上 下
23 / 29

浴衣

しおりを挟む
「ダメじゃない茉白」

 唐突に言われて、ばっと振り向く。
 デパートの夏の特設会場、そこで浴衣を選んでいた私の背後にいつの間にか立っていたのは、大好きなおばあちゃんだった。

「わ、おばあちゃん」

 びっくりした。
 桔梗が描かれた白い浴衣、紫の帯。きっちり抜かれた襟に、ぴんと張った背中。
 祖母と孫ではなくて、時折母娘に間違われる若々しいひと。

「……なんでこんなところに?」

 多分、おばあちゃんはこんなところ……って言ったらすごく失礼なんだろうけれど、量販品の浴衣を見にきたりはしない。
 私には分相応。じゅうぶんに素敵な浴衣がたくさんある。

「お散歩よ」
「ふうん?」

 切れ長の綺麗な目を細めて、おばあちゃんは艶やかに笑う。

「そういえば、あの、ダメって?」

 そう言われたのだった──と聞き返すと、おばあちゃんはニッコリと笑う。

「あなたの婚約者よ」
「こっ、こん!?」

 私は頬が熱くなって、両手で押さえる。た、たしかに結婚しようとも言ってくれているけれど、まだ、そんな、全然……っ!

「あら? ちがうの? 違うのに、一緒に暮らしているの?」

 柳眉を寄せて、おばあちゃん。
 わ、わ、そうじゃなくって──!

「そ、そうだよ、そう言ってくれてるけどっ」
「まぁ、おいおいと言ったところかしら──ねぇ、ところで。ダメよ、茉白。あんなところに婚約者殿をぼけっとお待たせしては」
「……え、っと?」
「お暇そうにされていたから、お声がけしたの」
「え? あれ、顔、知って……?」

 付き合ってる人がいる、というのも、ちょっとトラブルがありそうだからしばらくマンションを離れて彼のところにいます、とは伝えてあったけれど。

「ええ」

 おばあちゃんは余裕たっぷりの顔で笑う。

「実は、あたしの歯の主治医なの」
「わ! そうだったの?」
「──そう。だからね」

 おばあちゃんはニコリと笑う。

「六角通に、あたしが貸しているお店があるでしょう」
「……ああ、居酒屋さん?」

 創作料理の居酒屋さん。古い町屋をリフォームしたところだけれど、オーナーはおばあちゃんだ。

「あのお店にご招待したの。あなたも浴衣を選び次第、合流なさい」

 私は頷く。

「気を使わせてしまって……」

 ていうか、理人くんにも謝らなきゃだ。暇だったろうな。でもどの浴衣にしようか、って悩み過ぎてしまった。

「候補はあるの?」
「あ、というか、これにしようかと」

 私が選んだのは、たまたまだけれど──おばあちゃんと同じ白の浴衣。全体に、淡い色の紫陽花模様。

「いいじゃない」
「あとは、帯と……」

 肌着もないから、買わないとだ。
 全部買えば、諭吉さん2人か3人か、にはなってしまう。
 ……結構な出費になるけれど、でも……。

(ちゃんとやり直したい!)

 理人くんと離れ離れになった、あのお祭りを、もう一度!

「買ってあげる」
「え、いいよ! 社会人だもの」

 そう? って言うおばあちゃんにウンウンって頷いて(あんまり甘えてもらんない!)パステル系な紫の帯と、セット売りしてある肌着を選ぶ。

「レジでお預かりしましょうか?」

 大荷物になりつつあった私に、お店の人が声をかけてくれる。
 はい、と頷いたところで、後ろで浴衣を選んでいた女の子たちがすこし騒ぐ。

「あれ、スマホ圏外なんだけど……」
「え? ほんとだ」

 私はぱちくりと目を瞠って、自分のスマホを見てみる。たしかに圏外だけれど──まぁ、理人くんはお店にいてくれるらしいので問題はないだろう。

(着いたら、待たせてごめんなさいって謝らないと……)

