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序章・新たなる邂逅編
流川本家の宴
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レク・ホーランたちと別れた俺たちは、いつもどおり転移魔法で本家邸に帰ってきていた。
今日は例になく面倒ごとがあったので疲れた。帰ってくるや否や畳敷きのリビングに盛大に寝転がり、御玲が夕食を完成させるのを待つ。
やることもないし、とりあえず飯ができるまで一眠りするかと思ったそのとき、エレベーターの鐘が鳴った。
他の家はどうか知らないが、俺の家のリビングには地下へ繋がるエレベーターがリビングにどかんと置いてある。俺はあまり使わないのだが、俺とは別によく使う住人が一人いる。
「兄さん、おかりー」
エレベーターから現れたのは、白衣を身にまとう十五歳ぐらいの少年。眼鏡が似合う、明らかに引きこもりのニートって感じの寝癖だらけな髪型が特徴の我が弟―――流川久三男である。
「ぇーい、ただまー」
さっき寝転がったばかりで頭を起こすのもダルいので、手だけ振っておくことにする。
御玲や俺、そしてぬいぐるみどもが外に出ている間、弟の久三男は自宅管理をさせている。
俗に言う自宅警備員ってやつだが、コイツの場合ただのニートってわけではなく、割と真面目に警備員としての役割を果たしている。
コイツが引きこもりでニートな感じなのは、流川家の血を引いているくせして戦闘能力が皆無だからである。基礎体力も見てくれ通りザコなので、前に出すと何の役にも立たないノロマなのだ。
フィジカルだけでなく、どんな武器もロクに使えない始末である。ホント手に負えないクソザコなんだが、逆に引きこもらせておけば、一瞬にしてクッソ心強い存在へと化ける不思議な奴となる。
まず俺らの領地である流川本家領は無駄に広い。家長である俺ですら、どれだけの広さなのか把握し切れてないくらいの規模であり、転移で移動するか、全速力で走り回るとかでもしない限り、隅々まで見て回ることはできない。
しかし久三男はそんなことをしなくても、この広大な流川本家領を見通すことができてしまう。
久三男が得意とするのは、機械弄りと発明、研究、醸造、製造、そんで魔生物軍指揮である。
流川家によって人工的に造られた、野生のとは違う``直属魔生物``を操り、流川本家領を監視させることができるのだ。
本家領は基本的に九割以上が自然溢れる庭であり、木々と山々が無限に生い茂る森である。つい最近色々あって一部が荒地になったりしているのだが、そこらへんの整備も、その魔生物たちが植林して元に戻してくれるらしく、すでに復旧作業が進んでいる。
流川本家領は九割が奥深い森林や山脈、そして俺たちが住む流川本家邸新館は、それらの最深部にある。その領土全てが久三男配下の直属魔生物の生息圏となっていて、仮に侵入者が現れたとしたら、まずその生息圏を踏み越えていかなければならない。
森や山々はとにかく馬鹿みたいに広大だ。俺や母さんみたいな身体能力が人外と化しているような奴ならともかく、人間の中で強い程度の奴では、まず餓死する。
小さい頃、修行の一環で母さんに本家領一周してこいと言われて実際にやったことがあるが、日々鍛えていたこの俺ですら三ヶ月以上かかった挙句、最後は歩くことすらままならず餓死寸前に追いやられたことがあった。
自慢じゃないが、当時の俺でも身体能力だけなら、母さんに毎日扱かれていたせいで既に人間最強レベル以上だった。その身体能力をもってして三ヶ月以上、なおかつ全速力で走り回って餓死寸前という有様だ。休んだり飯食ったりしていたら、確実に半年はかかっていたと思う。
当然、車とかそういう乗り物系は論外。まず木々が邪魔で進めないし、燃料なんてどれだけあっても足りはしないだろう。
それくらい広いのだ。踏破しようものなら、音速かそれ以上の速さで一直線に走り抜けるぐらいしか方法はない。そんなバケモノ地味た真似は身体能力を霊力で人外レベルに強化して初めて成せるから、まず身体能力が人間の限界に達してないような奴は、肉体的な意味で踏破不可能ということになる。
だったらこの時点で誰も踏破とか無理だし万全だな、と思うだろう。だが本家領の恐ろしいところはここからだ。
さっきも言ったように本家領には久三男配下の魔生物が生息している。ソイツらは本家領の環境保全も行うが、同時に侵入者の迎撃も普通にやってくる。
密偵も兼ねている俺の執事から聞いたが、本家領上空は久三男が開発した警備用ドローン―――ストリンパトロールとかいうラジコン飛行機みたいなのが上空から本家領を監視していて、侵入者を感知すると周辺の魔生物を侵入者に敵対させる信号だかなんだかを送り込み、侵入者を袋叩きにするのだ。
無限に広がってんじゃねぇのかってくらい広い森の中を気力、体力を削って歩いていたら、殺意に満ちた魑魅魍魎に血祭りにされるといった寸法である。
久三男や、その執事から聞いて最近知った本家領の警備事情だが、我ながら恐ろしい警備網である。大概の奴らだと俺たちの住む本家邸まで辿り着けぬまま直属魔生物に虐殺されるか、ただ単に遭難して餓死するかの二択だ。慈悲の欠片もない。
このように先が見えないくらいの深く広大な森や山脈が侵攻を阻み、さらに久三男配下の魔生物や警備用の機械などが無限に湧いてくるという地獄。そしてそれらをまとめあげて管理している久三男。
前に出すと役に立たないが引きこもらせておけば心強い、の言葉の意味がこれで分かったと思う。
結構強い程度の人間だとすぐ死ぬのがオチだし、これ以上の警備強化はいらんのではって感じだが、念には念を入れておくというのが家長の務め。最終防衛ラインとして、久三男と家を守る守り神はきちんと配置している。
「オカエリナサイマセ、澄男様」
「パァオング! お勤め、ごくろうである」
紫色の髪の毛、顔の半分を覆う巨大なバイザー、そして見る限り矢鱈堅そうな黄緑色の胴体装甲を持つ機械みたいな大男―――カオティック・ヴァズRev.Ⅱと金色の王冠を頭に載せ、細長い鼻を唸らせる、これまた二頭身の象のぬいぐるみ―――パオングが、久三男とともにエレベーターから顔を出す。
コイツらこそが、本家領の最終防衛ラインとなる連中である。
俺が知る中でトップの戦闘能力を持つコイツらなら、母さんや俺の執事の親父みたいな、先代当主の怪物でもない限り敵じゃない。ちょっとした人外が攻めてきても、問題なく対処してくれるだろう。
このように俺の自宅の警備は、久三男を筆頭とする自宅警備員組によって磐石なものとなっている。だからこそ外回り組の俺らは、家のことを気にせず仕事に集中できるってわけなのだ。
「そうだ兄さん、弥平帰ってきてるよ。いまお風呂入ってる」
「おー。なら今日はパーっと宴会にしようぜ。御玲、いい感じの頼むわ」
「もうやってますー! しばらく待っててくださーい!」
うぃーす、とテキトーに返事をしつつ惰眠をむさぼろうと座布団を枕代わりに目をつむる。
弥平ってのは、俺のもう一人の側近。密偵も兼ねている俺の専属執事である。フルネームは流川弥平。
俺の家系たる流川家は、本家派と分家派に分かれている。俺と弟の久三男は本家の血筋なのだが、弥平は分家の血筋なのだ。ここまで言えば大体察しがつくと思うが、俺が本家派の当主なら、弥平は分家派の当主ってわけである。
本家派の領土はヒューマノリア大陸の南方、武市よりも南に広大な領地をもつが、分家派は俺たちが住む本家領から遥か北方に拠点を持つ。
久三男とか俺ら、もしくは弥平本人が入手した情報を精査したり整理したり、はたまた何かしらに利用する諜報活動や、来るべき戦いのために技を磨いたりと、面倒ごとや凝った事を主に請け負う者―――それが流川分家派である。
そう言ってしまうと俺ら本家の者たちとかただの力自慢なのでは、と思ってしまうが、実質的には本家派当主たる俺の影。御玲が専属のメイドならば、彼の役職は専属の執事になるのだが、実務的には隠密がほとんどである。
有事以外は流川家随一の隠密として日夜諜報活動に励んでいるから、俺たちと過ごせる時間はそんなにない。俺の自宅にして本家派の総本山―――流川本家邸新館に顔を出すことも、最近はほとんどないくらいだ。
だからこそ、偶に帰ってくるときぐらいはパーっと盛大に持て成してやりたいのである。
弥平の風呂と御玲の料理ができるまで、おそらくまだ一時間以上はかかる。その間に仮眠でもとって少しでも疲れをとるとするか。
「兄さん、今日なんかトラブってたっぽい? 昼間、兄さんたちの位置見失ったんだけど」
久三男がテーブルを境に俺の向かい側に座りながら、ゲーム機の電源を入れた。俺は溜息を吐きつつ、気怠く身を起こす。
「ああ……ちょっとな。お前、俺らを監視してるんだから事情知ってんだろ?」
「大体は把握してるけど、兄さんたちの位置を一瞬見失ったあたりは把握できてないよ」
「あー……そうか。正直話すの面倒くせぇし、今そんな気分じゃねぇんだけど……後回しにすると後手に回りそうだし、しゃーねぇな……」
懐からタバコを一本取りだし、カートンをテーブルに投げる。指先で荒く火をつけると、煙を下に向かって吐き散らした。
久三男は自宅管理の傍ら、何かあったときようにすぐサポーターとして機能できるよう、俺らをリアルタイムで監視させている。
コイツは状況に応じて大陸上空に無数に点在してるらしい、人工衛星を通じて特定の個人を自在に監視したり、世界情勢の把握や、個人、団体の特定などを行える。コイツが物探し人探しが得意なのは、これが所以なのだ。同時にキモいと揶揄されるのも、同じ理由だったりする。
「任務中、ちと気に食わねぇ奴らと鉢合わせになっちっまってよ……」
とりあえず御玲を辱めようとした雑魚請負人に出会うまでの経緯を、テキトーにかいつまんで話した。粗方話し終えると、何故だかゲーム機をピコピコ操りながら、ジト目でジーっとこっちを見てきた。
「アイツらから喧嘩ふっかけてきたんだよ。俺らが先に見つけた獲物だから実績よこせだの、意味わかんねぇことベラベラ言ってくっからさ」
