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抗争東支部編
最終決戦
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時は数刻が経った頃。澄男とイラ、そして宿命のライバルたるトト・タートに霊子通信を送り終えた仙獄觀音は敵将と思わしき男と対峙していた。
複数人の側近を引き連れ、天下の往来を我が物顔で歩いてやってきた敵将。腰に刀を携え、装備も万全。外見だけ見るなら万軍を指揮する立派な将軍であろう。
しかし、忌避感しかなかった。その敵将の顔が、立派な外見とは裏腹に、下卑た笑みに塗れていたからだ。
「久しいな、仙獄觀音。早速だが、お前には死んでもらう」
敵軍の将―――凪上雅和は、腰に携えていた刀を鞘から引き抜き、切先を向けてくる。
刀は高名な鍛治師にでも作ってもらったものなのか、基本的に戦闘で武器を使わない仙獄觀音でさえ、その刀が業物であることはすぐに分かった。
しかし、武器が泣いているようにしか見えない。たとえどれだけの業物だろうと使い手が下劣ならば、その刀の格も落ちるというもの。
立派な鎧、立派な武器。外面だけ着飾って、自分を強く見せているだけの小物。凪上家は中威区の暴閥の中でも有数の勢力を誇るが、当主がこの程度では、家格も知れたも同然だ。深くため息をつき、脱力気味に肩を落とした。
「貴様……!! この俺様を見てため息だと……!! どこまでも舐めた小娘が!!」
ただため息を吐いただけで、顔を赤面させて怒りを露わにする雅和。この時点で、真面に相手をする気が失せていた。
「お前が敵将なのは知れている。相手をしてやるから、かかってくるといい……と、いつもなら応じてやるのだが……此度の相手は私ではない」
怪訝な表情を浮かべる雅和をよそに、彼の人としての器のみならず、戦いの力量も大雑把に推測していた。
全能度は、やはり暴閥の当主なだけあって高い。数値に表すと四百程度、支部平均を遥かに凌ぐ強者なのは間違いなく、体内を巡る霊力の流れから、魔法はともかく魔術程度は使えると見立てても外れることはないだろう。
流石に属性適性までは分からないが、魔術程度しか使えないともなると、使える魔術は単純な攻撃系に限られると思われる。
このレベルの強者が東支部ビルに殴り込みをかけてきていたら、確かに護海竜愛以外では相手にならない。集団戦をしかければ戦えないこともないだろうが、勝算は低いだろう。
だが、敗北する要素はない。胸中には勝利への確信に満ちていた。
「貴様の相手は我が腹心にして護海竜愛隊長エルシア・アルトノートだ。お前には、彼女で十分であろう」
「ふざけるな!! 何故そんな雑魚と戦わねばならん!! さては配下に縋るつもりだな!! 所詮は雑多な小娘ということか!!」
腕を組み、不遜に笑うその態度に、雅和の顔が茹蛸のように赤くなる。
「そんなに吼えるなら戦ってみたらどうだ? 腕に自信があるのだろう? 真の実力者なら、護海竜愛の隊長は倒せるはずだ」
悔し紛れに歯噛みする雅和。護海竜愛の隊長を倒せずして東支部代表に挑むのは、護海竜愛の隊長如きに背を向けることになると当主の誇りが許さないのだろう。つくづく小さい男だなと思いつつも、思惑通りに事を運べたと内心ほくそ笑む。
「安心しろ。私は逃げも隠れもせんよ。エルシアを見事倒せたなら、改めて私が相手をしてやるさ」
「ふん。配下に縋るなど格が知れるというものだが、だからこそ討伐し甲斐があるというものよな。良かろう、連れてくるがいいぞ」
格下だと思っている相手を討伐することに``討伐し甲斐がある``などと言っている時点でよくもぬけぬけと此方を格下扱いできたものだなと呆れを通り越して豪胆に感じてきたが、ともあれ舞台は整った。後は彼女に任せてもいいだろう。
仙獄觀音の背後から、一人の女性が姿を現す。腰まで届く長い黒髪を靡かせ、所々に鎧を纏う真っ白なコートに身を包む姿は、正義と潔白の象徴、悪を断ずる凛々しい聖騎士を思わせる。
雅和は少したじろいだように一歩後ずさる。濁りのない黒い瞳には、強い眼光を秘めていた。
それは獣を射殺す光。小型動物ならば思わず逃げ出すほどの光。濁りこそないが、明るくもない。光の奥に淀む暗澹な感情が、刃となって雅和の胸中をざわつかせる。
「お、俺の名は凪上家当主、凪上雅和!! その命貰い受ける!!」
己の中に湧いた暴閥の当主に相応しくない感情を振り払うように、気取った合図で己を鼓舞して刀を振りかぶる。
一方は業物を構え、他方は素手。武器の差から戦局の予想はつけやすいが、エルシアの眼の光に陰りはない。仙獄觀音は頷きながら目を閉じる。ここに、凪上家当主と護海竜愛隊長の戦いが幕を開けた―――。
なんのことはない、ただの斬り落としだ。肉体能力が高いだけに剣速は常人を逸しているものの、エルシアにとってはスロー再生の動画でも見ている気分に苛まれる。
大姉様の手を煩わせるまでもない、難なく対処できるレベルの粗末な攻撃。そんな単調な攻撃を、危うげなく回避してみせる。
「まだまだぁ!!」
