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抗争東支部編
東支部作戦会議
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そんでもって、任務当日。
いつものとおり俺たちは北支部正門前で待ち合わせ、金髪野郎が乗りこなしている空飛ぶ車に乗って東支部へ直行する。
北支部から東支部までの距離は南支部と比べて短いが、それでも陸路だと片道数十日以上かかる。空路だと十分程度で行けるため、今回も空を飛んでひとっ飛びである。
「見ろ新人。ここが中威区東部、中小暴閥自治区だ」
導かれるままに、パワーウィンドウから街々を眺める。
中威区の中でも特に高層ビルが多いのは、中威区中央部の都心や北部だが、中威区東部は東部都心を抜けると中小暴閥たちが支配する区画があり、その区画には高層ビルはほとんど存在しない。あるのは大なり小なり様々な武家屋敷である。
土地一杯に広がる武家屋敷の群体。屋敷の数が圧倒的に多いせいで道幅は狭く、よくよく目を凝らしてみると道路には米粒の如く車で溢れかえっていた。
これが俗に言う``渋滞``というやつである。陸路で行っていたらアレに巻き込まれていたと思うと気が滅入る。絶対に巻き込まれたくない。
「東支部はあと三分で着く。降りる準備をしておけよ」
金髪野郎が言うとフロントガラスの向こう側に一際デカく聳え立つ灰色のビルが目の前に現れる。他の武家屋敷ばかりで周りに高層ビルがほとんどないせいか、そのビルは異様に目立っていた。
アホな俺でもこれは一目瞭然だと分かる。間違いなく、東支部のビルである。
「でけーな、きたしぶよりたかくね?」
「まあ東支部は昔、治安悪かったからな……中小暴閥が支配する土地のど真ん中だし、白兵戦を考慮した結果だろう」
さっきまで黙って空を眺めていたポンチョ女が、東支部のビルをぼけーっと眺めながら呟く。
確かに言われてみれば気持ち高いような気もする。北支部のビルの高さなんて意識したことがないからイマイチ共感できないが、周りに同じくらいのビルがないせいもあって確かに高く見えなくもない。
白兵戦を考慮って、やっぱりビルの中に暴閥の連中が攻めてきたりするってことなんだろうが、だとしたら厄介な話だ。今回の相手は十三万の物量。そんな大軍勢がビルの中に押し寄せてくると思うと身動きがすぐにとれなくなってしまう。
キメるならビルに入られる前にブチのめして分からせる必要がある。ビルに攻められた時点で戦略的敗北は確実だ。
「もしくはビルごと消滅させるかだが……」
「唐突に何だ新人……」
「んいやなんも!!」
思わず思考の渦にのめり込んでいた残滓が口から漏れ出てしまった。金髪野郎からのジト目が痛く突き刺さる。
正直俺に言わせれば、たとえビルの中に攻められたとしても負ける気がしない。というか、むしろビルの中にわざと誘い込んで一網打尽にしてしまった方が早いのだ。
かつて親父への復讐に駆られていた時期。まだ記憶に新しい憎き親父との最終決戦。親父のアジトを守る手駒十万と、その手駒が等分配で配置されている複数の駐屯基地を、流川家の直属魔生物で基地ごと消滅させたことがあった。
ぶっちゃけた話、兵隊なんぞ真面目に相手をする必要がなく、久三男が飼い慣らしている魔生物にビルごと消滅させてしまえば、それで終いなのだ。親父みたいなクソ面倒なボスキャラを相手にしないだけ、速攻で終わる簡単な作業なのである。
「でも、どうせ無理だよなぁ……あの頃とは戦場が違うし……」
金髪野郎に聞こえないよう、超小声で独り言を呟く。
親父との最終決戦の地は巫市農村過疎地域。俺たちがいる武市から遥か北にある、広大な平原と更地が戦場だった。建物という建物も、街という街も、村はおろか集落すら存在しない。半ば自然に帰っていたその場所に、親父はアジトを構えていた。
だからこそ多少手荒な掃討作戦が採用できたわけだが、今回の戦場は中小暴閥が支配する自治区、その中心である。
久三男に頼んで魔生物を戦力として出してもらうにしても、関係ない奴らと関係ある奴の選別をしないと無差別に殺ってしまうことになる。久三男の手腕ならミスするとは思えないが、余計な負担がかかって作業が思ったように進まないだろうし、実行するなら戦況が芳しくなくなった場合に限られるだろう。
なにより人間からして魔生物は敵だ。直属魔生物を唐突に派遣すれば、戦場は確実に混乱してしまう。下手をすれば金髪野郎たちに攻撃されかねないし、だからといって「俺ん家の魔生物は味方だぜ☆」とか言っても絶対信じてくれそうにない。
味方として信用を得られないという点でも、直属魔生物の派遣は全くもって得策とは言えなかった。
結局のところ東支部ビルを物量で占拠されないよう、地道に相手をブチのめすしかないってことだ。報酬は破格とはいえ、面倒くさくてやってられないと匙を投げたい気分に苛まれる。
「北支部代表、``閃光``殿並びに``百足使い``殿。此度の召集を受けていただき、誠に感謝する」
そんなこんなで考え事をしていると、気がつけば車が着陸していた。その場所は一際目立つデカいビルの正門前。東支部正門前である。
車から降りると、正門前で出迎えてくれたのは、真っ白なコートを着こなす凛とした女性だった。腰まで届く綺麗に整えられた濡れ鴉色の黒髪が太陽光を反射させ、瞳は黒真珠を彷彿とさせるほど輝いている。同じ黒でもその黒さに暗澹とした淀みはなく、初対面で人柄も分からないのに直感だが結構印象良く感じさせ、コートも汚れひとつなく白いせいか、輝きは尚更強く太陽光を煌びやかに反射させている。
直感が唸りを上げた。滲み出る貫禄、威厳。そこらへんのチンピラ請負人とはわけが違う。間違いなく、この東支部の重鎮だ。
「十三万を兵が攻めてくるとは、東支部らしいな」
「……それは皮肉か?」
「んーや。素直な感想を述べたまでだぜ」
なんか、空気が悪い。目の前に立つ女の印象は悪くないが、俺たちを見渡すと何故だか眉間に皺を寄せる。その視線は何故だか俺や金髪野郎に向いているようで、まるで敵視されているかのような態度だ。
「で、俺や新人は``男``なんだがよ。そっちの敷居跨いで本当にいいのか?」
金髪野郎の投げかけた質問に、思考が停止する。
確かに金髪野郎と俺は男だ。逆に俺と金髪野郎以外は女二人と人外数匹といった具合だが、男がいることの何が問題だというのだろう。
凛々しい黒髪の女は俺を見るや否や、深いため息を吐いて金髪野郎に視線を戻した。
「……致し方あるまい。大姉様直々の命だ。私のつまらん癖で、任務の腰を折るわけにはいくまい」
「本当に大丈夫かよ? お前の噂、北支部にも轟いてるんだぜ?」
「くっ……!! 不本意とだけ言っておくぞ。私はそんなはしたなくはない!!」
「はいはい、わーってるよ。触ったりしないから、とっとと案内してくれや」
「当たり前だ!! 男に触れられるなど虫唾が……いや、知り合いでもない異性と触れ合う趣味などないからな!!」
さっきまでの凛としていた威厳はどこへやら、黒髪長髪の女はコートをはためかせながらも赤面してケラケラ笑う金髪野郎にがなり立てる。
なんとなく。なんとなくだが、コイツ、もしかして男嫌いなだけなのでは。馬鹿な俺でもそれだけはわかった気がする。外したら、多分俺はただの間抜けだったってことだろうが、これは確実に当たっていると信じられる。
だとすると面倒くささがかなり増した気もしてきたのだが―――。
黒髪長髪の女の後に続き、俺たちは東支部正門をくぐる。だがその瞬間、異様な空気感に体を縛られることになる。
正門をくぐり、ロビーに入るや否や、大量かつ濃密な視線が俺に集まった。いや厳密には俺だけじゃなく金髪野郎と俺と言った方が正しいだろう。その視線はあまりの物量ゆえにもはや威圧に等しく、思わず身構えそうになってしまう。
ロビー内には女しかいなかった。男という男は見当たらず、視界にいる全員が女だ。そしてその女たちが、俺と金髪野郎をじっとりと見つめてくる。
直感で分かる。歓迎されていない。視線が意味する感情は、忌避と憎悪のそれだった。
心を閉ざしていた頃の御玲数十人にクッソガン飛ばされている感じだと言えば、近いだろうか。なんにせよ良い気分にならないのは確かである。
ここから一切会話なし。南支部合同任務のときと打って変わってクソ気まずくて重い空気が横たわる。
いつもどおり二階へ案内される。やっぱ規模がデカいビルなだけあって、北支部や南支部と違ってフロアが広い。北支部や南支部のときは、一階のロビーから二階にある執務室が見えたし、階段登ってすぐの所に引き戸が存在していた。
だが東支部は完全にビルって感じで、階段を登り終えてもなお、複雑な構造をした渡り廊下を右左と延々と歩かされている。
その割には掃除がきっちり行き届いており、床や壁は綺麗に拭かれているようだった。何故かどこの壁も傷だらけなのがものすごく気になるが、多分東支部が一番古く建てられたからだろう。勝手にそう思うことにした。
一階のロビーに人が集まっているせいで二階は電気が煌々と点いているのみの殺風景な雰囲気だが、歩くこと十五分。ようやく執務室らしき扉の前で黒髪長髪の女が立ち止まった。今回もお馴染み、引き戸である。
「ここが大姉様の執務室だ。新人も連れているようだが、粗相のないように頼むぞ」
「今回連れてきた新人はかなりのじゃじゃ馬でよぉ。粗相の方は保証できかねるぜ?」
「``閃光``と名高い北支部監督官様にしては、らしくないお言葉ですな」
「ならお前が教育してみるか? 頭痛薬と友人になれるぜ」
「遠慮させてもらう。私は既に吐き気止めと友好関係にある。これ以上薬と仲睦まじくなるのは勘弁だからな」
お互い怪しげな笑みを浮かべながら談笑する金髪野郎と黒髪長髪の女。会話の出汁が俺なだけに、心中に不快感が支配する。
コイツら、俺が目の前にいることを忘れとりゃあせんだろうか。よくもまあ堂々と人の前で悪口スレッスレの皮肉を言えたもんだ。俺の虫の居所が悪かったら全員まとめてブチのめしていたところだぞ。
とりあえず、面倒はごめんだ。金髪野郎と女の減らず口を黙らせたい気分で拳がうずうずしているが、ここは我慢しておいてやろう。
「大姉様、失礼いたします。``閃光のホーラン``率いる北支部請負人を連れて参りました」
黒髪長髪の女はご丁寧に引き戸を二回ノックすると、中から「入れ」という女の割に威厳のある声が聞こえ、引き戸が自動で開かれる。中に入ると、そこは金属製の廊下から打って変わって畳敷の広大な和室が広がっていた。雰囲気の変わりように、少し目を回してしまう。
「レクパイセン、二週間ぶりっす。元気にしてたっすか?」
畳敷きの執務室は南支部や北支部の執務室よりも遥かに広い。人が数十人入るくらい、下手すれば俺ン家のリビングぐらいありそうな広さの部屋に、既にメンツは揃っていた。
その中でも俺たちがすぐに認識したのは、一番見知った人物だった。
「まあ、ぼちぼちな。そっちはどうだ? あれから順調か?」
一番見知った相手とは、二週間前にスケルトン討伐の合同任務で一緒に戦った南支部代表トト・タートこと猫耳パーカーである。
既に座布団の上に座り、茶菓子と粗茶をちゃっかり召し上がっていた最中だったのか、机に置いてあった手拭きで口を拭いた。
「いやー、パイセンたちのおかげで南支部周辺の平和は無事保たれたっす。主戦力のオッサンズも少しずつですが復帰してきてますし、これならすぐ軌道に乗れ直せそうっす」
そうか、と金髪野郎も猫耳パーカーの向かい側にある座布団に座る。俺たちも金髪野郎につられる形で、空いている座布団に順次座っていく。俺の右隣は御玲、左隣はポンチョ女だ。
「大姉様。全員揃いました」
長方形の長机の上座に座る、真っ白な道着を着こなした黒髪の女子。秘書の如く右横の座布団に座った黒髪長髪の女より遥かに髪は短く、目尻がとにかく鋭い。なにより全身から黒とも白とも言える、殺気のようなオーラ的な何かが滲み出ているのがものすごく気になる。
長机がデカイから小さく見えてしまうが、確信する。一番上座に座っているあの女子こそ、東支部代表``剛堅のセンゴク``。全身から滲み出る覇気といい、よくみれば道着越しから極限まで戦闘のために整えたであろう肉体が垣間見えることといい、上座で緑茶を啜るあの女子こそが、東支部最強と見て間違いない。
「すみません、もしかしてもう始めてしまいましたかね」
俺がこの中で一番強ぇ奴を見定めたそのとき。淡白な声音とともに引き戸が突然開かれた。そこに現れたのは、灰色の髪を靡かせる、長身の怪しげな紳士だった。
