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覚醒自動人形編 下
愚弟、出撃
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ヤバい。兄さんに殺される。僕の焦りは、久しぶりに最高点を記録する勢いで膨れ上がっていた。
手汗が止めどなく滲み、背中や腹あたりからの冷や汗を白衣が吸って気持ち悪い。でもそんなのがどうでもよくなるぐらいに、脳裏によぎる烈火の如き怒りが僕の背を連打してくる。
兄さんたちとは専用の霊子通信回路を通じて意識が繋がっているので、兄さんたちが受け取った感覚情報は、痛覚以外全て僕に集約される。
厳密には僕が創った霊子コンピュータ―――ネヴァー・ハウスに集積されるのだが、霊子通信回線を経て兄さんから送られてくる情報は、その九割以上が猛烈な悔しさからくる怒りであった。
もはやそれは激昂に等しく、あの短気を絵に描いたような兄さんにしては、冷静に御玲と話せているのが不思議なくらい表面上はおとなしい。
今の兄さんは、いつ爆発してもおかしくない核弾頭そのもの。ほんの少し刺激を与えれば即座に爆発してしまうほどに、今の兄さんの精神状態は、酷く不安定な状態にあった。
「ヤバい……ブチのめされる程度で済むかなぁ……」
もはやその時点でおかしい気がするが、僕たち流川兄弟にとって、``ブチのめす``は``ブチ殺す``よりマシな処刑であることを意味する。
マジギレした兄さんなど災禍そのものだ。全身打撲で済めば運が良い方で、大概は気絶しても血まみれになるまでサンドバッグみたく無限に叩きのめされる。
修行中の小競り合いや些細な兄弟喧嘩でこれなんだから、今回みたいな真面目な戦いでポカやらかしたとなれば、叩きのめされるだけじゃ飽き足らず、八つ裂きにされる可能性すら余裕であり得る。生き残れる気がしなかった。
「でも……僕も流川の男だ。なすべきことを成せなかった以上、覚悟を決めよう……」
きちんとした理由はある。だがそれで許してくれる兄さんじゃない。僕はやると言った。兄さんはできなくてもいいと言っていたが、そんなのは言い訳だ。
僕が兄さんの立場だったら同じことを言うだろうし、なんなら昔、結果を出せなかったら無能みたいな、そんなことを言った気がする。
言葉を吐いた手前、ケジメをつけなきゃスジが通らない。流川家において、スジを通すことこそが漢の流儀だと母さんに教えられてきたからだ。
『久三男』
『ひゃい!?』
唐突の霊子通信。僕が構築した精神世界に、赤いオーラを漂わせた兄さんと御玲が姿を現す。
突然だったから変な声が出てしまったが、そんなことはすぐにどうでもよくなる。
『お前が奴の脳味噌をハッキングだかなんだかして、俺らを援護しつつ中核掌握するって手筈だったはずだが、何してた? 説明しろ』
『えっと……』
『あ?』
『ご、ごめん……ハッキングしてたんだけど、相手にバレたみたい。対策されて、干渉すら許してくれない状態なんだ……』
正直に言った。テンプレすぎでは、と思われるかもしれないが、実際これが本当なのだ。
確かに相手は美女だしアンドロイドだし、決戦前に言われた通りマイマスターとか呼ばれたいなと思っていたけど、それはそれ、これはこれ。相手は敵だし、邪な私情を挟む気は更々なく、作戦通り隙を作るために再度ハッキングを全力で試みていた。
だが、ここで相手が僕の想定を軽く超えてきたのだ。
『聞いて理解してもらえるか分からないけど、あのアンドロイド……兄さんたちと戦ってる間、僕のハッキングに抵抗するために演算領域を割いていたんだ。むしろ、兄さんたちに対してより僕に力を注いでたと言っていい』
『つまり、奴にとって俺らをブチのめすことはただの作業にすぎなかったと』
『う、うーん……そ、うなるか、な』
重要なところはそこじゃないんだけど、それを言ったら地雷だ。面倒くさいことになるので間違っても踏み抜かないように、兄さんたちが戦っていたときの攻防を思い出す。
件の女アンドロイドは、兄さんと戦っている間、演算領域の半分以上をハッキング対策に回していて、兄さんたちとの戦いは以前のデータを再利用―――つまり戦闘経験の反復で乗り切っていた。作業と言われれば、まさしく言葉通りなのだ。
『に、兄さんごめん……』
『ああ? あー……気にすんな。別に怒ってるわけじゃねぇさ』
それは嘘だ。霊子通信回線を介して、今にも暴走寸前の激情がひしひしと伝わってくる。
『でもレク・ホーランが……』
『チッ……だから別にお前に怒ってねぇって。そも最悪できなくてもいいって言ってあったろうが。それとあの金髪野郎に関しては忘れろ。友達でも仲間でもねぇのが死んだ。ただそれだけの話だ』
怒りの感情がほんの少し緩んだ。僕は言い知れない重圧が軽くなったのを感じる。
兄さんにしては寛大すぎる処置だが、怒りの矛先はどうやら僕には向いてないらしい。だったらこれ以上気にするのは野暮だ。そういうことにしておこう。
『で、久三男さま。結局のところ、件の女アンドロイドにハッキングとやらはできないということで、よろしいですか?』
サクッと話が切り替えられる。そうだ、兄さんの機嫌を伺うのに必死だったが、重要なのはそこだ。