「ふーん……でも兄さんの機嫌の悪さを見るに、それが本題じゃなさそうだよね」
「察しがいいじゃねぇか。まあそんなとるにたらねぇ雑魚がな、あろうことか御玲をいかがわしい目で見てきてな」
「あー…………つまり始末しようとして、邪魔されたと。その邪魔してきた相手が、僕の監視の目を阻んだってことなのかな」
「多分。ソイツは巨大な黒い百足で、よく分からん霊力の霧を出して位置感覚を狂わせてきやがってよ。そこで出会ったのよ、アイツらに」
「まさか、北支部最強格?」
ため息をつきながら座椅子にもたれ、頭に両手を回して頷く。御玲が台所から出てきて、俺と久三男、パオングにジュースを出してきた。
「レク・ホーランとブルー・ペグランタン。前にブルー・ペグランタンが雑魚寝してる写真見たろ? その魔生物が、巨大黒百足だったってわけだ」
「へぇ……僕の監視を阻めるくらいってなると、結構強力な個体だね。そんなのを僕ら以外が使役できると思えないけど」
「実際強いぞ。アレは多分本気ださねぇと無理だな。煉旺焔星で霧ごと焼き尽くそうと思って、体に溜めてた霊力根こそぎほとんど持っていきやがったし」
久三男の眼鏡が怪しく光り、俺は俺で無意識に親指の爪を噛む。
あの黒百足、レク・ホーランから``むーさん``と呼ばれていたソイツは、そこらの魔生物とは一閃を画す圧倒的存在感と、俺の膨大な霊力のほとんどを吸収できる強力な霊力吸収能力を持っていた。
本能的にだが、戦わないほうが身のため。そう思わせてくれる威圧を感じた。おそらく相手を威圧することで、本能的に敵愾心を削いでいるんだろうが、霊圧を使わずにそんなことができるのが既におかしい。
俺でも似たようなことをできなくもないが、それはあくまで霊圧で威嚇したらの話だ。ただの存在感だけで相手を威圧し敵意を削ぐなんて器用な真似は、流石にできない。
「パァオング。巨大な黒百足、とな……?」
「ナニカ知ッテオラレルノカ? パオング殿」
「ふむ……少々似た者に縁があってな。まあ遥か昔の話であるし、今頃は地中奥深くで眠っておるはずなのだが」
俺と久三男の傍で、下瞼に隈がある真っ黒な瞳を下に向け、なにやら考え込むパオングと、バイザーが光り、興味深そうに首を傾げるヴァズ。
久三男と弥平に並び俺たちの中でもトップの大賢者たるパオングは、どこで仕入れたのか、あらゆる分野の知識に精通する最強の知恵袋である。特に魔法に関する知識は弥平や久三男を遥かに凌ぐが、当然それ以外の知識もめちゃくちゃ豊富だ。
そんな彼が、何か知っている素振りをしている。それを見逃す俺らじゃない。
「まあ待つがよい。まずは確認をとらねばならぬ。あくのだいまおうを呼び出そう」
パオングに深々と頭を下げ、バイザーが一瞬青く光る。
俺たち、外回り組と自宅警備組は、久三男が設定した独自の霊子通信ネットワークで精神を繋げており、心の中で念じるだけで通話ができる。当然話す相手を自在に指定でき、さらには通話する面子をグループ分けしたりもできる。
毎度思うが、久三男のこういうところはマジで有能すぎるくらい仕事が早く、そして正確だ。今回も、その霊子通信ネットワークを利用してパオングが自分の脳内からあくのだいまおうに連絡を取り合ったのだ。
エレベーターの鐘が鳴る。そこから出てきたのは全身黒色の執事服を着こなす、漆黒の紳士だった。
「お話は察しております。黒百足、ですね? ははは、懐かしい」
常闇でも纏っているんじゃないかと錯覚させる、暗黒の執事―――あくのだいまおうは、モノクルの位置を指先で調整しながら、悪魔のような笑みを浮かべる。
彼はとにかく、``闇``が似合う紳士だ。モノクルの位置を調整する仕草、心の奥底を決して読ませない、感情を一片も感じさせない純粋なまでの黒い瞳。そして白と黒が基調された執事服を着ているのに、白色の部分が全然目立たず黒が真っ先に目に入ってくる暗澹とした雰囲気。
いつ見ても彼―――あくのだいまおうは俺たちに底を見せることはない。彼が纏う闇は、覗くことすらできない深淵そのものだ。
「なんか、知ってるな?」
平然とした顔で彼と視線を交わしているが、内心動じていないフリをするのが精一杯だ。正直、心の奥底をその深い闇の瞳で見透かされているような気がして、あくのだいまおうの目を見ると不思議と寒気が背中をなぞる。
「知っている、という表現は正しくありません。私は等しく、知らないことがない。ただそれだけの存在です」
「なら教えろ……と言いたいところだが、やっぱ対価がいるんだよな……」
肩を竦めながら、煙草の煙をむなしく吐き散らす。
あくのだいまおうは何でも知っている。彼の言うように、純粋に知らないことがないのだ。
嘘だと思うかもしれない。俺も最初は、出会ったばかりの頃は眉唾物だと思っていた。でも、これはマジな話なのだ。
パオングが知恵袋なら、あくのだいまおうは預言者だ。文字通り、質問すれば何でも答えてくれるし、頼みごとをすれば完璧にこなしてくれる。そう。例えば未来、俺がどんな人生を歩むのか―――とかも。
だがパオングと違うところは、タダじゃないところだ。質問や頼み事は何でも答えてくれるし、完璧にこなしてくれる代わりに、それに相応しい対価を必ず要求する。
要求した対価を滞納した場合、どんなことが起こるかは俺にも分からない。今まで対価を滞納などしたことがないからだ。
でも、直感で分かる。滞納などしようもんなら、ロクなことが起きやしないと。あくのだいまおうのような手合いは、きちんとスジを通して付き合うべきだ。下手に抗えば、こっちが馬鹿を見る羽目になる。
「そうですね。今すぐ知りたいというのならば、それなりの情報料をいただくことになるでしょう」
「なら、いま知らなくてもいいこと……か?」
「貴方の判断に委ねます。私は、どちらでも」
そういうの丸投げっていうんだけど、あくのだいまおうにそれを言っても仕方ない。
教えてもらう立場の奴が教えてくれる立場の者にガタガタ文句を言うのは、スジ違いってやつである。少なくとも男らしい行動じゃないのは確かだ。
あくのだいまおうが「どちらでもいい」と言っている。だったら知れたら得こそすれ、現時点ではそこまで重要じゃない。と言っているようにも思える。そうなると無駄に対価を払ったことになってしまう。
あくのだいまおうに対価を払って何かをやってもらうのは、どうしようもないときの最終手段に取っておきたい。ここぞってときに使わないと、破産する未来が見えた。
でも聞いておいた方がこれからのためにはなる。未来の自分に投資しておくべきか。どうするべきか―――。
「あー……じゃあ今はいいや。必要になったらまた聞くことにするわ」
柄にもなく思考を巡らせたが、最後の決め手は己の直感に全てを委ねた。
「兄さん、本当にいいの?」
「敵ならともかく、敵でも味方でもねぇしな。なんなら同じ支部で働いてるから味方寄りだし。俺らから変にちょっかい出さなきゃ大丈夫だろ」
恐る恐る俺の顔色を窺う久三男に、俺は平然としたフリで返す。
確かに百足野郎は驚異の強さをしているが、俺たちに敵意があるわけじゃない。倒すべき敵ならいざ知らず、そうじゃない奴に必要以上の目くじらを立てる必要もないだろう。ただ北支部最強格ってだけで、これから絡むかどうかすら分からない関係だし。
「兄さんがそれでいいって言うなら、僕もそれでいいけど……」
「ならこの話は終わりだ。俺は宴が始まるまで寝させてもらうぜ……」
盛大に欠伸をしながら、再び座布団を枕代わりに横になる。
久三男の気持ちもわからなくもない。俺だってあの百足野郎の事は気にはなる。でも敵じゃないし、どっちかってーと味方寄りなら、そこまで深く気にしたくはなかった。誰が敵で誰が味方か。不安だからと一々調べていたら、息が詰まりそうだからだ。
裏切られるのは怖いし脅威だけど、俺には既に仲間がいる。今はそれで充分なのだ。
眠気が強くなり、意識が遠退く。意識が停滞していく中で、あくのだいまおうの「今日は宴ですか、私も偶には腕を振るいましょうかね」とか、パオングの「そなたが料理とは、おかしいほど似合わぬな」とかが聞こえてきたが、全ての意志が眠気を前に敗北する。俺の意識は、底の見えぬ闇の中に落ちた。
「澄男さま、できましたよ。起きてください」
「んん……んぁ」
どのくらい寝てただろうか。気がつけばテーブルには豪勢に料理が立ち並び、俺以外の全員が席についていた。いつ上がったのか、風呂上がりの弥平も席についている。
「いふはへ寝へんふか、ふぁはくはへまほうぜ!」
我先にとカエル総隊長以下、シャルやナージ、ミキティウスまでも席についていた。カエルに至っては、既にフライングしている始末である。
「まだいただきますしてないのに食べない!」
「ごくん、えー! いいじゃないすか、細かいこと言いっこなしっすよ」
「ダメ、黙って席に着く」
「ウィース……」
御玲に皿を取り上げられて、がま口を尖らせて不満な表情を浮かべる。カエルにつられてフライングし始めた連中も、もれなく御玲に皿を取り上げられてはブーイングをブチかましている。
俺が改めて上座に座り直し、全員が静かになる。何故か御玲が立ち上がり、全員の一通り見渡した。
別に決めていたわけじゃないのに御玲が幹事的な役割をこなしているが、気にするのはやめとこう。おそらく食事時はちゃんとしたい、それが御玲なのだ。
御玲の号令で全員が一斉に食事に手をつける。宴会が始まった。
各々まずは目の前の食事にありつく中、早速俺は明らかに風呂あがり感満載の袴姿をした弥平に振り向いた。
「よう、お勤めごくろうさん」
「澄男様こそ、任務請負人としての勤務、お疲れ様です」
「おう。まあ、一杯飲めや。つってもウチに酒はないがな」
「構いませんよ。ちなみに澄男様は、お酒は嗜まれないので?」
「うーん……ガキの頃、母さんに『酒も飲めねェ奴は漢じゃねェ!! 俺とっておきの霊酒を飲ませてやっからァ!! いまここで慣れとけやァ!!』とか言われて飲まされたのがトラウマでな……」
「霊酒、飲みすぎると酔いますものね」
「いや、俺は元から霊力のキャパがデカかったからどれだけ飲んでもシラフでいられるんだが、いかんせん味がクッソ苦くてな……苦すぎて食った飯全部リバースしちまって、それがトラウマになった……」
