上 下
17 / 51

自失

しおりを挟む
「こんばんは~」

 伸二の浮気相手──リンカさん、っていうんだろう、そのまだ20代前半と思しき女の子は唇に微笑みをたたえたまま、伸二の横に座った。
 艶やかな茶髪が、綺麗に巻かれている。

「なんかシンちゃんコソコソしてるからぁ~、なにかなぁって尾行けちゃった」
「……お願いだから、邪魔しないでくれリンカ」
「やだ!」

 つん! とリンカさんはおとがいをそらせる。私のことなんか、どうでもいいみたいだ。

「いいじゃんシンちゃん、こんな趣味の悪い女なんか!」
「……男の趣味は、悪かったみたい」

 そう言い返すと、リンカさんは「は?」と低い声で私を睨む。

「違いますー。シーツの色とか、カーテンとか!」
「……ああ。もう一緒に住んでるの?」

 ……まぁ、私も謙一さんのところに丸め込まれて転がり込んでいるわけで、その辺は責められない。
 お互い、フリーなのだし。
 軽く肩をすくめて伸二を見ると、……真っ青だった。
 そして、リンカさんを止めようとする。

「リン、リンカ、少し黙っ──」
「ちがいますぅ~。前から思ってたんですぅ!」

 きゃはは、とリンカさんは楽しげに笑った。

「奥さん遅くなるときとか、シンちゃんちよくお邪魔してたんですよぉ~」

 ひぅ、と息を吸った。

(……え?)

 伸二に目を遣る。真っ青になって私と視線が合っては外れる。……なに、それ。

「ベッド、シーツの趣味は悪いけどエッチするときのスプリングはいい感じですね!」

 にっこり、とリンカさんは笑う。

「あ、ごめんなさーい。奥さんはあのベッドでエッチしたことなかったんでしたっけ~」

 どくん、と心臓が凍った。
 え、っと。
 じゃあ、なに?
 私は──2人がセックスをした、そのあとの布団で寝ていたの?
 口を押さえた。
 セックスしてたって、ことは、……シーツ、変えてなかった、ってことは、……ふたりの、体液とか残って……た、かも、なベッドで……私は。
 私は眠っていた。
 毎晩。毎晩。毎晩。
 赤ちゃん欲しいなって思いながら、赤ちゃんいたら変わるかなって思いながら、この2人がセックスしたシーツで眠っていた。

「奥さん、赤ちゃん欲しがってたんですよね」

 リンカさんが目を細めた。

「あのベッドで、エッチとか強請ってたんですよね! 抱いてもらえるはずないのに!」

 私は。
 2人がセックスしていたベッドで、伸二にお願いしていた。
 断られても気にしないふりをして、セックスしようって。何度も、何度も。

「だいたいあのベビードールも似合わないですよ~」

 あはは、とリンカさんは笑った。
 あ、……あれ、伸二、見せた……んだ。「無理すんなよアラサー」な、あのベビードール……で、2人で。
 笑ってたんだ。
 私のことを。
 あのベッドで、睦みあいながら、笑っていたんだ。抱いてもらえない、惨めな妻のことを。

(帰りたい)

 身体が震えた。
 帰りたい。
 ちがう、──会いたい。謙一さんに会いたい。

(たすけて)

 身体が震える。
 たすけて、たすけて、謙一さん、私、壊れてしまう。

「リン! いい加減にしろ……!」
「リン、シンちゃんの彼女だもん。ここにいる権利、あるよね」
「……っ、リン、オレ、別れてくれって何度も」
「きかなーい。ねぇ、奥さんに脅されてるの? 財産分与とか? 慰謝料?」
「違」

 伸二の言葉を聞いているのかいないのか、リンカさんはきっ、と私を睨みつける。

「10年以上もシンちゃんの貴重な時間を奪っておいて、無駄にさせておいて! その上お金まで請求するの!? 恥知らず!」

 その言葉に、呆然として──それから笑いが、こみ上げてきた。

(なに、それ)

 頬が冷たい。
 なんだろ、泣いてるのかな。
 なんで泣いてるんだろ。

(貴重な時間、だって……)

 無駄にさせたんだって。
 私は、恥知らずなんだって。
 確かに──別の女とセックスしたての夫に、その睦み合っていた同じベッドで子作りを強請るなんて、恥知らずもいいところなのかも、しれない。
 伸二が必死に何か言ってる。リンカさんは喚いてる。
 私と伸二が高校からの付き合いだって──知ってる、って感じの発言。
 じゃあ伸二も、そう思っていたのかな。
 無駄だったって。
 初めてのキスも、処女も、全部あげたのに。全部全部、あげたのに──全部、伸二にとっては要らないモノ、だったのかな。
 だから、──浮気なんて、できたんだろう。2人で選んだあのベッドに、不倫相手を引き込めたんだろう。
 なんて、──惨め。
 もう、笑うしかない。笑ってるのに泣いてる。めちゃくちゃだ。

「なに笑ってるの!?」

 リンカさんの金切り声で、はっと我に返る。リンカさんは伸二がまだ口をつけてなかったホットコーヒーのマグカップを掴んだ。

「ムカつく! ムカつくっ!」

 え、と私は固まる。

(水でしょ!?)