『いや、できる。ただ時間がかかる……抵抗されてるから中枢を強制的に掌握するのは無理だけど、干渉するくらいなら』
『つーことは、どう足掻いても俺らじゃないとぶっ壊せなくなったってことか』
怒りの濁流が尚も収まってない兄さんだが、やけに冷静な判断に、少しばかり驚く。
当初の作戦だと、僕が彼女の中枢を掌握して無力化するまで、兄さんたちが足止めをするって流れだった。
しかし予想に反して女アンドロイドは優秀だった。僕のハッキングに対応するだけじゃ飽き足らず、兄さんたちまで撃退せしめた。ハッキングに対抗されている今、ただでさえ時間のかかる中枢掌握は、戦略として現実的じゃなくなってしまったのだ。
こうなると、僕にできることはハッキング対策を掻い潜り、兄さんたちが有利に立ち回れるようにちくちくと嫌がらせしつつ、中枢に干渉してみるぐらいしかなくなるわけだが、致命的な問題が一つあった。
『戦力が足りない……よね』
兄さんも御玲も、その言葉に沈黙する。
戦略を変更しても依然として残る問題、それは絶望的な戦力不足である。
ヴァズは機体が壊れて修理しなきゃならないし、澄連は北支部防衛に参加。レク・ホーランは戦死、ブルー・ペグランタンは行方不明、弥平は任務請負官として今頃任務請負人を束ねてロボット軍団の迎撃している最中だ。
緊急時に呼び戻してしまうと戦線が崩壊する可能性があり、弥平に関しては責任追及の矢も飛んで、懲戒解雇させられる恐れもある。愚策でしかない。
『贅沢は言ってらんねぇ。俺たちでなんとか……』
『流石に無理があります。あなたの本気だって、ほとんど……』
御玲の指摘に、兄さんの怒りのボルテージが上昇する。
確かに、兄さんの攻撃は全部見切られていた。身体能力のリミッターを解除してなお、彼女にとって兄さんの存在など籠の鳥とでも言わんばかりに、余裕で。
戦力不足は承知の上、だったらいまある戦力でなんとかするしかない。それも一つの正論だろう。でも、それで勝てる相手なのか。そう問われれば、答えは分かり切っていた。
『だったらどうすりゃあ……!』
『では、私たちも出向きましょう』
霊子通信ネットワークによって構成された精神世界に割り込む、二名の意識。一つは心底を推し量れない深淵なる常闇。もう一つは陽気だが同じく底を見定めさせない叡智の象徴。
僕のサポートを言い渡されていた、あくのだいまおうとパオングが霊子通信回線によって構築された擬似精神世界に姿を表す。
秘匿回線に割り込むとか普通は無理なんだけどな、とか思いつつも、今は重要じゃないと考えて頭を切り替える。
『出向くって……いや、パオングは分かる。でもあくのだいまおう、アンタは……』
兄さんの顔が、あからさまに歪んだ。気持ちは分からなくもない。
パオングは後衛役として優秀すぎるぐらい魔導師としてズバ抜けているが、あくのだいまおうはいわゆる大賢者ポジション。必要に迫られたとき、必要な知識を与える預言者のような立ち位置にある。
『言いたいことは分かります。私には確かに、前衛として戦う力はない。しかし、何もできないというわけではないのですよ』
『じゃあ何ができるってんだ』
『パオング。まさか貴台、アレを使うつもりではあるまいな?』
『ご明察。今回、相手は軍を率いている。ならば、それを逆手に取れます』
『や、やはりか……』
『お、おい? 一体なんの話をしてる? 軍を率いてるのを逆手に取るってどういうことだ?』
僕を含め、兄さんと御玲は完全に置いてけぼりだ。焦らされるのが嫌いな兄さんが堪えられるはずもなく、単刀直入にあくのだいまおうへ意識を寄せる。
『実は私、超能力が使えましてね。それが軍勢に対して有効な類ですので、利用しようかなと』
『はぁ!? いや……え、待って? 超能力だと!?』
兄さんほか、パオングを除く、この場にいる全員が目を丸くした。
超能力。その単語を聞けば、単純にスプーンを曲げるとか、物を浮かせるだとか、透視だとか、テレビで見たことがあるようなのが思い浮かぶかもしれないが、実際はそんなショボい代物じゃあない。
たった一つ持っているだけで、この世界の法則を自分の都合の良いように書き換えられる力。それすなわち現実を蹂躙し、全てを思い通りにする全能の力。
``魔法``のさらに上をいく、この世界最上級の権能。それが``超能力``だ。
超能力とは、その破格の性能から別名``神の権限``と言われている。戦いに使用すれば、如何なる文明レベルの戦争も一瞬で蹂躙できる。
統制のとれた大国の軍隊も一騎当千の英雄も、神の如き権能を持つ者―――超能力者の前には等しく塵だ。純然たる``チート``を平然と行使する者に敵う者など、同じく``チート``を持つ者でなければ敵わない。
そんなヤバいものを「持ってるぜ」と平然と言われるとなんというか、驚き呆れてしまうわけである。
『いや……はぁ、まあいい。今はそれどころじゃねぇしな。それで、どんな力なんだそれは?』
兄さんが珍しく引き下がった。今はそれどころじゃないって言っているけど、引き下がった本当の理由はおそらく相手があくのだいまおうだからだ。
あくのだいまおうは僕からして得体が知れない。兄さんもそれを直感で理解していて、深く詮索する方が馬鹿を見ると思ったのだろう。