思わず目を丸くして息を呑んだ。引き戸から現れた金やら銀やらで花を模した黒いローブを身に纏う紳士の印象が、俺の見知った奴らの中に一人、そっくりな奴がいたからだ。ソイツの名は―――。
「おや。見慣れない方々がいるなと思えば、北支部代表様ではありませんか。お初にお目にかかります」
「おお、アンタか。噂の``辺境伯``って言われてんのは」
「いやはや、私そんな呼ばれ方をされているのですか。なんだか貴族のようですね。なぜでしょう」
「よく言うぜ、そんなナリしてりゃあ無理もねぇだろうよ」
平然と金髪野郎が話してやがるが、俺はいまだに硬直していた。だって、なんでかって、コイツのぱっと見の印象が、澄連の中でも謎の存在―――あくのだいまおうにそっくりだったからだ。
「遅いですぞセレス殿。遅刻は厳禁だと言ったはずだ」
「すみません。モーニングティーを飲みながら朝日を眺めていました」
「言い訳はいい。早く席に着いてくれ」
硬直している俺をよそに、セレスと呼ばれた紳士はそそくさと空いている座布団に座る。俺は隣に座っている御玲の肩を叩き、小声で思ったことを耳打ちした。
「……確かに、あくのだいまおうに雰囲気は似てますね。不気味さではまだマシな感じがしますが」
「アイツがあくのだいまおうたちが言ってた奴かな」
「分かりません。ですが、可能性は高いと思います」
「……どうする?」
「別にどうもしなくてもいいのでは。こちらから関わる理由もなし、何かあれば向こうから来るでしょう。そのときに対応を考えても遅くないかと」
「それもそうか……」
粗探ししようにも、御玲の意見に隙は見当たらない。俺とて得体の知れない奴にわざわざ関わりにいく趣味はないし、向こうもまるで興味がないかのように俺らと目を合わせてくることもない。
だからとあくのだいまおうと似通った不気味さを放つ存在を無視するのは憚られるが、あくのだいまおうたちが話題にしていたからといって向こうが俺らに無関心なら、注意しておくにせよ過剰に警戒する必要もないかもしれない。
今からまたどうせ長い話し合いが始まるのだ。精神力の無駄遣いは避けたい。
「大姉様、では」
「うむ。始めるとしようか」
緑茶を啜っていた道着の女子は、静かにコップに似たやつを机に置き、全員を見渡す。
そういえば、セレスとかいう紳士に気を取られて、メンツの特徴を把握するのを完全に忘れていた。道着の女子に黒髪長髪の女、猫耳パーカー、セレスとかいう怪しげな紳士、そして俺たちを除いて、今この和風な執務室にいる奴らは四人。
「まずは自己紹介をしよう。私の名は仙獄觀音。巷では``剛堅のセンゴク``などと呼ばれている」
さっきまで無言で緑茶を啜っていた、上座に座り、白い道着を着こなす黒髪ショートの女子。やっぱりコイツが東支部最強だった。俺の直感も馬鹿にできそうにないことに、ちょっと胸を張る。
「私は東支部直属親衛隊``護海竜愛``隊長エルシア・アルトノートだ。よろしく頼む」
俺たちを執務室まで案内してくれた、真っ白なコートに身を包み、腰まで届く黒髪長髪を靡かせる気の強そうな女性。
コイツ、隊長とかいう地位だったのか。ゴウリュウってのがよく分からんけど、まあ確かに上座に座っている仙獄觀音に一番近い位置にいるし、いわゆる東支部次席みたいな立ち位置で間違いなさそうだ。
「アタシは``護海竜愛``副隊長フリージア・カタロ。以後よろしく」
エルシアとかいう女の向かい側に座っている緋色の長髪と赤いコートが特徴の女性。よくみると瞳も綺麗な緋色をしている。窓から入ってくる太陽光を吸収し、宝石みたく輝いていた。
着ているコートもエルシアとかいう女が着ている無地の白コートと比べ、太陽光を吸収してまるで燃えているかのように見える。火属性使いとして、あのコートは個人的に欲しくなってきた。どこで手に入るか、少し知りたい。
ともあれ凛々しさはエルシアと勝るとも劣らず、加えて情熱的で強気な女性という印象を受ける。
「あ、あの、私は、その……イラ・バータリーです。得意なのは、その、俯瞰する……こと? です。よろしくお願いします」
凛々しさと強気な女性から一転。今度は見るからに気弱そうな、台詞から垣間見れる小動物みたいな雰囲気の女の子が名を挙げる。
黒縁メガネと茶色い三つ編み、そして土を彷彿とさせる地味な色のローブと、か弱さに地味さが上塗りされていて印象に残らなさそうな希薄な女だ。
俺としては、か弱い女だとどう接したらいいか分からなくなるので、俺から話しかけることはおそらくないかもしれない。
「次はアタイっスね。自称東支部最速!! バラライズ・ウィッパーっス!! ビリビリ!!」
さっきから印象の落差が凄まじい気がする。か弱さと地味さの塊から百八十度捻じ曲がり、今度はド派手とスピード感を絵に描いたような奴が湧いて出た。というかよく見たらコイツの髪型といい服装といい、ほかの奴らとは明らかに毛色が違う。
髪色はレモン色というべきか、染めているのか自毛なのか知らないが真っ黄色で、瞳も黄金色、そして体に張り付いているかのようなピッチピチの黒いバトルスーツ的なものを身に纏い、身体からは電気のようなものが一瞬だが火花のように飛び散っている。
見たところミキティウスと同じく雷属性系の使い手だろうか。ぱっと見のイメージなのでなんとも言えないが、おそらくそうだろう。もしも今着ているスーツが耐電性のあるバトルスーツとかだったら、俺の直感は益々馬鹿にできたものではないなといよいよ褒め称えたいところだ。
「そして最後に、パラライズの横で茶菓子を貪り食べている少女だが、彼女の名はリビ。訳あってあまり人の言葉は話せない。だが力は確かなので、ご理解願いたい」
エルシアとかいう女に指摘されて、俺はようやくその存在に気づいて内心驚く。
ここにきてから今まで一言も発してなかったせいか、気配というか存在感が全くなかったせいで全然気づかなかった。よく見ればコイツも中々個性的な容姿をしている。
まず黒と白の縞模様のロングヘアーが真っ先に目に入ってきて、そこ以外に目に入らないぐらいに特徴的なのだが、それ以上にコイツが顔面につけている、薄気味悪いニマッとした笑みが描かれた仮面がクッソ気になって仕方ない。
そもそも仮面つけているのにどこから茶菓子をぼりぼり食べているのかとか、その縞模様の髪色と仮面はファッションなのかとか、正直東支部のメンツの中で一番特徴的なんじゃなかろうか。
どうして俺はこれだけ尖った見た目をしている奴に気づけなかったのだろうか。俺の気配察知が鈍っているのか、それとも俺の目が節穴なのか。どっちも嫌だが多分前者だろう。
任務請負人になってからというもの修行という修行をしていないし、危機察知能力が鈍るのも無理はない。休みの日とか作って、修行する日とか作った方が良いかもしれない。
御玲が良しとするかが問題だが、とりあえずは頭の片隅にでも置いておこう。
「では、私も自己紹介を……」
「ああ、彼はセレス・アルス・クオン。巷では``辺境伯``と呼ばれ、忌み嫌われている男だ」
「ふふ。エルシアさんらしい紹介、感謝痛み入ります」
「よせ、気色悪い。皆が貴様に抱く印象を述べたまでだ」
自己紹介という名の罵倒で紹介されて尚、作り笑いのような薄気味悪い笑みを絶やさないセレスとかいう紳士。
この気持ち悪さというか、怪しさというか、得体の知れなさ。やっぱりあくのだいまおうとどこか似ている。
世の中似ている人間は三人いるというし、不思議なことでもないとは思うが、その似ている人物があくのだいまおうだとなにかしら裏があるんじゃないかと勘ぐって仕方ない。
エルシア以外の連中もエルシアの紹介を聞いてリビと紹介された少女以外、何度も頷いている。大半の連中からこう思われるあたり、セレスとかいう奴の怪しさは相当なものだ。やっぱり俺らから無理に関わる必要はなさそうだ。
「んじゃ、次は俺らだな。俺は北支部代表レク・ホーラン。横にいるのは相棒のブルー・ペグランタン。そんでコイツらは―――」
金髪野郎を始めとして北支部勢の紹介をしていく。俺、御玲、カエル、シャル、ナージ、ミキティウスの順だ。
澄連の自己紹介ははっきり言って必要なのかと思案したが、俺らがやる前にコイツらが勝手にやってしまった。案の定というべきか、わけのわからない自己紹介に東支部の面々はリビって奴以外面食らった顔をしている。
ちんことかうんことかパンツとか言って自己紹介してくるんだから、大半が女しかいないこのメンツじゃきつかろう。止める暇もなかったので、とりあえず他人のフリをしておく。
「えー、と。私の自己紹介要りますかね? 要らねーと思うんすけど」
「そうだな。北支部の方々ともどうやら見知った仲のようだし、必要ないだろう」
「つーか、私に応援要請とか、どういう風の吹き回しっすか? 喧嘩売ってんなら買うっすけど」
「おいおいお前ら、早速おっ始めるなよ」
早速執務室の空気に暗雲が立ち込め、それを感じとった金髪野郎が猫耳パーカーの肩に優しく手を置く。猫耳パーカーはため息をつきながらも、空気を読んだのか、言葉の矛をとりあえず収めた。
猫耳パーカーの態度が明らかにおかしい。一週間前の大らかな態度は鳴りを潜め、悪態すらついているように見える。金髪野郎から犬猿の仲だとは聞いていたが、和室がもたらす調和すら掻き消す険悪な雰囲気から察するに、真面目に仲は悪いようだ。
常に理性的な印象の猫耳パーカーが、カチキレたときの俺並みに敵愾心を剥き出しにするとは、一体この二人の間に何があったのだろうか。知ったところで俺にできることはないし、あまり興味もないのだが。
「ふん! 私とてお前に借りを作るなど、断腸の思いなのだ。この中威区東部の平和とお前との因縁を天秤にかけるなら、前者を選ぶが代表の務めというものだろうよ」
金髪野郎の制止も虚しく煽りの応酬は終わらない。上座で立膝を立て、若干前のめりになった仙獄觀音が、治まりかけた場に再び火種を投げ散らかす。
「ふーん、プライドっつーもんがねーんですね。私はパイセンにオファー飛ばしましたけど?」
金髪野郎に止められて理性を取り戻したのも束の間、猫耳パーカーは眉を顰め、その瞳に再び闘志を宿らせた。
「プライドがないのはお前の方だ。距離の遠い北支部の方々にわざわざ手間をかかせるなど、代表として浅はかと思わなかったのか?」
「だから正式に申請だしたっつってんでしょーが。こっちだって無理して頼んだわけじゃねーっての」
「ほう? ならば私がお前や北支部の方々に無理矢理呼んだとそう言いたいのか?」
「あー? んなこと一言も言ってねーし。オメーが煽ってきてっからそれに答えてやってるだけだし」
「煽ってなどおらんが? ただ支部の代表として、私の考えを述べたまでのことだ。プライドなどという感情論を出したのは、お前の方だろう」
「チッ……それが煽りだってのがなんでわかんねーんすかねぇ……この兄貴馬鹿の脳筋が」
「黙れよ自称神の使徒め。独神などというわけのわからぬもので、私が敬愛し親愛する、偉大なる兄様をまた愚弄するか」
「敬愛? 親愛? ハハ、片腹痛い。そんなかっちょいいもんじゃねーでしょ? アンタの兄弟愛は敬愛だの親愛だの、そんなものを遥かに超越してる別物っすよ」
「……我が偉大なる兄様への愛が別物だと? 無礼な! その減らず口、二度と叩けぬようにしてくれようか!」
「やれるもんならやってみろっす!」
「待て待て待て待て待て!」
「お、大姉様! 今はそのようなことをお話しにきたのでは!」
険悪な空気は臨界点を迎え、猫耳パーカーと仙獄觀音が立ち上がる。今にも殴り合いを始めようとしている二人を、金髪野郎とエルシアが、それぞれ羽交い締めにするようにして止めに入った。
この二人、マジで想像以上に仲が悪い。噂以上なんじゃなかろうか。
「落ち着けお前ら。喧嘩名物に付き合うほど俺らは暇じゃねぇ、このまま続けるってんなら帰るぜ」
「す、すみませんパイセン……つい頭に血が上ってしまって……」
「大姉様も、拳をお収めください。これでは話が進みません」
「すまんエルシア。私としたことが、未熟なところを見せてしまったな」
二人に諭され、周りを見渡し、自分たちがアウェーなことをしていると自覚したのだろう。申し訳なさげに静かに自分の席に座り直し、お互い同じタイミングで緑茶を一口飲んだ。
部屋の空気は一瞬で弛緩し、さっきまでの険悪な空気感はなくなったが、いかんせん騒いだだけになんともいえない気まずさが漂う。さて、この居た堪れない空気をどうするつもりなのか。