「あー……なるほど」
宴会はつつがなく進む。俺は一通り食べ終えて、少し食休みに洒落こもうと煙草を吹かす。そこまでしなくてもいいのにと思いながらも、気を利かせて弥平が火をつけてくれた。
「しかしアレだな、お前と一緒に任務受けられないの、残念だな……」
「お気持ちお察しいたしますが、こればかりは仕方ありません。私は任務請負官である以上、澄男様方が受ける任務を受注できませんからね……」
俺以上に残念な顔をしただけに、思わず「お、俺頑張るから!」と肩をたたいて元気づけておく。
任務請負機関には同じ請負人でも、``任務請負人``と``任務請負官``の二種類の区分がある。
請負官は請負人の上位職。支部で実績を積み、本部昇進試験ってのをパスすると成ることができるのだが、請負官になると請負人だった時代の難易度の任務を受けられなくなってしまう。
弥平は密偵の一環として俺たちが任務請負人になるずっと前から請負人としての身分を持っていた。さらには、既に本部昇進を果たしている。俺たちが本部昇進を果たすまで、別行動せざる得ない状況にあった。
その後も俺は弥平に三日間の任務請負機関での忙殺っぷりを、半ば愚痴っぽい感じで話す。お互い飲み明かしながら一通り話し終えると、話の切れ目を見計らい、弥平が真剣な表情で俺を見てきた。
「して、澄男様。巫市内偵の中間報告ですが」
「おう、聞かせろや」
はッ、と言って正座の足を組みなおす。無駄真っすぐ伸びた背筋が綺麗だなと能天気なことを考えていると、弥平が話を始めた。
弥平は、俺たちが任務請負人になった目的の一つ―――巫市との国交樹立を少しでも円滑に進めるために、間者として身分を偽り巫市へ潜入している。
バレればいろいろとマズいが、俺は隣の国のことなど何も知らない。情報を得るには久三男の人工衛星による監視とかも大事なのだが、実地による弥平の情報収集も頼りなのだ。
「つい二日前に起こった、妖精王襲撃事件。やはり相手はその名の通り、人外の存在だったようです」
「マジでか。隠語とかそんなんじゃなく?」
「はい。文字通りの妖精王。その者は``エルダン``と名乗り、少女の姿をしていたとか」
「マジかよ……」
「久三男様とも協力し、確実に裏を取りました。この情報に間違いはございません」
荒唐無稽な話に、思わず頭を抱える。
今日から四日くらい前、六月二十三日。俺たちが請負人に就職した日。あの日は色々とごたごたしていて俺たちは知らなかったのだが、巫市では妖精王襲撃事件なる大異変に見舞われていた。
その妖精王と名乗る存在による莫大な霊力の余波は武市にまで影響を与え、本来ならば人里に降りることのない魔生物たちを呼び覚ました。それが今回のスタンピートである。
当然、俺たち含め請負人たちは「妖精王って何?」って状態である。でもスタンピートが起こっているのは事実であり、それに対処しなければ人類の生息圏が脅かされてしまう。
心の中で疑問に思いながらも、目の前のスタンピートに対応しているのが今の状況だった。
俺も御玲も、何かしらの暗喩か何かだろうと思っていただけに、妖精王とかいうワケ分かんねえのが本当にいるって事実に驚きを隠せない。
「それともう一つ。妖精王エルダンなる脅威を退けたのは``天使``ではなく、たった一人の少女だそうです。その少女は妖精王にも劣らぬ強大な力を持ち、その姿は何者かに仕える巫女のようだったとか」
弥平の報告は続く。
``天使``ってのは、巫市の治安を守っている軍隊の事だ。武市で言うところの任務請負機関のような組織で、一人一人は弱いが集団戦術を得意とし、凄まじい物量で強大な敵も一網打尽にできる巫市の虎の子である。
その実力は武市の連中でも簡単には退けられないほど軍としての練度は高く、頭にトーラス状の魔法武器を装備して戦う姿も相まって、武市では``天使``と呼ばれるくらい一目置かれている存在なのだが―――妖精王は、それ以上に強大だった。
妖精王は大陸の外から突然やってきて巫市を攻撃。当然彼らとて抵抗したが、巫市の虎の子をもってしてなすすべなく、下手をすれば跡形もなく蹂躙されていたかもしれないほどに、その破滅的な強さで猛威を振るった。
だがその妖精王を鎮めたのが、どこからともなく現れた正体不明の少女。巫女装束を着こなし薙刀と梓弓を携えた少女が、たった一人で妖精王を迎え撃ち激戦の末に退けたのである。
これもまた荒唐無稽な話だ。妖精王はクソ強かったって言っているのに、たった一人の少女に退かされるってどういうことなんだろうか。強いのか弱いのか、イマイチわからない話である。普通に考えれば、デマを疑うレベルの矛盾だ。
「でも、この情報にも間違いはないと」
弥平はこくりと首を縦に振る。話を傍から聞いていた久三男もだ。
だとすると嘘一切なしの真実ってことである。弥平や久三男からの情報じゃなきゃ到底信じられない話だが、ここは真実だと呑み込むほかない。
そしてもう一つ挙げるなら、その妖精王襲撃事件はすでに解決した異変だってことである。つまり、いまなんとかするべきは結局のところ魔生物のスタンピート。
妖精王の霊力余波によって活発化した魔生物の侵攻を、抑えることである。
「しっかし、妖精王とかいうバケモンをタイマンで退ける少女ねぇ……そっちの方が気になるな……」
「申し訳ありません。その少女に関しては、まったく情報が辿れませんでした。足跡を探ろうとしたのですが、どうやら相手の潜伏能力の方が格段に高いようです……」
「マジでか? お前でも何一つ足跡を掴めてないってか? んじゃ久三男、お前は?」
「その、ごめん……妖精王襲撃事件の全貌に関しては裏が取れたんだけど、その少女? に関しては全然……妖精王を倒した後の足跡がなくてさ……まるで大勢の中に隙なく紛れ込まれた感じで……」
まさかの久三男もお手上げ宣言。奴の``個人を特定するキモい技術``をもってすれば、特定できない奴なんてそうはいないと思っていたのに、まさかの初っ端からお出ましとは想定外である。
「しかし巫女装束を着ていた……という情報はあります。おそらくですが、花筏の巫女ではないかと推測されますが……」
「いやいやいや……隣の国を蹂躙できたかもしれないバケモンだぜ? そんなのにタイマンで勝てる巫女とか、ありえんだろ……流石に」
別に負けず嫌いが発動したわけじゃない。単純に、そんなバケモンみたいな奴にタイマンで挑んで人間が勝てるのか、って話である。
花筏の巫女ってのは、俺ら流川とタメ張れる戦闘民族のことだ。
自慢じゃないが、流川家は世界で最強の戦闘民族である。大国が束になってかかっても、正直負ける気がしないってくらいには腕っ節に自信がある。
特に先代の当主である俺の母さんはバケモンだった。本当に人間なのか疑わしいぐらいに強かった。
日夜修行に励んでいたガキの頃、何度も模擬戦を挑んだことがあるが全戦全敗。俺がどれだけ辺りをぶっ壊そうが、焼き尽くそうが、母さんは平然としていた。ダメージすら与えられた試しがないのだ。
一万の軍隊や複数の大国を相手に戦争するよりも、流川家の先代当主を相手にする方がよっぽど地獄。それほど、流川家ってのは化け物揃いの戦闘民族なのだ。
本来ならば、誇りをもって並び立つ者などいない絶対強者と呼ばれたいところだが、現実はそう甘くはない。
その所以こそが、弥平が言っていた``花筏の巫女``である。
花筏の巫女、通称``花筏家``は流川家と同格の戦闘民族。分家派と同じく大陸北方に拠点を持つ彼女たちだが、彼女たちだってあくまで人間である。
確かに世界の最上位ともなれば、人外もいる。実際、俺の母さんはバケモン級の強さを持ち、とてもじゃないが人間がいくら束になっても敵う相手じゃない。戦車とか爆撃機とか、そういう兵器とか武器を使ったとしてもだ。
とはいえ、そんなのはごく少数。
そこらかしこにポンポンポンポンいるわけがない。仮にいたとしたら、この世界は既に天変地異か何かが起こって人類の半分が滅んでいてもおかしくないだろう。
妖精王は大陸の外からやってきた。言っちまえば宇宙怪獣的な存在であり、そんな人類の常識が適用できるかどうかも分かんねぇバケモン中のバケモンが、人間の少女に退けられるとは思えない。
たとえ流川家は世界最強とはいえ、それは人類の中での話だ。宇宙怪獣的存在に対抗できるかどうかなんて、流石に分からない部分がある。
「でも実際、その少女が妖精王なる大陸外生命体を撃退したのは事実なんですよね? 仮に花筏の巫女でない可能性があるとしても、マークしておくべきなのでは?」
デミグラスハンバーグを慎ましく食べながら、さっきまで黙って話を聞いていた御玲が、俺の思考に割って入る。
花筏家の者でなかったとしても、確かに脅威だ。ソイツも少女の姿をした正体不明のバケモンってことなんだから、ある意味宇宙怪獣的存在よりも怖いと言える。
正体を探る手段を何とか捻出しておいた方がいい気がした。
「花筏との同盟のこともあります。巫女装束を着た少女には、目を光らせておくことにいたします。久三男様、手伝ってくれますか?」
「僕も流川本家専属技工士としてのプライドってもんがあるからね。絶対なんとかしてみせるさ」
「ありがとうございます。もしかしたらですが、現在失踪中の花筏家当主かもしれないですし。だとしたら我々の目的の一つが達成する目処が立ちます。そして最終的には……」
「……``天災竜王``ゼヴルエーレをなんとかする、だな」
自分の心臓に手を当てた。
俺たちが任務請負機関に所属した目的。それは失踪中の花筏家当主を探し出し、俺とその当主が五分の盃を交わすこと。
もう一つは巫市との国交樹立。
それらには全て、些細なすれ違いで第二次武力統一大戦の到来を避けるためって名目があるが、その名目の裏には俺の心臓に宿る伝説の竜―――``天災竜王``ゼヴルエーレをなんとかすることにある。
俺はかつて、実の親父―――流川佳霖に人生をめちゃくちゃにされた。俺が唯一自力で作れた友だった木萩澪華を殺した黒幕であり、そのせいで一時期俺の心は真っ黒な闇に染まった。
親父は『完全なる人類社会の創造』などと嘯いて俺たちを利用し、世界を変える力を手に入れるために太古の竜を呼び覚ました。