 ふ、とキラキラしく飾られた和風の小物が気になる。
 髪飾り。帯留めに、ピアス──。
 小物も気になるけれど──ここは仕方ないです。世の中には予算というものが……。
 社会に出て、私は自分がいかに「実家のお金」というものに甘えていたか、分かった。
 大学で、アルバイトだってしたことはあった。けれどあれは生活費なんかじゃない。
 実家暮らしで、帰ったらお母さんかお手伝いさんの作ったご飯が待ってて、お風呂も沸いてて、旅行にだって……。

(あんなに甘えさせてくれたのに)

 最後の最後、私は両親が決めたお見合いをすっぽかした。
 振袖のまま、新幹線に飛び乗っておばあちゃんに泣きついて──そうやって、いまここにいる。
 結局はまわりの「おとな」に甘えっぱなしの、そんな人生なんだけれど……。
 浴衣を買った私は、おばあちゃんとタクシーに乗る。

「すこし待っていて」

 おばあちゃんが出発直前にそう言って、またデパートに戻っていった。
 不思議に思いつつまっていると、しばらくしてニコリとおばあちゃんは笑いながら戻ってきた。手には紙袋。

「なにか買ったの?」
「ええ、すこしね」

 おばあちゃんがそう言って、タクシーは出発した。
 お店の前について、私は目を瞬いた。

「え、貸切?」

 町屋風のそのお店の格子のガラス戸には、そのひとことが書いてあった。

「そう。今日はね、お友達を集めているの、あたし」

 ニコリとおばあちゃんが笑って、お店に入る。私は荷物を抱えてその後ろに続いた。
 お店の方にご挨拶をしながら、私はおばあちゃんに二階の小部屋に通される。
 畳敷きの、小さな部屋。黒光りする座卓には、お茶の用意があった。
 開け放たれた窓からは、祇園囃子が舞い込んできている。りぃん、と風鈴が鳴った。

「手伝いましょうか?」
「あ、大丈夫……」

 浴衣を開いていく。おばあちゃんは障子を閉めて、クーラーをつけてくれた。
 浴衣くらいなら、なんとかまだ覚えてる。
 どうにか着付けて姿見を見ると、おばあちゃんが手早く直してくれた。

「まぁ、合格ね」
「ふふ」

 姿見の中の私──は、悪くないんじゃないかなぁと思う。
 そこに、すうっとおばあちゃんの指が伸びて──髪に紫陽花の髪飾りをつけてくれた。

「わ、おばあちゃん?」
「それくらいは、プレゼントさせてちょうだいな」

 澄まし顔でおばあちゃんは言う。
 私は小さく頷いて、やっぱり小さく「ありがとう」となんとか言った。さっき戻ったの、これだったんだあ……。

「あ、ね。おばあちゃん、理人くんは?」
「さっきまでいたみたいよ。買い物かしら?」
「ふうん?」

 私はぼうっと、障子を開いて六角通を見下ろす。人混みの中に、理人くんを探した。
 すでに開き出した夜店へ、焼き鳥でも買いに行ったのかなあと思いながら。
しおりを挟む
感想 36

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

契約婚と聞いていたのに溺愛婚でした!

如月 そら
恋愛
「それなら、いっそ契約婚でもするか?」  そう言った目の前の男は椿美冬の顔を見てふっと余裕のある笑みを浮かべた。 ──契約結婚なのだから。 そんな風に思っていたのだけれど。 なんか妙に甘くないですか!? アパレルメーカー社長の椿美冬とベンチャーキャピタルの副社長、槙野祐輔。 二人の結婚は果たして契約結婚か、溺愛婚か!? ※イラストは玉子様(@tamagokikaku)イラストの無断転載複写は禁止させて頂きます

冷徹上司の、甘い秘密。

青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。 「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」 「別に誰も気にしませんよ?」 「いや俺が気にする」 ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。 ※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。

一夜の過ちで懐妊したら、溺愛が始まりました。

青花美来
恋愛
あの日、バーで出会ったのは勤務先の会社の副社長だった。 その肩書きに恐れをなして逃げた朝。 もう関わらない。そう決めたのに。 それから一ヶ月後。 「鮎原さん、ですよね?」 「……鮎原さん。お腹の赤ちゃん、産んでくれませんか」 「僕と、結婚してくれませんか」 あの一夜から、溺愛が始まりました。

野獣御曹司から執着溺愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
野獣御曹司から執着溺愛されちゃいました

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...