兄さんは、性格からして納得いかないことに直面すれば状況など選ばない。何故今になって超能力を持っているって重大発言するんだ、とか、もっと早く言えよそれ、とか、言いたい事が沢山あるんだろうけど、あくのだいまおうにはあくのだいまおうなりの理屈があるのだろうと割り切ってみせたのだ。
僕もその割り切りが正しい判断だと心の中で支持しておいた。
『``魔軍蹂躙``というものでして。様々な事象を任意に選択可能な対軍用超能力なのですが……その効果の一つにですね、敵軍の攻撃を私が受ければ受けるほど、その分のダメージ量で自軍に様々な祝福を与えることができるものがあるのです』
『お、おう……』
『な、名前からしてとても強そうな力ですね……』
薄っすらうきうきしながら語るあくのだいまおうに対し、兄さんと御玲は普通にドン引きしていた。
そりゃ蹂躙とか言っちゃってるし、内容はちょっとよく分からないけど名前からして物騒すぎることこの上ない。あくのだいまおうが持っているのも相まって、深く問いただすまでもなくヤバさ満載である。
『と、とはいえ……それでもアンタは前に出れないことに変わりないだろ。言っちゃ悪いが弱いし、敵の攻撃を受けるって言ってるけど一体どうするつもりなんだ』
兄さんは顔を引きつらせながら、冷静を装って疑問をぶつける。
あくのだいまおうの超能力が凶悪なのは理解できた。詳細こそよくわからないが、聞かなくてもロクでもないものなのは考えるまでもない。
だが問題は、やはりあくのだいまおうが前に出られないだろうということ。
さっきも戦う力がほとんどないと言ったが、あくのだいまおうの肉体能力は僕と同じくらい弱い。体内霊力量が僕より多い程度で、正直僕でも喧嘩すればいい線いけるんじゃないかってくらいの力しか感じられないのだ。
そういうところが不気味でたまらないのだけれど、僕と同程度じゃ戦場に出た瞬間、ロボット軍団になすすべもなく肉片になってしまう。蹂躙すると公言した側が、蹂躙されて姿形も残らないなんて間抜けすぎるに程がある話である。
だがあくのだいまおうの表情は僕たちの動揺を鼻で笑っているかのように、尚も不敵だ。前に出られないのに、どうやって超能力を使うというのか。
『問題ありません。発動している間、全てのダメージを無効にできますので』
驚きすぎて空いた口が塞がらないってのは、まさにこのことだと思う。兄さんも御玲も、そして僕も、思わず「はぁ!?」と叫んで凍り付いてしまった。
この状況下で冗談を言っているのだろうかと一瞬本気で考えたが、あくのだいまおうの顔は不敵な笑みで彩られており、そこに悪ふざけは全く感じられない。
もし本当にそうなら、反則以外の何物でもない。要は超能力を使っている間は、何やったってあくのだいまおうを倒せないってことなのだから。
『無敵とまではいきませんが、不死程度は保証できますよ。軍団を見る限り、全て贄として扱うことは可能です』
精神世界のテーブルの中央にある、ホログラムモニタに映るロボット軍団を見下げるような目で、あくのだいまおうが寝言を嘯く。
不死程度さも当然、みたいに言っているけれど不死ってだけでもドがつくほど凶悪である。
兄さんも大概に不死身だから、不死って割とありふれてるんじゃないかな、と半ば感覚が麻痺しかけていたけど、決して当然と言っていいものじゃない。
兄さんからも御玲からも、流石に疑いの念がすごく伝わってくる。あくのだいまおうだから戯言を言っているとは思っていないだろうけど、眉唾感が否めないんだろう。正直、僕も流石に疑念を抱かざる得ない心境だ。
『ただ、それだけで勝利するのは難しいでしょう。私の超能力による加護に加え、やはり久三男さんのお力は必要です』
重い沈黙など痛痒に感じていないのか、あくのだいまおうの不敵で不気味な態度は崩れない。疑心の視線を真っ向から受け止めながら、僕に視線を投げてくる。
『そ、そうなのか? 超能力があるんなら、別に久三男の力を前に出さなくても……』
『いいえ。私はあくまで手助けをするだけ。彼女をどうするかは貴方がた次第です』
あくのだいまおうに迷いはない。不敵な態度で兄さんの発言をばっさりと切り捨てる。
彼女、件の美女アンドロイドをどうするか。あくのだいまおうの言葉に誰しもが反論を口にはしなかったが、兄さんは「倒すに決まってんだろ」って顔で、御玲も「澄男さまに同じく」って顔で答えていた。
その点、僕はどうしたいんだろう。僕は彼女を倒したいのだろうか。
敵は倒すべきだ。僕は戦場では無力だけど、これでも流川本家という戦闘民族の一員だ。有事はオペレーターとして戦闘に携わり、敵を討ち滅ぼすため兄さんたちを支援することに何の躊躇いもない。
でも彼女は本当に``敵``なのか。彼女の脳殻に侵入を繰り返すうち、彼女には何か目的を持って行動していることは分かってきたが、それが何なのか分からない。分かる前に、彼女によって排除されてしまうからだ。
このままだと、本当に``敵``として扱わざる得なくなってしまうが、それがこの戦いを乗り越える上で、本当に正解なのだろうか。
『はぁ。迷ってる暇はないな。あくのだいまおう、頼めるか?』
兄さんの声で至高が精神世界の表層へ帰ってくる。あくのだいまおうが悪どく笑って見せ、眩い犬歯が光った。
寒気が背中をなぞる。一瞬だが目が合ったような、そんな気がした。
『頼む? それはつまり』
『対価なら払う。後払いでいいか?』