「こほん。すまない皆。身内の恥を見せてしまった。この詫びは後で執り行うとして、本題に入ろう」
わざとらしい咳払いで気まずい空気を切り裂いたのは、火種をまき散らした仙獄觀音だった。
緑茶の入ったお椀を置くと、俺の視界に突然色々なオブジェクトが映る。一瞬何事かと少し焦ったが、なんのことはない。任務請負証に実装されている機能の一種、霊子通信を用いた簡易的な情報共有機能だ。
「我らが``護海竜愛``密偵、パラライズ・ウィッパーが集めてきた敵勢力の資料だ」
「ふむ。複数の勢力がごちゃごちゃに混ざった連合ねぇ……軍総指揮は凪上家と」
「ああ。今から約四ヶ月前、数多の性奴隷を用いた大規模オークションを開催していた、あの凪上家だ」
記憶の戸棚をほじくり返す。
凪上家ってどこかで聞いたことがあるなと思ったが、今から四ヶ月前の三月の末頃。ちょうど澄連と出会ったぐらいのときだったか。あのときは確か、澪華を別物にされてむしゃくしゃしていた直後で、エスパーダとかいう氷の巨人みたいなやつに八つ当たりしにいった日だ。
それと同時期に弥平は、親父の行方に繋がる情報を少しでも得たいがために、凪上家に潜入したのだ。
澄連も偶然なのか必然なのか、同じタイミングで凪上家に潜入しており、不審に思った弥平と図らずも邂逅を果たすことになった―――そんな馴れ初めだった気がする。
その後、凪上家は全く無関係の存在だと分かり、それ以降は話題にも上がらなかった連中だが、正直性奴隷とかいう胸糞悪いものを売り買いしている連中なだけに、糞の掃き溜めみたいな奴らなのは考えるまでもなさそうだった。
「凪上家っていやあ、中威区じゃ序列三位以内の暴閥だよな。上威区にいる富裕層の暴閥ともコネがある、結構強い連中だぞ」
「凪上家だけでなく、凪上家以下、傘下の序列十位以内の暴閥も手を組んでいるようだ」
エルシアの言葉に視界に映されたオブジェクトが動く。
凪上家の他に、十三万の軍を仕切っているのは全部で六勢力。阿羅家、伊根家、骨牌家、羽馬家、安賀家、由無家である。
どれも中威区上位十番台の大勢力で、いつもならそれぞれが牽制し合っているはずの連中が、突然手を組むことなどありえないという。もしも手を組むとしたら、それは彼らにとって打ち破りたい共通の敵がいるということ。つまり―――。
「目当ては東支部の侵略……ってことか」
口から思わず溢れてしまった呟きに、全員の注目が集まる。
しまったまた口が滑った面倒くさいことになるぞと身構えるが、エルシアは俺に向かって軽く頷いた。
「今挙げた暴閥は、どれもかつて我らが東支部で覇権をとっていたならず者どもだ。おそらく我ら護海竜愛から、再び覇権を取り戻そうと目論んでいるのだろう」
そう言い放った瞬間、東支部の連中からドス黒い空気が漂い始める。
憎悪や怒りに敏感な俺だからこそ分かる、この雰囲気。ぱっと見か弱そうで地味なイラとかいう少女からでさえ、目から光が消えていた。
ただの直感だし、コイツらの事情などよく知らないから断定できはしないが、雰囲気から察するに、コイツらは暴閥やギャングスターを憎んでいる。それも可能ならこの世界から根絶やしにしたいと思うほどに。
俺がかつて誅殺した、あの親父に抱いた感情と同じ、ドス黒い何かが彼女たちの表情、そして全身から湧き出ているのを感じて、俺の背に寒くて冷たい何かが縦貫する。
「まあ、仮にこの支部を落とせば、中威区東部一帯は中小暴閥の天下だしな。まさにやりたい放題好き放題の無法地帯に戻るわけだ」
陰険な空気を食い破るように、金髪野郎の呟きが執務室の寒い雰囲気を中和していく。
中威区東部一帯の治安は、仙獄觀音を筆頭とする護海竜愛とかいう連中の絶大な加護によって維持されてきた。でも当然、好き勝手やりたい暴閥、ギャングスターどもからすれば、東支部の存在は目の上のたんこぶである。
彼女たちがいる限り、自分のやりたいことが思うようにできないし、手前勝手なルールも決められないのだから、攻撃してくるのも当然というわけか。
「今までは小競り合い程度だったのだが、今回は毛色が違う。本格的に我々を落としにかかっていると見える」
視界に映されたオブジェクトが動く。
手駒十三万の大軍勢、東支部を物量で押し潰すという気が満々な大軍だが、思うことがあるとすれば―――。
「なんで今更……なんだろうな」
「……というと?」
「東支部解放って、確か去年の話なんだろ? だったらなんで今なんだろうなって。もっと早くから攻めてこれたんじゃなかろうかと」
そう、俺が疑問に思ったのは東支部解放からのインターバルの長さだ。
ただ東支部を落とす。それも単純に兵隊の物量で押し潰すだけなら、東支部の新体制が整う前にぶっ潰せばいい話で、頭数を揃えるだけなら一年もかかるとは思えない。実際、今回だって十三万の手駒を集めるのに一週間かそこら、もっと前から集めていたとしても一ヶ月はかかっていないはず。
憎しみが原動力になっているとはいえ、諸勢力間のいざこざをすべて無視し、強権でもって連合を組んでいるフットワークの軽さは、流石は中威区有数の暴閥と言える。
それだけ軽いフットワークと強権を持っているにもかかわらず、なんで今更東支部を物量で潰そうと考えたのか。動機は分かるが、それなら尚更早く行動に移せたんじゃないかなと思わずにはいられないのだ。
「東支部解放戦線では、大姉様によってほとんどの暴閥、ギャングスター勢力は駆逐された。おそらくだが、兵力の回復に時間がかかっていたのだろう」
エルシアは俺の意見を迷いなく一蹴する。
そこらへんの事情は分からないから、そうなんだと言われるとそうなのかとしか返す言葉が浮かばないが、本当にそうなんだろうか。
東支部に巣食っていた勢力を駆逐したところで、中威区東部全体の暴閥、ギャングスターの中核が壊滅したとは思えない。絶対に駆逐したのは中核から派生した一部の勢力のみで、その大半は中威区東部で燻ぶっていたはずだ。
「アタシたちを警戒して尻込みしていたのでは?」
フリージアが首を傾げながら呑気な事を言ってくる。
確かにそれも一理ある気はするが、それでも一年以上も警戒しているとは考えにくい。
ぶっちゃけ、そんなに長く警戒していたら東支部の体制が万全な状態になってしまう。再び覇権を奪い取るなら、攻めるなら解放したての、それこそ体制が整っていない状態を攻めた方が手っ取り早いはずだ。手駒十三万を一ヶ月以内に集められるフットワークがあるのなら、当時でも普通にできたはずである。
「ふむ……挙兵しなかった理由があるのかもしれませんなぁ」
静まり返る執務室の中で、一人ぽそりと呟いた紳士がいた。セレス・アルス・クオンと紹介された、あくのだいまおうと似たような雰囲気を持つ、怪しげな紳士である。
「しなかった? できなかった、ではなく?」
「そこの新人さんの言葉を加味するならば、そうなるのでは? そもそも私としても、挙兵できなかったとは考えにくいのですよね」
「し、しかし。できなかったのでないなら、何故今まで……」
「それこそ敵勢力を捕虜として捕まえ、吐かせるしかないでしょうねぇ……尤も、捨て駒の兵隊程度を捕まえたところで、無意味でしょうけれど」
けらけらと乾いた笑みを浮かべるセレス。まるで笑って死んだ死体のような不気味な笑みに、思わず背筋が凍る感覚が走るが、悟られると舐められるので顔には出さないでおく。
だが彼の言っていることは理に適っている。そこらのボンクラみたいなのを捕まえたところで、組織の中枢からすれば捨て駒だ。どうせ何も教えられずに命令されて動かされているだけだろうし、情報を得るなら組織の中にいる有力者を捕まえる必要がある。
とはいえ、ソイツらにもソイツらなりのプライドってもんがあるだろう。向こうがよほどの馬鹿でもなければこの程度は予想しているはず。対策されている気がしなくもないが。
「意表を突けば……なんとかなるかな」
両手を頭の上に組み、細目で天井を眺めながら小声で呟く。
相手が暴閥なら速い話、俺たちが正体を明かせばいい。向こうだって流川の当主が直々に動いているとは流石に思わないだろうし、俺が出張って脅せば洗いざらいゲロる気がしなくもない。
ただ当然俺の正体を敵に教えるようなものだから、もしその情報を敵にまんまと渡してしまえば俺のリスクになる。用済みになったら久三男の意味不明な技術力で記憶を消して放り投げるか、もしくは事故に見せかけて始末してしまうかのどちらかをやればいいだけのことだが、このやり方を取るなら久三男や弥平、御玲と相談する必要はあるだろう。俺が勝手にやるのはダメな気がする。
「セレス殿。過激な言葉は謹んでいただきたい」
「おや、そうでしたか。それはすみません」
「しかし、一案として胸に留めておきます。よろしいですか、大姉様」
うむ、と一人緑茶を啜る仙獄觀音。あんな苦そうなものよくもまあズルズル飲めるよなと思いつつ、俺は霊子通信で御玲を呼び出す。
今回は久三男の回線ではなく、任務請負証の公式回線だ。
久三男力作の回線がバレて以降、久三男が任務請負機関の霊子通信回線をハッキングし、その内容を暗号化するとかいう方法で、この会話もきちんと久三男は傍聴してくれている。気取られないか少し心配になったが、暗号化されている間は本部の奴らには聞こえないらしい。実質、久三男と俺らしか会話の内容を知る由もないわけだ。
本来なら不可能な所業なのだろうが、その不可能を可能にするのが久三男である。相手が百代とか裏鏡みたいな規格外のヤベェ奴らでもない限り、遅れをとることはないだろう。
『概ね、あのセレスと名乗る紳士の考え方に賛成ですね。相手もそれなりに対策してそうなのが気がかりですが』
『弥平とか久三男に頼んでみるって手もありか』
『ありでしょうが、まず相談は必要かと思います。特に弥平さまには専従任務がありますし』
だな、と一応結論づける。だがここで終わる俺じゃあない。
『今ふと思いついたんだがさ、俺が囮になるってのはどうだ?』
『と、いいますと?』
『要は相手も情報渡したくなくて口封じしてくる可能性があるわけだからさ、あえて俺が流川本家の当主だぞって言えば、意表を突いた脅しになるかなって』
『…………リスクがあるのでは』
『まあな。でも突破口の一つにはなる。俺の正体が捕虜に知られることになるが、用済みになれば捕虜の記憶は久三男に消してもらえばいい』
『ふむ。相手が盗聴器を持っている可能性もありますよ。その場合、敵組織にあなたの正体が周知されることになりますが、その場合は如何なさるおつもりで?』
『え。あー……それはー……だな……』
的確なツッコミが、俺の脳味噌にクリティカルヒットする。
正直、そこまで考えてなかった。意表を突いた脅迫をすれば、相手がビビり散らかして洗いざらいゲロるかなぐらいにしか考えてなかっただけに、盗聴とかいうクソ姑息なやり方までは考えていなかった。
その場合は、どうするか。結論を簡単に述べるなら。
『久三男なら、なんとかしてくれそう』
霊子通信回線を介して、ものすっごく冷ややかで寒い感覚が身体中を撫で回す。
いやまあ、分かっていた。結局他力本願じゃないかって反論は受けつける。困ったときは久三男か弥平に頼ればなんとかなるのだから、俺としては身も蓋もなく答えるしかないのである。
『まあここで結論を出すのは早計です。久三男さまや弥平さまに相談してからでも遅くはないでしょう』
御玲も俺と同じ結論に辿り着いたらしい。元より久三男や弥平抜きで結論を出す気はなかったので、迷いなく御玲の言い分を肯定する。
意識を執務室に戻すと、話は既に十三万の軍勢をどう迎え撃つかにシフトチェンジしていた。
「十三万に対し、我々全員のみ……東支部に所属する請負人たちを総動員させるわけにもいかないし、困ったものだな」
「俺としちゃあ、イラの迷宮案が良いと思うけどな。大規模破壊級の攻撃で一網打尽にでもしない限り、この物量を真っ向から相手するのは馬鹿らしいだろ」
「わ、私、ちゃんとできるかなぁ……」
全然話についてこれないし、かといって今更「何の話?」って聞くのも居た堪れなくなるので、聞いてくれていると信じ、さりげなく御玲の肩をつつく。御玲は小さくため息をつきながらも、霊子通信で教えてくれた。
どうやらイラ・バータリーとかいう、三つ編みを垂れ下げている地味で弱そうな奴が地属性系魔術の使い手らしく、ソイツがなんと驚き、地属性系の霊力を駆使して迷宮を作れるそうなのだ。
既に今回の作戦のため前もって作成していたらしく、迷宮自体は九割方完成しているらしい。空からじゃ見えなかったが、魔法か何かで隠されていたのだろう。