その竜こそが、``天災竜王``ゼヴルエーレ。遥か太古の昔、大陸の覇権を手にした竜人の国を、滅亡寸前に追いやった伝説の竜である。
ソイツは当時の勇者隊によって討伐されたが、心臓のみの姿に成り果てて生き延び、その魂は完全に滅ぼすことができなかった。
竜人国が滅んだ後、気が遠くなるような長い長い時が流れ、ゼヴルエーレと親父は出会った。
その時の親父は、既に野望に燃えていた。完全なる人類社会の創造。そのための力を欲する、ただの力の亡者と化していた。
それに付け入ったのがゼヴルエーレだ。親父と契約を交わしたゼヴルエーレは、親父の手によって実の息子である俺の心臓に、その魂を移されたのだ。
そんなこんなで、俺は今ここにいる仲間たちの力を借りて親父に復讐を果たし、奴の野望を断ち切ることはできた。でも肝心のゼヴルエーレだけは、俺の中に残ってしまった。
俺が竜人化して身体能力のリミッターを外せるのも、どんなケガをしても致命傷を受けようと死ねないのも、そうやって人外に片足突っ込めているのも―――みんなみんな、ゼヴルエーレの影響なのだ。
だから、やろうと思えばゼヴルエーレが使っていたらしい、外道の法まで―――。
そこまで思い出して、俺は考えるのをやめた。
とにかく、今の俺たちだけじゃ伝説の竜を滅ぼせない。力では歴然とした差があり、戦えば犠牲は免れないものになる。
俺は仲間を失うわけにはいかない。たとえどんな理由があったとしても。だからこそ探すのだ。色んな奴と関わってなんとかできる策を練るために。
親父の復讐だって、今いる仲間の力で初めてなしえたことだ。俺一人じゃ何もできやしない。人の輪が広がれば、誰も犠牲にならない方法があるかもしれない。
クソ甘いこと言っているって、自分でも思う。でも俺は、このやり方でいく。もう誰も、失うわけにはいかないんだ。
「あ、そうだ兄さん!」
過去をほんの少し振り返り、改めて決意を固めていると、黙々と飯を食っていた久三男が、ここぞと言わんばかりに身を乗り出してくる。俺が弥平と話していたからタイミングを見計らっていたんだろう。何故か目が輝いていた。
「この前、霊子コンピュータが未完成って言ったじゃん?」
「……そうだっけ」
「今日ようやく完成してさ~。これでできることが以前の千倍は広がるよ~」
「……うん。すまん、霊子コンピュータって何だっけ」
「兄さん……まあ、そうだよね。兄さんが覚えてるわけないか……いいや、また説明するよ」
なんか久三男のテンションをへし折ってしまったようだが、機械系に関してはテレビの電源を付けたり消したりする以外何も知らない俺にとって、コンピュータなる最先端の機械は理解外の代物だ。説明されたのかもしれないが、記憶に全く残っていない。案の定、綺麗さっぱり忘れていた。
霊子コンピュータ。正式名称``霊電子式複合演算機``。簡単に言うと霊子マナリオンとかいう素粒子を使ったスーパーコンピュータで、それを使いこなせれば魔法が使えない奴でも大規模魔法を使用できたり、世界の法則に干渉したりと、異次元レベルの所業ができるようになるらしい。
正直説明されても俺にはよく分からなかったが、まあ要は超凄いことができるパソコンって理解でいいだろう。使うのは俺じゃないので、理解度はこの程度で十分だ。
久三男の話を要約すると、その超凄いスーパーコンピュータが、ようやく実用に足る性能に達した、って話である。
「これで僕は、新しい配下を創ろうと思うんだ」
「配下ぁ? なんで?」
「だって兄さんには御玲とか弥平とかいるじゃん。僕も側近的な存在が欲しい」
「あー……まあ分からなくもないけど、御玲たちは配下じゃないぞ? 対等な仲間だからな。名目上は上下関係があるってした方が外面的にやりやすいってだけの話だし」
「僕だって同じだよ。僕も僕なりの``仲間``が欲しいんだ」
おちゃらけたように言っているが、その声音は切実だった。
久三男の開発や発明に関する才能は、兄の俺ですら理解が追いつかない領域に達している。環境さえあれば、自分が創ろうと思ったものは確実に発明してのけてしまうくらい、久三男の発明力はクソみたく優れている。
久三男は当主じゃないけど、本家の血筋の者である。才能を持っているのなら尚更で、その才能は当然戦いに活かされる。
体力もなければ武器もロクに扱えない、戦場に立てばそこらへんの雑魚に一瞬で殺される程度のノロマな弟だが、その発明の才能を買われ、今や流川家の軍事力の中核を担うほどの最重要存在と化していた。
だからこそ、久三男は滅多なことじゃ外に出られない。もしも誰かに誘拐なんてされれば抵抗できないし、下手すればそれだけで久三男の技術が外に漏れかねない。
母さんはかつて、久三男を一般の私立学校の中等部に編入させるとかいう無茶苦茶をやっていたが、本来は絶対にやっちゃダメなのだ。久三男の身に何かがあれば、流川の沽券にかかわる大問題になってしまう。
今や流川の技術力は久三男の存在あってこそ成り立っている。滅多なことで外に出られないからこそ、友達を作る機会が全くないのだった。
「まあ、俺からは特に言うことはないぜ。お前はお前の好きなようにやってみろや」
煙草をふかしながら、クソ甘ミルクティーで喉を潤す。
冷たいと思われるかもしれないけど、俺からはマジでこれくらいしか言えることがない。仲間ってのは自分で引き入れるものであって、勝手に寄ってくるものじゃない。
俺だって弥平や御玲と知り合うのにきっかけが必要だったし、親密になるにはともに戦いを乗り越える必要があった。特に御玲とは俺が体を張りまくって、ようやく真の仲間だとお互いを認め合ったほどだ。
兄として、弟にも同じ経験をしてほしい。手前の仲間は手前で信じて、手前で引き入れる。それが現当主の俺が思う、道理ってやつである。
「ありがとう兄さん。僕、頑張るよ」
照れながら、朗らかに笑う。その顔を見て、思わずほっこりした気分になった。
何を頑張るのかは分からないが、研究するか開発するかゲームするかマンガ読むかアニメ見るかしかしなかった弟が、仲間を自分で創りたいと思うようになったのは、弟の成長を感じて微笑ましい。俺は兄として、温かい目で見守ることにしよう。
「パァオング。久三男殿もハーレムが所望か? ハーレムは良いぞ?」
ワインを飲んでいたパオングが、久三男の席までにゅるりと近づく。赤面しながら首を振るが、ワイングラスにワインを足してスルッと喉へ流すと、ジトっとした暗黒の瞳で、久三男の瞳をまじまじと覗き込んだ。
悪の道に誘い込む悪魔のような声音で、久三男に寄り添う。
「女とは格別である。男の苦悩を癒し、ときに凄まじい活力を与えてくれる存在。それは、あらゆる娯楽に勝る至上の悦び。そなたも伴侶を持てば分かる至福ぞ?」
「いやー……僕は、その……でも、そ、そうだなぁ。霊子コンピュータで仲間を創るのなら、例えばドチャクソ美人で背の高い、包容力と庇護欲が駆り立てられる女型アンドロイドとか……いいかも……」
「うわぁ……」
「久三男さん……あの、それ以上は……聞いてて居た堪れなく……」
ずっと無言でカレーを食っていたナージと、手あたり次第にテーブルにある料理をドカ食いしていたカエルが、久三男を見るなりゴミでも見るような目で距離を取りはじめる。久三男は勢い良く立ち上がった。
「う、うるさいな!! 分かってるよ!! ちょっと自分でも気持ち悪いなって思っちゃったよ!! でも創れるかもしれないんだよ!? 夢見たっていいじゃん!! 構想くらい練ってもいいじゃん!!」
「いつも思うがなんでそんな必死なんだよ。便器にこびりついた下痢便かお前」
「表現汚いな!! なにそれ、僕がしつこいって言いたいの!?」
「さっきからそう言ってんだが?」
「安心してください!! ボクなら久三男さんのしつこさキモさ満点の、陰キャ引きこもりクソ童貞でも、全部受け止められますから!!」
「シャル……ごめん。そのフォロー、全然嬉しくないよ……むしろズタズタに引き裂かれたよ……」
「久三男さんに差し上げます。このパンツを!! そして頭に被れば女運の上昇が!!」
「見込めないよ!! それどこから持ってきたの!? 女物の下着だよね!? ま、まさか……!!」
シャルが全裸になって久三男にダイブし、ミキティウスがどこからか女物の下着を出して久三男の頭にかぶせようとする。ぬいぐるみどもにおもちゃにされる愚弟を眺めながら、面白さ半分、嬉しさ半分で煙草を蒸した。
口から吸い込む煙が、いつになく美味い。俺以外誰とも話そうとしなかった久三男が、俺以外にノリツッコミをしている図ってのは初めてだ。
今気づいたが、なんだかんだで久三男はぬいぐるみたちと気が合うらしい。最近はパオングやあくのだいまおうとなにやらやっているらしいし、充実していると見ていいだろう。
日頃扱いは酷いが、やはり実の弟が愛されているところを見るのも兄として微笑ましい。おもちゃにされているのが面白いってことも加えて、二重の意味で。
「あなたたち……?」
微笑ましさから湧き上がる暖かさから一変。背後から、万物を凍てつかせるような、凄まじくもひどく冷たい殺気が突き刺さる。
思わず体が反応し、素早く臨戦態勢で振り返ると白いエプロンとゴム手袋とマスクと防護メガネを着用し、両手になにかしらのスプレーを手に持った御玲が、ひどく冷酷な、澱んだ瞳でミキティウスを見つめていた。
「その下着、どこから?」
「はい。御玲さんの部屋の箪笥の二番目の棚にある三十五番目のパ」
「ミキティィィィィ!!」
「よ、容赦ねぇ……!!」
「ミキティウスが、一瞬で氷漬けに……」
畳、テーブルごとミキティウスを氷の像に変える。怯えるぬいぐるみどもと、微動だにせず、静止する俺と久三男。口に出してはならない、なんか変なこと言ったら殺す。そんな冷たい空気がリビングを支配する。
御玲はミキティウスのことなど捨ておき、今度はテーブルの上であぐらをかくナージに目を向けた。
「あなたは早くトイレに行きなさい邪魔です」
「なんで? 別にウンコしてねぇけど?」
「テーブルについてますよね。あなたの糞が」
「これは、その、アレだよ。マーキングみたいな」
「分かりました。ならいっそのこと下水に」