真上から再び剣筋が迫る。これまたなんのことはない、ただの斬り落としである。
持っている武器は業物でも、剣の腕はお世辞にも良いとは言えない代物だ。先程同じ技を避けられたばかりだというのに、また同じやり方で攻めている。戦闘の技量は低いとみて差し支えない。
だがこの程度で当主をやっていられるのは、単純に肉体能力の高さと剣の性能によるものだ。実際、剣圧でイラが創った迷宮の床にほんの少しばかりヒビが入っていることから、膂力は常人の域を軽く凌いでいることが分かる。
きちんと基礎から学び直せば強者の域に立てたかもしれないが、技量が何もないと豚に真珠を持たせているような姿を思わず思い浮かべてしまう。
「がっ!?」
もはや避けるまでもない。そろそろ攻勢に移ろう。彼の剣を右手の籠手で受け止め、そして勢いよく右へと振り払う。剣筋が大きく逸れ、無防備な横腹が露となる。
その隙を見逃すほどエルシアは盲目ではない。一瞬で間合いを詰め、無防備にさらされた横腹に拳をめり込ませた。
「ごぇあ……!?」
横腹に叩き込まれた一撃は肋骨を貫き、肋骨が守っているはずの臓腑に大ダメージを与えたのだろう。大きく後方へ突き飛ばされ、間抜けにも雅和は吐瀉物をまき散らし、着地したその場所でしばらく蹲った。
今放った攻撃は、運動量を発生させ、一撃の威力を可能な限り高める体術―――一般に``発勁``と呼ばれる技である。
元々、身体能力は低い部類であった。今は鍛えているので東支部解放当時と比べれば東支部有数の部類には入るが、それでも膂力に自信がある方ではない。だからといって大姉様のように軽々しく人類の種族限界を超えることもできない。そこで教わったのが、この技であった。
身体能力が伴わない部分は技で補う。本来なら崩せない防御も、瞬間的に高めた一撃で粉砕する。最終的には霊力操作と呼ばれる体術と併用することを目的に、今も切磋琢磨しているほどだ。
「自慢の武器を放ったようだが、どうする?」
相手は怨敵。余裕などないが、ここで余裕を見せなければ舐められる。余力を有るように見せかけて、雅和を見下げる。その態度に、雅和は悔し紛れに手を挙げた。
中位暴閥、そのトップクラスの当主となれば、多少なりとも魔法や魔術は使えるだろう。その手の中心から魔法陣が描かれる。
禍々しく光る、血のように赤い魔法陣。その魔法陣からは自分に対する敵意に塗れていた。火属性系の攻撃魔法である。
彼は予想を裏切らない。深く、より深く嘆息する羽目になった。
「これで終わりだ!! まさかこの魔法をお前如き雑兵に使うことになると思わなかったが、まあいい!! ここら一帯全て焼き尽くす!!」
「そのような真似をすれば、お前の部下も死ぬが?」
「知ったことか!! 部下など、いくらでも後から仕入れればいい!! 元より俺はお前になど用はないのだよ!! 仙獄觀音さえ消せれば、それでいいのだ!! ファーハッハッハッハ!!」
そうか、と嘆息とともに深く落胆する。
はっきり言って、もはや手を下すまでもない。魔法陣から流れる霊力を見る限り、自分の中に宿るほぼ全ての霊力を使った全身全霊の魔法攻撃。威力も、彼の言う通りこのエリア一帯程度ならば焦土にするくらいはあるだろう。
だが彼は、怒りと興奮のあまり、冷静な判断を失ってしまったようだ。それだけの広範囲魔法攻撃を行えば、自分を確殺できると思っているようだが、さっき言った通り部下は防御魔法をはらなければ巻き添えとなって死ぬし、なにより範囲をエリア全域にしているなら、その魔法は容赦なく術者をも焼き尽くすことになる。
魔法は威力に念頭が置かれているようだった。制御すらもかなぐり捨てた、まさに全力の攻撃。当たれば流石に無傷ではいられない。大姉様ならばノーガードで耐えきれるが、自分はそこまで強くはないのだ。
「だが、焦ることでもない。私も修行の成果を試すときが来たようだ」
雅和と息を合わせたように自分もまた手を挙げる。雅和は困惑しつつも嘲笑じみた笑みを浮かべるが、その表情はすぐに驚愕の気色に塗り潰された。
それは、一瞬の出来事。
エルシアの掲げた手から蛍のような優しくも儚さを思わせる光が灯った瞬間、雅和の手の上に描かれた赤い魔法陣が、粉々に砕け散ったのだ。
エリアを焼き尽くさんとする殺意は、芽生えることなくその芽を摘まれる。唖然とする雅和と、その家臣たち。何が起こったか、全く分からないという形相だった。
「な、おま、何を、何をしたぁぁ!?」
当主の威厳はどこへやら。渾身の魔法攻撃があっさりと不発に終わり、腰を抜かしながら聞き返す。
その目は血走っていたが、敵意からではない。自分に対する、明確な畏怖からくるものであった。
「なんのことはない。ただ、魔法を無効化しただけだ」
「ま、魔法を無効化だと……? そんなことできるはずがない!」
「そう言われてもな……」
できてしまったことをできるはずがないと面と向かって言われ、困惑を隠せない。どう返答しようか迷ったが、それは無駄だと悟る。
自分は大姉様と違って強者ではない。澄男に言われたように、舐められないよう気丈にふるまっているだけだ。よって手の内を相手に晒すつもりはないが、カラクリは簡単だ。
