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抗争東支部編
メイドの談話
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澄男があてがわれた自室へと飛び込み、後を追うようにレク・ホーランも自室へと入った後。フリージアたちに誘導され、一泊する予定の部屋に入った。
レク・ホーランが澄男の奇行に対して懸命に弁明していたが、突然霊圧を放ち威圧してくる新人請負人の印象改善には足りない。エルシアとフリージアは依然として非難の目を向けていたが、レク・ホーランの弁明でなんとか引き下がってくれた。
まったく、人騒がせな主人である。彼の抱えている事情が事情なだけに、気持ちは分からなくもないのがせめてもの救いだが、それでも場を弁えてもらわないと対処しきれない場合も考えられるし、あまり無茶はしないでほしい。
自室で拗ねているか、不貞寝しているであろう澄男を想像しつつも、部屋を一望してみる。
あてがわれた自室はホテルの宿泊室ぐらいの広さがあり、二人の分のベッドと最低限の家具が置いてあるのみ。贅沢なところを言えば風呂と洗面所が分かたれたセパレート、窓には女性が泊まることを考慮してか絹製のカーテンが使われていることくらいか。
メイドとして務め始めてもう四ヶ月。部屋を軽く見渡すだけで、部屋の使い込みが直感的に分かるくらいには観察眼が成長していることを自覚する。
家具の少なさや掃除が無駄に行き届いていること、宿泊室にしては装飾がほとんどないこと、そしてカーテン等の布地の新品さ。それらを加味して考えるに、この部屋は本来ただの空き部屋なのだと思われた。
ちなみに部屋は自分だけが使うわけではない。二人分のベッドが置いてあることから分かる通り、もう一人は現在イラと迷宮作成に従事しているブルー・ペグランタンである。
「何か入用があれば気軽に訪ねてくれ。では」
案内を終えたエルシアは、用は済んだと言わんばかりに扉を閉めようとする。
案内人としては当然の反応だ。自分と彼女らは親しいわけではない。この合同任務が終われば今後関わるかどうかも分からない相手だし、そもそもこの合同任務は南支部のときとは違ってビジネス寄りの任務だ。各々やるべきことをなす。ただそれだけの関係である。
自分もその関係を超える気はない。ただ強いて言うならば、贅沢なのかもしれないが―――余裕があるうちに動けるなら動いておくべきなのだと、そう考えたがゆえの行動だったのかもしれない。
「あの……私から一つ、お願いがあるのですが」
閉ざされようとした扉は、完全に向こう側の世界と分け隔たれる前にその動きを止めた。自分の声に反応し、扉を開けてエルシアが視線を投げてくる。
「まだ時間もありますし、この中威区東部のことや、東支部のこと……教えていただけませんか?」
「……貴女は確か、北支部の新人だったな? それに先程の新人請負人と主従の関係にあるようだが……失礼ながら問いたい。それは主の命か?」
「いえ。私自身の意志ですが」
質問の意図が分からず、首を傾げつつも正直に答える。
確かに今の澄男は使い物にならないので、メイドとして代わりに情報収集しようという意図もないわけではないのだが、自分としてはそれが主目的ではない。単純に時間に空きがあるので、蓄えられる知識は蓄えておこうという己の知識欲を満たしたいがための言動だ。
「そうか。いや、失礼なことを聞いた。確かに、夕食までまだ時間がある。私が答えられる範囲でなら答えよう」
「では、ちょうどあちらにテーブルと椅子が二脚あります。そこでお話でもいかがですか」
そうだな、という一言とともにエルシアはフリージアに先に行けと顎でしゃくって指示し、フリージアは軽く会釈で応対してその場を去る。
エルシアが席に着くまでの間、カーテンを開け、戸棚からなにやら物がたくさんしまってある戸棚を開ける。
だが映り込んできたその物たちによって、その手はすぐに止まってしまった。
珈琲の粉が入った瓶やコーヒーメーカーが使ってくださいと言わんばかりに置いてあるのもさながら、驚くべきは紅茶の茶葉の種類で、目に入った茶葉だけでもアッサム、ダージリン、アールグレイ、セイロン、ディンブラ、ウバ―――と、一口含んだことのあるものから初めて見る銘柄まで、異常に豊富だった。
沸騰した熱湯を数分で沸かせられる簡易ポットや、数百束のシュガーと角砂糖の袋まで親切に置いてある始末だ。
流石に酒類は置いていなかったが、家具は最低限のものしか置いていないのに、明らかに必要ない嗜好品が置いてあるのはなぜだろうか。あまり親しくない北支部の者たちが来訪するから、奮発したのだろうか。それにしても、準備が良すぎるような気がするのだが。
「むむ……セレスめ。あれほど贅沢品は買い揃えるなと忠告したのだが……」