迷宮なんてドデカいもの、見せびらかすようにおいてあったら否が応でも目立つし、敵に情報を与えてしまうことになる。隠すのは当然の処置だ。
ともあれ迷宮で籠城ともなれば戦略の幅は大きく広がる。確かに金髪野郎の言うとおり、東支部を守りながら、なおかつ大規模破壊を一切しないという条件で十三万の大軍勢を迎え撃つなら、内部構造が複雑な迷宮を作って籠城戦が妥当だろう。
内部構造が複雑な迷宮に誘い込まれたら、単純に物量で押しつぶすことはできなくなる。むしろ迷宮に翻弄されて、敵軍はバラバラになる可能性が高かった。そうなればただの小さい群体でしかなくなるし、そうなったところを各個撃破していけば、こっちの被害は最小限で済ませられる。
イラとかいう地味眼鏡っ子の力を使えば、この戦い、割と御しやすいのではないか。
「やはりレク殿もイラの迷宮で籠城戦を希望か。他に異論のある者は?」
エルシアが周囲を見渡す。御玲から話を聞いた俺としては異論ない。むしろ大規模破壊なしに東支部を守るなら、籠城するしか手はないだろう。他の連中も異論はないのか、首を縦に振るのみだ。たった一人の女を除けばだが。
「きになることがあんだがよー」
手、ならぬ百足の尾を挙げたのは、俺の隣でずっとだんまりを決め込んでいたポンチョ女だった。
コイツ眠そうな顔して、ちゃんと話を聞いていたのか。御玲と霊子通信していて話の流れに乗り遅れた俺の立場がと思いながらも、手の代わりに小さくなった百足野郎がけたたましい金切音を打ち鳴らす。
「そのめーきゅーって、ちかにつくれんの? できればちかめーきゅーにしてくれっとたすかんだけど」
「……でき、ますけど、どうして?」
「むーちゃんもあたまかずにいれんなら、ちかのほーがいい。むーちゃんでけーしむかでだし、ちじょーだとめだつ」
それを聞いて全員が納得する。言われてみればそうだと、俺も思った。
百足野郎は見てのとおり人外。巨大黒百足のバケモンだ。そんなのが地上にいたら普通に目立ってしまって敵を警戒させてしまうだろうし、迷宮内から出さないとしても地上迷宮だと百足野郎が移動しても壊れないようにしないといけないし、そうできたとしても敵と戦うとなれば動き回るわけで、どうしても地鳴りやら何やらが起こってしまうだろうし、どっちみち敵を警戒させてしまうだろう。
それに百足野郎の戦いに迷宮が耐えられるのかも疑問だった。イラとかいう女が作る迷宮の耐久度が判然としないが百足野郎がエーテルレーザー撃ちまくったり、大畝りしようもんなら崩落間違いなしな気がした。
地上だと崩れたときそこから東支部に侵入できてしまったり、最悪迷宮全体が壊れて全員生き埋めになりかねないが、地下ならば仮に崩落したとしても一部だけが壊れるだけなので友軍誤射する可能性は低くできる。
百足野郎が戦うための専用スペースを地下に作るためにも、迷宮というあからさまなものを隠すためにも、百足野郎の悪目立ちさせないためにも、迷宮の位置は尚更地下の方が良いだろう。
「イラ、迷宮を地下に配置し直す場合、何か問題点はあるか?」
「そう、ですね……天井の強度をちゃんとしなきゃな……って思います、ね。みんな生き埋めにしちゃったら、ダメだから……それと地上迷宮のつもりだったので、配置変更の際の霊力が……」
「ふむ……かなり問題だな」
エルシアは腕を組み、渋い顔を浮かべた。
確かに地下に迷宮を作るとなれば、自ずと戦場は地下になる。あまり派手に戦えば迷宮が戦いの余波に耐えられず、天井が崩落してしまう。そうなれば敵もろとも生き埋めだ。生き埋めになったことがないので実際どうなるか分からないが、俺と澄連以外は耐えられそうもないだろう。
そして迷宮の配置を変えるのも、おそらく地味眼鏡っ子一人じゃ難しい。迷宮ともなればかなりの規模、それをタダで操れるとは思えない。霊力の消費は馬鹿にならないはずだ。
「れーりょくならむーちゃんからかりればいい。たぶんこんなかで、さんぼんゆびにはいるくれーのれーりょくりょーもってるし、ほしーならいるだけもっていけ。それにむーちゃんといっしょにいるからほーらくとかあんまりきにしなくていい」
なるほど、と地味眼鏡っ子は額に汗を浮かべながら納得する。
確かに百足野郎の霊力量は、ここにいる奴らの中では俺の次か、下手すりゃ同じくらいある。
強いて言うなら「欲しいならいるだけ持っていけ」っていう言葉の意味がよく分からないくらいだが、確か百足野郎は霊力吸収能力を持っていた。もしかしたら霊力を渡す能力とかを持っているのかもしれない。
人間だったなら疑問を呈したいところだが、相手は魔生物。それくらいはできてもあまり不自然な事でもない。
「アタシも天井が脆くても問題ない。むしろあえて脆くしてほしい。最悪、自爆して敵を地中に葬り去れる」
「で、でも、フリージアさん、いくらなんでも……」
「大丈夫、死ぬことはないよ。ただ身動きは取れなくなるから、戦いが終わった後に掘り起こしてもらう必要はあるがね」
途端にフリージアとかいう緋色の髪の女がヤベェことを言い出した。
自爆して生き埋めってどう考えても死なば諸共としか聞こえないんだが、何故か全員心配そうな顔をするのみ。止める者はおらず、むしろフリージアだから仕方ないみたいな顔をしている。
仲間が死んでもどうとも思わないってことだろうか。いや、それともまた違う気が。
「おそらく不死性を持っているのでは」
俺の表情を読み取ったのか、小声で御玲が耳打ちしてくれる。それでようやく腑に落ちた。
不死性を持っている。なら話は分かる。俺だって大概の致命傷は致命傷になりえないくらいには不死なので、生き埋めになったとしても死にはしないと思う。息ができるかどうかが問題だが、息ができなくても生きていられる自信があった。
根拠とかはないが、水の中とかでもない限り、俺が動けなくなることはないだろう。最悪面倒なら煉旺焔星で地中を掘削すれば外に出られるだろうし、問題なさそうだ。
「おいおい、俺は無理だぜ。体の頑丈さと生命力には少しばかり自信はあるが、流石に窒息に耐えられるほど鍛えちゃいねぇし」
金髪野郎は苦笑いを浮かべながら手を左右に振る。
金髪野郎に関しては予想どおり。コイツはもしかしなくても生き埋めになれば死ぬだろう。運良く百足野郎に助けられればって感じだ。
「私も無理ですね。人間なので」
御玲はクールに断りを入れてくる。そりゃそうだと誰もが首を縦に振った。
となると、天井が崩落して死にそうな奴らは金髪野郎、御玲、エルシア、イラ、仙獄觀音、ポンチョ女、猫耳パーカー、そんでずっと茶菓子貪り食っているリビとかいうガキくらいになるのか。
「結構死ぬな」
「いや、私は問題ない。いざとなれば土の中を泳ぐまでのことだ」
仙獄觀音がまたヤベェことを言い出した。疑問符が絶えない俺をよそに、全員は首肯している。
東支部の連中が止めようとしていないあたり、コイツも天井が崩落して生き埋めになった程度じゃ死なないタイプの身体を持っているってことでいいんだろうか。
個人的にはそっちの方が面倒は少ないし、土の中を泳ぐって言葉の意味が依然として分からないが、死なないならなんでもいいか。誰も反論していないようだし。
「それと、リビは不参加だ。いざとなればその限りではないが、頭数には入れない前提で話を進めてもらいたい」
仙獄觀音の一声で、全員の視線が仮面の幼女に集まる。
さっきからずっとお菓子食っているだけだし、一言も話そうとしないから存在を忘れかけていたが、ぱっと見霊力もほとんど感じない。戦う力もなさそうだ。
だったら何でこの会議に参加させているのか謎だが、邪魔にならなきゃ俺としてはどうでもいい。向こうが面倒見てくれるだろうし、俺らが気にすることでもないだろう。
「私も生き埋めは辛いですねぇ……若い頃ならどうとでもできたんですが、膝に矢を受けてしまってからはどうも……」
胡散臭い笑みを依然として張りつけながら、頭を掻くセレスとかいう紳士がテーブルに置かれた茶をシバく。
辛いって全然思ってなさそうにしか思えないし、なんならどうとでもできた若い頃ってのが気になるけど、確かにコイツもぱっと見はあまり強そうに見えない。霊力もそこまでって感じだし、存在感なら仙獄觀音の方が圧倒的だ。コイツもそこそこ強い程度の人間だろう。無理もない。
「嘘だな」
「嘘だろう」
「嘘は良くないな」
「嘘っスね」
「嘘、は……ダメだと思います」
エルシア、フリージア、仙獄觀音、パラライズ、イラの順に、寸分違わないタイミングでツッコミがブチこまれる。セレスは依然として「おやー?」とけらけらと笑って茶をシバくのみだったが、東支部連中からの視線は鋭い。
「セレスさんや。興味ないかもしれねぇが、ウチの支部や本部でも、アンタは結構名が知れてる請負人なんだぜ?」
居た堪れない空気をもろともせず、新しく紅茶を作ってその香りを一人楽しむ紳士に、金髪野郎が茶を片手に割り込んだ。
「東支部がまだ最悪の治安を誇ってた頃から、アンタは数多の勢力から治外法権扱いされていた。``辺境伯のセレス``っていやあ、請負機関の古参なら知らねぇ奴のいねぇ二つ名だし、俺ぁアンタの実力はそんなんじゃねぇと思ってんだが、どうなんだ?」
口調こそ大人しいが、その態度からは僅かながら霊圧が滲み出ていた。
俺はこの紳士の事はよく知らない。第一印象があくまであくのだいまおうに似ていてクッソ不気味って感じるだけで、強そうという感じではない。
もしもあくのだいまおうたちが言っていた奴が彼だとするなら、カエルたちの旧友ってことになるが、もしそうならカエルたちが騒ぎ始めるはず。でも実際、コイツらは全く知らない感じだ。話し合いなど無視してなにやら下品な会話に花を咲かせている。
コイツらの態度を見るに、あくのだいまおうたちが言っていた旧友っていうのは、また別の人物なんじゃないかと思われた。
「買い被りすぎです。昔はまあ……それなりに体を動かせはしましたが、今やこの支部で、一人朗らかにアフターヌーンティーを嗜むだけの老木にすぎませんよ。ええ」
などと朗らかな作り笑いで手元にあった紅茶を啜るが、皆の視線は尚も懐疑的だ。誰もが彼の態度に疑心を抱く一方で、やはり彼は素知らぬ顔である。
埒があかないと思ったのか、金髪野郎はため息をつきながら、セレスから視線を外した。
「セレスさんも頭数に入れるんだよな、仙獄?」
「ああ。今回の作戦において、彼の力は必須だ。遊ばせておくわけにはいかない」
「遊ぶだなんて、そんな。ただカーテンの隙間から垣間見れる溢れ日に当たりながら、アフターヌーンティーを啜り、悠久というべき時の流れに身を任せているだけですのに」
「それを東支部一般には怠惰というのだ! 大姉様から私室をあてがってもらっている分際で、文句を言うな!」
エルシアが彼の肩を割と強めに叩く。
ものすごく優雅な表現をしているが、言っていることは太陽の光を浴びて紅茶飲みながらサボっているってことと同じである。言い方と相手の印象次第でサボっているって響きにこれほどまでの開きがあるのは不思議なものだ。俺が言ったら同じ感じには絶対ならないのに、ちょっとズルさを感じざるえない。
「え、えっと……じゃあ、迷宮は地下に、天井の耐久度は皆さんの不死性と、相談ですね?」
セレスの影響で緩んだ空気をイラとかいう地味な女の子が引き締め直してくれる。
彼女の言うことに、ほぼ全員が首を縦に降った。不死性と相談って一見言葉の意味が分からなくなるが、実際この場には生き埋めになっても死なないようなのが、俺を含めて何人かいる。生き埋めになっても大丈夫な奴の天井は、敢えて脆くするのも戦術の一つとしてはありだ。イラとかいう女の子も無限の霊力を持っているわけでなし、個々の体質に合わせて手抜きするのも霊力の有効活用だろう。
地下迷宮ともなれば作るのに時間がかかりそうだし、敵はこっちの準備が終わるまで待ってくれるほど親切でもない。完成はできる限り早いに越したことはないのだ。
「まだ敵軍に動きはない。向こうの準備が整うより先に、我々の準備を迅速に整えるぞ!」
エルシアの一言で、俺と澄連、そしてリビとかいうガキとセレス以外の全員が返事をする。
確かに敵の数は多いが、一人あたりの全能度は最低百から最高二百ちょい。俺らがしたら雑魚である。数が多いだけで個人的にはそこまで気合を入れるような相手でもない。まだ一週間前に戦ったスケルトン・アークとか、それより前に戦った女アンドロイドの方が絶望的な強さをしていた。