魔法陣というものは、いわばその魔法を発動するのに必要な情報の集合体。その魔法の詳細から発動条件、周囲の環境や術者の状態まで事細かに記した霊的媒体である。
武術を究める傍ら、魔導に関する修行も怠った日はなかった。座学にも抵抗はなかった自分は、``三大魔女``が著したとされる魔導書を本部から取り寄せ、魔法とは何か、魔術とは何かを改めて学び直した。
その結果、魔法陣の理解力が飛躍的に高まったのだ。今回使った技は、その勉強の成果と言える。
魔導とは、すなわち事象干渉。世界の原理に干渉し、特定の概念を観念化して、魔法陣を経て再び概念化する。ということは、魔法陣同士もまた干渉し合うことを意味する。
自分に多彩な魔法を覚える才はなかった。セレスに教えを請おうとも考えたが、あの男は苦手だったし、なにより水属性適性を持ち合わせていなかったために、参考にならないと思ったのだ。
だからこそ魔法陣同士の干渉に目を向け、その一点に長い時間をかけて修行し、技へと昇華させた。自分が行ったことは単純に、相手と全く同じ魔法陣を描いて、それを干渉させるというものである。
全く同じ魔法陣同士を干渉させると何が起こるか。簡単な話、相手の魔法陣と自分の魔法陣が相殺されて、双方の魔法が不発になる。ただそれだけである。
いわば裏技のような真似をして、雅和の捨て身の攻撃魔法を無効化したのである。相手からすれば、渾身の一撃が意図せず一瞬のうちに不発で終わるのだからさぞかし恐ろしいだろう。自分が逆の立場なら、敵を目前にして恐怖を隠せるか怪しいくらいだ。
このように、相手に充分な恐怖を与えられるくらい強力な、最後の切り札と言ってもいい技なのだが、切り札というだけあって、実を言うと使い勝手はそんなに良くない。
まず不発に終わらせるには、相手と全く同じ霊力出力で全く同じ魔法陣を、相手が魔法を発動するまでに描写する必要があり、相手が描く魔法陣が複雑であるほど、転写が困難になってしまう。
今回、雅和が使おうとした魔法は単純に広範囲を焦土にするだけの火属性系攻撃系魔法だったため、魔法陣を構成する回路は極めて単純だったのだが、味方を攻撃対象外にする機構だとか、爆発範囲を事細かに指定する機構だとかを魔法陣に組み込んでいた場合、確実に不発に追い込めるかは怪しいところだった。つくづく彼の未熟な技量に救われたと安堵するほかない。
また当然こちらも同じだけの魔法陣を描き発動する必要があるため、同じ量の霊力を消費する。つまり、自分の体内霊力量を超えて発動する強力な魔法は、たとえ魔法陣を転写できたとしても相殺することはできない。
自分の体内霊力量はお世辞にも高くない。実際、今だって体内霊力量のほとんどを使い切ってしまい、内心フラフラだ。早く霊力回復薬を飲まないと、抗い難い倦怠感で今にも膝をついてしまいそうになる。
この程度では、本職の魔導師が扱う渾身の魔法を不発に追い込むのは難しい。本部の請負官に通じるかと問われれば、迷いなく否だ。
まだまだ修行が足りないなとつくづく思い知らされるが、それだけ成長の余地があると思えば、力不足な自分を責めすぎずに済む。自分を``悪夢``に陥れた存在を、今やこうして膝を折らせ戦意を挫けさせているのだから、自分は当時よりも遥かに強く、大きくなったと胸を張って言えるだろう。
ただ―――あれだけ辱めた相手を覚えておらず、その覚えていない元奴隷階級の女請負人に下されてしまったこんな男に、かつての自分は手も足も出なかったのかと、絶望させられたのかと思うと、少し、ほんの少しだが情けないと思う自分がいるのはここだけの話だ。
「まあいい。剣術も届かず、魔法も効かぬことは分かっただろう。武装を解除し、投降してほしい」
今回、この任務の達成は敵性勢力を撃退すること。殺したいほど憎いことに変わりはないが、復讐や報復だけはするつもりはない。私怨を任務に持ち込むことはご法度なのだ。
この男はこの戦いの主犯格であり、軍は退いてもらうにせよ、詳しい事情を聞く必要がある。
曲がりなりにも戦争を起こし、中威区東部の治安を乱したのだ。何も事情も聞かずただ撃退とはいかない。相手の方は万策尽きているはず。自分も余力がまだあることを装っているが、体内霊力はほとんどなく、もうこれ以上は戦えない。ここで投降してほしいものなのだが。
「ふざけるなよ……この俺が……お前のような、名も知らん小娘如きに頭を下げるわけがないだろう……!! そもそも、この戦いに敗北はありえんのだ!!」
その自信、どこから湧いて出てくるのか。一騎打ちで敗北しておきながら、かなり往生際が悪い。
「お前たちは知らんだろうがな、既に我が伏兵が貴様らの支部内に……」
「ああ、それなら既に対処済みだ。他の支部から応援を呼んだ甲斐があったものだよ」
は? と間抜けな声を出し、呆然とエルシアを見つめる雅和。
この大規模な戦いが茶番なのは、既に澄男という新人の手によって暴かれた。彼がいなければ雅和は戦略的勝利を収められただろうが、やはり人は助け合ってこそ意味があると改めて実感する。
「あ、ありえるかぁ!! 我が伏兵は数ヶ月も前から、支部内に潜伏させておいたのだぞ!! 今更見破られるはずが……」