『ふふ……私から言い出したことです。今回は初回サービスということもありますし、安上がりなものにしておきましょうか』
あくのだいまおうの態度に、兄さんが若干尻込みする。
あの恐れ知らずの兄さんが尻込みするなんて、常にエンジン全開の母さんを相手にするときぐらいなものなのだが、精神世界に用意された円卓の椅子からゆっくり立ち上がったあくのだいまおうから醸し出される霊圧は、尋常じゃないほど暗澹としていた。
御玲よりも霊力量は小さいはずなのに、その不気味で鋭利な常闇のオーラは信じられないほど濃密だ。兄さんと御玲の霊力など貪り食って、僕が創った精神世界を一瞬で掌握してしまう。
『私から要求することは、たった一つ。霊子通信にご留意ください。貴方はその霊子通信で、ある決断を下します。その決断が、とある人物の人生を大きく左右することとなるのですが……その決断を此度の対価と致しましょう』
『な、なんだそりゃあ……とある人物って誰よ』
『貴方のことを、最もよく知る人物です。ゆめゆめお忘れなきよう』
兄さんと御玲にも丁寧に一礼。漆黒の執事服も相まって、まさしくその姿は一流の執事。兄さんを含め、それ以上の詮索を許さない緊張した雰囲気が場を縛り上げる。
ではパオング、あとは任せましたよと勝手に告げて、あくのだいまおうは霊圧を畳み、勝手に擬似精神世界から去っていってしまった。
暫し、沈黙が流れる。あくのだいまおうが残した霊圧の余韻で、誰も口を開けない状況を突き破ったのは、咳払いをして雰囲気の緊張を解いたパオングだった。
『パァオング。我も前線に出向く。よいか?』
『あ、ああ。是非頼む。アンタの支援魔法はアテにしてる』
『私も出撃します』
『ホントは待機してもらいたいが……ンなこと言ってらんねぇしな。ただ死ぬなよ。それだけは守ってくれ』
分かってます、と御玲が一礼する。
兄さんの心配事は分かっている。仲間の命だ。もしそれが失われたらどうなるかなど、想像するまでもない。僕だって、あんな思いをするのはもう嫌だから。
『じゃあ僕も作業に戻る。頑張ってね、兄さんたち』
『テメェもな』
擬似精神世界から二人と一匹の気配が消える。彼らの意識が現実世界へ帰ったのだ。僕もまた、現実へ意識を舞い戻す。
僕がいる部屋は、流川本家直属軍事研究施設ラボターミナルの第二階層。空間創造魔法によって、僕たちが住んでいる場所とは少し位相がずれた空間に作られた施設だが、その中でも戦時に使われるのが第二階層、霊子コンピュータの試作機たるネヴァー・ハウスが鎮座する、オペレータールームである。
僕の視界は擬似精神世界から、虹色に光るゲーミングチェアと霊子で構成されたホログラフィクスモニタへと移される。
オペレータールームは僕が米粒になるくらいに広い。僕一人しかいないのに、何でこんなに広い空間なのかと今更ながら思うが、僕がオペレータールームを広くした理由の一つとして、信頼できるサポーターが欲しいという願いが昔からあったからだ。
当然今日という日まで、その願いが叶うことはなかった。僕は常に独りで、この軍事施設を切り盛りしてきたのだ。
「あわよくば……」
そこまで言って、いやいや、と首を振る。
相手は敵だ。僕たちが平和に暮らす上での明確な脅威であり、排除するべき敵。
流川は先祖代々、敵と見做した者の存在を許さなかった。僕もまた流川本家の端くれとして、戦時はその家訓を全うする義務を負う。敵を助けようとして仲間が傷つくなど、本末転倒なのだ。
「でも……」
彼女は、本当に敵なのか。兄さんも御玲も誰も疑問に思ってないが、彼女の目的は、本当にこの世界を脅かすことそのものなのか。
確かに数多の人間を生贄に強大な力を得ようとしている彼女を見れば、世界を征服しようと企んでいると考えるのが普通だろう。でもそれはあくまで主観的観測でしかない。
兄さんには、すでに余裕がなくなっている。今更彼女の目的をどうのこうの言ったところで、聞く耳を持たないだろう。兄さんは昔から、小難しい考え事は苦手なのだ。
「だったら、僕が調べるしかない」
既に彼女には、僕の干渉がバレている。そもそも僕の干渉を感知し、それに対応してのける時点で、もはや異常を通り越して純粋に人知を超えているのだけど、そうも言ってられない。
兄さんたちには中枢を掌握するのは無理だと言ったが、中枢に干渉して彼女が何を為そうとしているのかを知ることくらいはおそらくできる。
失敗すれば兄さんにブチ殺されるのは確実だけど、それでビビっているようじゃ、あの兄さんの弟は務まらない。
「やるしかない……いや、やる」
僕は何を期待しているのか。僕が夢見ている展開は、所詮夢でしかないものなのに、期待してしまっている自分がいる。夢を夢のまま終わらせたくない自分がいる。もしも僕の力で彼女を救えるのなら、あるいは―――。
「これ以上は考える必要ないな。期待ってのは、ほどほどに膨らませておくくらいが丁度いい」
ネヴァー・ハウスに指示を出す。
霊子コンピュータ、二千年以上前に栄えた超古代文明の遺物。これがあれば、遠く離れたあらゆる存在にハッキングが可能となる。
無機物だろうと有機生命体だろうと関係なく、理論上は思考回路を有する全てのものを遠隔で掌握することが可能となるのだ。
「さて、やるか」
首を鳴らし、肩をほぐす。