戸棚で何の茶葉を使うべきか迷っている背で、エルシアは椅子に座って腕を組み、眉尻を上げながら嘆息する。
どうやら犯人は、あのあくのだいまおうに似た、例の怪しげな雰囲気を醸し出す紳士の仕業だったらしい。これだけの茶葉をそろえているあたり、かなりの紅茶好きのようだ。
「えっと……何にします?」
「……ではダージリンをいただこう」
「お砂糖は?」
「テーブルに置いておいてくれ、自分で入れる」
ダージリンの茶葉と簡易ポットを取り出し、水道からポットに水を灌ぐ。
簡易ポッドとはいえ、常温の水道水が沸騰するまではやはり数分かかる。その間にティーカップを二人分用意し、数十本のシュガーと角砂糖数十個を別容器に入れてテーブルの上に置いた。
自分はとりあえずストレートだ。
「して……聞きたいこととは?」
自分も席に着くと、エルシアは肘をテーブルに置き、その真っすぐな視線をこちらに向けてきた。
聞きたいことは大まかに二つ。中威区東部の時世や、東支部の実情である。どちらも久三男や弥平に聞けば分かることではあるが、あまり彼らに頼ってばかりにはいられない。
なにより現地人とコミュニケーションを取らないのでは、人間関係の輪はいつまで経っても広がらない。無理に広げる必要はないにせよ、ギクシャクしない程度の関係や常識は備えておきたいところだ。
なおかつ自分の知識欲も満たせる。勉強は時間と精神の余裕のあるときにやっておくと後々楽になるのだ。
「そうですね……では中威区東部の時世について」
脳内で優先順位を付けた結果を口に出す。
ただ知識欲を満たすだけではもったいない。時間は有限ゆえに、今後も利用するであろう情報を先に仕入れておくのが現時点における最適な選択だ。
東支部の内情は今後彼女たちと関わるか分からないし、あまり深入りすると彼女たちの地雷を踏みかねない。ならば、まず聞くべきは今自分がいるこの地域―――中威区東部中小暴閥自治区の時世であろう。
エルシアは顎に手を当て、少しばかり思案に身を委ねた後、またこちらに視線を戻してきた。
「先程の会議でも言った通り、この中威区東部は凪上家含む中位暴閥が覇権を握らんとしている暴閥自治区だ。我ら東支部は中位暴閥とそれらに与するギャングスターに支配権を握らせないようにするため、この地区の治安を守っている」
「その言葉尻からして……無礼を承知でお聞き致しますが、治安はあまりよろしくないのですか?」
「まあ……良いとは言えないな。東支部請負人は都市の警邏が主な仕事だが、それでもギャングスターの小規模紛争や弱者の不合理な搾取は絶えない」
エルシアの表情が露骨に暗くなる。それを察し、情勢は概ね予想通りであることを心中に留めておく。
武市は、全体的に治安が良い国ではない。むしろ悪いとすら言っていい国だ。
武市は流川家の影響によって実力・成果主義の世界のため、まず国家共通のルール―――法律というものが存在しない。民草はその領土を支配する暴閥の当主に支配されているため、ルールもまたその当主の存在そのものがルールということになる。
下手をすればルールを決めていない暴閥も多く、ほとんどの地域が無法地帯に近いというのが現状だ。
それでも武市が発展できているのは、流川を含めた一部の強者による影響力が絶大なためで、強者の逆鱗に触れるような真似をしていれば、その領民は領土もろとも跡形もなく消滅させられてしまう。ルールで民を縛る必要など、そもそもないのだ。
武市における強者は、自然災害すら操れるレベルの者も存在する。そんな存在に数多の犠牲を払い、徒党を組んで抗うよりも、強者の発展に協力する方が長生きできる。弱き者たちの多くは、そう考えて日々を生きているのだ。
とはいえ全員が全員というわけでは決してない。当然のことながらルールというものが存在しない分、無法者はどこにでもいるものだ。そんな存在を懲罰することができないこの武市では、治安が悪いのは当然の帰結と言える。
「とはいえ、西支部周辺よりはマシだという自負はある。彼らには失礼かもしれないが……」
頬に汗を一筋垂らしながら、申し訳なさげに視線を外す。簡易ポッドの湯が沸いたので、茶こしで茶葉をこしながら、ティーカップにダージリンティーを注いだ。
任務請負機関西支部とは東西南北ある支部のうちの一つ、``竜殺のジークフリート``が代表を務めている支部のことだ。
西支部は東支部から遥か西方の地、中威区西部都市の中心にある。
確かかの都市は中威区と上威区の国境付近に位置し、毎日上威区の覇権を奪取せんとする中威区ギャングと、それを阻止する上威区ギャングの間で激しい紛争が起こっている激戦区で、日夜情勢が目まぐるしく変化する中威区最悪の闇都市と聞いている。
まだ行ったことのない地域だが、北支部のロビーにあるテレビから放送されるニュースでは、毎日その過激な情勢が話題になっている。己の主人はニュース番組に無関心のため、まだ知らない事柄であるが。