「そんなに信じられないなら、事実を見せてやろう」
言葉ではどうにもならない。自分の信じたいことだけを盲信している人間ほど、面倒で厄介この上ないなと思いつつ、霊子通信を繋げる。相手は伏兵を迎撃しに行った、澄男とトト・タートだ。
『何だ? アサシンの奴らなら捕えたぞ』
『ご苦労。それで、今私の目の前に敵軍の将がいるんだが、音声をスピーカーモードにしても構わんか?』
真っ先に出たのは澄男という新人だった。新人なのに威圧感たっぷりの言動は少々気にはなるが、今はそれより重要なことがある。
任務請負証による公式霊子通信は、基本的に通話している者同士でしか、意思疎通は行えない。しかしモードを切り替えることで、スピーカーのように相手の声を周囲に聞かせることが可能なのだ。特に名前が決まっているわけではないのだが、大半の請負人は、この機能を``スピーカーモード``と呼んでいる。
霊子通信は複数人と同時に意思疎通できるがゆえに滅多に使われない機能だが、任務請負機関に属していない人間は公式回線に干渉できない。外部の人間が意思疎通を図るには、スピーカーモードが適切なのだ。
構わねぇぞ、と澄男からの許可が降りる。モードをスピーカーに切り替えた。
『よう、テメェんトコのアサシンは全員ブチのめしたぜ』
「ば、馬鹿なぁ!! 貴様のような若輩如きにやられるはずが……!!」
『そのことで聞きてえことがあんだがよぉ……コイツら、テメェの兵じゃねぇだろ?』
思わず訝しげな表情を浮かべる。だがその一言で、雅和の表情が一瞬だが引き攣った。
「……そ、そんなわけないだろう!! 彼らは俺の英兵だぞ!!」
『ふーん……あっそ、まあいいや。だったら言うけどよ、コイツら全能度五百超えてんだけど、テメェより強ぇ奴を従わせるなんてできるのかねぇ?』
雅和の顔が引き攣りから明確な蒼白へ豹変する。自分の虎の子が無名の請負人に倒された事実を、ようやく認めたのだろう。みるみるうちに彼から戦意が失われていくのが、手に取るように分かった。
「く、くそ!! お、俺は、俺様は、こんな所で死んでいい人間じゃねぇ!!」
「雅和様!?」
「雅和様どちらへ!?」
「うるさい黙れ!! お前ら家臣だろ、せめて俺の肉盾になりやがれ!!」
脱兎の如く、とはまさに彼の姿を指すのではないだろうか。それにしてはあまりに無様がすぎるが、もはや添える言葉もない。
どちらにせよ、ギャングたちが迷宮を踏み荒らしたせいで、退路は絶たれている。仮にあったとしても、地下迷宮を抜け出すより再度彼を捕まえる方が断然速いだろう。
彼はもう、詰んでいるのだ。
「畜生!! 畜生がぁ!! 俺は、俺はただ言われただけなんだよ!! あの方に、あの方に言われただけなんだ!!」
「あの方……?」
「そ、そうだ!! わ、分かった。降参、降参する!! その代わり、あの方について話そう!! だからここで手打ちといかないか!!」
雅和の目に希望の光が淡く灯る。あの方という単語に反応したのを見逃さなかったのだろう。
『あ? 勝手に攻めてきておきながら何アホぬかしてんだテメェ?』
スピーカーを即刻切れば良かったか、判断を見誤った感に苛まれる。霊子通信回線から送られる思念は、あまりに刺々しく、そして禍々しい怨念に近いものだ。
『手打ちとか舐めた口叩いてんなよ雑魚が、負け犬は負け犬らしく漢見せろや』
「黙れ!! 無名の屑が!! お前如きに指図される筋合いはない!!」
『あぁん!? 屑ゥ? 誰が屑だってェ? よし分かった今からそっち行くから待ってろどっちが屑か分からせてやる』
『新人クン、どーどーどーどー!! ブレーキブレーキ!!』
澄男の怒気が一気に高まった。回線からなだれ込んでくる感情は、例えるなら火山から噴火して溢れた溶岩の如く熱い。
このままだと本当に迷宮を掘削してここまで来かねない。叩きのめして再起不能にされても事情が聞けなくなって困る。早く拘束してしまわなければ。
大姉様がこれ以上は必要ないとスピーカーモードを切ってくれる。そして霊子通信の主導権を自分から奪い取り、霊子通信の宛先をトト・タートにチャンネルしていた。
『新人の世話、任せたぞ』
『私に丸投げっすか、太々しーヤローっすね』
『エルシアがこの男を拘束せねばならんのでね。私はこの場から動くつもりはないし、エルシアも敵将に力を使ってしまってあまり余力もない。近くにいる者に仕事を配分するのが妥当であろう?』
『チッ……この借りはでけーっすよ』
あからさまに嫌悪感を回線経由でぶつけ、一方的に通信は切られた。相変わらず大姉様と南支部代表は犬猿の仲だが、とりあえず今は護海竜愛隊長として、そして``東支部の悪夢``一番の被害者として、やるべきをやるとしよう。
「凪上雅和。お前を拘束する。抵抗するならできぬようにするが、怪我はしたくなかろう。無条件降伏を推奨する」
数人の家臣と奴隷を背に、雅和は苦虫を噛み潰す。
かつては自分が苦虫を嚙み潰す側だった。人生とは分からないものだ。あのときは男たちに延々と回され続け、この世の全てを憎み絶望したが、死を選ばず大姉様の手を取り、今日まで這い上がってきて良かったと、今なら胸を張って言える。