そう考えると、人間って雑魚だなと感じてしまう。コイツらからしたら十三万の大軍勢なのだろうが、俺からしたら殴れば塵になるような連中としか思えなかった。
いつものとおり俺たちは北支部正門前で待ち合わせ、金髪野郎が乗りこなしている空飛ぶ車に乗って東支部へ直行する。
北支部から東支部までの距離は南支部と比べて短いが、それでも陸路だと片道数十日以上かかる。空路だと十分程度で行けるため、今回も空を飛んでひとっ飛びである。
「見ろ新人。ここが中威区東部、中小暴閥自治区だ」
導かれるままに、パワーウィンドウから街々を眺める。
中威区の中でも特に高層ビルが多いのは、中威区中央部の都心や北部だが、中威区東部は東部都心を抜けると中小暴閥たちが支配する区画があり、その区画には高層ビルはほとんど存在しない。あるのは大なり小なり様々な武家屋敷である。
土地一杯に広がる武家屋敷の群体。屋敷の数が圧倒的に多いせいで道幅は狭く、よくよく目を凝らしてみると道路には米粒の如く車で溢れかえっていた。
これが俗に言う``渋滞``というやつである。陸路で行っていたらアレに巻き込まれていたと思うと気が滅入る。絶対に巻き込まれたくない。
「東支部はあと三分で着く。降りる準備をしておけよ」
金髪野郎が言うとフロントガラスの向こう側に一際デカく聳え立つ灰色のビルが目の前に現れる。他の武家屋敷ばかりで周りに高層ビルがほとんどないせいか、そのビルは異様に目立っていた。
アホな俺でもこれは一目瞭然だと分かる。間違いなく、東支部のビルである。
「でけーな、きたしぶよりたかくね?」
「まあ東支部は昔、治安悪かったからな……中小暴閥が支配する土地のど真ん中だし、白兵戦を考慮した結果だろう」
さっきまで黙って空を眺めていたポンチョ女が、東支部のビルをぼけーっと眺めながら呟く。
確かに言われてみれば気持ち高いような気もする。北支部のビルの高さなんて意識したことがないからイマイチ共感できないが、周りに同じくらいのビルがないせいもあって確かに高く見えなくもない。
白兵戦を考慮って、やっぱりビルの中に暴閥の連中が攻めてきたりするってことなんだろうが、だとしたら厄介な話だ。今回の相手は十三万の物量。そんな大軍勢がビルの中に押し寄せてくると思うと身動きがすぐにとれなくなってしまう。
キメるならビルに入られる前にブチのめして分からせる必要がある。ビルに攻められた時点で戦略的敗北は確実だ。
「もしくはビルごと消滅させるかだが……」
「唐突に何だ新人……」
「んいやなんも!!」
思わず思考の渦にのめり込んでいた残滓が口から漏れ出てしまった。金髪野郎からのジト目が痛く突き刺さる。
正直俺に言わせれば、たとえビルの中に攻められたとしても負ける気がしない。というか、むしろビルの中にわざと誘い込んで一網打尽にしてしまった方が早いのだ。
かつて親父への復讐に駆られていた時期。まだ記憶に新しい憎き親父との最終決戦。親父のアジトを守る手駒十万と、その手駒が等分配で配置されている複数の駐屯基地を、流川家の直属魔生物で基地ごと消滅させたことがあった。
ぶっちゃけた話、兵隊なんぞ真面目に相手をする必要がなく、久三男が飼い慣らしている魔生物にビルごと消滅させてしまえば、それで終いなのだ。親父みたいなクソ面倒なボスキャラを相手にしないだけ、速攻で終わる簡単な作業なのである。
「でも、どうせ無理だよなぁ……あの頃とは戦場が違うし……」
金髪野郎に聞こえないよう、超小声で独り言を呟く。
親父との最終決戦の地は巫市農村過疎地域。俺たちがいる武市から遥か北にある、広大な平原と更地が戦場だった。建物という建物も、街という街も、村はおろか集落すら存在しない。半ば自然に帰っていたその場所に、親父はアジトを構えていた。
だからこそ多少手荒な掃討作戦が採用できたわけだが、今回の戦場は中小暴閥が支配する自治区、その中心である。
久三男に頼んで魔生物を戦力として出してもらうにしても、関係ない奴らと関係ある奴の選別をしないと無差別に殺ってしまうことになる。久三男の手腕ならミスするとは思えないが、余計な負担がかかって作業が思ったように進まないだろうし、実行するなら戦況が芳しくなくなった場合に限られるだろう。
なにより人間からして魔生物は敵だ。直属魔生物を唐突に派遣すれば、戦場は確実に混乱してしまう。下手をすれば金髪野郎たちに攻撃されかねないし、だからといって「俺ん家の魔生物は味方だぜ☆」とか言っても絶対信じてくれそうにない。
味方として信用を得られないという点でも、直属魔生物の派遣は全くもって得策とは言えなかった。
結局のところ東支部ビルを物量で占拠されないよう、地道に相手をブチのめすしかないってことだ。報酬は破格とはいえ、面倒くさくてやってられないと匙を投げたい気分に苛まれる。
「北支部代表、``閃光``殿並びに``百足使い``殿。此度の召集を受けていただき、誠に感謝する」
そんなこんなで考え事をしていると、気がつけば車が着陸していた。その場所は一際目立つデカいビルの正門前。東支部正門前である。
車から降りると、正門前で出迎えてくれたのは、真っ白なコートを着こなす凛とした女性だった。腰まで届く綺麗に整えられた濡れ鴉色の黒髪が太陽光を反射させ、瞳は黒真珠を彷彿とさせるほど輝いている。同じ黒でもその黒さに暗澹とした淀みはなく、初対面で人柄も分からないのに直感だが結構印象良く感じさせ、コートも汚れひとつなく白いせいか、輝きは尚更強く太陽光を煌びやかに反射させている。
直感が唸りを上げた。滲み出る貫禄、威厳。そこらへんのチンピラ請負人とはわけが違う。間違いなく、この東支部の重鎮だ。
「十三万を兵が攻めてくるとは、東支部らしいな」
「……それは皮肉か?」
「んーや。素直な感想を述べたまでだぜ」
なんか、空気が悪い。目の前に立つ女の印象は悪くないが、俺たちを見渡すと何故だか眉間に皺を寄せる。その視線は何故だか俺や金髪野郎に向いているようで、まるで敵視されているかのような態度だ。
「で、俺や新人は``男``なんだがよ。そっちの敷居跨いで本当にいいのか?」
金髪野郎の投げかけた質問に、思考が停止する。
確かに金髪野郎と俺は男だ。逆に俺と金髪野郎以外は女二人と人外数匹といった具合だが、男がいることの何が問題だというのだろう。
凛々しい黒髪の女は俺を見るや否や、深いため息を吐いて金髪野郎に視線を戻した。
「……致し方あるまい。大姉様直々の命だ。私のつまらん癖で、任務の腰を折るわけにはいくまい」
「本当に大丈夫かよ? お前の噂、北支部にも轟いてるんだぜ?」
「くっ……!! 不本意とだけ言っておくぞ。私はそんなはしたなくはない!!」
「はいはい、わーってるよ。触ったりしないから、とっとと案内してくれや」
「当たり前だ!! 男に触れられるなど虫唾が……いや、知り合いでもない異性と触れ合う趣味などないからな!!」
さっきまでの凛としていた威厳はどこへやら、黒髪長髪の女はコートをはためかせながらも赤面してケラケラ笑う金髪野郎にがなり立てる。
なんとなく。なんとなくだが、コイツ、もしかして男嫌いなだけなのでは。馬鹿な俺でもそれだけはわかった気がする。外したら、多分俺はただの間抜けだったってことだろうが、これは確実に当たっていると信じられる。
だとすると面倒くささがかなり増した気もしてきたのだが―――。
黒髪長髪の女の後に続き、俺たちは東支部正門をくぐる。だがその瞬間、異様な空気感に体を縛られることになる。
正門をくぐり、ロビーに入るや否や、大量かつ濃密な視線が俺に集まった。いや厳密には俺だけじゃなく金髪野郎と俺と言った方が正しいだろう。その視線はあまりの物量ゆえにもはや威圧に等しく、思わず身構えそうになってしまう。
ロビー内には女しかいなかった。男という男は見当たらず、視界にいる全員が女だ。そしてその女たちが、俺と金髪野郎をじっとりと見つめてくる。
直感で分かる。歓迎されていない。視線が意味する感情は、忌避と憎悪のそれだった。
心を閉ざしていた頃の御玲数十人にクッソガン飛ばされている感じだと言えば、近いだろうか。なんにせよ良い気分にならないのは確かである。
ここから一切会話なし。南支部合同任務のときと打って変わってクソ気まずくて重い空気が横たわる。
いつもどおり二階へ案内される。やっぱ規模がデカいビルなだけあって、北支部や南支部と違ってフロアが広い。北支部や南支部のときは、一階のロビーから二階にある執務室が見えたし、階段登ってすぐの所に引き戸が存在していた。
だが東支部は完全にビルって感じで、階段を登り終えてもなお、複雑な構造をした渡り廊下を右左と延々と歩かされている。
その割には掃除がきっちり行き届いており、床や壁は綺麗に拭かれているようだった。何故かどこの壁も傷だらけなのがものすごく気になるが、多分東支部が一番古く建てられたからだろう。勝手にそう思うことにした。
一階のロビーに人が集まっているせいで二階は電気が煌々と点いているのみの殺風景な雰囲気だが、歩くこと十五分。ようやく執務室らしき扉の前で黒髪長髪の女が立ち止まった。今回もお馴染み、引き戸である。
「ここが大姉様の執務室だ。新人も連れているようだが、粗相のないように頼むぞ」
「今回連れてきた新人はかなりのじゃじゃ馬でよぉ。粗相の方は保証できかねるぜ?」
「``閃光``と名高い北支部監督官様にしては、らしくないお言葉ですな」
「ならお前が教育してみるか? 頭痛薬と友人になれるぜ」
「遠慮させてもらう。私は既に吐き気止めと友好関係にある。これ以上薬と仲睦まじくなるのは勘弁だからな」
お互い怪しげな笑みを浮かべながら談笑する金髪野郎と黒髪長髪の女。会話の出汁が俺なだけに、心中に不快感が支配する。
コイツら、俺が目の前にいることを忘れとりゃあせんだろうか。よくもまあ堂々と人の前で悪口スレッスレの皮肉を言えたもんだ。俺の虫の居所が悪かったら全員まとめてブチのめしていたところだぞ。
とりあえず、面倒はごめんだ。金髪野郎と女の減らず口を黙らせたい気分で拳がうずうずしているが、ここは我慢しておいてやろう。
「大姉様、失礼いたします。``閃光のホーラン``率いる北支部請負人を連れて参りました」
黒髪長髪の女はご丁寧に引き戸を二回ノックすると、中から「入れ」という女の割に威厳のある声が聞こえ、引き戸が自動で開かれる。中に入ると、そこは金属製の廊下から打って変わって畳敷の広大な和室が広がっていた。雰囲気の変わりように、少し目を回してしまう。
「レクパイセン、二週間ぶりっす。元気にしてたっすか?」
畳敷きの執務室は南支部や北支部の執務室よりも遥かに広い。人が数十人入るくらい、下手すれば俺ン家のリビングぐらいありそうな広さの部屋に、既にメンツは揃っていた。
その中でも俺たちがすぐに認識したのは、一番見知った人物だった。
「まあ、ぼちぼちな。そっちはどうだ? あれから順調か?」
一番見知った相手とは、二週間前にスケルトン討伐の合同任務で一緒に戦った南支部代表トト・タートこと猫耳パーカーである。
既に座布団の上に座り、茶菓子と粗茶をちゃっかり召し上がっていた最中だったのか、机に置いてあった手拭きで口を拭いた。
「いやー、パイセンたちのおかげで南支部周辺の平和は無事保たれたっす。主戦力のオッサンズも少しずつですが復帰してきてますし、これならすぐ軌道に乗れ直せそうっす」
そうか、と金髪野郎も猫耳パーカーの向かい側にある座布団に座る。俺たちも金髪野郎につられる形で、空いている座布団に順次座っていく。俺の右隣は御玲、左隣はポンチョ女だ。
「大姉様。全員揃いました」
長方形の長机の上座に座る、真っ白な道着を着こなした黒髪の女子。秘書の如く右横の座布団に座った黒髪長髪の女より遥かに髪は短く、目尻がとにかく鋭い。なにより全身から黒とも白とも言える、殺気のようなオーラ的な何かが滲み出ているのがものすごく気になる。
長机がデカイから小さく見えてしまうが、確信する。一番上座に座っているあの女子こそ、東支部代表``剛堅のセンゴク``。全身から滲み出る覇気といい、よくみれば道着越しから極限まで戦闘のために整えたであろう肉体が垣間見えることといい、上座で緑茶を啜るあの女子こそが、東支部最強と見て間違いない。
「すみません、もしかしてもう始めてしまいましたかね」
俺がこの中で一番強ぇ奴を見定めたそのとき。淡白な声音とともに引き戸が突然開かれた。そこに現れたのは、灰色の髪を靡かせる、長身の怪しげな紳士だった。
思わず目を丸くして息を呑んだ。引き戸から現れた金やら銀やらで花を模した黒いローブを身に纏う紳士の印象が、俺の見知った奴らの中に一人、そっくりな奴がいたからだ。ソイツの名は―――。