「ぐぇ!? 待て話し合おう。俺たちには和解の余地がある」
「いえ、ないですね」
「即答だと!? よし分かった。今ここにメイドと俺の間に、永世ウンコ条約を締結し、清く正しい糞との共和を……」
「澄男さま。この熊のぬいぐるみを持って一緒に掃除してくれたら、私の下着の件は見なかったことにしてあげます」
「いや、俺は関係な」
「はい、どうぞ」
拒否権などない。そんなことは御玲の澱んだ青い瞳を見れば明らかだ。
内臓がぎゅるぎゅると呻く。お互いの腹を割り合ったあのときのトラウマを、そこそこの刺激で突いてくるこの感じ。完全に逆手に取られてしまっている。本来なら俺がやりたかった技なのに。
「久三男さまもですよ。見ましたよね、私の下着」
「いやぼ」
「お願いしますねー?」
拒否する暇を一切与えず、強制的に仕事を割り振っていく。
これはもう、やるしかない。何が嬉しくて、ぬいぐるみがつけた糞の掃除と、テーブルの消毒をしなければならないのだろうか。それもこれも、ミキティウスのせいだ。そういうことにしておこう。
弥平の久方ぶりの帰還を祝うパーティから一変。気がつけば御玲主導の下、リビングの掃除をさせられる始末となった。
パーティを改めて再開できたのは、なんだかんだやって二時間後のことだった。
今日は例になく面倒ごとがあったので疲れた。帰ってくるや否や畳敷きのリビングに盛大に寝転がり、御玲が夕食を完成させるのを待つ。
やることもないし、とりあえず飯ができるまで一眠りするかと思ったそのとき、エレベーターの鐘が鳴った。
他の家はどうか知らないが、俺の家のリビングには地下へ繋がるエレベーターがリビングにどかんと置いてある。俺はあまり使わないのだが、俺とは別によく使う住人が一人いる。
「兄さん、おかりー」
エレベーターから現れたのは、白衣を身にまとう十五歳ぐらいの少年。眼鏡が似合う、明らかに引きこもりのニートって感じの寝癖だらけな髪型が特徴の我が弟―――流川久三男である。
「ぇーい、ただまー」
さっき寝転がったばかりで頭を起こすのもダルいので、手だけ振っておくことにする。
御玲や俺、そしてぬいぐるみどもが外に出ている間、弟の久三男は自宅管理をさせている。
俗に言う自宅警備員ってやつだが、コイツの場合ただのニートってわけではなく、割と真面目に警備員としての役割を果たしている。
コイツが引きこもりでニートな感じなのは、流川家の血を引いているくせして戦闘能力が皆無だからである。基礎体力も見てくれ通りザコなので、前に出すと何の役にも立たないノロマなのだ。
フィジカルだけでなく、どんな武器もロクに使えない始末である。ホント手に負えないクソザコなんだが、逆に引きこもらせておけば、一瞬にしてクッソ心強い存在へと化ける不思議な奴となる。
まず俺らの領地である流川本家領は無駄に広い。家長である俺ですら、どれだけの広さなのか把握し切れてないくらいの規模であり、転移で移動するか、全速力で走り回るとかでもしない限り、隅々まで見て回ることはできない。
しかし久三男はそんなことをしなくても、この広大な流川本家領を見通すことができてしまう。
久三男が得意とするのは、機械弄りと発明、研究、醸造、製造、そんで魔生物軍指揮である。
流川家によって人工的に造られた、野生のとは違う``直属魔生物``を操り、流川本家領を監視させることができるのだ。
本家領は基本的に九割以上が自然溢れる庭であり、木々と山々が無限に生い茂る森である。つい最近色々あって一部が荒地になったりしているのだが、そこらへんの整備も、その魔生物たちが植林して元に戻してくれるらしく、すでに復旧作業が進んでいる。
流川本家領は九割が奥深い森林や山脈、そして俺たちが住む流川本家邸新館は、それらの最深部にある。その領土全てが久三男配下の直属魔生物の生息圏となっていて、仮に侵入者が現れたとしたら、まずその生息圏を踏み越えていかなければならない。
森や山々はとにかく馬鹿みたいに広大だ。俺や母さんみたいな身体能力が人外と化しているような奴ならともかく、人間の中で強い程度の奴では、まず餓死する。
小さい頃、修行の一環で母さんに本家領一周してこいと言われて実際にやったことがあるが、日々鍛えていたこの俺ですら三ヶ月以上かかった挙句、最後は歩くことすらままならず餓死寸前に追いやられたことがあった。
自慢じゃないが、当時の俺でも身体能力だけなら、母さんに毎日扱かれていたせいで既に人間最強レベル以上だった。その身体能力をもってして三ヶ月以上、なおかつ全速力で走り回って餓死寸前という有様だ。休んだり飯食ったりしていたら、確実に半年はかかっていたと思う。
当然、車とかそういう乗り物系は論外。まず木々が邪魔で進めないし、燃料なんてどれだけあっても足りはしないだろう。
それくらい広いのだ。踏破しようものなら、音速かそれ以上の速さで一直線に走り抜けるぐらいしか方法はない。そんなバケモノ地味た真似は身体能力を霊力で人外レベルに強化して初めて成せるから、まず身体能力が人間の限界に達してないような奴は、肉体的な意味で踏破不可能ということになる。
だったらこの時点で誰も踏破とか無理だし万全だな、と思うだろう。だが本家領の恐ろしいところはここからだ。
さっきも言ったように本家領には久三男配下の魔生物が生息している。ソイツらは本家領の環境保全も行うが、同時に侵入者の迎撃も普通にやってくる。
密偵も兼ねている俺の執事から聞いたが、本家領上空は久三男が開発した警備用ドローン―――ストリンパトロールとかいうラジコン飛行機みたいなのが上空から本家領を監視していて、侵入者を感知すると周辺の魔生物を侵入者に敵対させる信号だかなんだかを送り込み、侵入者を袋叩きにするのだ。
無限に広がってんじゃねぇのかってくらい広い森の中を気力、体力を削って歩いていたら、殺意に満ちた魑魅魍魎に血祭りにされるといった寸法である。
久三男や、その執事から聞いて最近知った本家領の警備事情だが、我ながら恐ろしい警備網である。大概の奴らだと俺たちの住む本家邸まで辿り着けぬまま直属魔生物に虐殺されるか、ただ単に遭難して餓死するかの二択だ。慈悲の欠片もない。
このように先が見えないくらいの深く広大な森や山脈が侵攻を阻み、さらに久三男配下の魔生物や警備用の機械などが無限に湧いてくるという地獄。そしてそれらをまとめあげて管理している久三男。
前に出すと役に立たないが引きこもらせておけば心強い、の言葉の意味がこれで分かったと思う。
結構強い程度の人間だとすぐ死ぬのがオチだし、これ以上の警備強化はいらんのではって感じだが、念には念を入れておくというのが家長の務め。最終防衛ラインとして、久三男と家を守る守り神はきちんと配置している。
「オカエリナサイマセ、澄男様」
「パァオング! お勤め、ごくろうである」
紫色の髪の毛、顔の半分を覆う巨大なバイザー、そして見る限り矢鱈堅そうな黄緑色の胴体装甲を持つ機械みたいな大男―――カオティック・ヴァズRev.Ⅱと金色の王冠を頭に載せ、細長い鼻を唸らせる、これまた二頭身の象のぬいぐるみ―――パオングが、久三男とともにエレベーターから顔を出す。
コイツらこそが、本家領の最終防衛ラインとなる連中である。
俺が知る中でトップの戦闘能力を持つコイツらなら、母さんや俺の執事の親父みたいな、先代当主の怪物でもない限り敵じゃない。ちょっとした人外が攻めてきても、問題なく対処してくれるだろう。
このように俺の自宅の警備は、久三男を筆頭とする自宅警備員組によって磐石なものとなっている。だからこそ外回り組の俺らは、家のことを気にせず仕事に集中できるってわけなのだ。
「そうだ兄さん、弥平帰ってきてるよ。いまお風呂入ってる」
「おー。なら今日はパーっと宴会にしようぜ。御玲、いい感じの頼むわ」
「もうやってますー! しばらく待っててくださーい!」
うぃーす、とテキトーに返事をしつつ惰眠をむさぼろうと座布団を枕代わりに目をつむる。
弥平ってのは、俺のもう一人の側近。密偵も兼ねている俺の専属執事である。フルネームは流川弥平。
俺の家系たる流川家は、本家派と分家派に分かれている。俺と弟の久三男は本家の血筋なのだが、弥平は分家の血筋なのだ。ここまで言えば大体察しがつくと思うが、俺が本家派の当主なら、弥平は分家派の当主ってわけである。
本家派の領土はヒューマノリア大陸の南方、武市よりも南に広大な領地をもつが、分家派は俺たちが住む本家領から遥か北方に拠点を持つ。
久三男とか俺ら、もしくは弥平本人が入手した情報を精査したり整理したり、はたまた何かしらに利用する諜報活動や、来るべき戦いのために技を磨いたりと、面倒ごとや凝った事を主に請け負う者―――それが流川分家派である。
そう言ってしまうと俺ら本家の者たちとかただの力自慢なのでは、と思ってしまうが、実質的には本家派当主たる俺の影。御玲が専属のメイドならば、彼の役職は専属の執事になるのだが、実務的には隠密がほとんどである。
有事以外は流川家随一の隠密として日夜諜報活動に励んでいるから、俺たちと過ごせる時間はそんなにない。俺の自宅にして本家派の総本山―――流川本家邸新館に顔を出すことも、最近はほとんどないくらいだ。
だからこそ、偶に帰ってくるときぐらいはパーっと盛大に持て成してやりたいのである。
弥平の風呂と御玲の料理ができるまで、おそらくまだ一時間以上はかかる。その間に仮眠でもとって少しでも疲れをとるとするか。
「兄さん、今日なんかトラブってたっぽい? 昼間、兄さんたちの位置見失ったんだけど」
久三男がテーブルを境に俺の向かい側に座りながら、ゲーム機の電源を入れた。俺は溜息を吐きつつ、気怠く身を起こす。
「ああ……ちょっとな。お前、俺らを監視してるんだから事情知ってんだろ?」
「大体は把握してるけど、兄さんたちの位置を一瞬見失ったあたりは把握できてないよ」
「あー……そうか。正直話すの面倒くせぇし、今そんな気分じゃねぇんだけど……後回しにすると後手に回りそうだし、しゃーねぇな……」
懐からタバコを一本取りだし、カートンをテーブルに投げる。指先で荒く火をつけると、煙を下に向かって吐き散らした。