自分の心中の思いなど露知らず。雅和は終始この場にいる全員を強く睨んでいたが、膝から崩れ落ちるように、項垂れたのだった。
複数人の側近を引き連れ、天下の往来を我が物顔で歩いてやってきた敵将。腰に刀を携え、装備も万全。外見だけ見るなら万軍を指揮する立派な将軍であろう。
しかし、忌避感しかなかった。その敵将の顔が、立派な外見とは裏腹に、下卑た笑みに塗れていたからだ。
「久しいな、仙獄觀音。早速だが、お前には死んでもらう」
敵軍の将―――凪上雅和は、腰に携えていた刀を鞘から引き抜き、切先を向けてくる。
刀は高名な鍛治師にでも作ってもらったものなのか、基本的に戦闘で武器を使わない仙獄觀音でさえ、その刀が業物であることはすぐに分かった。
しかし、武器が泣いているようにしか見えない。たとえどれだけの業物だろうと使い手が下劣ならば、その刀の格も落ちるというもの。
立派な鎧、立派な武器。外面だけ着飾って、自分を強く見せているだけの小物。凪上家は中威区の暴閥の中でも有数の勢力を誇るが、当主がこの程度では、家格も知れたも同然だ。深くため息をつき、脱力気味に肩を落とした。
「貴様……!! この俺様を見てため息だと……!! どこまでも舐めた小娘が!!」
ただため息を吐いただけで、顔を赤面させて怒りを露わにする雅和。この時点で、真面に相手をする気が失せていた。
「お前が敵将なのは知れている。相手をしてやるから、かかってくるといい……と、いつもなら応じてやるのだが……此度の相手は私ではない」
怪訝な表情を浮かべる雅和をよそに、彼の人としての器のみならず、戦いの力量も大雑把に推測していた。
全能度は、やはり暴閥の当主なだけあって高い。数値に表すと四百程度、支部平均を遥かに凌ぐ強者なのは間違いなく、体内を巡る霊力の流れから、魔法はともかく魔術程度は使えると見立てても外れることはないだろう。
流石に属性適性までは分からないが、魔術程度しか使えないともなると、使える魔術は単純な攻撃系に限られると思われる。
このレベルの強者が東支部ビルに殴り込みをかけてきていたら、確かに護海竜愛以外では相手にならない。集団戦をしかければ戦えないこともないだろうが、勝算は低いだろう。
だが、敗北する要素はない。胸中には勝利への確信に満ちていた。
「貴様の相手は我が腹心にして護海竜愛隊長エルシア・アルトノートだ。お前には、彼女で十分であろう」
「ふざけるな!! 何故そんな雑魚と戦わねばならん!! さては配下に縋るつもりだな!! 所詮は雑多な小娘ということか!!」
腕を組み、不遜に笑うその態度に、雅和の顔が茹蛸のように赤くなる。
「そんなに吼えるなら戦ってみたらどうだ? 腕に自信があるのだろう? 真の実力者なら、護海竜愛の隊長は倒せるはずだ」
悔し紛れに歯噛みする雅和。護海竜愛の隊長を倒せずして東支部代表に挑むのは、護海竜愛の隊長如きに背を向けることになると当主の誇りが許さないのだろう。つくづく小さい男だなと思いつつも、思惑通りに事を運べたと内心ほくそ笑む。
「安心しろ。私は逃げも隠れもせんよ。エルシアを見事倒せたなら、改めて私が相手をしてやるさ」
「ふん。配下に縋るなど格が知れるというものだが、だからこそ討伐し甲斐があるというものよな。良かろう、連れてくるがいいぞ」
格下だと思っている相手を討伐することに``討伐し甲斐がある``などと言っている時点でよくもぬけぬけと此方を格下扱いできたものだなと呆れを通り越して豪胆に感じてきたが、ともあれ舞台は整った。後は彼女に任せてもいいだろう。
仙獄觀音の背後から、一人の女性が姿を現す。腰まで届く長い黒髪を靡かせ、所々に鎧を纏う真っ白なコートに身を包む姿は、正義と潔白の象徴、悪を断ずる凛々しい聖騎士を思わせる。
雅和は少したじろいだように一歩後ずさる。濁りのない黒い瞳には、強い眼光を秘めていた。
それは獣を射殺す光。小型動物ならば思わず逃げ出すほどの光。濁りこそないが、明るくもない。光の奥に淀む暗澹な感情が、刃となって雅和の胸中をざわつかせる。
「お、俺の名は凪上家当主、凪上雅和!! その命貰い受ける!!」
己の中に湧いた暴閥の当主に相応しくない感情を振り払うように、気取った合図で己を鼓舞して刀を振りかぶる。
一方は業物を構え、他方は素手。武器の差から戦局の予想はつけやすいが、エルシアの眼の光に陰りはない。仙獄觀音は頷きながら目を閉じる。ここに、凪上家当主と護海竜愛隊長の戦いが幕を開けた―――。
なんのことはない、ただの斬り落としだ。肉体能力が高いだけに剣速は常人を逸しているものの、エルシアにとってはスロー再生の動画でも見ている気分に苛まれる。
大姉様の手を煩わせるまでもない、難なく対処できるレベルの粗末な攻撃。そんな単調な攻撃を、危うげなく回避してみせる。
「まだまだぁ!!」
真上から再び剣筋が迫る。これまたなんのことはない、ただの斬り落としである。
持っている武器は業物でも、剣の腕はお世辞にも良いとは言えない代物だ。先程同じ技を避けられたばかりだというのに、また同じやり方で攻めている。戦闘の技量は低いとみて差し支えない。