「承服しかねる事実ではあるが……中威区東部一帯の治安が悪くないのは、この一帯が中小暴閥自治区なのもあるだろうな……周辺のならず者どもにとって、暴閥は畏怖の象徴ゆえに」
その言葉の内容とは裏腹に、恨めし気な表情を浮かべるエルシア。
確かに暴閥は無名の民たちにとって、恐怖の存在だ。たとえ中位以下の暴閥といえど、その本質は戦闘民族。三十年前に終幕した``武力統一大戦時代``の中、脈々とその血を受け継いできた者たちである。
銃火器や簡素な魔術を振りかざし暴れる程度のごろつきなど問題にならない。彼らが邪魔だと判断すれば、武装したごろつきの集団など容易く皆殺しにできてしまう。そうなると表立って事を荒立てず、ひっそりと私欲を満たすための悪虐を尽くす日々を送ることになるだろう。
自分より弱い者をターゲットにして奪い、殺す。弱肉強食の摂理とは、まさにこの事である。
「ほかに聞きたいことはないか?」
ダージリンティーを一口含み、瞳を覗き込むような真っすぐな視線を向けてくる。その視線から言い知れない凄みを感じ、ティーカップに伸ばそうとした手が止まる。
聞くことは最後に一つ、東支部の内情だが、中威区東部一帯の実情を聞く限り、聞いていいものなのか少し迷いどころではある。
任務請負機関に就職する以前、今後の方針を決めるため流川分家邸にて話し合った際、弥平が言っていた東支部の馴れ初め。粗方の背景は把握しているものの、やはり実情は現地人の口からでなければ正確な状況を把握することはできない。
弥平は巫市密偵任務に就いているし、知っておくならば今しかないが、彼女たちの神経を逆撫でするような言動をしてしまって明日以降の作戦行動に支障が出るようでは本末転倒だ。
なにせ澄男が既に好感度を落としている。メイドとして、藪蛇な行動は避けるべきだが、このままお開きにしてしまうのも勿体ない。さて、どうしたものか―――。
「では、私から一つ良いだろうか」
どういう切り口で話を広げていこうか。己のコミュニケーション能力を駆使してできる限りのシミュレーションをしていた矢先、意外にもエルシアから声をかけてきた。
予想だにしていなかったので、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「貴女はあの少年の専属メイドなのだろう? 何か強制されたりはしていないか?」
一瞬、質問の意図が図りかねて静止してしまったが、さっき澄男が起こした騒ぎを思い返し、なんとなく彼女の意図を察する。
彼女の瞳は真っすぐだった。憐憫でも哀れみでもない、他人でありながらも、ただ任務で同じ敵に相対するだけの仲だと知っていながらも、相手を純粋に心配している目だった。
揺らめく瞳に、自分の顔が覗けるほどに。
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」
エルシアは目を見開いて押し黙った。自分の返答が意外だったのか、それとも自分の表情を見て本当に強制されていないのだと悟ったのか。とかく彼女にとっては、予想とは違ったリアクションだったのだろう。
弥平から説明を受けた東支部の過去を思えば、エルシアの心配は何もおかしいことではない。
かつて東支部は暴閥勢力とギャングスター勢力によって占拠され、真面目に任務をこなそうとしていた請負人たちは奴隷の如く虐げられていた。
その絵面は想像に難くない。屈強な男たちが、か弱き女を支配する。彼女たちは、元々奴隷の身分にあった者たちなのだ。
東支部代表``剛堅のセンゴク``によって解放されても尚、ようやく人としての身分を獲得できた彼女たちにとって、虐げられていた頃の心の傷がそう簡単に癒えるわけではない。
さっき怒り暴れた澄男が、まさしく自分たちを暴力で虐げてきた暴閥やギャングスターそのものに映っても、なんらおかしくはない話であった。
まあ実際、暴閥の現当主で、それも大陸八暴閥の一角、流川本家派当主なのだから、素性を知られたらあながち否定したくてもできないという苦しい現実があるのだが。
「本当か……? 失礼ながら、貴女の主人はお世辞にも話し合いが通ずる相手と思えないのだが……?」
尚も心配してくるエルシア。あながち間違いではないから本当に否定しづらい。
澄男の問題解決方法は、喧嘩で相手をこっ酷く打ち負かすことで、自分の主張の正当性を押し付けるという極めて強引なもの。話し合いなどという平和的解決からは程遠い手段を日頃から使っているのは事実だ。
この場で言うことはできないが、彼とて流川家という暴閥の当主。流れる血は百戦錬磨の戦闘民族のそれだ。問題は戦って決着―――という考えが身に染みているのだろう。
かくいう自分も水守家の当主。話し合いよりも敵は殺して解決するという方法には異論ない立場なのだが、澄男の場合は木萩澪華のこともあり、些か過激になっている面は確かにある。