「おや。見慣れない方々がいるなと思えば、北支部代表様ではありませんか。お初にお目にかかります」
「おお、アンタか。噂の``辺境伯``って言われてんのは」
「いやはや、私そんな呼ばれ方をされているのですか。なんだか貴族のようですね。なぜでしょう」
「よく言うぜ、そんなナリしてりゃあ無理もねぇだろうよ」
平然と金髪野郎が話してやがるが、俺はいまだに硬直していた。だって、なんでかって、コイツのぱっと見の印象が、澄連の中でも謎の存在―――あくのだいまおうにそっくりだったからだ。
「遅いですぞセレス殿。遅刻は厳禁だと言ったはずだ」
「すみません。モーニングティーを飲みながら朝日を眺めていました」
「言い訳はいい。早く席に着いてくれ」
硬直している俺をよそに、セレスと呼ばれた紳士はそそくさと空いている座布団に座る。俺は隣に座っている御玲の肩を叩き、小声で思ったことを耳打ちした。
「……確かに、あくのだいまおうに雰囲気は似てますね。不気味さではまだマシな感じがしますが」
「アイツがあくのだいまおうたちが言ってた奴かな」
「分かりません。ですが、可能性は高いと思います」
「……どうする?」
「別にどうもしなくてもいいのでは。こちらから関わる理由もなし、何かあれば向こうから来るでしょう。そのときに対応を考えても遅くないかと」
「それもそうか……」
粗探ししようにも、御玲の意見に隙は見当たらない。俺とて得体の知れない奴にわざわざ関わりにいく趣味はないし、向こうもまるで興味がないかのように俺らと目を合わせてくることもない。
だからとあくのだいまおうと似通った不気味さを放つ存在を無視するのは憚られるが、あくのだいまおうたちが話題にしていたからといって向こうが俺らに無関心なら、注意しておくにせよ過剰に警戒する必要もないかもしれない。
今からまたどうせ長い話し合いが始まるのだ。精神力の無駄遣いは避けたい。
「大姉様、では」
「うむ。始めるとしようか」
緑茶を啜っていた道着の女子は、静かにコップに似たやつを机に置き、全員を見渡す。
そういえば、セレスとかいう紳士に気を取られて、メンツの特徴を把握するのを完全に忘れていた。道着の女子に黒髪長髪の女、猫耳パーカー、セレスとかいう怪しげな紳士、そして俺たちを除いて、今この和風な執務室にいる奴らは四人。
「まずは自己紹介をしよう。私の名は仙獄觀音。巷では``剛堅のセンゴク``などと呼ばれている」
さっきまで無言で緑茶を啜っていた、上座に座り、白い道着を着こなす黒髪ショートの女子。やっぱりコイツが東支部最強だった。俺の直感も馬鹿にできそうにないことに、ちょっと胸を張る。
「私は東支部直属親衛隊``護海竜愛``隊長エルシア・アルトノートだ。よろしく頼む」
俺たちを執務室まで案内してくれた、真っ白なコートに身を包み、腰まで届く黒髪長髪を靡かせる気の強そうな女性。
コイツ、隊長とかいう地位だったのか。ゴウリュウってのがよく分からんけど、まあ確かに上座に座っている仙獄觀音に一番近い位置にいるし、いわゆる東支部次席みたいな立ち位置で間違いなさそうだ。
「アタシは``護海竜愛``副隊長フリージア・カタロ。以後よろしく」
エルシアとかいう女の向かい側に座っている緋色の長髪と赤いコートが特徴の女性。よくみると瞳も綺麗な緋色をしている。窓から入ってくる太陽光を吸収し、宝石みたく輝いていた。
着ているコートもエルシアとかいう女が着ている無地の白コートと比べ、太陽光を吸収してまるで燃えているかのように見える。火属性使いとして、あのコートは個人的に欲しくなってきた。どこで手に入るか、少し知りたい。
ともあれ凛々しさはエルシアと勝るとも劣らず、加えて情熱的で強気な女性という印象を受ける。
「あ、あの、私は、その……イラ・バータリーです。得意なのは、その、俯瞰する……こと? です。よろしくお願いします」
凛々しさと強気な女性から一転。今度は見るからに気弱そうな、台詞から垣間見れる小動物みたいな雰囲気の女の子が名を挙げる。
黒縁メガネと茶色い三つ編み、そして土を彷彿とさせる地味な色のローブと、か弱さに地味さが上塗りされていて印象に残らなさそうな希薄な女だ。
俺としては、か弱い女だとどう接したらいいか分からなくなるので、俺から話しかけることはおそらくないかもしれない。
「次はアタイっスね。自称東支部最速!! バラライズ・ウィッパーっス!! ビリビリ!!」
さっきから印象の落差が凄まじい気がする。か弱さと地味さの塊から百八十度捻じ曲がり、今度はド派手とスピード感を絵に描いたような奴が湧いて出た。というかよく見たらコイツの髪型といい服装といい、ほかの奴らとは明らかに毛色が違う。
髪色はレモン色というべきか、染めているのか自毛なのか知らないが真っ黄色で、瞳も黄金色、そして体に張り付いているかのようなピッチピチの黒いバトルスーツ的なものを身に纏い、身体からは電気のようなものが一瞬だが火花のように飛び散っている。
見たところミキティウスと同じく雷属性系の使い手だろうか。ぱっと見のイメージなのでなんとも言えないが、おそらくそうだろう。もしも今着ているスーツが耐電性のあるバトルスーツとかだったら、俺の直感は益々馬鹿にできたものではないなといよいよ褒め称えたいところだ。
「そして最後に、パラライズの横で茶菓子を貪り食べている少女だが、彼女の名はリビ。訳あってあまり人の言葉は話せない。だが力は確かなので、ご理解願いたい」
エルシアとかいう女に指摘されて、俺はようやくその存在に気づいて内心驚く。
ここにきてから今まで一言も発してなかったせいか、気配というか存在感が全くなかったせいで全然気づかなかった。よく見ればコイツも中々個性的な容姿をしている。
まず黒と白の縞模様のロングヘアーが真っ先に目に入ってきて、そこ以外に目に入らないぐらいに特徴的なのだが、それ以上にコイツが顔面につけている、薄気味悪いニマッとした笑みが描かれた仮面がクッソ気になって仕方ない。
そもそも仮面つけているのにどこから茶菓子をぼりぼり食べているのかとか、その縞模様の髪色と仮面はファッションなのかとか、正直東支部のメンツの中で一番特徴的なんじゃなかろうか。
どうして俺はこれだけ尖った見た目をしている奴に気づけなかったのだろうか。俺の気配察知が鈍っているのか、それとも俺の目が節穴なのか。どっちも嫌だが多分前者だろう。
任務請負人になってからというもの修行という修行をしていないし、危機察知能力が鈍るのも無理はない。休みの日とか作って、修行する日とか作った方が良いかもしれない。
御玲が良しとするかが問題だが、とりあえずは頭の片隅にでも置いておこう。
「では、私も自己紹介を……」
「ああ、彼はセレス・アルス・クオン。巷では``辺境伯``と呼ばれ、忌み嫌われている男だ」
「ふふ。エルシアさんらしい紹介、感謝痛み入ります」
「よせ、気色悪い。皆が貴様に抱く印象を述べたまでだ」
自己紹介という名の罵倒で紹介されて尚、作り笑いのような薄気味悪い笑みを絶やさないセレスとかいう紳士。
この気持ち悪さというか、怪しさというか、得体の知れなさ。やっぱりあくのだいまおうとどこか似ている。
世の中似ている人間は三人いるというし、不思議なことでもないとは思うが、その似ている人物があくのだいまおうだとなにかしら裏があるんじゃないかと勘ぐって仕方ない。
エルシア以外の連中もエルシアの紹介を聞いてリビと紹介された少女以外、何度も頷いている。大半の連中からこう思われるあたり、セレスとかいう奴の怪しさは相当なものだ。やっぱり俺らから無理に関わる必要はなさそうだ。
「んじゃ、次は俺らだな。俺は北支部代表レク・ホーラン。横にいるのは相棒のブルー・ペグランタン。そんでコイツらは―――」
金髪野郎を始めとして北支部勢の紹介をしていく。俺、御玲、カエル、シャル、ナージ、ミキティウスの順だ。
澄連の自己紹介ははっきり言って必要なのかと思案したが、俺らがやる前にコイツらが勝手にやってしまった。案の定というべきか、わけのわからない自己紹介に東支部の面々はリビって奴以外面食らった顔をしている。
ちんことかうんことかパンツとか言って自己紹介してくるんだから、大半が女しかいないこのメンツじゃきつかろう。止める暇もなかったので、とりあえず他人のフリをしておく。
「えー、と。私の自己紹介要りますかね? 要らねーと思うんすけど」
「そうだな。北支部の方々ともどうやら見知った仲のようだし、必要ないだろう」
「つーか、私に応援要請とか、どういう風の吹き回しっすか? 喧嘩売ってんなら買うっすけど」
「おいおいお前ら、早速おっ始めるなよ」
早速執務室の空気に暗雲が立ち込め、それを感じとった金髪野郎が猫耳パーカーの肩に優しく手を置く。猫耳パーカーはため息をつきながらも、空気を読んだのか、言葉の矛をとりあえず収めた。
猫耳パーカーの態度が明らかにおかしい。一週間前の大らかな態度は鳴りを潜め、悪態すらついているように見える。金髪野郎から犬猿の仲だとは聞いていたが、和室がもたらす調和すら掻き消す険悪な雰囲気から察するに、真面目に仲は悪いようだ。
常に理性的な印象の猫耳パーカーが、カチキレたときの俺並みに敵愾心を剥き出しにするとは、一体この二人の間に何があったのだろうか。知ったところで俺にできることはないし、あまり興味もないのだが。
「ふん! 私とてお前に借りを作るなど、断腸の思いなのだ。この中威区東部の平和とお前との因縁を天秤にかけるなら、前者を選ぶが代表の務めというものだろうよ」
金髪野郎の制止も虚しく煽りの応酬は終わらない。上座で立膝を立て、若干前のめりになった仙獄觀音が、治まりかけた場に再び火種を投げ散らかす。
「ふーん、プライドっつーもんがねーんですね。私はパイセンにオファー飛ばしましたけど?」
金髪野郎に止められて理性を取り戻したのも束の間、猫耳パーカーは眉を顰め、その瞳に再び闘志を宿らせた。
「プライドがないのはお前の方だ。距離の遠い北支部の方々にわざわざ手間をかかせるなど、代表として浅はかと思わなかったのか?」
「だから正式に申請だしたっつってんでしょーが。こっちだって無理して頼んだわけじゃねーっての」
「ほう? ならば私がお前や北支部の方々に無理矢理呼んだとそう言いたいのか?」
「あー? んなこと一言も言ってねーし。オメーが煽ってきてっからそれに答えてやってるだけだし」
「煽ってなどおらんが? ただ支部の代表として、私の考えを述べたまでのことだ。プライドなどという感情論を出したのは、お前の方だろう」
「チッ……それが煽りだってのがなんでわかんねーんすかねぇ……この兄貴馬鹿の脳筋が」
「黙れよ自称神の使徒め。独神などというわけのわからぬもので、私が敬愛し親愛する、偉大なる兄様をまた愚弄するか」
「敬愛? 親愛? ハハ、片腹痛い。そんなかっちょいいもんじゃねーでしょ? アンタの兄弟愛は敬愛だの親愛だの、そんなものを遥かに超越してる別物っすよ」
「……我が偉大なる兄様への愛が別物だと? 無礼な! その減らず口、二度と叩けぬようにしてくれようか!」
「やれるもんならやってみろっす!」
「待て待て待て待て待て!」
「お、大姉様! 今はそのようなことをお話しにきたのでは!」
険悪な空気は臨界点を迎え、猫耳パーカーと仙獄觀音が立ち上がる。今にも殴り合いを始めようとしている二人を、金髪野郎とエルシアが、それぞれ羽交い締めにするようにして止めに入った。
この二人、マジで想像以上に仲が悪い。噂以上なんじゃなかろうか。
「落ち着けお前ら。喧嘩名物に付き合うほど俺らは暇じゃねぇ、このまま続けるってんなら帰るぜ」
「す、すみませんパイセン……つい頭に血が上ってしまって……」
「大姉様も、拳をお収めください。これでは話が進みません」
「すまんエルシア。私としたことが、未熟なところを見せてしまったな」
二人に諭され、周りを見渡し、自分たちがアウェーなことをしていると自覚したのだろう。申し訳なさげに静かに自分の席に座り直し、お互い同じタイミングで緑茶を一口飲んだ。
部屋の空気は一瞬で弛緩し、さっきまでの険悪な空気感はなくなったが、いかんせん騒いだだけになんともいえない気まずさが漂う。さて、この居た堪れない空気をどうするつもりなのか。
「こほん。すまない皆。身内の恥を見せてしまった。この詫びは後で執り行うとして、本題に入ろう」
わざとらしい咳払いで気まずい空気を切り裂いたのは、火種をまき散らした仙獄觀音だった。