だがこの程度で当主をやっていられるのは、単純に肉体能力の高さと剣の性能によるものだ。実際、剣圧でイラが創った迷宮の床にほんの少しばかりヒビが入っていることから、膂力は常人の域を軽く凌いでいることが分かる。
きちんと基礎から学び直せば強者の域に立てたかもしれないが、技量が何もないと豚に真珠を持たせているような姿を思わず思い浮かべてしまう。
「がっ!?」
もはや避けるまでもない。そろそろ攻勢に移ろう。彼の剣を右手の籠手で受け止め、そして勢いよく右へと振り払う。剣筋が大きく逸れ、無防備な横腹が露となる。
その隙を見逃すほどエルシアは盲目ではない。一瞬で間合いを詰め、無防備にさらされた横腹に拳をめり込ませた。
「ごぇあ……!?」
横腹に叩き込まれた一撃は肋骨を貫き、肋骨が守っているはずの臓腑に大ダメージを与えたのだろう。大きく後方へ突き飛ばされ、間抜けにも雅和は吐瀉物をまき散らし、着地したその場所でしばらく蹲った。
今放った攻撃は、運動量を発生させ、一撃の威力を可能な限り高める体術―――一般に``発勁``と呼ばれる技である。
元々、身体能力は低い部類であった。今は鍛えているので東支部解放当時と比べれば東支部有数の部類には入るが、それでも膂力に自信がある方ではない。だからといって大姉様のように軽々しく人類の種族限界を超えることもできない。そこで教わったのが、この技であった。
身体能力が伴わない部分は技で補う。本来なら崩せない防御も、瞬間的に高めた一撃で粉砕する。最終的には霊力操作と呼ばれる体術と併用することを目的に、今も切磋琢磨しているほどだ。
「自慢の武器を放ったようだが、どうする?」
相手は怨敵。余裕などないが、ここで余裕を見せなければ舐められる。余力を有るように見せかけて、雅和を見下げる。その態度に、雅和は悔し紛れに手を挙げた。
中位暴閥、そのトップクラスの当主となれば、多少なりとも魔法や魔術は使えるだろう。その手の中心から魔法陣が描かれる。
禍々しく光る、血のように赤い魔法陣。その魔法陣からは自分に対する敵意に塗れていた。火属性系の攻撃魔法である。
彼は予想を裏切らない。深く、より深く嘆息する羽目になった。
「これで終わりだ!! まさかこの魔法をお前如き雑兵に使うことになると思わなかったが、まあいい!! ここら一帯全て焼き尽くす!!」
「そのような真似をすれば、お前の部下も死ぬが?」
「知ったことか!! 部下など、いくらでも後から仕入れればいい!! 元より俺はお前になど用はないのだよ!! 仙獄觀音さえ消せれば、それでいいのだ!! ファーハッハッハッハ!!」
そうか、と嘆息とともに深く落胆する。
はっきり言って、もはや手を下すまでもない。魔法陣から流れる霊力を見る限り、自分の中に宿るほぼ全ての霊力を使った全身全霊の魔法攻撃。威力も、彼の言う通りこのエリア一帯程度ならば焦土にするくらいはあるだろう。
だが彼は、怒りと興奮のあまり、冷静な判断を失ってしまったようだ。それだけの広範囲魔法攻撃を行えば、自分を確殺できると思っているようだが、さっき言った通り部下は防御魔法をはらなければ巻き添えとなって死ぬし、なにより範囲をエリア全域にしているなら、その魔法は容赦なく術者をも焼き尽くすことになる。
魔法は威力に念頭が置かれているようだった。制御すらもかなぐり捨てた、まさに全力の攻撃。当たれば流石に無傷ではいられない。大姉様ならばノーガードで耐えきれるが、自分はそこまで強くはないのだ。
「だが、焦ることでもない。私も修行の成果を試すときが来たようだ」
雅和と息を合わせたように自分もまた手を挙げる。雅和は困惑しつつも嘲笑じみた笑みを浮かべるが、その表情はすぐに驚愕の気色に塗り潰された。
それは、一瞬の出来事。
エルシアの掲げた手から蛍のような優しくも儚さを思わせる光が灯った瞬間、雅和の手の上に描かれた赤い魔法陣が、粉々に砕け散ったのだ。
エリアを焼き尽くさんとする殺意は、芽生えることなくその芽を摘まれる。唖然とする雅和と、その家臣たち。何が起こったか、全く分からないという形相だった。
「な、おま、何を、何をしたぁぁ!?」
当主の威厳はどこへやら。渾身の魔法攻撃があっさりと不発に終わり、腰を抜かしながら聞き返す。
その目は血走っていたが、敵意からではない。自分に対する、明確な畏怖からくるものであった。
「なんのことはない。ただ、魔法を無効化しただけだ」
「ま、魔法を無効化だと……? そんなことできるはずがない!」
「そう言われてもな……」
できてしまったことをできるはずがないと面と向かって言われ、困惑を隠せない。どう返答しようか迷ったが、それは無駄だと悟る。
自分は大姉様と違って強者ではない。澄男に言われたように、舐められないよう気丈にふるまっているだけだ。よって手の内を相手に晒すつもりはないが、カラクリは簡単だ。
魔法陣というものは、いわばその魔法を発動するのに必要な情報の集合体。その魔法の詳細から発動条件、周囲の環境や術者の状態まで事細かに記した霊的媒体である。
武術を究める傍ら、魔導に関する修行も怠った日はなかった。座学にも抵抗はなかった自分は、``三大魔女``が著したとされる魔導書を本部から取り寄せ、魔法とは何か、魔術とは何かを改めて学び直した。