「私のような事情を碌に知らぬ他人が焼くようなお節介ではないのは重々承知しているのだが……もしも虐げられていると思うと居ても立ってもいられなくてな……まあ杞憂ならいいんだ。それに越したことはないからな」
苦笑しながら、己の悪癖を誤魔化すように窓に映る風景へ視線を逸らし、紅茶を啜る。その仕草を見て、ほんの少し笑みがこぼれる。そして、気がつけば言葉を発していた。
「……私は彼に救われたのです」
本来ならば話すつもりのなかったことだが、己の主人の株が下がったままなのは些か納得いかない自分がいる。原因を作ったのはほかならぬ彼なのだが、そんな傍若無人を絵に描いたような彼についていくことに迷いがないのだから、落ちた株を上げるくらいのことをしてもなんら不満は湧いてこない。
ただ自分が甘いだけなのかもしれない。でも少なからず彼に救われた人間もこの場に一人いる。せめてもの恩返しだ。
申し訳なさげに頭を掻くエルシアをよそに、ほんの少し目を逸らしながらダージリンティーを口に含む。
「かつての私も、あなたのように他者を信頼しませんでした。``専属メイド``としてその全てを捧げ、生涯を終える。そのためだけに生きることを強要されてきた身なので」
その言葉に、エルシアは固唾を飲み、黙して言の葉の続きを待つ。
似たような境遇を言葉の節々から感じ取ったのだろう。本当は少し違うのだが、本質は同じようなものだ。澄男も己の父が憎かったように、自分もまた己の父が憎い。
水守家の現総帥にして、かつて流川本家の守備隊隊長を務めていた父―――水守璃厳。武力統一大戦時代こそ世界の覇権を握る流川の猛将の一人であったが、終戦後はただの悪虐そのものに成り果てた。
数多いた兄弟姉妹も父の悪辣な修行によって、最後に残ったのは自分だけだった。そして最後に残った自分にさえも、まるで興味がないかのように切って捨てた。
父は何をしたかったのか、何を望んでいたのか。今になっても分からない。ただ弱者を弄びたかっただけ。かつての自分はそう考え、疑いもしなかった。
だが彼と出会い、刃を向け合ったあのとき。自分にも、あの汚らわしい父の血が流れていることを、明瞭に自覚した。たとえ考えは違えども、父子の関係はそう簡単に潰えてはくれなかったのだ。
「でも彼は私を``専属メイド``としてではなく、一人の``人間``として見てくれた……私をただの手駒として使いつぶすこともできたのでしょうに、それでも彼は……私と対等な対話を望んだ」
自分の漠然とした語りに静かに耳を傾けるエルシア。話にあまり脈絡がないにもかかわらず、そこを深く問い質す意志はなく、ただ黙して視線を交わすのみだ。
「だから……彼の事をあまり悪く思わないでください。先程の暴挙は決して褒められたものではないですが、彼は人一倍仲間想いの……気高い主人です。仲間に対する思いは、あなたがた護海竜愛に劣りません」
青色の双眸を覗き込む黒い瞳の奥を、真っ直ぐに射抜いてみせる。
澄男の人柄は確かに褒められたものではない。粗野で暴力的、自己中心的で傍若無人。かつて東支部を占拠し、彼女らを心身ともに虐げた者たちと紙一重の振る舞いをしてみせている。
レク・ホーランがいなければ、即刻この支部から立ち退けられていただろう。彼の知るところではないが、彼女たちが表立って澄男を敵視しないのは、彼が新人であるからではなく、レク・ホーランの絶大な実績があってこそなのだ。
しかし専属メイドとして澄男の人となりが誤解されたままというのは、些か不満が残る。
彼は一人のメイドを救い、そして各々繋がりのなかった自分たちを繋ぎとめ、``仲間``と称してくれた。ただ憎しみに駆られ、闇に堕ちただけではない。色々あれど、その葛藤の中で前を向いて歩くことを選択した男なのだ。
それが元来の性格だけで落とされるのは勿体ない。彼の信念はきっとこの東支部の危機も救ってくれる。なんだかんだ、彼は人としての甘さを捨てきれないことを私は知っているのだ―――。
「そうか……」
黙して聞いていたエルシアは、自分が発した言の葉を咀嚼するように何度も頷く。その表情には、既に澄男に対する疑念はどこにも垣間見れなかった。
「君の言う主人の人柄……此度の戦いで垣間見れたなら、幸いだな」
ティーカップを静かにテーブルに置き、椅子から立ち上がる。そろそろ時間だ、そう一言だけ告げるとエルシアは部屋を後にする。
エルシアが部屋を去った後、底に溜まった茶渋をぼうっと眺めながら苦笑い気味に一息つく。
日頃素行が悪く、気怠そうにしながらも仲間内で話す際は屈託のない笑顔を絶やさない澄男を空に描きながら、明日以降にとりうる彼の素行を予想する。