 こういう時、かけるのに選ぶのって水じゃない!? いやまぁ、水のグラスなんてここにはないんだけれど──それにしたって!
 ……なんて冷静でいるつもりだったけれど、結局全然冷静じゃないってことなんだろう、と思う。
 驚きのあまり、体が動かなくて──あ、だめ、やだなぁヤケドとかするかな、まだ熱そう……と、目の前に黒色の、何か。

「え」

 目線を動かす。
 その先には、黒いトレイを縦に持った謙一さんがいた。トレイは見事にコーヒーを跳ね返して、リンカさんと伸二に思い切りかかった。床とテーブルに落ちていく液体。

「っ、はぁあ!? なにすんのよ!」

 大して熱くもなかったのか、リンカさんはきぃきぃと服にかかったコーヒーを拭きながら目を尖らせた。

「……こんばんは」

 謙一さんはリンカさんを無視して、伸二を見つめた。怜悧な視線に、伸二がびくりと肩を揺らす。謙一さんは、地を這うような声で言う。

「麻衣さんの、ご主人でしょうか?」

 元、にニュアンスを強くして謙一さんは言った。

「……どちら、さまですか」
「彼女に、求婚している者です──答えは、まだいただけてませんが」

 伸二は弾けたように私を見て、呆然と目を瞠った。

「な、……っ、求婚? 麻衣、どういうことだ?」

 責めるような目線で見られる。そんな目で見られる筋合いはない、と思う。

「今後、こういった話は弁護士を通していただけませんか? 俺の方から連絡させますから」
「弁護士……!?」

 伸二の呆然とした声を完全に無視して、謙一さんは淡々と続ける。感情を押さえつけて、どこか事務的な印象すらあった。

「ではここで失礼します。こんな場所に麻衣さんを置いておけない」

 安心させるように、謙一さんは私を見て頬を緩める。

「遅くなってすまない」

 謙一さんが、私の手を取る。ぎゅ、と握られた。
 その温かさにほっとして、涙がころんと零れ落ちた。さっきまでの冷たい涙じゃなくて、体温がある涙。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】セフレじゃないから!

ミカン♬
恋愛
★エタニティ挑戦【R18】です。18歳未満・苦手な方は申し訳ありません、お戻りください。 久野圭子22歳銀行員。2歳年下の可愛い大学生のセフレがいます。 イケメンのセフレには絶えず美女の取り巻きが居て恋人に昇格するのは難しそう。 セフレにはセレブな友人がいてヒモをやっています。時給2000円で女子寄せパンダバイトをしており、絶えずスマホを操作しています。週に1~2回、気が向いたら私を抱きに来ますが、ただの都合の良い女なのでしょう。将来を慮り屑なセフレと別れる決心をしました。 銀行から出向を命じられ春寒の高野山の工芸展&カフェに努めることになりました。 セフレと別れるのにちょうどいいと姿を消したのですがセフレが追いかけてきました。 いやいやお別れしたいです。もう気持ちは冷めました・・・何度来ても追い返すのみです。 すると(あれ?ドアが開かない?)事件です!警察を~ 地名など出てますが妄想の世界です。緩い設定で時々エロいシーン★入ります。 サクッと終ります。暇つぶしに読んでください、宜しくお願いします。 なろう様ムーンにも投稿。少し内容が違う部分があります。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

素直になっていいの?

詩織
恋愛
母子家庭で頑張ってたきた加奈に大きな転機がおきる。幸せになるのか?それとも…

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】

remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。 干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。 と思っていたら、 初めての相手に再会した。 柚木 紘弥。 忘れられない、初めての1度だけの彼。 【完結】ありがとうございました‼

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

若妻シリーズ

笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。 気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。 乳首責め/クリ責め/潮吹き ※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様 ※使用画像/SplitShire様

ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~

taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。 お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥ えっちめシーンの話には♥マークを付けています。 ミックスド★バスの第5弾です。

処理中です...