久三男は自宅管理の傍ら、何かあったときようにすぐサポーターとして機能できるよう、俺らをリアルタイムで監視させている。
コイツは状況に応じて大陸上空に無数に点在してるらしい、人工衛星を通じて特定の個人を自在に監視したり、世界情勢の把握や、個人、団体の特定などを行える。コイツが物探し人探しが得意なのは、これが所以なのだ。同時にキモいと揶揄されるのも、同じ理由だったりする。
「任務中、ちと気に食わねぇ奴らと鉢合わせになっちっまってよ……」
とりあえず御玲を辱めようとした雑魚請負人に出会うまでの経緯を、テキトーにかいつまんで話した。粗方話し終えると、何故だかゲーム機をピコピコ操りながら、ジト目でジーっとこっちを見てきた。
「アイツらから喧嘩ふっかけてきたんだよ。俺らが先に見つけた獲物だから実績よこせだの、意味わかんねぇことベラベラ言ってくっからさ」
「ふーん……でも兄さんの機嫌の悪さを見るに、それが本題じゃなさそうだよね」
「察しがいいじゃねぇか。まあそんなとるにたらねぇ雑魚がな、あろうことか御玲をいかがわしい目で見てきてな」
「あー…………つまり始末しようとして、邪魔されたと。その邪魔してきた相手が、僕の監視の目を阻んだってことなのかな」
「多分。ソイツは巨大な黒い百足で、よく分からん霊力の霧を出して位置感覚を狂わせてきやがってよ。そこで出会ったのよ、アイツらに」
「まさか、北支部最強格?」
ため息をつきながら座椅子にもたれ、頭に両手を回して頷く。御玲が台所から出てきて、俺と久三男、パオングにジュースを出してきた。
「レク・ホーランとブルー・ペグランタン。前にブルー・ペグランタンが雑魚寝してる写真見たろ? その魔生物が、巨大黒百足だったってわけだ」
「へぇ……僕の監視を阻めるくらいってなると、結構強力な個体だね。そんなのを僕ら以外が使役できると思えないけど」
「実際強いぞ。アレは多分本気ださねぇと無理だな。煉旺焔星で霧ごと焼き尽くそうと思って、体に溜めてた霊力根こそぎほとんど持っていきやがったし」
久三男の眼鏡が怪しく光り、俺は俺で無意識に親指の爪を噛む。
あの黒百足、レク・ホーランから``むーさん``と呼ばれていたソイツは、そこらの魔生物とは一閃を画す圧倒的存在感と、俺の膨大な霊力のほとんどを吸収できる強力な霊力吸収能力を持っていた。
本能的にだが、戦わないほうが身のため。そう思わせてくれる威圧を感じた。おそらく相手を威圧することで、本能的に敵愾心を削いでいるんだろうが、霊圧を使わずにそんなことができるのが既におかしい。
俺でも似たようなことをできなくもないが、それはあくまで霊圧で威嚇したらの話だ。ただの存在感だけで相手を威圧し敵意を削ぐなんて器用な真似は、流石にできない。
「パァオング。巨大な黒百足、とな……?」
「ナニカ知ッテオラレルノカ? パオング殿」
「ふむ……少々似た者に縁があってな。まあ遥か昔の話であるし、今頃は地中奥深くで眠っておるはずなのだが」
俺と久三男の傍で、下瞼に隈がある真っ黒な瞳を下に向け、なにやら考え込むパオングと、バイザーが光り、興味深そうに首を傾げるヴァズ。
久三男と弥平に並び俺たちの中でもトップの大賢者たるパオングは、どこで仕入れたのか、あらゆる分野の知識に精通する最強の知恵袋である。特に魔法に関する知識は弥平や久三男を遥かに凌ぐが、当然それ以外の知識もめちゃくちゃ豊富だ。
そんな彼が、何か知っている素振りをしている。それを見逃す俺らじゃない。
「まあ待つがよい。まずは確認をとらねばならぬ。あくのだいまおうを呼び出そう」
パオングに深々と頭を下げ、バイザーが一瞬青く光る。
俺たち、外回り組と自宅警備組は、久三男が設定した独自の霊子通信ネットワークで精神を繋げており、心の中で念じるだけで通話ができる。当然話す相手を自在に指定でき、さらには通話する面子をグループ分けしたりもできる。
毎度思うが、久三男のこういうところはマジで有能すぎるくらい仕事が早く、そして正確だ。今回も、その霊子通信ネットワークを利用してパオングが自分の脳内からあくのだいまおうに連絡を取り合ったのだ。
エレベーターの鐘が鳴る。そこから出てきたのは全身黒色の執事服を着こなす、漆黒の紳士だった。
「お話は察しております。黒百足、ですね? ははは、懐かしい」
常闇でも纏っているんじゃないかと錯覚させる、暗黒の執事―――あくのだいまおうは、モノクルの位置を指先で調整しながら、悪魔のような笑みを浮かべる。
彼はとにかく、``闇``が似合う紳士だ。モノクルの位置を調整する仕草、心の奥底を決して読ませない、感情を一片も感じさせない純粋なまでの黒い瞳。そして白と黒が基調された執事服を着ているのに、白色の部分が全然目立たず黒が真っ先に目に入ってくる暗澹とした雰囲気。
いつ見ても彼―――あくのだいまおうは俺たちに底を見せることはない。彼が纏う闇は、覗くことすらできない深淵そのものだ。
「なんか、知ってるな?」
平然とした顔で彼と視線を交わしているが、内心動じていないフリをするのが精一杯だ。正直、心の奥底をその深い闇の瞳で見透かされているような気がして、あくのだいまおうの目を見ると不思議と寒気が背中をなぞる。
「知っている、という表現は正しくありません。私は等しく、知らないことがない。ただそれだけの存在です」
「なら教えろ……と言いたいところだが、やっぱ対価がいるんだよな……」
肩を竦めながら、煙草の煙をむなしく吐き散らす。
あくのだいまおうは何でも知っている。彼の言うように、純粋に知らないことがないのだ。
嘘だと思うかもしれない。俺も最初は、出会ったばかりの頃は眉唾物だと思っていた。でも、これはマジな話なのだ。
パオングが知恵袋なら、あくのだいまおうは預言者だ。文字通り、質問すれば何でも答えてくれるし、頼みごとをすれば完璧にこなしてくれる。そう。例えば未来、俺がどんな人生を歩むのか―――とかも。
だがパオングと違うところは、タダじゃないところだ。質問や頼み事は何でも答えてくれるし、完璧にこなしてくれる代わりに、それに相応しい対価を必ず要求する。
要求した対価を滞納した場合、どんなことが起こるかは俺にも分からない。今まで対価を滞納などしたことがないからだ。
でも、直感で分かる。滞納などしようもんなら、ロクなことが起きやしないと。あくのだいまおうのような手合いは、きちんとスジを通して付き合うべきだ。下手に抗えば、こっちが馬鹿を見る羽目になる。
「そうですね。今すぐ知りたいというのならば、それなりの情報料をいただくことになるでしょう」
「なら、いま知らなくてもいいこと……か?」
「貴方の判断に委ねます。私は、どちらでも」
そういうの丸投げっていうんだけど、あくのだいまおうにそれを言っても仕方ない。
教えてもらう立場の奴が教えてくれる立場の者にガタガタ文句を言うのは、スジ違いってやつである。少なくとも男らしい行動じゃないのは確かだ。
あくのだいまおうが「どちらでもいい」と言っている。だったら知れたら得こそすれ、現時点ではそこまで重要じゃない。と言っているようにも思える。そうなると無駄に対価を払ったことになってしまう。
あくのだいまおうに対価を払って何かをやってもらうのは、どうしようもないときの最終手段に取っておきたい。ここぞってときに使わないと、破産する未来が見えた。
でも聞いておいた方がこれからのためにはなる。未来の自分に投資しておくべきか。どうするべきか―――。
「あー……じゃあ今はいいや。必要になったらまた聞くことにするわ」
柄にもなく思考を巡らせたが、最後の決め手は己の直感に全てを委ねた。
「兄さん、本当にいいの?」
「敵ならともかく、敵でも味方でもねぇしな。なんなら同じ支部で働いてるから味方寄りだし。俺らから変にちょっかい出さなきゃ大丈夫だろ」
恐る恐る俺の顔色を窺う久三男に、俺は平然としたフリで返す。
確かに百足野郎は驚異の強さをしているが、俺たちに敵意があるわけじゃない。倒すべき敵ならいざ知らず、そうじゃない奴に必要以上の目くじらを立てる必要もないだろう。ただ北支部最強格ってだけで、これから絡むかどうかすら分からない関係だし。
「兄さんがそれでいいって言うなら、僕もそれでいいけど……」
「ならこの話は終わりだ。俺は宴が始まるまで寝させてもらうぜ……」
盛大に欠伸をしながら、再び座布団を枕代わりに横になる。
久三男の気持ちもわからなくもない。俺だってあの百足野郎の事は気にはなる。でも敵じゃないし、どっちかってーと味方寄りなら、そこまで深く気にしたくはなかった。誰が敵で誰が味方か。不安だからと一々調べていたら、息が詰まりそうだからだ。
裏切られるのは怖いし脅威だけど、俺には既に仲間がいる。今はそれで充分なのだ。
眠気が強くなり、意識が遠退く。意識が停滞していく中で、あくのだいまおうの「今日は宴ですか、私も偶には腕を振るいましょうかね」とか、パオングの「そなたが料理とは、おかしいほど似合わぬな」とかが聞こえてきたが、全ての意志が眠気を前に敗北する。俺の意識は、底の見えぬ闇の中に落ちた。
「澄男さま、できましたよ。起きてください」
「んん……んぁ」
どのくらい寝てただろうか。気がつけばテーブルには豪勢に料理が立ち並び、俺以外の全員が席についていた。いつ上がったのか、風呂上がりの弥平も席についている。
「いふはへ寝へんふか、ふぁはくはへまほうぜ!」
我先にとカエル総隊長以下、シャルやナージ、ミキティウスまでも席についていた。カエルに至っては、既にフライングしている始末である。
「まだいただきますしてないのに食べない!」
「ごくん、えー! いいじゃないすか、細かいこと言いっこなしっすよ」
「ダメ、黙って席に着く」
「ウィース……」
御玲に皿を取り上げられて、がま口を尖らせて不満な表情を浮かべる。カエルにつられてフライングし始めた連中も、もれなく御玲に皿を取り上げられてはブーイングをブチかましている。
俺が改めて上座に座り直し、全員が静かになる。何故か御玲が立ち上がり、全員の一通り見渡した。
別に決めていたわけじゃないのに御玲が幹事的な役割をこなしているが、気にするのはやめとこう。おそらく食事時はちゃんとしたい、それが御玲なのだ。