それから二時間後。空腹で目が覚めたのか半分寝ぼけた澄男が部屋から出てきたのを察知し、部屋を出る。東支部のロビーでイラとともに作業していたであろうブルーを迎えに行っていたレク・ホーランとも合流し、つつがなく夕食を食べ、その日を終えることとなった。
レク・ホーランが澄男の奇行に対して懸命に弁明していたが、突然霊圧を放ち威圧してくる新人請負人の印象改善には足りない。エルシアとフリージアは依然として非難の目を向けていたが、レク・ホーランの弁明でなんとか引き下がってくれた。
まったく、人騒がせな主人である。彼の抱えている事情が事情なだけに、気持ちは分からなくもないのがせめてもの救いだが、それでも場を弁えてもらわないと対処しきれない場合も考えられるし、あまり無茶はしないでほしい。
自室で拗ねているか、不貞寝しているであろう澄男を想像しつつも、部屋を一望してみる。
あてがわれた自室はホテルの宿泊室ぐらいの広さがあり、二人の分のベッドと最低限の家具が置いてあるのみ。贅沢なところを言えば風呂と洗面所が分かたれたセパレート、窓には女性が泊まることを考慮してか絹製のカーテンが使われていることくらいか。
メイドとして務め始めてもう四ヶ月。部屋を軽く見渡すだけで、部屋の使い込みが直感的に分かるくらいには観察眼が成長していることを自覚する。
家具の少なさや掃除が無駄に行き届いていること、宿泊室にしては装飾がほとんどないこと、そしてカーテン等の布地の新品さ。それらを加味して考えるに、この部屋は本来ただの空き部屋なのだと思われた。
ちなみに部屋は自分だけが使うわけではない。二人分のベッドが置いてあることから分かる通り、もう一人は現在イラと迷宮作成に従事しているブルー・ペグランタンである。
「何か入用があれば気軽に訪ねてくれ。では」
案内を終えたエルシアは、用は済んだと言わんばかりに扉を閉めようとする。
案内人としては当然の反応だ。自分と彼女らは親しいわけではない。この合同任務が終われば今後関わるかどうかも分からない相手だし、そもそもこの合同任務は南支部のときとは違ってビジネス寄りの任務だ。各々やるべきことをなす。ただそれだけの関係である。
自分もその関係を超える気はない。ただ強いて言うならば、贅沢なのかもしれないが―――余裕があるうちに動けるなら動いておくべきなのだと、そう考えたがゆえの行動だったのかもしれない。
「あの……私から一つ、お願いがあるのですが」
閉ざされようとした扉は、完全に向こう側の世界と分け隔たれる前にその動きを止めた。自分の声に反応し、扉を開けてエルシアが視線を投げてくる。
「まだ時間もありますし、この中威区東部のことや、東支部のこと……教えていただけませんか?」
「……貴女は確か、北支部の新人だったな? それに先程の新人請負人と主従の関係にあるようだが……失礼ながら問いたい。それは主の命か?」
「いえ。私自身の意志ですが」
質問の意図が分からず、首を傾げつつも正直に答える。
確かに今の澄男は使い物にならないので、メイドとして代わりに情報収集しようという意図もないわけではないのだが、自分としてはそれが主目的ではない。単純に時間に空きがあるので、蓄えられる知識は蓄えておこうという己の知識欲を満たしたいがための言動だ。
「そうか。いや、失礼なことを聞いた。確かに、夕食までまだ時間がある。私が答えられる範囲でなら答えよう」
「では、ちょうどあちらにテーブルと椅子が二脚あります。そこでお話でもいかがですか」
そうだな、という一言とともにエルシアはフリージアに先に行けと顎でしゃくって指示し、フリージアは軽く会釈で応対してその場を去る。
エルシアが席に着くまでの間、カーテンを開け、戸棚からなにやら物がたくさんしまってある戸棚を開ける。
だが映り込んできたその物たちによって、その手はすぐに止まってしまった。
珈琲の粉が入った瓶やコーヒーメーカーが使ってくださいと言わんばかりに置いてあるのもさながら、驚くべきは紅茶の茶葉の種類で、目に入った茶葉だけでもアッサム、ダージリン、アールグレイ、セイロン、ディンブラ、ウバ―――と、一口含んだことのあるものから初めて見る銘柄まで、異常に豊富だった。
沸騰した熱湯を数分で沸かせられる簡易ポットや、数百束のシュガーと角砂糖の袋まで親切に置いてある始末だ。
流石に酒類は置いていなかったが、家具は最低限のものしか置いていないのに、明らかに必要ない嗜好品が置いてあるのはなぜだろうか。あまり親しくない北支部の者たちが来訪するから、奮発したのだろうか。それにしても、準備が良すぎるような気がするのだが。
「むむ……セレスめ。あれほど贅沢品は買い揃えるなと忠告したのだが……」
戸棚で何の茶葉を使うべきか迷っている背で、エルシアは椅子に座って腕を組み、眉尻を上げながら嘆息する。
どうやら犯人は、あのあくのだいまおうに似た、例の怪しげな雰囲気を醸し出す紳士の仕業だったらしい。これだけの茶葉をそろえているあたり、かなりの紅茶好きのようだ。