緑茶の入ったお椀を置くと、俺の視界に突然色々なオブジェクトが映る。一瞬何事かと少し焦ったが、なんのことはない。任務請負証に実装されている機能の一種、霊子通信を用いた簡易的な情報共有機能だ。
「我らが``護海竜愛``密偵、パラライズ・ウィッパーが集めてきた敵勢力の資料だ」
「ふむ。複数の勢力がごちゃごちゃに混ざった連合ねぇ……軍総指揮は凪上家と」
「ああ。今から約四ヶ月前、数多の性奴隷を用いた大規模オークションを開催していた、あの凪上家だ」
記憶の戸棚をほじくり返す。
凪上家ってどこかで聞いたことがあるなと思ったが、今から四ヶ月前の三月の末頃。ちょうど澄連と出会ったぐらいのときだったか。あのときは確か、澪華を別物にされてむしゃくしゃしていた直後で、エスパーダとかいう氷の巨人みたいなやつに八つ当たりしにいった日だ。
それと同時期に弥平は、親父の行方に繋がる情報を少しでも得たいがために、凪上家に潜入したのだ。
澄連も偶然なのか必然なのか、同じタイミングで凪上家に潜入しており、不審に思った弥平と図らずも邂逅を果たすことになった―――そんな馴れ初めだった気がする。
その後、凪上家は全く無関係の存在だと分かり、それ以降は話題にも上がらなかった連中だが、正直性奴隷とかいう胸糞悪いものを売り買いしている連中なだけに、糞の掃き溜めみたいな奴らなのは考えるまでもなさそうだった。
「凪上家っていやあ、中威区じゃ序列三位以内の暴閥だよな。上威区にいる富裕層の暴閥ともコネがある、結構強い連中だぞ」
「凪上家だけでなく、凪上家以下、傘下の序列十位以内の暴閥も手を組んでいるようだ」
エルシアの言葉に視界に映されたオブジェクトが動く。
凪上家の他に、十三万の軍を仕切っているのは全部で六勢力。阿羅家、伊根家、骨牌家、羽馬家、安賀家、由無家である。
どれも中威区上位十番台の大勢力で、いつもならそれぞれが牽制し合っているはずの連中が、突然手を組むことなどありえないという。もしも手を組むとしたら、それは彼らにとって打ち破りたい共通の敵がいるということ。つまり―――。
「目当ては東支部の侵略……ってことか」
口から思わず溢れてしまった呟きに、全員の注目が集まる。
しまったまた口が滑った面倒くさいことになるぞと身構えるが、エルシアは俺に向かって軽く頷いた。
「今挙げた暴閥は、どれもかつて我らが東支部で覇権をとっていたならず者どもだ。おそらく我ら護海竜愛から、再び覇権を取り戻そうと目論んでいるのだろう」
そう言い放った瞬間、東支部の連中からドス黒い空気が漂い始める。
憎悪や怒りに敏感な俺だからこそ分かる、この雰囲気。ぱっと見か弱そうで地味なイラとかいう少女からでさえ、目から光が消えていた。
ただの直感だし、コイツらの事情などよく知らないから断定できはしないが、雰囲気から察するに、コイツらは暴閥やギャングスターを憎んでいる。それも可能ならこの世界から根絶やしにしたいと思うほどに。
俺がかつて誅殺した、あの親父に抱いた感情と同じ、ドス黒い何かが彼女たちの表情、そして全身から湧き出ているのを感じて、俺の背に寒くて冷たい何かが縦貫する。
「まあ、仮にこの支部を落とせば、中威区東部一帯は中小暴閥の天下だしな。まさにやりたい放題好き放題の無法地帯に戻るわけだ」
陰険な空気を食い破るように、金髪野郎の呟きが執務室の寒い雰囲気を中和していく。
中威区東部一帯の治安は、仙獄觀音を筆頭とする護海竜愛とかいう連中の絶大な加護によって維持されてきた。でも当然、好き勝手やりたい暴閥、ギャングスターどもからすれば、東支部の存在は目の上のたんこぶである。
彼女たちがいる限り、自分のやりたいことが思うようにできないし、手前勝手なルールも決められないのだから、攻撃してくるのも当然というわけか。
「今までは小競り合い程度だったのだが、今回は毛色が違う。本格的に我々を落としにかかっていると見える」
視界に映されたオブジェクトが動く。
手駒十三万の大軍勢、東支部を物量で押し潰すという気が満々な大軍だが、思うことがあるとすれば―――。
「なんで今更……なんだろうな」
「……というと?」
「東支部解放って、確か去年の話なんだろ? だったらなんで今なんだろうなって。もっと早くから攻めてこれたんじゃなかろうかと」
そう、俺が疑問に思ったのは東支部解放からのインターバルの長さだ。
ただ東支部を落とす。それも単純に兵隊の物量で押し潰すだけなら、東支部の新体制が整う前にぶっ潰せばいい話で、頭数を揃えるだけなら一年もかかるとは思えない。実際、今回だって十三万の手駒を集めるのに一週間かそこら、もっと前から集めていたとしても一ヶ月はかかっていないはず。
憎しみが原動力になっているとはいえ、諸勢力間のいざこざをすべて無視し、強権でもって連合を組んでいるフットワークの軽さは、流石は中威区有数の暴閥と言える。
それだけ軽いフットワークと強権を持っているにもかかわらず、なんで今更東支部を物量で潰そうと考えたのか。動機は分かるが、それなら尚更早く行動に移せたんじゃないかなと思わずにはいられないのだ。
「東支部解放戦線では、大姉様によってほとんどの暴閥、ギャングスター勢力は駆逐された。おそらくだが、兵力の回復に時間がかかっていたのだろう」
エルシアは俺の意見を迷いなく一蹴する。
そこらへんの事情は分からないから、そうなんだと言われるとそうなのかとしか返す言葉が浮かばないが、本当にそうなんだろうか。
東支部に巣食っていた勢力を駆逐したところで、中威区東部全体の暴閥、ギャングスターの中核が壊滅したとは思えない。絶対に駆逐したのは中核から派生した一部の勢力のみで、その大半は中威区東部で燻ぶっていたはずだ。
「アタシたちを警戒して尻込みしていたのでは?」
フリージアが首を傾げながら呑気な事を言ってくる。
確かにそれも一理ある気はするが、それでも一年以上も警戒しているとは考えにくい。
ぶっちゃけ、そんなに長く警戒していたら東支部の体制が万全な状態になってしまう。再び覇権を奪い取るなら、攻めるなら解放したての、それこそ体制が整っていない状態を攻めた方が手っ取り早いはずだ。手駒十三万を一ヶ月以内に集められるフットワークがあるのなら、当時でも普通にできたはずである。
「ふむ……挙兵しなかった理由があるのかもしれませんなぁ」
静まり返る執務室の中で、一人ぽそりと呟いた紳士がいた。セレス・アルス・クオンと紹介された、あくのだいまおうと似たような雰囲気を持つ、怪しげな紳士である。
「しなかった? できなかった、ではなく?」
「そこの新人さんの言葉を加味するならば、そうなるのでは? そもそも私としても、挙兵できなかったとは考えにくいのですよね」
「し、しかし。できなかったのでないなら、何故今まで……」
「それこそ敵勢力を捕虜として捕まえ、吐かせるしかないでしょうねぇ……尤も、捨て駒の兵隊程度を捕まえたところで、無意味でしょうけれど」
けらけらと乾いた笑みを浮かべるセレス。まるで笑って死んだ死体のような不気味な笑みに、思わず背筋が凍る感覚が走るが、悟られると舐められるので顔には出さないでおく。
だが彼の言っていることは理に適っている。そこらのボンクラみたいなのを捕まえたところで、組織の中枢からすれば捨て駒だ。どうせ何も教えられずに命令されて動かされているだけだろうし、情報を得るなら組織の中にいる有力者を捕まえる必要がある。
とはいえ、ソイツらにもソイツらなりのプライドってもんがあるだろう。向こうがよほどの馬鹿でもなければこの程度は予想しているはず。対策されている気がしなくもないが。
「意表を突けば……なんとかなるかな」
両手を頭の上に組み、細目で天井を眺めながら小声で呟く。
相手が暴閥なら速い話、俺たちが正体を明かせばいい。向こうだって流川の当主が直々に動いているとは流石に思わないだろうし、俺が出張って脅せば洗いざらいゲロる気がしなくもない。
ただ当然俺の正体を敵に教えるようなものだから、もしその情報を敵にまんまと渡してしまえば俺のリスクになる。用済みになったら久三男の意味不明な技術力で記憶を消して放り投げるか、もしくは事故に見せかけて始末してしまうかのどちらかをやればいいだけのことだが、このやり方を取るなら久三男や弥平、御玲と相談する必要はあるだろう。俺が勝手にやるのはダメな気がする。
「セレス殿。過激な言葉は謹んでいただきたい」
「おや、そうでしたか。それはすみません」
「しかし、一案として胸に留めておきます。よろしいですか、大姉様」
うむ、と一人緑茶を啜る仙獄觀音。あんな苦そうなものよくもまあズルズル飲めるよなと思いつつ、俺は霊子通信で御玲を呼び出す。
今回は久三男の回線ではなく、任務請負証の公式回線だ。
久三男力作の回線がバレて以降、久三男が任務請負機関の霊子通信回線をハッキングし、その内容を暗号化するとかいう方法で、この会話もきちんと久三男は傍聴してくれている。気取られないか少し心配になったが、暗号化されている間は本部の奴らには聞こえないらしい。実質、久三男と俺らしか会話の内容を知る由もないわけだ。
本来なら不可能な所業なのだろうが、その不可能を可能にするのが久三男である。相手が百代とか裏鏡みたいな規格外のヤベェ奴らでもない限り、遅れをとることはないだろう。
『概ね、あのセレスと名乗る紳士の考え方に賛成ですね。相手もそれなりに対策してそうなのが気がかりですが』
『弥平とか久三男に頼んでみるって手もありか』
『ありでしょうが、まず相談は必要かと思います。特に弥平さまには専従任務がありますし』
だな、と一応結論づける。だがここで終わる俺じゃあない。
『今ふと思いついたんだがさ、俺が囮になるってのはどうだ?』
『と、いいますと?』
『要は相手も情報渡したくなくて口封じしてくる可能性があるわけだからさ、あえて俺が流川本家の当主だぞって言えば、意表を突いた脅しになるかなって』
『…………リスクがあるのでは』
『まあな。でも突破口の一つにはなる。俺の正体が捕虜に知られることになるが、用済みになれば捕虜の記憶は久三男に消してもらえばいい』
『ふむ。相手が盗聴器を持っている可能性もありますよ。その場合、敵組織にあなたの正体が周知されることになりますが、その場合は如何なさるおつもりで?』
『え。あー……それはー……だな……』
的確なツッコミが、俺の脳味噌にクリティカルヒットする。
正直、そこまで考えてなかった。意表を突いた脅迫をすれば、相手がビビり散らかして洗いざらいゲロるかなぐらいにしか考えてなかっただけに、盗聴とかいうクソ姑息なやり方までは考えていなかった。
その場合は、どうするか。結論を簡単に述べるなら。
『久三男なら、なんとかしてくれそう』
霊子通信回線を介して、ものすっごく冷ややかで寒い感覚が身体中を撫で回す。
いやまあ、分かっていた。結局他力本願じゃないかって反論は受けつける。困ったときは久三男か弥平に頼ればなんとかなるのだから、俺としては身も蓋もなく答えるしかないのである。
『まあここで結論を出すのは早計です。久三男さまや弥平さまに相談してからでも遅くはないでしょう』
御玲も俺と同じ結論に辿り着いたらしい。元より久三男や弥平抜きで結論を出す気はなかったので、迷いなく御玲の言い分を肯定する。
意識を執務室に戻すと、話は既に十三万の軍勢をどう迎え撃つかにシフトチェンジしていた。
「十三万に対し、我々全員のみ……東支部に所属する請負人たちを総動員させるわけにもいかないし、困ったものだな」
「俺としちゃあ、イラの迷宮案が良いと思うけどな。大規模破壊級の攻撃で一網打尽にでもしない限り、この物量を真っ向から相手するのは馬鹿らしいだろ」
「わ、私、ちゃんとできるかなぁ……」
全然話についてこれないし、かといって今更「何の話?」って聞くのも居た堪れなくなるので、聞いてくれていると信じ、さりげなく御玲の肩をつつく。御玲は小さくため息をつきながらも、霊子通信で教えてくれた。
どうやらイラ・バータリーとかいう、三つ編みを垂れ下げている地味で弱そうな奴が地属性系魔術の使い手らしく、ソイツがなんと驚き、地属性系の霊力を駆使して迷宮を作れるそうなのだ。
既に今回の作戦のため前もって作成していたらしく、迷宮自体は九割方完成しているらしい。空からじゃ見えなかったが、魔法か何かで隠されていたのだろう。
迷宮なんてドデカいもの、見せびらかすようにおいてあったら否が応でも目立つし、敵に情報を与えてしまうことになる。隠すのは当然の処置だ。