兄さんが戦場で暴れるように、僕にも僕の戦場がある。別に面と向かって敵と殴り合うわけじゃないけれど、敵の防壁と僕のハッキング。どちらが先に殴り倒されるか。そんな攻防が、再び始まろうとしていた。
手汗が止めどなく滲み、背中や腹あたりからの冷や汗を白衣が吸って気持ち悪い。でもそんなのがどうでもよくなるぐらいに、脳裏によぎる烈火の如き怒りが僕の背を連打してくる。
兄さんたちとは専用の霊子通信回路を通じて意識が繋がっているので、兄さんたちが受け取った感覚情報は、痛覚以外全て僕に集約される。
厳密には僕が創った霊子コンピュータ―――ネヴァー・ハウスに集積されるのだが、霊子通信回線を経て兄さんから送られてくる情報は、その九割以上が猛烈な悔しさからくる怒りであった。
もはやそれは激昂に等しく、あの短気を絵に描いたような兄さんにしては、冷静に御玲と話せているのが不思議なくらい表面上はおとなしい。
今の兄さんは、いつ爆発してもおかしくない核弾頭そのもの。ほんの少し刺激を与えれば即座に爆発してしまうほどに、今の兄さんの精神状態は、酷く不安定な状態にあった。
「ヤバい……ブチのめされる程度で済むかなぁ……」
もはやその時点でおかしい気がするが、僕たち流川兄弟にとって、``ブチのめす``は``ブチ殺す``よりマシな処刑であることを意味する。
マジギレした兄さんなど災禍そのものだ。全身打撲で済めば運が良い方で、大概は気絶しても血まみれになるまでサンドバッグみたく無限に叩きのめされる。
修行中の小競り合いや些細な兄弟喧嘩でこれなんだから、今回みたいな真面目な戦いでポカやらかしたとなれば、叩きのめされるだけじゃ飽き足らず、八つ裂きにされる可能性すら余裕であり得る。生き残れる気がしなかった。
「でも……僕も流川の男だ。なすべきことを成せなかった以上、覚悟を決めよう……」
きちんとした理由はある。だがそれで許してくれる兄さんじゃない。僕はやると言った。兄さんはできなくてもいいと言っていたが、そんなのは言い訳だ。
僕が兄さんの立場だったら同じことを言うだろうし、なんなら昔、結果を出せなかったら無能みたいな、そんなことを言った気がする。
言葉を吐いた手前、ケジメをつけなきゃスジが通らない。流川家において、スジを通すことこそが漢の流儀だと母さんに教えられてきたからだ。
『久三男』
『ひゃい!?』
唐突の霊子通信。僕が構築した精神世界に、赤いオーラを漂わせた兄さんと御玲が姿を現す。
突然だったから変な声が出てしまったが、そんなことはすぐにどうでもよくなる。
『お前が奴の脳味噌をハッキングだかなんだかして、俺らを援護しつつ中核掌握するって手筈だったはずだが、何してた? 説明しろ』
『えっと……』
『あ?』
『ご、ごめん……ハッキングしてたんだけど、相手にバレたみたい。対策されて、干渉すら許してくれない状態なんだ……』
正直に言った。テンプレすぎでは、と思われるかもしれないが、実際これが本当なのだ。
確かに相手は美女だしアンドロイドだし、決戦前に言われた通りマイマスターとか呼ばれたいなと思っていたけど、それはそれ、これはこれ。相手は敵だし、邪な私情を挟む気は更々なく、作戦通り隙を作るために再度ハッキングを全力で試みていた。
だが、ここで相手が僕の想定を軽く超えてきたのだ。
『聞いて理解してもらえるか分からないけど、あのアンドロイド……兄さんたちと戦ってる間、僕のハッキングに抵抗するために演算領域を割いていたんだ。むしろ、兄さんたちに対してより僕に力を注いでたと言っていい』
『つまり、奴にとって俺らをブチのめすことはただの作業にすぎなかったと』
『う、うーん……そ、うなるか、な』
重要なところはそこじゃないんだけど、それを言ったら地雷だ。面倒くさいことになるので間違っても踏み抜かないように、兄さんたちが戦っていたときの攻防を思い出す。
件の女アンドロイドは、兄さんと戦っている間、演算領域の半分以上をハッキング対策に回していて、兄さんたちとの戦いは以前のデータを再利用―――つまり戦闘経験の反復で乗り切っていた。作業と言われれば、まさしく言葉通りなのだ。
『に、兄さんごめん……』
『ああ? あー……気にすんな。別に怒ってるわけじゃねぇさ』
それは嘘だ。霊子通信回線を介して、今にも暴走寸前の激情がひしひしと伝わってくる。
『でもレク・ホーランが……』
『チッ……だから別にお前に怒ってねぇって。そも最悪できなくてもいいって言ってあったろうが。それとあの金髪野郎に関しては忘れろ。友達でも仲間でもねぇのが死んだ。ただそれだけの話だ』
怒りの感情がほんの少し緩んだ。僕は言い知れない重圧が軽くなったのを感じる。
兄さんにしては寛大すぎる処置だが、怒りの矛先はどうやら僕には向いてないらしい。だったらこれ以上気にするのは野暮だ。そういうことにしておこう。
『で、久三男さま。結局のところ、件の女アンドロイドにハッキングとやらはできないということで、よろしいですか?』
サクッと話が切り替えられる。そうだ、兄さんの機嫌を伺うのに必死だったが、重要なのはそこだ。
『いや、できる。ただ時間がかかる……抵抗されてるから中枢を強制的に掌握するのは無理だけど、干渉するくらいなら』
『つーことは、どう足掻いても俺らじゃないとぶっ壊せなくなったってことか』
怒りの濁流が尚も収まってない兄さんだが、やけに冷静な判断に、少しばかり驚く。