その結果、魔法陣の理解力が飛躍的に高まったのだ。今回使った技は、その勉強の成果と言える。
魔導とは、すなわち事象干渉。世界の原理に干渉し、特定の概念を観念化して、魔法陣を経て再び概念化する。ということは、魔法陣同士もまた干渉し合うことを意味する。
自分に多彩な魔法を覚える才はなかった。セレスに教えを請おうとも考えたが、あの男は苦手だったし、なにより水属性適性を持ち合わせていなかったために、参考にならないと思ったのだ。
だからこそ魔法陣同士の干渉に目を向け、その一点に長い時間をかけて修行し、技へと昇華させた。自分が行ったことは単純に、相手と全く同じ魔法陣を描いて、それを干渉させるというものである。
全く同じ魔法陣同士を干渉させると何が起こるか。簡単な話、相手の魔法陣と自分の魔法陣が相殺されて、双方の魔法が不発になる。ただそれだけである。
いわば裏技のような真似をして、雅和の捨て身の攻撃魔法を無効化したのである。相手からすれば、渾身の一撃が意図せず一瞬のうちに不発で終わるのだからさぞかし恐ろしいだろう。自分が逆の立場なら、敵を目前にして恐怖を隠せるか怪しいくらいだ。
このように、相手に充分な恐怖を与えられるくらい強力な、最後の切り札と言ってもいい技なのだが、切り札というだけあって、実を言うと使い勝手はそんなに良くない。
まず不発に終わらせるには、相手と全く同じ霊力出力で全く同じ魔法陣を、相手が魔法を発動するまでに描写する必要があり、相手が描く魔法陣が複雑であるほど、転写が困難になってしまう。
今回、雅和が使おうとした魔法は単純に広範囲を焦土にするだけの火属性系攻撃系魔法だったため、魔法陣を構成する回路は極めて単純だったのだが、味方を攻撃対象外にする機構だとか、爆発範囲を事細かに指定する機構だとかを魔法陣に組み込んでいた場合、確実に不発に追い込めるかは怪しいところだった。つくづく彼の未熟な技量に救われたと安堵するほかない。
また当然こちらも同じだけの魔法陣を描き発動する必要があるため、同じ量の霊力を消費する。つまり、自分の体内霊力量を超えて発動する強力な魔法は、たとえ魔法陣を転写できたとしても相殺することはできない。
自分の体内霊力量はお世辞にも高くない。実際、今だって体内霊力量のほとんどを使い切ってしまい、内心フラフラだ。早く霊力回復薬を飲まないと、抗い難い倦怠感で今にも膝をついてしまいそうになる。
この程度では、本職の魔導師が扱う渾身の魔法を不発に追い込むのは難しい。本部の請負官に通じるかと問われれば、迷いなく否だ。
まだまだ修行が足りないなとつくづく思い知らされるが、それだけ成長の余地があると思えば、力不足な自分を責めすぎずに済む。自分を``悪夢``に陥れた存在を、今やこうして膝を折らせ戦意を挫けさせているのだから、自分は当時よりも遥かに強く、大きくなったと胸を張って言えるだろう。
ただ―――あれだけ辱めた相手を覚えておらず、その覚えていない元奴隷階級の女請負人に下されてしまったこんな男に、かつての自分は手も足も出なかったのかと、絶望させられたのかと思うと、少し、ほんの少しだが情けないと思う自分がいるのはここだけの話だ。
「まあいい。剣術も届かず、魔法も効かぬことは分かっただろう。武装を解除し、投降してほしい」
今回、この任務の達成は敵性勢力を撃退すること。殺したいほど憎いことに変わりはないが、復讐や報復だけはするつもりはない。私怨を任務に持ち込むことはご法度なのだ。
この男はこの戦いの主犯格であり、軍は退いてもらうにせよ、詳しい事情を聞く必要がある。
曲がりなりにも戦争を起こし、中威区東部の治安を乱したのだ。何も事情も聞かずただ撃退とはいかない。相手の方は万策尽きているはず。自分も余力がまだあることを装っているが、体内霊力はほとんどなく、もうこれ以上は戦えない。ここで投降してほしいものなのだが。
「ふざけるなよ……この俺が……お前のような、名も知らん小娘如きに頭を下げるわけがないだろう……!! そもそも、この戦いに敗北はありえんのだ!!」
その自信、どこから湧いて出てくるのか。一騎打ちで敗北しておきながら、かなり往生際が悪い。
「お前たちは知らんだろうがな、既に我が伏兵が貴様らの支部内に……」
「ああ、それなら既に対処済みだ。他の支部から応援を呼んだ甲斐があったものだよ」
は? と間抜けな声を出し、呆然とエルシアを見つめる雅和。
この大規模な戦いが茶番なのは、既に澄男という新人の手によって暴かれた。彼がいなければ雅和は戦略的勝利を収められただろうが、やはり人は助け合ってこそ意味があると改めて実感する。
「あ、ありえるかぁ!! 我が伏兵は数ヶ月も前から、支部内に潜伏させておいたのだぞ!! 今更見破られるはずが……」
「そんなに信じられないなら、事実を見せてやろう」
言葉ではどうにもならない。自分の信じたいことだけを盲信している人間ほど、面倒で厄介この上ないなと思いつつ、霊子通信を繋げる。相手は伏兵を迎撃しに行った、澄男とトト・タートだ。