ともあれ迷宮で籠城ともなれば戦略の幅は大きく広がる。確かに金髪野郎の言うとおり、東支部を守りながら、なおかつ大規模破壊を一切しないという条件で十三万の大軍勢を迎え撃つなら、内部構造が複雑な迷宮を作って籠城戦が妥当だろう。
内部構造が複雑な迷宮に誘い込まれたら、単純に物量で押しつぶすことはできなくなる。むしろ迷宮に翻弄されて、敵軍はバラバラになる可能性が高かった。そうなればただの小さい群体でしかなくなるし、そうなったところを各個撃破していけば、こっちの被害は最小限で済ませられる。
イラとかいう地味眼鏡っ子の力を使えば、この戦い、割と御しやすいのではないか。
「やはりレク殿もイラの迷宮で籠城戦を希望か。他に異論のある者は?」
エルシアが周囲を見渡す。御玲から話を聞いた俺としては異論ない。むしろ大規模破壊なしに東支部を守るなら、籠城するしか手はないだろう。他の連中も異論はないのか、首を縦に振るのみだ。たった一人の女を除けばだが。
「きになることがあんだがよー」
手、ならぬ百足の尾を挙げたのは、俺の隣でずっとだんまりを決め込んでいたポンチョ女だった。
コイツ眠そうな顔して、ちゃんと話を聞いていたのか。御玲と霊子通信していて話の流れに乗り遅れた俺の立場がと思いながらも、手の代わりに小さくなった百足野郎がけたたましい金切音を打ち鳴らす。
「そのめーきゅーって、ちかにつくれんの? できればちかめーきゅーにしてくれっとたすかんだけど」
「……でき、ますけど、どうして?」
「むーちゃんもあたまかずにいれんなら、ちかのほーがいい。むーちゃんでけーしむかでだし、ちじょーだとめだつ」
それを聞いて全員が納得する。言われてみればそうだと、俺も思った。
百足野郎は見てのとおり人外。巨大黒百足のバケモンだ。そんなのが地上にいたら普通に目立ってしまって敵を警戒させてしまうだろうし、迷宮内から出さないとしても地上迷宮だと百足野郎が移動しても壊れないようにしないといけないし、そうできたとしても敵と戦うとなれば動き回るわけで、どうしても地鳴りやら何やらが起こってしまうだろうし、どっちみち敵を警戒させてしまうだろう。
それに百足野郎の戦いに迷宮が耐えられるのかも疑問だった。イラとかいう女が作る迷宮の耐久度が判然としないが百足野郎がエーテルレーザー撃ちまくったり、大畝りしようもんなら崩落間違いなしな気がした。
地上だと崩れたときそこから東支部に侵入できてしまったり、最悪迷宮全体が壊れて全員生き埋めになりかねないが、地下ならば仮に崩落したとしても一部だけが壊れるだけなので友軍誤射する可能性は低くできる。
百足野郎が戦うための専用スペースを地下に作るためにも、迷宮というあからさまなものを隠すためにも、百足野郎の悪目立ちさせないためにも、迷宮の位置は尚更地下の方が良いだろう。
「イラ、迷宮を地下に配置し直す場合、何か問題点はあるか?」
「そう、ですね……天井の強度をちゃんとしなきゃな……って思います、ね。みんな生き埋めにしちゃったら、ダメだから……それと地上迷宮のつもりだったので、配置変更の際の霊力が……」
「ふむ……かなり問題だな」
エルシアは腕を組み、渋い顔を浮かべた。
確かに地下に迷宮を作るとなれば、自ずと戦場は地下になる。あまり派手に戦えば迷宮が戦いの余波に耐えられず、天井が崩落してしまう。そうなれば敵もろとも生き埋めだ。生き埋めになったことがないので実際どうなるか分からないが、俺と澄連以外は耐えられそうもないだろう。
そして迷宮の配置を変えるのも、おそらく地味眼鏡っ子一人じゃ難しい。迷宮ともなればかなりの規模、それをタダで操れるとは思えない。霊力の消費は馬鹿にならないはずだ。
「れーりょくならむーちゃんからかりればいい。たぶんこんなかで、さんぼんゆびにはいるくれーのれーりょくりょーもってるし、ほしーならいるだけもっていけ。それにむーちゃんといっしょにいるからほーらくとかあんまりきにしなくていい」
なるほど、と地味眼鏡っ子は額に汗を浮かべながら納得する。
確かに百足野郎の霊力量は、ここにいる奴らの中では俺の次か、下手すりゃ同じくらいある。
強いて言うなら「欲しいならいるだけ持っていけ」っていう言葉の意味がよく分からないくらいだが、確か百足野郎は霊力吸収能力を持っていた。もしかしたら霊力を渡す能力とかを持っているのかもしれない。
人間だったなら疑問を呈したいところだが、相手は魔生物。それくらいはできてもあまり不自然な事でもない。
「アタシも天井が脆くても問題ない。むしろあえて脆くしてほしい。最悪、自爆して敵を地中に葬り去れる」
「で、でも、フリージアさん、いくらなんでも……」
「大丈夫、死ぬことはないよ。ただ身動きは取れなくなるから、戦いが終わった後に掘り起こしてもらう必要はあるがね」
途端にフリージアとかいう緋色の髪の女がヤベェことを言い出した。
自爆して生き埋めってどう考えても死なば諸共としか聞こえないんだが、何故か全員心配そうな顔をするのみ。止める者はおらず、むしろフリージアだから仕方ないみたいな顔をしている。
仲間が死んでもどうとも思わないってことだろうか。いや、それともまた違う気が。
「おそらく不死性を持っているのでは」
俺の表情を読み取ったのか、小声で御玲が耳打ちしてくれる。それでようやく腑に落ちた。
不死性を持っている。なら話は分かる。俺だって大概の致命傷は致命傷になりえないくらいには不死なので、生き埋めになったとしても死にはしないと思う。息ができるかどうかが問題だが、息ができなくても生きていられる自信があった。
根拠とかはないが、水の中とかでもない限り、俺が動けなくなることはないだろう。最悪面倒なら煉旺焔星で地中を掘削すれば外に出られるだろうし、問題なさそうだ。
「おいおい、俺は無理だぜ。体の頑丈さと生命力には少しばかり自信はあるが、流石に窒息に耐えられるほど鍛えちゃいねぇし」
金髪野郎は苦笑いを浮かべながら手を左右に振る。
金髪野郎に関しては予想どおり。コイツはもしかしなくても生き埋めになれば死ぬだろう。運良く百足野郎に助けられればって感じだ。
「私も無理ですね。人間なので」
御玲はクールに断りを入れてくる。そりゃそうだと誰もが首を縦に振った。
となると、天井が崩落して死にそうな奴らは金髪野郎、御玲、エルシア、イラ、仙獄觀音、ポンチョ女、猫耳パーカー、そんでずっと茶菓子貪り食っているリビとかいうガキくらいになるのか。
「結構死ぬな」
「いや、私は問題ない。いざとなれば土の中を泳ぐまでのことだ」
仙獄觀音がまたヤベェことを言い出した。疑問符が絶えない俺をよそに、全員は首肯している。
東支部の連中が止めようとしていないあたり、コイツも天井が崩落して生き埋めになった程度じゃ死なないタイプの身体を持っているってことでいいんだろうか。
個人的にはそっちの方が面倒は少ないし、土の中を泳ぐって言葉の意味が依然として分からないが、死なないならなんでもいいか。誰も反論していないようだし。
「それと、リビは不参加だ。いざとなればその限りではないが、頭数には入れない前提で話を進めてもらいたい」
仙獄觀音の一声で、全員の視線が仮面の幼女に集まる。
さっきからずっとお菓子食っているだけだし、一言も話そうとしないから存在を忘れかけていたが、ぱっと見霊力もほとんど感じない。戦う力もなさそうだ。
だったら何でこの会議に参加させているのか謎だが、邪魔にならなきゃ俺としてはどうでもいい。向こうが面倒見てくれるだろうし、俺らが気にすることでもないだろう。
「私も生き埋めは辛いですねぇ……若い頃ならどうとでもできたんですが、膝に矢を受けてしまってからはどうも……」
胡散臭い笑みを依然として張りつけながら、頭を掻くセレスとかいう紳士がテーブルに置かれた茶をシバく。
辛いって全然思ってなさそうにしか思えないし、なんならどうとでもできた若い頃ってのが気になるけど、確かにコイツもぱっと見はあまり強そうに見えない。霊力もそこまでって感じだし、存在感なら仙獄觀音の方が圧倒的だ。コイツもそこそこ強い程度の人間だろう。無理もない。
「嘘だな」
「嘘だろう」
「嘘は良くないな」
「嘘っスね」
「嘘、は……ダメだと思います」
エルシア、フリージア、仙獄觀音、パラライズ、イラの順に、寸分違わないタイミングでツッコミがブチこまれる。セレスは依然として「おやー?」とけらけらと笑って茶をシバくのみだったが、東支部連中からの視線は鋭い。
「セレスさんや。興味ないかもしれねぇが、ウチの支部や本部でも、アンタは結構名が知れてる請負人なんだぜ?」
居た堪れない空気をもろともせず、新しく紅茶を作ってその香りを一人楽しむ紳士に、金髪野郎が茶を片手に割り込んだ。
「東支部がまだ最悪の治安を誇ってた頃から、アンタは数多の勢力から治外法権扱いされていた。``辺境伯のセレス``っていやあ、請負機関の古参なら知らねぇ奴のいねぇ二つ名だし、俺ぁアンタの実力はそんなんじゃねぇと思ってんだが、どうなんだ?」
口調こそ大人しいが、その態度からは僅かながら霊圧が滲み出ていた。
俺はこの紳士の事はよく知らない。第一印象があくまであくのだいまおうに似ていてクッソ不気味って感じるだけで、強そうという感じではない。
もしもあくのだいまおうたちが言っていた奴が彼だとするなら、カエルたちの旧友ってことになるが、もしそうならカエルたちが騒ぎ始めるはず。でも実際、コイツらは全く知らない感じだ。話し合いなど無視してなにやら下品な会話に花を咲かせている。
コイツらの態度を見るに、あくのだいまおうたちが言っていた旧友っていうのは、また別の人物なんじゃないかと思われた。
「買い被りすぎです。昔はまあ……それなりに体を動かせはしましたが、今やこの支部で、一人朗らかにアフターヌーンティーを嗜むだけの老木にすぎませんよ。ええ」
などと朗らかな作り笑いで手元にあった紅茶を啜るが、皆の視線は尚も懐疑的だ。誰もが彼の態度に疑心を抱く一方で、やはり彼は素知らぬ顔である。
埒があかないと思ったのか、金髪野郎はため息をつきながら、セレスから視線を外した。
「セレスさんも頭数に入れるんだよな、仙獄?」
「ああ。今回の作戦において、彼の力は必須だ。遊ばせておくわけにはいかない」
「遊ぶだなんて、そんな。ただカーテンの隙間から垣間見れる溢れ日に当たりながら、アフターヌーンティーを啜り、悠久というべき時の流れに身を任せているだけですのに」
「それを東支部一般には怠惰というのだ! 大姉様から私室をあてがってもらっている分際で、文句を言うな!」
エルシアが彼の肩を割と強めに叩く。
ものすごく優雅な表現をしているが、言っていることは太陽の光を浴びて紅茶飲みながらサボっているってことと同じである。言い方と相手の印象次第でサボっているって響きにこれほどまでの開きがあるのは不思議なものだ。俺が言ったら同じ感じには絶対ならないのに、ちょっとズルさを感じざるえない。
「え、えっと……じゃあ、迷宮は地下に、天井の耐久度は皆さんの不死性と、相談ですね?」
セレスの影響で緩んだ空気をイラとかいう地味な女の子が引き締め直してくれる。
彼女の言うことに、ほぼ全員が首を縦に降った。不死性と相談って一見言葉の意味が分からなくなるが、実際この場には生き埋めになっても死なないようなのが、俺を含めて何人かいる。生き埋めになっても大丈夫な奴の天井は、敢えて脆くするのも戦術の一つとしてはありだ。イラとかいう女の子も無限の霊力を持っているわけでなし、個々の体質に合わせて手抜きするのも霊力の有効活用だろう。
地下迷宮ともなれば作るのに時間がかかりそうだし、敵はこっちの準備が終わるまで待ってくれるほど親切でもない。完成はできる限り早いに越したことはないのだ。
「まだ敵軍に動きはない。向こうの準備が整うより先に、我々の準備を迅速に整えるぞ!」
エルシアの一言で、俺と澄連、そしてリビとかいうガキとセレス以外の全員が返事をする。
確かに敵の数は多いが、一人あたりの全能度は最低百から最高二百ちょい。俺らがしたら雑魚である。数が多いだけで個人的にはそこまで気合を入れるような相手でもない。まだ一週間前に戦ったスケルトン・アークとか、それより前に戦った女アンドロイドの方が絶望的な強さをしていた。
そう考えると、人間って雑魚だなと感じてしまう。コイツらからしたら十三万の大軍勢なのだろうが、俺からしたら殴れば塵になるような連中としか思えなかった。
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