当初の作戦だと、僕が彼女の中枢を掌握して無力化するまで、兄さんたちが足止めをするって流れだった。
しかし予想に反して女アンドロイドは優秀だった。僕のハッキングに対応するだけじゃ飽き足らず、兄さんたちまで撃退せしめた。ハッキングに対抗されている今、ただでさえ時間のかかる中枢掌握は、戦略として現実的じゃなくなってしまったのだ。
こうなると、僕にできることはハッキング対策を掻い潜り、兄さんたちが有利に立ち回れるようにちくちくと嫌がらせしつつ、中枢に干渉してみるぐらいしかなくなるわけだが、致命的な問題が一つあった。
『戦力が足りない……よね』
兄さんも御玲も、その言葉に沈黙する。
戦略を変更しても依然として残る問題、それは絶望的な戦力不足である。
ヴァズは機体が壊れて修理しなきゃならないし、澄連は北支部防衛に参加。レク・ホーランは戦死、ブルー・ペグランタンは行方不明、弥平は任務請負官として今頃任務請負人を束ねてロボット軍団の迎撃している最中だ。
緊急時に呼び戻してしまうと戦線が崩壊する可能性があり、弥平に関しては責任追及の矢も飛んで、懲戒解雇させられる恐れもある。愚策でしかない。
『贅沢は言ってらんねぇ。俺たちでなんとか……』
『流石に無理があります。あなたの本気だって、ほとんど……』
御玲の指摘に、兄さんの怒りのボルテージが上昇する。
確かに、兄さんの攻撃は全部見切られていた。身体能力のリミッターを解除してなお、彼女にとって兄さんの存在など籠の鳥とでも言わんばかりに、余裕で。
戦力不足は承知の上、だったらいまある戦力でなんとかするしかない。それも一つの正論だろう。でも、それで勝てる相手なのか。そう問われれば、答えは分かり切っていた。
『だったらどうすりゃあ……!』
『では、私たちも出向きましょう』
霊子通信ネットワークによって構成された精神世界に割り込む、二名の意識。一つは心底を推し量れない深淵なる常闇。もう一つは陽気だが同じく底を見定めさせない叡智の象徴。
僕のサポートを言い渡されていた、あくのだいまおうとパオングが霊子通信回線によって構築された擬似精神世界に姿を表す。
秘匿回線に割り込むとか普通は無理なんだけどな、とか思いつつも、今は重要じゃないと考えて頭を切り替える。
『出向くって……いや、パオングは分かる。でもあくのだいまおう、アンタは……』
兄さんの顔が、あからさまに歪んだ。気持ちは分からなくもない。
パオングは後衛役として優秀すぎるぐらい魔導師としてズバ抜けているが、あくのだいまおうはいわゆる大賢者ポジション。必要に迫られたとき、必要な知識を与える預言者のような立ち位置にある。
『言いたいことは分かります。私には確かに、前衛として戦う力はない。しかし、何もできないというわけではないのですよ』
『じゃあ何ができるってんだ』
『パオング。まさか貴台、アレを使うつもりではあるまいな?』
『ご明察。今回、相手は軍を率いている。ならば、それを逆手に取れます』
『や、やはりか……』
『お、おい? 一体なんの話をしてる? 軍を率いてるのを逆手に取るってどういうことだ?』
僕を含め、兄さんと御玲は完全に置いてけぼりだ。焦らされるのが嫌いな兄さんが堪えられるはずもなく、単刀直入にあくのだいまおうへ意識を寄せる。
『実は私、超能力が使えましてね。それが軍勢に対して有効な類ですので、利用しようかなと』
『はぁ!? いや……え、待って? 超能力だと!?』
兄さんほか、パオングを除く、この場にいる全員が目を丸くした。
超能力。その単語を聞けば、単純にスプーンを曲げるとか、物を浮かせるだとか、透視だとか、テレビで見たことがあるようなのが思い浮かぶかもしれないが、実際はそんなショボい代物じゃあない。
たった一つ持っているだけで、この世界の法則を自分の都合の良いように書き換えられる力。それすなわち現実を蹂躙し、全てを思い通りにする全能の力。
``魔法``のさらに上をいく、この世界最上級の権能。それが``超能力``だ。
超能力とは、その破格の性能から別名``神の権限``と言われている。戦いに使用すれば、如何なる文明レベルの戦争も一瞬で蹂躙できる。
統制のとれた大国の軍隊も一騎当千の英雄も、神の如き権能を持つ者―――超能力者の前には等しく塵だ。純然たる``チート``を平然と行使する者に敵う者など、同じく``チート``を持つ者でなければ敵わない。
そんなヤバいものを「持ってるぜ」と平然と言われるとなんというか、驚き呆れてしまうわけである。
『いや……はぁ、まあいい。今はそれどころじゃねぇしな。それで、どんな力なんだそれは?』
兄さんが珍しく引き下がった。今はそれどころじゃないって言っているけど、引き下がった本当の理由はおそらく相手があくのだいまおうだからだ。
あくのだいまおうは僕からして得体が知れない。兄さんもそれを直感で理解していて、深く詮索する方が馬鹿を見ると思ったのだろう。
兄さんは、性格からして納得いかないことに直面すれば状況など選ばない。何故今になって超能力を持っているって重大発言するんだ、とか、もっと早く言えよそれ、とか、言いたい事が沢山あるんだろうけど、あくのだいまおうにはあくのだいまおうなりの理屈があるのだろうと割り切ってみせたのだ。
僕もその割り切りが正しい判断だと心の中で支持しておいた。
