。
誰もいない暗黒の帳。右腕を空に掲げ、指で眼球を摘む影は狂喜し乱舞し、奥底から無限に湧き出る恍惚な劣情をしゃぶり尽くすように、笑い続けたのだった。
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2024/02/23
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