「えっと……何にします?」
「……ではダージリンをいただこう」
「お砂糖は?」
「テーブルに置いておいてくれ、自分で入れる」
ダージリンの茶葉と簡易ポットを取り出し、水道からポットに水を灌ぐ。
簡易ポッドとはいえ、常温の水道水が沸騰するまではやはり数分かかる。その間にティーカップを二人分用意し、数十本のシュガーと角砂糖数十個を別容器に入れてテーブルの上に置いた。
自分はとりあえずストレートだ。
「して……聞きたいこととは?」
自分も席に着くと、エルシアは肘をテーブルに置き、その真っすぐな視線をこちらに向けてきた。
聞きたいことは大まかに二つ。中威区東部の時世や、東支部の実情である。どちらも久三男や弥平に聞けば分かることではあるが、あまり彼らに頼ってばかりにはいられない。
なにより現地人とコミュニケーションを取らないのでは、人間関係の輪はいつまで経っても広がらない。無理に広げる必要はないにせよ、ギクシャクしない程度の関係や常識は備えておきたいところだ。
なおかつ自分の知識欲も満たせる。勉強は時間と精神の余裕のあるときにやっておくと後々楽になるのだ。
「そうですね……では中威区東部の時世について」
脳内で優先順位を付けた結果を口に出す。
ただ知識欲を満たすだけではもったいない。時間は有限ゆえに、今後も利用するであろう情報を先に仕入れておくのが現時点における最適な選択だ。
東支部の内情は今後彼女たちと関わるか分からないし、あまり深入りすると彼女たちの地雷を踏みかねない。ならば、まず聞くべきは今自分がいるこの地域―――中威区東部中小暴閥自治区の時世であろう。
エルシアは顎に手を当て、少しばかり思案に身を委ねた後、またこちらに視線を戻してきた。
「先程の会議でも言った通り、この中威区東部は凪上家含む中位暴閥が覇権を握らんとしている暴閥自治区だ。我ら東支部は中位暴閥とそれらに与するギャングスターに支配権を握らせないようにするため、この地区の治安を守っている」
「その言葉尻からして……無礼を承知でお聞き致しますが、治安はあまりよろしくないのですか?」
「まあ……良いとは言えないな。東支部請負人は都市の警邏が主な仕事だが、それでもギャングスターの小規模紛争や弱者の不合理な搾取は絶えない」
エルシアの表情が露骨に暗くなる。それを察し、情勢は概ね予想通りであることを心中に留めておく。
武市は、全体的に治安が良い国ではない。むしろ悪いとすら言っていい国だ。
武市は流川家の影響によって実力・成果主義の世界のため、まず国家共通のルール―――法律というものが存在しない。民草はその領土を支配する暴閥の当主に支配されているため、ルールもまたその当主の存在そのものがルールということになる。
下手をすればルールを決めていない暴閥も多く、ほとんどの地域が無法地帯に近いというのが現状だ。
それでも武市が発展できているのは、流川を含めた一部の強者による影響力が絶大なためで、強者の逆鱗に触れるような真似をしていれば、その領民は領土もろとも跡形もなく消滅させられてしまう。ルールで民を縛る必要など、そもそもないのだ。
武市における強者は、自然災害すら操れるレベルの者も存在する。そんな存在に数多の犠牲を払い、徒党を組んで抗うよりも、強者の発展に協力する方が長生きできる。弱き者たちの多くは、そう考えて日々を生きているのだ。
とはいえ全員が全員というわけでは決してない。当然のことながらルールというものが存在しない分、無法者はどこにでもいるものだ。そんな存在を懲罰することができないこの武市では、治安が悪いのは当然の帰結と言える。
「とはいえ、西支部周辺よりはマシだという自負はある。彼らには失礼かもしれないが……」
頬に汗を一筋垂らしながら、申し訳なさげに視線を外す。簡易ポッドの湯が沸いたので、茶こしで茶葉をこしながら、ティーカップにダージリンティーを注いだ。
任務請負機関西支部とは東西南北ある支部のうちの一つ、``竜殺のジークフリート``が代表を務めている支部のことだ。
西支部は東支部から遥か西方の地、中威区西部都市の中心にある。
確かかの都市は中威区と上威区の国境付近に位置し、毎日上威区の覇権を奪取せんとする中威区ギャングと、それを阻止する上威区ギャングの間で激しい紛争が起こっている激戦区で、日夜情勢が目まぐるしく変化する中威区最悪の闇都市と聞いている。
まだ行ったことのない地域だが、北支部のロビーにあるテレビから放送されるニュースでは、毎日その過激な情勢が話題になっている。己の主人はニュース番組に無関心のため、まだ知らない事柄であるが。
「承服しかねる事実ではあるが……中威区東部一帯の治安が悪くないのは、この一帯が中小暴閥自治区なのもあるだろうな……周辺のならず者どもにとって、暴閥は畏怖の象徴ゆえに」