『``魔軍蹂躙``というものでして。様々な事象を任意に選択可能な対軍用超能力なのですが……その効果の一つにですね、敵軍の攻撃を私が受ければ受けるほど、その分のダメージ量で自軍に様々な祝福を与えることができるものがあるのです』
『お、おう……』
『な、名前からしてとても強そうな力ですね……』
薄っすらうきうきしながら語るあくのだいまおうに対し、兄さんと御玲は普通にドン引きしていた。
そりゃ蹂躙とか言っちゃってるし、内容はちょっとよく分からないけど名前からして物騒すぎることこの上ない。あくのだいまおうが持っているのも相まって、深く問いただすまでもなくヤバさ満載である。
『と、とはいえ……それでもアンタは前に出れないことに変わりないだろ。言っちゃ悪いが弱いし、敵の攻撃を受けるって言ってるけど一体どうするつもりなんだ』
兄さんは顔を引きつらせながら、冷静を装って疑問をぶつける。
あくのだいまおうの超能力が凶悪なのは理解できた。詳細こそよくわからないが、聞かなくてもロクでもないものなのは考えるまでもない。
だが問題は、やはりあくのだいまおうが前に出られないだろうということ。
さっきも戦う力がほとんどないと言ったが、あくのだいまおうの肉体能力は僕と同じくらい弱い。体内霊力量が僕より多い程度で、正直僕でも喧嘩すればいい線いけるんじゃないかってくらいの力しか感じられないのだ。
そういうところが不気味でたまらないのだけれど、僕と同程度じゃ戦場に出た瞬間、ロボット軍団になすすべもなく肉片になってしまう。蹂躙すると公言した側が、蹂躙されて姿形も残らないなんて間抜けすぎるに程がある話である。
だがあくのだいまおうの表情は僕たちの動揺を鼻で笑っているかのように、尚も不敵だ。前に出られないのに、どうやって超能力を使うというのか。
『問題ありません。発動している間、全てのダメージを無効にできますので』
驚きすぎて空いた口が塞がらないってのは、まさにこのことだと思う。兄さんも御玲も、そして僕も、思わず「はぁ!?」と叫んで凍り付いてしまった。
この状況下で冗談を言っているのだろうかと一瞬本気で考えたが、あくのだいまおうの顔は不敵な笑みで彩られており、そこに悪ふざけは全く感じられない。
もし本当にそうなら、反則以外の何物でもない。要は超能力を使っている間は、何やったってあくのだいまおうを倒せないってことなのだから。
『無敵とまではいきませんが、不死程度は保証できますよ。軍団を見る限り、全て贄として扱うことは可能です』
精神世界のテーブルの中央にある、ホログラムモニタに映るロボット軍団を見下げるような目で、あくのだいまおうが寝言を嘯く。
不死程度さも当然、みたいに言っているけれど不死ってだけでもドがつくほど凶悪である。
兄さんも大概に不死身だから、不死って割とありふれてるんじゃないかな、と半ば感覚が麻痺しかけていたけど、決して当然と言っていいものじゃない。
兄さんからも御玲からも、流石に疑いの念がすごく伝わってくる。あくのだいまおうだから戯言を言っているとは思っていないだろうけど、眉唾感が否めないんだろう。正直、僕も流石に疑念を抱かざる得ない心境だ。
『ただ、それだけで勝利するのは難しいでしょう。私の超能力による加護に加え、やはり久三男さんのお力は必要です』
重い沈黙など痛痒に感じていないのか、あくのだいまおうの不敵で不気味な態度は崩れない。疑心の視線を真っ向から受け止めながら、僕に視線を投げてくる。
『そ、そうなのか? 超能力があるんなら、別に久三男の力を前に出さなくても……』
『いいえ。私はあくまで手助けをするだけ。彼女をどうするかは貴方がた次第です』
あくのだいまおうに迷いはない。不敵な態度で兄さんの発言をばっさりと切り捨てる。
彼女、件の美女アンドロイドをどうするか。あくのだいまおうの言葉に誰しもが反論を口にはしなかったが、兄さんは「倒すに決まってんだろ」って顔で、御玲も「澄男さまに同じく」って顔で答えていた。
その点、僕はどうしたいんだろう。僕は彼女を倒したいのだろうか。
敵は倒すべきだ。僕は戦場では無力だけど、これでも流川本家という戦闘民族の一員だ。有事はオペレーターとして戦闘に携わり、敵を討ち滅ぼすため兄さんたちを支援することに何の躊躇いもない。
でも彼女は本当に``敵``なのか。彼女の脳殻に侵入を繰り返すうち、彼女には何か目的を持って行動していることは分かってきたが、それが何なのか分からない。分かる前に、彼女によって排除されてしまうからだ。
このままだと、本当に``敵``として扱わざる得なくなってしまうが、それがこの戦いを乗り越える上で、本当に正解なのだろうか。
『はぁ。迷ってる暇はないな。あくのだいまおう、頼めるか?』
兄さんの声で至高が精神世界の表層へ帰ってくる。あくのだいまおうが悪どく笑って見せ、眩い犬歯が光った。
寒気が背中をなぞる。一瞬だが目が合ったような、そんな気がした。
『頼む? それはつまり』
『対価なら払う。後払いでいいか?』
『ふふ……私から言い出したことです。今回は初回サービスということもありますし、安上がりなものにしておきましょうか』
あくのだいまおうの態度に、兄さんが若干尻込みする。