御玲の号令で全員が一斉に食事に手をつける。宴会が始まった。
各々まずは目の前の食事にありつく中、早速俺は明らかに風呂あがり感満載の袴姿をした弥平に振り向いた。
「よう、お勤めごくろうさん」
「澄男様こそ、任務請負人としての勤務、お疲れ様です」
「おう。まあ、一杯飲めや。つってもウチに酒はないがな」
「構いませんよ。ちなみに澄男様は、お酒は嗜まれないので?」
「うーん……ガキの頃、母さんに『酒も飲めねェ奴は漢じゃねェ!! 俺とっておきの霊酒を飲ませてやっからァ!! いまここで慣れとけやァ!!』とか言われて飲まされたのがトラウマでな……」
「霊酒、飲みすぎると酔いますものね」
「いや、俺は元から霊力のキャパがデカかったからどれだけ飲んでもシラフでいられるんだが、いかんせん味がクッソ苦くてな……苦すぎて食った飯全部リバースしちまって、それがトラウマになった……」
「あー……なるほど」
宴会はつつがなく進む。俺は一通り食べ終えて、少し食休みに洒落こもうと煙草を吹かす。そこまでしなくてもいいのにと思いながらも、気を利かせて弥平が火をつけてくれた。
「しかしアレだな、お前と一緒に任務受けられないの、残念だな……」
「お気持ちお察しいたしますが、こればかりは仕方ありません。私は任務請負官である以上、澄男様方が受ける任務を受注できませんからね……」
俺以上に残念な顔をしただけに、思わず「お、俺頑張るから!」と肩をたたいて元気づけておく。
任務請負機関には同じ請負人でも、``任務請負人``と``任務請負官``の二種類の区分がある。
請負官は請負人の上位職。支部で実績を積み、本部昇進試験ってのをパスすると成ることができるのだが、請負官になると請負人だった時代の難易度の任務を受けられなくなってしまう。
弥平は密偵の一環として俺たちが任務請負人になるずっと前から請負人としての身分を持っていた。さらには、既に本部昇進を果たしている。俺たちが本部昇進を果たすまで、別行動せざる得ない状況にあった。
その後も俺は弥平に三日間の任務請負機関での忙殺っぷりを、半ば愚痴っぽい感じで話す。お互い飲み明かしながら一通り話し終えると、話の切れ目を見計らい、弥平が真剣な表情で俺を見てきた。
「して、澄男様。巫市内偵の中間報告ですが」
「おう、聞かせろや」
はッ、と言って正座の足を組みなおす。無駄真っすぐ伸びた背筋が綺麗だなと能天気なことを考えていると、弥平が話を始めた。
弥平は、俺たちが任務請負人になった目的の一つ―――巫市との国交樹立を少しでも円滑に進めるために、間者として身分を偽り巫市へ潜入している。
バレればいろいろとマズいが、俺は隣の国のことなど何も知らない。情報を得るには久三男の人工衛星による監視とかも大事なのだが、実地による弥平の情報収集も頼りなのだ。
「つい二日前に起こった、妖精王襲撃事件。やはり相手はその名の通り、人外の存在だったようです」
「マジでか。隠語とかそんなんじゃなく?」
「はい。文字通りの妖精王。その者は``エルダン``と名乗り、少女の姿をしていたとか」
「マジかよ……」
「久三男様とも協力し、確実に裏を取りました。この情報に間違いはございません」
荒唐無稽な話に、思わず頭を抱える。
今日から四日くらい前、六月二十三日。俺たちが請負人に就職した日。あの日は色々とごたごたしていて俺たちは知らなかったのだが、巫市では妖精王襲撃事件なる大異変に見舞われていた。
その妖精王と名乗る存在による莫大な霊力の余波は武市にまで影響を与え、本来ならば人里に降りることのない魔生物たちを呼び覚ました。それが今回のスタンピートである。
当然、俺たち含め請負人たちは「妖精王って何?」って状態である。でもスタンピートが起こっているのは事実であり、それに対処しなければ人類の生息圏が脅かされてしまう。
心の中で疑問に思いながらも、目の前のスタンピートに対応しているのが今の状況だった。
俺も御玲も、何かしらの暗喩か何かだろうと思っていただけに、妖精王とかいうワケ分かんねえのが本当にいるって事実に驚きを隠せない。
「それともう一つ。妖精王エルダンなる脅威を退けたのは``天使``ではなく、たった一人の少女だそうです。その少女は妖精王にも劣らぬ強大な力を持ち、その姿は何者かに仕える巫女のようだったとか」
弥平の報告は続く。
``天使``ってのは、巫市の治安を守っている軍隊の事だ。武市で言うところの任務請負機関のような組織で、一人一人は弱いが集団戦術を得意とし、凄まじい物量で強大な敵も一網打尽にできる巫市の虎の子である。
その実力は武市の連中でも簡単には退けられないほど軍としての練度は高く、頭にトーラス状の魔法武器を装備して戦う姿も相まって、武市では``天使``と呼ばれるくらい一目置かれている存在なのだが―――妖精王は、それ以上に強大だった。
妖精王は大陸の外から突然やってきて巫市を攻撃。当然彼らとて抵抗したが、巫市の虎の子をもってしてなすすべなく、下手をすれば跡形もなく蹂躙されていたかもしれないほどに、その破滅的な強さで猛威を振るった。
だがその妖精王を鎮めたのが、どこからともなく現れた正体不明の少女。巫女装束を着こなし薙刀と梓弓を携えた少女が、たった一人で妖精王を迎え撃ち激戦の末に退けたのである。
これもまた荒唐無稽な話だ。妖精王はクソ強かったって言っているのに、たった一人の少女に退かされるってどういうことなんだろうか。強いのか弱いのか、イマイチわからない話である。普通に考えれば、デマを疑うレベルの矛盾だ。
「でも、この情報にも間違いはないと」
弥平はこくりと首を縦に振る。話を傍から聞いていた久三男もだ。
だとすると嘘一切なしの真実ってことである。弥平や久三男からの情報じゃなきゃ到底信じられない話だが、ここは真実だと呑み込むほかない。
そしてもう一つ挙げるなら、その妖精王襲撃事件はすでに解決した異変だってことである。つまり、いまなんとかするべきは結局のところ魔生物のスタンピート。
妖精王の霊力余波によって活発化した魔生物の侵攻を、抑えることである。
「しっかし、妖精王とかいうバケモンをタイマンで退ける少女ねぇ……そっちの方が気になるな……」
「申し訳ありません。その少女に関しては、まったく情報が辿れませんでした。足跡を探ろうとしたのですが、どうやら相手の潜伏能力の方が格段に高いようです……」
「マジでか? お前でも何一つ足跡を掴めてないってか? んじゃ久三男、お前は?」
「その、ごめん……妖精王襲撃事件の全貌に関しては裏が取れたんだけど、その少女? に関しては全然……妖精王を倒した後の足跡がなくてさ……まるで大勢の中に隙なく紛れ込まれた感じで……」
まさかの久三男もお手上げ宣言。奴の``個人を特定するキモい技術``をもってすれば、特定できない奴なんてそうはいないと思っていたのに、まさかの初っ端からお出ましとは想定外である。
「しかし巫女装束を着ていた……という情報はあります。おそらくですが、花筏の巫女ではないかと推測されますが……」
「いやいやいや……隣の国を蹂躙できたかもしれないバケモンだぜ? そんなのにタイマンで勝てる巫女とか、ありえんだろ……流石に」
別に負けず嫌いが発動したわけじゃない。単純に、そんなバケモンみたいな奴にタイマンで挑んで人間が勝てるのか、って話である。
花筏の巫女ってのは、俺ら流川とタメ張れる戦闘民族のことだ。
自慢じゃないが、流川家は世界で最強の戦闘民族である。大国が束になってかかっても、正直負ける気がしないってくらいには腕っ節に自信がある。
特に先代の当主である俺の母さんはバケモンだった。本当に人間なのか疑わしいぐらいに強かった。
日夜修行に励んでいたガキの頃、何度も模擬戦を挑んだことがあるが全戦全敗。俺がどれだけ辺りをぶっ壊そうが、焼き尽くそうが、母さんは平然としていた。ダメージすら与えられた試しがないのだ。
一万の軍隊や複数の大国を相手に戦争するよりも、流川家の先代当主を相手にする方がよっぽど地獄。それほど、流川家ってのは化け物揃いの戦闘民族なのだ。
本来ならば、誇りをもって並び立つ者などいない絶対強者と呼ばれたいところだが、現実はそう甘くはない。
その所以こそが、弥平が言っていた``花筏の巫女``である。
花筏の巫女、通称``花筏家``は流川家と同格の戦闘民族。分家派と同じく大陸北方に拠点を持つ彼女たちだが、彼女たちだってあくまで人間である。
確かに世界の最上位ともなれば、人外もいる。実際、俺の母さんはバケモン級の強さを持ち、とてもじゃないが人間がいくら束になっても敵う相手じゃない。戦車とか爆撃機とか、そういう兵器とか武器を使ったとしてもだ。
とはいえ、そんなのはごく少数。
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妖精王は大陸の外からやってきた。言っちまえば宇宙怪獣的な存在であり、そんな人類の常識が適用できるかどうかも分かんねぇバケモン中のバケモンが、人間の少女に退けられるとは思えない。
たとえ流川家は世界最強とはいえ、それは人類の中での話だ。宇宙怪獣的存在に対抗できるかどうかなんて、流石に分からない部分がある。
「でも実際、その少女が妖精王なる大陸外生命体を撃退したのは事実なんですよね? 仮に花筏の巫女でない可能性があるとしても、マークしておくべきなのでは?」
デミグラスハンバーグを慎ましく食べながら、さっきまで黙って話を聞いていた御玲が、俺の思考に割って入る。
花筏家の者でなかったとしても、確かに脅威だ。ソイツも少女の姿をした正体不明のバケモンってことなんだから、ある意味宇宙怪獣的存在よりも怖いと言える。
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「花筏との同盟のこともあります。巫女装束を着た少女には、目を光らせておくことにいたします。久三男様、手伝ってくれますか?」
「僕も流川本家専属技工士としてのプライドってもんがあるからね。絶対なんとかしてみせるさ」