その言葉の内容とは裏腹に、恨めし気な表情を浮かべるエルシア。
確かに暴閥は無名の民たちにとって、恐怖の存在だ。たとえ中位以下の暴閥といえど、その本質は戦闘民族。三十年前に終幕した``武力統一大戦時代``の中、脈々とその血を受け継いできた者たちである。
銃火器や簡素な魔術を振りかざし暴れる程度のごろつきなど問題にならない。彼らが邪魔だと判断すれば、武装したごろつきの集団など容易く皆殺しにできてしまう。そうなると表立って事を荒立てず、ひっそりと私欲を満たすための悪虐を尽くす日々を送ることになるだろう。
自分より弱い者をターゲットにして奪い、殺す。弱肉強食の摂理とは、まさにこの事である。
「ほかに聞きたいことはないか?」
ダージリンティーを一口含み、瞳を覗き込むような真っすぐな視線を向けてくる。その視線から言い知れない凄みを感じ、ティーカップに伸ばそうとした手が止まる。
聞くことは最後に一つ、東支部の内情だが、中威区東部一帯の実情を聞く限り、聞いていいものなのか少し迷いどころではある。
任務請負機関に就職する以前、今後の方針を決めるため流川分家邸にて話し合った際、弥平が言っていた東支部の馴れ初め。粗方の背景は把握しているものの、やはり実情は現地人の口からでなければ正確な状況を把握することはできない。
弥平は巫市密偵任務に就いているし、知っておくならば今しかないが、彼女たちの神経を逆撫でするような言動をしてしまって明日以降の作戦行動に支障が出るようでは本末転倒だ。
なにせ澄男が既に好感度を落としている。メイドとして、藪蛇な行動は避けるべきだが、このままお開きにしてしまうのも勿体ない。さて、どうしたものか―――。
「では、私から一つ良いだろうか」
どういう切り口で話を広げていこうか。己のコミュニケーション能力を駆使してできる限りのシミュレーションをしていた矢先、意外にもエルシアから声をかけてきた。
予想だにしていなかったので、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「貴女はあの少年の専属メイドなのだろう? 何か強制されたりはしていないか?」
一瞬、質問の意図が図りかねて静止してしまったが、さっき澄男が起こした騒ぎを思い返し、なんとなく彼女の意図を察する。
彼女の瞳は真っすぐだった。憐憫でも哀れみでもない、他人でありながらも、ただ任務で同じ敵に相対するだけの仲だと知っていながらも、相手を純粋に心配している目だった。
揺らめく瞳に、自分の顔が覗けるほどに。
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」
エルシアは目を見開いて押し黙った。自分の返答が意外だったのか、それとも自分の表情を見て本当に強制されていないのだと悟ったのか。とかく彼女にとっては、予想とは違ったリアクションだったのだろう。
弥平から説明を受けた東支部の過去を思えば、エルシアの心配は何もおかしいことではない。
かつて東支部は暴閥勢力とギャングスター勢力によって占拠され、真面目に任務をこなそうとしていた請負人たちは奴隷の如く虐げられていた。
その絵面は想像に難くない。屈強な男たちが、か弱き女を支配する。彼女たちは、元々奴隷の身分にあった者たちなのだ。
東支部代表``剛堅のセンゴク``によって解放されても尚、ようやく人としての身分を獲得できた彼女たちにとって、虐げられていた頃の心の傷がそう簡単に癒えるわけではない。
さっき怒り暴れた澄男が、まさしく自分たちを暴力で虐げてきた暴閥やギャングスターそのものに映っても、なんらおかしくはない話であった。
まあ実際、暴閥の現当主で、それも大陸八暴閥の一角、流川本家派当主なのだから、素性を知られたらあながち否定したくてもできないという苦しい現実があるのだが。
「本当か……? 失礼ながら、貴女の主人はお世辞にも話し合いが通ずる相手と思えないのだが……?」
尚も心配してくるエルシア。あながち間違いではないから本当に否定しづらい。
澄男の問題解決方法は、喧嘩で相手をこっ酷く打ち負かすことで、自分の主張の正当性を押し付けるという極めて強引なもの。話し合いなどという平和的解決からは程遠い手段を日頃から使っているのは事実だ。
この場で言うことはできないが、彼とて流川家という暴閥の当主。流れる血は百戦錬磨の戦闘民族のそれだ。問題は戦って決着―――という考えが身に染みているのだろう。
かくいう自分も水守家の当主。話し合いよりも敵は殺して解決するという方法には異論ない立場なのだが、澄男の場合は木萩澪華のこともあり、些か過激になっている面は確かにある。
「私のような事情を碌に知らぬ他人が焼くようなお節介ではないのは重々承知しているのだが……もしも虐げられていると思うと居ても立ってもいられなくてな……まあ杞憂ならいいんだ。それに越したことはないからな」