あの恐れ知らずの兄さんが尻込みするなんて、常にエンジン全開の母さんを相手にするときぐらいなものなのだが、精神世界に用意された円卓の椅子からゆっくり立ち上がったあくのだいまおうから醸し出される霊圧は、尋常じゃないほど暗澹としていた。
御玲よりも霊力量は小さいはずなのに、その不気味で鋭利な常闇のオーラは信じられないほど濃密だ。兄さんと御玲の霊力など貪り食って、僕が創った精神世界を一瞬で掌握してしまう。
『私から要求することは、たった一つ。霊子通信にご留意ください。貴方はその霊子通信で、ある決断を下します。その決断が、とある人物の人生を大きく左右することとなるのですが……その決断を此度の対価と致しましょう』
『な、なんだそりゃあ……とある人物って誰よ』
『貴方のことを、最もよく知る人物です。ゆめゆめお忘れなきよう』
兄さんと御玲にも丁寧に一礼。漆黒の執事服も相まって、まさしくその姿は一流の執事。兄さんを含め、それ以上の詮索を許さない緊張した雰囲気が場を縛り上げる。
ではパオング、あとは任せましたよと勝手に告げて、あくのだいまおうは霊圧を畳み、勝手に擬似精神世界から去っていってしまった。
暫し、沈黙が流れる。あくのだいまおうが残した霊圧の余韻で、誰も口を開けない状況を突き破ったのは、咳払いをして雰囲気の緊張を解いたパオングだった。
『パァオング。我も前線に出向く。よいか?』
『あ、ああ。是非頼む。アンタの支援魔法はアテにしてる』
『私も出撃します』
『ホントは待機してもらいたいが……ンなこと言ってらんねぇしな。ただ死ぬなよ。それだけは守ってくれ』
分かってます、と御玲が一礼する。
兄さんの心配事は分かっている。仲間の命だ。もしそれが失われたらどうなるかなど、想像するまでもない。僕だって、あんな思いをするのはもう嫌だから。
『じゃあ僕も作業に戻る。頑張ってね、兄さんたち』
『テメェもな』
擬似精神世界から二人と一匹の気配が消える。彼らの意識が現実世界へ帰ったのだ。僕もまた、現実へ意識を舞い戻す。
僕がいる部屋は、流川本家直属軍事研究施設ラボターミナルの第二階層。空間創造魔法によって、僕たちが住んでいる場所とは少し位相がずれた空間に作られた施設だが、その中でも戦時に使われるのが第二階層、霊子コンピュータの試作機たるネヴァー・ハウスが鎮座する、オペレータールームである。
僕の視界は擬似精神世界から、虹色に光るゲーミングチェアと霊子で構成されたホログラフィクスモニタへと移される。
オペレータールームは僕が米粒になるくらいに広い。僕一人しかいないのに、何でこんなに広い空間なのかと今更ながら思うが、僕がオペレータールームを広くした理由の一つとして、信頼できるサポーターが欲しいという願いが昔からあったからだ。
当然今日という日まで、その願いが叶うことはなかった。僕は常に独りで、この軍事施設を切り盛りしてきたのだ。
「あわよくば……」
そこまで言って、いやいや、と首を振る。
相手は敵だ。僕たちが平和に暮らす上での明確な脅威であり、排除するべき敵。
流川は先祖代々、敵と見做した者の存在を許さなかった。僕もまた流川本家の端くれとして、戦時はその家訓を全うする義務を負う。敵を助けようとして仲間が傷つくなど、本末転倒なのだ。
「でも……」
彼女は、本当に敵なのか。兄さんも御玲も誰も疑問に思ってないが、彼女の目的は、本当にこの世界を脅かすことそのものなのか。
確かに数多の人間を生贄に強大な力を得ようとしている彼女を見れば、世界を征服しようと企んでいると考えるのが普通だろう。でもそれはあくまで主観的観測でしかない。
兄さんには、すでに余裕がなくなっている。今更彼女の目的をどうのこうの言ったところで、聞く耳を持たないだろう。兄さんは昔から、小難しい考え事は苦手なのだ。
「だったら、僕が調べるしかない」
既に彼女には、僕の干渉がバレている。そもそも僕の干渉を感知し、それに対応してのける時点で、もはや異常を通り越して純粋に人知を超えているのだけど、そうも言ってられない。
兄さんたちには中枢を掌握するのは無理だと言ったが、中枢に干渉して彼女が何を為そうとしているのかを知ることくらいはおそらくできる。
失敗すれば兄さんにブチ殺されるのは確実だけど、それでビビっているようじゃ、あの兄さんの弟は務まらない。
「やるしかない……いや、やる」
僕は何を期待しているのか。僕が夢見ている展開は、所詮夢でしかないものなのに、期待してしまっている自分がいる。夢を夢のまま終わらせたくない自分がいる。もしも僕の力で彼女を救えるのなら、あるいは―――。
「これ以上は考える必要ないな。期待ってのは、ほどほどに膨らませておくくらいが丁度いい」
ネヴァー・ハウスに指示を出す。
霊子コンピュータ、二千年以上前に栄えた超古代文明の遺物。これがあれば、遠く離れたあらゆる存在にハッキングが可能となる。
無機物だろうと有機生命体だろうと関係なく、理論上は思考回路を有する全てのものを遠隔で掌握することが可能となるのだ。
「さて、やるか」
首を鳴らし、肩をほぐす。
兄さんが戦場で暴れるように、僕にも僕の戦場がある。別に面と向かって敵と殴り合うわけじゃないけれど、敵の防壁と僕のハッキング。どちらが先に殴り倒されるか。そんな攻防が、再び始まろうとしていた。
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