『何だ? アサシンの奴らなら捕えたぞ』
『ご苦労。それで、今私の目の前に敵軍の将がいるんだが、音声をスピーカーモードにしても構わんか?』
真っ先に出たのは澄男という新人だった。新人なのに威圧感たっぷりの言動は少々気にはなるが、今はそれより重要なことがある。
任務請負証による公式霊子通信は、基本的に通話している者同士でしか、意思疎通は行えない。しかしモードを切り替えることで、スピーカーのように相手の声を周囲に聞かせることが可能なのだ。特に名前が決まっているわけではないのだが、大半の請負人は、この機能を``スピーカーモード``と呼んでいる。
霊子通信は複数人と同時に意思疎通できるがゆえに滅多に使われない機能だが、任務請負機関に属していない人間は公式回線に干渉できない。外部の人間が意思疎通を図るには、スピーカーモードが適切なのだ。
構わねぇぞ、と澄男からの許可が降りる。モードをスピーカーに切り替えた。
『よう、テメェんトコのアサシンは全員ブチのめしたぜ』
「ば、馬鹿なぁ!! 貴様のような若輩如きにやられるはずが……!!」
『そのことで聞きてえことがあんだがよぉ……コイツら、テメェの兵じゃねぇだろ?』
思わず訝しげな表情を浮かべる。だがその一言で、雅和の表情が一瞬だが引き攣った。
「……そ、そんなわけないだろう!! 彼らは俺の英兵だぞ!!」
『ふーん……あっそ、まあいいや。だったら言うけどよ、コイツら全能度五百超えてんだけど、テメェより強ぇ奴を従わせるなんてできるのかねぇ?』
雅和の顔が引き攣りから明確な蒼白へ豹変する。自分の虎の子が無名の請負人に倒された事実を、ようやく認めたのだろう。みるみるうちに彼から戦意が失われていくのが、手に取るように分かった。
「く、くそ!! お、俺は、俺様は、こんな所で死んでいい人間じゃねぇ!!」
「雅和様!?」
「雅和様どちらへ!?」
「うるさい黙れ!! お前ら家臣だろ、せめて俺の肉盾になりやがれ!!」
脱兎の如く、とはまさに彼の姿を指すのではないだろうか。それにしてはあまりに無様がすぎるが、もはや添える言葉もない。
どちらにせよ、ギャングたちが迷宮を踏み荒らしたせいで、退路は絶たれている。仮にあったとしても、地下迷宮を抜け出すより再度彼を捕まえる方が断然速いだろう。
彼はもう、詰んでいるのだ。
「畜生!! 畜生がぁ!! 俺は、俺はただ言われただけなんだよ!! あの方に、あの方に言われただけなんだ!!」
「あの方……?」
「そ、そうだ!! わ、分かった。降参、降参する!! その代わり、あの方について話そう!! だからここで手打ちといかないか!!」
雅和の目に希望の光が淡く灯る。あの方という単語に反応したのを見逃さなかったのだろう。
『あ? 勝手に攻めてきておきながら何アホぬかしてんだテメェ?』
スピーカーを即刻切れば良かったか、判断を見誤った感に苛まれる。霊子通信回線から送られる思念は、あまりに刺々しく、そして禍々しい怨念に近いものだ。
『手打ちとか舐めた口叩いてんなよ雑魚が、負け犬は負け犬らしく漢見せろや』
「黙れ!! 無名の屑が!! お前如きに指図される筋合いはない!!」
『あぁん!? 屑ゥ? 誰が屑だってェ? よし分かった今からそっち行くから待ってろどっちが屑か分からせてやる』
『新人クン、どーどーどーどー!! ブレーキブレーキ!!』
澄男の怒気が一気に高まった。回線からなだれ込んでくる感情は、例えるなら火山から噴火して溢れた溶岩の如く熱い。
このままだと本当に迷宮を掘削してここまで来かねない。叩きのめして再起不能にされても事情が聞けなくなって困る。早く拘束してしまわなければ。
大姉様がこれ以上は必要ないとスピーカーモードを切ってくれる。そして霊子通信の主導権を自分から奪い取り、霊子通信の宛先をトト・タートにチャンネルしていた。
『新人の世話、任せたぞ』
『私に丸投げっすか、太々しーヤローっすね』
『エルシアがこの男を拘束せねばならんのでね。私はこの場から動くつもりはないし、エルシアも敵将に力を使ってしまってあまり余力もない。近くにいる者に仕事を配分するのが妥当であろう?』
『チッ……この借りはでけーっすよ』
あからさまに嫌悪感を回線経由でぶつけ、一方的に通信は切られた。相変わらず大姉様と南支部代表は犬猿の仲だが、とりあえず今は護海竜愛隊長として、そして``東支部の悪夢``一番の被害者として、やるべきをやるとしよう。
「凪上雅和。お前を拘束する。抵抗するならできぬようにするが、怪我はしたくなかろう。無条件降伏を推奨する」
数人の家臣と奴隷を背に、雅和は苦虫を噛み潰す。
かつては自分が苦虫を嚙み潰す側だった。人生とは分からないものだ。あのときは男たちに延々と回され続け、この世の全てを憎み絶望したが、死を選ばず大姉様の手を取り、今日まで這い上がってきて良かったと、今なら胸を張って言える。
自分の心中の思いなど露知らず。雅和は終始この場にいる全員を強く睨んでいたが、膝から崩れ落ちるように、項垂れたのだった。
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