苦笑しながら、己の悪癖を誤魔化すように窓に映る風景へ視線を逸らし、紅茶を啜る。その仕草を見て、ほんの少し笑みがこぼれる。そして、気がつけば言葉を発していた。
「……私は彼に救われたのです」
本来ならば話すつもりのなかったことだが、己の主人の株が下がったままなのは些か納得いかない自分がいる。原因を作ったのはほかならぬ彼なのだが、そんな傍若無人を絵に描いたような彼についていくことに迷いがないのだから、落ちた株を上げるくらいのことをしてもなんら不満は湧いてこない。
ただ自分が甘いだけなのかもしれない。でも少なからず彼に救われた人間もこの場に一人いる。せめてもの恩返しだ。
申し訳なさげに頭を掻くエルシアをよそに、ほんの少し目を逸らしながらダージリンティーを口に含む。
「かつての私も、あなたのように他者を信頼しませんでした。``専属メイド``としてその全てを捧げ、生涯を終える。そのためだけに生きることを強要されてきた身なので」
その言葉に、エルシアは固唾を飲み、黙して言の葉の続きを待つ。
似たような境遇を言葉の節々から感じ取ったのだろう。本当は少し違うのだが、本質は同じようなものだ。澄男も己の父が憎かったように、自分もまた己の父が憎い。
水守家の現総帥にして、かつて流川本家の守備隊隊長を務めていた父―――水守璃厳。武力統一大戦時代こそ世界の覇権を握る流川の猛将の一人であったが、終戦後はただの悪虐そのものに成り果てた。
数多いた兄弟姉妹も父の悪辣な修行によって、最後に残ったのは自分だけだった。そして最後に残った自分にさえも、まるで興味がないかのように切って捨てた。
父は何をしたかったのか、何を望んでいたのか。今になっても分からない。ただ弱者を弄びたかっただけ。かつての自分はそう考え、疑いもしなかった。
だが彼と出会い、刃を向け合ったあのとき。自分にも、あの汚らわしい父の血が流れていることを、明瞭に自覚した。たとえ考えは違えども、父子の関係はそう簡単に潰えてはくれなかったのだ。
「でも彼は私を``専属メイド``としてではなく、一人の``人間``として見てくれた……私をただの手駒として使いつぶすこともできたのでしょうに、それでも彼は……私と対等な対話を望んだ」
自分の漠然とした語りに静かに耳を傾けるエルシア。話にあまり脈絡がないにもかかわらず、そこを深く問い質す意志はなく、ただ黙して視線を交わすのみだ。
「だから……彼の事をあまり悪く思わないでください。先程の暴挙は決して褒められたものではないですが、彼は人一倍仲間想いの……気高い主人です。仲間に対する思いは、あなたがた護海竜愛に劣りません」
青色の双眸を覗き込む黒い瞳の奥を、真っ直ぐに射抜いてみせる。
澄男の人柄は確かに褒められたものではない。粗野で暴力的、自己中心的で傍若無人。かつて東支部を占拠し、彼女らを心身ともに虐げた者たちと紙一重の振る舞いをしてみせている。
レク・ホーランがいなければ、即刻この支部から立ち退けられていただろう。彼の知るところではないが、彼女たちが表立って澄男を敵視しないのは、彼が新人であるからではなく、レク・ホーランの絶大な実績があってこそなのだ。
しかし専属メイドとして澄男の人となりが誤解されたままというのは、些か不満が残る。
彼は一人のメイドを救い、そして各々繋がりのなかった自分たちを繋ぎとめ、``仲間``と称してくれた。ただ憎しみに駆られ、闇に堕ちただけではない。色々あれど、その葛藤の中で前を向いて歩くことを選択した男なのだ。
それが元来の性格だけで落とされるのは勿体ない。彼の信念はきっとこの東支部の危機も救ってくれる。なんだかんだ、彼は人としての甘さを捨てきれないことを私は知っているのだ―――。
「そうか……」
黙して聞いていたエルシアは、自分が発した言の葉を咀嚼するように何度も頷く。その表情には、既に澄男に対する疑念はどこにも垣間見れなかった。
「君の言う主人の人柄……此度の戦いで垣間見れたなら、幸いだな」
ティーカップを静かにテーブルに置き、椅子から立ち上がる。そろそろ時間だ、そう一言だけ告げるとエルシアは部屋を後にする。
エルシアが部屋を去った後、底に溜まった茶渋をぼうっと眺めながら苦笑い気味に一息つく。
日頃素行が悪く、気怠そうにしながらも仲間内で話す際は屈託のない笑顔を絶やさない澄男を空に描きながら、明日以降にとりうる彼の素行を予想する。
それから二時間後。空腹で目が覚めたのか半分寝ぼけた澄男が部屋から出てきたのを察知し、部屋を出る。東支部のロビーでイラとともに作業していたであろうブルーを迎えに行っていたレク・ホーランとも合流し、つつがなく夕食を食べ、その日を終えることとなった。
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