「ありがとうございます。もしかしたらですが、現在失踪中の花筏家当主かもしれないですし。だとしたら我々の目的の一つが達成する目処が立ちます。そして最終的には……」
「……``天災竜王``ゼヴルエーレをなんとかする、だな」
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俺たちが任務請負機関に所属した目的。それは失踪中の花筏家当主を探し出し、俺とその当主が五分の盃を交わすこと。
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だから、やろうと思えばゼヴルエーレが使っていたらしい、外道の法まで―――。
そこまで思い出して、俺は考えるのをやめた。
とにかく、今の俺たちだけじゃ伝説の竜を滅ぼせない。力では歴然とした差があり、戦えば犠牲は免れないものになる。
俺は仲間を失うわけにはいかない。たとえどんな理由があったとしても。だからこそ探すのだ。色んな奴と関わってなんとかできる策を練るために。
親父の復讐だって、今いる仲間の力で初めてなしえたことだ。俺一人じゃ何もできやしない。人の輪が広がれば、誰も犠牲にならない方法があるかもしれない。
クソ甘いこと言っているって、自分でも思う。でも俺は、このやり方でいく。もう誰も、失うわけにはいかないんだ。
「あ、そうだ兄さん!」
過去をほんの少し振り返り、改めて決意を固めていると、黙々と飯を食っていた久三男が、ここぞと言わんばかりに身を乗り出してくる。俺が弥平と話していたからタイミングを見計らっていたんだろう。何故か目が輝いていた。
「この前、霊子コンピュータが未完成って言ったじゃん?」
「……そうだっけ」
「今日ようやく完成してさ~。これでできることが以前の千倍は広がるよ~」
「……うん。すまん、霊子コンピュータって何だっけ」
「兄さん……まあ、そうだよね。兄さんが覚えてるわけないか……いいや、また説明するよ」
なんか久三男のテンションをへし折ってしまったようだが、機械系に関してはテレビの電源を付けたり消したりする以外何も知らない俺にとって、コンピュータなる最先端の機械は理解外の代物だ。説明されたのかもしれないが、記憶に全く残っていない。案の定、綺麗さっぱり忘れていた。
霊子コンピュータ。正式名称``霊電子式複合演算機``。簡単に言うと霊子マナリオンとかいう素粒子を使ったスーパーコンピュータで、それを使いこなせれば魔法が使えない奴でも大規模魔法を使用できたり、世界の法則に干渉したりと、異次元レベルの所業ができるようになるらしい。
正直説明されても俺にはよく分からなかったが、まあ要は超凄いことができるパソコンって理解でいいだろう。使うのは俺じゃないので、理解度はこの程度で十分だ。
久三男の話を要約すると、その超凄いスーパーコンピュータが、ようやく実用に足る性能に達した、って話である。
「これで僕は、新しい配下を創ろうと思うんだ」
「配下ぁ? なんで?」
「だって兄さんには御玲とか弥平とかいるじゃん。僕も側近的な存在が欲しい」
「あー……まあ分からなくもないけど、御玲たちは配下じゃないぞ? 対等な仲間だからな。名目上は上下関係があるってした方が外面的にやりやすいってだけの話だし」
「僕だって同じだよ。僕も僕なりの``仲間``が欲しいんだ」
おちゃらけたように言っているが、その声音は切実だった。
久三男の開発や発明に関する才能は、兄の俺ですら理解が追いつかない領域に達している。環境さえあれば、自分が創ろうと思ったものは確実に発明してのけてしまうくらい、久三男の発明力はクソみたく優れている。
久三男は当主じゃないけど、本家の血筋の者である。才能を持っているのなら尚更で、その才能は当然戦いに活かされる。
体力もなければ武器もロクに扱えない、戦場に立てばそこらへんの雑魚に一瞬で殺される程度のノロマな弟だが、その発明の才能を買われ、今や流川家の軍事力の中核を担うほどの最重要存在と化していた。
だからこそ、久三男は滅多なことじゃ外に出られない。もしも誰かに誘拐なんてされれば抵抗できないし、下手すればそれだけで久三男の技術が外に漏れかねない。
母さんはかつて、久三男を一般の私立学校の中等部に編入させるとかいう無茶苦茶をやっていたが、本来は絶対にやっちゃダメなのだ。久三男の身に何かがあれば、流川の沽券にかかわる大問題になってしまう。
今や流川の技術力は久三男の存在あってこそ成り立っている。滅多なことで外に出られないからこそ、友達を作る機会が全くないのだった。
「まあ、俺からは特に言うことはないぜ。お前はお前の好きなようにやってみろや」
煙草をふかしながら、クソ甘ミルクティーで喉を潤す。
冷たいと思われるかもしれないけど、俺からはマジでこれくらいしか言えることがない。仲間ってのは自分で引き入れるものであって、勝手に寄ってくるものじゃない。
俺だって弥平や御玲と知り合うのにきっかけが必要だったし、親密になるにはともに戦いを乗り越える必要があった。特に御玲とは俺が体を張りまくって、ようやく真の仲間だとお互いを認め合ったほどだ。
兄として、弟にも同じ経験をしてほしい。手前の仲間は手前で信じて、手前で引き入れる。それが現当主の俺が思う、道理ってやつである。
「ありがとう兄さん。僕、頑張るよ」
照れながら、朗らかに笑う。その顔を見て、思わずほっこりした気分になった。
何を頑張るのかは分からないが、研究するか開発するかゲームするかマンガ読むかアニメ見るかしかしなかった弟が、仲間を自分で創りたいと思うようになったのは、弟の成長を感じて微笑ましい。俺は兄として、温かい目で見守ることにしよう。
「パァオング。久三男殿もハーレムが所望か? ハーレムは良いぞ?」
ワインを飲んでいたパオングが、久三男の席までにゅるりと近づく。赤面しながら首を振るが、ワイングラスにワインを足してスルッと喉へ流すと、ジトっとした暗黒の瞳で、久三男の瞳をまじまじと覗き込んだ。
悪の道に誘い込む悪魔のような声音で、久三男に寄り添う。
「女とは格別である。男の苦悩を癒し、ときに凄まじい活力を与えてくれる存在。それは、あらゆる娯楽に勝る至上の悦び。そなたも伴侶を持てば分かる至福ぞ?」
「いやー……僕は、その……でも、そ、そうだなぁ。霊子コンピュータで仲間を創るのなら、例えばドチャクソ美人で背の高い、包容力と庇護欲が駆り立てられる女型アンドロイドとか……いいかも……」
「うわぁ……」
「久三男さん……あの、それ以上は……聞いてて居た堪れなく……」
ずっと無言でカレーを食っていたナージと、手あたり次第にテーブルにある料理をドカ食いしていたカエルが、久三男を見るなりゴミでも見るような目で距離を取りはじめる。久三男は勢い良く立ち上がった。
「う、うるさいな!! 分かってるよ!! ちょっと自分でも気持ち悪いなって思っちゃったよ!! でも創れるかもしれないんだよ!? 夢見たっていいじゃん!! 構想くらい練ってもいいじゃん!!」
「いつも思うがなんでそんな必死なんだよ。便器にこびりついた下痢便かお前」
「表現汚いな!! なにそれ、僕がしつこいって言いたいの!?」
「さっきからそう言ってんだが?」
「安心してください!! ボクなら久三男さんのしつこさキモさ満点の、陰キャ引きこもりクソ童貞でも、全部受け止められますから!!」
「シャル……ごめん。そのフォロー、全然嬉しくないよ……むしろズタズタに引き裂かれたよ……」
「久三男さんに差し上げます。このパンツを!! そして頭に被れば女運の上昇が!!」
「見込めないよ!! それどこから持ってきたの!? 女物の下着だよね!? ま、まさか……!!」
シャルが全裸になって久三男にダイブし、ミキティウスがどこからか女物の下着を出して久三男の頭にかぶせようとする。ぬいぐるみどもにおもちゃにされる愚弟を眺めながら、面白さ半分、嬉しさ半分で煙草を蒸した。
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今気づいたが、なんだかんだで久三男はぬいぐるみたちと気が合うらしい。最近はパオングやあくのだいまおうとなにやらやっているらしいし、充実していると見ていいだろう。
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「あなたたち……?」
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思わず体が反応し、素早く臨戦態勢で振り返ると白いエプロンとゴム手袋とマスクと防護メガネを着用し、両手になにかしらのスプレーを手に持った御玲が、ひどく冷酷な、澱んだ瞳でミキティウスを見つめていた。
「その下着、どこから?」
「はい。御玲さんの部屋の箪笥の二番目の棚にある三十五番目のパ」
「ミキティィィィィ!!」
「よ、容赦ねぇ……!!」
「ミキティウスが、一瞬で氷漬けに……」
畳、テーブルごとミキティウスを氷の像に変える。怯えるぬいぐるみどもと、微動だにせず、静止する俺と久三男。口に出してはならない、なんか変なこと言ったら殺す。そんな冷たい空気がリビングを支配する。
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「久三男さまもですよ。見ましたよね、私の下着」
「いやぼ」
「お願いしますねー?」
拒否する暇を一切与えず、強制的に仕事を割り振っていく。
これはもう、やるしかない。何が嬉しくて、ぬいぐるみがつけた糞の掃除と、テーブルの消毒をしなければならないのだろうか。それもこれも、ミキティウスのせいだ。そういうことにしておこう。
弥平の久方ぶりの帰還を祝うパーティから一変。気がつけば御玲主導の下、リビングの掃除をさせられる始末となった。
パーティを改めて再開できたのは、なんだかんだやって二時間後のことだった。
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2024/02/23
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